第185話

文字数 4,280文字

 私は、今、奇跡を目の当たりにした…

 モーゼの海が割れた、奇跡に、匹敵する奇跡を目の当たりにしたのだ…

 私は、黙って、それを、見ていた…

 すると、近くで、

 「…なるほど…」

 と、いう声がした…

 私は、その声のする方を、振り返った…

 葉敬だった…

 葉尊の父の葉敬だった…

 「…あの男も、やるものだ…」

 葉敬が、感嘆した様子で、呟いた…

 「…ひとには、誰もが、得手不得手がある…あの男の存在価値も、また、あるということか…」

 葉敬が、言った…

 私は、それを、聞いて、どう言っていいか、わからんかった…

 なにか、言うべきかと、思ったが、なんと、言っていいか、わからんかった…

 と、

 思っていたが、葉敬が、

 「…お姉さんは、どう思いますか?…」

 と、いきなり、私に、聞いた…

 聞いたのだ…

 私は、正直、なんと答えて、いいか、わからんかった…

 が、

 なにも、言わんわけには、いかんかった…

 いかんかったのだ…

 だから、

 「…葉問が、いると、便利ですね…」

 と、言った…

 いわば、当たり障りのないことを、言ったのだ…

 すると、だ…

 「…たしかに、お姉さんの言う通り、便利です…」

 と、葉敬が、相槌を打った…

 だから、私は、安心して、

 「…ハイ…」

 と、答えた…

 「…でも…」

 と、葉敬が、続けた…

 「…あの男が、あそこまで、必死になるのは、お姉さんが、いるからですよ…」

 「…私が、いるから?…」

 「…そうです…」

 「…」

 「…男は、好きな女のためには、身を粉にして、動くものです…たとえ、なんの見返りがなくても…」

 「…」

 「…そして、私が、それが、あの男を評価する、たった、一つの理由です…」

 「…」

 「…あの男は、今後とも、お姉さんのために、身を粉にして、動くでしょう…お姉さんも、それだけは、評価して上げてください…」

 葉敬が、しんみりとした口調で、言った…

 私は、驚いた…

 まさか、葉敬が、私の前で、葉問を褒めるとは、思わんかった…

 思わんかったのだ…

 だから、

 「…お義父さんは…」

 と、聞いた…

 「…お義父さんは、葉問のことを、認めていないんじゃ、なかったんですか?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられんかった…

 「…ええ…認めていません…」

 あっさりと、葉敬が、答えた…

 「…でも…」

 「…でも、なんですか?…」

 「…お姉さんのために、動くなら、話は別です…」

 「…話は、別?…」

 「…あの男は、お姉さんを守ることに、自分の存在意義を見出しています…それで、いいんじゃないでしょうか?…」

 「…自分の存在意義?…」

 「…誰だって、この世に、なんのために生まれてきたか、悩むものです…ですが、あの男には、明確な目的がある…」

 「…目的?…」

 「…ハイ…」

 …それが、私を守ることなのか?…

 私は、思った…

 と、同時に、嬉しくもあり、恥ずかしくも、あった…

 なぜなら、長身のイケメンの葉問が、守るのが、私だからだ…

 この身長、159㎝で、六頭身で、幼児体型の私だからだ…

 おまけに、顔は、平凡だし、取り柄は、ただ胸が、大きいだけ…

 誰が、どう見ても、あのイケメンの葉問が、守る女ではなかった(涙)…

 あのイケメンが、守るにふさわしいのは、他にいる…

 例えば、リンダやバニラだ…

 二人とも、まばゆいばかりの美女…

 彼女たちこそ、葉問が、守るに、ふさわしい…

 「…でも、葉問が、守るべき人間は、他に、いるんじゃ…」

 私は、視線をリンダと、バニラに向けて、言った…

 すると、当然、その視線に、葉敬も気付いた…

 「…リンダとバニラですか?…彼女たちは、強い…いざとなれば、自分で、どうにか、するでしょう…」

 あっさりと、葉敬が、言った…

 私は、

 「…」

 と、答えれんかった…

 「…」

 と、どうして、いいか、わからんかったからだ…

 だから、小さな声で、

 「…でも、私では…」

 と、言った…

 「…お姉さんでは…なんですか?…」

 「…私より、もっと、葉問が、守るべき女性が、いるんじゃ…」

 「…どうして、ですか?…」

 「…私は、美しくない…」

 「…」

 「…リンダやバニラには、足元にも、及ばないし、今日、このパーティーにやって来た、モデルのようなお姉さんたちにも、負ける…勝てない…」

 「…」

 「…だから、葉問には、もっと、イケメンの葉問に似合う、美人のお姉さんが…」

 私が、恐る恐る言うと、葉敬は、

 「…」

 と、黙った…

 だから、きっと、葉敬もまた、うまく答えられないのだろうと、思った…

 私が、ずばり確信を突いたからだ…

 だから、うまく、私に反論できないんだろうと、思った…

 美人でない私をうまく慰められないだろうと、思った…

 すると、だ…

 「…美人は、三日で飽きる…」

 葉敬が、いきなり、言った…

 「…日本で、聞きました…」

 「…」

 「…お姉さんは、その意味が、わかりますね?…」

 「…ハイ…」

 私は、言った…

 どんな美人でも、いっしょにいれば、三日もすれば、飽きるという意味だ…

 三日もいっしょにいれば、その美人といっしょにいることが、もはや日常になり、すぐに、最初に感じた、ドキドキや、ときめきは、なくなる…

 そういう意味だ…

 「…私も、今は、その言葉を実感します…」

 「…お義父さんも?…」

 「…そうです…リンダやバニラ…彼女たちは、物凄い美人です…近くで、見ると、ビックリするほど、美しい…でも、最初に、会ったときの驚きというか…ドキドキは、残念ながら、なくなりました…」

 葉敬が、苦笑する…

 「…そして、それが、普通の人間というか…きっと、老若男女を問わず、誰もが、いっしょでしょう…美人やイケメンを、目の当たりにすれば、誰もが、ドキドキする…ですが、例え、恋人でなくても、学校でも、会社でも、普段、身近に、接していれば、最初のドキドキや、ときめきは、徐々になくなり、その美人や、イケメンと接するのが、ただの日常になる…」

 「…」

 「…誰もが、同じです…」

 葉敬が、力を込めた…

 「…ですが、お姉さんは、違う…」

 「…私は、違う? …どう違うんですか?…」

 「…色褪せない…」

 「…色褪せない? …どういう意味ですか?…」

 「…花で、言えば、いつまでも、枯れないというか…いつも、いっしょに、いて、楽しい…」

 「…私と、いると、楽しい?…」

 「…人間の真価というと、おおげさですが、いつも、いっしょにいることで、その人間の価値がわかります…」

 「…価値が、わかる?…」

 「…そうです…」

 「…私に価値があると?…」

 「…その通りです…」

 葉敬が、さっきより、さらに力を込めて、言った…

 「…リンダも、バニラも、美人ですが、お姉さんと、いっしょにいるときのような、楽しさはありません…」

 「…」

 「…だから、お姉さんの周りには、いつも、自然と、ひとが集まる…まるで、磁石に引き寄せられるように、ひとが集まる…これは、あり得ないことです…」

 「…あり得ないこと…」

 「…そうです…」

 葉敬が、力を込めた…

 私は、

 「…いくらなんでも、持ち上げすぎでは?…」

 と、言いたかったが、言えんかった…

 誰が、どう見ても、この私に、そんな価値があるとは、思えんかった…

 いや、

 そもそも、本当に、そんな価値があるとすれば、短大を卒業して、就職が、決まらんわけが、なかった…

 たしかに、就職氷河期と呼ばれるほど、就職先は、少なかったが、それでも、就職できる人間は、就職できた…

 が、

 私は、できんかった…

 この矢田トモコは、できんかった(涙)…

 むろん、短大を出て、就職が、決まらず、フリーターになった人間は、私だけでは、なかったが、やはり、内心、忸怩たるものが、あった…

 それが…

 それが、ことも、あろうに、今、隣で、台湾の大企業のオーナー社長である葉敬が、いかに、私が優れているか、力説している…

 これは、日本に置き換えれば、ソフトバンクのオーナー社長の孫正義が、力説しているのと、同じ…

 同じだった…

 だから、私は、驚愕した…

 と、同時に、なんと言っていいか、わからんかった…

 わずか、15年前に、就職も、できず、フリーターになった自分に、対して、今は、れっきとした台湾の大物財界人が、ものすごく、評価してくれている…

 つまりは、同じ人間に対して、評価が、天と地ほども違う…

 こんなバカなことが、あるのか?

 内心、思った…

 同時に、考えた…

 これを、聞いて、あのとき、この私を採用しなかった、私が、就職活動をした企業の担当者は、どういう表情をするのだろうか?

 ふと、思ったのだ…

 私を面接して、落とした担当者は、どういう表情をするのか、考えたのだ…

 おそらくは、

 「…ひとを、見る目がなかった…」

 とか、なんとか、言い訳をするに決まっている(笑)…

 自分では、

 「…コイツは、ダメだ…使えんだろう…」

 と、見て、採用しなかったが、台湾の大物財界人が、褒めると、一転して、

 「…あのときの自分には、見る目がなかった…」

 とか、なんとか、言い出すに決まっている(笑)…

 ホントは、内心では、きっと、今もどうして、台湾の大物財界人が、私を褒めるのか、わけが、わからんに決まっている…

 が、

 それを口にするのは、自分の無能を世間に晒すことになるので、言わんだけだ…

 実は皮肉屋な私は、そう、見た…

 そう、睨んだ…

 そして、それこそが、真実…

 真実だと、思った…

 そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…」

 と、葉敬が、私に語り掛けた…

 「…ハイ…」

 「…ひとの価値は、そのひとの周りに、どんな人間が、集まるかで、わかります…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…学校でも、会社でも、真面目な人間は、皆、真面目な人間ばかり、集まります…癖が、強い人間は、皆、癖が強い者同士集まります…」

 「…」

 「…その人間が、どういう人間か、知りたければ、その人間の周囲の者を、見れば、一目瞭然です…」

 「…」

 「…私が、お姉さんを評価するのは、リンダもバニラも、葉尊も、そして、葉問も皆、お姉さんに従うことです…」

 「…私に従う?…」

 「…そうです…」

 葉敬が、言った…

 自信を持って言った…

 が、

 私は、信じんかった…

 こんなことに、騙される、矢田トモコではない…

 弄ばれる矢田トモコではない…

 きっと、この葉敬が、ここまで、私を持ち上げるのは、なにか、理由がある…

 そうに、決まっている…

 その事実に、私は、気付いた…

 今さらながら、気付いたのだ…

              
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