第43話

文字数 5,780文字

 …これは、大変なことになった…

 私は、思った…

 アラブの女神という、正直、わけのわからん名前が出てきた…

 このバニラが、言うには、クールを狙っている、ファラド王子が、将来、結婚するであろう女が、アラブの女神といわれるほど、権力を持つで、あろうことは、わかった…

 そして、そのファラド王子が、マザコンであることも、わかった…

 が、

 正直、それを聞いたところで、どうすることも、できんかった…

 が、

 待てよ…

 ふと、気付いた…

 そのファラド王子は、マザコン…

 そして、今、花嫁を探している…

 だったら、リンダと結婚すれば、いいのではないか?

 ふと、思った…

 リンダは、独身…

 好きな男もいない様子だ…

 中身は、男の性同一障害の持ち主と言われているが、本当か、どうか、怪しいものだ…

 なぜなら、本当に、性同一障害なら、リンダ・ヘイワースを演じることはできない…

 リンダ・ヘイワースになりきることはできない…

 なぜなら、リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…

 本当に、リンダが、性同一障害ならば、中身は男のはずだから、あれほどの色気が出せるのか、甚だ疑問だからだ…

 が、

 性同一障害だから、心は、男といっても、カラダは、女…

 当たり前だが、妊娠できる…

 子供を産むことができる…

 だから、ファラド王子と、結婚できる…

 結婚しても、問題はなにもない…

 私は、思った…

 それに…

 それに、だ…

 リンダには、申し訳ないが、葉尊の近くにいると、どうしても、気になる…

 葉尊とリンダ=ヤンは、親友といっているから、男女の関係でないことは、わかる…

 葉尊は、心の中に、葉問という、もう一人の人格を抱える多重人格者…

 リンダもまた、カラダが、女であるにもかかわらず、心が男の性同一障害者…

 共に、同じような心の悩みを抱える者同士、仲良くなったと、いっていたし、それにウソはないと思う…

現に、私は、今も、それを信じている…

 しかし、

 しかし、だ…

 葉尊は、長身のイケメン…

 対する、リンダもまた、長身の絶世の美女…

 まさに、お似合いのカップルだ…

 とても、この矢田トモコなど、付け入る隙がない…

 本当ならば、この矢田トモコではなく、葉尊は、リンダと結婚するのが、正しいし、私も、そう思う…

 が、

 実際は、葉尊は、私と結婚している…

 この矢田トモコと結婚している…

 だから、この矢田トモコにとって、正直、リンダは、邪魔な存在…

 リンダは、好きだし、人間的にも、嫌なところは、なにもない…

 が、

 正直にいって、近くにいて、もらっては、困る…

 葉尊の近くにいて、もらっては、困るのだ(怒)…

 なぜなら、いつも葉尊の近くにいれば、葉尊も男…

 いつ、リンダ・ヘイワースの色気に惑わされて、男女の関係になっても、おかしくはないからだ…

 そして、葉尊とリンダが、男女の関係になれば、この矢田は、もはや用済み…

 葉尊に離婚され、元のフリーター生活に逆戻りの生活が、待っている…

 が、

 それは、困る…

 困るのだ(涙)…

 だから、どんな手を使っても、リンダを、葉尊の元から、遠ざけねば、ならん…

 遠ざけねば、ならんのだ…

 私は、固く心に誓った…

 そして、今、絶好のチャンスが、訪れた…

 ファラド王子が、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンと名乗って、リンダに近付いてきた…

 が、

 本当は、ファラド王子の狙いは、クール…

 リンダを狙っているといったのは、名目に過ぎない…

 クールに近付く、名目に過ぎない…

 が、

 名目ではなく、本当にすればいい(笑)…

 ファラドとリンダが結婚すればいい(笑)…

 噓から出た実(まこと)というやつだ…

 そのウソが、真実になればいい…

 そうすれば、リンダは、アラブ…いや、サウジに移住するだろう…

 そうなれば、リンダは葉尊と離れ離れ…

 これで、私は、安心できる…

 枕を高くして眠ることができる…

 誤解して、もらっては、困るが、私は別にリンダに恨みはない…

 リンダはいいヤツだ…

 私は、リンダが好き…大好きだ…

 が、

 それとこれとは、違う…

 問題が、違う…

 リンダは、好きだが、葉尊を取られては、困るからだ…

 …許せ、リンダ…

 私は、心の中で、リンダに詫びた…

 オマエに恨みはないが、消えてもらうに限る…

 葉尊の前から、消えてもらうに限るからだ…

 そうと、決まったからには、バニラに、

 「…なあ、バニラ…」

 と、声をかけた…

 「…なに、お姉さん?…」

 「…バニラ…オマエも女なら、わかるだろ?…」

 「…なにが、わかるの? …お姉さん?…」

 「…リンダのことさ…」

 「…リンダのこと? …なに、それ?…」

 「…リンダも歳さ…」

 私は、重々しく言った…

 「…お姉さん…一体なにを言いたいの?…」

 「…いい男が、身近にいれば、身を固めて、やりたくてな…」

 「…なに…突然…どうして、そんな話になるの?…」

 「…実はな…バニラ…ここだけの話だ…」

 「…ここだけの話?…」

 「…リンダも29歳…ハリウッドのセックス・シンボルだ、なんだと、世間で、もてはやされていても、花の命は短い…」

 「…ちょっと、お姉さん…なにが、言いたいわけ?…」

 「…ファラドさ…」

 「…ファラドが、どうしたの?…」

 「…そのファラドが、リンダの大ファンだと名乗っているなら、ちょうどいいじゃないか…」

 「…なにが、ちょうどいいの?…」

 「…リンダの結婚相手にさ…」

 「…リンダの結婚相手って? …お姉さん…さっきも言ったでしょ? そのファラド王子は、リンダのファンでも、なんでもないって…リンダのファンは、名目だけだって…」

 「…それは、わかってるさ…」

 「…だったら、なんで…」

 「…噓から出た実(まこと)というやつさ…」

 「…どういう意味?…」

 「…だったら、それを本当にすればいい…」

 「…本当にすればいい? …どういう意味?…」

 「…リンダとファラド王子を結婚させればいい…」

 私の提案に、バニラが目を丸くした…

 「…お姉さん…一体、どうして、そうなるの?…」

 「…いや…実はな…」

 「…実はなに?…」

 「…最近、私は、リンダが心配でな?…」

 「…心配?…」

 「…そうさ…」

 「…どうして、いきなり…」

 「…バニラ…オマエのせいさ…」

 「…私のせい?…」

 「…そうさ…リンダより、はるかに年下のオマエが、マリアを連れて、うちに遊びに来るようになって、私は、リンダの先行きが心配になってな…」

 「…」

 「…そしたら、ちょうど、今、サウジのファラド王子が、リンダの大ファンだという名目で、リンダに近付いてきた…だったら、リンダは、そのファラドと結婚すればいいと思ってな…ファラドは、大金持ちだ…世界中に知られたリンダ・ヘイワースのお相手として、ふさわしいだろう…」

 私は、言った…

 実に、重々しく言った…

 「…いかに、リンダとはいえ、そんな大金持ちと結婚するチャンスは、滅多にないゾ…だから、このチャンスを逃しちゃいかん…」

 私は、力を込めた…

 そして、横目で、バニラの反応を見た…

 バニラが、どういう反応をするか、確かめたのだ…

 すると、最初は、バニラも眉間に皺を寄せて、考え込んでいたが、すぐに、

 「…お姉さん…リンダが、邪魔なわけ?…」

 と、いきなり、核心を突いた…

 私の心の内を読んだのだ…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 が、

 それを認めるわけには、いかん…

 いかんかった…

 だから、

 「…なんのことだ? …バニラ?…」

 と、とぼけた…

 とぼけたのだ…

 が、

 バニラは、そんな私に騙されなかった…

 「…お姉さん…ウソはダメ?…」

 「…ウソ? …なんのことだ?…」

 「…お姉さん…リンダが怖いんでしょ?…」

 「…怖い? …どうして?…」

 「…葉尊が取られちゃうかもしれないと、疑ってるんでしょ?…」

 バニラが、ずばり私の心の中を読んだ…

 私は、どう返答していいか、わからなかった…

 だから、一瞬、黙った…

 その間に、冷や汗が走った…

 私の背中に、冷や汗が走ったのだ…

 「…オマエ…私を疑うのか?…」

 私は、言った…

 攻撃は最大の防御…

 私のウソを正当化するためには、攻撃するに限るからだ…

 「…リンダは私の親友だ…そんなことをするはずがあるまい…」

 私は力を込めた…

 が、

 私の渾身の演技にも、なぜか、このバニラは薄ら笑いを浮かべた…

 「…そんなことをするはずがない? …よく言うわ…一体、どの口が言うんだか?…」

 「…なんだと?…」

 「…お姉さんは、リンダが怖い…怖いのよ…いつ、リンダが、葉尊と、いい仲になるか、怖いのよ…」

 「…バニラ…貴様…」

 「…お姉さんは、いつもそう…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…自分に都合が悪くなると、すぐに他人を利用しようとする?…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…リンダを葉尊から遠ざけるのに、ファラドを使おうとするのが、いい例ね…うまく、他人を利用しようとする…」

 バニラが指摘した…

 が、

 私は、反論できんかった…

 なぜなら、その通り…

 その通りだったからだ…

 「…バニラ…貴様…言っていいことと、悪いことがあるゾ…」

 と、言いたかったが、止めた…

 これ以上は、不毛…

 いくら、このバニラと話しても、不毛と思った…

 お互いが、お互いを理解できない…

 私が、リンダを罠にはめようとしているのは、その通りだが、それを知っても、口にしては、いかん…

 私の心の内側を読み取っても、それを暴露しちゃ、いかん…

 それが、大人…

 大人の対応というものだ…

 が、

 それを思えば、このバニラも、まだ23歳…

 世界に知られた、著名なモデルというだけで、まだ尻の青い小娘に過ぎん…

 この矢田トモコのように、酸いも甘いも嚙み分けた女とは、経験が違う…

 人望が違う…

 能力が、違うのだ…

 私は、それを思った…

 だから、

 「…バニラ…オマエは、まだ若い…」

 と、言った…

 「…若い? だから、なに?…」

 「…人生というものは、常に正々堂々と、生きることはできんのさ…」

 「…どういう意味?…」

 「…ときには、トラップを使って、敵を貶(おとし)めることが、あっても、仕方がないことさ…」

 私は、言った…

 私は、バニラよりも、はるかに、大人…

 12歳も、大人だ…

 成熟した、大人の女として、いかに、人生を生き抜くか、教えてやろうとしたのだ…

 私は、私の細い目を、さらに細めて、したり顔で、言った…

 いかにも、わかったように、言った…

 これで、バニラも少しは、私のいうことが、わかっただろう…

 バカなバニラにも、少しは、私の気持ちがわかっただろう…

 と、思ったのだ…

 が、

 違った…

 「…つまり、お姉さんは、自分を正当化したいわけ?…」

 「…なんだと?…」

 「…どんな汚い手を使っても、リンダをファラド王子とくっつけて、自分の身を守る…それを正当化したいわけ…」

 私は、頭に来た…

 このバニラの物言いに頭に来た…

 自分が悪いことが、十分わかっているにも、かかわらず、頭に来たのだ…

 「…どうしてだ? バニラ?…どうして、オマエは、私の気持ちがわからん?…」

 「…私の気持ちって…お姉さん、リンダを罠にかけたいんでしょ? …どうして、そんなお姉さんの気持ちがわからなくちゃ、いけないの?…」

 「…わからなくちゃ、いけないのさ!…」

 「…どうして、わからなくちゃ、いけないの?…」

 「…どうしてもさ!…」

 私は、怒鳴った…

 「…とにかく、リンダは、ファラドと結婚して、葉尊の前から、いなくなればいいのさ…」

 気が付くと、私は、本音をバニラの前で、ぶちまけていた…

 バカなバニラの前で、本音をさらけ出していた…

 すると、バニラが、ニヤッと笑った…

 「…お姉さん…本音が出たわね…」

 「…出たさ…それが、どうかしたのか?…」

 「…葉敬に言いつけてやる…このお姉さんは、善人を装っていても、中身は、真っ黒…どす黒いと…」

 「…どす黒い? どこが、どす黒いんだ?…」

 「…全部よ…全部…その159㎝の小さなカラダ全部の中身が、どす黒いのよ…」

 「…なんだと?…」

 「…でも、よかった…これで、お姉さんの正体が、掴めた…」

 「…掴めた? どういう意味だ?…」

 「…これで、お姉さんと、葉尊が離婚できる理由ができた…」

 「…離婚できる理由だと?…」

 「…そんな腹黒いお姉さんと、息子の葉尊をいっしょにいさせるわけにはいかないと、葉敬もすぐに、葉尊とお姉さんを離婚させるでしょ? …」

 「…」

 「…そしたら、ちょうど今、サウジのファラド王子を招いて、クールが主催で、大々的にパーティーを開くから…その席で、リンダと葉尊の婚約を発表すればいい…リンダは、世界中に知られたハリウッドのセックス・シンボル…片や、葉尊は、世界中に知られた、日本の総合電機メーカー、クールの若きプリンス…おまけに、二人とも、長身の美男美女…まさに、絵になる二人…きっと、世界中に、すぐにそのニュースを広まって、祝福されるわ …考えただけで、ワクワクする…」

 バニラが、嬉しそうに言った…

 まさに、有頂天というか…これ以上ない弾けぶりだった…

 私は、頭に来た…

 これ以上、ないくらい、頭に来た…

 おそらく生まれて、初めて、他人に殺意を覚えた…

このバニラに、殺意を覚えた…

 この目の前のバニラを殺して、口を封じるべきか?

 真剣に悩んだ…

 もはや、この物語は、コメディであることすら、忘れて、悩んだ…

 悩んだのだ!…

 が、

 私は、なにもせんかった…

 ここで、バカなバニラに手を出しても、私が、バニラに勝てないことが、わかっているからだ…

 ここに拳銃でもあれば、バカなバニラめがけて、発砲するかもしれんが、あいにく、ここに拳銃はなかった…

 当たり前だ…

 ここは、日本だ…

 アメリカでも、なんでもない…

 が、

 それが、良かった…

 ここに拳銃があれば、本当に、私は、バニラを撃ち殺すところだったからだ…

 …本当に、ここが日本でよかった…

 私は、心の中で、安堵した…

 目の前で、狂喜乱舞するバニラの姿を目の当たりにしながら、そう考えることで、己を慰めた…

 矢田トモコ、35歳…

 まさに、絶体絶命だった…

                 
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