第66話

文字数 5,344文字

 …リンダ…

 …リンダ・ヘイワース?…

 …まさか?…

 …まさに、まさか? だ…

 私は、急いで、隣のヤンを見た…

 ヤン=リンダを見た…

 リンダ…リンダ・ヘイワースは、隣にいるはずだ…

 私の隣にいるのは、本物のリンダ・ヘイワースであるはずだ…

 まさか、偽者というわけでは、あるまい…

 私が、そんなことを、考えて、隣のヤン=リンダを見た…

 すると、あろうことか、ヤン=リンダは、うっすらと、笑っていた…

 笑っていたのだ…

 これは、一体どういうことだ?

 私が、考えていると、

 「…ママ…」

 と、小さくマリアが、呟いた…

 すると、すぐに、

 「…マリア…」

 と、ヤン=リンダが、声をかけた…

 マリアが、ヤンを振り向いた…

 そして、無言で、首を横に振った…

 それだけで、マリアは、すべてを察した…

 マリアが、バニラの子供で、あることは、秘密…

 売れっ子のモデルである、バニラ・ルインスキーに、子供がいると、世間にバレては、困る…

 困るのだ…

 23歳のバニラ・ルインスキーに、3歳の子供がいると、世間にバレては、困る…

 それでは、バニラの人気が、急落するかも、しれないからだ…

 そして、そんな内情を、マリアは、子供ながら、わかっている…

 だから、公の場で、バニラの名前を呼ぶことは、ない…

 要するに、今、眼前に現れた、リンダ・ヘイワースは、偽者…

 バニラが、リンダに化けた偽者だ…

 思えば、バニラが、リンダに化けたことは、これまでも、何度か、あった…

 私は、今、それを思い出した…

 思い出したのだ…

 そして、その事実に、気付いた人間が、もう一人いた…

 他ならぬ、ファラドだった…

 ヤン=リンダと、いきなり現れた、リンダ・ヘイワースと、交互に見て、

 「…なるほど…」

 と、ファラドは、呟いた…

 「…そういうことですか?…」

 が、

 リンダ=ヤンは、

 「…」

 と、黙ったままだった…

 「…面白い…実に面白い…」

 ファラドが、続けた…

 すると、リンダ=ヤンが、いきなり、

 「…ファラド…」

 と、声をかけた…

 「…なんですか?…」

 「…リンダ・ヘイワースのハリウッドのエージェントに、日本の化粧品のCMに出るように、圧力をかけたのは、ファラド、アナタなの? …それとも、オスマン?…」

 「…もちろん、オスマン殿下です…」

 「…」

 「…ただし、実際に動いたのは、このボクです…」

 「…」

 「…オスマン殿下は、今、日本にいる…だから、この日本で、リンダ・ヘイワースに会いたかった…それに、サウジでは、どうしても、目立つ…話題になる…それを避けたかった…」

 「…そう…」

 「…そして、それに手を貸してくれたのが、あのお嬢様…」

 「…なんだと?…」

 私は、思わず、口を挟んだ…

 「…あのお嬢様が、一体、どうしたと言うんだ?…」

 「…あのお嬢様は、自分の経営する店で、ハラールの食品を扱いたかった…それで、さまざまな、イスラム教徒の国々の人間たちと、会った…情報を得るために…ハラールについて、知るためにです…」

 「…」

 「…そして、その過程で、リンダ・ヘイワースの話題が出た…」

 「…リンダの話題だと? …どうしてだ?…」

 「…お姉さん…仕事の話でも、なんでも、雑談は、あります…だから、ボクと、あの矢口のお嬢様が、ハラールについて、あれこれ、話していると、いつのまにか、好きなタイプの女性の話になって、それで、リンダ・ヘイワースの話になって…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 たしかに、好きな女のタイプの話になって、リンダの名前が出るのは、わかる…

 なんといっても、ハリウッドのセックス・シンボルだ…

 世界中に知られた美女だ…

 そういわれれば、確かに、私も、納得する…

 納得するのだ…

 だから、

 「…ファラド…オマエも男だな…安心したゾ…」

 と、言ってやった…

 少しは、ファラドにも、良いところがあると、認めてやったのだ…

 私は、てっきり、ファラドは、ただのゲイだと思っていた…

 だから、この矢田トモコの評価も、低かったのだ…

 すると、

 「…いえ、ボクは、リンダ・ヘイワースのファンでも、なんでも、ありません…」

 と、ファラドが、否定した…

 「…なんだと?…どういうことだ?…」

 私は、慌てて、近くにいるヤンの顔を見た…

 ヤン=リンダの顔を見た…

 が、

 ヤン=リンダの顔は、まったくの無表情…

 表情が、なかった…

 なかったのだ…

 「…リンダのファンは、今も言ったように、オスマン殿下です…ボクでは、ありません…」

 「…」

 「…それで、どうすれば、この日本で、オスマン殿下が、リンダさんと、会えるかという話になったんです…そしたら…」

 「…そしたら…なんだ?…」

 「…あの矢口さんが、知り合いの女が、リンダ・ヘイワースと仲がいいと、言い出して…」

 「…なんだと? …お嬢様が…」

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 が、

 少し考えてみれば、その謎が解けた…

 どうして、お嬢様が、そう言ったのか、謎が解けた…

 金田一ではないが、謎が解けた…

 なぜなら、私は、リンダと初めて会ったときに、リンダ・ヘイワースと、テレビの前で、勝負をした…

 だから、その勝負は、日本中で、放映された…

 私とリンダは、書道の勝負をした…

 私は、書道二段…

 その書道の腕で、リンダに勝とうとしたのだ…

 そして、それを、きっかけに、リンダと仲良くなった…

 きっと、その情報を、あの抜け目ないお嬢様は、どこかで、掴んだのだろう…

 いや、

 ただ単純に、お嬢様も、テレビで、見ただけなのかもしれない(笑)…

 いずれにしろ、私が、リンダと仲良くなったのは、つい最近だ…

 35歳になってからだ…

 が、

 あのお嬢様と、この矢田トモコが、知り会ったのは、29歳のとき…

 この矢田トモコ、29歳のとき…

 もうすぐ30歳になる手前の時期だった…

 同時に、二度と思い出したくない出来事だった(涙)…

 が、

 忘れることは、できんかった…

 なぜなら、あのお嬢様は、私そっくり…

 この矢田トモコとそっくりなのだ…

 だから、毎朝、鏡を見るたびに、思い出す…

 正直、二度と思い出したくない、私にとっての黒歴史だったが、なにしろ、同じ顔だ…

 そんなに似た顔の持ち主と会うことは、人生で、二度とないだろう…

 だから、忘れることはできん…

 できんかったのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、リンダ=ヤンが、

 「…そうだったの?…」
 
と、言った…

 「…ハイ…」

 と、ファラドが、答えた…
 
 「…で、その話、どこまでが、本当なの?…」

 ヤン=リンダが、聞いた…

 私は、思わず、ファラドの顔を見た…

 見たのだ…

 すると、あろうことか、ファラドの表情が、凍りついていた…

 明らかに、引きつっていた…

 「…どこまで、本当かって? …一体、なにを根拠に…そんなこと?…」

 「…ファラド…アナタ…私が、アナタのことを、なにも知らないと、思っているの?…」

 「…なにも、知らない? 一体、どうして、そんなことを?…」

 「…リンダ・ヘイワースのファンは、世界中にいる…とりわけ、セレブの間では、イギリス王室のウィリアム王子を筆頭にね…」

 「…」

 「…それが、どういうことだか、わかる?…」

 「…」

 「…そして、それは、当然、イスラム世界にも、及ぶ…アラブにも、そして、サウジにも…」

 リンダ=ヤンが、脅すように、言った…

 明らかに、ファラドの表情が、固まった…

 緊張で、固まった…

 私は、固唾を飲んで、ファラドを見守った…

 一体、ファラドが、なにを言うのか、知りたかった…

 が、

 そのときに、

 「…ワーッ…」

 と、周囲から、歓声が上がった…

 私は、何事かと、声のする方を見た…

 すると、そこには、なんと、深紅のドレスを着た、リンダ・ヘイワースが、オスマンを抱き上げて、オスマンの頬にキスをしたのだ…

 …だからか?…

 私は、なぜ、歓声が上がったのか、わかった…

 オスマンは、顔を真っ赤に上気して、感激していた…

 私は、それを見て、内心、複雑だった…

 なぜかといえば、オスマンにキスをした相手は、本物のリンダ・ヘイワースではないからだ…

 オスマンが喜ぶのは、いいが、それを、思うと、オスマンが、ちょっぴり、可哀そうになった…

 どうせなら、本物のリンダに、キスをさせてやりたいと思ったのだ…

 なにしろ、本物のリンダ・ヘイワースが、目と鼻の先にいるのだ…

 私が、そう考えるのは、至極当然だった…

 が、

 それを見たファラドが、

 「…あのとっつぁん坊や…」

 と、呟いた…

 …とっつぁん坊や?…

 珍しく、その言葉を聞いた…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 「…いい歳をして…」

 「…あら、だったら、本当は、オスマンは、いくつなの?…」

 「…30歳…」

 「…エッ?…」

 「…ビックリでしょ?…」

 ファラドが、笑った…

 が、

 その笑いは、ぎこちなかった…

 明らかに、その前にリンダ=ヤンに、言われた、

 「…で、その話、どこまでが、本当なの?…」

 という言葉が、心に引っかかっていると、思った…

 一体、この後、リンダ=ヤンが、どう出るか?

 なにを言い出すのか、不安だったのだろう…

 私は、そう思った…

 「…ファラド…アナタ…ウソは、いけない…」

 突然、リンダ=ヤンが、言った…

 「…ウソ? …なにが、ウソなんですか?…」

 ファラドが、ぎこちない表情で、聞いた…

 「…アナタとオスマンの関係…」

 「…ボクと、オスマン殿下の関係ですか?…それが、どうかしましたか?…」

 「…ひょっとしてだけど、アナタとオスマンは、兄弟じゃないの?…」

 「…兄弟…どうして、ボクが、あのとっつぁん坊やと…」

 「…そう…その言い方…自分が、仕えている、殿下に、普通、そんな言い方はできないはず…」

 「…」

 「…そして、そんな言い方をするのは、よっぽど親しい間柄だけ…違う?…」

 「…」

 「…そして、普通、そんなに親しい間柄というのは、親子や兄弟…血の繋がった関係か、よっぽど、仲のいい友人だけ…」

 「…」

 「…そして、ファラド…アナタは、オスマン殿下の庇護を受けたと言ったそうね…つまり、オスマンの権威の下に、守られてる…それを、考えれば、血の繋がった兄弟の可能性が高い…」

 「…兄弟だと? …ホントか?…」

 思わず、私は、口を挟んだ…

 挟まずには、いられなかった…

 「…お姉さん…サウジの王族を、日本の基準に当てはめては、ダメ…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…サウジは、一夫多妻…複数の妻を持つことが、認められてる…」

 「…なんだと?…」

 「…だから、兄弟姉妹は、多い…まあ、一夫多妻が、認められているといっても、実際は、一部の王族やお金持ちだけだというけれども…法律では、男は、4人まで、妻を持つことができると言われている…でも、王族は、違う…」

 「…違う?…」

 「…そう…だから、数も多い…王族は、何千人もいると、言われている…」

 「…何千人だと?…」

 「…だから、敵の多いファラドが、兄弟で、地位の高いオスマンを頼るのは、当然…当たり前…」

 リンダが、笑った…

 リンダ=ヤンが、笑ったのだ…

 ファラドの顔は、引きつったままだった…

 私は、ファラドが、この後、どう言うのか、興味津々だった…

 「…さすがは、リンダ・ヘイワースといったところか…」

 ファラドが、口を開いた…

 「…いや、リンダ・ヘイワースの持っている情報網というところか…」

 ファラドが、苦笑する…

 「…世界中に張り巡らされた、リンダ・ヘイワースのファンの情報網…とりわけ、セレブの間に張り巡らされた情報網は、誰も太刀打ちできない…下手をすれば、CIAでも、勝てないかもしれない…セレブの間の情報網は、貴重だ…」

 「…」

 「…オスマンは、国王のお気に入り…秘蔵っ子だ…」

 「…秘蔵っ子だと?…どうしてだ?…」

 「…きっと、ハンデを持って生まれたからよ…」

 リンダ=ヤンが、言った…

 「…ハンデだと?…」

 「…小人症(こびとしょう)で、大人になれない…そんなハンデを持って、生まれた子供を親は溺愛する…そのハンデが、深ければ、深いほど、溺愛する…きっと、オスマンが、日本にやって来たのも、それが、原因でしょ?…」

 が、

 ファラドは、リンダ=ヤンの質問に、

 「…」

 と、答えなかった…

 だから、私が、ファラドの代わりに、

 「…原因って、なんだ?…」

 と、ヤン=リンダに聞いた…

 「…サウジにいれば、例えば、普通の保育園に身分を隠して、入れても、いずれは、バレる…ひとの口に、戸は立てられない…」

 「…」

 「…だから、いっそ、国外に出した方がいいと思ったんじゃないの? …おそらく、サウジにいれば、小人症(こびとしょう)だと、知れれば、好奇の目で、見られる…そして、それは、本人が、一番傷付く…それを恐れたんじゃないかしら…」

 ヤン=リンダが、説明した…

 私は、それを聞いて、思った…

 たしかに、ヤンーリンダの言うことは、わかる…

 説得力がある…

 が、

 なぜか、しっくりしない…

 本当に、それだけかと、思うのだ…

 すると、

 ファラドが、笑った…

 笑ったのだ…

               
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