第176話

文字数 4,900文字

 「…まったく、このお姉さんは?…」

 葉問が、笑った…

 が、

 笑ったのは、口だけ…

 目は真剣だった…

 少しも、笑ってなかった…

 「…鈍いかと思えば、鋭い…が…」

 「…が…なんだ?…」

 「…中途半端…まだ正解には、達してない…」

 「…なんだと?…」

 「…この葉問も、人間です…やはり、お姉さんが、言うように、消えたくない…消滅したくない気持ちがあるというか…無意識に、それが、出てしまう…」

 「…」

 「…そして、お姉さんは、それを見て、この葉問の言葉を信じなくなる…」

 「…」

 「…だとすれば、悲しい…実に、悲しいです…」

 葉問が、大げさに、言う…

 が、

 私は、葉問の言葉を信じんかった…

 これっぽっちも、信じんかったのだ…

 だから、

 「…葉問…」

 と、語りかけた…

 「…なんですか?…」

 「…オマエ…芝居が、うまいな…」

 「…芝居が、うまい?…」

 葉問の目が点になった…

 「…どういう意味ですか?…」

 「…オマエの行動は、まるで、舞台で、役者かなにかの行動を見るように、大げさで、わざとらしいのさ…」

 「…」

 「…でも、女は、オマエのそのわざとらしい、おおげさな演技に、惹かれる…」

 「…」

 「…だが、私には、その演技は、効かんさ…」

 私は、葉問の顔を睨みつけた…

 私の細い目を、さらに細めて、睨みつけたのだ…

 すると、どうだ?

 葉問が、居心地悪そうに、私から、目をそらした…

 私は、その瞬間、勝ったと、思った…

 この葉問に、勝利したと、思った…

 葉問は、それから、私を一顧だにすることなく、

 「…パーティーに戻りましょう…」

 と、言って、歩き出した…

 つまり、私から、逃げ出したのだ…

 この矢田トモコから、逃げ出したのだ…

 思えば、この葉問は、出会ったときから、私に、上から、目線…

 なぜか、いつも、この矢田トモコに、上から目線だった…

 私は、それが、気に入らんかった…

 この矢田トモコの方が、6歳年上にも、かかわらず、私を年下扱いした…

 私は、それが、許せんかった…

 許せんかったのだ…

 たしかに、つい、さっきも、あのオスマンから、この葉問が、私を守ってくれた…

 だから、大げさに言えば、この葉問は、恩人…

 この矢田トモコの恩人だ…

 だから、ホントは、この葉問に感謝せねば、ならんかった…

 が、

 できんかった…

 なぜか、感謝する気には、なれんかったのだ…

 理由は、わからん…

 それは、あのリンダが、この葉問を、

 「…葉問は、このお姉さんの白馬の騎士…」

 と、呼んだからかも、しれんかった…

 あのリンダは、

 「…ホントは、私の白馬の騎士であって、もらいたかったんけど…」

 と、付け加えた…

 付け加えて、苦笑した…

 そのリンダの言葉通り、この葉問は、私にとって、白馬の騎士であり、これまで、何度も、救ってもらった…

 それは、ついさっきも、あのオスマンの前に立ち、文字通り、カラダを張って、私を守ってくれたこともあるし、真逆に、カラダは、張らんが、私が、葉尊との関係で、悩んだときに、良いアドバイスをくれたこともある…

 つまりは、いつも、私の側に立ち、私を守ってくれた…

 が、

 なぜか、それほど、感謝する気には、なれんかった…

 なぜだかは、わからん…

 ホントは、感謝せねば、ならんのは、わかっているが、感謝する気には、なれんかった…

 なぜか、当然というか…

 なぜか、わからんが、葉問が、私に尽くすのは、当たり前の気がした…

 理由は、わからんかった…

 もしかしたら、答えは、葉尊かもしれんかった…

 葉問は、葉尊あっての葉問…

 葉問あっての葉尊ではない…

 葉問は、いわば、葉尊のカラダを借りた、もう一つの人格…

 だから、いわば、居候のようなもの…

 葉尊のカラダを借りている、居候のようなものだからだ…

 それが、わかっているからかも、しれんかった…

 そして、私は、葉尊の妻…

 だから、私は、いわば、葉問にとって、大家の妻のようなもの…

 私の心の中に、意識するか、意識しないかに関わらず、そんな意識が、無意識にでも、あるから、私は、この葉問に感謝しないのかも、しれんかった…

 だから、いつも、この葉問に対して、強気に出るのかも、しれんかった…

 私は、この葉問の背中を、見ながら、そう思った…

 
 私は、再び、パーティー会場に、入った…

 今の一件もあるから、私は、葉問と離れた…

 ホントは、こんな慣れないパーティー会場で、一人ぼっちは、嫌だが、今、あの葉問と口論したばかりだから、あの葉問と、いっしょにいるのは、嫌だった…

 私が、あの葉問の後に、ついて、歩いてゆけば、あの葉問は、私が、葉問の悪口を言ったくせに、結局は、すぐに、自分に従うじゃないかと、思うに、決まっている…

 要するに、あの葉問に、舐められるのが、嫌だったというか…

 あの葉問に、甘く見られるのが、嫌だったのだ…

 だから、ホントは、一人ぼっちは、嫌だが、あえて、一人ぼっちになった…

 このパーティー会場で、一人ぼっちになったのだ…

 すると、だ…

 すぐに、

 「…お姉さん…どこに、行ってたの?…」

 という声が、かかった…

 私は、慌てて、声のする方向を見た…

 リンダだった…

 リンダ・ヘイワースだった…

 真紅のロングドレスを着た、リンダ・ヘイワースだった…

 「…なんだ? …オマエ?…」

 私は、慌てて、リンダに聞いた…

 「…お義父さんの…葉敬の傍に、いなくて、いいのか?…」

 私の質問に、リンダが、笑った…

 「…それは、全然、構わないわ…」

 「…構わないだと? …どうしてだ?…」

 「…アレを見て…」

 リンダが、指差した…

 そこには、少し離れた場所に、葉敬とバニラの姿があった…

 黒のタキシードを着た葉敬と、ブルーのロングドレスを着た、バニラの姿があった…

 二人が、並ぶと、ハッキリ言って、父子ほど、歳が離れているが、それにしても、似合った…

 二人とも、長身の美男美女…

 文字通り、絵になった…

 そして、なにより、自然だった…

 二人の関係が、自然だったのだ…

 傍目には、もしかしたら、父子に、見えるかも、しれんが、明らかに、他人同士には、見えない…

 そんな空気が、二人の間にあった…

 だから、二人を見て、このリンダが、気を利かせたのだと、思った…

 パーティー会場を二人で、巡るので、もちろん二人だけには、なれない…

 が、

 しかしながら、二人で、このパーティー会場で、さまざまな人間と会うことで、まるで、夫婦のようになれる…

 だから、ハッキリ言って、リンダは、邪魔…

 いない方が、いい…

 そういうことだ(笑)…

 要するに、普段、二人とも、忙しく、二人きりになれない、葉敬と、バニラを、二人だけに、させようと、思った…

 リンダなりの気づかいだった…

 が、

 私は、同時に、気付いた…

 ハリウッドのセックス・シンボルと、呼ばれているリンダ・ヘイワースが、こんなところで、一人きりでいて、いいのだろうか?

 ふと、気付いた…

 一人きりで、いれば、大勢の男に口説かれるとか?

 かえって、面倒なことになるのでは?

 と、思ったのだ…

 だから、

 「…リンダ…オマエ、一人っきりでいて、危なくないか?…」

 と、聞いた…

 「…全然…」

 と、リンダが、笑った…

 「…でも、大勢の男に口説かれたら…」

 「…その心配は、無用よ…」

 「…無用だと?…」

 「…このパーティーに出席しているのは、大半が、60歳を過ぎた、お爺ちゃん…中には、私が、誰か、知らないひともいるわ…」

 リンダが、笑った…

 私は、そんなリンダの発言に、驚いたが、すぐに、それが、真実かも、しれんと、納得した…

 ハリウッドのセックス・シンボルだ、なんだと、言われても、六十歳以上のお爺ちゃんは、知らないことが多い…

 なにしろ、このパーティーの参加者は、政界、財界の著名人…

 ハッキリ言えば、社会の成功者…

 だから、年寄りが、多い…

 だから、このリンダに、近付いて、口説くこともない…

 現に、たった今、このリンダが、真紅のロングドレスを着て、ここに立っていても、誰も、近付かない…

 それが、現実だった(笑)…

 これが、リンダにとっての現実だった(笑)…

 ハリウッドのセックス・シンボルだ、なんだと、言っても、誰もが、知っているわけではない…

 現実に、この日本の大げさでなく、頂点に、いるであろう、政界や財界の大物のお爺ちゃんは、リンダを知らなかった…

 これが、リンダにとっては、幸か不幸かは、わからない…

 こういうパーティーで、60歳以上のお爺ちゃんに、口説かれることが、リンダにとって、幸運か、どうかは、わからない…

 が、

 真逆に、言えば、知名度不足…

 そして、それは、リンダにとっての欠陥だと、気付いた…

 なぜなら、どの国でも、その国の頂点に立つ人間は、年寄り…

 老人だ…

 つまり、政界、財界に限らず、どの世界でも、頂点に立ち、権力を持ち、なにかしらの決定権を持つのは、老人だ…

 だから、その老人たちに、リンダが、知られていないのは、決定的な落ち度というか…

 大変な失態というか…

 とにかく、あっては、ならないことだと、思った…

 リンダに、とっては、パーティーで、誰彼構わず口説かれるより、負担が少なくて、楽かも、しれんが、そう思った…

 だから、

 「…マズいゾ…リンダ…」

 と、私は、言ってやった…

 「…お姉さん…なにが、マズいの?…」

 と、リンダが、驚いた…

 「…このパーティーの出席者が、オマエを知らんことさ…」

 「…それが、どうして、マズいの?…」

 「…バカ! ハリウッドの映画でも、なんでも、最終的に、決定権を持つのは、老人だろ?…年寄りだろ?…だから、その年寄りに、リンダ…オマエが、誰か、わからんようでは、ダメさ…」

 私は、勢い込んで、言った…

 すると、どうだ?

 リンダが、驚いた…

 驚いた表情になった…

 「…お姉さんが、そんなことを、言うとは、思わなかった…」

 「…」

 「…お姉さんが、言うことは、わかる…でも…」

 「…でも、なんだ?…」

 「…私は、このパーティーに営業で、来てるわけじゃないの…」

 「…なんだと?…」

 「…たしかに、このパーティーに参加したのは、葉敬に頼まれたから、仕事で来たわけだけど、営業までは…」

 「…」

 「…なにより、私は、この日本で、積極的に、仕事をする気は、ないわ…」

 「…」

 「…むしろ、私は、この状態に、ホッとしているの?…」

 「…ホッとしているだと?…」

 「…ええ…だって、いつも、パーティーに出席すれば、男たちに、口説かれまくって、ホトホト、疲れる…でも、今日は、それがない…だから、ホッとするの…」

 リンダが、告白した…

 たしかに、リンダの言い分は、わかった…

 パーティーに出席するたびに、男連中に、口説かれまくるのは、リンダだって、嫌だろう…

 私にすれば、それは、夢物語だが、やはりというか…

 この矢田トモコも、現実に、リンダのように、口説かれまくれば、疲れてしょうがないだろう…

 それは、わかる…

 それは、理解できる…

 が、

 それは、違うと、思った…

 なぜなら、リンダは、今、リンダ・ヘイワースの姿をしているからだ…

 いつものように、短いスカートや、短いワンピースを着て、パンツが、見えそうな格好をしているわけではないが、真紅のロングドレスを着て、リンダ・ヘイワースになっている…

 そして、リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…

 常に、どんな場所でも、男たちの注目を浴びねば、ならん…

 たとえ、それが、60歳や、70歳、いや、80歳を過ぎた、老人相手にも、だ…

 私は、思った…

 そして、もっと言えば、老若男女あらゆる世代から、男女の別なく知られてこそ、本物のスター…

 正真正銘のスターの証(あかし)だ…

 私は、それを、このリンダに教えてやらねば、ならんと、思った…

 私は、それを、このリンダに教えてやることが、私の使命だと、悟った…

 六歳年上の私の使命だと、思ったのだ…

 この矢田トモコの使命だと、思ったのだ…

               
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