第63話

文字数 5,027文字

 …お嬢様が、笑った…

 …あの矢口のお嬢様が、笑った…

 それを見た、私は、思わず、全身に悪寒が走った…

 ブルブルと、震えた…

 なにか、悪い予感がしたのだ…

 なにか、良くないことが、起きる予感がしたのだ…

 おおげさに、言えば、見ては、いけないものを、見た気持ちだった…

 まさに、悪魔の笑いだった…

 そして、私が、そんなことを、考えている間にも、お菓子を積んだ、カートは、何台も、何台も、続いた…

 私は、驚いた…

 子供たちは、多いが、数を数えていると、せいぜい40人ぐらい…

 だから、その40人に、比べて、お菓子の数が、あまりにも、多い…

 一体、お嬢様は、なにを考えているのだろう?

 私は、考えた…

 すると、隣で、

 「…なるほど…」

 という声がした…

 私は、その声の主を振り返った…

 ファラドだった…

 「…あのお嬢様…なにかを、狙ってますね…」

 「…狙ってる? …どうして、わかる?…」

 「…カートです…」

 「…カート? …あのお菓子を積んだカートか?…」

 「…そうです…あのカートを見てください…」

 私は、ファラドの言う通り、カートを見た…

 すると、カートは、この保育園の園児たちを囲んでいた…

 つまり、何台も、続く、お菓子を積んだカートは、すべて、このセレブの保育園に通う園児たちを、囲む形になった…

 「…これは、一体、どういうことだ?…」

 私は、呟いた…

 …お嬢様の目的が、わからない…

 …お嬢様の意図が、さっぱり、見えなかった…

 壇上に上がった、矢口のお嬢様が、

 「…ハイ…出来上がりました…」

 と、言って、パチパチと、手を叩いた…

 実に、楽しそうだった…

 園児も、それにつられて、パチパチと、手を叩いて、喜んだ…

 私は、お嬢様の狙いが、わからなかった…

 狙いが、さっぱり、見えんかったのだ…

 が、

 隣のファラドは、お嬢様の狙いが、わかったらしい…

 「…なるほど、トロイの木馬か?…」

 ファラドが、呟いた…

 「…トロイの木馬だと? …どういう意味だ?…」

 「…カートを引いてきた男たちを見てください…」

 ファラドが、言った…

 私は、そのファラドの言葉通り、カートを引いてきた男たちを見た…

 別に、なんでもない…

 普通の男たちだ…

 ただ、みんな背が高かった…

 そして、スーパーの社員に、しては、みんなカラダが、がっちりしているというか…

 よーく見ると、誰もが、格闘技でも、しているのかと、思うほど、屈強な体格の持ち主ばかりだった…

 そう、考えていると、

 「…随分、ガタイが、いい…」

 と、いう声がした…

 私は、その声の主を見た…

 ヤンだった…

 「…その通り…」

 ファラドが、答えた…

 「…で、アレが、トロイの木馬というわけ?…」

 ヤンが、聞いた…

 が、

 ファラドは、ニヤリと笑って答えなかった…

 私は、ヤンと、ファラドが、なにを言っているのか、わからなかった…

 だから、

 「…ヤン…説明しろ…」

 と、怒鳴った…

 私には、ヤンとファラドと、二人の会話がさっぱり、わからんかったからだ…

 「…お姉さん…簡単よ…」

 ヤンが、言った…

 「…簡単だと?…」

 私は、言った…

 「…簡単じゃないから、私には、わからんのさ…」

 「…いえ、簡単…」

 ヤンが、言った…

 「…お姉さんが、わからないのは、トロイの木馬の意味がわからないからよ…」

 「…トロイの木馬だと?…」

 「…トロイの木馬は、言葉通り、木馬…木でできた馬…その中に、ひとが入って、敵の中に入って、敵が油断したら、その木馬の中からひとが出てきて、敵を倒した、そういう話…」

 「…」

 「…つまり、さしずめ、あのカートが、木馬ね…そして、そのカートを押しているのが、木馬の中の兵隊…」

 「…兵隊だと?…」

 「…だって、普通のスーパーの店員が、あんなに、カラダがごつい人間ばかりなんて、おかしいでしょ?…」

 ヤンが、笑った…

 ヤン=リンダが、笑ったのだ…

 たしかに、言われてみれば、ヤン=リンダの言う通りだった…

 ただのスーパーの店員が、あんなにごついわけがない…

 まるで、兵隊…

 軍人のようだ…

 一体、なにが、狙いだ?

 私は、考えた…

 すると、ヤンが、

 「…考えられることは…」

 と、言った…

 だから、私は、

 「…なにが、考えられるんだ?…」

 と、ヤンに、聞いた…

 すると、ヤンが、ニヤリと、笑った…

 笑ったのだ…

 「…お姉さん…」

 「…なんだ?…」

 「…あのカートを引いてきた男たちは、なにを囲んでいるの?…」

 「…なにをって…」

 言いながら、私は、考え込んだ…

 カートを引いた男たちが、囲んでいるのは、この保育園に通う園児たち…

 マリアや、オスマンを含んだ、子供たちだ…

 だから、

 「…園児たちだろ?…」

 と、答えた…

 「…その通り…」

 ヤンが、笑った…

 「…となると、答えは、もうわかってるでしょ?…」

 「…答えって、なんだ?…」

 「…見るからに、屈強な男たちが、園児たちを囲んでいる…つまりは、園児を守っている…」

 「…園児を守っているだと? …一体、誰から、守っているんだ?…」

 「…さあ…」

 と、言って、ヤンは、笑った…

 「…中東は、政情が、不安定だから…」

 と、言って、ファラドを見た…

 「…そうでしょ?…」

 ファラドに、向かって、言った…

 すると、ファラドは、困ったような顔になった…

 「…なんともはや…言いづらいことを、ズバッと、言ってくれますね…」

 が、

 ファラドの言葉に、ヤンは、なにも、答えなかった…

 私は、ヤンの言葉に、ピンときた…

 ピンと来たのだ…

 「…まさか、…まさか…オスマンが、襲われるのか?…」

 私は、言った…

 そして、急いで、ファラドの顔を見た…

 ファラドならば、答えを知っているに、違いないからだ…

 が、

 ファラドは、答えなかった…

 代わりに、ヤンが、答えた…

 「…なるほど、うまいところに、目をつける…」

 「…うまいところだと? …どういう意味だ?…」

 「…この、お遊戯大会…これは、園児の父兄が、堂々と、この保育園に、訪れることができる…普段ならば、園児の送り迎えで、この保育園の中に入ることは、できない…つまりは、オスマン殿下に、近付くことができない…でしょ?…」

 ヤンが、ファラドに笑いかけた…

 ファラドは、苦笑した…

 「…つまりは、オスマン殿下を狙っている連中にとっては、絶好のチャンス…」

 「…なんだと?…」

 私は、驚いて、周囲の父兄たちを見た…

 この保育園は、何度も、言うように、セレブ専用…

 そして、園児たちの国籍は、多種多様…

 まるで、人種のるつぼだ…

 日本にあるにも、かかわらず、日本人は、少ない…

 だから、マリアを、バニラは、通わせたのだ…

 この保育園に通わせれば、マリアの肌の色は、気にならない…

 マリアの父の葉敬は、台湾人だが、母親のバニラは、生粋の白人…

 だから、普通の日本の保育園に通わせて、イジメにでも、あったら、困ると、思ったのだろう…

 マリアは、誰が見ても、金髪碧眼の白人の女の子…

 まるで、人形のように、かわいい…

 まるで、生きている人形のようだ…

 たとえは、悪いが、パンダやコアラと同じ…

 同じだ…

 どういうことかと、言えば、パンダやコアラは、ぬいぐるみが、生きているようなだから、可愛くて、人気がある…

 それと、同じで、マリアは、人形が、生きているようなものだ…

 だから、バニラは、マリアをこの保育園に通わせたのだ…

 この保育園では、マリアは、それほど、目立たない…

 なにしろ、人種は多種多様だ…

 肌の色も多種多様…

 千差万別だ…

 だから、マリアを、この保育園に通わせたのだ…

 私は、それを考えた…

 が、

 それが、オスマンにとっては、盲点だったのかもしれない…

 多種多様な民族が、集まる…

 すると、どうだ?

 園児が、多種多様な民族なら、当然、その父兄も多種多様…

 だから、目立たない…

 普通の保育園ならば、その保育園に通うのは、近くに住む人たち…

 だから、異人種というか、見かけない、ひとがいたら、誰? と、思うし、父兄の間で、話題になる…

 が、

 この保育園では、それがない…

 セレブの保育園だから、学費も、目の玉が飛ぶ出るくらい、高い…

 だから、基本的に、ここに通うのは、園児の両親が、お金持ちで、あることが、重要で、家が、近所にあることではない…

 だから、互いの顔を知らない…

 互いの家が、近所にないし、今回のような、お遊戯大会のようなイベントがなければ、父兄同士、話す機会がない…

 普段は、せいぜい、園児の送り迎えの送迎のときに、話すぐらいだからだ…

 まして、父親は、普段、顔を見せない…

 だから、今回のような保育園のイベントは、好都合…

 顔バレしないで、保育園に乗り込み、オスマンの近くに、ゆくことができるからだ…

 そして、その情報を得たから、オスマンを守るファラドたちは、お菓子を配るカートを、運んでくる男たちに、わざと、屈強な男たちを揃えたということだろう…

 と、

 ここまで、考えて気付いた…

 どうして、あのお嬢様は、その目的に加担したのだろう…

 いや、

 そもそも、お嬢様は、ファラドたちに接点がなければ、そんな企みに、加担は、しない…

 加担はできない…

 一体、どこで、あの矢口のお嬢様は、ファラドたちを知ったのだろう…

 私は、思った…

 だから、

 「…ファラド…あのお嬢様と、知り合いなのか?…」

 と、直球で、聞いた…

 「…ええ…」

 と、苦笑いした…

 「…なんとも、食えない女です…」

 「…食えない女だと?…」

 「…リンダ・ヘイワースの大ファンだと、公言しろと、ボクに、入れ知恵を付けたのは、他でもない、彼女です…」

 「…なんだと?…」

 私は、思わず、ヤンと、顔を見合わせた…

 ヤン=リンダと顔を見合わせた…

 「…一体、どうして?…」

 驚いたヤンが、ファラドに聞いた…

 「…ハラールですよ…」

 「…ハラール?…」

 と、ヤン=リンダ…

 「…イスラムの食事です…イスラム教徒は、基本的に、肉は、豚肉は、ダメです…その他にも、食べてはいけないものが、たくさんあります…」

 私は、その言葉で、思い出した…

 ずっと、以前、あの矢口のお嬢様と、クールの社長室で、会ったときのことを、思い出したのだ…

 あのとき、矢口のお嬢様は、ハラールについて、語った…

 要するに、自分の経営する安売りスーパー、スーパージャパンで、ハラールの食品を扱いたいと言ったのだ…

 そして、たしか、あのとき、イスラム教徒は、意外にも、アジアに多いと言っていた…

 例えば、インドネシアとか…

 だから、インドネシアから、日本に留学した学生や、日本の会社で、働く人たちは、ハラールが、大手のスーパーに置いてないから、困ると知って、それを置けば、商売になると、言っていた…

 私は、今、それを思い出した…

 「…そういえば、あのお嬢様、私と葉尊の前で、自分の店で、ハラールを置きたいと、以前、言っていたゾ…」

 私は、言った…

 「…それでか?…」

 私は、ファラドに向かって、聞いた…

 ファラドは、無言で、頷いた…

 それから、

 「…まったく、食えない女です…」

 と、言った…

 「…どうして、食えない女なんだ?…」

 「…あの女が、どうして、ボクに、リンダ・ヘイワースの大ファンだと、言えと、入れ知恵をつけたのか、わかりますか?…」

 「…わからんさ…」

 「…では、アナタは、どうですか?…」

 ファラドが、ヤンに、聞いた…

 ヤン=リンダに聞いた…

 ことも、あろうに、リンダ・ヘイワース自身に聞いたのだ…

 ヤン=リンダは、少しばかり考え込んだ…

 そして、

 「…ここへ、私たちを呼び込むため?…」

 と、考えながら、言った…

 …私たち?…

 私は、ヤンの言葉が、気になった…

 ヤン=リンダの言葉が、気になった…

 私たちとは、一体、誰を指しているのだろう? と、気になったのだ…

 だから、

 「…ヤン…私たちって、一体誰のことだ?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかったからだ…

 一人は、ヤンであることが、わかっている…

 ヤン=リンダであることは、わかっている…

 だが、他がわからない…

 すると、ヤンではなく、ファラドが、

 「…それは、お姉さん…アナタですよ…」

 と、答えた…

 「…35歳のシンデレラ…」

 私は、その言葉に、驚愕した…

 文字通り、驚愕した…

               
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み