第45話

文字数 6,430文字

 …ファラドが来る…

 まもなく、やって来る…

 私の大きな胸がときめいた…

 ときめいたのだ…

 実は、この矢田は、恋多き女だった(笑)…

 要するに、キスもセックスも、なにもなくても、男に惚れることが多いのだ…

 憧れることが、多いのだ…

 男=イケメンに憧れることが、多いのだった…

 だから、ネットで、近日中に、サウジアラビアのファラド王子が、来日すると、知って、私は、飛び上がらんばかりだった…

 ファラド=イケメンに会えるからだ…

 私は、そんな喜びの反面、実は、不安だった…

 あの矢口のお嬢様が、ファラドが、クールの買収を狙っていると、伝えたからだ…

 だから、家で、葉尊と食事をしながら、葉尊に、聞いた…

 「…いよいよだな…」

 私は、言った…

 「…いよいよ、ファラドが、日本にやって来る…」

 私の言葉に、

 「…ハイ…」

 と、葉尊は、頷いた…

 「…準備は、できています…」

 葉尊が、言った…

 心なしか、葉尊の顔は、いつもよりも、強そうだった…

 「…食うか、食われるかです…お姉さん…」

 葉尊が告げた…

 私は、驚いた…

 なにに、驚いたかといえば、葉尊の顔に、だ…

 葉尊のそんな男らしい顔は、結婚して以来、一度も見たことが、なかったからだ…

 「…葉尊…オマエも男だな…」

 私は、言った…

 言いながら、ふと、葉問を思った…

 葉尊の、もう一つの人格である、葉問を思った…

 葉問は、何度も言うように、葉尊の一卵性双生児の弟…

 幼いときに、葉尊の不注意により、事故で、死んだ…

 それが、トラウマになった葉尊は、いつのまにか、無意識の間に、自分の中に葉問を作り出した…

 つまり、自分の肉体を使って、葉問を復活させたのだ…

 そして、その葉問は、やんちゃというか、おとなしく、真面目な葉尊に比べて、暴力的だった…

 いわゆる、ヤンキーの要素が入っていた…

 だから、その葉問を思うと、この葉尊にも、元々、ヤンキーの血が混じっていても、おかしくはない…

 そう思ったのだ…

 以前に比べて、男らしくなった葉尊を見て、私は、そう思った…

 「…お姉さん…ボクも男です…」

 葉尊が言った…

 「…やるときは、やります…」

 葉尊が、断言した…

 が、

 その後の言葉に、驚いた…

 「…お姉さんを守ります…」

 …私を守る?…

 …一体、なぜ、そんな話になるんだ?…

 私は、疑問だった…

 だから、

 「…どうして、いきなり、私を守る話になるんだ?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 「…実は、あの後、ファラドに対することを、色々、調べました…」

 「…調べた?…」

 「…ハイ…」

 「…それで、なにがわかった?…」

 「…矢口さんの情報で、一番引っかかったのは、ファラド王子が、マザコンだということです…」

 「…」

 「…ですから、亡くなったファラド王子の母親が、どんな女性か、気になりました…」

 「…母親? …どうして、母親なんだ?…」

 「…ファラド王子の弱点というか…それほど、母親に思い入れがあるならば、一体、どんな女性だったのか、興味があったのです…」

 「…それで?…」

 「…ボクも、色々調べましたが、正直に言って、これという情報は掴めませんでした…」

 「…」

 「…なぜなら、サウジは、明白に、男女の差別が存在します…いわゆる、男尊女卑…だから、女である、ファラドの母親が、どんな女性だったのか、公には、明らかにされませんでした…」

 「…」

 「…ですが、噂というか…」

 「…どんな噂だ…」

 「…なにか、おおらかな女性だったらしいです…」

 「…おおらか?…」

 「…ハイ…身長もあまり高くなく、正直、美人でもない…ただ…」

 「…ただ、なんだ?…」

 「…ひとを魅了する女性だったそう…」

 「…ひとを魅了する?…」

 「…なにか、いっしょにいて、楽しい…そんな女性だったそうです…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 言いながら、それが、どうして、

 …私を守る…

 ことに、繋がるのか、疑問だった…

 そんなファラドの母親の特徴と、私となんの関係があるというのか?…

 だから、

 「…葉尊…そのファラドの母親と、私となんの関係があるんだ?…」

 と、聞いた…

 すると、

 「…似ているんです…」

 と、葉尊が答えた…

 「…似ている? なにが?…」

 「…お姉さんとです…」

 「…私と?…」

 「…ハイ…バカも休み休み言え…そんなことあるか?…」

 私は、笑い飛ばした…

 今、聞いた、情報では、美人ではなく、おおらかで、いっしょにいて、楽しい女性の三点だけだ…

 仮に、そんな三点が、私と当てはまっても、この世の中、そんな特徴が当てはまる女性は、ごまんといる…

 それより、なにより、ルックスだ…

 写真だ…

 そのファラドの母親の顔が、仮に私と瓜二つならば、今の葉尊の話も説得力があるが、写真がない以上、説得力が、乏しい…

 仮に、中身=性格が、似ていても、ルックスが、まるで、違えば、どうしても、同じには、見えないからだ…

 「…葉尊…オマエは、考え過ぎだ…」

 私は、言った…

 「…考え過ぎ? …そうでしょうか?…」

 「…そうさ…葉尊…オマエの言うことは、わかる…」

 「…わかる?…」

 「…そうさ…わかる…だが、おおざっぱな特徴が、同じでも、外見が、まるで、違えば、誰も同じに見ないさ…まして、私は、日本人…そのファラドの母親は、サウジの女性だろ?…」

 「…」

 「…まるで、違うさ…それは、ちょうど、私と、リンダや、バニラと比べるようなものさ…」

 言いながら、ふと、リンダを思い出した…

 あのとき、リンダは、矢口のお嬢様との会談で、矢口のお嬢様の会社である、激安スーパー、スーパージャパンで、扱う、化粧品のCMに出るか、否か、悩んでいた…

 …一体、あの話は、どうなったのだろ?…

 私は、今さらながら、気付いた…

 「…そういえば、葉尊…」

 「…なんですか?…」

 「…リンダのことだが、矢口のお嬢様の店で扱う化粧品のCMに出るとか、出ないとか、言っていたが、あの話は、どうなったんだ?…」

 「…詳しくは知りませんが、なくなっては、いないようです…」

 「…なくなってはいない? …どういうことだ?…」

 「…リンダに乗り気がないことと、ギャラや撮影の日数など、その他諸々の件で、話が前に進まないと聞いています…」

 「…そうか…」

 「…なんといっても、リンダは、ハリウッドのセックス・シンボルです…自分のイメージがあります…安売りはできません…だから、難しいんです…」

 「…そうか…そうだな…」

 私は言った…

 言いながら、ふと、思った…

 この葉尊が、リンダをどう思っているのか、知りたくなったのだ…

 「…なあ、葉尊…」

 「…なんですか? …お姉さん?…」

 「…オマエ…リンダをどう思う?…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…あれほどの美人だ…変な気持ちにならないか?…」

 「…変な気持ちというと?…」

 「…バカ…葉尊…私に、そこまで、言わせるな!…」

 私が言うと、葉尊がちょっと困った顔になった…

 それから、しばらく悩んでいたが、

 「…お姉さんの心配はわかります…」

 と、答えた…

 「…でも、心配は、無用です…」

 「…どうしてだ?…」

 「…ボクとリンダ、いや、ヤンは、親友です…でも、それは、互いに心の病を抱えているからです…」

 「…」

 「…真逆にいえば、だから、親友でいられる…それに、普段は、リンダが、ヤンの格好でいるときは、一切、リンダ・ヘイワースでいるときの色っぽさはありません…」

 「…」

 「…リンダ=ヤンは、カラダは女ですが、中身は、男…そんなリンダに、もし、ボクが、女を感じて、リンダを口説こうとすれば、リンダは、真っ先に逃げます…」

 「…逃げる? …どうしてだ?…」

 「…考えて見てください…お姉さん…」

 「…なにを考えるんだ?…」

 「…リンダは、カラダが、女なのに、心が男であることを悩んでいる…それなのに、ボクが、リンダを女として見ていれば、すぐにリンダは気付きます…」

 「…」

 「…リンダはたしかに美人です…が、それは置いといて、ボクは、リンダを普段は、男として見ています…ヤンとして、見ています…リンダ=ヤンも、それがわかっているから、ボクを信頼していると思います…」

 「…」

 「…ヤンとよく話しますが、リンダ・ヘイワースでいるときは、苦痛で仕方がないそうです…」

 「…どうして、苦痛なんだ?…」

 「…リンダでいることは、パーティーに派手なドレスで着飾って、行くようなものだと、いつも、ヤンは、言っています…」

 「…」

 「…つまり、派手に着飾って、パーティーで、注目される…そうすると、今度は、男に口説かれる…しかも、それが、ひっきりなしです…誰だって、うんざりでしょ?…」

 「…」

 「…それが、嫌だから、普段は、男装して、ヤンとして、過ごす…最初は、そんな軽い気持ちだったと言います…ですが、そのうちに、自分が、女ではなく、男としていることに、いいようのない楽な気持ちを感じたそうです…そして、いつしか、自分が、カラダは女でも、心は、男と思うようになったと…」

 「…」

 「…そんなヤンだから、ボクが抱えた心の悩みを打ち明けることができた…ボクは、そんなヤンの気持ちを裏切ることはできない…」

 葉尊が言った…

 …ヤンの気持ちを裏切ることはできない…

 が、

 その言葉を裏返しにすれば、葉尊は、リンダに気があるということだ…

 裏切ることはできない=リンダに言い寄れば、リンダの気持ちを裏切ることになる…

 そういうことだ…

 私は、正直、頭にきたが、同時に、葉尊は正直な人間だと思った…

 それゆえ、安心した…

 「…葉尊…オマエは信頼できる…」

 「…信頼できる?」

 「…そうだ…リンダを見て、男たるもの、どうこうしたいと妄想するのが、普通さ…それが、ボクは、リンダに女を感じませんと言ったら、ウソさ…そして、私は、そんな人間は、信用できないさ…」

 「…信用できない?…」

 「…そうさ…誰が見ても、わかるウソをつく人間を、葉尊…オマエは信用できるか?…」

 「…できません…」

 「…つまり、そういうことさ…」

 私は、言った…

 「…リンダは、美人だから、近くにいれば、女を感じて、当り前さ…ただ、リンダが、嫌がっているのに、どうこうしようというのは、男じゃないさ…人間じゃないさ…」

 「…」

 「…他人に寄り添うことが、できない人間は、また、他人から、力を借りることが、できないものさ…」

 私は、言った…

 言いながら、自分でも、随分、いいことを、言ったと、思った…

 だから、葉尊が、

 「…さすが、お姉さんです…」

 とか、なんとか、言うと、思った…

 が、

 なにも、言わんかった…

 だから、がっかりした…

 我ながら、拍子抜けした…

 そして、気付いた…

 夫の葉尊の様子が、いつもと、違うことに、だ…

 あらためて、いつもと違うことに、気付いたのだ…

 だから、私は、

 「…どうした? …葉尊?…」

 と、言った…

 「…大丈夫か?…」

 すると、

 「…大丈夫じゃないですよ…」

 と、葉尊が、答えた…

 いや、

 葉尊ではない、葉問が答えたのだ…

 「…オマエは、葉問…」

 私は、仰天した…

 「…どうして、入れ替わった?…」

 「…葉尊は、今、プレッシャーに圧し潰されそうなんです…」

 葉問が、言った…

 「…プレッシャーに圧し潰されそう? …どういうことだ?…」

 「…お姉さんを失うかもしれないプレッシャーです…」

 「…私を失う? …バカな?…」

 「…そのバカなです…葉尊は、もしや、ファラドの狙いが、お姉さんにあるのでは?と、疑っているんです…」

 「…私に?…」

 「…そうです…さっき、葉尊が、言ったように、ファラドの亡くなった母親は、お姉さんと、特徴が似ているんです…だから、もしかしたら、ファラドが、お姉さんを手に入れようと狙ってくるかもと、悩んでいるんです…」

 「…バカな、考え過ぎだ…葉問…」

 「…ですが、現に葉尊は、それで、今、悩んでます…」

 葉問の言葉に、私は、仰天したというか…

 正直、バカバカしくなった…

 リンダや、バニラをファラドが狙っているのなら、わかる…

 二人とも、おおげさに言わずとも、絶世の美女だ…

 この矢田もそれを認める…

 しかし、

 しかし、だ…

 この矢田トモコを狙うことは、ありえん…

 自分で言うのも、なんだが、私に他人様よりも、優れたものは、ない…

 取り柄は、なにもないからだ…

 「…葉問…オマエもどうかしているゾ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…ファラドが狙うとしたら、リンダやバニラだ…あの二人が、ファラドの毒牙にかからないように、葉問も、気をつけておけ…」

 「…いえ、ファラドが狙うのは、お姉さんです…」

 「…バカな?…」

 「…いえ、バカなじゃありません…日本のことわざに、美人は、三日で、飽きるという言葉があります…リンダも、バニラも、たいそうな美人ですが、三日もいっしょにいれば、飽きるというと彼女たちに失礼ですが、なんとも感じなくなります…」

 「…」

 「…ですが、お姉さんは、違います…」

 「…違う? …どう違うんだ?…」

 「…お姉さんといっしょにいると、楽しいのです…」

 「…楽しい?…」

 「…ハイ…これは、以前も言いましたが、それは、誰もが、できない、お姉さんだから、できることです…」

 「…私だから、できること?…」

 「…ファラドの亡くなった母親と、お姉さんは、姿形は、違うかもしれませんが、おおざっぱな特徴が似ています…だから、ファラドが、お姉さんの中に、亡くなった母親を見たとしたら?…それを葉尊は、恐れているのです…」

 「…」

 「…お姉さんは、自分の力がよくわかっていません…」

 「…私の力?…」

 「…これも、以前も言いましたが、リンダにしろ、バニラにしろ、世界中に知られた、女優であり、モデルです…日本にいる時間も短いです…でも、その短い時間をお姉さんと過ごす…なぜだか、わかりますか?…」

 「…わからんさ…」

 「…それは、楽しいからです…」

 「…楽しい?…」

 「…男も女もいっしょにいて、いつも楽しい人間は、決して、多くはありません…リンダもバニラも、日本に入るときは、仕事が、オフのときで、それは、貴重です…そして、その貴重な時間をお姉さんと過ごすのです…」

 「…考え過ぎだ…葉問…」

 「…考え過ぎ?…」

 「…そうだ…オマエも葉尊も、考え過ぎだ…」

 「…」

 「…だから、そんな話になる…」

 「…」

 「…物事は、もっとシンプルで、単純なものだ…」

 「…単純なもの? …それは、どういう意味ですか?…」

 「…例えば、リンダやバニラだ…あの二人は、美人だ…美しい…ファラドが、あの二人を見れば、自分のモノにしたいと思っても、おかしくはない…」

 「…それは、単純過ぎます…」

 「…なんだと?…」

 「…お姉さんが、なぜ、葉尊に選ばれたか、考えることです…」

 「…」

 「…失礼ながら、ルックスでは、葉尊は、お姉さんを選ばない…中身で、お姉さんを選んだんです…」

 「…中身?…」

 「…お姉さんには、不思議な力があります…周囲を明るくし、誰からも好かれる…そんな力を持つ人間は、滅多にいません…」

 「…」

 「…だから、葉尊は、お姉さんをファラドに盗られるかもと、恐れるのです…」

 葉問が、言った…

 正直、わけのわからん話だった…

 いや、

 話の中身は、わかるのだが、私のルックスを見る限り、それはなかった…

 残念ながら、なかった(涙)…

 なにせ、競争相手は、あのリンダとバニラだ…

 この矢田トモコは、決してブスではないが、美人には、ほど遠い…

 クルマで、いえば、日本の軽自動車と、外国のフェラーリとランボルギーニを比べるようなものだからだ…

 だから、ありえん話に、頭を悩ます暇はなかった…

                
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