第47話
文字数 6,888文字
…バカなバニラ…
私は、思った…
まったくもって、バカなバニラだが、このバニラは、マリアの母親でもある…
そして、マリアは、私になついている…
この矢田になついている…
だから、まあ、マリアのためにも、ここで、一肌脱いでもいいかな?と、思った…
「…安心しろ…バニラ…マリアのためさ…」
私は言った…
「…ひとつ、どんな子供だか、私の目で、見てきてやろう…」
「…ありがとうございます…お姉さん…」
バニラが電話越しに涙を流して、私に感謝する光景が見えた…
ハッキリと見えたのだ…
私は、小泉進次郎と、同類かもしれん…
まさに、目をつぶっていても、未来が見えるのだ(爆笑)…
結局、その翌日の朝、私は、葉尊よりも、先に家を出た…
前日の夜に、会社から帰って来た葉尊に、
「…明日の朝は、野暮用ができた…だから、朝食は、一人で、食え…」
と、告げた…
「…野暮用ですか?…」
「…そうさ…」
「…野暮用って、どんな用事ですか?…」
「…野暮用は、野暮用さ…たいした用事じゃない…」
「…ですが…」
「…葉尊…オマエが、心配するのは、わかる…たいした用事じゃない…バニラの娘のマリアのことさ…」
「…マリア…ですか?…」
「…そうさ…以前にも、バニラに聞いたが、どうやら、マリアの通う保育園で、マリアをイジメている子供がいるらしい…それが、どんな子供か、見て欲しいと、バニラに、頼まれたのさ…」
「…バニラに?…」
言いながら、この話題は、この前、葉問としたことに、気付いた…
同時に、葉問とした会話は、すべて、葉尊も知っていると、葉問が、言った…
それを、思い出したのだ…
だからだろうか…
葉尊が、顔をしかめて、私を見た…
「…罠? …もしかしたら、それは、罠かも…」
葉尊が、考え込みながら、言った…
だから、私は、葉尊を安心させるべく、
「…考え過ぎさ…」
と、夕食をガツガツ食べながら、言った…
「…考え過ぎ?…」
「…そうさ…オマエも葉問も、考え過ぎさ…」
言いながら、果たして、ここで、葉問の名前を出して、良かったのか、どうか、考えた…
思えば、葉尊の前で、葉問の話題を出したことは、滅多になかった…
葉尊と葉問が、同一人物であることを、知らなかったときも、含めて、なかった…
理由は、特にない…
ただ、なんとなく、葉尊に聞くのは、気後れしたというか…
誰もがそうだが、どんな人間にも、聞いていいことと、悪いことがある…
そんな感じがしたのだ…
矛盾するが、葉問には、葉尊のことを、結構、聞いた…
が、
葉尊には、あまり、葉問のことを聞いたことがなかった…
どうしてだかは、自分にも、わからない…
ただ、なんとなく聞きにくかった…
それが、理由だった…
「…葉問ですか?…」
なぜか、葉尊が、奥歯にものを挟むような言い方で言った…
「…そうさ…」
私は、言った…
極力、軽く言った…
さらりと、今、葉問の名前を言ったことを、忘れるかのように、言った…
「…罠…」
葉尊が、一人、呟いた…
「…たしかに、葉問は、バニラの娘のマリアをイジメることで、バニラをおびき出すんじゃないかと、言ったさ…」
「…」
「…でも、それは、バカげているさ…」
「…どうして、バカげているんですか?…」
「…だって、考えて見ろ…葉尊…そんなことをしなくても、バニラでもリンダでも、仕事で、世界中を飛び回っているだろ…当然、誰にも監視されてない…だから、あの二人に、接触しようとすれば、オマエや父親の葉敬の目を盗んで、会うことができる…」
私の言葉に、葉尊は、難しい顔をして、考え込んだ…
「…たしかに、お姉さんの言う通りです…」
「…だろ?…」
「…ハイ…」
「…二人とも、大人だ…だから、あの二人に、関して、悩む必要は、なにもないさ…」
私は、力強く言った…
それは、むしろ、自分自身に言い聞かせるようだった…
「…そんなことより、問題は、マリアさ…」
「…マリア…ですか?…」
「…そうさ…たとえ、マリアをイジメることで、バニラを引っ張り出そうとするのが、ファラドの狙いならば、遅かれ早かれ、ファラドの狙い通りに、出てゆかなければ、ならないさ…」
「…どうして、ですか?…」
「…葉尊…わからないのか?…」
「…なにが、わからないんですか?…」
「…敵の狙いが、バニラであってもなくても、誰かが、出てゆかなければ、マリアは、そのサウジの子供にイジメられ続けるかも、しれんゾ…だから、私が、行くことに、決めたのさ…」
「…お姉さんは、そこまで考えて…」
「…そうさ…私は、マリアのことは、好きさ…そのマリアがイジメられていると、聞いて、私も考えたのさ…」
「…」
「…マリアは、私になついている…私が好きさ…自分を好きな人間を、どうにか、助けてあげたいと思うのが、人情だろ?…」
「…ハイ…」
「…だから、これが、罠なら、喜んで、かかってやるさ…後は、出たとこ勝負さ…」
「…出たとこ勝負?…」
「…そうさ…相手が、どう出てくるか、さっぱりわからんさ…だから、シュミレーションは無駄さ…」
「…無駄?…」
「…そうさ…どんなにシュミレーションを重ねても、想定外の事態は、あるものさ…だから、なまじ、シュミレーションに頼り過ぎると、想定外の事態に陥ったときに、どうしていいか、わからなくなるものさ…いわば、それは、マニュアルにないことだからさ…」
「…」
「…だから、考えることは、やめたのさ…」
私は、言った…
言いながら、目の前の葉尊が、どういう反応を見せるのか、気になった…
葉尊が、少し間を置いて、
「…わかりました…」
と、答えた…
「…ですが、お姉さん…くれぐれも、無理はしないで下さい…」
「…それは、しないさ…大丈夫さ…」
「…どうして、大丈夫なんですか?…」
「…私が、腕っぷしが強い男なら、相手を叩きのめしてやろうとするかもしれんさ…だが、私は、女で、カラダも小さいから、そんなこと、無理さ…だから、無理はしないさ…」
私が、言うと、葉尊は、ホッとした様子だった…
私は、前夜の葉尊とのやりとりを、思い出しながら、家を出た…
葉尊と住む、豪華マンションを出た…
このマンションを出入りするときに、つくづく、この矢田は、このマンションの住人にふさわしくないと思う…
いわば、気後れするのだ…
なまじ、平民に生まれたからだろうか?
こんな豪華なマンションに出入りするときに、ひどく緊張する…
誰かに見られて、
「…エッ? あんなひとが、住んでるの?…」
とか、言われたら、堪ったものでは、ないからだ…
自分でも、いつも内心ビクビクしている…
それは、私が、庶民…
庶民だからだ…
部屋に入ってしまえば、いい…
外からは、誰にも見られない…
いかに、豪華な部屋で、私には、似合わないと思いながらも、誰からも見られていないから、安心する…
そういうことだ…
だから、この豪華マンションを出入りするときは、ドキドキする…
人間分不相応なことは、するべきではない…
つくづく、思う…
葉尊と結婚して、もう半年近く経つのに、ちっとも、慣れない…
私は、そんなことを、考えながら、自分の住むマンションを出た…
が、
マリアの通う保育園は、私の住むマンションどころでは、なかった…
なかったのだ…
庶民である私は、朝の早くから、電車に乗り、スマホで、住所を調べ、自分の足で、マリアの通う保育園まで、歩いてきた…
最初は、タクシーを使おうと思ったが、金が、もったいなかった…
また、葉尊は、クールの社長だから、
「…お姉さん…社用車を回しましょう…」
と、言ってくれたが、タイミングが悪かった…
いきなり、前夜に、葉尊に相談したから、社用車を用意するのが、間に合わなかったのだ…
なんでもそうだが、いきなりは、困る(笑)…
どうしても、いきなり、やられては、対処できないものが、世の中には、多々ある…
これも、その一つということだ(笑)…
私は、思った…
が、
そんなことは、どうでもいい(笑)…
問題は、マリアだった…
マリアの通う保育園だった…
私が、マリアの通う保育園の前で、見ていると、次から次へと、保育園に、高級車がやって来た…
私は、決して、クルマに詳しいわけでもない…
が、
そんな私の目にも、わかる高級車だった…
ベンツや、ロールスロイスが、これでもかと、次々にやって来た…
…これが、セレブの保育園か!…
私は、文字通り圧倒された…
圧倒されたのだ!…
私が知る保育園とは、バスが、園児たちを、街中で、拾ってゆくものだった…
クレヨンしんちゃんと、同じだ…
が、
この保育園は、全然違う…
私は、どうして、違う? と、思ったが、それは、すぐにわかった…
ここは、セレブの保育園…
いわば、金持ちの子弟が集まる保育園だから、園児の出身地域が広い…
だから、バスで、園児を拾うことが、できないのだ…
園児の住む地域が、広いから、バスを走らせて、それぞれの園児を拾うことができない…
だから、園児の両親に、自ら、出迎えしてもらうのだろう…
その結果、見栄の張り会いになり、高級車で、園児が、送迎されることになる…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
私の細い目を、さらに細くして、睨みながら、考えた…
すると、ここに格差があると、思った…
当たり前だが、格差が、ある…
この保育園に通う子供は、セレブ…
お金持ち…
高級車が競い合うかのように、保育園の入口にやって来る…
いいか、悪いか、ではなく、これが、現実…
格差の現実かもしれん、と思った…
また、そう思ったのは、この矢田が、庶民だから…
この矢田が、これまで、お金持ちとは、無縁だからとも、思った…
これが、皇族ではないが、生まれつきのお金持ちならば、別段、驚くことはないだろう…
なぜなら、それが、当たり前だからだ…
自分も、お金持ちだが、周囲の人間も、また、お金持ち…
だから、周囲の人間が、フェラーリで、やって来ようと、驚くこともない…
お金持ちにとって、それが、普通だからだ…
日常だからだ…
が、
この矢田にとっては、思わず、大声を出したくなるような光景だった…
そんな高級車ばかり、保育園に集う光景は、これまで、見たこともなかった…
35年間、生きてきて、なかったのだ…
それを思えば、つくづく、自分は、庶民…
庶民なんだと、実感した…
だから、私は、唖然として、保育園の前に立っていると、
「…矢田ちゃん…」
と、突如、私を呼ぶ声がした…
私は、声のする方を、振り返った…
マリアだった…
マリアもまた、大きな黒塗りの高級車に乗っていた…
マリアがいきなり、窓を開けて、クルマの中から、私に声をかけたのだ…
「…矢田ちゃん…こんなところで、なにをしているの?…」
「…なにをしていると、言われても…」
私は、返答に詰まった…
まさか、マリア…オマエをイジメる子が、どんな子か、見てきてくれと、バニラに頼まれたからとは、口が裂けても言えん…
言えんからだ…
だから、
「…いや…この前、バニラが、マリア…オマエの通う保育園は、凄いお金持ちが、いっぱいいると、言っていたから、どんな、ところかと、思って、見に来たのさ…」
「…こんなに、朝、早くから…」
「…そうさ…」
私が、自信を持って、言うと、マリアが、笑った…
笑ったのだ…
「…矢田ちゃん…もしかしたら、赤ちゃんができたの?…」
「…なんだと?…」
「…矢田ちゃんも、ママになるから、子供の通う保育園を、下見に来たんだ…」
マリアが、笑いながら、言った…
私は、驚いた…
驚いたのだ…
が、
ふと、思った…
これを、利用しない手はないと、思ったのだ…
「…そうさ…下見さ…子供が、できたら、どんな保育園に、通わせるか、考えたのさ…
「…そうか…矢田ちゃんも、ママになるんだ…」
そう言うと、マリアが、クルマから、降りた…
すると、すぐに、クルマの中から、
「…マリアちゃん…」
と、言う声がした…
「…今日は、ここで、降ります…ありがとう…また午後に迎えに来てね…」
マリアが、中の運転手に告げた…
そして、あろうことか、マリアが、私の腕を取った…
「…行こう…矢田ちゃん…」
「…行こうって、どこへ行くんだ?…」
「…保育園…」
「…保育園って?…」
「…だって、矢田ちゃんも、ママになったら、子供を、この保育園に通わせたいんでしょ?…」
マリアが、あっけらかんと言った…
私は、焦った…
焦ったのだ…
なぜか、わからんが、いつのまにか、マリアの中で、私が、自分の子供を、この保育園に通わせるために、下見に来たことになっていた…
正直、わからん…
実に、わけのわからん展開だった(汗)…
なにより、私は、この保育園が、嫌いだった…
何度も言うが、私は、庶民…
庶民だ…
だから、金持ちが嫌い…
嫌いだった…
率直に言って、私は、身近に金持ちは、葉尊の関係者しか、知らない…
関係者というのは、リンダやバニラを含めてのことだ…
リンダや、バニラを含めて、すでに知り会った金持ちは、嫌いではない…
なぜなら、すでに仲良くなったからだ…
が、
他の金持ちのことは、わからない…
正直にいえば、金持ちが、嫌いというより、怖いのだ…
私が、どこかへ行って、金持ちと出会う…
すると、生まれも育ちも違うから、
「…アナタ…こんなことも、わからないの?…」
と、言われるのが、怖いのだ…
いわば、無知の知…
なにも、知らなければ、恐れることは、なにもない…
が、
私のように、歳を取れば、3歳のマリアと違って、色々考える…
余計なことを考える…
そういうことだ…
誰もが、わかる、身近な例で言えば、結婚相手や、交際相手が、自分と身分が違う、金持ちだったとする…
家を一目見て、豪邸…
すると、自分が、その交際相手やら、結婚相手の両親に、なんて、思われるか、心配になる…
そういうことだ…
それと、同じだ…
なにも、感じない人間はいい…
だが、大抵の人間は、違いを感じるものだ…
もし、なにも感じなければ、その人間が、おかしいのだろう…
普通の感覚を持っていないのだろう…
そう思えてくる…
それを、思うと、ずっと、以前だが、文字通り、バイト先で、わけのわからん女に会ったことがある…
その女は、容姿も普通…学歴も、普通…家柄も普通にも、かかわらず、自分の評価が異常に高かった…
なぜか、わからんが、高かった(笑)…
だから、バイト先でも、自分に会う、さまざまな人間をマウンティング=格付けしていた…
そして、陰口を叩いていた…
悪口を言っていた…
だから、自分は、周囲の人間に、毛嫌いされていたが、本人は、まったく、気付いていなかった…
いわば、鈍感力に優れていたのだ(爆笑)…
世の中には、このように、稀に、わけのわからん人間がいる…
そのときに、気付いた…
それまで、私の周囲にいた人間は、皆、普通だった…
普通のひとたちだった…
が
その女は、まったく違った…
いわゆる背伸びしているわけではなく、本気で、自分が優れていると、信じ込んでいた…
正直、わけがわからんかった(爆笑)…
優れていると、いうのは、いい大学を出ていたり、ルックスが優れていたり、家が、お金持ちだったりするものだ…
が、
その女は、なにもないのに、自分が、優れていると、自負していた…
自信を持っていた…
今、振り返って見ると、なにもないから、自分が、優れていると、思うのだろうと、考える…
少しでも、頭が良ければ、早稲田や慶応のような、良い大学に行き、自分よりも、頭がいい人間と出会ったりして、自分の能力を悟るものだ…
そういう頭は、一切ない…
だから、優れていると、思うのかもしれない…
そして、その会社では、美人も一人もいなかった…
だから、十人並みの器量にもかかわらず、自分が、優れていると、思うのかもしれない…
と、考えるが、やはり、おかしい(笑)…
なぜなら、頭はともかく、ルックスは、街を歩けば、たまには、美人を見て、自分とは、違うと、悟るものだからだ…
ただ、世の中には、わけのわからん人間がいる(爆笑)…
それが、わかった一件だった…
私は、そんなことを、考えた…
すると、
「…お姉さん?…」
と、いう声がした…
私は、マリアと手をつなぎながら、声をする方を振り返った…
そこには、長身で、浅黒い肌を持つ、精悍な顔を持つ男が、立っていた…
私は、一瞬、焦ったが、どこかで、見た顔だと思った…
その男が、ラブなポロシャツを着ていたから、誰だか、すぐには、わからなかったのだ…
ネットで見た、あのアラブの民族衣装である、白い服を着ていなかったから、わからなかったのだ…
だが、それは、ファラド…
間違いなく、ファラド王子だった…
私は、思った…
まったくもって、バカなバニラだが、このバニラは、マリアの母親でもある…
そして、マリアは、私になついている…
この矢田になついている…
だから、まあ、マリアのためにも、ここで、一肌脱いでもいいかな?と、思った…
「…安心しろ…バニラ…マリアのためさ…」
私は言った…
「…ひとつ、どんな子供だか、私の目で、見てきてやろう…」
「…ありがとうございます…お姉さん…」
バニラが電話越しに涙を流して、私に感謝する光景が見えた…
ハッキリと見えたのだ…
私は、小泉進次郎と、同類かもしれん…
まさに、目をつぶっていても、未来が見えるのだ(爆笑)…
結局、その翌日の朝、私は、葉尊よりも、先に家を出た…
前日の夜に、会社から帰って来た葉尊に、
「…明日の朝は、野暮用ができた…だから、朝食は、一人で、食え…」
と、告げた…
「…野暮用ですか?…」
「…そうさ…」
「…野暮用って、どんな用事ですか?…」
「…野暮用は、野暮用さ…たいした用事じゃない…」
「…ですが…」
「…葉尊…オマエが、心配するのは、わかる…たいした用事じゃない…バニラの娘のマリアのことさ…」
「…マリア…ですか?…」
「…そうさ…以前にも、バニラに聞いたが、どうやら、マリアの通う保育園で、マリアをイジメている子供がいるらしい…それが、どんな子供か、見て欲しいと、バニラに、頼まれたのさ…」
「…バニラに?…」
言いながら、この話題は、この前、葉問としたことに、気付いた…
同時に、葉問とした会話は、すべて、葉尊も知っていると、葉問が、言った…
それを、思い出したのだ…
だからだろうか…
葉尊が、顔をしかめて、私を見た…
「…罠? …もしかしたら、それは、罠かも…」
葉尊が、考え込みながら、言った…
だから、私は、葉尊を安心させるべく、
「…考え過ぎさ…」
と、夕食をガツガツ食べながら、言った…
「…考え過ぎ?…」
「…そうさ…オマエも葉問も、考え過ぎさ…」
言いながら、果たして、ここで、葉問の名前を出して、良かったのか、どうか、考えた…
思えば、葉尊の前で、葉問の話題を出したことは、滅多になかった…
葉尊と葉問が、同一人物であることを、知らなかったときも、含めて、なかった…
理由は、特にない…
ただ、なんとなく、葉尊に聞くのは、気後れしたというか…
誰もがそうだが、どんな人間にも、聞いていいことと、悪いことがある…
そんな感じがしたのだ…
矛盾するが、葉問には、葉尊のことを、結構、聞いた…
が、
葉尊には、あまり、葉問のことを聞いたことがなかった…
どうしてだかは、自分にも、わからない…
ただ、なんとなく聞きにくかった…
それが、理由だった…
「…葉問ですか?…」
なぜか、葉尊が、奥歯にものを挟むような言い方で言った…
「…そうさ…」
私は、言った…
極力、軽く言った…
さらりと、今、葉問の名前を言ったことを、忘れるかのように、言った…
「…罠…」
葉尊が、一人、呟いた…
「…たしかに、葉問は、バニラの娘のマリアをイジメることで、バニラをおびき出すんじゃないかと、言ったさ…」
「…」
「…でも、それは、バカげているさ…」
「…どうして、バカげているんですか?…」
「…だって、考えて見ろ…葉尊…そんなことをしなくても、バニラでもリンダでも、仕事で、世界中を飛び回っているだろ…当然、誰にも監視されてない…だから、あの二人に、接触しようとすれば、オマエや父親の葉敬の目を盗んで、会うことができる…」
私の言葉に、葉尊は、難しい顔をして、考え込んだ…
「…たしかに、お姉さんの言う通りです…」
「…だろ?…」
「…ハイ…」
「…二人とも、大人だ…だから、あの二人に、関して、悩む必要は、なにもないさ…」
私は、力強く言った…
それは、むしろ、自分自身に言い聞かせるようだった…
「…そんなことより、問題は、マリアさ…」
「…マリア…ですか?…」
「…そうさ…たとえ、マリアをイジメることで、バニラを引っ張り出そうとするのが、ファラドの狙いならば、遅かれ早かれ、ファラドの狙い通りに、出てゆかなければ、ならないさ…」
「…どうして、ですか?…」
「…葉尊…わからないのか?…」
「…なにが、わからないんですか?…」
「…敵の狙いが、バニラであってもなくても、誰かが、出てゆかなければ、マリアは、そのサウジの子供にイジメられ続けるかも、しれんゾ…だから、私が、行くことに、決めたのさ…」
「…お姉さんは、そこまで考えて…」
「…そうさ…私は、マリアのことは、好きさ…そのマリアがイジメられていると、聞いて、私も考えたのさ…」
「…」
「…マリアは、私になついている…私が好きさ…自分を好きな人間を、どうにか、助けてあげたいと思うのが、人情だろ?…」
「…ハイ…」
「…だから、これが、罠なら、喜んで、かかってやるさ…後は、出たとこ勝負さ…」
「…出たとこ勝負?…」
「…そうさ…相手が、どう出てくるか、さっぱりわからんさ…だから、シュミレーションは無駄さ…」
「…無駄?…」
「…そうさ…どんなにシュミレーションを重ねても、想定外の事態は、あるものさ…だから、なまじ、シュミレーションに頼り過ぎると、想定外の事態に陥ったときに、どうしていいか、わからなくなるものさ…いわば、それは、マニュアルにないことだからさ…」
「…」
「…だから、考えることは、やめたのさ…」
私は、言った…
言いながら、目の前の葉尊が、どういう反応を見せるのか、気になった…
葉尊が、少し間を置いて、
「…わかりました…」
と、答えた…
「…ですが、お姉さん…くれぐれも、無理はしないで下さい…」
「…それは、しないさ…大丈夫さ…」
「…どうして、大丈夫なんですか?…」
「…私が、腕っぷしが強い男なら、相手を叩きのめしてやろうとするかもしれんさ…だが、私は、女で、カラダも小さいから、そんなこと、無理さ…だから、無理はしないさ…」
私が、言うと、葉尊は、ホッとした様子だった…
私は、前夜の葉尊とのやりとりを、思い出しながら、家を出た…
葉尊と住む、豪華マンションを出た…
このマンションを出入りするときに、つくづく、この矢田は、このマンションの住人にふさわしくないと思う…
いわば、気後れするのだ…
なまじ、平民に生まれたからだろうか?
こんな豪華なマンションに出入りするときに、ひどく緊張する…
誰かに見られて、
「…エッ? あんなひとが、住んでるの?…」
とか、言われたら、堪ったものでは、ないからだ…
自分でも、いつも内心ビクビクしている…
それは、私が、庶民…
庶民だからだ…
部屋に入ってしまえば、いい…
外からは、誰にも見られない…
いかに、豪華な部屋で、私には、似合わないと思いながらも、誰からも見られていないから、安心する…
そういうことだ…
だから、この豪華マンションを出入りするときは、ドキドキする…
人間分不相応なことは、するべきではない…
つくづく、思う…
葉尊と結婚して、もう半年近く経つのに、ちっとも、慣れない…
私は、そんなことを、考えながら、自分の住むマンションを出た…
が、
マリアの通う保育園は、私の住むマンションどころでは、なかった…
なかったのだ…
庶民である私は、朝の早くから、電車に乗り、スマホで、住所を調べ、自分の足で、マリアの通う保育園まで、歩いてきた…
最初は、タクシーを使おうと思ったが、金が、もったいなかった…
また、葉尊は、クールの社長だから、
「…お姉さん…社用車を回しましょう…」
と、言ってくれたが、タイミングが悪かった…
いきなり、前夜に、葉尊に相談したから、社用車を用意するのが、間に合わなかったのだ…
なんでもそうだが、いきなりは、困る(笑)…
どうしても、いきなり、やられては、対処できないものが、世の中には、多々ある…
これも、その一つということだ(笑)…
私は、思った…
が、
そんなことは、どうでもいい(笑)…
問題は、マリアだった…
マリアの通う保育園だった…
私が、マリアの通う保育園の前で、見ていると、次から次へと、保育園に、高級車がやって来た…
私は、決して、クルマに詳しいわけでもない…
が、
そんな私の目にも、わかる高級車だった…
ベンツや、ロールスロイスが、これでもかと、次々にやって来た…
…これが、セレブの保育園か!…
私は、文字通り圧倒された…
圧倒されたのだ!…
私が知る保育園とは、バスが、園児たちを、街中で、拾ってゆくものだった…
クレヨンしんちゃんと、同じだ…
が、
この保育園は、全然違う…
私は、どうして、違う? と、思ったが、それは、すぐにわかった…
ここは、セレブの保育園…
いわば、金持ちの子弟が集まる保育園だから、園児の出身地域が広い…
だから、バスで、園児を拾うことが、できないのだ…
園児の住む地域が、広いから、バスを走らせて、それぞれの園児を拾うことができない…
だから、園児の両親に、自ら、出迎えしてもらうのだろう…
その結果、見栄の張り会いになり、高級車で、園児が、送迎されることになる…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
私の細い目を、さらに細くして、睨みながら、考えた…
すると、ここに格差があると、思った…
当たり前だが、格差が、ある…
この保育園に通う子供は、セレブ…
お金持ち…
高級車が競い合うかのように、保育園の入口にやって来る…
いいか、悪いか、ではなく、これが、現実…
格差の現実かもしれん、と思った…
また、そう思ったのは、この矢田が、庶民だから…
この矢田が、これまで、お金持ちとは、無縁だからとも、思った…
これが、皇族ではないが、生まれつきのお金持ちならば、別段、驚くことはないだろう…
なぜなら、それが、当たり前だからだ…
自分も、お金持ちだが、周囲の人間も、また、お金持ち…
だから、周囲の人間が、フェラーリで、やって来ようと、驚くこともない…
お金持ちにとって、それが、普通だからだ…
日常だからだ…
が、
この矢田にとっては、思わず、大声を出したくなるような光景だった…
そんな高級車ばかり、保育園に集う光景は、これまで、見たこともなかった…
35年間、生きてきて、なかったのだ…
それを思えば、つくづく、自分は、庶民…
庶民なんだと、実感した…
だから、私は、唖然として、保育園の前に立っていると、
「…矢田ちゃん…」
と、突如、私を呼ぶ声がした…
私は、声のする方を、振り返った…
マリアだった…
マリアもまた、大きな黒塗りの高級車に乗っていた…
マリアがいきなり、窓を開けて、クルマの中から、私に声をかけたのだ…
「…矢田ちゃん…こんなところで、なにをしているの?…」
「…なにをしていると、言われても…」
私は、返答に詰まった…
まさか、マリア…オマエをイジメる子が、どんな子か、見てきてくれと、バニラに頼まれたからとは、口が裂けても言えん…
言えんからだ…
だから、
「…いや…この前、バニラが、マリア…オマエの通う保育園は、凄いお金持ちが、いっぱいいると、言っていたから、どんな、ところかと、思って、見に来たのさ…」
「…こんなに、朝、早くから…」
「…そうさ…」
私が、自信を持って、言うと、マリアが、笑った…
笑ったのだ…
「…矢田ちゃん…もしかしたら、赤ちゃんができたの?…」
「…なんだと?…」
「…矢田ちゃんも、ママになるから、子供の通う保育園を、下見に来たんだ…」
マリアが、笑いながら、言った…
私は、驚いた…
驚いたのだ…
が、
ふと、思った…
これを、利用しない手はないと、思ったのだ…
「…そうさ…下見さ…子供が、できたら、どんな保育園に、通わせるか、考えたのさ…
「…そうか…矢田ちゃんも、ママになるんだ…」
そう言うと、マリアが、クルマから、降りた…
すると、すぐに、クルマの中から、
「…マリアちゃん…」
と、言う声がした…
「…今日は、ここで、降ります…ありがとう…また午後に迎えに来てね…」
マリアが、中の運転手に告げた…
そして、あろうことか、マリアが、私の腕を取った…
「…行こう…矢田ちゃん…」
「…行こうって、どこへ行くんだ?…」
「…保育園…」
「…保育園って?…」
「…だって、矢田ちゃんも、ママになったら、子供を、この保育園に通わせたいんでしょ?…」
マリアが、あっけらかんと言った…
私は、焦った…
焦ったのだ…
なぜか、わからんが、いつのまにか、マリアの中で、私が、自分の子供を、この保育園に通わせるために、下見に来たことになっていた…
正直、わからん…
実に、わけのわからん展開だった(汗)…
なにより、私は、この保育園が、嫌いだった…
何度も言うが、私は、庶民…
庶民だ…
だから、金持ちが嫌い…
嫌いだった…
率直に言って、私は、身近に金持ちは、葉尊の関係者しか、知らない…
関係者というのは、リンダやバニラを含めてのことだ…
リンダや、バニラを含めて、すでに知り会った金持ちは、嫌いではない…
なぜなら、すでに仲良くなったからだ…
が、
他の金持ちのことは、わからない…
正直にいえば、金持ちが、嫌いというより、怖いのだ…
私が、どこかへ行って、金持ちと出会う…
すると、生まれも育ちも違うから、
「…アナタ…こんなことも、わからないの?…」
と、言われるのが、怖いのだ…
いわば、無知の知…
なにも、知らなければ、恐れることは、なにもない…
が、
私のように、歳を取れば、3歳のマリアと違って、色々考える…
余計なことを考える…
そういうことだ…
誰もが、わかる、身近な例で言えば、結婚相手や、交際相手が、自分と身分が違う、金持ちだったとする…
家を一目見て、豪邸…
すると、自分が、その交際相手やら、結婚相手の両親に、なんて、思われるか、心配になる…
そういうことだ…
それと、同じだ…
なにも、感じない人間はいい…
だが、大抵の人間は、違いを感じるものだ…
もし、なにも感じなければ、その人間が、おかしいのだろう…
普通の感覚を持っていないのだろう…
そう思えてくる…
それを、思うと、ずっと、以前だが、文字通り、バイト先で、わけのわからん女に会ったことがある…
その女は、容姿も普通…学歴も、普通…家柄も普通にも、かかわらず、自分の評価が異常に高かった…
なぜか、わからんが、高かった(笑)…
だから、バイト先でも、自分に会う、さまざまな人間をマウンティング=格付けしていた…
そして、陰口を叩いていた…
悪口を言っていた…
だから、自分は、周囲の人間に、毛嫌いされていたが、本人は、まったく、気付いていなかった…
いわば、鈍感力に優れていたのだ(爆笑)…
世の中には、このように、稀に、わけのわからん人間がいる…
そのときに、気付いた…
それまで、私の周囲にいた人間は、皆、普通だった…
普通のひとたちだった…
が
その女は、まったく違った…
いわゆる背伸びしているわけではなく、本気で、自分が優れていると、信じ込んでいた…
正直、わけがわからんかった(爆笑)…
優れていると、いうのは、いい大学を出ていたり、ルックスが優れていたり、家が、お金持ちだったりするものだ…
が、
その女は、なにもないのに、自分が、優れていると、自負していた…
自信を持っていた…
今、振り返って見ると、なにもないから、自分が、優れていると、思うのだろうと、考える…
少しでも、頭が良ければ、早稲田や慶応のような、良い大学に行き、自分よりも、頭がいい人間と出会ったりして、自分の能力を悟るものだ…
そういう頭は、一切ない…
だから、優れていると、思うのかもしれない…
そして、その会社では、美人も一人もいなかった…
だから、十人並みの器量にもかかわらず、自分が、優れていると、思うのかもしれない…
と、考えるが、やはり、おかしい(笑)…
なぜなら、頭はともかく、ルックスは、街を歩けば、たまには、美人を見て、自分とは、違うと、悟るものだからだ…
ただ、世の中には、わけのわからん人間がいる(爆笑)…
それが、わかった一件だった…
私は、そんなことを、考えた…
すると、
「…お姉さん?…」
と、いう声がした…
私は、マリアと手をつなぎながら、声をする方を振り返った…
そこには、長身で、浅黒い肌を持つ、精悍な顔を持つ男が、立っていた…
私は、一瞬、焦ったが、どこかで、見た顔だと思った…
その男が、ラブなポロシャツを着ていたから、誰だか、すぐには、わからなかったのだ…
ネットで見た、あのアラブの民族衣装である、白い服を着ていなかったから、わからなかったのだ…
だが、それは、ファラド…
間違いなく、ファラド王子だった…