第117話

文字数 5,036文字

 「…お…お義父さん?…」

 私は、思わず、言った…

 まさか、

 まさか、

 ここで、お義父さんと、会うとは、思わんかった…

 思わんかったのだ…

 「…一体、どうして?…」

 と、呟きながらも、このお義父さんも、オスマン殿下に、会いに来たのでは? と、気付いた…

 なにしろ、この場所で、偶然、会うことは、ありえない…

 また、このお義父さん=葉敬は、普段、台湾にいる…

 それが、わざわざ、この日本にやって来て、しかも、会ったのが、この場所だ…

 オスマン殿下の通うセレブの保育園に近い、この場所だ…

 だから、

 「…お義父さんも、オスマン殿下に、会いに来たんですか?…」

 と、つい、聞いてしまった…

 いや、

 聞かずには、いられんかった…

 クルマの中の葉敬は、驚いた顔になった…

 それから、すぐに、

 「…やはり、お姉さんだ…」

 と、嬉しそうに、言った…

 「…私の目的が、わかっている…」

 私は、葉敬のその笑顔を見ながら、この葉敬は、なぜか、知らんが、私を好きなことを、思い出した…

 なぜか、知らんが、葉尊と結婚した当初から、一貫して、私を好いていることが、明白だった…

 これは、謎だった…

 文字通り、解けぬ謎だった…

 一体全体、どうして、最初から、この葉敬が、私を好いているのか、さっぱり、わからんかった…

 「…それで、お姉さんは?…」

 葉敬が、私に聞いた…

 だから、私は、躊躇うことなく、

 「…私も、オスマン殿下に。会いに来たんです…」

 と、答えた…

 「…お姉さんも、殿下に会いに?…」

 葉敬が、驚いた様子だった…

 「…これは、奇遇ですね…」

 と、笑った…

 が、

 私は、笑わんかった…

 「…奇遇ですか?…」

 と、葉敬に、聞いた…

 挑むように、聞いた…

 が、

 葉敬は、

 「…奇遇です…」

 と、繰り返した…

 「…私も、お姉さんも、殿下に、会いに行くことは、ありえますが、同じ時間に、会うことは、あり得ない…だから、奇遇です…」

 葉敬が、奇遇の意味を、語った…

 私は、なるほどと、思った…

 なるほど、うまいことを言うと思った…

 「…乗りなさい…お姉さん…」

 いきなり、葉敬が、言った…

 「…その様子では、おそらく、どこかで、時間潰しでも、するつもりだったんでしょ?…」

 「…どうして、わかるんですか?…」

 「…今、お姉さんは、オスマン殿下に、会いに、やって来たと、言いました…にも、かかわらず、こんなところを、歩いている…大方、殿下に会ったとしても、保育園が、終わってから、会おうとでも、言われたんじゃ、ないんですか?…」

 私は、葉敬の慧眼(けいがん)に、驚いた…

 まさに、その通りだったからだ…

 まるで、見てきたように、言う…

 それとも…

 それとも、実際、この葉敬は、もしかして、部下の人間を、あらかじめ、あのセレブの保育園に派遣して、私や、オスマン殿下の様子を、部下から、報告で、聞いたのかもしれんと、気付いた…

 が、

 さすがに、それは、言わんかった…

 口に、せんかった…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…さあ…」

 と、言って、葉敬の乗る車の後部座席のドアが、開いた…

 運転手のひとが、わざわざ、クルマから、降りて、ドアを開けてくれたのだ…

 私は、

 「…ありがとうございます…」

 と、言って、クルマに乗り込んだ…

 そして、後部座席に座る葉敬の隣に、座った…

 「…お姉さん…お久しぶりです…」

 葉敬が、嬉しそうな表情で言う…

 「…ハイ…お久しぶりです…」

 私は、答えた…

 そして、あらためて、葉敬を見た…

 この葉敬という男…

 私の夫、葉尊の実父…

 やはり、イケメンの葉尊と血が繋がっているだけあって、イケメンだ…

 すでに、歳は、六十代だが、長身のイケメンだった…

 そして、当たり前だが、この再会は、偶然ではないと、思った…

 偶然にしては、あまりにも、出来過ぎている…

 おそらくは、バニラが、葉敬に、相談したのではないか? と、気付いた…

 バニラは、葉敬の愛人…

 二人の間には、娘のマリアがいる…

 そして、そのマリアは、オスマン殿下のお気に入り…

 だから、バニラが、心配になって、マリアの父親の葉敬に、相談するのは、自然の流れだった…

 だから、私は、

 「…バニラですか?…」

 と、葉敬に聞いた…

 「…バニラが、どうかしたんですか? …お姉さん?…」

 「…お義父さんが、ここにいる理由です…」

 「…理由?…」

 「…そうです…マリアが、オスマン殿下のお気に入りだから、どうしていいか、不安になって、お義父さんに相談したんじゃ、ないんですか?…」

 私が、息せき切って言うと、葉敬は、考え込んだ…

 ひどく、難しい表情になった…

 「…たしかに、それも、あります…」

 少し、考え込んでから、葉敬が、口を開いた…

 「…ですが、今日、ここにやって来たのは、それだけでは、ありません…」

 「…それだけじゃない?…」

 「…そうです…」

 葉敬が、難しい顔で、答えた…

 「…ファラドと、オスマン殿下の争い…すでに、勝負は、ついたが、まだ残り火というか、完全に、消火できていません…」

 「…消火できてない?…」

 「…火が完全に、消えてないのです…」

 「…火が消えてない?…」

 私は、どういう意味だろうと、思った…

 ファラドとオスマン殿下の争いは、ついたはずだ…

 私は、どういう意味だろうと、聞こうと、思ったが、その前に、クルマが、走り出した…

 そして、葉敬が、話題を変えた…

 「…お姉さん…いつも、葉尊の面倒を見て、頂いて、ありがとうございます…」

 葉敬が、丁寧に、私に礼を述べた…

 私は、思わず、

 「…いえ…」

 と、だけ言った…

 反射的に、口から、出てしまったのだ…

 「…葉尊は、まだ幼い…だから、いつも、年上のお姉さんが、しっかり面倒を見て、くれているので、安心です…」

 「…葉尊が、幼い?…」

 「…そう、幼いです…その証拠に、お姉さんの力に驚いていました…」

 「…私の力?…」

 「…オスマン殿下の件です…お姉さんが、オスマン殿下に、気に入られたことで、台北筆頭も、クールも、一気に、アラブ世界で、商売が有利になりました…なにしろ、アラブの至宝のお墨付きを得たのです…いわば、日本でいえば、天皇陛下のお墨付きを得たようなものです…」

 「…天皇陛下のお墨付き…」

 「…そうです…つまり、それほど、ありえないことなのです…だから、葉尊は、驚きました…ですが、私は、驚かなかった…」

 「…どうして、驚かなかったのですか?…」

 「…それは、お姉さんだからです…」

 「…私だから?…」

 「…お姉さんは、誰からも、愛され、信頼される…リンダもバニラも、お姉さんが、大好きです…そんなお姉さんだから、オスマン殿下も、気に入ったのだと、思います…」

 葉敬が、説明する…

 が、

 私は、その説明を信じんかった…

 これっぽっちも、信じんかった…

 いくらなんでも、調子が、良すぎるからだ…

 仮に、私が、女優の佐々木希のような、美人ならば、もしかしたら? と、思う…

 が、

 私は、平凡…

 平凡、極まりないルックスの持ち主だからだ…

 ただ、胸が、大きいだけ…

 それだけだ…

 だから、その誉め言葉を、ちっとも、信じんかった…

 真逆に、邪推した…

 なにか、裏があるのでは? と、邪推した…

 裏があると、邪推したのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…ひとつ、聞いていいですか?…」

 と、葉敬が、言いづらそうに、言った…

 「…なんですか?…」

 「…お姉さんの頬についているものが、ありますが…」

 言いづらそうに、続けた…

 「…なにか、あったのですか?…」

 「…いえ…」

 「…失礼ですが、オスマン殿下が、お姉さんを、泣かすような真似は、しないと、思いますが…」

 「…オスマン殿下は、関係ありません…」

 「…だったら、それは…」

 私は、言おうか、どうか、迷った…

 が、

 言うしか、なかった…

 なぜ、泣いたのか、言わんと、葉敬を、納得させることが、できんからだ…

 「…生まれの差に気付いたんです…」

 「…生まれの差?…」

 「…ハイ…」

 「…生まれの差とは、言いづらいのですが、葉尊と、お姉さんのことですか?…」

 「…そうです…」

 「…一体、どうして、そんなことを?…」

 葉敬が、驚いた…

 「…さっきも、言ったように、私は、今朝、オスマン殿下に、会いに、ここへ、来ました…」

 「…ハイ…それは、わかりました…」

 「…それで、殿下から、保育園が、終わった午後に、会いましょうと、提案されました…」

 「…」

 「…私は、殿下に、言われ、それまで、この付近で、時間を潰そうと、思いました…それで、書店や、ネットカフェを探そうとしました…」

 「…」

 「…でも、見つかりませんでした…それで、気付いたんです…」

 「…なにを、気付いたんですか?…」

 「…さっき、言った、生まれの差です…」

 「…どうして、書店やネットカフェを探そうとして、生まれの差を、考えるんですか?…」

 「…ここは、セレブの保育園が、ある場所です…当然、高級地…書店や、ネットカフェが、近くにあるはずも、ありません…あるのは、大使館ばかりです…だから、そもそも、そんなことに、気付かないのは、私が、庶民だから…葉尊なら、最初から、書店や、ネットカフェを探さないはずです…」

 「…なるほど、そういうことですか?…」

 葉敬が、頷いた…

 「…たしかに、お姉さんの気持ちも、わかります…」

 「…だから、やっぱり、私は、葉尊に、ふさわしくないんじゃ…」

 私は、言った…

 言わずには、いられんかった…

 すると、葉敬は、考え込んだ…

 どうして、いいか、わからない様子だった…

 それから、少しして、ゆっくりと、口を開いた…

 「…お姉さん…」

 「…ハイ…」

 「…台北筆頭は、私が、一代で、築いた会社です…」

 「…」

 「…私の両親も、庶民でした…」

 「…エッ? 庶民?…」

 「…そうです…だからでしょうか?…私は、あまり、身分を問わないというか…葉尊が、誰と、結婚しようが、自分が、好きなひとと、結婚すればいいと、思ってました…」

 「…でも、それが、私では?…」

 「…お姉さん…身分は、まったく関係ないと、言えば、ウソになります…ですが、身分が、同じならば、結婚が、うまくゆくかと、言えば、そうでもない…大切なのは、まずは、相手を好きか、どうか、です…」

 「…好きか、どうか?…」

 「…そうです…どんなに美人でも、お金持ちでも、好きになれない人間はいます…これは、お姉さんのように、女の立場でも、同じでしょ?…」

 「…」

 「…お姉さん…自信を持って下さい…」

 「…自信?…」

 「…私は、葉尊を信じています…そして、葉尊が、選んだ、お姉さんを、信じています…」

 「…私を信じている?…」

 「…そうです…そして、その結果は、もう出ました…」

 「…結果が出た?…」

 「…ハイ…お姉さんが、さっき言った、オスマン殿下…お姉さんは、殿下の信頼を得ました…アラブの至宝と言われた人物の信頼を得たのです…そして、その情報は、瞬く間に、アラブ世界に、駆け巡りました…アラブ世界のセレブの間に駆け巡りました…そのおかげで、我が台北筆頭も、クールも、急速に、アラブ世界で、商売が、拡大しました…まさに、お姉さんのおかげです…お姉さんの力です…」

 「…私の力…」

 「…そうです…だから、お姉さんは、もっと、自分に自信を持って下さい…お姉さんだから、できることが、あります…他の誰にも、できない…お姉さんだから、できることが、いっぱいあります…だから、その力で、これからも、葉尊を助けて、上げてください…」

 葉敬が、熱心に、私を元気づけた…

 が、

 皮肉にも、葉敬に、熱心に、励まされれば、励まされるほど、私の気持ちは、落ち込んだ…

 なぜなら、どうして、この葉敬が、これほど、私を、励ますのか、謎だったからだ…

 この葉敬は、不思議なことに、私と葉尊が、結婚して以来、一貫して、私の味方になってくれる…

 終始、一貫して、味方になってくれる…

 それは、それで、嬉しいのだが、どうして、こんなにも、熱心に、私の味方になってくれるのか、謎だった…

 不思議で、仕方がなかった…

 だから、葉敬に励まされれば、励まされるほど、私は、落ち込んだというか…

 素直に、葉敬の励ましを、受けることが、できんかった…

               
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