第35話

文字数 6,171文字

 私が、そんなことを、考えていると、目の前の渡辺という受付の女の子が、

 「…ハイ…こちら、一階のロビーの受付の渡辺です…」

 と、社内電話で、おそらく、社長室に電話をしていた…

 「…ハイ…社長の奥様と、リンダ・ヘイワースさんが、到着しました…これから、社長室へ、伺ってよろしいでしょうか?…」

 「…」

 「…ハイ…わかりました…」

 と、言って、渡辺が電話を切った…

 それから、私とリンダに向かって、満面の笑みを浮かべた…

 「…奥様…それに、リンダさん…OKだ、そうです…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 そう言って、思わず、リンダと顔を見合わせた…

 が、

 背の低い私は、リンダの顔ではなく、胸に視線がいってしまった…

 リンダは、当然、高いヒールを履いているので、本来の175㎝から、優に、10㎝以上、背が高い…

 真逆に、私、矢田トモコは、普段から、履きなれたスニーカー…

 だから、本来の159㎝に数㎝プラスされたに過ぎない…

 だから、目の前にリンダの顔ではなく、胸が迫った…

 圧倒的な色気を持つ、リンダ・ヘイワースの胸に、視線がいってしまった…

 すると、女の私でも、なんだか、恥ずかしくなった…

 おおげさに言えば、公の場で、女の胸に目がいっているのだ…

 いくら、女の私でも、公然と、リンダ・ヘイワースの胸を見ることに、テレというか、恥ずかしくなってしまったのだ…

 それに、気付いたのだろう…

 「…お姉さん…どうしたの?…」

 と、リンダが、不思議そうに、聞いた…

 「…リンダ…オマエ、その胸をなんとしろ…」

 と、私は、躊躇いながら、言った…

 「…なんとしろって?…」

 「…目の前に、そんな大きなおっぱいがあってみろ…女の私でも恥ずかしくなるさ…」

 私が、おそらく顔を真っ赤にして言うと、リンダが、一瞬、当惑した様子だった…

 それから、いきなり、

 「…カワイイ…」

 と、言って、私を抱き締めた…

 「…お姉さんって、ホント、カワイイ…」

 と、嬉しそうに、私を羽交い絞めにした…

 小柄な私は、大柄なリンダに抱き締められて、息もできんかった…

 「…バカ…リンダ…止めろ…苦しい…」

 私は、息も絶え絶えに、怒鳴った…

 すると、リンダは、ここが、クールの本社ビルの一階のロビーであることを思い出して、すぐに、私から、離れた…

 私は、ホッとした…

 まるで、大柄な女子プロレスラーに、羽交い絞めされた気分だった…

 「…リンダ…オマエ、私を殺す気か?…」

 私が、息をゼーゼーしながら、言うと、

 「…スイマセン…」

 と、リンダが、しおらしく謝った…

 「…オマエのカラダの大きさを考えろ…」

 私が、言うと、ふと誰かの視線を感じた…

 私は、誰の視線か、視線の主を見ると、受付の渡辺だった…

 私とリンダのやりとりを、目の前で見て、目を白黒させて、驚いていた…

 私は、まずいところを見られたと思った…

 だから、すぐに、

 「…いいか…今の光景は忘れろ…見なかったことにするんだ!…」

 と、言おうとした…

 が、

 その前に、渡辺が、

 「…凄い!…」

 と、大声を出した…

 「…あのリンダ・ヘイワースと、そんなことができるなんて…どれほど、親密なんですか?…」

 と、驚嘆した…

 「…世界中の男が憧れる、セックス・シンボルですよ…そんな女性と、そんなことができるなんて!…」

 私は、驚いた…

 私は、このリンダに殺される寸前だったのに、それを、こんなふうに取られるなんて…

 「…さすが、奥様…クールの社長夫人です…スケールが違います…そんな有名人とそんな関係なんて…」

 渡辺の私に対する賞賛は、止まらなかった…

 私は、唖然として、言葉もなかった…

 ハッキリ言えば、この渡辺の前で、リンダとプロレスごっこをしたようなものだ…

 それが、この渡辺には、物凄いことだと、思ったのかもしれん…

 私は、そう、気付いた…

 すると、リンダが、

 「…今、見たことは、忘れて…」

 と、突然、言った…

 私は、なぜ、リンダが、そんなふうに、言うのか、疑問だった…

 言われた渡辺も、どう返答していいか、わからない様子だった…

 「…いえ、忘れなくていい…」

 リンダが、いきなり、前言撤回した…

 渡辺が、キョトンとした表情に、なった…

 「…ただ、他言無用…誰にも、言わないで…言えば、私の…リンダ・ヘイワースのイメージが崩れる…」

 そう言って、リンダが、渡辺に笑いかけた…

 リンダ・ヘイワースが、まるで、男に迫るように、渡辺に笑いかけた…

 圧倒的に、魅力のある笑いだった…

 どんな男も、その笑いの前では、理性をなくすというか…

 リンダのいいなりになるしかない笑いだった…

 そして、それは、女も例外ではなかった…

 女の渡辺も、例外ではなかった…

 「…わかりました…」

 すぐに、渡辺が、答えた…

 「…誰にも、言いません…」

 「…そう、ありがとう…」

 リンダが、満面の笑みで、答える。

 「…渡辺さん…アナタを信じている…」

 リンダが、ジッと、渡辺を見て、言った…

 途端に、渡辺の顔が、紅潮した…

 真っ赤になった…

 無理もない…

 世界中に知られた有名人…リンダ・ヘイワースに言われたのだ…

 まるで、渡辺は、小さな子供のように、感激していた…

 私は、その一部始終を、隣で見ていた…

 …リンダ・ヘイワース、恐るべし!…

 …恐るべし!…

 と、いう言葉が、私の脳裏に浮かんだ…

 この頭脳明晰な、矢田トモコの脳裏に浮かんだ…

 このリンダ・ヘイワースは、誰よりも、自分の力がわかっている…

 自分の知名度の高さが、わかっている…

 だから、それを最大限、利用している…

 そういうことだ…

 リンダほどの有名人が、

 「…言わないで…」

 と、懇願すれば、大抵の人間は、従う…

 それが、わかっているから、わざと、そういうのだ…

 そう、考えれば、やはり、強敵…

 強敵に違いなかった…

 もしかしたら、この矢田トモコから、葉尊の妻の座を奪うかもしれん、強敵に違いなかった…

 私は、今さらながら、そのことを、肝に銘じた…

 もう何度目だか、わからないほど、肝に銘じたのだ…


 私とリンダは、渡辺から離れて、このクールの本社ビルの最上階にある、社長室に向かった…

 私は、一階のエレベータに向かいながら、

 「…リンダ…凄いな…オマエは…」

 と、つい声をかけた…

 声をかけずには、いられなかったのだ…

 「…凄い? …なにが、凄いの?…」

 「…あの渡辺という受付の女の子さ…」

 「…あの子が、どうしたの?…」

 「…わざと、あの子に、話すなと、念を押しただろ?…」

 「…わざと?…」

 「…そう、わざとだ? …あんなふうに言われれば、ひとは、周囲に話すか、話さないかのどっちかだ…それを狙っただろ?…」

 私が指摘すると、驚いた表情で、マジマジと、私の顔を見た…

 「…なにを言うかと、思えば、相変わらず、鋭い…」

 リンダが、ため息をついた…

 「…普段は、ボーッとしているかと、思えば、ときどき、こちらが、ドキッとする鋭いことを言う…どっちが、本当のお姉さんか、知りたくなる…」

 …それは、オマエも同じさ…

 私は、心の中で、毒づいた…

 リンダ・ヘイワース、オマエもいっしょさ…

 性同一障害と、告白しながら、一方で、そのおっぱいやパンツが見えそうな、煽情的な服で、男を誘う…

 誰もが、そんな姿を見れば、性同一障害などと、思わない…

 が、

 一方で、与えられものは、最大限利用する…

 つまりは、天から与えられた、その美貌を最大限、利用するということだ…

 私は、思った…

 つまりは、性同一障害かもしれないが、そんなことは、関係ない…

 心が男であれ、カラダが絶世の美女のカラダならば、最大限そのカラダを利用するということだ…

 そんな女を目の当たりにして、油断できるはずがない…

 私は、考えた…

 下手をすれば、私は、このリンダ・ヘイワースに、身ぐるみ剝がされて、ホームレスの道を真っ逆さまに歩むかもしれん(涙)…

 そんなことが、わからないほど、私は、バカではないし、お人よしでもない…

 リンダは、悪い人間ではない…

 それを言えば、バニラも同じだが、成功した人間で、悪い人間はいない…

 これは、なぜかと、問われれば、成功した人間は、皆、他人を味方にすることができるからだ…

 嫌われる人間は、どこにいっても、嫌われる…

 学校や職場など、人が集まる場所で、いつも、自己主張を繰り返して、嫌われるものだ…

 常に、自分を主張して、うまく他人と、人間関係を構築することが、できない…

 また、他人が、自分をどう見るかの視点も欠けている…

 ありていに言えば、アイツは、性格が悪いからと、誰もが避ける人間と、積極的に付き合う…

 つまりは、自分も性格が悪いと周囲に吹聴しているようなものだ(爆笑)…

 そういうことだ…

 類は友を呼ぶと、陰口を叩かれることが、まったくわからない…

 理解できない…

 そういうことだ…

 リンダもバニラも、断じて、そういう人間ではない…

 なにより、他人に好かれなければ、なにもできないことを悟っている…

 理解している…

 モデルも映画女優も、一人でできる仕事ではない…

 誰かに支えられたり、誰かと協力して、出来上がっている…

 だから、性格が悪い人間は嫌われるし、いずれは、その世界から、去る…

 そういうことだ…

 が、

 リンダもバニラも性格が、メチャクチャいいかと言えば、それも違う…

 どんな世界も、競争はある…

 まして、映画やモデルは、競争がし烈だろう…

 自分が、自ら、他人を追い落とすことはなくても、競争から、落ちた人間に、可哀そうだと思う気持ちがあり過ぎれば、その世界にいられない…

 極端な話、一本道で、前から、ひとが来て、自分が、譲るようでは、成功しない…

 そういうことだ…

 だから、どんなことがあっても、自分から、道を譲っては、ならない…

 神様ではないが、常に、相手を優遇して、他人を優先すれば、成功は掴めない…

 だから、それを思えば、リンダもバニラも善人ではない…

 かといって、悪人でもない…

 そういうことだ…

 私は、思った…

 そう思いながら、リンダを見た…

 リンダ・ヘイワースを見た…

 そして、おっぱいと、パンツを、わざと強調するリンダのワンピース姿を、見ながら、リンダのこんな姿を見るのは、いつ以来かと、思った…

 そんな私の視線に、気付いたリンダが、

 「…なにを見ているの?…」

 と、聞いた…

 私は、ホントのことを言おうと、思ったが、止めた…

 真逆に、

 「…いや、私が、男なら、こんな、色っぽい奥さんが、身近にいては、堪らんと、思ってな…」

 と、言った…

 わざと、自分が、考えていたことと、別のことを言ったのだ…

 私の言葉に、リンダは、顔を赤らめて、

 「…ありがとう…」

 と、小さく言った…

 「…お姉さんに、そんなことを言われて、凄く嬉しい…」

 と、上気した顔で、リンダが、言った…

 「…でも、きっと、それは、最初だけ…」

 「…最初だけ? どうしてだ?…」

 「…クルマも女も、自分のモノにしてしまえば、すぐに飽きる…男は、皆、同じ…」

 「…同じ?…」

 「…いえ、女も同じ…でも、お姉さんは、違う…」

 「…違う? …なにが、違うんだ?…」

 「…あったかい…」

 「…あったかい? …私が?…」

 「…そう…お姉さんが、近くにいると、いつも、癒される…人生が楽しくなる…」

 「…」

 「…クルマも女も同じ…」

 「…なにが、同じなんだ?…」

 「…古くなって、歳を取れば、価値がなくなる…」

 「…」

 「…でも、お姉さんは違う…」

 「…なにが、違うんだ?…」

 「…お姉さんのキャラ…誰からも、愛される…それは、年齢とは無縁…関係ない…だから、私もバニラも、お姉さんに憧れる反面、嫉妬する…」

 「…嫉妬? …私に…か? オマエやバニラのような世界的な有名人が?…」

 「…たぶん、バニラは、気付いていない…」

 「…なんに、気付いていないんだ?…」

 「…自分の感情に…」

 「…」

 「…バニラが、いつもお姉さんにイジワルをするのは、それが原因…私やバニラは、歳を取れば、生き残れない…私やバニラの美しさは、若いときだけ…でも、お姉さんは違う…一生、その誰からも愛されるキャラでいられる…それが、羨ましいの…」

 私は、リンダの指摘に、驚いた…

 そんなことを、考えてもみんかったからだ…

 が、

 私は、すぐに、

 「…ないものねだりだな…」

 と、告げた…

 「…ないものねだり?…」

 「…そうさ…自分にないものを、誰かが持っているから、無意識に憧れる…そういうものさ…」

 「…」

 「…私だって、オマエやバニラのように、美人に生まれたかったさ…でも、それは無理さ…だから、そんなこと、考えても仕方がないさ…それと、同じさ…」

 「…」

 「…誰もが、与えられた能力の中で、生きてゆかなきゃならんものさ…オマエやバニラは、美人という武器がある…それを生かして、成功したわけだ…私が、もし、今、オマエが言うように、他人様を癒す力があるとすれば、それは、きっと、神様のご配慮さ…」

 「…神様のご配慮?…」

 「…オマエやバニラのように、美人に生まれなかった代わりに、他人様を癒す力を、神様が与えてくれたんだろう…」

 私は、言った…

 実に、しんみりと言った…

 言いながら、内心、実は、なんてうまいことを言ったと、思った…

 自分でも、自分を褒めたいぐらいだった…

 それに気付いた私は、リンダが、どういう反応を示したのか、見たくて、振り返った…

 すると、リンダが、ビックリした表情で、立ち止まっていた…

 思わず、

 「…どうした? …リンダ?…」

 と、聞いてしまった…

 それが、まずかった…

 リンダが、いきなり、私を抱き締めたのだ…

 「…お姉さんは凄い…やっぱり凄い…」

 と、言って、またも、私を、抱き締めて、羽交い絞めにした…

 「…自分がわかっている…それも、神様が、自分に能力を与えてくれたなんて、控えめに言って…なんて、謙虚なの…」

 …け…謙虚?…

 いまだかつて、他人様に、そんなことを、言われたことは、なかった…

 この矢田トモコが、謙虚?

 たしかに、私は、他人様を押しのけて、前に出る性格ではない…

 だが、謙虚というのは、言い過ぎというか…

 ちょっと、違うと思う(笑)…

 一言で言えば、ほめ過ぎ…

 ほめ過ぎだ(笑)…

 それとも、

 ほめ殺し?

 わざと、私を褒めて、油断させるつもりなのか?

 私を油断させ、私を葉尊の妻の座から、引きずり降ろす魂胆なのか、考えた…

 ハリウッドのセックス・シンボル、リンダ・ヘイワースが、日本の総合電機メーカー、クールの社長夫人になる…

 クールにとって、これ以上の宣伝はない…

 なにより、長身で、イケメンの葉尊とリンダは、お似合いのカップル…

 まさに、美男美女…

 絵になるカップルだ…

 が、

 それを、許すことはできん…

 できんのだ…

 私は、リンダに羽交い絞めにされながら、リンダを敵認定した…

 一方、リンダは、私を抱き締めながら、

 「…お姉さんが好き…」

 と、あたりをはばからず、号泣していた…

 お互いの考えることが、まったく違った…

 まったく違ったのだ(爆笑)…

                
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