第149話

文字数 4,571文字

 「…サウジの矢田か?…」

 私は、思った…

 きっと、その映画が、アラブ世界で、上映されれば、この矢田も、アラブ世界の有名人…

 もはや、このリンダ・ヘイワースと、肩を並べるかも、しれん…

 所詮は、このリンダは、ルックスだけの女…

 ルックスとボディだけの女だ…

 だが、この矢田は、違う…

 ルックスとボディでは、少しばかり、劣るかも、しれんが、この矢田には、知性がある…

 知性=インテリジェンスがある…

 私は、それを、思った…

 このリンダには、これまで、散々、煮え湯を飲まされたが、それも、今、終わる…

 これからは、サウジの矢田の時代になる…

 私は、それを、悟った…

 悟ったのだ…

 「…では、矢田さん…よろしく、お願いします…」

 ファラドが、私に声をかけた…

 「…わかったさ…」

 私は、勢いよく言って、マリアの後を追いかけた…

 と、

 そんな私の耳に、

 「…ファラド…そんな調子のいいことを、言っていいの…」

 と、いう、リンダの声が、聞こえた…

 そして、その後に、

 「…ウソも方便です…」

 と、いうファラドの声が、聞こえた…

 …なんだと?…

 …ウソも方便だと?…

 …どういうことだ?…

 私は、足を緩めた…

 速度を緩めた…

 「…いえ、ウソも方便というと、言い過ぎですが、おそらく、矢田さんが、期待するほではないかと…」

 意味深なファラドの声が、聞こえた…

 …私が、期待するほどじゃない?…

 …どういう意味だ?…

 私は、考えた…

 が、

 その言葉通りならば、少なくとも、ウソはない…

 約束通り、サウジの矢田を、アラブ世界で、上映するはずだ、と、思った…

 私は、思った…

 さらに、立ち止まって、ファラドの言葉を聞きたかったが、さすがに、それは、できんかった…

 だから、仕方なく、走って、マリアの後を追った…

 私の夢のために、追ったのだ…


 保育園の建物の中に入ったマリアたちには、すぐに、追いついた…

 当たり前だ…

 この矢田トモコは、35歳の立派な大人…

 159㎝と、身長は、決して、大きくはないが、日本の女では、平均…

 片や、マリアは、まだ3歳の保育園児…

 この矢田が、全力疾走すれば、保育園児のマリアたちに、追いつかぬわけは、なかった…

 「…マ、マリア…」

 マリアに追いついた私は、息をゼイゼイしながら、マリアに言った…

 「…なに? 矢田ちゃん?…」

 私が、追いつくと、マリアが、私を見上げて、言った…

 「…ファラドを、許してやれ!…」

 「…ファラドって、誰?…」

 マリアが、言った…

 当たり前だった…

 マリアは、まだオスマンの本当の名前が、ファラドだということは、知らない…

 が、

 ここで、わざわざ、オスマンの本当の名前が、ファラドだと、説明するのは、面倒だ…

 どうして、そんなウソをついたの? とか、なんとか、言われたら、説明するのは、面倒だ…

 だから、

 「…オスマンのことさ…」

 と、私は、言った…

 「…オスマンのこと?…」

 「…そうさ…」

 「…どうして、オスマンを許さなくちゃ、いけないの?…」

 「…どうしてと、言われても…」

 言葉に詰まった…

 マリアの言うことは、当たり前のことだからだ…

 「…オスマンは、お金持ちだから、パパの会社に、なにか、しようしているんでしょ?…」

 マリアが、言った…

 いかにも、気が強そうな表情だ…

 これは、強敵!

 とっさに、思った…

 こんな気の強いマリアを、説得することが、できるのか?

 そう、思ったのだ…

 「…どうして、そんなオスマンを許さなくちゃ、いけないの? …矢田ちゃん?…」

 マリアが、言った…

 私は、考えた…

 すると、ふと、妙案が、浮かんだ…

 「…マリアの言う通りさ…」

 私は、言ってやった…

 「…マリアは、オスマンを許す必要は、ないさ…」

 「…でしょ? …矢田ちゃん…」

 「…そうさ…」

 私は、マリアの意見を、尊重した…

 「…でも、さ…」

 私は、マリアに言った…

 「…でも、なに? …矢田ちゃん?…」

 「…オスマンが、マリアのパパの会社に手を出さないと、約束したら、どうする?…」

 「…どうするって?…」

 「…パパの会社に、手を出さないと、オスマンが、約束したら、マリアは、これまで通り、オスマンと仲良くするか?…」

 私は、聞いた…

 「…それは…」

 マリアが、言い淀む…

 「…それは、どうなんだ?…」

 「…それは、オスマンが、約束すれば…」

 マリアが、言った…

 「…わかったさ…」

 私は、勢い込んで、言った…

 「…これから、オスマンのところに、戻って、マリアのパパの会社に手を出さないと、マリアが、オスマンに約束させれば、いいさ…」

 「…うん…矢田ちゃんの言う通りにする…」

 マリアが頷いた…

 それから、背後に従えた二十人の女児たちを、マリアは、振り返って、

 「…みんなも、それで、いいね…」

 と、同意を求めた…

 すると、途端に、

 「…うん…わかった…」

 とか、

 ただ、単純に、

 「…わかった…」

 と、言う声が、女児たちから、上がった…

 それを、見届けた、マリアは、

 「…戻ろう…矢田ちゃん…」

 と、私に声をかけた…

 「…わかったさ…」

 私は、言った…

 
 結局、私は、マリアたち、女児21人を引き連れて、オスマンたちのいる場所に、戻った…

 「…さすがです…矢田さん…」

 ファラドが、感激した…

 「…たいしたことはないさ…」

 私は、言った…

 「…マリアは、ファラドと、仲良くしても、いいと、言ってるさ…ただ、条件があるそうさ…」

 「…条件? …どんな条件ですか?…」

 「…それは、マリアから、直接聞けば、いいさ…」

 私は、言った…

 それから、マリアが、

 「…オスマン…アンタと、仲良くしても、いいわ…口を利いて、あげても、いいわ…」

 と、言った…

 「…でも、条件が一つある…」

 「…どんな条件ですか?…」

 「…パパの会社に手を出さないで!…」

 マリアが、強い口調で言った…

 「…いい、わかった!…」

 マリアが、続けた…

 が、

 当たり前というか…

 ファラドは、答えれんかった…

 「…」

 と、答えれんかった…

 だからではないが、ファラドは、マリアの代わりに、この矢田を見た…

 矢田トモコを見た…

 「…矢田さんを、少し甘く見たようです…」

 ファラドが、愚痴を言った…

 「…やはり、矢田さんは、矢田さんと、いうことですね…」

 「…どういう意味だ?…」

 私は、聞いた…

 「…それまで、一般人だった矢田さんが、台北筆頭のオーナーの御曹司だった葉尊さんと、結婚する…そんなこと、普通は、できるはずが、ありません…」

 「…どうして、できない?…」

 「…そんな身分違いの人間を誰も、選びません…」

 「…」

 「…ですが、葉尊さんは、矢田さんを選んだ…ボクは、失礼ながら、矢田さんを選んだのは、矢田さんの人柄だと、思いました…」

 「…私の人柄?…」

 「…誰からも、愛され…周囲を癒す力…それが、矢田さんの力だと、思いました…ですが、それだけでは、なかったと、いうことです…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…マリアの説得です…たしかに、このマリアが言うように、ボクが、マリアの父親の会社に手を出そうとするのに、マリアが、ボクと仲良くなるはずが、ありません…」

 「…」

 「…だから、今、マリアが、言った、ボクと口を利く代わりに、パパの会社に、手を出さないでと、いうのは、至極、当然です…」

 「…」

 「…ですが、その案を、マリアに提示したのは、矢田さんでしょ?…」

 「…そうさ…」

 「…どうして、矢田さんは、そんなことを、マリアに言ったんですか?…」

 「…どうしてと、言われても…」

 私は、言葉に、詰まった…

 返答に、詰まった…

 が、

 思いついたことが、あった…

 「…それは、キットカットと、同じさ…」

 「…キットカット? …どういう意味ですか?…」

 「…ファラド…さっき、オマエは、マリアに、この先、口を利いてもらえないと、思って、泣いていただろ?…」

 「…ハイ…」

 「…それだから、オマエを泣き止ませるために、私は、キットカットを、あげたのさ…」

 「…それが、一体?…」

 「…同じさ…」

 「…同じ?…」

 「…ファラド…オマエが、泣くのを止めさせるために、私は、オマエに、キットカットをあげた…それと、同じで、私は、マリアが、オマエと、口を利く条件として、マリアのパパの会社に、手を出さないことを、提示したのさ…」

 「…」

 「…つまり、交換さ…見返りさ…ファラド、オマエは、マリアと口を利きたいと、言ったさ…マリアと、口を利きたいと、私に頼んださ…でも、マリアの立場に立ってみれば、なにも、状況が、変わらないのに、ファラド、オマエと、仲良くなるはずが、ないさ…だろ?…」

 「…」

 「…だから、私は、マリアと口を利く条件として、今後、マリアのパパの会社に、オマエが、手を出さないことを、約束しろと、教えたのさ…当たり前さ…だろ?…」

 私が、理路整然と、説明すると、ファラドは、

 「…」

 と、なにも、言えんかった…

 その様子を見て、

 「…兄貴の負けだな…」

 と、弟のオスマンが、言った…

 「…たしかに…」

 隣にいた、リンダが、同意する…

 「…でも、ちょっと、無茶苦茶な理屈ね…」

 と、笑った…

 「…キットカット一個と、台北筆頭の買収を止めさせるのと、同じに、するなんて…」

 と、苦笑した…

 が、

 オスマンは、違った…

 「…いや…」

 と、否定した…

 「…なに? オスマン?…だったら、アナタも、キットカット一枚と、台北筆頭の買収を同じに、考えるというわけ…」

 「…いや、そうじゃない…」

 「…じゃ、なんなの?…」

 「…このお姉さんが、言うように、あのマリアという女のコと、口を利くことは、兄貴にとって、台北筆頭を買収するよりも上…価値が、高いだろう…」

 「…まさか?…」

 リンダが、笑った…

 「…たかだか、3歳の女のコと、口を利くことが、大会社の買収より、上なんて…」

 「…そんなことはない…」

 「…どうして、そう言えるの?…」

 「…リンダ…オマエだって、同じだ…」

 「…どう、同じなの?…」

 「…このお姉さんと、金輪際、遭えなくなるのと、ハリウッドの大作の映画の主人公と、どっちを選べと言われたら、迷わず、このお姉さんと選ぶだろ?…」

 リンダは、一瞬、悩んだが、

 「…たしかに…」

 と、同意した…

 「…金の力は、凄いが、それ以上に、このお姉さんの力は、凄い…存在感は、凄い…それと、同じだ…」

 私が黙って聞いていると、このオスマンが、メチャクチャなことを、言った…

 果たして、これは、私を褒めているのだろうか?

 それとも、

 私をけなしているのだろうか?

 さっぱり、わからんかった…

 理解に、苦しんだ…

 と、

 そのときだった…

 ファラドが、

 「…マリアのパパの会社の買収を止める…だから、口を利いて…」

 と、マリアに懇願する声が、聞こえた…

 私は、仰天した…

 たった今、このファラドの弟のオスマンが、言った通りだった…

 まさに、たった今、オスマンが、言った通りの言葉をファラドが、言った…

 マリアと口を利くことが、台北筆頭の買収よりも、大事…

 そんなウソのようなホントを目の当たりにした…

 仰天の瞬間だった…

               
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