第83話

文字数 5,577文字

 「…わ、私が、お嬢様を救う? …」

 思わず、大声を出した…

 あまりにも、意外なことを、葉尊が、言ったからだ…

 「…葉尊…オマエ、気は確かか?…」

 「…確かです…」

 葉尊が、真顔で、答えた…

 「…バカも休み休み言え…そんなこと、私にできるはずは、あるまい…」

 「…いえ、お姉さんだから、できるんです…」

 「…私だから、できる?…」

 「…先日、リンダから、聞きました…」

 「…なにを聞いた?…」

 「…オスマン殿下のことです…」

 「…オスマン殿下のことだと?…」

 「…ハイ…お姉さんは、殿下とも、親しくなったそうですね…」

 「…親しくなった? …いや、親しいというか…知り会ったというか…顔なじみになったというか…」

 「…それは、違います…」

 「…違う? …どう違うんだ?…」

 「…お姉さんは、殿下の信頼を得たのです…」

 「…殿下の信頼を得ただと?…バカな…」

 …なにを大きなことを言ってるんだ?…

 …私が、殿下の信頼を得るわけがあるまい…

 …せいぜいが、いっしょに、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊っただけだ…

 …ただ、それだけだ…

 …いっしょに、踊ることで、信頼を得られるならば、これ以上、楽なことはない…

 私は、思った…

 だから、

 「…葉尊…バカなことを言うな…私は、ただ、殿下とAKBの恋するフォーチュンクッキーを踊っただけだゾ…」

 と、言ってやった…

 「…それで、十分です…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…お姉さんが、子供といえども、誰一人、分け隔てせず、接していた…そのお姉さんの人柄を見て、殿下は、信頼できるひとだと、確信したと、仰っていたそうです…」

 「…わ、私が、信頼できるひと?…」

 「…そうです…殿下は、ひとを、見る目があります…その殿下に、お姉さんは、認められたんです…父もそれを聞けば、大喜びでしょう…」

 「…お義父さんが、大喜びだと?…」

 「…お姉さんが、オスマン殿下に認められたことは、すなわち、クール…いえ、クールだけでなく、台北筆頭も、認められたことになります…アラブの至宝と言われたオスマン殿下の信頼を得られれば、商売にも、好都合…父が、喜ばないはずがありません…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 たしかに、その通りだろう…

 しかし、それは、私が、本当に、オスマン殿下の信頼を得られた場合だ…

 いっしょになって、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊っただけで、オスマン殿下の信頼を得られることなど、あるまい…

 バカバカしい…

 まさに、バカバカしいの一言だ…

 「…で、それと、私が、矢口のお嬢様を救うことと、どう関係があるんだ?…」

 私は、言ってやった…

 私が、オスマン殿下の信頼を得ただというウソ臭い話よりも、矢口のお嬢様の話の方が、よっぽど、いいからだ…

 「…お姉さんは、オスマン殿下の信頼を得ました…」

 葉尊が、また、言った…

 だから、私は面倒臭くなり、

 「…葉尊、その話は、もういい…」

 と、つい、言ってしまった…

 「…いえ、よくはありません…オスマン殿下の信頼を得たことで、お姉さんは、力を得たのです…」

 「…私が、力を得た? 一体、どんな力だ?…」

 「…アラブの女神…」

 葉尊が、言った…

 「…アラブの女神だと? なんだ、それは?…」

 私は、葉尊の言葉を聞きながら、たしか、以前、同じ言葉を聞いたことを、思い出した…

 …どこかで、聞いたことがある?…

 …一体、どこで?…

 …そうだ!…

 …ファラドだ!…

 あのイケメンのファラドの妻となる人物が、アラブの女神と呼ばれるほど、権力を持つと、アラブ世界で、噂されていると、言っていた…

 が、

 真実は、ファラドは、ダミー…

 オスマン殿下の替え玉だった…

 真実は、小人症のオスマン殿下が、人前に出れないので、オスマン殿下の代理人として、ファラドが、表舞台に立った…

 が、

 ファラドは、それをいいことに、権力を得ようとした…

 要するに、いつまでも、オスマン殿下の代理人では、嫌だったのだろう…

 オスマン殿下の代理人として、さまざまな権力者と接している内に、自分自身が、権力を得たくなった…

 それゆえ、オスマン殿下を排除しようとした…

 ある意味、ひどく、わかりやすい…

 ありがちな話だった…

 私は、それを思い出した…

 だから、

 「…アラブの女神っていうのは、ファラドと、結婚する女が、ファラドが権力者だから、ファラドと結婚すれば、アラブの女神と呼ばれるほどの権力を持つと、言われていると、いうことだったと、思ったが…」

 「…その通りです…」

 「…だったら、アラブの女神っていうのは、なんなんだ? …ファラドは、権力者では、なかった…だから、ファラドの妻が、アラブの女神と呼ばれるほどの権力を持つことは、ありえない…」

 「…お姉さんの言う通りです…」

 「…」

 「…すべては、オスマン殿下の策略です…」

 「…オスマン殿下の策略だと?…」

 「…ファラドは、オスマンの代理人…オスマン殿下の命で、動きます…アラブの女神という名前も、オスマン殿下の発案です…実際には存在しないが、そんな大げさな名前にすれば、たやすく人々に浸透するからです…」

 「…」

 「…ですが、現実に、アラブの女神と呼ばれる存在は、います…」

 「…誰だ、それは?…」

 「…それは、お姉さんです…」

 「…わ…私?…」

 「…そうです…」

 「…なんで、私が、アラブの女神なんだ?…」

 「…それは、さっきも言ったように、オスマン殿下の信頼を得たからです…」

 「…殿下の信頼を得たから?…」

 「…オスマン殿下は、権力者です…その優れた頭脳は、アラブの至宝と呼ばれ、国王陛下からも、絶大な信頼を得ています…そして、オスマン殿下の信頼を得た、女性…それは、アラブの女神と呼ばれ、アラブ世界で、絶大な権力を持つことを意味します…」

 葉尊が、真顔で、言う…

 私は、それを聞きながら、思わず、吹き出しそうになった…

 アラブの女神などと、仰々しい、名前で言うから、一体、なんだと思えば、その正体は、他ならぬ、私だという…

 他ならぬ、この矢田トモコだという…

 こんなバカバカしい話は、ない…

 なんで、この矢田トモコが、アラブの女神なんだ?

 冗談も、たいがいにしろ! と、言いたくなった…

 が、

 その代わりに、

 「…葉尊…気は確かか?…」

 と、聞いた…

 「…確かです…」

 「…私が、アラブの女神なわけがあるまい…冗談も休み休み言え…」

 「…これは、冗談ではありません…」

 「…冗談ではないだと?…」

 「…現に、お姉さんが、オスマン殿下の信頼を得たという情報が、アラブ世界に、駆け巡りました…途端に、クールのみならず、台北筆頭もそうですが、アラブ世界で、現在、進行中の商談が、一気に進んだという報告が、上がってきています…」

 「…なんだと? そんなバカな?…」

 「…バカなじゃ、ありません…クールの社長夫人が、オスマン殿下の信頼を得るということは、そういうことなのです…」

 「…ウ、ウソォ!…」

 思わず、口に出した…

 つい、言ってしまった…

 私が、したことと言えば、3歳の幼児にしか、見えないオスマン殿下の隣で、いっしょにAKBの恋するフォーチュンクッキーを踊ったこと…

 ただ、それだけだ…

 そんなことをしただけで、オスマン殿下の信頼を得るとは?

 うーむ…

 さっぱり、わからん…

 理解できん…

 もしや…

 もしや…

 あのオスマン殿下は、気がふれたとか?

 その日の食べ合わせが悪かったから、判断がおかしくなったとか…

 そういうことではないか?

 私は、思った…

 思いながら、考えた…

 この葉尊のことだ…

 私の夫のことだ…

 なんで、こんなに、詳しいんだ?

 と、思ったのだ…

 「…葉尊…オマエ、なんで、そんなに詳しいんだ?…」

 「…リンダです…お姉さん…」

 「…リンダだと?…」

 「…リンダは、リンダ・ヘイワースは、ボクの親友です…」

 「…それは、わかっている…」

 「…リンダは、サウジの王族から、招待を受けたとき、怯えていました…なぜだか、わかりますか?…」

 「…サウジに連れて行かれれば、二度と戻って来れないと、思ったんだろ?…」

 「…それも、あります…でも、本音は、別にありました…」

 「…本音? …なんだ、それは?…」

 「…相手の意図が、読めなかったからです…」

 「…どういうことだ?…」

 「…ファラドが、リンダ・ヘイワースの熱心なファンだなどと、聞いたこともなかった…だから、なにか、別の目的があると、思った…でも、それが、わからない…だから、リンダは不安だったんです…」

 …そうか?…

 …そうだったのか?…

 たしかに、リンダは、自分の持つセレブ専用のファンクラブの存在がある…

 リンダ・ヘイワース専用のセレブのネットワークがある…

 そのネットワークを駆使しても、ファラドの狙いが、読めなかった…

 だから、不安だったのだろう…

 私は、気付いた…

 「…だが、結局は、リンダのファンは、ファラドではなく、オスマン殿下だった…それが、わかって、リンダは、安心したわけです…」

 葉尊が、説明する。

 「…そして、最初の話に戻りますが、矢口さんのことです…」

 「…お嬢様のこと?…」

 「…矢口さんを助けられるのは、たぶん、お姉さんだけです…」

 「…私だけ?…」

 「…お姉さんは、実に、不思議な力を持つというと、言い過ぎですが、簡単に他人に好かれるのです…」

 「…ひとに好かれる…」

 「…そして、それは、上は、オスマン殿下のような権力者から、下は、3歳の保育園児まで、誰からも好かれます…そんな人間は、男女を問わず、滅多にいません…ボクが、知っている中では、お姉さんだけです…」

 「…私だけ?…」

 「…そうです…そんなお姉さんだから、もしかしたら、矢口さんを、助けることが、できるかもしれません…」

 「…」

 「…これは、以前も言いましたが、ひとに好かれる人間は、いつでも、どこででも、好かれ、真逆に、ひとに嫌われる人間は、どこに行っても、嫌われます…そして、ひとに、好かれる人間は、皆、困ったときに誰かが、助けてくれます…いわば、他人の力を使うことができるのです…」

 「…他人の力を使うだと?…」

 「…ひとりで、できることは、たかが、知れています…でも、他人の力を使えれば、十人集まれば、十人力…百人集まれば、百人力の力を得ます…」

 「…」

 「…そして、お姉さんは、それができる人間です…」

 「…私が、それができる人間…」

 「…そうです…」

 葉尊が、言った…

 真顔で、言った…

 私は、なんだか、おかしくなった…

 葉尊には、悪いが、吹き出しそうになった…

 私が…

 この矢田トモコが、そんなことができるはずがない…

 そう思ったのだ…

 葉尊と結婚する、つい最近まで、派遣やバイトで、食いつないできた女だ…

 短大を卒業して、ろくに、就職もせず、35歳まで、生きてきた女だ…

 そんな才能など、あるはずもない…

 そんな才能が、あれば、就職も楽勝…

 いかに、就職氷河期とはいえ、就職も、楽勝で、どこかの大企業に就職できたはずだ…

 いや、

 就職以前に、学校だ…

 私は、何度も言ったが、ソニー学園出身…

 正直、大した大学ではない…

 もしも、私に、そんな才能が、あれば、大学も、もっと、ましな大学に行ったはずだ…

 もっと、偏差値の高い、有名な大学に、行ったはずだ…

 東大は、無理でも、早稲田や、慶応に、行ったはずだ…

 私は、思った…

 だから、

 「…葉尊…そんな才能が、私にあるはずがないさ…そんな才能が、あるなら、私は、短大を出て、大企業に就職したさ…大学も、もっといい学校に行ったさ…」

 と、私は、言ってやった…

 「…お姉さん…大学も就職も関係ありませんよ…」

 「…関係ないだと?…」

 「…お姉さんは、お姉さん…お姉さんを、嫌いになる人間は、この世の中にいません…そして、それが、お姉さんの才能です…」

 「…そんな、大げさな…」

 「…大げさでは、ありません…矢口さんが、お姉さんに接触しているのも、外見が、お姉さん、そっくりだからという理由だけではないと思いますよ…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…お姉さんの持つ、才能です…言葉は、悪いですが、お姉さんは、利用できるのです…」

 「…私を利用?…」

 「…外見が、そっくりだから、利用するというのではなく、今回のオスマン殿下が、お姉さんを信頼したことから、わかるように、お姉さんと、親しくなると、得をするというか…思いがけない利益を得ることができるということです…」

 「…利益だと?…」

 「…例えば、オスマン殿下です…お姉さんは、オスマン殿下の信頼を得ました…すると、どうですか? お姉さん、そっくりの矢口さんが、オスマン殿下に、自分も、助けてもらいたいと、願い出たとします… オスマン殿下は、断ることができますか? お姉さんそっくりの矢口さんの頼みを断ることができますか?…」

 「…たしかに、オマエの言う通り、私が、オスマン殿下の信頼を得たとしたら、私そっくりの矢口のお嬢様が、助けてくれと、言ってきたら、断りづらいだろうな…」

 「…その通りです…」

 葉尊が、我が意を得たりと、ばかりに、笑った…

 「…そして、それが、お姉さんの持つ才能です…」

 葉尊が、説明する…

 そして、私は、そんな夫の葉尊を見ながら、

 「…で、オマエが、私に接しているのも、同じ理由か?…」

 と、聞いてやった…

 「…エッ? …どういう意味ですか?…」

 「…私を利用するのが、目的かと、聞いてやったのさ…」

 「…エッ?…」

 「…そうだろ? 葉問?…」

 私の問いかけに、目の前の葉尊…いや、葉問の表情が、凍り付いた…

               
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