第15話

文字数 6,264文字

 結局、それから、まもなく、

 「…今日は、お邪魔した…」

 と、言って、矢口のお嬢様が、席を立った…

 「…葉尊社長…わざわざ、時間を取ってくれて、ありがとう…」

 「…いえ…」

 「…矢田も元気でな…」

 「…ハイ…」

 「…バニラさんも…」

 バニラは、無言で、頭を下げた…

 「…それでは、失礼する…」

 そう言って、矢口のお嬢様は、席を立った…

 私と葉尊、バニラは、皆、席から立ち上がって、矢口のお嬢様を、見送った…

 矢口のお嬢様が、社長室から、いなくなった…

 途端に、私の中から、緊張感が消えた…

 …いなくなった…

 矢口のお嬢様が、いなくなったことで、緊張の糸が、プツンと切れた…

 「…やっと、いなくなった…」

 ホッとして、呟いた…

 すると、夫の葉尊が、ビックリした…

 「…お姉さん…矢口さんが、嫌いなんですか?…」

 「…嫌いなんかじゃないさ…」

 私は、即答した…

 「…苦手なだけさ…」

 「…苦手なだけ?…」

 「…葉尊…考えてみろ…」

 「…なにをですか?…」

 「…自分そっくりの人間が、身近にいたとする…」

 「…ハイ…」

 「…すると、どうだ? …どうしても、自分と比べる…矢口のお嬢様は、東大卒で、超がつく、お金持ち…片や、私は、平凡…平凡の極みさ…」

 「…」

 「…正直に言って、私は、自分と、矢口のお嬢様を比べるつもりはないさ…でも、いくら、比べるつもりは、私になくても、いっしょにいれば、誰もが、比べるものさ…当り前さ…外観が瓜二つだ…」

 「…」

 「…だから、嫌なのさ…」

 私が、告白すると、葉尊と、バニラが、互いに、顔を見合わせた…

 そして、バニラが言った…

 「…お姉さんの気持ちはわかる…」

 …なんだと?…

 …バニラが、私の気持ちがわかるだと?…

 …ホントか?…

 …いや、どうして、わかるんだ?…

 私の思いが、顔に出たのだろう…

 「…リンダよ…リンダ…」

 と、バニラが付け加えた…

 「…私とリンダも似ている…」

 バニラが言った…

 「…リンダは、一見、おとなしそうで、私は、野性的というか…ヤンキー系に見えるから、真逆に見えるけれども、メイクを変えれば、互いに入れ替わることもできた…」

 バニラが告白する…

 私は、それを聞いて、以前、このバニラと、あのリンダが、入れ替わったことを、思い出した…

 身長は、このバニラが、あのリンダよりも、5㎝高いが、共に体型が似ている…

 「…だから、不安なの?…」

 「…不安だと? …どういう意味だ?…」

 「…下手をすれば、リンダではなく、私が…バニラ・ルインスキーが、アラブの王族に気に入られて、愛人にも、されかねないと、思って…」

 バニラが、意外なことを、言った…

 意外というより、想定外…

 予想外というべきか…

 それまで、考えてもいないことだった…

 「…バニラ…どういう意味だ? 言ってみろ…」

 私は、年上らしく、落ち着いた口調で、言った…

 バニラの悩みを聞いてやるのも、年上の役目だからだ…

 「…要するに、好みよ…女の好み…」

 「…好みだと?…」

 「…リンダが、好きな男は、このバニラが好きだという男が多いの…」

 「…なんだと?…」

 「…私も、最初、それを聞いたときは、驚いた…私とリンダは、メイクを同じようにすれば、互いに入れ替わることができるぐらい似ている…でも、それに世間の男たちが、気付いているとは、思わなかった…」

 「…」

 「…世間を…世の中の男たちを、甘く見ていたというわけね…」

 バニラが、苦笑する…

 「…だから、ある意味、お姉さんといっしょ…」

 「…私といっしょ?…」

 「…今、リンダが、アラブの王族に迫られるかも、と、悩んでいるのは、このバニラの悩みでもあるの…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…だって、もしかしたら、リンダではなく、このバニラが、リンダの代わりに、アラブの王族に気に入られて、サウジアラビアにでも、連れていかれても、おかしくはないもの…」

 バニラが、笑った…

 が、

 それは、なんともいえない、哀しそうな笑いだった…

 「…だから、リンダの悩みは、私の悩み…このバニラ・ルインスキーの悩み…」

 「…」

 「…それで、今日、葉尊に、リンダのことで、相談しようと思っていたら、葉尊も、忙しくて、時間が取れない…でも、お姉さんが、来る時間だったら…というから、今日、やって来たわけ…」

 …なんと…

 …そういうことだったのか?…

 私は、やっと、どうして、今日、このバニラと、クールの本社ビルで、会ったのか、わかった…

 要するに、葉尊に呼び出されたわけだ…

 だから、私は、夫の葉尊を見た…

 「…ちょうど、お姉さんに、電話するのと、同じぐらいの時間だったんです…」

 私の意図に気付いた葉尊が、私に言った…

 「…矢口さんから、電話があり、お姉さんと以前、顔見知りだと、言ったので、ぜひ、お姉さんが、やってくれば、矢口さんと話がはずむと思ったんです…そのときに、このバニラからも、電話があって…」

 …なるほど…

 …そういうことか?…

 …だから、あのとき、このクールの本社ビルの前で、会ったわけだ…

 …つまりは、同じ時間に呼び出されたわけだ…

 …そりゃ、会うはずだ…

 私は、思った…

 「…だから、バニラには、悪いけれども、この時間しかなかったわけです…」

 葉尊が説明する…

 「…あの矢口さんが、いらして、お姉さんと、話すのに、同席して、その後に、バニラの話を聞こうと、思ったんです…そうすれば、お姉さんからも、なにか、有益なアドバイスを頂けるかもしれないと、思って…」

 「…私が?…」

 「…だって、お姉さんは、この中で一番の年上じゃないですか? …一番、人生経験が、豊富ですから、なにか、良いアドバイスを頂けるんじゃないかと、思って…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 それから、腕を組んで、考え込んだ…

 …アドバイス…

 …アドバイス…

 しかしながら、なんのアドバイスも出てこんかった(涙)…

 これは、困った…

 実に、困った…

 が、

 ふと、気付いた…

 「…バニラ…」

 「…なに、お姉さん?…」

 「…もしかしたら、オマエも今度のアラブの王族の接待に出るのか?…」

 「…そうよ…」

 …だからか?…

 …だから、バニラも、こんなに悩んでいたんだ…

 やっと、気付いた…

 バニラも、あのリンダといっしょに、アラブの王族の接待に出るんだ…

 だから、もしかしたら、リンダの代わりにアラブの王族に、アラブまで、お持ち帰りされては、堪らないと、悩んでいるわけだ…

 私は、ようやく、その事実に気付いた…

 だが、

 ちょっと、待て…

 以前、私がリンダの家に行ったとき、このバニラもいたが、そんなことは、おくびにも出さなかったゾ…

 なにより、あのとき、リンダは、バニラに、アラブの王族のことで、どうするか、相談しようとしていた…

 にもかかわらず、このバニラは、

 「…実は、私も、アラブの王族の接待に駆り出されて…」

 なんてことは、一言も言わなかったゾ…

 相変わらず、腹黒いヤツだ…

 私は、思った…

 だから、私は、私の細い目を、さらに、細めて、このバニラを見た…

 「…なに? …お姉さん…その目?…」

 バニラが、聞いた…

 「…いや、相変わらず、オマエは腹黒いヤツだと思ってな…」

 「…どういう意味?…」

 「…だって、リンダが、オマエに相談したときに、実は、私もそのパーティーに参加するとは、一言も言ってなかったゾ…」

 「…それは、まだ、あのときは、葉敬に頼まれてなかったからよ…」

 「…お父さんに?…」

 「…そうよ…」

 そうか?

 たしかに、葉敬に頼まれれば、断るわけには、いかない…

 葉敬も、リンダだけでは、パーティーの主役に不十分だと思ったのかもしれない…

 いかに、リンダが、美人でも、パーティーの華には、役不足…

 なぜなら、美人が一人だからだ…

 一人より、二人…

 美人の数が多い方がいい…

 だが、美人は、世の中に、決して、多くはない…

 ならば、手近な美人をパーティーに出席させるのが、一番…

 てっとり早い…

 だから、バニラなんだろう…

 私は、思った…

 だが、

 このバニラとリンダだけでは、役不足…

 たしかに、美人ではある…

 だが、それでは、役不足…

 なぜなら、中身がないからだ…

 だから、役不足なのだ…

 心配でならん…

 誰かが、この二人の面倒を見てやらねば、ならん…

 私は、思った…

 が、

 頼める人物がいない…

 本当は、夫の葉尊が、二人の面倒を見るのが、一番だが、葉尊は、クールの社長…

 同じパーティーに出席しても、色々忙しいだろう…

 だから、無理…

 二人の面倒を見るのは、無理だ…

 だが、

 他に、リンダとバニラの面倒を見ることができるものといえば…

 思いつくのは?…

 …この私しか、いない!…

 …この矢田トモコしか、いない!…

 突然、この事実に気付いた…

 当たり前の事実に気付いた…

 それに気付いた私は、腕を組みながら、

 「…仕方がない…バニラ、オマエとリンダの面倒を、私が見てやろう…」

 と、宣言した…

 「…お姉さんが?…」

 バニラと葉尊が、同時に言った…

 「…そうさ…アラブの王族の接待といっても、どうせパーティーか、なにかだろ? 葉尊は、社長だから、パーティーで、来賓とかのお客様を、接待するのに、色々忙しいだろうから、バニラとリンダの面倒は、見れんだろ? …だから、葉尊の代わりに、バニラとリンダの面倒は、私が見てやろう…」

 私は宣言した…

 本当は、こんなことは、やりたくなかったが、私以外に適任者がいなかった…

 仕方があるまい…

 ここが、私の出番だったのかもしれない…

 私は、腹をくくった…

 が、

 私が、それを宣言しても、バニラも、葉尊も少しも、嬉しそうではなかった…

 …これは、一体、どういうことだ?…

 私は、悩んだ…

 「…な…なんだ? …オマエたち…少しも、嬉しそうではないな…」

 私は、言った…

 すると、二人とも、

 「…」

 と、答えなかった…

 なぜか、二人とも、難しい顔をして、考え込んでいた…

 「…大丈夫だ…私に任せておけ!…」

 私は、私の大きな胸を、右手で、叩いた…

 「…オマエたちの面倒は、私が、見てやるさ…大船に乗ったつもりでいれば、いいさ…」

 私は、言った…

 にもかかわらず、二人とも、まだ無言のまま、なにやら、難しい顔をしていた…

 「…どうした? …なにか、困ったことでも、あるのか?…」

 「…いえ…」

 葉尊が、気難しい顔のまま、返事をした…

 そして、隣のバニラもまた、難しい顔をして、考え込んだままだった…

 私は、不思議だった…

 二人とも、なんで、こんなに、難しい顔をしているのだろう…

 さっぱり、わからんかった…

 急に、腹痛か、なにか起こったような難しい顔だった…

 まさかとは、思うが、どこか、カラダの具合が、悪くなったのか、心配になった…

 だから、私は、二人に、

 「…二人とも、どこか、カラダの具合が悪いのか?…」

 と、聞いた…

 すると、

 「…どうして、そう思うの?…」

 と、バニラが、気難しい顔のまま、聞いた…

 「…だって、そんな難しい顔をして…どこか、悪いに決まっている…」

 私は、言った…

 すると、バニラが、私を見た…

 ジッと見つめた…

 それから、プッと、吹き出した…

 失礼にも、私の顔を見て、吹き出したのだ…

 「…な、なんだ? …オマエ…私の顔になにか、付いているのか?…」

 私は、慌てて言った…

 考えてみれば、今日、夫の葉尊からの電話で、着の身着のままで、慌てて、このクールの本社ビルにやって来たので、それまで、食べていたキットカットの破片でも、私の顔に付いているのか、不安になったのだ…

 「…ホントに、人がいいっていうか…」

 バニラが続ける…

 「…つくづく、誰からも愛されるキャラクターよね…」

 バニラの言葉に、隣の葉尊が、苦笑した…

 「…なにが、あっても、憎めないキャラ…そして、愛されるキャラ…」

 バニラが、その美しい顔で、マジマジと、私を凝視した…

 途端に、私は、緊張した…

 バニラの青い目が、まるで、私のすべてを見透かすような感じだったからだ…

 同時に、

 …なんて、美しい…

 とも、思った…

 少し大げさにいえば、この世に、こんな美しい女がいるのか? とも思った…

 とにかく、キレイなのだ…

 普段は、私の悪口ばかり言っているから、気に入らんが、無言で、私を見つめると、あらためて、その美しさに驚嘆した…

 たしかに、この美しさならば、アラブの王族の接待に、繰り出されて、パーティーの後、アラブにお持ち帰りされても、おかしくはない…

 私は、思った…

 とにかく、キレイ過ぎるのだ…

 私が、バニラの美しさに、驚嘆していると、バニラが、

 「…お姉さんが、パーティーに参加する…案外いいかも…」

 と、意外なことを言った…

 途端に、隣にいた葉尊が、驚いた…

 「…どうして?…」

 葉尊が聞いた…

 「…このお姉さんが、パーティーに参加すれば、パーティーの主役になる…」

 …なんだと?…

 …私が、パーティーの主役だと?…

 …どういう意味だ?…

 「…このお姉さんは、目立つ…どこにいても…なぜか、目立つ…ひとの目を惹きつける…」

 バニラが、説明する…

 「…すると、案外、パーティーに参加したアラブの王族も、私やリンダではなく、お姉さんに目が行くと思う…」

 …なんだと?…

 …バニラやリンダではなく、この矢田に、目が行くと?…

 …ということは、どうだ?…

 …この矢田が、アラブの王族に、お持ち帰りされるということか?…

 …これは、困った…

 …私は、すでに人妻…

 …葉尊という、立派な夫がいる…

 …にもかかわらず、他ならぬ夫の葉尊が、主催したパーティーで、知り会ったアラブの王族にお持ち帰りされるとは?…

 …やはり、これは、あってはならんことだ…

 …たとえ、アラブの王族が、どれほどのイケメンでも、あっては、ならんことだ…

 私は、思った…

 すると、葉尊が、

 「…バニラ…」

 と、声をかけた…

 「…リンダに会いたいと言っている、リンダ・ヘイワースのファンが、お姉さんに、注目するわけはないだろ?…」

 と、異議を挟んだ…

 が、

 バニラは、

 「…普通ならね…」

 と、だけ、言った…

 「…普通なら…」

 と、葉尊…

 「…そう、普通なら、そう思う…でも、このお姉さんは、違う…」

 「…どう違うんだ?…」

 「…他人を魅了することができる…」

 「…」

 「…葉尊…アナタも、その一人でしょ? …お姉さんの魅力にハマった…」

 葉尊は、

 「…」

 と、答えなかった…

 ただ、少しして、

 「…バニラのいうことは、わかる…」

 と、だけ、呟いた…

 「…ボクも美人が好きだが、お姉さんには、叶わない…」

 葉尊が告げる…

 「…どんな美人といっしょにいても、三日見れば、飽きるというが、このお姉さんといると、三日どころか、いつまで、経っても、毎日が楽しい…常に、ボクを楽しませてくれる…」

 …なんだと?…

 …ボクを楽しませてくれるだと?…

 …一体、私が、葉尊になにをしたというのだ?…

 …ただ、いっしょに、暮らしているだけだ…

 「…人間の魅力というのは、外見だけじゃない…それを、このお姉さんが、ボクに教えてくれた…」

 「…」

 「…それだけ、お姉さんは、魅力がある…だから、たしかに、お姉さんが、パーティーに参加すれば、思わぬ展開になるかもしれない…」

 葉尊が、意味深に、言った…

                
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み