第47話

文字数 6,888文字

 …バカなバニラ…

 私は、思った…

 まったくもって、バカなバニラだが、このバニラは、マリアの母親でもある…

 そして、マリアは、私になついている…

 この矢田になついている…

 だから、まあ、マリアのためにも、ここで、一肌脱いでもいいかな?と、思った…

 「…安心しろ…バニラ…マリアのためさ…」

 私は言った…

 「…ひとつ、どんな子供だか、私の目で、見てきてやろう…」

 「…ありがとうございます…お姉さん…」

 バニラが電話越しに涙を流して、私に感謝する光景が見えた…

 ハッキリと見えたのだ…

 私は、小泉進次郎と、同類かもしれん…

 まさに、目をつぶっていても、未来が見えるのだ(爆笑)…

 
 結局、その翌日の朝、私は、葉尊よりも、先に家を出た…

 前日の夜に、会社から帰って来た葉尊に、

 「…明日の朝は、野暮用ができた…だから、朝食は、一人で、食え…」

 と、告げた…

 「…野暮用ですか?…」

 「…そうさ…」

 「…野暮用って、どんな用事ですか?…」

 「…野暮用は、野暮用さ…たいした用事じゃない…」

 「…ですが…」

 「…葉尊…オマエが、心配するのは、わかる…たいした用事じゃない…バニラの娘のマリアのことさ…」

 「…マリア…ですか?…」

 「…そうさ…以前にも、バニラに聞いたが、どうやら、マリアの通う保育園で、マリアをイジメている子供がいるらしい…それが、どんな子供か、見て欲しいと、バニラに、頼まれたのさ…」

 「…バニラに?…」

 言いながら、この話題は、この前、葉問としたことに、気付いた…

 同時に、葉問とした会話は、すべて、葉尊も知っていると、葉問が、言った…

 それを、思い出したのだ…

 だからだろうか…

 葉尊が、顔をしかめて、私を見た…

 「…罠? …もしかしたら、それは、罠かも…」

 葉尊が、考え込みながら、言った…

 だから、私は、葉尊を安心させるべく、

 「…考え過ぎさ…」

 と、夕食をガツガツ食べながら、言った…

 「…考え過ぎ?…」

 「…そうさ…オマエも葉問も、考え過ぎさ…」

 言いながら、果たして、ここで、葉問の名前を出して、良かったのか、どうか、考えた…

 思えば、葉尊の前で、葉問の話題を出したことは、滅多になかった…

 葉尊と葉問が、同一人物であることを、知らなかったときも、含めて、なかった…

 理由は、特にない…

 ただ、なんとなく、葉尊に聞くのは、気後れしたというか…

 誰もがそうだが、どんな人間にも、聞いていいことと、悪いことがある…

 そんな感じがしたのだ…

 矛盾するが、葉問には、葉尊のことを、結構、聞いた…

 が、

 葉尊には、あまり、葉問のことを聞いたことがなかった…

 どうしてだかは、自分にも、わからない…

 ただ、なんとなく聞きにくかった…

 それが、理由だった…

 「…葉問ですか?…」

 なぜか、葉尊が、奥歯にものを挟むような言い方で言った…

 「…そうさ…」

 私は、言った…

 極力、軽く言った…

 さらりと、今、葉問の名前を言ったことを、忘れるかのように、言った…

 「…罠…」

 葉尊が、一人、呟いた…

 「…たしかに、葉問は、バニラの娘のマリアをイジメることで、バニラをおびき出すんじゃないかと、言ったさ…」

 「…」

 「…でも、それは、バカげているさ…」

 「…どうして、バカげているんですか?…」

 「…だって、考えて見ろ…葉尊…そんなことをしなくても、バニラでもリンダでも、仕事で、世界中を飛び回っているだろ…当然、誰にも監視されてない…だから、あの二人に、接触しようとすれば、オマエや父親の葉敬の目を盗んで、会うことができる…」

 私の言葉に、葉尊は、難しい顔をして、考え込んだ…

 「…たしかに、お姉さんの言う通りです…」

 「…だろ?…」

 「…ハイ…」

 「…二人とも、大人だ…だから、あの二人に、関して、悩む必要は、なにもないさ…」

 私は、力強く言った…

 それは、むしろ、自分自身に言い聞かせるようだった…

 「…そんなことより、問題は、マリアさ…」

 「…マリア…ですか?…」

 「…そうさ…たとえ、マリアをイジメることで、バニラを引っ張り出そうとするのが、ファラドの狙いならば、遅かれ早かれ、ファラドの狙い通りに、出てゆかなければ、ならないさ…」

 「…どうして、ですか?…」

 「…葉尊…わからないのか?…」

 「…なにが、わからないんですか?…」

 「…敵の狙いが、バニラであってもなくても、誰かが、出てゆかなければ、マリアは、そのサウジの子供にイジメられ続けるかも、しれんゾ…だから、私が、行くことに、決めたのさ…」

 「…お姉さんは、そこまで考えて…」

 「…そうさ…私は、マリアのことは、好きさ…そのマリアがイジメられていると、聞いて、私も考えたのさ…」

 「…」

 「…マリアは、私になついている…私が好きさ…自分を好きな人間を、どうにか、助けてあげたいと思うのが、人情だろ?…」

 「…ハイ…」

 「…だから、これが、罠なら、喜んで、かかってやるさ…後は、出たとこ勝負さ…」

 「…出たとこ勝負?…」

 「…そうさ…相手が、どう出てくるか、さっぱりわからんさ…だから、シュミレーションは無駄さ…」

 「…無駄?…」

 「…そうさ…どんなにシュミレーションを重ねても、想定外の事態は、あるものさ…だから、なまじ、シュミレーションに頼り過ぎると、想定外の事態に陥ったときに、どうしていいか、わからなくなるものさ…いわば、それは、マニュアルにないことだからさ…」

 「…」

 「…だから、考えることは、やめたのさ…」

 私は、言った…

 言いながら、目の前の葉尊が、どういう反応を見せるのか、気になった…

 葉尊が、少し間を置いて、

 「…わかりました…」

 と、答えた…

 「…ですが、お姉さん…くれぐれも、無理はしないで下さい…」

 「…それは、しないさ…大丈夫さ…」

 「…どうして、大丈夫なんですか?…」

 「…私が、腕っぷしが強い男なら、相手を叩きのめしてやろうとするかもしれんさ…だが、私は、女で、カラダも小さいから、そんなこと、無理さ…だから、無理はしないさ…」

 私が、言うと、葉尊は、ホッとした様子だった…

 
 私は、前夜の葉尊とのやりとりを、思い出しながら、家を出た…

 葉尊と住む、豪華マンションを出た…

 このマンションを出入りするときに、つくづく、この矢田は、このマンションの住人にふさわしくないと思う…

 いわば、気後れするのだ…

 なまじ、平民に生まれたからだろうか?

 こんな豪華なマンションに出入りするときに、ひどく緊張する…

 誰かに見られて、

 「…エッ? あんなひとが、住んでるの?…」

 とか、言われたら、堪ったものでは、ないからだ…

 自分でも、いつも内心ビクビクしている…

 それは、私が、庶民…

 庶民だからだ…

 部屋に入ってしまえば、いい…

 外からは、誰にも見られない…

 いかに、豪華な部屋で、私には、似合わないと思いながらも、誰からも見られていないから、安心する…

 そういうことだ…

 だから、この豪華マンションを出入りするときは、ドキドキする…

 人間分不相応なことは、するべきではない…

 つくづく、思う…

 葉尊と結婚して、もう半年近く経つのに、ちっとも、慣れない…

 私は、そんなことを、考えながら、自分の住むマンションを出た…

 が、

 マリアの通う保育園は、私の住むマンションどころでは、なかった…

 なかったのだ…

 庶民である私は、朝の早くから、電車に乗り、スマホで、住所を調べ、自分の足で、マリアの通う保育園まで、歩いてきた…

 最初は、タクシーを使おうと思ったが、金が、もったいなかった…

 また、葉尊は、クールの社長だから、

 「…お姉さん…社用車を回しましょう…」

 と、言ってくれたが、タイミングが悪かった…

 いきなり、前夜に、葉尊に相談したから、社用車を用意するのが、間に合わなかったのだ…

 なんでもそうだが、いきなりは、困る(笑)…

 どうしても、いきなり、やられては、対処できないものが、世の中には、多々ある…

 これも、その一つということだ(笑)…

 私は、思った…

 が、

 そんなことは、どうでもいい(笑)…

 問題は、マリアだった…

 マリアの通う保育園だった…

 私が、マリアの通う保育園の前で、見ていると、次から次へと、保育園に、高級車がやって来た…

 私は、決して、クルマに詳しいわけでもない…

 が、

 そんな私の目にも、わかる高級車だった…

 ベンツや、ロールスロイスが、これでもかと、次々にやって来た…

 …これが、セレブの保育園か!…

 私は、文字通り圧倒された…

 圧倒されたのだ!…

 私が知る保育園とは、バスが、園児たちを、街中で、拾ってゆくものだった…

 クレヨンしんちゃんと、同じだ…

 が、

 この保育園は、全然違う…

 私は、どうして、違う? と、思ったが、それは、すぐにわかった…

 ここは、セレブの保育園…

 いわば、金持ちの子弟が集まる保育園だから、園児の出身地域が広い…

 だから、バスで、園児を拾うことが、できないのだ…

 園児の住む地域が、広いから、バスを走らせて、それぞれの園児を拾うことができない…

 だから、園児の両親に、自ら、出迎えしてもらうのだろう…

 その結果、見栄の張り会いになり、高級車で、園児が、送迎されることになる…

 私は、そう見た…

 私は、そう睨んだ…

 私の細い目を、さらに細くして、睨みながら、考えた…

 すると、ここに格差があると、思った…

 当たり前だが、格差が、ある…

 この保育園に通う子供は、セレブ…

 お金持ち…

 高級車が競い合うかのように、保育園の入口にやって来る…

 いいか、悪いか、ではなく、これが、現実…

 格差の現実かもしれん、と思った…

 また、そう思ったのは、この矢田が、庶民だから…

 この矢田が、これまで、お金持ちとは、無縁だからとも、思った…

 これが、皇族ではないが、生まれつきのお金持ちならば、別段、驚くことはないだろう…

 なぜなら、それが、当たり前だからだ…

 自分も、お金持ちだが、周囲の人間も、また、お金持ち…

 だから、周囲の人間が、フェラーリで、やって来ようと、驚くこともない…

 お金持ちにとって、それが、普通だからだ…

 日常だからだ…

 が、

 この矢田にとっては、思わず、大声を出したくなるような光景だった…

 そんな高級車ばかり、保育園に集う光景は、これまで、見たこともなかった…

 35年間、生きてきて、なかったのだ…

 それを思えば、つくづく、自分は、庶民…

 庶民なんだと、実感した…

 だから、私は、唖然として、保育園の前に立っていると、

 「…矢田ちゃん…」

 と、突如、私を呼ぶ声がした…

 私は、声のする方を、振り返った…

 マリアだった…

 マリアもまた、大きな黒塗りの高級車に乗っていた…

 マリアがいきなり、窓を開けて、クルマの中から、私に声をかけたのだ…

 「…矢田ちゃん…こんなところで、なにをしているの?…」

 「…なにをしていると、言われても…」

 私は、返答に詰まった…

 まさか、マリア…オマエをイジメる子が、どんな子か、見てきてくれと、バニラに頼まれたからとは、口が裂けても言えん…

 言えんからだ…

 だから、

 「…いや…この前、バニラが、マリア…オマエの通う保育園は、凄いお金持ちが、いっぱいいると、言っていたから、どんな、ところかと、思って、見に来たのさ…」

 「…こんなに、朝、早くから…」

 「…そうさ…」

 私が、自信を持って、言うと、マリアが、笑った…

 笑ったのだ…

 「…矢田ちゃん…もしかしたら、赤ちゃんができたの?…」

 「…なんだと?…」

 「…矢田ちゃんも、ママになるから、子供の通う保育園を、下見に来たんだ…」

 マリアが、笑いながら、言った…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 が、

 ふと、思った…

 これを、利用しない手はないと、思ったのだ…

 「…そうさ…下見さ…子供が、できたら、どんな保育園に、通わせるか、考えたのさ…

 「…そうか…矢田ちゃんも、ママになるんだ…」

 そう言うと、マリアが、クルマから、降りた…

 すると、すぐに、クルマの中から、

 「…マリアちゃん…」

 と、言う声がした…

 「…今日は、ここで、降ります…ありがとう…また午後に迎えに来てね…」

 マリアが、中の運転手に告げた…

 そして、あろうことか、マリアが、私の腕を取った…

 「…行こう…矢田ちゃん…」

 「…行こうって、どこへ行くんだ?…」

 「…保育園…」

 「…保育園って?…」

 「…だって、矢田ちゃんも、ママになったら、子供を、この保育園に通わせたいんでしょ?…」

 マリアが、あっけらかんと言った…

 私は、焦った…

 焦ったのだ…

 なぜか、わからんが、いつのまにか、マリアの中で、私が、自分の子供を、この保育園に通わせるために、下見に来たことになっていた…

 正直、わからん…

 実に、わけのわからん展開だった(汗)…

 なにより、私は、この保育園が、嫌いだった…

 何度も言うが、私は、庶民…

 庶民だ…

 だから、金持ちが嫌い…

 嫌いだった…

 率直に言って、私は、身近に金持ちは、葉尊の関係者しか、知らない…

 関係者というのは、リンダやバニラを含めてのことだ…

 リンダや、バニラを含めて、すでに知り会った金持ちは、嫌いではない…

 なぜなら、すでに仲良くなったからだ…

 が、

 他の金持ちのことは、わからない…

 正直にいえば、金持ちが、嫌いというより、怖いのだ…

 私が、どこかへ行って、金持ちと出会う…

 すると、生まれも育ちも違うから、

 「…アナタ…こんなことも、わからないの?…」

 と、言われるのが、怖いのだ…

 いわば、無知の知…

 なにも、知らなければ、恐れることは、なにもない…

 が、

 私のように、歳を取れば、3歳のマリアと違って、色々考える…

 余計なことを考える…

 そういうことだ…

 誰もが、わかる、身近な例で言えば、結婚相手や、交際相手が、自分と身分が違う、金持ちだったとする…

 家を一目見て、豪邸…

 すると、自分が、その交際相手やら、結婚相手の両親に、なんて、思われるか、心配になる…

 そういうことだ…

 それと、同じだ…

 なにも、感じない人間はいい…

 だが、大抵の人間は、違いを感じるものだ…

 もし、なにも感じなければ、その人間が、おかしいのだろう…

 普通の感覚を持っていないのだろう…

 そう思えてくる…

 それを、思うと、ずっと、以前だが、文字通り、バイト先で、わけのわからん女に会ったことがある…

 その女は、容姿も普通…学歴も、普通…家柄も普通にも、かかわらず、自分の評価が異常に高かった…

 なぜか、わからんが、高かった(笑)…

 だから、バイト先でも、自分に会う、さまざまな人間をマウンティング=格付けしていた…

 そして、陰口を叩いていた…

 悪口を言っていた…

 だから、自分は、周囲の人間に、毛嫌いされていたが、本人は、まったく、気付いていなかった…

 いわば、鈍感力に優れていたのだ(爆笑)…

 世の中には、このように、稀に、わけのわからん人間がいる…

 そのときに、気付いた…

 それまで、私の周囲にいた人間は、皆、普通だった…

 普通のひとたちだった…

 が

 その女は、まったく違った…

 いわゆる背伸びしているわけではなく、本気で、自分が優れていると、信じ込んでいた…

 正直、わけがわからんかった(爆笑)…

 優れていると、いうのは、いい大学を出ていたり、ルックスが優れていたり、家が、お金持ちだったりするものだ…

 が、

 その女は、なにもないのに、自分が、優れていると、自負していた…

 自信を持っていた…

 今、振り返って見ると、なにもないから、自分が、優れていると、思うのだろうと、考える…

 少しでも、頭が良ければ、早稲田や慶応のような、良い大学に行き、自分よりも、頭がいい人間と出会ったりして、自分の能力を悟るものだ…

 そういう頭は、一切ない…

 だから、優れていると、思うのかもしれない…

 そして、その会社では、美人も一人もいなかった…

 だから、十人並みの器量にもかかわらず、自分が、優れていると、思うのかもしれない…

 と、考えるが、やはり、おかしい(笑)…

 なぜなら、頭はともかく、ルックスは、街を歩けば、たまには、美人を見て、自分とは、違うと、悟るものだからだ…

 ただ、世の中には、わけのわからん人間がいる(爆笑)…

 それが、わかった一件だった…

 私は、そんなことを、考えた…

 すると、

 「…お姉さん?…」

 と、いう声がした…

 私は、マリアと手をつなぎながら、声をする方を振り返った…

 そこには、長身で、浅黒い肌を持つ、精悍な顔を持つ男が、立っていた…

 私は、一瞬、焦ったが、どこかで、見た顔だと思った…

 その男が、ラブなポロシャツを着ていたから、誰だか、すぐには、わからなかったのだ…

 ネットで見た、あのアラブの民族衣装である、白い服を着ていなかったから、わからなかったのだ…

 だが、それは、ファラド…

 間違いなく、ファラド王子だった…

                
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