第184話

文字数 4,865文字

 「…戻りましょう…お姉さん…」

 葉尊が、言った…

 「…いつまでも、こんなところにいては、困る…パーティーを閉会するときに、また、今日、会場にやって来た皆様に、挨拶をしなければ、ならない…」

 「…」

 「…パーティーは、最初と最後が、肝心…とりわけ、最後が、肝心です…日本では、終わりよければ、すべて良しという言葉がありますが、アレと同じです…」

 「…」

 「…ボクは、葉敬の息子として、生まれ、台北筆頭の後継者として、生まれました…それ以上でも、それ以下でも、ありません…」

 「…」

 「…おおげさに言えば、ボクは、日本の皇室のような偉い身分の方と同じかもしれない…」

 「…どういうことだ?…」

 「…自分で、決められることが、案外少ない(笑)…」

 「…」

 「…道は、すべて、決まってます…あらかじめ、決められた道を、ただ、進んでゆくだけです…だから、自分勝手に決められることが、案外少ない…」

 「…」

 「…でも、そんな条件の中でも、結婚相手を決めることは、数少ない、ボクが自分勝手に、できることでした…」

 「…」

 「…そして、ボクは、お姉さんが、どう思おうと、お姉さんと結婚したことに、後悔は、まったくありません…」

 「…」

 「…お姉さんが、ボクをどう思おうとです…」

 葉尊が、力を込めて、言った…

 私は、葉尊の言葉を聞き、おそらく、この言葉が、葉尊が、今、私に言えることのすべてかも、しれないと、思った…

 誰でも、他人には、言えないこともある…

 おおげさに言えば、口が裂けても、言えないことがある(笑)…

 だから、たった今、私に言ったことが、現時点で、葉尊が、私に言えるすべてだったのかも、しれない…

 私は、それを理解した…

 私は、それを、了承した…

 だから、

 「…わかったさ…」

 と、言った…

 「…オマエを信じるさ…」

 「…ボクを信じる?…」

 「…そうさ…オマエは、私にウソを言っていないさ…言っていることに、ウソはないさ…ただ、全部を言ってないだけさ…」

 「…」

 「…でも、それでいいさ…」

 「…それでいい? …どうして、それで、いいんですか?…」

 「…誰でも、親にも、親しい知人にも、言えないことは、あるさ…だから、それで、いいさ…」

 私が、言うと、葉尊は、黙った…

 「…」

 と、考え込んだ…

 「…でも、だ…葉尊…たった一つだけ、オマエに言っておきたいことがある…」

 「…なんですか?…」

 「…ひとを、裏切るな…オマエのために、指一本動かしてくれた人間のことを、忘れるな…」

 「…」

 「…オマエが、なにを、考え、これから、どうしたいのか、私には、さっぱり、わからんさ…ただ、オマエのような金持ちでも、なんでもない、私に、言えることは、たった一つさ…」

 「…たった一つ?…」

 「…そうさ…それは、恩を仇で返すな、ということさ…」

 「…」

 「…オマエの言うことは、わかるさ…オマエは、生まれながらの金持ちさ…誰もが、オマエに取り入ろうと、下心丸出しで、オマエに近付いてきただろうさ…」

 「…」

 「…でも、それでも、その人間に、なにか、しちゃ、ダメさ…」

 「…どうして、ダメなんですか?…」

 「…たとえ、下心があっても、オマエのために、動いてくれたからさ…どんな人間も、自分のために、動いてくれる人間を、忘れちゃ、ダメさ…」

 「…」

 「…恩を仇で返しちゃ、ダメさ…」

 私は、言った…

 力を込めて、言った…

 いや、

 実は、これは、最近になって、思ったことだった(笑)…

 というのは、マリアのことが、あったからだ…

 私は、マリアの母親のバニラが、嫌いだ…

 なぜか、いつも、この矢田に突っかかってくる…

 ハッキリ言えば、この矢田の天敵…

 天敵に他ならない!…

 が、

 真逆に、バニラの娘のマリアは、なぜか、私になついている…

 だから、あのバカ、バニラも、マリアも名前を出すと、途端に青菜に塩というか…

 急に態度が、おとなしくなる…

 ハッキリ言えば、態度が、豹変する…

 私は、それを、身に染みて、知っていた…

 だから、言ったのだ…

 この葉尊に、言ってやったのだ…

 バニラとケンカするのはいい…

 だが、

 果たして、バニラと、本気で、ケンカをすれば、例え、マリアが、私になついても、バニラは、私に従うだろうか?

 私は、それを、思ったのだ…

 だから、少なくとも、自分のために、指一本動かして、くれた人間に、なにか、するなと、言いたかった…

 例え、下心が、あっても、自分のために、動いてくれた人間には、なにも、するなと、言いたかったのだ…

 なにか、すれば、敵を作ると、言いたかったのだ…

 そして、そうやれば、周りは、敵だらけになる…

 それを、危惧したのだ…

 だから、ハッキリ言えば、自分を抑えろと、言いたかったのだ…

 誰でも、嫌な目に遭うことは、ある…

 ただ、それで、いちいち、相手にやり返しては、疲れる…

 また、多くの場合は、だからと、言って、ケンカもできない…

 そんな小さなことで、ケンカ? と、なるからだ…

 が、

 葉尊は、違う…

 簡単にやり返すことが、出来る…

 それは、なぜかと、言えば、お金持ちだからだ…

 権力者だからだ…

 だから、その地位を利用して、簡単に、やり返すことができるからだ…

 だから、私は、あえて、自分を抑えるように、言ったのだ…

 それが、私の真意だった…

 が、

 あえて、そこまで、詳しくは、言わなかっただけだ…

 すると、どうだ?

 葉尊が、考え込んだ…

 私の顔を見ながら、考え込んだ…

 そして、しばらく、沈思黙考してから、

 「…やはり、お姉さんと結婚して、良かった…」

 と、言った…

 いかにも、嬉しそうに、言った…

 「…なんだと?…」

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 私が、今言ったことは、一般論に過ぎん…

 正直、誰でも、口にできることだ…

 そんな誰にでも、できることを、言ったに過ぎんのに、こんな嬉しそうな表情をするとは?

 わけが、わからんかった…

 「…お姉さん…これからも、よろしくお願いします…」

 葉尊が、嬉しそうな表情で、ペコリと、私に頭を下げた…

 正直、わけが、わからんかった…

 わけのわからん展開だった(驚愕)…

 
 それから、私と葉尊は、パーティー会場に、戻った…

 が、

私と葉尊が、パーティーに戻ると、さすがに、会場もしらけていたというか…

 相変わらず、リンダとバニラの即席の握手会と、撮影会だけ、盛況と言うか…

 賑わっていた…

 しかしながら、

 後は、閑散というか…

 リンダとバニラの握手会や撮影会に加わらない、いわば、会場に、残った、このパーティー会場に、派遣された、美女たちが、やけ酒をあおっているような…

ある意味、殺伐とした情景だった(笑)…

 だから、その光景を、見て、正直、私は、逃げ出したかった…

 一刻も早く、この場から、逃げ出したかった…

 それほど、会場の雰囲気が、すさんでいたというか…

 正直、目もあてられない状況だった…

 「…どうする?…」

 そんなすさんだ光景を目の当たりにして、つい、隣の葉尊に聞いた…

 聞かずには、いられんかったのだ…

 すると、だ…

 やはりというか…

 葉尊は、答えれんかった…

 「…」

 と、答えれんかった…

 これは、ある意味、当たり前…

 当たり前だった…

 この矢田にしても、どうしていいか、わからん…

 まして、生まれつきのお坊ちゃまの葉尊に、どうしていいか、わかるはずもなかった…

 当たり前のことだった…

 と、

 思っていたが、違った…

 違ったのだ!…

 葉尊は、いきなり、ツカツカと、歩いて、このパーティー会場の盛り上げ役に、やってきたと、思われるパーティードレスを着た、一人の長身の美女の元に歩み寄った…

 すると、だ?

 せっかく、仕事でやって来たにも、関わらず、自分が、相手にされず、その不満から、やけ酒をあおっていた美女の前に立ち、

 「…これ以上飲むのは、カラダによくありませんよ…」

 と、穏やかに言って、美女から、グラスを取り上げた…

 意外な展開に、驚く美女…

 その美女に、すばやく顔を近付け、

 「…今日は、ボクと妻の結婚半年を記念してのパーティーに来て頂いて、ありがとうございました…」

 と、言った…

 葉尊のイケメンが、美女の目の前に現れ、美女は、明らかに、動揺した…

 私は、その美女の動揺を見逃さなかった…

 この矢田の細い目をさらに、細めて、その美女の顔の変化を見逃さなかったのだ…

 同時に、その美女の前に立つ、男は、葉問で、あることに、気付いた…

 夫の葉尊ではない…

 夫の、もう一つの人格の葉問であることに、気付いた…

 葉問は、美女の手を握ったままだった…

 酔っ払った美女からグラスを取り上げたまま、離さなかったのだ…

 「…今日は、アナタに嫌な思いをさせてしまいましたね…」

 葉問は、ジッと、美女の目を見て、言った…

 傍目にも、その美女の顔が、見る見る赤くなるのが、わかった…

 もちろん、酔っているからではなかった…

 葉問のイケメンが、目の前に現れて、どうしていいか、わからんかったのだ…

 「…本当に、ごめんさない…」

 葉問が、言った…

 「…い、いえ…」

 と、美女は、顔を赤らめて、そう答えるのが、精一杯の様子だった…

 「…でも、せめて、パーティーを、少しでも、楽しんで下さいね…」

 そう言って、それまで、握り締めていた彼女の手の甲に軽く、キスをした…

 と、

 その瞬間、世界が、止まったようだった…

 おおげさに言えば、世界が、止まったような衝撃が、彼女を襲った…

 私は、それを、見逃さなかった…

 この矢田トモコは、見逃さなかったのだ…

 美女は、葉問が、彼女から離れても、少しの間、明らかに、ボーッとしていた…

 心身を喪失していた…

 まさに、葉問、恐るべし…

 葉問、恐るべしだった…

 葉問は、彼女から離れると、別の美女の元に言った…

 そして、同じように、

 「…今日は、アナタにも、嫌な思いをさせて、申し訳ありません…」

 と、顔を近付けて、詫びた…

 途端に、この美女も、葉問の魔法にかかった…

 葉問の手のひらの上で、転がされた…

 「い…いえ…」

 さきほどの美女と同じように、顔を赤らめて、答えるのが、背一杯だった…

 まさに、葉問の本領発揮だった…

 そして、そんなふうにして、このパーティーの接待用に、派遣されて、誰にも、相手にされず、不満が、高まった美女一人一人の目の前に、葉問が、現れ、丁寧に詫びた…

 すると、どうだ?

 いつのまにか、美女の不満が、消失した…

 きれいさっぱり、なくなった…

 それどころか、いつ、葉問が、自分の元にやって来るのか?

 美女たちが、ドキドキしながら、葉問が、目の前に来るのを、今か今かと、待ちわびていることが、わかった…

 恐るべきことに、葉問、一人で、このパーティーにやって来た美女の不満を、解消した…

 じっくりと、時間をかけて、解消した…

 まさに、葉問…恐るべし…

 葉問、恐るべしだった…

 そして、葉問の努力が、実り、いつしか、パーティー会場の雰囲気が、一変した…

 リンダとバニラが、主役のパーティー会場で、それ以外は、殺伐としたパーティーの雰囲気が、一変した…

 それは、なにか、ドキドキした、まるで、出会いの場のようなパーティー会場だった…

 イケメンの葉問を中心としたパーティー会場の出現だった(笑)…

 イケメンの葉問を、中心に、美女を周りに、はべらかす、集団が、生まれた…

 出現した…

 それは、まるで、魔法のようだった…

 それまで、殺伐としたパーティーの雰囲気が、一変した…

 私は、まるで、夢を見ているようだった…

 こんなことが、できる人間が、この世にいるとは?

 と、思った…

 まさに、奇跡が起きた瞬間だった…

 私は、その奇跡を目の当たりにした…

 大げさに言えば、モーゼの十戒に匹敵する奇跡…

 海が割れたことに、匹敵する奇跡だった…

 それを、この矢田トモコは、見た…

 この矢田の細い目を、さらに細めて、見たのだ…

               
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