第159話

文字数 4,555文字

 仕事探しか…

 ふと、思った…

 この矢田トモコ、35歳…

 この半年ほど、仕事をしていなかった…

 原因は、わかっている…

 葉尊と結婚したからだ…

 金持ちと、結婚したからだ…

 だから、働く必要が、なくなったからだった…

 が、

 元々は、バリバリのキャリアウーマンというか…

 とにかく、頭より、カラダを動かしている方が、好きだった…

 その典型が、すでに、何度も挙げた、ピザ屋や寿司屋の配達だった…

 あの三輪車のバイクに跨(またが)り、颯爽(さっそう)と、街を走る…

 まさに、快感だった…

 元々、運動神経が、抜群にいい、私は、カラダを動かすのが、好き…

 変に、工場やスーパーの片隅で、チマチマ仕事をしているより、ずっと楽しかった…

 私は、今、それを、思い出していた…

 だから、明日、仕事を探すときは、真っ先に、ピザ屋や寿司屋の配達の求人を探そうかと、思った…

 いや、

 明日からではない…

 今日これから、家に帰ってから、早速、探すか?

 いや、いや…

 家に帰るまで、待つこともない、早速、今、スマホで、検索するか?

 ふと、思った…

 何事も即断即決…

 我ながら、切り替えが、早い…

 もはや、葉尊と別れることが、決まった今、一刻も早く、仕事を探すのが、一番と、思ったのだ…

 ならば、グズグズしている暇はない…

 即断即決…

 私は、ポケットから、スマホを取り出すと、早速、仕事を探すべく、電源を入れた…

 すると、隣で、リンダが、

 「…お姉さん…一体、なにをしているの?…」

 と、驚きの声を上げた…

 「…見て、わからんか?…」

 もはや、私は、リンダの顔を見ずに、言った…

 「…突然、スマホをいじり出して…」

 と、リンダが、続ける…

 「…仕事探しさ…」

 「…仕事探し?…」

 「…そうさ…」

 「…一体、なんで、仕事探しなの?…」

 「…バカか、オマエは?…」

 「…どうして、私が、バカなの?…」

 「…葉尊と離婚すれば、私は、ひとりぼっち…収入の当ては、ないさ…だから、すぐにでも、働かねば、ならんさ…」

 私は、断言した…

 「…そもそも、私は、オマエや、バニラ、それに、葉尊のように、金持ちではないからな…いつまでも、遊んでいるわけには、いかんのさ…」

 私は、断言すると、鬼のように、私の太く短い指で、スマホをいじった…

 すると、隣で、

 「…ハーッ…」

 と、リンダが、わざとらしく嘆息した…

 「…まったく、このお姉さんは…」

 と、続ける…

 が、

 私は、そんなリンダの言葉など、聞いてなかった…

 私は、スマホで、仕事を探すのに、忙しかったからだ…

 「…お姉さん…もう、そんなことは、止めて…」

 あろうことか、リンダが、私の手から、スマホを取り上げたのだ…

 「…バカ、リンダ…なにをする?…」

 「…なにをするっていうのは、こっちのセリフ…」

 「…なんだと?…」

 「…そもそも、一体、いつ、お姉さんと、葉尊の離婚が、決まったの?…」

 「…今さ…」

 「…今?…」

 「…たった今さ…」

 「…たった今って、どういう意味?…」

 「…リンダ…オマエが、私と葉尊の離婚をたった今、匂わしたから、それに、気付いたのさ…」

 「…気付いた?…」

 「…そうさ…何度も言うように、これから、帝国ホテルで、行われるイベントというのは、私と葉尊の離婚式だろ? …私としても、葉尊と離婚するのは、残念だが、グズグズ言っても、仕方がないさ…そんなことより、私が、明日から、どうやって生きてゆくか、考えるのが、先決さ…」

 「…」

 「…何事も、先手必勝…即断即決が、私の生き方さ…葉尊と離婚が決まった今、グズグズ言うよりも、明日からの仕事を探す…それが、私の生き方さ…」

 私が、断言すると、リンダが、唖然とした様子だった…

 唖然とした様子で、私を見て、私のスマホを返した…

 それから、

 「…まったく、このお姉さんは、わけのわからんことを…」

 と、まるで、私を呪うかのように、言った…

 つい、さっきまでの女神のように、優しい顔は、どこへやら…

 まるで、鬼か、悪魔のような形相で、私を、見た…

 この矢田トモコを、見たのだ…

 正直、私は、ブルった…

 ブルったのだ…

 そして、あろうことか、リンダの怒りが、爆発した…

 「…ふざけんなよ!…」

 と、まるで、バニラ顔負けに、怒り出したのだ…

 「…一体、いつ、これから行く、帝国ホテルのイベントが、離婚式に決まったって、言うんだ?…」

 リンダが、怒った…

 怒ったのだ…

 その姿は、まるで、金髪の悪魔のようだった…

 私は、ブルった…

 ブルったのだ…

 正直、バニラが切れるのは、怖くはない…

 いつものことだからだ…

 が、

 リンダは、怖かった…

 切れやすいバニラと違って、温厚なリンダは、普段、めったに切れない…

 めったに、怒らない…

 そのリンダが、怒ったから、怖かったのだ…

 慌てた私は、リンダをなだめるべく、

 「…リンダ…その恰好で、怒るのは、止せ…」

 と、言った…

 「…リンダ・ヘイワースの格好で、怒ってはいかんゾ…それでは、リンダ・ヘイワースのセクシーなイメージが、台無しだ…」

 「…」

 「…そんな短いワンピースで、股を広げては、いかんゾ…それでは、パンツが、丸見えだ…」

 私は、リンダに、言った…

 リンダに、注意した…

 同時に、これで、リンダの怒りは、治まると、内心、思った…

 密かに、思ったのだ…

 なぜなら、リンダの格好をして、リンダ・ヘイワースとして、ふさわしい言動を取らねば、ならんと、注意して、リンダが、その指摘を受け入れないことは、かつて、一度も、なかったからだ…

 私の指摘で、ふと、我に返ったことは、一度や二度ではない…

 だから、今度も、安心だと、思ったのだ…

 が、

 違った…

 違ったのだ…

 リンダの怒りは、治まらんかった…

 「…誰も、見ちゃ、いねーよ…」

 と、まるで、バニラのようなセリフを吐いた…

 これには、私は、驚いた…

 かつて、なかった反応だったからだ…

 私は、どうして、いいか、わからんかった…

 もはや、私の手には、負えんかった…

 この平凡な矢田トモコの手には、負えんかったのだ…

 だから、

 「…お…落ち着け…リンダ…」

 と、震えながら、言った…

 「…い…いいから、落ち着くんだ…」

 私は、ビビりながら、言った…

 言ったのだ…

 「…暴れては、いかんゾ…そんなことを、すれば、もしやワンピースが、切れて、オッパイが、丸見えになるかも、しれんゾ…」

 私は、注意した…

 うまく、注意したと、思ったのだ…

 が、

 それが、いかんかった…

 なぜか、火に油を注いだように、リンダの怒りが、さらに、増した…

 「…なに、それ?…」

 リンダが、さらに、怒り出した…

 「…それって、もしかして、私が、太ったって、言いたいわけ?…」

 リンダが、大声で、言った…

 「…私も、歳だから、太ったって、言いたいわけ?…」

 リンダが、鬼の形相で、私に顔を近付けて、聞いた…

 「…ねえ、どうなの?…」

 リンダが、私の目の前に、顔を近付けて、聞いた…

 私は、怖かった…

 なんとも、いえん、恐怖だった…

 元々、この矢田トモコは、気が弱い…

 だから、それを隠す意味でも、普段は、わざと、上から目線で、ものを言う…

 そうすれば、周囲の人間には、この矢田トモコが、ホントは、気が小さいのが、バレないからだ…

 私は、ビビッて、ビビッて、仕方がなかった…

 …もしや、このリンダに殺されるかも、しれん…

 ふと、そんな妄想すら、脳裏に浮かんだ…

 この矢田トモコは、身長が、159㎝…

 対する、

 リンダ・ヘイワースは、175㎝…

 そして、私は、日本人…

 リンダは、台湾人とアメリカ人のハーフ…

 だから、そもそも、骨格が違う…

 白人の方が、アジア人よりも、骨格が、しっかりしている…

 おまけに、16㎝の身長差…

 これでは、この矢田が、勝てるわけがない…

 この非力な矢田が、まるで、ゴリラのような立派な骨格のリンダに、勝てるわけがなかった…

 だから、

 …謝ろう…

 と、思った…

 ここは、素直に、詫びようと、思った…

 だから、

 「…す…済まんかったさ…」

 と、私は、詫びた…

 「…済まんかったって?…」

 リンダが、私の言葉を繰り返した…

 「…わ…私が、悪かった…ゆ、許してくれ…」

 私は、詫びた…

 心の底から、詫びた…

 だから、リンダの心にも、私の心が、通じたと思った…

 私の誠心誠意の詫びが、通じたと、思ったのだ…

 が、

 通じんかった…

 「…そんな、言葉だけで、済む話じゃねーんだよ…」

 リンダが、まるで、人格が、替わったかのようだった…

 「…スイマセンで済めば、警察は、いらねーんだ…」

 と、まるで、バニラのようなセリフを言う…

 私は、もはや、どーして、いいか、わからんかった…

 すでに、万策尽きた…

 私は、リンダの顔を見るのも、怖くて、黙って、目を閉じた…

 私の細い目を閉じたのだ…

 もはや、なるよーになれ、という心境だった…

 だから、黙って目を閉じたまま、時が、過ぎるのを待った…

 が、

 いつまで、経っても、リンダは、なにも、してこんかった…

 だから、目を開けた…

 ゆっくりと、小さく、目を開けて、リンダを盗み見るように、見た…

 すると、どうだ?

 な、なんと、リンダの顔が、目の前にあった…

 リンダ・ヘイワースの怒った顔が、目の前にあった…

 リンダは、ずっと、私の前に顔を近付けていたわけだ…

 私は、ブルった…

 まさか、ずっと、同じ姿勢で、いるとは、思わんかったからだ…

 リンダの青い瞳が、私の顔を凝視した…

 リンダの青い目が、私を睨んでいたのだ…

 私は、そのリンダの青い目を、吸い込まれるように、見た…

 まるで、蛇に睨まれたカエルの状態だったが、見ずには、いられんかった…

 まるで、引き込まれるように、リンダの青い目を見た…

 すると、どうだ?

 当たり前だが、絶世の美女の姿が、目の前にあることに、気付いた…

 今さらながら、リンダ・ヘイワースの美貌に、気付いた…

 ビックリするほどの、美貌に、気付いたのだ…

 だから、つい、

 「…き、きれいだ…」

 と、呟いた…

 言うつもりは、なかったが、つい口から出てしまった…

 あまりにも、目の前のリンダの顔が、きれいだったからだ…

 普段は、こんな至近距離で、見ることは、なかったから、あらためて、リンダの美貌に、気付いた…

 すると、

 「…お姉さんたら、ズルい…」

 と、言って、リンダが、軽く、私の頬にキスをして、私の顔から、離れた…

 今までの怒りは、どこへやら、一転して、恥ずかしそうな少女のような表情に、なった…

 「…私のことを、きれいだなんて…」

 リンダが、顔を赤らめて、言う…

 私には、なにが、なんだか、わからんかった…

 それまでは、烈火の如く怒っていたリンダが、まるで、十代の少女のように、振る舞うとは?

 一体、なにが、どうしたか、わからんかった…

 だから、これ以上は、考えんかった…

 ハリウッドのセックス・シンボルだ、なんだと、周囲から持ち上げられている間に、頭が、おかしくなったのだろうと、思ったのだ…

 頭のおかしな女に、なにを、言っても、無駄…

 無駄だ…

 私は、それを悟った…

 悟ったのだった…

               
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