第34話
文字数 6,255文字
「…で、どこだ?…」
「…エッ?…」
「…どこで、あのお嬢様と会うんだ?…」
私は、聞いた…
きっと、帝国ホテルとか、有名料理店に、違いないと、思った…
天下の美女…
ハリウッドのセックス・シンボルのリンダ・ヘイワースを接待する場所だ…
一流でなければ、ならん…
最上級で、なければ、ならんのだ…
が、
リンダの口から、出た場所は、意外な場所だった…
「…クール…」
と、リンダが、言った…
「…クールだと?…」
私は、驚いた…
クールと言えば、夫の葉尊が社長を務める会社…
いや、
そうではない…
どうして、たった今、リンダの口から、クールという言葉が、出たのかが、問題なのだ…
だから、
「…どうしてだ? …どうして、クールなんだ?…」
と、私は、リンダに訊いた…
聞かずには、いられなかった…
が、
リンダの返答は、
「…だから、そのお嬢様は、やり手なのよ…」
と、いうものだった…
「…どういう意味だ?…」
「…そのお嬢様は、このリンダ・ヘイワースの背後関係も、あらかじめ、きっちり調べ上げてるに決まっている…」
「…どうして、そんなことが、わかるんだ?…」
「…クールを会見の場に指定したこと…私が、台湾の台北筆頭のCEОの葉敬に世話になっていることを、あらかじめ、調べ上げて、そう指定したの…」
「…」
「…もちろん、私に連絡する前に、あらかじめ、葉敬にも、葉尊にも、了解を取ったに違いないわ…」
…そ、そんな?…
…あの、お嬢様が、そんなやり手だったなんて、想像もできんかった…
…マズい…
…やはり、あのお嬢様に会うのは、マズい…
…なにをされるのか、わからん…
…なにをされるのか、想像もできん…
思わず、恐怖で、カラダがガタガタと、震え出した…
なにより、私の大きな胸が、不安で、ブルブル震えた…
この矢田トモコの最大の自慢である、巨乳が、不安で、震えたのだ…
「…やり手ね…実にやり手…」
リンダが、繰り返した…
「…このリンダ・ヘイワースの背後関係もきっちり調べ上げてる…」
「…」
「…なにより、このリンダ・ヘイワースが、その化粧品のCMを受けても、いいか、どうかを、事前に、葉敬に、問い合わせている…」
「…なに? …お父さんに?…」
「…そう…このリンダ・ヘイワースが、唯一、頭が上がらない葉敬に、先に聞いている…葉敬が、私に、そんな仕事は受けるなと、言えば、私が、その仕事を受けないことを、知っている…」
「…」
「…まさに、とんでもないやり手ね…」
リンダが、笑った…
笑ったのだ…
だが、
その笑いは、実に、意味深というか…
どこか、戦闘的というか…
挑発的というか…
ずばり、好戦的だった…
「…で、お父さんは、なんて、言ったんだ?…」
私は、勢い込んで、聞いた…
が、
リンダの返答は、
「…別に…」
という、そっけないものだった…
まるで、沢尻エリカのようだった…
「…別にって、どういうことだ?…」
「…別に、葉敬からは、連絡はなかったわ…」
「…」
「…だから、きっと、私の好きにしていいってことだと思う…」
「…でも、もしかして、お嬢様が、ウソを言っていたとしたら? …リンダ、オマエを騙していたとしたら、どうだ?…」
「…私を騙す? …そのお嬢様は、そんなバカじゃないでしょ?…」
「…どうして、そんなことがわかる?…」
「…仮に、そのお嬢様が言ったことは、ウソだとする…つまり、葉敬に連絡を取っていないとする…だとすれば、いずれ、そのウソはバレる…そして、すぐに、その人間は、常にウソを言う人間だと、周りに、見られる…評価される…そのお嬢様は、それが、わかっているでしょう…だから、ウソはつかない…」
「…」
「…なにより、今日、これから、クールで、そのお嬢様と会うのだから、事前に、葉敬にも、葉尊にも、連絡を取っているに違いないわ…だから、ウソを言うはずもない…」
リンダが、理路整然と説明する…
私は、驚いた…
なにに、驚いたかと言えば、このリンダ・ヘイワースが、ただの色気を売る女ではなかったことに、驚いたのだ…
挑発的で、煽情的な、ビキニや下着を着て、世界中の男を誘惑するだけの女だと思っていたが、色気のほかに、頭脳まであるとは、思わんかった…
これまでは、ただの色気を売りにする女と、ばかり思っていた…
まさか、これほどとは…
油断できん…
油断すれば、もしや、葉尊の妻という、今の私の立場を、このリンダに取られるかも、しれん…
奪われるかも、しれん…
私は、下手な小細工や、後ろ暗い工作は、しない女だ…
いつも、正々堂々、真っ向勝負…
ま、それが、信条だが、ときには、それを曲げることもある(笑)…
投げ捨てることもある(笑)…
ことによっては、あの矢口のお嬢様と、共闘して、このリンダを追い落とす必要が、あるかもしれん…
このまま、油断していては、このリンダに寝首を掻かれ、葉尊の妻という立場から、一転して、元のフリーターといえば、聞こえは、いいが、元のプータローに転落するかもしれん…
そうなれば、元の木阿弥(もくあみ)…
そんな危機が、私の身に迫っているかもしれん…
私は、固く、そのことに、肝に銘じた…
肝に銘じたのだ…
結局、私は、その日、それから、クールの本社ビルに向かった…
クールの本社ビルに、向かうのは、最近では、やはり、夫の葉尊に呼ばれて、クールの本社ビルに、行ったとき以来だ…
やはり、あのときも、原因は、あの矢口のお嬢様だった…
あのお嬢様が、私を知っていると、夫の葉尊に告げるから、葉尊は、私に気を利かせて、お嬢様との旧交を温めるべく、私をクールの本社ビルに呼び出したのだ…
あれ以来だ…
つくづく、私は、あのお嬢様に振り回されている…
今さらながら、思った…
どこか、別の世界に行きたい…
ふと、思った…
あのお嬢様のいない世界に行きたい…
ふと、思った…
この世の中に、同じ人間は、二人といらない…
同じ人間が、もう一人いるのは、邪魔だ…
目障りだ…
私は、思った…
排除するに限る…
それを、思えば、遠からず、あのお嬢様と、雌雄を決するときが、来るかもしれん…
この矢田トモコと、矢口トモコ…
名前もよく似ている…
一字違いだ…
が、
この世の中に、同じ人間は、二人と、いらん…
いらんのだ!…
私は、そんなことを、考えながら、またもクールの本社ビルにやって来た…
しかも、徒歩で、だ…
普通、クールの社長夫人ならば、会社の送迎車で、やって来るのが、当たり前だ…
黒塗りの高級車で、やって来るのが、当然だ…
まして、クールは、オーナー企業…
サラリーマン社長ではない…
オーナー社長だ…
私は、その社長夫人だ…
社長の葉尊の愛人でも、なんでもない…
れっきとした、妻だ…
その妻が、徒歩で、クールの本社ビルにやって来たことに、珍しく、不満を持っていた…
なぜだかは、わからない…
私としても、珍しい感情だった…
普通は、こんなこと、思ったこともなかった…
が、
少しして、私が、どうして、そんな感情を抱いたのか、わかった…
原因は、お嬢様だった…
あの矢口のお嬢様だった…
あの、私そっくりの矢口のお嬢様だった…
あの、お嬢様は、前回、このクールの本社前で、会ったときに、白いロールスロイスから、降りてきた…
それを、思い出したのだ…
片や、私は、そのときも、今と同じ徒歩…
徒歩だった(涙)…
私は、別段、普段から、見栄を張るタイプでも、なんでもない…
だから、本当は、そんなことは、まったく、気にならないタイプだった…
が、
しかし、だ…
今、あの矢口のお嬢様のことを、思うと、そんな純真無垢で、まっさらな心の持ち主の私でも、なぜか、あのお嬢様に対抗心を燃やした…
負けてたまるか!
そんな対抗心が、メラメラと、私の中で、芽生えた…
と、
そんなときだった…
私が、クールの本社ビルの前に辿り着いたとき、またも、真っ白なロールスロイスが、私の目の前に止まった…
…矢口のお嬢様に違いない!…
私は、とっさに、身構えた…
そして、同時に、お嬢様だったら、どういう対応をするか、考えた…
が、
思い浮かばなかった(涙)…
誰もが、そうだが、とっさに、どういう行動を取れば、いいか、わかる人間は少ない…
そういうことだ…
真っ白なロールスロイスから、ひとが降りた…
が、
その姿は、一見して、あのお嬢様では、なかった…
矢口トモコでは、なかった…
もっと、背の高い、モデルのような女だった…
真っ白なロールスロイスから、降りてきたのは、リンダ…
リンダ・ヘイワースだった…
まるで、これから、映画の撮影があるかのように、目いっぱい化粧をしていた…
いつもの、おっぱいが見えそうで、それでいて、パンツも見えそうな短いワンピースを着ていた…
まさに、リンダ・ヘイワース…
映画で見るリンダ・ヘイワースそのものだった…
色気の塊だった…
「…あら、お姉さん…」
リンダが、私の存在に気付いた…
私は、リンダの格好に圧倒されながら、自分の姿を省みた…
私は、いつものように、着古した、白いTシャツに、ジーンズ…それに、スニーカー…
まさに、普段着そのものだった…
だから、実に、私とリンダの姿が違い過ぎた…
片や、映画女優のあるべき姿…
片や、フリーターの見本だった(涙)…
圧倒的な差だった…
どうあがいても、埋められない差だった…
私は、それを悟った…
私は、それを意識した…
「…オ、オマエ、その恰好は?…」
私は、リンダの姿に圧倒されながら、聞いた…
「…お姉さん…今日は、リンダ・ヘイワースとして、矢口のお嬢様に会うの…だから…」
と、言って、リンダは、ニヤッと、私に笑いかけた…
圧倒的な色っぽさだった…
思わず、背中が、ゾクッとした…
女の私でも、身震いするほどの色っぽさだった…
やはり、この女、油断ならん…
とっさに、私は、思った…
矢口のお嬢様が目当てと言ったが、本当は、私の夫の葉尊を誘惑するつもりかもしれん…
本当の目的は、葉尊かもしれん…
いや、
葉尊の妻の座が、目的かもしれん…
私を追い出して、葉尊の妻の座を、狙っているのかもしれん…
私は、思った…
が、
そんなことも、見抜けない矢田トモコではない…
甘く見て、もらっては、困る…
舐めて、もらっては、困るのだ…
私は、私の細い目を、さらに細くして、リンダを見た…
ハリウッドのセックス・シンボルを見た…
たしかに、ルックスでは、勝てん!
が、
なにか、別のものなら、勝てるものがあるはずだ…
なにか、別のものなら?…
考えた…
が、
いくら、考えても、さっぱり、思いつかんかった(涙)…
いや、
そもそも、こんな絶世の美人に、勝てるものが、一つでもあれば、短大を出て、就職もせず、フリーターをしているはずもなかった…
なにひとつ、取り柄のない、平凡な女…
平凡、極まりない女…
それが、私だった…
そう考えると、涙が出る寸前だった…
そんな私の様子に、気付いたのだろう…
「…どうしたの…お姉さん?…」
「…なんでもないさ…なんでもないさ…」
私は、いつものように、答えた…
が、
元気がなかった…
「…なんでも、ないわけは、ないでしょ?…」
リンダが、正論を吐いた…
が、
私は、それに、答えることなく、
「…行くゾ…」
と、リンダに言った…
そして、リンダを見ることもなく、黙って、クールの本社ビルに入った…
惨めだった…
実に、惨めだった…
自分と、リンダの差を目の当たりにして、あらためて、その違いに歴然とした…
私は、元気なく、クールの本社ビルの一階のフロントに向かった…
受付で、葉尊に会いに来たと、告げるためだった…
すると、受付の女の子が、
「…お…奥様?…」
と、絶句した…
私は、力なく、
「…どうした?…」
と、聞いた…
「…奥様は、リンダ・ヘイワースを秘書として、連れてるんですか?…」
「…なんだと?…」
私は、その受付の女の子の指摘で、初めて、背後を振り返った…
すると、あろうことか、リンダが、まるで、私の秘書のように、真後ろに、立っていた…
それも、控えめに、だ…
リンダ・ヘイワースの派手な格好をしていたが、その態度は、地味だった…
あくまで、私が、主役で、私に従う従者のようだった…
…なんだ、これは?…
…一体、どうして、リンダが、まるで、私の秘書のような形でいるのか?…
私が、悩んでいると、
「…この奥様は、クールの社長夫人…クールにお世話になっている者として、当然です…」
リンダが、受付の女の子に告げる…
「…お世話?…」
受付の女の子が、リンダに尋ねた…
「…そう…このリンダ・ヘイワースは、クールの製品の宣伝に、いっぱい使ってもらってるでしょ?…」
リンダが説明する…
リンダの説明に、受付の女の子は、目を白黒させたが、すぐに、
「…凄い!…」
と、大きな声を上げた…
「…やはり、クールの社長夫人…凄いです!…」
受付けの女の子が、歓声を上げた…
「…やはり、奥様は、凄い…この渡辺、感激しました…」
…渡辺?…
…どこかで、その名前を聞いたような…
私は、目の前の女の子をジッと見た…
そういえば、前回、このクールの本社ビルにやって来たときも、この女の子が、受付だった…
私は、それを思い出した…
「…オマエは、たしか、以前、私とダンスを踊ったと言った…」
私が呟くと、
「…奥様…私を覚えてくれていたんですか?…」
と、またも、喜びの声を上げた…
「…嬉しい…実に、嬉しいです…」
私の目の前で、渡辺が、喜びを爆発させた…
私は、驚いた…
たがだか、私が、なにげなく言った言葉で、これほど、喜ぶとは、思いもしなかったからだ…
私が、唖然としていると、
「…お姉さんは、力があるの?…」
と、リンダが、そっと呟いた…
「…力?…」
「…そう…葉尊の妻としての力…クール社長夫人という肩書…」
「…」
「…お姉さんが、意識しようとしまいと、その肩書は、ずっと続く…たとえ、葉尊と離婚しようと、クールの社長夫人だったという過去は、残る…」
「…」
「…私が、どこへ行っても、リンダ・ヘイワースであることと、いっしょ…それが嫌だから、普段は、ヤンという男の格好をしている…」
リンダが笑った…
私は、そのリンダの説明を聞きながら、果たして、リンダは、私を励ましているのか?
それとも、私から、葉尊の妻の座を奪おうとしているのか?
どっちなのか、考えた…
悩んだ…
が、
目の前の、受付の渡辺という女の子の嬉しそうな表情を見ると、そんなことは、どうでもよくなった…
私と会えただけで、こんなにも、嬉しがってくれる人間には、これまで、会ったことがなかった…
お目にかかったことが、なかったからだ…
たかだか、私風情の人間に会っただけで、これほど喜んでくれる人間が、この世の中にいるとは、思わなかった…
そう考えると、なんだか、心が癒された…
和んだ…
今まで、私の心を蝕んでいた負の感情が、きれいさっぱり無くなった…
病は気からではないが、心が和むと、なんだか、世界が、充実したというと、大げさだが、これから、会う、矢口のお嬢様と会う上で、最高の精神状態になった…
「…エッ?…」
「…どこで、あのお嬢様と会うんだ?…」
私は、聞いた…
きっと、帝国ホテルとか、有名料理店に、違いないと、思った…
天下の美女…
ハリウッドのセックス・シンボルのリンダ・ヘイワースを接待する場所だ…
一流でなければ、ならん…
最上級で、なければ、ならんのだ…
が、
リンダの口から、出た場所は、意外な場所だった…
「…クール…」
と、リンダが、言った…
「…クールだと?…」
私は、驚いた…
クールと言えば、夫の葉尊が社長を務める会社…
いや、
そうではない…
どうして、たった今、リンダの口から、クールという言葉が、出たのかが、問題なのだ…
だから、
「…どうしてだ? …どうして、クールなんだ?…」
と、私は、リンダに訊いた…
聞かずには、いられなかった…
が、
リンダの返答は、
「…だから、そのお嬢様は、やり手なのよ…」
と、いうものだった…
「…どういう意味だ?…」
「…そのお嬢様は、このリンダ・ヘイワースの背後関係も、あらかじめ、きっちり調べ上げてるに決まっている…」
「…どうして、そんなことが、わかるんだ?…」
「…クールを会見の場に指定したこと…私が、台湾の台北筆頭のCEОの葉敬に世話になっていることを、あらかじめ、調べ上げて、そう指定したの…」
「…」
「…もちろん、私に連絡する前に、あらかじめ、葉敬にも、葉尊にも、了解を取ったに違いないわ…」
…そ、そんな?…
…あの、お嬢様が、そんなやり手だったなんて、想像もできんかった…
…マズい…
…やはり、あのお嬢様に会うのは、マズい…
…なにをされるのか、わからん…
…なにをされるのか、想像もできん…
思わず、恐怖で、カラダがガタガタと、震え出した…
なにより、私の大きな胸が、不安で、ブルブル震えた…
この矢田トモコの最大の自慢である、巨乳が、不安で、震えたのだ…
「…やり手ね…実にやり手…」
リンダが、繰り返した…
「…このリンダ・ヘイワースの背後関係もきっちり調べ上げてる…」
「…」
「…なにより、このリンダ・ヘイワースが、その化粧品のCMを受けても、いいか、どうかを、事前に、葉敬に、問い合わせている…」
「…なに? …お父さんに?…」
「…そう…このリンダ・ヘイワースが、唯一、頭が上がらない葉敬に、先に聞いている…葉敬が、私に、そんな仕事は受けるなと、言えば、私が、その仕事を受けないことを、知っている…」
「…」
「…まさに、とんでもないやり手ね…」
リンダが、笑った…
笑ったのだ…
だが、
その笑いは、実に、意味深というか…
どこか、戦闘的というか…
挑発的というか…
ずばり、好戦的だった…
「…で、お父さんは、なんて、言ったんだ?…」
私は、勢い込んで、聞いた…
が、
リンダの返答は、
「…別に…」
という、そっけないものだった…
まるで、沢尻エリカのようだった…
「…別にって、どういうことだ?…」
「…別に、葉敬からは、連絡はなかったわ…」
「…」
「…だから、きっと、私の好きにしていいってことだと思う…」
「…でも、もしかして、お嬢様が、ウソを言っていたとしたら? …リンダ、オマエを騙していたとしたら、どうだ?…」
「…私を騙す? …そのお嬢様は、そんなバカじゃないでしょ?…」
「…どうして、そんなことがわかる?…」
「…仮に、そのお嬢様が言ったことは、ウソだとする…つまり、葉敬に連絡を取っていないとする…だとすれば、いずれ、そのウソはバレる…そして、すぐに、その人間は、常にウソを言う人間だと、周りに、見られる…評価される…そのお嬢様は、それが、わかっているでしょう…だから、ウソはつかない…」
「…」
「…なにより、今日、これから、クールで、そのお嬢様と会うのだから、事前に、葉敬にも、葉尊にも、連絡を取っているに違いないわ…だから、ウソを言うはずもない…」
リンダが、理路整然と説明する…
私は、驚いた…
なにに、驚いたかと言えば、このリンダ・ヘイワースが、ただの色気を売る女ではなかったことに、驚いたのだ…
挑発的で、煽情的な、ビキニや下着を着て、世界中の男を誘惑するだけの女だと思っていたが、色気のほかに、頭脳まであるとは、思わんかった…
これまでは、ただの色気を売りにする女と、ばかり思っていた…
まさか、これほどとは…
油断できん…
油断すれば、もしや、葉尊の妻という、今の私の立場を、このリンダに取られるかも、しれん…
奪われるかも、しれん…
私は、下手な小細工や、後ろ暗い工作は、しない女だ…
いつも、正々堂々、真っ向勝負…
ま、それが、信条だが、ときには、それを曲げることもある(笑)…
投げ捨てることもある(笑)…
ことによっては、あの矢口のお嬢様と、共闘して、このリンダを追い落とす必要が、あるかもしれん…
このまま、油断していては、このリンダに寝首を掻かれ、葉尊の妻という立場から、一転して、元のフリーターといえば、聞こえは、いいが、元のプータローに転落するかもしれん…
そうなれば、元の木阿弥(もくあみ)…
そんな危機が、私の身に迫っているかもしれん…
私は、固く、そのことに、肝に銘じた…
肝に銘じたのだ…
結局、私は、その日、それから、クールの本社ビルに向かった…
クールの本社ビルに、向かうのは、最近では、やはり、夫の葉尊に呼ばれて、クールの本社ビルに、行ったとき以来だ…
やはり、あのときも、原因は、あの矢口のお嬢様だった…
あのお嬢様が、私を知っていると、夫の葉尊に告げるから、葉尊は、私に気を利かせて、お嬢様との旧交を温めるべく、私をクールの本社ビルに呼び出したのだ…
あれ以来だ…
つくづく、私は、あのお嬢様に振り回されている…
今さらながら、思った…
どこか、別の世界に行きたい…
ふと、思った…
あのお嬢様のいない世界に行きたい…
ふと、思った…
この世の中に、同じ人間は、二人といらない…
同じ人間が、もう一人いるのは、邪魔だ…
目障りだ…
私は、思った…
排除するに限る…
それを、思えば、遠からず、あのお嬢様と、雌雄を決するときが、来るかもしれん…
この矢田トモコと、矢口トモコ…
名前もよく似ている…
一字違いだ…
が、
この世の中に、同じ人間は、二人と、いらん…
いらんのだ!…
私は、そんなことを、考えながら、またもクールの本社ビルにやって来た…
しかも、徒歩で、だ…
普通、クールの社長夫人ならば、会社の送迎車で、やって来るのが、当たり前だ…
黒塗りの高級車で、やって来るのが、当然だ…
まして、クールは、オーナー企業…
サラリーマン社長ではない…
オーナー社長だ…
私は、その社長夫人だ…
社長の葉尊の愛人でも、なんでもない…
れっきとした、妻だ…
その妻が、徒歩で、クールの本社ビルにやって来たことに、珍しく、不満を持っていた…
なぜだかは、わからない…
私としても、珍しい感情だった…
普通は、こんなこと、思ったこともなかった…
が、
少しして、私が、どうして、そんな感情を抱いたのか、わかった…
原因は、お嬢様だった…
あの矢口のお嬢様だった…
あの、私そっくりの矢口のお嬢様だった…
あの、お嬢様は、前回、このクールの本社前で、会ったときに、白いロールスロイスから、降りてきた…
それを、思い出したのだ…
片や、私は、そのときも、今と同じ徒歩…
徒歩だった(涙)…
私は、別段、普段から、見栄を張るタイプでも、なんでもない…
だから、本当は、そんなことは、まったく、気にならないタイプだった…
が、
しかし、だ…
今、あの矢口のお嬢様のことを、思うと、そんな純真無垢で、まっさらな心の持ち主の私でも、なぜか、あのお嬢様に対抗心を燃やした…
負けてたまるか!
そんな対抗心が、メラメラと、私の中で、芽生えた…
と、
そんなときだった…
私が、クールの本社ビルの前に辿り着いたとき、またも、真っ白なロールスロイスが、私の目の前に止まった…
…矢口のお嬢様に違いない!…
私は、とっさに、身構えた…
そして、同時に、お嬢様だったら、どういう対応をするか、考えた…
が、
思い浮かばなかった(涙)…
誰もが、そうだが、とっさに、どういう行動を取れば、いいか、わかる人間は少ない…
そういうことだ…
真っ白なロールスロイスから、ひとが降りた…
が、
その姿は、一見して、あのお嬢様では、なかった…
矢口トモコでは、なかった…
もっと、背の高い、モデルのような女だった…
真っ白なロールスロイスから、降りてきたのは、リンダ…
リンダ・ヘイワースだった…
まるで、これから、映画の撮影があるかのように、目いっぱい化粧をしていた…
いつもの、おっぱいが見えそうで、それでいて、パンツも見えそうな短いワンピースを着ていた…
まさに、リンダ・ヘイワース…
映画で見るリンダ・ヘイワースそのものだった…
色気の塊だった…
「…あら、お姉さん…」
リンダが、私の存在に気付いた…
私は、リンダの格好に圧倒されながら、自分の姿を省みた…
私は、いつものように、着古した、白いTシャツに、ジーンズ…それに、スニーカー…
まさに、普段着そのものだった…
だから、実に、私とリンダの姿が違い過ぎた…
片や、映画女優のあるべき姿…
片や、フリーターの見本だった(涙)…
圧倒的な差だった…
どうあがいても、埋められない差だった…
私は、それを悟った…
私は、それを意識した…
「…オ、オマエ、その恰好は?…」
私は、リンダの姿に圧倒されながら、聞いた…
「…お姉さん…今日は、リンダ・ヘイワースとして、矢口のお嬢様に会うの…だから…」
と、言って、リンダは、ニヤッと、私に笑いかけた…
圧倒的な色っぽさだった…
思わず、背中が、ゾクッとした…
女の私でも、身震いするほどの色っぽさだった…
やはり、この女、油断ならん…
とっさに、私は、思った…
矢口のお嬢様が目当てと言ったが、本当は、私の夫の葉尊を誘惑するつもりかもしれん…
本当の目的は、葉尊かもしれん…
いや、
葉尊の妻の座が、目的かもしれん…
私を追い出して、葉尊の妻の座を、狙っているのかもしれん…
私は、思った…
が、
そんなことも、見抜けない矢田トモコではない…
甘く見て、もらっては、困る…
舐めて、もらっては、困るのだ…
私は、私の細い目を、さらに細くして、リンダを見た…
ハリウッドのセックス・シンボルを見た…
たしかに、ルックスでは、勝てん!
が、
なにか、別のものなら、勝てるものがあるはずだ…
なにか、別のものなら?…
考えた…
が、
いくら、考えても、さっぱり、思いつかんかった(涙)…
いや、
そもそも、こんな絶世の美人に、勝てるものが、一つでもあれば、短大を出て、就職もせず、フリーターをしているはずもなかった…
なにひとつ、取り柄のない、平凡な女…
平凡、極まりない女…
それが、私だった…
そう考えると、涙が出る寸前だった…
そんな私の様子に、気付いたのだろう…
「…どうしたの…お姉さん?…」
「…なんでもないさ…なんでもないさ…」
私は、いつものように、答えた…
が、
元気がなかった…
「…なんでも、ないわけは、ないでしょ?…」
リンダが、正論を吐いた…
が、
私は、それに、答えることなく、
「…行くゾ…」
と、リンダに言った…
そして、リンダを見ることもなく、黙って、クールの本社ビルに入った…
惨めだった…
実に、惨めだった…
自分と、リンダの差を目の当たりにして、あらためて、その違いに歴然とした…
私は、元気なく、クールの本社ビルの一階のフロントに向かった…
受付で、葉尊に会いに来たと、告げるためだった…
すると、受付の女の子が、
「…お…奥様?…」
と、絶句した…
私は、力なく、
「…どうした?…」
と、聞いた…
「…奥様は、リンダ・ヘイワースを秘書として、連れてるんですか?…」
「…なんだと?…」
私は、その受付の女の子の指摘で、初めて、背後を振り返った…
すると、あろうことか、リンダが、まるで、私の秘書のように、真後ろに、立っていた…
それも、控えめに、だ…
リンダ・ヘイワースの派手な格好をしていたが、その態度は、地味だった…
あくまで、私が、主役で、私に従う従者のようだった…
…なんだ、これは?…
…一体、どうして、リンダが、まるで、私の秘書のような形でいるのか?…
私が、悩んでいると、
「…この奥様は、クールの社長夫人…クールにお世話になっている者として、当然です…」
リンダが、受付の女の子に告げる…
「…お世話?…」
受付の女の子が、リンダに尋ねた…
「…そう…このリンダ・ヘイワースは、クールの製品の宣伝に、いっぱい使ってもらってるでしょ?…」
リンダが説明する…
リンダの説明に、受付の女の子は、目を白黒させたが、すぐに、
「…凄い!…」
と、大きな声を上げた…
「…やはり、クールの社長夫人…凄いです!…」
受付けの女の子が、歓声を上げた…
「…やはり、奥様は、凄い…この渡辺、感激しました…」
…渡辺?…
…どこかで、その名前を聞いたような…
私は、目の前の女の子をジッと見た…
そういえば、前回、このクールの本社ビルにやって来たときも、この女の子が、受付だった…
私は、それを思い出した…
「…オマエは、たしか、以前、私とダンスを踊ったと言った…」
私が呟くと、
「…奥様…私を覚えてくれていたんですか?…」
と、またも、喜びの声を上げた…
「…嬉しい…実に、嬉しいです…」
私の目の前で、渡辺が、喜びを爆発させた…
私は、驚いた…
たがだか、私が、なにげなく言った言葉で、これほど、喜ぶとは、思いもしなかったからだ…
私が、唖然としていると、
「…お姉さんは、力があるの?…」
と、リンダが、そっと呟いた…
「…力?…」
「…そう…葉尊の妻としての力…クール社長夫人という肩書…」
「…」
「…お姉さんが、意識しようとしまいと、その肩書は、ずっと続く…たとえ、葉尊と離婚しようと、クールの社長夫人だったという過去は、残る…」
「…」
「…私が、どこへ行っても、リンダ・ヘイワースであることと、いっしょ…それが嫌だから、普段は、ヤンという男の格好をしている…」
リンダが笑った…
私は、そのリンダの説明を聞きながら、果たして、リンダは、私を励ましているのか?
それとも、私から、葉尊の妻の座を奪おうとしているのか?
どっちなのか、考えた…
悩んだ…
が、
目の前の、受付の渡辺という女の子の嬉しそうな表情を見ると、そんなことは、どうでもよくなった…
私と会えただけで、こんなにも、嬉しがってくれる人間には、これまで、会ったことがなかった…
お目にかかったことが、なかったからだ…
たかだか、私風情の人間に会っただけで、これほど喜んでくれる人間が、この世の中にいるとは、思わなかった…
そう考えると、なんだか、心が癒された…
和んだ…
今まで、私の心を蝕んでいた負の感情が、きれいさっぱり無くなった…
病は気からではないが、心が和むと、なんだか、世界が、充実したというと、大げさだが、これから、会う、矢口のお嬢様と会う上で、最高の精神状態になった…