第37話
文字数 5,706文字
美人の悩みというやつだ…
私は、思った…
リンダの言葉を聞きながら、思った…
この矢田は、美人ではないが、やはり、美人を知っている…
リンダのような有名人ではないが、一般のひとで、美人を知っている…
誰もが、そうだろう…
同じだろう…
今、リンダが、言ったこと…
「…だって、この格好で、男の傍に寄れば、その男の妻や恋人は、私に、夫や恋人が取られるかもと、いつも不安になる…そして、私を敵視する…それが、困るの…」
という、リンダの言葉は、美人に共通する悩みだからだ…
私は、美人ではないが、やはり、今言ったリンダと同じ悩みを持つ美人を見たことがある…
要するに、高校時代、クラスで、一組(ひとくみ)の男女が、話していたときに、別の女が、血相を変えて、そこに、割って入り、
「…私の男を取らないで…」
と、絶叫したのだ…
まあ、絶叫というと、大げさだが、大声を出したことは、たしかだ(笑)…
近くにいた者は、皆、目が点になった…
何事かと思ったのだ…
つまりは、クラス一というか、学年一、いや、学校一の美人が、自分が、付き合っている男と、楽しそうに話しているから、
「…取られる…」
と、思って、その女の子は、絶叫して、二人の間に割って入ったのだ…
そこにいた者は、誰もが、目が点になったが、その女の子の気持ちもわからないではなかった…
割って入った女の子の容姿は、平凡…
実に、平凡だったからだ…
だから、自分の付き合っている男が、学校一の美人と楽しそうに話しているのを、見て、危機感を覚えたに違いなかった…
私は、その美人の女の子とも、結構親しかったから、後日、
「…矢田、あんときは、焦った…これからは、自分が、話す男に、付き合っている女がいるかどうか、確かめてから、話す…」
と、言ったのが、印象的だった…
美人に生まれるのも、大変…
実に、大変だと思った…
自分が、男と話しているだけで、その男と付き合っている女から、恨まれては、たまったものではない…
その美人の女の子は、その男と付き合いたいとか、そんな気持ちは、毛頭なかったと言っていた…
ただ、なんとなく話していただけ…
世間話をしていただけだ…
それが、こんなことになった(笑)…
思えば、リンダもまた同じなのだろう…
リンダも、現在のハリウッドのセックス・シンボルという地位に立つまでもなく、生来の美人だ…
当たり前だが、子供の頃から、美人に決まっている…
だから、周りの人間に、恨まれるとか、妬まれるとか、あったのかもしれない…
だから、ひきこもりではないが、それから、逃れるために、ヤンという男の格好をしたのかもしれない…
ふと、思った…
女を隠すために、男装したのかもしれない…
美人であることを、隠すために、男装したのかもしれない…
そう、思った…
そして、それが、悪化して、性同一障害と、思い込むようになったといえば、うがち過ぎか?
考え過ぎか?
私は、思った…
そして、ポツリと、
「…美人も大変だな…」
と、呟いた…
リンダが、
「…エッ?…」
と、言って、目を丸くして、私を見た…
「…リンダ…オマエの言うことは、わかるさ…」
「…わかる? …どうして、わかるの?…」
「…オマエほどの美人ではないが、やはり、私も同じように、美人の友達はいるさ…やはり、その美人の友達も、今のオマエと同じような悩みを抱えていたのさ…」
「…」
「…誰もが同じさ…」
「…同じ? なにが、同じなの?…」
「…美人に生まれれば、他人に嫉妬される…メリットばかりじゃない…自分が、なにもしなくても、他人に嫉妬されるデメリットが、生じる…」
「…」
「…金持ちも、たぶん、同じさ…なにもしなくても、嫉妬される…だから、必ずしも、いいことばかりじゃないさ…」
「…」
「…所詮、人間は、嫉妬の生き物さ…自分にないものを、持っている人間を妬む人間が、一定数存在する…それが、現実さ…」
私が、言うと、リンダが、
「…」
と、考え込んだ…
それから、
「…やっぱり、お姉さんは、違う…凄い…」
と、私を持ち上げた…
「…見た目と違う?…」
…なに?…
…見た目と違う?…
…どういう意味だ?…
私は、頭に来た…
まさか、この矢田の六頭身の幼児体型をバカにしているわけでは、あるまいな…
私は、それに気付いた…
だから、
「…リンダ…オマエ、私が見た目と違うっていうのは、どういう意味だ?…」
と、怒鳴った…
すると、リンダが、
「…お姉さんは、失礼だけれど、ルックスは、美人じゃない…でも、心は美人…」
と、言った…
私は、とっさに、
…うまい!…
と、唸った…
…うまいことを言う!…
と、心の中で、感嘆した…
だから、
「…オマエ…うまいことを言う…」
と、言おうとしたところで、社長室の扉の前に立った…
リンダが、
「…お姉さん…開けるわよ…」
と、言って、扉を開いた…
私は、思わず、ゴクンと生唾を飲み込んだ…
緊張したのだ…
「…さあ、行くわよ…」
リンダの言葉に促されて、社長室の中に入った…
が、
誰もいなかった…
いや、
いないのではない…
隅にある、テーブルとソファに、ひとがいた…
ただし、社長室に入ってきた私が、気付かないほど、静かだったのだ…
…なんだ、これは?…
私は、その雰囲気に圧倒された…
静かというよりも、沈黙だった…
重厚だった…
どんよりと、異様に、重い空気が、あたりに、充満していたのだ…
私とリンダが部屋に入ってきたのも、気付かないほど、重い空気が、あった…
「…お、お姉さん…」
そんな中で、真っ先に、私の存在に、葉尊が気付いた…
さすがに、私の夫だ…
頼りになる…
「…リンダも…」
と、葉尊は、付け加えた…
リンダは、ただ、ニコッと笑って、
「…今日は、ビジネスだから…」
と、葉尊に告げた…
「…その姿を見れば、わかる…」
葉尊が、ぶっきらぼうに、告げた…
明らかに、不機嫌だった…
私は、夫の葉尊が不機嫌なのを、あまり見たことがなかった…
だから、珍しいと思った…
それから、ソファに座ったままの、矢口のお嬢様が、
「…矢田か?…」
と、短く言った…
私は、
「…ハイ…」
と、直立不動の姿勢で言った…
矢口のお嬢様が、横柄に座ったままなのに、なぜか、私は、直立不動で、挨拶した…
なにやら、立場の違いを雄弁に、物語っていた(涙)…
が、
矢口のお嬢様が、リンダの姿を見るや、ソファから、起き上がって、丁重に、挨拶した…
「…初めまして…スーパージャパンの矢口と言います…今日は、よろしくお願いします…」
と、リンダに挨拶した…
私は、その光景に目を丸くした…
違い過ぎる!…
あまりにも、私への態度と違い過ぎるのだ!…
私は、頭に来た…
私には、ソファに座ったまま、横柄に、
「…矢田か?…」
と、呟くのみ…
一方、リンダには、わざわざソファから立ち上がって、丁重に挨拶する…
なんという違い!
これが差別でなくて、なんだというのだ!…
私は、差別は、否定しない…
キレイごとは言わない…
人間は、平等ではない…
だから、差別があるのは、仕方がないことだ…
だから、私も、当然、ひとを差別する…
当たり前のことだ…
イケメンは、優遇する…
当たり前のことだ…
だが、差別されるのは、嫌だ…
自分は、当然、他人を差別するが、自分が、差別されるのは、嫌だ…
矛盾するが、これは、誰もが、同じ…
同じだ(笑)…
頭に来た私は、
「…お嬢様…あんまりでは…」
と、言おうとしたが、その前に、なぜ、葉尊が、私に、今回、この社長室で、矢口のお嬢様とリンダが会うのを、伝えなかったのか、疑問に思った…
一体、なぜ、葉尊は、私に、今日、ここで、矢口のお嬢様と、会うことを、告げなかったのだろうか?
疑問に思った私は、葉尊に視線を向けた…
すると、すぐに、葉尊は、私の視線に気づいた…
「…お姉さん…ボクになにか?…」
「…いや、どうして、私に、今日のことを、知らせなかったのかと、思ってな…」
「…今日のこと?…」
「…矢口のお嬢様が、リンダとCMの件で、話すということさ…しかも、その場所が、このクールの社長室とは…」
私が、見るからに不満げに、言うと、矢口のお嬢様が、
「…矢田…これは、ビジネスだからだ…」
と、口を出した…
「…ビジネスだから?…」
「…そうだ…葉尊社長が、この場を提供したのも、ビジネスだからだ…ビジネスだから、矢田…妻であるオマエに告げなかった…そうですね…葉尊社長…」
「…その通りです…」
葉尊が答えた…
「…お姉さんに、隠す形になってしまって、申し訳ありません…でも、これは、ビジネスです…だから、お姉さんには、伝えなかった…」
「…そうか…」
私は、答えた…
夫の葉尊に、そう言い訳されると、私としても、どう返答していいか、わからなかった…
夫たるもの、会社であったことを、家庭に持ち込む人間は、少ない…
会社であったことを、大げさにいえば、逐一、妻に、報告する夫も世間にいるらしいが、普通は、あまり、いない(笑)…
基本、会社とプライベートは、分けるものだからだ…
だから、夫の葉尊に、ビジネス=会社だからと、言われると、私としても、なにも、言えなかった…
だから、返答に詰まった…
すると、リンダに挨拶するために立ち上がった矢口のお嬢様が、
「…リンダさんも、矢田も、ここに座れ…」
と、促した…
そして、
「…葉尊社長も…」
と、付け足した…
矢口のお嬢様に、促されて、皆、ソファに座った…
なぜか、この社長室の主である夫の葉尊を差し置いて、矢口のお嬢様が、この場を仕切っていた(笑)…
正直、わけのわからん展開だった(笑)…
一体、なぜ、この矢口のお嬢様が、この場を仕切るのか、謎だった…
が、
私には、それが、なぜか、わかった…
わかったのだ(笑)…
要するに、仕切り屋だ(笑)…
どんな場所でも、自分が、その場を仕切らなければ、すまない人間が、いる(笑)…
とにかく、自分が、一番でなければ、気が済まないのだ(笑)…
たぶん、矢口のお嬢様は、そうなのだろう…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
それが、即座にわかった私は、矢口のお嬢様の言う通り、ソファに、座った…
リンダも、葉尊も、矢口のお嬢様に従って、ソファに座った…
この手の人間には、逆らわないことが、肝心…
経験上、わかっている…
どんなことでも、自分が、一番でなければ、気が済まない…
だから、それを邪魔すれば、不満を述べるからだ…
まあ、この矢口のお嬢様の場合は、お金持ちのお嬢様で、東大卒の学歴を持っているから、許せる(笑)…
が、
世の中には、なにもないのに、ただ、その場を仕切りたい人間が、一定数、存在する(爆笑)…
学歴も、人望もなにもないが、とにかく、自分が、一番になりたいのだ…
昔は、なぜ、そんなにも、一番になりたいのか、わからなかった…
が、
少し歳をとって、そんな人間たちを見ていると、一定の傾向があることがわかった…
大抵が、学歴がないのだ…
大学も出ていないか、出ていても、偏差値が低い大学の出身…
つまり、学歴では、勝てないから、仕事では、負けないと、言っているのだ…
だから、どんな場所でも、自分が、先頭に立って、その場を仕切らないと、気が済まない…
少しでも、自分に能力があると、周囲の人間に言いたいのだろう…
しかしながら、それは、大半が、会社に入って、数年…
三十歳になるまでには、大半が、自分の会社での将来の立ち位置がわかる…
わからないのは、よほど、おめでたい人間だ(笑)…
あるいは、なまじ学歴があるから、常に、
…オレが…オレが…
…アタシが…アタシが…
と、前に出たい人間…
つまりは、オレは、アタシは、アンタたちとは、違うんだと、自分の能力を必要以上に、周囲にアピールする人間…
頭のレベルは、真逆だが、共通するのは、誰よりも早く上の地位に上がりたいことと、性格が、悪いこと(爆笑)…
だから、自分が、会社や学校で、なにをしようと、注意する者は、いない…
誰もが、相手にしたくないからだ(爆笑)…
だから、会社にいても、将来の出世はない…
頭が良くない人間は、もちろん、ないし、頭が良くても、性格が悪ければ、誰もが、嫌うから、人事でも、それがわかっているから、出世は難しい…
仮に、同じ能力なら、上にあげるならば、人柄が、いい方を選ぶのが、人情だからだ…
誰もが、同じ選択をする(笑)…
これが、芸能人ならば、事務所に所属しているとはいえ、基本は、フリーランスだから、いずれ、仕事がなくなる…
若くて、売れているうちは、男女とも、少々性格が、悪くても仕事があるが、三十を過ぎたあたりから、仕事が激減して、大抵は、業界から消えると言われている…
それは、その芸能人が、売れているときに、接した関係者が、テレビ等の会社で、出世して、キャスティングできる立場に昇格すると、真っ先に、自分が、嫌いだった芸能人をキャスティングしないからだと、言われている…
その結果、その芸能人は、仕事がなくなる…
誰もが、嫌な芸能人は、嫌だからだ…
だから、誰もキャスティングしなくなる…
その結果、その芸能人は、芸能界を引退するしかなくなる…
つまり、会社員よりも、フリーランスの方が、よりシビアな結果になる…
まあ、当たり前のことだ(笑)…
私は、それを思い出した…
が、
この矢口のお嬢様は、そこまで、性格が悪いわけでもない…
ただ、性格に若干難があるだけだ(爆笑)…
私とリンダ、葉尊、矢口のお嬢様と、4人が、席に座った…
私たち、全員が、席に座ると、矢口のお嬢様が、
「…実は…」
と、言って、一枚の写真を見せた…
そこには、浅黒い肌をした精悍な男の顔が写っていた…
私は、その顔に見覚えがあった…
サウジアラビアのファラド王子だった…
私は、思った…
リンダの言葉を聞きながら、思った…
この矢田は、美人ではないが、やはり、美人を知っている…
リンダのような有名人ではないが、一般のひとで、美人を知っている…
誰もが、そうだろう…
同じだろう…
今、リンダが、言ったこと…
「…だって、この格好で、男の傍に寄れば、その男の妻や恋人は、私に、夫や恋人が取られるかもと、いつも不安になる…そして、私を敵視する…それが、困るの…」
という、リンダの言葉は、美人に共通する悩みだからだ…
私は、美人ではないが、やはり、今言ったリンダと同じ悩みを持つ美人を見たことがある…
要するに、高校時代、クラスで、一組(ひとくみ)の男女が、話していたときに、別の女が、血相を変えて、そこに、割って入り、
「…私の男を取らないで…」
と、絶叫したのだ…
まあ、絶叫というと、大げさだが、大声を出したことは、たしかだ(笑)…
近くにいた者は、皆、目が点になった…
何事かと思ったのだ…
つまりは、クラス一というか、学年一、いや、学校一の美人が、自分が、付き合っている男と、楽しそうに話しているから、
「…取られる…」
と、思って、その女の子は、絶叫して、二人の間に割って入ったのだ…
そこにいた者は、誰もが、目が点になったが、その女の子の気持ちもわからないではなかった…
割って入った女の子の容姿は、平凡…
実に、平凡だったからだ…
だから、自分の付き合っている男が、学校一の美人と楽しそうに話しているのを、見て、危機感を覚えたに違いなかった…
私は、その美人の女の子とも、結構親しかったから、後日、
「…矢田、あんときは、焦った…これからは、自分が、話す男に、付き合っている女がいるかどうか、確かめてから、話す…」
と、言ったのが、印象的だった…
美人に生まれるのも、大変…
実に、大変だと思った…
自分が、男と話しているだけで、その男と付き合っている女から、恨まれては、たまったものではない…
その美人の女の子は、その男と付き合いたいとか、そんな気持ちは、毛頭なかったと言っていた…
ただ、なんとなく話していただけ…
世間話をしていただけだ…
それが、こんなことになった(笑)…
思えば、リンダもまた同じなのだろう…
リンダも、現在のハリウッドのセックス・シンボルという地位に立つまでもなく、生来の美人だ…
当たり前だが、子供の頃から、美人に決まっている…
だから、周りの人間に、恨まれるとか、妬まれるとか、あったのかもしれない…
だから、ひきこもりではないが、それから、逃れるために、ヤンという男の格好をしたのかもしれない…
ふと、思った…
女を隠すために、男装したのかもしれない…
美人であることを、隠すために、男装したのかもしれない…
そう、思った…
そして、それが、悪化して、性同一障害と、思い込むようになったといえば、うがち過ぎか?
考え過ぎか?
私は、思った…
そして、ポツリと、
「…美人も大変だな…」
と、呟いた…
リンダが、
「…エッ?…」
と、言って、目を丸くして、私を見た…
「…リンダ…オマエの言うことは、わかるさ…」
「…わかる? …どうして、わかるの?…」
「…オマエほどの美人ではないが、やはり、私も同じように、美人の友達はいるさ…やはり、その美人の友達も、今のオマエと同じような悩みを抱えていたのさ…」
「…」
「…誰もが同じさ…」
「…同じ? なにが、同じなの?…」
「…美人に生まれれば、他人に嫉妬される…メリットばかりじゃない…自分が、なにもしなくても、他人に嫉妬されるデメリットが、生じる…」
「…」
「…金持ちも、たぶん、同じさ…なにもしなくても、嫉妬される…だから、必ずしも、いいことばかりじゃないさ…」
「…」
「…所詮、人間は、嫉妬の生き物さ…自分にないものを、持っている人間を妬む人間が、一定数存在する…それが、現実さ…」
私が、言うと、リンダが、
「…」
と、考え込んだ…
それから、
「…やっぱり、お姉さんは、違う…凄い…」
と、私を持ち上げた…
「…見た目と違う?…」
…なに?…
…見た目と違う?…
…どういう意味だ?…
私は、頭に来た…
まさか、この矢田の六頭身の幼児体型をバカにしているわけでは、あるまいな…
私は、それに気付いた…
だから、
「…リンダ…オマエ、私が見た目と違うっていうのは、どういう意味だ?…」
と、怒鳴った…
すると、リンダが、
「…お姉さんは、失礼だけれど、ルックスは、美人じゃない…でも、心は美人…」
と、言った…
私は、とっさに、
…うまい!…
と、唸った…
…うまいことを言う!…
と、心の中で、感嘆した…
だから、
「…オマエ…うまいことを言う…」
と、言おうとしたところで、社長室の扉の前に立った…
リンダが、
「…お姉さん…開けるわよ…」
と、言って、扉を開いた…
私は、思わず、ゴクンと生唾を飲み込んだ…
緊張したのだ…
「…さあ、行くわよ…」
リンダの言葉に促されて、社長室の中に入った…
が、
誰もいなかった…
いや、
いないのではない…
隅にある、テーブルとソファに、ひとがいた…
ただし、社長室に入ってきた私が、気付かないほど、静かだったのだ…
…なんだ、これは?…
私は、その雰囲気に圧倒された…
静かというよりも、沈黙だった…
重厚だった…
どんよりと、異様に、重い空気が、あたりに、充満していたのだ…
私とリンダが部屋に入ってきたのも、気付かないほど、重い空気が、あった…
「…お、お姉さん…」
そんな中で、真っ先に、私の存在に、葉尊が気付いた…
さすがに、私の夫だ…
頼りになる…
「…リンダも…」
と、葉尊は、付け加えた…
リンダは、ただ、ニコッと笑って、
「…今日は、ビジネスだから…」
と、葉尊に告げた…
「…その姿を見れば、わかる…」
葉尊が、ぶっきらぼうに、告げた…
明らかに、不機嫌だった…
私は、夫の葉尊が不機嫌なのを、あまり見たことがなかった…
だから、珍しいと思った…
それから、ソファに座ったままの、矢口のお嬢様が、
「…矢田か?…」
と、短く言った…
私は、
「…ハイ…」
と、直立不動の姿勢で言った…
矢口のお嬢様が、横柄に座ったままなのに、なぜか、私は、直立不動で、挨拶した…
なにやら、立場の違いを雄弁に、物語っていた(涙)…
が、
矢口のお嬢様が、リンダの姿を見るや、ソファから、起き上がって、丁重に、挨拶した…
「…初めまして…スーパージャパンの矢口と言います…今日は、よろしくお願いします…」
と、リンダに挨拶した…
私は、その光景に目を丸くした…
違い過ぎる!…
あまりにも、私への態度と違い過ぎるのだ!…
私は、頭に来た…
私には、ソファに座ったまま、横柄に、
「…矢田か?…」
と、呟くのみ…
一方、リンダには、わざわざソファから立ち上がって、丁重に挨拶する…
なんという違い!
これが差別でなくて、なんだというのだ!…
私は、差別は、否定しない…
キレイごとは言わない…
人間は、平等ではない…
だから、差別があるのは、仕方がないことだ…
だから、私も、当然、ひとを差別する…
当たり前のことだ…
イケメンは、優遇する…
当たり前のことだ…
だが、差別されるのは、嫌だ…
自分は、当然、他人を差別するが、自分が、差別されるのは、嫌だ…
矛盾するが、これは、誰もが、同じ…
同じだ(笑)…
頭に来た私は、
「…お嬢様…あんまりでは…」
と、言おうとしたが、その前に、なぜ、葉尊が、私に、今回、この社長室で、矢口のお嬢様とリンダが会うのを、伝えなかったのか、疑問に思った…
一体、なぜ、葉尊は、私に、今日、ここで、矢口のお嬢様と、会うことを、告げなかったのだろうか?
疑問に思った私は、葉尊に視線を向けた…
すると、すぐに、葉尊は、私の視線に気づいた…
「…お姉さん…ボクになにか?…」
「…いや、どうして、私に、今日のことを、知らせなかったのかと、思ってな…」
「…今日のこと?…」
「…矢口のお嬢様が、リンダとCMの件で、話すということさ…しかも、その場所が、このクールの社長室とは…」
私が、見るからに不満げに、言うと、矢口のお嬢様が、
「…矢田…これは、ビジネスだからだ…」
と、口を出した…
「…ビジネスだから?…」
「…そうだ…葉尊社長が、この場を提供したのも、ビジネスだからだ…ビジネスだから、矢田…妻であるオマエに告げなかった…そうですね…葉尊社長…」
「…その通りです…」
葉尊が答えた…
「…お姉さんに、隠す形になってしまって、申し訳ありません…でも、これは、ビジネスです…だから、お姉さんには、伝えなかった…」
「…そうか…」
私は、答えた…
夫の葉尊に、そう言い訳されると、私としても、どう返答していいか、わからなかった…
夫たるもの、会社であったことを、家庭に持ち込む人間は、少ない…
会社であったことを、大げさにいえば、逐一、妻に、報告する夫も世間にいるらしいが、普通は、あまり、いない(笑)…
基本、会社とプライベートは、分けるものだからだ…
だから、夫の葉尊に、ビジネス=会社だからと、言われると、私としても、なにも、言えなかった…
だから、返答に詰まった…
すると、リンダに挨拶するために立ち上がった矢口のお嬢様が、
「…リンダさんも、矢田も、ここに座れ…」
と、促した…
そして、
「…葉尊社長も…」
と、付け足した…
矢口のお嬢様に、促されて、皆、ソファに座った…
なぜか、この社長室の主である夫の葉尊を差し置いて、矢口のお嬢様が、この場を仕切っていた(笑)…
正直、わけのわからん展開だった(笑)…
一体、なぜ、この矢口のお嬢様が、この場を仕切るのか、謎だった…
が、
私には、それが、なぜか、わかった…
わかったのだ(笑)…
要するに、仕切り屋だ(笑)…
どんな場所でも、自分が、その場を仕切らなければ、すまない人間が、いる(笑)…
とにかく、自分が、一番でなければ、気が済まないのだ(笑)…
たぶん、矢口のお嬢様は、そうなのだろう…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
それが、即座にわかった私は、矢口のお嬢様の言う通り、ソファに、座った…
リンダも、葉尊も、矢口のお嬢様に従って、ソファに座った…
この手の人間には、逆らわないことが、肝心…
経験上、わかっている…
どんなことでも、自分が、一番でなければ、気が済まない…
だから、それを邪魔すれば、不満を述べるからだ…
まあ、この矢口のお嬢様の場合は、お金持ちのお嬢様で、東大卒の学歴を持っているから、許せる(笑)…
が、
世の中には、なにもないのに、ただ、その場を仕切りたい人間が、一定数、存在する(爆笑)…
学歴も、人望もなにもないが、とにかく、自分が、一番になりたいのだ…
昔は、なぜ、そんなにも、一番になりたいのか、わからなかった…
が、
少し歳をとって、そんな人間たちを見ていると、一定の傾向があることがわかった…
大抵が、学歴がないのだ…
大学も出ていないか、出ていても、偏差値が低い大学の出身…
つまり、学歴では、勝てないから、仕事では、負けないと、言っているのだ…
だから、どんな場所でも、自分が、先頭に立って、その場を仕切らないと、気が済まない…
少しでも、自分に能力があると、周囲の人間に言いたいのだろう…
しかしながら、それは、大半が、会社に入って、数年…
三十歳になるまでには、大半が、自分の会社での将来の立ち位置がわかる…
わからないのは、よほど、おめでたい人間だ(笑)…
あるいは、なまじ学歴があるから、常に、
…オレが…オレが…
…アタシが…アタシが…
と、前に出たい人間…
つまりは、オレは、アタシは、アンタたちとは、違うんだと、自分の能力を必要以上に、周囲にアピールする人間…
頭のレベルは、真逆だが、共通するのは、誰よりも早く上の地位に上がりたいことと、性格が、悪いこと(爆笑)…
だから、自分が、会社や学校で、なにをしようと、注意する者は、いない…
誰もが、相手にしたくないからだ(爆笑)…
だから、会社にいても、将来の出世はない…
頭が良くない人間は、もちろん、ないし、頭が良くても、性格が悪ければ、誰もが、嫌うから、人事でも、それがわかっているから、出世は難しい…
仮に、同じ能力なら、上にあげるならば、人柄が、いい方を選ぶのが、人情だからだ…
誰もが、同じ選択をする(笑)…
これが、芸能人ならば、事務所に所属しているとはいえ、基本は、フリーランスだから、いずれ、仕事がなくなる…
若くて、売れているうちは、男女とも、少々性格が、悪くても仕事があるが、三十を過ぎたあたりから、仕事が激減して、大抵は、業界から消えると言われている…
それは、その芸能人が、売れているときに、接した関係者が、テレビ等の会社で、出世して、キャスティングできる立場に昇格すると、真っ先に、自分が、嫌いだった芸能人をキャスティングしないからだと、言われている…
その結果、その芸能人は、仕事がなくなる…
誰もが、嫌な芸能人は、嫌だからだ…
だから、誰もキャスティングしなくなる…
その結果、その芸能人は、芸能界を引退するしかなくなる…
つまり、会社員よりも、フリーランスの方が、よりシビアな結果になる…
まあ、当たり前のことだ(笑)…
私は、それを思い出した…
が、
この矢口のお嬢様は、そこまで、性格が悪いわけでもない…
ただ、性格に若干難があるだけだ(爆笑)…
私とリンダ、葉尊、矢口のお嬢様と、4人が、席に座った…
私たち、全員が、席に座ると、矢口のお嬢様が、
「…実は…」
と、言って、一枚の写真を見せた…
そこには、浅黒い肌をした精悍な男の顔が写っていた…
私は、その顔に見覚えがあった…
サウジアラビアのファラド王子だった…