第42話
文字数 6,266文字
「…それって、もしかして、ファラドの親戚かなにか、か?…」
私は、勇んで、聞いた…
まさかとは、思うが、聞いたのだ…
が、
バニラは、無言で、首を横に振って、否定した…
「…それは、わからない…」
「…」
「…今も、言ったように、私は、ほとんど、保育園には、顔を出さない…私が、マリアの母親だと、顔バレすると、正直、私の仕事に影響する…それは、困る…」
「…」
「…だから、その罪滅ぼしというか…仕事が、休みのときは、いつも、マリアといっしょに過ごしていたい…」
バニラが母親の顔を見せる…
私は、このバニラの顔を見ながら、ある意味、不思議だった…
その圧倒的な美貌と、母親という顔は、似合わん…
実に、似合わんのだ…
まだ、23歳…
35歳の私から見れば、その若さが、羨ましい…
にもかかわらず、母親…
3歳のマリアの母親だ…
この矢田ですら、まだ、子供がいないというのに…
このバカなバニラはすでに子持ち…
いや、
バカだから、子持ちなのか?
なにも考えずに、子供を作ったのかもしれん…
と、言いたいところだが、今のバニラを見ると、バカにすることが、できんかった…
バニラが、娘のマリアを語るときは、まるで、女神のように、優しい表情を見せるからだ…
だから、バカにすることが、できんかったのだ…
圧倒的な美貌の持ち主である、バニラが、女神のような表情を見せると、大げさではなく、この矢田もたじろぐ…
その圧倒的な美貌にたじろぐのだ…
「…バニラ…オマエは、いい母親だな…」
私が、言うと、バニラは、無言で、首を横に振って、否定した…
「…全然、いい母親なんかじゃない…」
「…どうしてだ?…」
「…だって、いっしょにいて、あげれない…」
「…」
「…世間の母親は、もっと四六時中、娘といるものよ…」
バニラが、苦しそうな表情で、言った…
泣きそうな表情で、言った…
が、
私は、バニラの発言を否定した…
「…バニラ…それは、違うと思うゾ…」
「…なにが、違うの?…」
「…愛情さ…」
「…愛情?…」
「…四六時中いっしょにいても、たいして、子供に愛情を感じさせない母親もいるさ…それに、比べ、オマエは、マリアに会う時間は、少ないかもしれんが、マリアを溺愛しているのは、私やリンダの目にも、わかる…」
「…」
「…なにより、マリア自身が、母親から愛されてるのが、わかっている…」
「…」
「…誰もが、自分が、愛されているかどうかは、わかるものさ…マリアも大人になったとき、母親に会う時間は、限られていたが、母親に溺愛されていたことが、わかるさ…」
私は、言った…
自分でも、随分カッコイイことを言ったと思った…
そして、バニラを見た…
もしや、バニラが、
「…プッ!…」
と、吹き出したり、するかもしれんと、思ったのだ…
あるいは、真逆に、
「…お姉さん…なにをカッコつけてるの?…」
と、怒ると思ったからだ…
が、
バニラの反応は、そのどちらでもなかった…
なかったのだ…
「…お姉さん…ありがとう…」
と、言って、静かに泣いていた…
涙を流していた…
私は、驚いた…
まさか、このバニラが、泣くとは、思わんかった…
この気の強いバニラが、泣くとは、思わんかったのだ…
「…ホント、ありがとう…」
バニラが、静かに涙を流しながら、繰り返した…
私は、そんなバニラを見ながら、なんだか、調子が狂った…
暴言を吐くのが、バニラ…
私に対して、いつも、悪口を言い続けるのが、バニラだからだ…
そんなバニラが、私に対して、感謝して、礼を言われると、なんだか、調子が狂う…
狂うのだ…
だから、ホントは、バニラに、礼を言うところだが、あえて、違う話をした…
「…で、リンダのことだが、今日は、なにをしているんだ? …さっき、オマエは、サウジのファラド王子の接待の準備だと言っていたが…具体的に、なにをしているんだ?…」
「…さあ、それは、私も詳しくは、知らない…」
「…」
「…でも、見当はつく…」
「…なにをしているか、わかるのか?…」
「…要するに、歓迎のレセプションの打ち合わせ…お芝居じゃないけれども、すべて、あらかじめ、ストーリーというか、どこで、なにをするか、決めるの…」
「…どういう意味だ?…」
「…歌手のコンサートもそうでしょ?…」
「…コンサート?…」
「…最初は、この曲から始めて、次は、この曲…途中で、会場のファンに、どう語りかけるかも、あらかじめ、すべて決めておく…つまり、全部が、予定調和というか…事前に決められている…」
「…」
「…それに、本当かどうかは、わからないけれども、建前は、ファラド王子は、リンダ・ヘイワースの大ファンだと言われているから、どうしても、レセプションの内容も、リンダが、中心になる…」
「…リンダが中心?…」
「…鈍いわね…お姉さん…ファラド王子が、リンダの大ファンならば、そのファラド王子に、リンダが、そのレセプションで、恋人のように接すれば、ファラド王子も大喜びでしょ?…」
「…」
「…つまり、そのレセプションの狙いは、どうしたら、ファラド王子に喜んでもらえるか、どうか…」
「…ファラド王子に喜んでもらえるかどうかだと?…」
私は、つい大声を出した…
なぜなら、先日、そのファラド王子の狙いが、クールの買収ではないかと、あの矢口のお嬢様が、教えてくれたばかりだからだ…
自分の会社を買収するかもしれない相手に、全力で、接待するとは?
歓迎するとは?
バカも休み休みに言えと言いたい…
が、
どうやら、バニラは、その辺の事情を知らない様子だった…
でなければ、すでにそのことを口にしたに違いないからだ…
私は、そのことを言うべきか否か、考えたが、黙っていることにした…
なにしろ、このバニラは、私の夫の葉尊の実父、葉敬の愛人…
葉敬は、事実上のクールのオーナー経営者だ…
私の夫の葉尊が、クールの社長だが、実際は、重要事は、すべて、葉敬が決める…
だから、ファラド王子が、クールを狙っているとしたら、当たり前だが、このバニラは心配する…
クールは、おろか、クールの親会社の台湾の台北筆頭もファラド王子は、狙っているという噂もあると、あの矢口のお嬢様は、言っていた…
となると、当然、葉敬は、どうなるのか? と、心配になる…
葉敬の身がどうなるか、心配になる…
葉敬が、台北筆頭から追放されれば、それは、バニラにも影響する…
バニラの仕事に、どれほどの影響を与えるのかは、わからない…
バニラは一流モデル…
葉敬の後ろ盾がなくても、十分やってゆけるだろう…
仮に、影響があっても、軽微な影響に過ぎないだろう…
が、
マリアは、違う…
マリアは、葉敬の娘…
血が繋がった実の娘だ…
葉敬の身になにか、あれば、マリアの将来に影響する…
葉敬が、大金持ちのままで、いれば、いい…
が、そうでなくなれば、マリアは、将来、今のような生活ができなくなるだろう…
それを、バニラは恐れるに違いない…
バニラ自身は、アメリカのスラム街出身のヤンキー…
だから、こういってはなんだが、なにがあっても、生きてゆける強さがある…
美人だが、その本質は、雑草…
どんなことがあっても、めげない、負けない、強さがある…
だから、葉敬の身になにか、あっても、十分、一人で生きてゆけるだろう…
が、
葉敬が、後ろ盾でいたときの暮らしは、維持できないに違いない…
いや、
維持はできるかもしれないが、数年…あるいは、せいぜい十年程度…
なぜなら、十年後は、バニラは、現役のモデルでいることは、難しい…
そうなれば、当然、収入は激減する…
だから、困る…
ハッキリ言えば、バニラは、本質が、雑草だから、落ちぶれても、やってゆけるが、マリアはわからない…
なにより、一度上がった生活レベルを下げるのは、難しい…
極端な話、年収一億円の生活をしていれば、年収一千万の生活をするのも、無理…
ローンなど、なにもなくても、無理…
年収が、一億あれば、常に、無駄な出費をしている…
セレブ御用達の店に出入りし、ポルシェやフェラーリを乗り回す日常…
そんな絵に描いた日常から、平凡な生活に移ることはできない…
いや、
最終的には、やらざるを得ないのだが、そこに至るまでが、大変な苦労となる…
何度も言うように、一度上がった生活レベルを落とすのは、大変だからだ…
それが、わかっているから、バニラはマリアのことが心配だ…
なにより、バニラは、マリアが自分以上に、大切だからだ…
だから、私は、バニラに、ファラド王子が、クールを狙っている情報は、伝えんかった…
伝えることで、このバニラに、無用の心配をさせることになるかもしれんからだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…なにを考えているの?…」
と、バニラが、聞いた…
だから、慌てて、
「…なんでもない…なんでもないさ…」
と、言った…
いつものパターンだ…
が、
そんな私のいつもの返答を見慣れているバニラは、
「…なんでもない…なんでもないさ…お姉さんのいつもの十八番(おはこ)ね…」
と、笑った…
「…そして、お姉さんが、なんでもない…なんでもないさ…というときは、必ず、お姉さんは、なにか、考えている…」
私は、バニラの指摘に、焦った…
文字通り、焦ったのだ…
この家には、今、私とバニラの二人きり…
もしも、バニラが、その巨体を生かして、
「…お姉さん…なにを考えていたか、言いなさい…白状しなさい…」
と、私に迫れば、この矢田は、簡単に、白状する…
口を割る…
そもそも、身長159㎝の私が、身長180㎝のバニラと争って、勝てるわけがない…
まったく歯が立たないに決まっている…
だから、今、バニラの質問にあっけなく、口を割るか、それとも、この部屋から、逃げ出そうか、私は、考えた…
考えたのだ…
が、
バニラは、なにも言わんかった…
これは、拍子抜けだった…
私は、あっけにとられて、
「…バニラ…私が、なにを考えていたか、聞かんのか?…」
と、むしろ、私の方から、聞いた…
が、
私の質問に、
「…別に…」
と、まるで、かつての沢尻エリカのように、答えた…
「…どうしてだ? …どうして、聞かないんだ?…」
と、むしろ、私の方から、積極的に聞いた…
すると、バニラが、
「…だって、お姉さん…答えたくないんでしょ?…」
と、笑った…
私は、
「…」
と、無言だった…
その通りだったからだ…
「…だから、聞かない…誰だって、答えたくないことは、あるもの…」
「…」
「…そんなことより、リンダよ…ファラド王子よ…」
バニラが、話題を変えた…
「…ファラド王子が、リンダのファンじゃないのに、リンダのファンを名乗っているということは、なにか、謎があるはずよ…」
私は、その謎は、わかっているが、答えるわけには、いかんかった…
おそらく、その謎は、ファラド王子が、クールを狙っているから…
クールを狙っているから、あえてリンダのファンだと名乗ったのが、真相だと、思う…
リンダの背後に、クールがあることが、ファラド王子はわかっている…
リンダの後ろ盾が、クールいや、台湾の台北筆頭のオーナー経営者の葉敬であることが、わかっている…
だから、直接、クールに接触するのではなく、あえて、リンダのファンだと、公言したのだろう…
リンダのファンだと公言すれば、来日したときに、クールが、接待するのが、あらかじめ、わかっているからだ…
私は、考えた…
そして、思った…
さっき言った、このバニラの娘、マリアの通う保育園に、サウジの王族の子供が、やって来たことだ…
普通に、考えれば、このタイミングで、マリアの通う保育園に、サウジの王族の子供がやって来ることは、偶然とは、考えられない…
つまり、このバニラが、クールの親会社である台湾の台北筆頭の会長の葉敬の愛人であること…
そして、葉敬とバニラの間の子供が、マリアであることもまた、すべて、調べている可能性が高い…
もっと、ハッキリ言えば、こちらのことは、すべて、調査済み…
調べ尽くしている可能性が高い…
これは、困った…
これは、容易ならざる敵だ…
きっと、アラブ…いや、サウジのオイル・マネーの力で、葉敬の周囲にいる人間を調べ尽くしているに違いない…
私は、思った…
どうする?
この難敵に、どう立ち向かう?
この矢田トモコは、どう立ち向かう?
考えた…
すると、突然、バニラが、
「…アラブの女神…」
と、呟いた…
「…アラブの女神? …なんだ、それは?…」
思わず、私は、聞いた…
聞かずには、いられなかった…
「…そのファラド王子に関する噂よ…」
「…噂だと?…」
「…さっきも言ったように、ファラド王子が、リンダのファンだと公言したことに、謎がある…それというのは、リンダのファンには、以前も言ったように、セレブが多い…代表的なのは、イギリスのウィリアム王子…彼らには、独自のネットワークがある…それを使って調べたの?…」
「…調べた? …それは、わかるが、どうして、リンダでもない、オマエが調べることができたんだ?…」
「…それは、簡単…」
「…簡単?…」
「…そう…リンダのファンと、このバニラのファンは、重なることが多いの…」
バニラの衝撃的な告白だった…
が、
そう言われてみれば、私は驚かなかった…
リンダは、おとなしめ…
真逆に、
このバニラはヤンキー=野性的なイメージで売っている…
が、
素顔は、意外にも、似ている…
現に、過去には、バニラが、リンダに化けて、現れたことがある…
メイクで、うまく、リンダ・ヘイワースになりすましたのだ…
要は、売り方が違うだけ…
リンダは、真面目で、おとなしめのイメージで、売っているだけで、本当は、むしろ、このバニラよりも、情熱的というか…
素顔は、明らかに、このバニラよりも、強い…
「…このバニラ・ルインスキーも、リンダには、劣るけれども、ファンのネットワークがある…」
バニラが告白した…
「…そして、そのネットワークは、リンダのファンのネットワークにも重なる…つまりは、リンダに関して、ファンに聞けば、教えてくれる…」
「…」
「…それで、聞いたの…ファラド王子のことを?…そしたら…」
「…そしたら?…」
「…マザコン!…」
言うや否や、バニラが、爆笑した…
「…マザコン?…なんだ、それは?…」
「…ファラド王子は、幼いときに、母親が亡くなったらしくて、それで、いつも、付き合う女に、母親を求めているの…それで、付いたあだ名が、アラブの女神…」
「…アラブの女神?…どうしてだ?…」
「…そのファラド王子…皇太子ではないけれども、サウジで、かなりの力を持った権力者なの…だから、そのファラド王子と結婚すれば、その女は、かなりの力を持つことができる…だから、陰で、ファラド王子と結婚することができる女をアラブの女神と呼んでいるの…」
バニラが、笑いながら、説明した…
私も、内心、爆笑したが、正直、笑うことができんかった…
今のバニラの言葉で、ファラド王子にかなりの力があることが、わかったからだ…
そんなファラド王子に、クールが狙われてる…
それを、考えると、とても、笑うことなど、できんかった…
私は、勇んで、聞いた…
まさかとは、思うが、聞いたのだ…
が、
バニラは、無言で、首を横に振って、否定した…
「…それは、わからない…」
「…」
「…今も、言ったように、私は、ほとんど、保育園には、顔を出さない…私が、マリアの母親だと、顔バレすると、正直、私の仕事に影響する…それは、困る…」
「…」
「…だから、その罪滅ぼしというか…仕事が、休みのときは、いつも、マリアといっしょに過ごしていたい…」
バニラが母親の顔を見せる…
私は、このバニラの顔を見ながら、ある意味、不思議だった…
その圧倒的な美貌と、母親という顔は、似合わん…
実に、似合わんのだ…
まだ、23歳…
35歳の私から見れば、その若さが、羨ましい…
にもかかわらず、母親…
3歳のマリアの母親だ…
この矢田ですら、まだ、子供がいないというのに…
このバカなバニラはすでに子持ち…
いや、
バカだから、子持ちなのか?
なにも考えずに、子供を作ったのかもしれん…
と、言いたいところだが、今のバニラを見ると、バカにすることが、できんかった…
バニラが、娘のマリアを語るときは、まるで、女神のように、優しい表情を見せるからだ…
だから、バカにすることが、できんかったのだ…
圧倒的な美貌の持ち主である、バニラが、女神のような表情を見せると、大げさではなく、この矢田もたじろぐ…
その圧倒的な美貌にたじろぐのだ…
「…バニラ…オマエは、いい母親だな…」
私が、言うと、バニラは、無言で、首を横に振って、否定した…
「…全然、いい母親なんかじゃない…」
「…どうしてだ?…」
「…だって、いっしょにいて、あげれない…」
「…」
「…世間の母親は、もっと四六時中、娘といるものよ…」
バニラが、苦しそうな表情で、言った…
泣きそうな表情で、言った…
が、
私は、バニラの発言を否定した…
「…バニラ…それは、違うと思うゾ…」
「…なにが、違うの?…」
「…愛情さ…」
「…愛情?…」
「…四六時中いっしょにいても、たいして、子供に愛情を感じさせない母親もいるさ…それに、比べ、オマエは、マリアに会う時間は、少ないかもしれんが、マリアを溺愛しているのは、私やリンダの目にも、わかる…」
「…」
「…なにより、マリア自身が、母親から愛されてるのが、わかっている…」
「…」
「…誰もが、自分が、愛されているかどうかは、わかるものさ…マリアも大人になったとき、母親に会う時間は、限られていたが、母親に溺愛されていたことが、わかるさ…」
私は、言った…
自分でも、随分カッコイイことを言ったと思った…
そして、バニラを見た…
もしや、バニラが、
「…プッ!…」
と、吹き出したり、するかもしれんと、思ったのだ…
あるいは、真逆に、
「…お姉さん…なにをカッコつけてるの?…」
と、怒ると思ったからだ…
が、
バニラの反応は、そのどちらでもなかった…
なかったのだ…
「…お姉さん…ありがとう…」
と、言って、静かに泣いていた…
涙を流していた…
私は、驚いた…
まさか、このバニラが、泣くとは、思わんかった…
この気の強いバニラが、泣くとは、思わんかったのだ…
「…ホント、ありがとう…」
バニラが、静かに涙を流しながら、繰り返した…
私は、そんなバニラを見ながら、なんだか、調子が狂った…
暴言を吐くのが、バニラ…
私に対して、いつも、悪口を言い続けるのが、バニラだからだ…
そんなバニラが、私に対して、感謝して、礼を言われると、なんだか、調子が狂う…
狂うのだ…
だから、ホントは、バニラに、礼を言うところだが、あえて、違う話をした…
「…で、リンダのことだが、今日は、なにをしているんだ? …さっき、オマエは、サウジのファラド王子の接待の準備だと言っていたが…具体的に、なにをしているんだ?…」
「…さあ、それは、私も詳しくは、知らない…」
「…」
「…でも、見当はつく…」
「…なにをしているか、わかるのか?…」
「…要するに、歓迎のレセプションの打ち合わせ…お芝居じゃないけれども、すべて、あらかじめ、ストーリーというか、どこで、なにをするか、決めるの…」
「…どういう意味だ?…」
「…歌手のコンサートもそうでしょ?…」
「…コンサート?…」
「…最初は、この曲から始めて、次は、この曲…途中で、会場のファンに、どう語りかけるかも、あらかじめ、すべて決めておく…つまり、全部が、予定調和というか…事前に決められている…」
「…」
「…それに、本当かどうかは、わからないけれども、建前は、ファラド王子は、リンダ・ヘイワースの大ファンだと言われているから、どうしても、レセプションの内容も、リンダが、中心になる…」
「…リンダが中心?…」
「…鈍いわね…お姉さん…ファラド王子が、リンダの大ファンならば、そのファラド王子に、リンダが、そのレセプションで、恋人のように接すれば、ファラド王子も大喜びでしょ?…」
「…」
「…つまり、そのレセプションの狙いは、どうしたら、ファラド王子に喜んでもらえるか、どうか…」
「…ファラド王子に喜んでもらえるかどうかだと?…」
私は、つい大声を出した…
なぜなら、先日、そのファラド王子の狙いが、クールの買収ではないかと、あの矢口のお嬢様が、教えてくれたばかりだからだ…
自分の会社を買収するかもしれない相手に、全力で、接待するとは?
歓迎するとは?
バカも休み休みに言えと言いたい…
が、
どうやら、バニラは、その辺の事情を知らない様子だった…
でなければ、すでにそのことを口にしたに違いないからだ…
私は、そのことを言うべきか否か、考えたが、黙っていることにした…
なにしろ、このバニラは、私の夫の葉尊の実父、葉敬の愛人…
葉敬は、事実上のクールのオーナー経営者だ…
私の夫の葉尊が、クールの社長だが、実際は、重要事は、すべて、葉敬が決める…
だから、ファラド王子が、クールを狙っているとしたら、当たり前だが、このバニラは心配する…
クールは、おろか、クールの親会社の台湾の台北筆頭もファラド王子は、狙っているという噂もあると、あの矢口のお嬢様は、言っていた…
となると、当然、葉敬は、どうなるのか? と、心配になる…
葉敬の身がどうなるか、心配になる…
葉敬が、台北筆頭から追放されれば、それは、バニラにも影響する…
バニラの仕事に、どれほどの影響を与えるのかは、わからない…
バニラは一流モデル…
葉敬の後ろ盾がなくても、十分やってゆけるだろう…
仮に、影響があっても、軽微な影響に過ぎないだろう…
が、
マリアは、違う…
マリアは、葉敬の娘…
血が繋がった実の娘だ…
葉敬の身になにか、あれば、マリアの将来に影響する…
葉敬が、大金持ちのままで、いれば、いい…
が、そうでなくなれば、マリアは、将来、今のような生活ができなくなるだろう…
それを、バニラは恐れるに違いない…
バニラ自身は、アメリカのスラム街出身のヤンキー…
だから、こういってはなんだが、なにがあっても、生きてゆける強さがある…
美人だが、その本質は、雑草…
どんなことがあっても、めげない、負けない、強さがある…
だから、葉敬の身になにか、あっても、十分、一人で生きてゆけるだろう…
が、
葉敬が、後ろ盾でいたときの暮らしは、維持できないに違いない…
いや、
維持はできるかもしれないが、数年…あるいは、せいぜい十年程度…
なぜなら、十年後は、バニラは、現役のモデルでいることは、難しい…
そうなれば、当然、収入は激減する…
だから、困る…
ハッキリ言えば、バニラは、本質が、雑草だから、落ちぶれても、やってゆけるが、マリアはわからない…
なにより、一度上がった生活レベルを下げるのは、難しい…
極端な話、年収一億円の生活をしていれば、年収一千万の生活をするのも、無理…
ローンなど、なにもなくても、無理…
年収が、一億あれば、常に、無駄な出費をしている…
セレブ御用達の店に出入りし、ポルシェやフェラーリを乗り回す日常…
そんな絵に描いた日常から、平凡な生活に移ることはできない…
いや、
最終的には、やらざるを得ないのだが、そこに至るまでが、大変な苦労となる…
何度も言うように、一度上がった生活レベルを落とすのは、大変だからだ…
それが、わかっているから、バニラはマリアのことが心配だ…
なにより、バニラは、マリアが自分以上に、大切だからだ…
だから、私は、バニラに、ファラド王子が、クールを狙っている情報は、伝えんかった…
伝えることで、このバニラに、無用の心配をさせることになるかもしれんからだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…なにを考えているの?…」
と、バニラが、聞いた…
だから、慌てて、
「…なんでもない…なんでもないさ…」
と、言った…
いつものパターンだ…
が、
そんな私のいつもの返答を見慣れているバニラは、
「…なんでもない…なんでもないさ…お姉さんのいつもの十八番(おはこ)ね…」
と、笑った…
「…そして、お姉さんが、なんでもない…なんでもないさ…というときは、必ず、お姉さんは、なにか、考えている…」
私は、バニラの指摘に、焦った…
文字通り、焦ったのだ…
この家には、今、私とバニラの二人きり…
もしも、バニラが、その巨体を生かして、
「…お姉さん…なにを考えていたか、言いなさい…白状しなさい…」
と、私に迫れば、この矢田は、簡単に、白状する…
口を割る…
そもそも、身長159㎝の私が、身長180㎝のバニラと争って、勝てるわけがない…
まったく歯が立たないに決まっている…
だから、今、バニラの質問にあっけなく、口を割るか、それとも、この部屋から、逃げ出そうか、私は、考えた…
考えたのだ…
が、
バニラは、なにも言わんかった…
これは、拍子抜けだった…
私は、あっけにとられて、
「…バニラ…私が、なにを考えていたか、聞かんのか?…」
と、むしろ、私の方から、聞いた…
が、
私の質問に、
「…別に…」
と、まるで、かつての沢尻エリカのように、答えた…
「…どうしてだ? …どうして、聞かないんだ?…」
と、むしろ、私の方から、積極的に聞いた…
すると、バニラが、
「…だって、お姉さん…答えたくないんでしょ?…」
と、笑った…
私は、
「…」
と、無言だった…
その通りだったからだ…
「…だから、聞かない…誰だって、答えたくないことは、あるもの…」
「…」
「…そんなことより、リンダよ…ファラド王子よ…」
バニラが、話題を変えた…
「…ファラド王子が、リンダのファンじゃないのに、リンダのファンを名乗っているということは、なにか、謎があるはずよ…」
私は、その謎は、わかっているが、答えるわけには、いかんかった…
おそらく、その謎は、ファラド王子が、クールを狙っているから…
クールを狙っているから、あえてリンダのファンだと名乗ったのが、真相だと、思う…
リンダの背後に、クールがあることが、ファラド王子はわかっている…
リンダの後ろ盾が、クールいや、台湾の台北筆頭のオーナー経営者の葉敬であることが、わかっている…
だから、直接、クールに接触するのではなく、あえて、リンダのファンだと、公言したのだろう…
リンダのファンだと公言すれば、来日したときに、クールが、接待するのが、あらかじめ、わかっているからだ…
私は、考えた…
そして、思った…
さっき言った、このバニラの娘、マリアの通う保育園に、サウジの王族の子供が、やって来たことだ…
普通に、考えれば、このタイミングで、マリアの通う保育園に、サウジの王族の子供がやって来ることは、偶然とは、考えられない…
つまり、このバニラが、クールの親会社である台湾の台北筆頭の会長の葉敬の愛人であること…
そして、葉敬とバニラの間の子供が、マリアであることもまた、すべて、調べている可能性が高い…
もっと、ハッキリ言えば、こちらのことは、すべて、調査済み…
調べ尽くしている可能性が高い…
これは、困った…
これは、容易ならざる敵だ…
きっと、アラブ…いや、サウジのオイル・マネーの力で、葉敬の周囲にいる人間を調べ尽くしているに違いない…
私は、思った…
どうする?
この難敵に、どう立ち向かう?
この矢田トモコは、どう立ち向かう?
考えた…
すると、突然、バニラが、
「…アラブの女神…」
と、呟いた…
「…アラブの女神? …なんだ、それは?…」
思わず、私は、聞いた…
聞かずには、いられなかった…
「…そのファラド王子に関する噂よ…」
「…噂だと?…」
「…さっきも言ったように、ファラド王子が、リンダのファンだと公言したことに、謎がある…それというのは、リンダのファンには、以前も言ったように、セレブが多い…代表的なのは、イギリスのウィリアム王子…彼らには、独自のネットワークがある…それを使って調べたの?…」
「…調べた? …それは、わかるが、どうして、リンダでもない、オマエが調べることができたんだ?…」
「…それは、簡単…」
「…簡単?…」
「…そう…リンダのファンと、このバニラのファンは、重なることが多いの…」
バニラの衝撃的な告白だった…
が、
そう言われてみれば、私は驚かなかった…
リンダは、おとなしめ…
真逆に、
このバニラはヤンキー=野性的なイメージで売っている…
が、
素顔は、意外にも、似ている…
現に、過去には、バニラが、リンダに化けて、現れたことがある…
メイクで、うまく、リンダ・ヘイワースになりすましたのだ…
要は、売り方が違うだけ…
リンダは、真面目で、おとなしめのイメージで、売っているだけで、本当は、むしろ、このバニラよりも、情熱的というか…
素顔は、明らかに、このバニラよりも、強い…
「…このバニラ・ルインスキーも、リンダには、劣るけれども、ファンのネットワークがある…」
バニラが告白した…
「…そして、そのネットワークは、リンダのファンのネットワークにも重なる…つまりは、リンダに関して、ファンに聞けば、教えてくれる…」
「…」
「…それで、聞いたの…ファラド王子のことを?…そしたら…」
「…そしたら?…」
「…マザコン!…」
言うや否や、バニラが、爆笑した…
「…マザコン?…なんだ、それは?…」
「…ファラド王子は、幼いときに、母親が亡くなったらしくて、それで、いつも、付き合う女に、母親を求めているの…それで、付いたあだ名が、アラブの女神…」
「…アラブの女神?…どうしてだ?…」
「…そのファラド王子…皇太子ではないけれども、サウジで、かなりの力を持った権力者なの…だから、そのファラド王子と結婚すれば、その女は、かなりの力を持つことができる…だから、陰で、ファラド王子と結婚することができる女をアラブの女神と呼んでいるの…」
バニラが、笑いながら、説明した…
私も、内心、爆笑したが、正直、笑うことができんかった…
今のバニラの言葉で、ファラド王子にかなりの力があることが、わかったからだ…
そんなファラド王子に、クールが狙われてる…
それを、考えると、とても、笑うことなど、できんかった…