第68話

文字数 5,165文字

 …一体、なんて、優しい目で、マリアを見ているのだろう…

 私は、思った…

 それほど、オスマンは、マリアを、優しい目で、見ていた…

 そして、それは、恋人の目ではない…

 私は、気付いた…

 恋人の目では、ない…

 それは、まごうことない、親の目だった…

 まるで、親やなにかのような肉親の目だった…

 この世の中には、好きは、好きでも、色々な好きがある…

 男が、女を好きでも、やはり、色々な好きがある…

 極端な話、その女を抱きたい好きもあれば、その女をただ、傍に置きたい好きもある…

 なぜ、傍に置きたいのかと、問われれば、ただ好きだから…

 ただ好きだからだ…

 そして、そこに、性欲はない…

 Hはない…

 あるのは、愛情…

 その代表例が、親の愛情だろう…

 そして、オスマンが、マリアに感じた愛情も、また同じに、思えた…

 30歳のオスマンが、3歳のマリアに、恋している…

 好きだ…

 が、当たり前だが、そこに、Hはない…

 セックスはない…

 あるのは、親の目…

 おそらくは、オスマンは、マリアを娘のように、見ているのだろう…

 なんといっても、二人は、27歳も、年齢が、違う…

 オスマンが、マリアを娘のように、思うのは、当たり前のことだ…

 が、

 オスマンは、小人症(こびとしょう)…

 だから、外見は、3歳の子供…

 その3歳の子供のオスマンが、同じく3歳の子供のマリアを見ていても、周囲の大人は、ただ単純に、子供同士が、好き合っているぐらいにしか思わない…

 これも、至極、当たり前のことだった…

 「…アラブの女神…」

 突然、リンダ=ヤンが、言った…

 …アラブの女神?…

 …一体、なんだ、それは?…

 私は、思った…

 いや、

 違う…

 以前、たしか、一度だけ、聞いたことがある…

 それは、たしか…

 ファラド…

 ファラドについてだ…

 サウジにて、絶対的な権力の持ち主である、このファラドの妻になる人間…

 それが、アラブの女神だと、たしか、聞いた…

 つまりは、サウジにて、絶対的な権力を持つ、ファラドの妻になることで、絶対的な権力を得る…

 そういうことだ…

 だから、サウジでは、誰もが、ファラドの妻になりたいと、願っている…

 アラブの女神になりたいと、願っている…

 そう思った…

 が、

 違った…

 リンダの次の言葉で、違ったことに、気付いた…

 「…アラブの女神…ウィリアムが、その謎を解いた…」

 …謎だと?…

 …一体、どういう意味だ?…

 「…ファラド…アラブの女神の名前を、サウジ…いえ、アラブ世界に、流布したのは、アナタでしょ?…」

 …アラブの女神の名前を流布しただと?…

 …一体、どういう意味だ?…

 「…ファラド…アナタの妻になる人間は、アラブの女神と呼ばれ、アラブ世界で、絶対的な権力を持つ…言い換えれば、それは、ファラド…アナタ自身の宣伝…」

 「…宣伝?…」

 思わず、私は、声を上げた…

 ホントは、声を上げては、いかんのかもしれないが、つい、上げてしまった(汗)…

 「…そう…お姉さん…宣伝…」

 「…どういう意味だ? …ヤン…」

 「…鈍いわね…お姉さん…」

 「…なに? …鈍いだと?…」

 「…そう…鈍い…だって、ファラドと結婚する女が、アラブの女神と、呼ばれるほど、権力を持つと、宣伝してみなさい…一見、その言葉通り、ファラドと結婚する女が、アラブの女神と呼ばれるほど、権力を持つと、思うかもしれないけれども、さにあらず…」

 「…さにあらずだと? …どうしてだ?…」

 「…どうしてって? …ちょっと、考えて見て、お姉さん…」

 「…考えてみてだと?…」

 「…ファラドと結婚する女が、サウジで、アラブの女神と呼ばれるほど、権力を持つということは、とりもなおさず、ファラドが、サウジで、いかに、権力を持っているかの宣伝になる…」

 「…」

 「…つまり、それが、ファラドのホントの狙い…ホントは、ファラドは、アラブ…いえ、サウジで、権力を握っていない…」

 「…握っていない? …どういうことだ?…」

 「…ホントは、ファラドの役割は、オスマンの影武者…代理人といったところね…そのルックスの良さを、オスマンに買われて、オスマンの身近に仕えたというのが、ホントのところじゃないの…」

 ヤン=リンダが、言った…

 ヤン=リンダが、喝破(かっぱ)した…

 私は、それを聞いて、さっきの映像を思い出した…

 ファラドの顔が、大画面に映り、オスマンの声で、

 「…いい男だな…」

 と、言っていた…

 アレは、つまり、オスマンが、自分の影武者に、ファラドを選んだ映像ではなかったのか?

 ふと、気付いた…

 現に、オスマンは、ファラドを使って、リンダ・ヘイワースのハリウッドのエージェントに接触…

 そのエージェントを通じて、リンダに、この日本で、化粧品のCMを受けるように、仕向けた…

 すべては、日本に滞在する、リンダに、仕事をさせて、同じく、日本にいるオスマンに、リンダを会わせるため…

 それは、理解できた…

 そして、今のリンダの言葉で、なぜ、オスマンが、ファラドを身近に置いたのか、わかった…

 つまりは、ファラドは、オスマンの代理人…

 オスマンに代わって、さまざまな場所に、出入りして、色々調整する…

 なんといっても、オスマンは、小人症(こびとしょう)…

 だから、はっきり言って、人前に出れない…

 出れば、好奇の目に晒されるからだ…

 人は、見た目…

 見た目が、一番だ…

 背が高く、ルックスが、良いのが、一番だ…

 そして、さらに言えば、男女共に、誠実な印象を、周囲の人間に与えることができれば、一番だ…

 つまりは、押し出しの良さ…

 初めて、会ったときに、相手に、いかに、好印象を与えられるか?

 これに尽きる…

 そして、皮肉をいえば、それは、あくまで、見た目…

 見た目に過ぎない…

 つまりは、中身は、関係がないということだ(爆笑)…

 ホントは、中身は、誠実でなくても、なんの関係もないということだ(爆笑)…

 だから、ファラドは、選ばれた…

 そういうことだろう…

 ファラドは、オスマンの代理人として、アレコレ、動く…

 そして、そういう人間は、なるべく、ルックスの良い人間がいい…

 初めて、出会った人間に、好印象を与えることができるからだ…

 そして、サウジの王族は、何千人もいると、さっき、ヤン=リンダが言った…

 王族=現国王の子供ではないだろう…

 王族=国王の親族に過ぎないだろう…

 だから、現国王の息子や孫と考えれば、いいのではないか?

 ふと、思った…

 オスマンは、その外見から、両親から、溺愛されていると、言った…

 ハンデを持って、生まれたゆえに、両親から、溺愛されていると、言った…

 だから、おそらく、国王の息子や孫の中から、ファラドを選んだのではないか?

 自分の代理人を選んだのではないか?

 そう思った…

 そして、オスマンは、自分の代理人を選ぶにあたって、なにより、ルックスを重視したのではないか?

 そう、思った…

 オスマンは、当たり前だが、自分のルックスにコンプレックスを持っているに違いない…

 だから、自分と真逆の長身で、イケメンのファラドを自分の代理人に選んだ可能性が高い…

 そうすれば、自分にないものを、手に入れることができる…

 いわば、ないものねだりだ…

 本来、どうしても、手に入れられないから、どうしても、欲しい…

 そんな感じだ…

 そして、それをファラドは、悪用したということだ…

 オスマンの代理人として、アレコレ、色々な人間と、接触するうちに、ファラド自身が、権力の座を欲したのではないか?

 そう、思った…

 だから、アラブの女神という言葉を作って、世間に流布した…

 アラブの女神という言葉を作ることで、いかに、ファラド自身が、権力を持っているか、ということを、世間に言いたかったのだろう…

 世間に流布することで、本当は、権力を握っていないにも、かかわらず、握っていると、世間に思わせたかったに違いない…

 私は、ファラドの狙いを、そう見た…

 ファラドの狙いを、そう睨んだ…

 矢田トモコ、35歳の目に狂いはない…

 狂いは、ないのだ…

 「…ファラド…アナタ…やり過ぎたのよ…」

 ヤン=リンダが、言った…

 「…残念ね…」

 が、

 ファラドは、リンダ=ヤンの言葉に、屈しなかった…

 「…残念か?…」

 ファラドが、呟いた…

 「…ホントに、そう思うか?…」

 ファラドが、笑った…

 笑ったのだ…

 その笑いは、不敵だった…

 決して、負け惜しみでも、なんでもない様子だった…

 「…なに、その笑い?…」

 ヤン=リンダが、言った…

 「…ファラド…アナタ、負けたのよ…」

 が、

 ファラドは、無言で、ゆっくりと、首を横に振った…

 「…ここを、どこだと思う?…」

 ファラドが、言った…

 「…どこって、日本でしょ?…」

 「…そうだ…ここは、サウジではない…アラブではない…」

 私は、ファラドが、なにを言いたいのか、わからなかった…

 が、

 すぐに、リンダ=ヤンには、ピンときたらしい…

 「…なに…それって、この日本では、オスマン殿下の威光が、及ばないとでも、言いたいわけ?…」

 「…その通り…」

 ファラドが、ニヤリと、笑った…

 その笑いは、不敵…

 まさに、不敵だった…

 同時に、実にセクシーというか、魅力的だった…

 悪の魅力というか…

 悪役の魅力だった…

 ファラドの浅黒い肌に、実に、悪が似合ったというか…

 おおげさに言えば、眩しいほどだった…

 そして、それは、ヤン=ファラドも、同じだったようだ…

 私と、同じに、感じたようだ…

 「…ファラド…アナタ、今、すごく、いい顔をしている…」

 ヤンが、言った…

 「…顔? …ボクの?…」

 「…そう…まさに、リンダ・ヘイワース主演の恋の相手役にふさわしい…」

 「…それは、光栄です…」

 ファラドが、戸惑ったように、言った…

 「…でも、ちょっと、オツムが足りない…」

 リンダ=ヤンが、言って、笑った…

 笑ったのだ…

 「…そのオツムでは、リンダ・ヘイワースの恋の相手役は、無理…できない…」

 「…できない?…どうして?…」

 「…ファラド…アナタ…そんなことも、わからないの?…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…あのお菓子の入ったカートを運んできた兵隊さん…ファラド…彼らを、雇ったのは、アナタでしょ?…」

 「…」

 「…この保育園の園児たちに、お菓子を配って、その最中に、オスマン殿下を、彼らに、誘拐させる…それが、アナタの描いたシナリオ…違う?…」

 「…」

 「…つまりは、あの兵隊さんは、すべて、アナタの部下…違う?…」

 「…」

 「…そして、アナタの部下なら、今すぐ、指示を出して、オスマンを誘拐させれば、いいんじゃない?…」

 ヤン=リンダが、からかうように、言う…

 ファラドの表情が、固まった…

 明らかに、固まったのだ…

 「…ねえ…やってみれば?…」

 ヤン=リンダが、促す…

 そそのかす…

 が、

 ファラドは、ぎこちない表情のまま、なにも言わなかった…

 まるで、地蔵のようだった(笑)…

 寸分も動きがないのだ(笑)…

 「…ねえ?…」

 今度は、わざと、ヤン=リンダは、甘ったるく言った…

 それは、まさに、リンダ・ヘイワース…

 スクリーンの中のリンダ・ヘイワースが、男に、甘ったるく、言い寄る感じだった…

 が、

 やはりというか、ファラドは、身動きひとつしなかった…

 それを見た、ヤン=リンダは、

 「…どうして、なにも、言わないの?…」

 と、からかうように、言った…

 「…こんな色っぽい女が聞いているのよ…」

 姿は、ヤンのままだが、その物腰は、まさに、リンダ・ヘイワースそのものだった…

 ハリウッドのセックス・シンボルそのものだった…

 が、

 それでも、ファラドは、なにも、言わなかった…

 頑として、なにも、言わなかった…

 私は、どうしてだろう? と、考えた…

 なぜ、ファラドは、何も言わないんだろうと、思った…

 すると、すぐに、思い浮かんだのは、言質(げんち)を取られる危険を考えたのでは?と、思った…

 言質(げんち)=言葉を取られる危険を考えたのでは? と、考えた…

 たとえば、ファラドが、

 「…オスマン殿下を連れ去れ…」

 と、命じたとする…

 すると、その言葉が、録音され、証拠となる…

 それを恐れたと、思ったのだ…

 だから、ファラドは、なにも、言わない…

 ヤン=リンダに、どんなに促されようと、なにも、言わない…

 そういうことだろう…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…もういい…」

 という声がした…

 それは、子供の甲高い声だった…

 私は、声のした方を見た…

 その声の主は、他ならぬ、オスマンそのひとだった…

               
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