第3話
文字数 7,459文字
「…得な性格か…」
私は、呟いた…
私は、独り言を呟いたつもりだったが、葉尊が、私の言葉尻を捉えた…
「…得な性格? …どういうことですか? …お姉さん?…」
私は、今、自宅で、夫の葉尊と、食事中だった…
夫の葉尊は、29歳…
長身のイケメンだ…
私は、縁あって、この葉尊と結婚した…
が、
正直、似合わないこと、この上なかった…
一見すると、芸能人と、ファンの関係のようだった(涙)…
長身のイケメンと、身長159㎝で、六頭身で、幼児体型の私…
だが、正真正銘の夫婦だった…
まがうことなき、夫婦だった…
私は、そんなことを、考えながら、
「…リンダの言ったことさ…」
と、葉尊に告げた…
「…リンダ…ですか?…」
「…そうさ…」
「…アイツが、私のことを、得な性格…得な性格と、何度も繰り返して…」
「…どうして、そんなことを?…」
「…簡単さ…今日、昼間、リンダの家に行ったのさ…そこに、バニラもいて…私たち3人で、話していたら、バニラが冗談で、葉尊と、リンダができてるんじゃ? と、言って、リンダが激怒して…」
私は、言いながら、思わず、
…しまった!…
と、思った…
他ならぬ、葉尊の前で、そこまで、言っていいものか、どうか、考えるべきだった…
思わず、自分の発言を悔いた…
が、
すでに、言葉にしてしまっては、仕方がない…
覆水盆に返らずというやつだ…
私は、慌てて、目の前の葉尊の反応を見たが、葉尊は、楽しそうに笑っていた…
「…それで、どうしたんですか?…」
「…リンダが、怒髪天を衝く勢いで、怒るものだから、バニラが、冗談よ、冗談と、謝ったが、リンダは、激怒したままで、仕方なく、バニラは、逃げ出したのさ…」
「…バニラが?…」
「…そうさ…」
「…」
「…それで、そのリンダの怒りが、私にも向けられて、私もバニラ同様、逃げ出そうとしたら、あまりにも、リンダが怖かったから、思わず、足が、絡んで、部屋で、転んでしまったのさ…」
「…転んだ?…」
「…そうさ…転んだ、私が、万事休すと、思って、目を閉じて、リンダが、襲いかかるのを、覚悟して、待っていたら、なにもなかったのさ…」
「…なにもなかった?…」
「…そうさ…怒ったリンダが、怖かった私は、なにもなかったから、どうなってるんだろ? と、思って、目を開けたら、リンダが、得な性格と言って、笑いだして…」
「…」
「…お姉さんを見ていると、怒ることができないなんて、ぬかすんだ…葉尊…オマエ、どう思う?…」
「…どう思うって、言われても…」
目の前の葉尊が、戸惑った…
「…ただ…」
「…なんだ?…」
「…リンダは、悪い人間じゃないですよ…」
「…」
「…お姉さんに襲いかかるような真似は、しないと思います…」
「…そうか…」
私は、言った…
同時に、目の前の葉尊を信じた…
なんといっても、私の夫だ…
信頼できる…
そう、思ったのだ…
「…リンダのことは、昔から知っています…悪い人間ではありません…バニラも、です…」
葉尊が、ゆっくりと、言った…
リンダは、ともかく、バニラも悪い人間ではないというのは、ちょっと納得できなかったが、なんといっても、バニラは、葉尊の父、葉敬の愛人…
けなすことは、できなかったのかもしれない…
私は、そう思った…
だから、本当は、
「…リンダはともかく、バニラが悪い人間じゃなくて、どうする? バニラが、悪い人間じゃなければ、この世の中に、悪い人間は、いなくなるゾ…」
と、言って、やりたかったが、言わんかった…
グッと、こらえた…
バニラ風情のことで、夫婦関係に、波風を立てることは、できなかったからだ…
当たり前のことだ…
「…そんなことより…」
と、葉尊が、言い出した…
「…なんだ?…」
「…どうして、お姉さんが、リンダの家に行ったんですか?…」
「…簡単さ…」
「…簡単って?…」
「…リンダが、悩んでいたのさ…」
「…悩んでいた?…」
「…怯えていたと、言っても、いいさ…」
「…怯えて?…」
「…そうさ…」
と、言ってから、
「…葉尊…オマエがいけないのさ…」
「…どうして、ボクが?…」
「…リンダが、言うには、アラブの王族が、近々来日するそうじゃないか…」
「…ハイ…そうです…」
「…クールが、その王族と接して、商売にしようとしているそうじゃないか?…」
「…リンダが、言ったんですか?…」
「…そうさ…」
「…」
「…なんでも、その王族が、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンで、クールの接待に、リンダを同席させるそうじゃないか…」
「…」
「…でも、リンダは、メチャクチャ、怯えていたゾ…」
「…どうして、怯えてるんですか?…」
「…アラブに連れて行かれると、思っているのさ…」
「…そんな…」
「…いや…誰でも、自分のファンというのは、嬉しいが、熱狂的となると、話は、違うゾ…」
「…どう、違うんですか?…」
「…なんていうか…一線を越えるというか…」
「…一線を越える? …どういう意味ですか?…」
「…ほら、ファンなら、ただ見るだけだろ?…」
「…ハイ…」
「…でも、それが、熱狂的なファンとなると、自宅を突きとめて、侵入したり…下手をすれば、犯罪になるかもしれない行動を起こす…」
「…」
「…それが、怖いのさ…」
「…」
「…たぶん、リンダも、同じだろ…」
「…同じ?…」
「…リンダは、言うまでもなく、ハリウッドのセックス・シンボルさ…男なら、リンダと一晩過ごすのは、夢だろ? …まして、アラブの王族なら、それも可能だろ?…」
私は、言った…
「…だから、怖いのさ…」
「…怖い?…」
「…熱狂的なファンで、金も権力も持っている…そんな人間と知り会えば、リンダをどうにか、したくなるに決まってるさ…」
「…」
「…だから、下手をすれば、一晩どころか、アラブに連れていかれて、愛人にでも、させられたら、大変だと、思っているのさ…」
「…そんな…」
「…いや、美女の悩みなど、そんなものさ…」
「…お姉さんは、どうして、そんなことが、わかるんですか?…」
「…私は、美女ではないが、これまで、オマエや、リンダよりも、長く生きてる…長く生きてれば、世間では、無名の一般人でも、美人で、ストーカーに悩まされた女の話など、いくつも、見てきている…」
「…」
「…どうあがいても、自分の思い通りにならないことでも、なんとかしようとする人間がいる…要は、相手の気持ちなど、どうでもいいんだな…自分が、満足すれば、いい…だから、下手をすれば、犯罪になりかねない行動を取る…」
「…」
「…そして、普通なら、警察に逮捕されるかもしれんから、諦めるところを、アラブの王族や、金持ちなど、警察もおおめに見るだろ?…だから、自分の欲望に歯止めが効かなくなる…」
「…」
「…欲しければ、どんなことをしても、手に入れる…リンダもそれが、わかっているんだろ…だから、怖いんだろ…」
「…お姉さん…」
「…私は、オマエやリンダやバニラのように、お金持ちでも、イケメンでも、美人でもない…しいて言えば、平凡…平凡極まりない女さ…」
「…」
「…だけれども、平凡極まりない女だからこそ、オマエや、リンダや、バニラのような人間が、経験してないことを、経験しているのさ…それが、私の強みさ…」
「…お姉さん…」
「…葉尊…オマエももっと市井の人間を見ることさ…」
「…市井の人間?…」
「…つまり、一般人さ…金持ちでも、イケメンでも美人でもない、一般人…そんな人間と接していても、十分に世の中のことは、わかるさ…」
私の言葉に、
「…お姉さんと、いっしょにいると、勉強になります…」
と、葉尊は、頭を下げた…
「…たいしたことじゃないさ…」
私は、言った…
「…ただ、私と、オマエたちとは、これまで、生きてきた世界が、違うということさ…」
「…生きてきた世界、違う? …それは、どういう意味ですか?…」
「…例えば、皇族さ…」
「…皇族?…」
「…生まれてきて、学校でも、普通の公立の小学校や中学校に通うこともない…学習院やら、この国の一握りのエリートが、通う学校に通う…すると、どうだ? 頭の悪い人間は、いないし、みんな金持ちだろ? だから、普通に公立校に通う人間とは、違う環境で、育つことになる…」
「…違う環境?…」
「…ほら、世間では、金持ちケンカせずと言われてるだろ…アレは、金持ちは、利にさといからというが、私は、違うと思う…」
「…どう違うんですか?…」
「…金を持っている人間の方が、性格がいいのさ…」
「…性格がいい?…」
「…そうさ…金を持っているから、生活に余裕ができる…だから、小さなことで、ケンカをしないということさ…」
「…」
「…真逆に、貧乏人は、生活に余裕がないから、すぐに、ひとと争う…金がないから、心に余裕がなくなり、すぐに、夫婦でケンカになり、家族で、いがみあう…」
「…」
「…金は、大切さ…」
私は、言った…
すると、葉尊が考え込んだ…
「…お姉さんには、いつも、教えられます…」
と、私に頭を下げた…
「…たいしたことじゃないさ…」
私は、言った…
「…ただ、私とオマエとは、今も言ったように、育った環境が違う…見てきた世界が違うということさ…」
「…」
「…どんな人間も、自分の見てきた世界のことしか、知らない…だから、さっきの皇族の話に戻れば、金がない人間の苦しみは、わからないに違いないさ…」
「…」
「…いや、本やネットで、見れば、頭では、わかるが、実感が湧かないに決まってるさ…それは、経験してないから、当然さ…」
「…」
「…これは、どんなこともそうさ…ひとは、誰でも、自分の経験しないことは、正直、わからないさ…せいぜい、想像を膨らますぐらいのものさ…だから、それは、仕方がないことさ…」
私は、言った…
それから、思った…
「…もしかしたら、これから、来日する、そのアラブの王族も同じかもしれないさ…」
「…どう、同じなんですか?…」
「…アラブの王族といえば、お金持ちだろ? …日本の皇族どころか、もっと、桁外れのお金持ちに違いない…」
「…桁外れのお金持ち…」
「…そうさ…すると、どうだ? わがままになる…」
「…」
「…きっと、欲しいものは、なんでも、手に入れないと、すまないと、思うようになるかもしれん…」
「…」
「…それが、わかっているから、リンダは、恐れたんじゃ、ないのか?…」
「…」
「…生まれたときから、甘やかされ、なんでも、手に入れられる…そんな環境で、育った人間ほど、怖いものはないさ…」
「…」
「…葉尊…オマエが、どう思っているか、わからんが、リンダは、オマエにとっても、私にとっても、大切な友人だ…守ってやれ…」
「…守って?…」
「…そうだ…オマエは、リンダの幼馴染(おさななじみ)だから、リンダに魅力は、感じないかもしれん…だが、私ですら、リンダを見ると、ときどき、ドキッとすることがある…そのあまりの美しさに、だ…」
「…」
「…テレビや映画で、リンダに憧れた人間が、生身のリンダ・ヘイワースを見れば、やはり、同じだろう…それは、普段、見慣れた私よりも、もっと、衝撃が大きいだろう…」
「…」
「…そして、そんな衝撃を受けた人間が、どうするかは、誰にもわからないさ…リンダと、一晩共にしたいとか、言い出すぐらいなら、可愛いものだが、さっきも言ったように、アラブに強引に連れて行かれて、愛人にでも、されたら、堪らないさ…」
「…お姉さん…いくら、なんでも、考え過ぎじゃ…」
「…いや、考え過ぎじゃないさ…」
「…」
「…私は、リンダやバニラのように、有名人でもないし、美人でもないさ…でも、一般の美人でも、似たような例を見たことがあるさ…」
「…それは、どんな…」
「…小さなことさ…昔、バイト先で、知り会った美人のお姉さんさ…ちょうど、関連会社の男たちと、飲み会をして、別れたときに、その関連会社のうちのひとりの男が、送っていきますよと、声をかけたそうだ…」
「…」
「…でも、そのお姉さんは、アナタに送ってもらうつもりは、ありませんと、キツイ口調で、断ったそうだ…相手も、あんまりキツイ口調だから、ビックリして、職場で、話題になって、その話が、周りに回って、私の元にも、届いたのさ…」
「…」
「…私は、その美人のお姉さんとも、結構、仲が、良かったから、どうして、そんなキツイ口調で、言ったんだ? と、そのとき、聞いたのさ…」
「…どうして、だったんですか?…」
「…理由は、単純さ…男に変な下心を抱かれると、困るからと言ってたさ…」
「…」
「…美人は、生まれたときから、美人さ…だから、それこそ、小学生のときから、同級生の男の子にモテる…それだから、免疫ができるというか…どうすれば、いいか、考えるようになる…」
「…どういうことですか?…」
「…好きでもない男に言い寄られでも、したら、困るだろ? …だから、相手が、自分に近寄って来ないように、好きでもない男なら、早めに、対策を取っておくというか…言っておくに、限るそうだ…」
「…」
「…私も女だ…正直、美人は羨ましいが、美人に生まれれば、美人に生まれるで、実に、大変だと思ったものさ…」
「…」
「…まあ…私の場合は、そんな苦労はなかったから、それはそれで、残念だったが…」
私は言った…
葉尊は、私の言葉に、考え込んだ…
しばらく、黙り込んだ…
それから、
「…そんなふうに、言われると、たしかに、リンダの悩みもわかります…」
と、葉尊が、呟いた…
「…だろ?…」
「…ハイ…でも…」
「…でも、なんだ?…」
「…悩んでも、仕方がないんじゃないでしょうか?…」
「…どういう意味だ?…」
「…言葉は悪いですが、いくら悩んでも、どうにか、なるものじゃないということです…」
「…」
「…今回、アラブの王族が、来日するに、あたり、リンダ・ヘイワースの接待は、外せないものです…だから、リンダも、それは、すでに承知してます…」
「…」
「…だから、リンダが、悩むのは、わかりますが、悩んだところで、どうにか、なるものじゃない…リンダには、すまないですが…」
「…そうか…」
「…ただ、リンダが恐れる事態にならないように、考慮するつもりです…」
「…そうか…」
私は、言った…
たしかに、これまでの話を聞く限り、今さら、どうにか、なる話ではないかもしれない…
なにより、それは、リンダ自身、良く分かっていることだろう…
ここは、私ごときが、これ以上、口を挟むことではないかもしれん…
私は、思った…
結局、葉尊と、リンダの話は、それで、終わりだった…
ただ、私としては、葉尊に、リンダの件は、念を押すと言うか…
考慮してもらいたかった…
なんといっても、リンダは、私の親しい友人だった…
性格もいい…
おまけに、美人だった…
だから、そんなリンダが、どうにかなったら、大変だと思ったのだ…
そんなことを、考えていると、
「…お姉さんは、リンダが好きなんですね…」
と、葉尊が言った…
私は、
「…好きさ…」
と、答えた…
「…美人だし、有名人だし、性格もいいし、おまけに、私を好きだ…嫌いになんて、なれないさ…」
「…」
「…私もリンダの力になってやりたいが、私では、リンダの力になれないさ…だから、葉尊、オマエに頼むんだ…」
「…お姉さん…」
「…とにかく、リンダのことを、頼むゾ…」
私は、言った…
「…リンダは、なにしろ、オマエの幼馴染(おさななじみ)でも、あるんだ…」
「…ハイ…」
葉尊が、答えた…
私は、それを聞くと、安心した…
なにしろ、私の夫だ…
信頼できるからだ…
私は、それを最後に、食事をやめて、自分の部屋に戻ろうとした…
その私の背中に、
「…お姉さん…」
と、葉尊が、声をかけた…
「…なんだ?…」
私は、葉尊を振り返った…
「…もし、リンダになにか、あったら、どうしますか?…」
「…助けるさ…」
私は、断言した…
「…助ける?…」
「…当たり前さ…私の大切な友人だ…葉尊…オマエに、とっても、そうだろ?…」
「…ハイ…」
「…自分の大切な友人が、苦境にあえば、自分のできることは、やる…それが、友人のすることじゃないのか?…」
「…ハイ…」
「…商売は、大事だが、友人も大事だ…」
「…」
「…オマエや父親の葉敬が、リンダに接待させて、商売を有利にしようとすることは、理解できる…だが、その陰で、誰かが、涙を流すようなことが、あっては、ならん…」
私は、断言した…
「…私は、難しいことは、わからんが、誰かが、涙を流すような事態が、密かに起きて、それで、結果的に、商売が、うまくいっても、それは、成功なんかじゃないさ…失敗さ…」
「…」
「…成功というのは、みんなが、喜ぶものさ…誰かが、犠牲になって、する成功なんて、なんの意味もないさ…」
「…」
「…だから、もし、リンダが、泣くようなことがあれば、それは、失敗さ…」
「…」
「…葉尊…だから、そんなことが起きないように、オマエは、配慮しなければ、ダメだゾ…」
「…ハイ…」
「…わかれば、いいのさ…」
私は、葉尊の言葉を聞いて、その場から離れた…
そして、私は、部屋から、出る際に、チラリと、葉尊を見た…
なにやら、難しい顔をして、考え込んでいた…
私は、葉尊の立場を思いやった…
葉尊もまた、大変なのだろう…
クールの社長として、アラブの王族との接待を成功させなければ、ならない…
だが、今、私が言ったように、そのために、リンダが、泣くようなことが、あってはならない…
誰かの犠牲の上にある成功など、とんでもないことだからだ…
私は、思った…
私は、そう思いながらも、ちょっぴり心が痛んだ…
この世の中、キレイごとだけでは、渡っていけないからだ…
しかしながら、リンダが、泣くのは、嫌だった…
涙を流すのを見るのは、嫌だった…
物事には、何事も限度がある…
リンダが、涙を流すことなく、ちょっぴり、不快な気分で、接待をする程度で、終われば、いいのだが、と、考えた…
甘い考えだが、それが、私の希望だった…
矢田トモコ、35歳の希望だった…
私は、呟いた…
私は、独り言を呟いたつもりだったが、葉尊が、私の言葉尻を捉えた…
「…得な性格? …どういうことですか? …お姉さん?…」
私は、今、自宅で、夫の葉尊と、食事中だった…
夫の葉尊は、29歳…
長身のイケメンだ…
私は、縁あって、この葉尊と結婚した…
が、
正直、似合わないこと、この上なかった…
一見すると、芸能人と、ファンの関係のようだった(涙)…
長身のイケメンと、身長159㎝で、六頭身で、幼児体型の私…
だが、正真正銘の夫婦だった…
まがうことなき、夫婦だった…
私は、そんなことを、考えながら、
「…リンダの言ったことさ…」
と、葉尊に告げた…
「…リンダ…ですか?…」
「…そうさ…」
「…アイツが、私のことを、得な性格…得な性格と、何度も繰り返して…」
「…どうして、そんなことを?…」
「…簡単さ…今日、昼間、リンダの家に行ったのさ…そこに、バニラもいて…私たち3人で、話していたら、バニラが冗談で、葉尊と、リンダができてるんじゃ? と、言って、リンダが激怒して…」
私は、言いながら、思わず、
…しまった!…
と、思った…
他ならぬ、葉尊の前で、そこまで、言っていいものか、どうか、考えるべきだった…
思わず、自分の発言を悔いた…
が、
すでに、言葉にしてしまっては、仕方がない…
覆水盆に返らずというやつだ…
私は、慌てて、目の前の葉尊の反応を見たが、葉尊は、楽しそうに笑っていた…
「…それで、どうしたんですか?…」
「…リンダが、怒髪天を衝く勢いで、怒るものだから、バニラが、冗談よ、冗談と、謝ったが、リンダは、激怒したままで、仕方なく、バニラは、逃げ出したのさ…」
「…バニラが?…」
「…そうさ…」
「…」
「…それで、そのリンダの怒りが、私にも向けられて、私もバニラ同様、逃げ出そうとしたら、あまりにも、リンダが怖かったから、思わず、足が、絡んで、部屋で、転んでしまったのさ…」
「…転んだ?…」
「…そうさ…転んだ、私が、万事休すと、思って、目を閉じて、リンダが、襲いかかるのを、覚悟して、待っていたら、なにもなかったのさ…」
「…なにもなかった?…」
「…そうさ…怒ったリンダが、怖かった私は、なにもなかったから、どうなってるんだろ? と、思って、目を開けたら、リンダが、得な性格と言って、笑いだして…」
「…」
「…お姉さんを見ていると、怒ることができないなんて、ぬかすんだ…葉尊…オマエ、どう思う?…」
「…どう思うって、言われても…」
目の前の葉尊が、戸惑った…
「…ただ…」
「…なんだ?…」
「…リンダは、悪い人間じゃないですよ…」
「…」
「…お姉さんに襲いかかるような真似は、しないと思います…」
「…そうか…」
私は、言った…
同時に、目の前の葉尊を信じた…
なんといっても、私の夫だ…
信頼できる…
そう、思ったのだ…
「…リンダのことは、昔から知っています…悪い人間ではありません…バニラも、です…」
葉尊が、ゆっくりと、言った…
リンダは、ともかく、バニラも悪い人間ではないというのは、ちょっと納得できなかったが、なんといっても、バニラは、葉尊の父、葉敬の愛人…
けなすことは、できなかったのかもしれない…
私は、そう思った…
だから、本当は、
「…リンダはともかく、バニラが悪い人間じゃなくて、どうする? バニラが、悪い人間じゃなければ、この世の中に、悪い人間は、いなくなるゾ…」
と、言って、やりたかったが、言わんかった…
グッと、こらえた…
バニラ風情のことで、夫婦関係に、波風を立てることは、できなかったからだ…
当たり前のことだ…
「…そんなことより…」
と、葉尊が、言い出した…
「…なんだ?…」
「…どうして、お姉さんが、リンダの家に行ったんですか?…」
「…簡単さ…」
「…簡単って?…」
「…リンダが、悩んでいたのさ…」
「…悩んでいた?…」
「…怯えていたと、言っても、いいさ…」
「…怯えて?…」
「…そうさ…」
と、言ってから、
「…葉尊…オマエがいけないのさ…」
「…どうして、ボクが?…」
「…リンダが、言うには、アラブの王族が、近々来日するそうじゃないか…」
「…ハイ…そうです…」
「…クールが、その王族と接して、商売にしようとしているそうじゃないか?…」
「…リンダが、言ったんですか?…」
「…そうさ…」
「…」
「…なんでも、その王族が、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンで、クールの接待に、リンダを同席させるそうじゃないか…」
「…」
「…でも、リンダは、メチャクチャ、怯えていたゾ…」
「…どうして、怯えてるんですか?…」
「…アラブに連れて行かれると、思っているのさ…」
「…そんな…」
「…いや…誰でも、自分のファンというのは、嬉しいが、熱狂的となると、話は、違うゾ…」
「…どう、違うんですか?…」
「…なんていうか…一線を越えるというか…」
「…一線を越える? …どういう意味ですか?…」
「…ほら、ファンなら、ただ見るだけだろ?…」
「…ハイ…」
「…でも、それが、熱狂的なファンとなると、自宅を突きとめて、侵入したり…下手をすれば、犯罪になるかもしれない行動を起こす…」
「…」
「…それが、怖いのさ…」
「…」
「…たぶん、リンダも、同じだろ…」
「…同じ?…」
「…リンダは、言うまでもなく、ハリウッドのセックス・シンボルさ…男なら、リンダと一晩過ごすのは、夢だろ? …まして、アラブの王族なら、それも可能だろ?…」
私は、言った…
「…だから、怖いのさ…」
「…怖い?…」
「…熱狂的なファンで、金も権力も持っている…そんな人間と知り会えば、リンダをどうにか、したくなるに決まってるさ…」
「…」
「…だから、下手をすれば、一晩どころか、アラブに連れていかれて、愛人にでも、させられたら、大変だと、思っているのさ…」
「…そんな…」
「…いや、美女の悩みなど、そんなものさ…」
「…お姉さんは、どうして、そんなことが、わかるんですか?…」
「…私は、美女ではないが、これまで、オマエや、リンダよりも、長く生きてる…長く生きてれば、世間では、無名の一般人でも、美人で、ストーカーに悩まされた女の話など、いくつも、見てきている…」
「…」
「…どうあがいても、自分の思い通りにならないことでも、なんとかしようとする人間がいる…要は、相手の気持ちなど、どうでもいいんだな…自分が、満足すれば、いい…だから、下手をすれば、犯罪になりかねない行動を取る…」
「…」
「…そして、普通なら、警察に逮捕されるかもしれんから、諦めるところを、アラブの王族や、金持ちなど、警察もおおめに見るだろ?…だから、自分の欲望に歯止めが効かなくなる…」
「…」
「…欲しければ、どんなことをしても、手に入れる…リンダもそれが、わかっているんだろ…だから、怖いんだろ…」
「…お姉さん…」
「…私は、オマエやリンダやバニラのように、お金持ちでも、イケメンでも、美人でもない…しいて言えば、平凡…平凡極まりない女さ…」
「…」
「…だけれども、平凡極まりない女だからこそ、オマエや、リンダや、バニラのような人間が、経験してないことを、経験しているのさ…それが、私の強みさ…」
「…お姉さん…」
「…葉尊…オマエももっと市井の人間を見ることさ…」
「…市井の人間?…」
「…つまり、一般人さ…金持ちでも、イケメンでも美人でもない、一般人…そんな人間と接していても、十分に世の中のことは、わかるさ…」
私の言葉に、
「…お姉さんと、いっしょにいると、勉強になります…」
と、葉尊は、頭を下げた…
「…たいしたことじゃないさ…」
私は、言った…
「…ただ、私と、オマエたちとは、これまで、生きてきた世界が、違うということさ…」
「…生きてきた世界、違う? …それは、どういう意味ですか?…」
「…例えば、皇族さ…」
「…皇族?…」
「…生まれてきて、学校でも、普通の公立の小学校や中学校に通うこともない…学習院やら、この国の一握りのエリートが、通う学校に通う…すると、どうだ? 頭の悪い人間は、いないし、みんな金持ちだろ? だから、普通に公立校に通う人間とは、違う環境で、育つことになる…」
「…違う環境?…」
「…ほら、世間では、金持ちケンカせずと言われてるだろ…アレは、金持ちは、利にさといからというが、私は、違うと思う…」
「…どう違うんですか?…」
「…金を持っている人間の方が、性格がいいのさ…」
「…性格がいい?…」
「…そうさ…金を持っているから、生活に余裕ができる…だから、小さなことで、ケンカをしないということさ…」
「…」
「…真逆に、貧乏人は、生活に余裕がないから、すぐに、ひとと争う…金がないから、心に余裕がなくなり、すぐに、夫婦でケンカになり、家族で、いがみあう…」
「…」
「…金は、大切さ…」
私は、言った…
すると、葉尊が考え込んだ…
「…お姉さんには、いつも、教えられます…」
と、私に頭を下げた…
「…たいしたことじゃないさ…」
私は、言った…
「…ただ、私とオマエとは、今も言ったように、育った環境が違う…見てきた世界が違うということさ…」
「…」
「…どんな人間も、自分の見てきた世界のことしか、知らない…だから、さっきの皇族の話に戻れば、金がない人間の苦しみは、わからないに違いないさ…」
「…」
「…いや、本やネットで、見れば、頭では、わかるが、実感が湧かないに決まってるさ…それは、経験してないから、当然さ…」
「…」
「…これは、どんなこともそうさ…ひとは、誰でも、自分の経験しないことは、正直、わからないさ…せいぜい、想像を膨らますぐらいのものさ…だから、それは、仕方がないことさ…」
私は、言った…
それから、思った…
「…もしかしたら、これから、来日する、そのアラブの王族も同じかもしれないさ…」
「…どう、同じなんですか?…」
「…アラブの王族といえば、お金持ちだろ? …日本の皇族どころか、もっと、桁外れのお金持ちに違いない…」
「…桁外れのお金持ち…」
「…そうさ…すると、どうだ? わがままになる…」
「…」
「…きっと、欲しいものは、なんでも、手に入れないと、すまないと、思うようになるかもしれん…」
「…」
「…それが、わかっているから、リンダは、恐れたんじゃ、ないのか?…」
「…」
「…生まれたときから、甘やかされ、なんでも、手に入れられる…そんな環境で、育った人間ほど、怖いものはないさ…」
「…」
「…葉尊…オマエが、どう思っているか、わからんが、リンダは、オマエにとっても、私にとっても、大切な友人だ…守ってやれ…」
「…守って?…」
「…そうだ…オマエは、リンダの幼馴染(おさななじみ)だから、リンダに魅力は、感じないかもしれん…だが、私ですら、リンダを見ると、ときどき、ドキッとすることがある…そのあまりの美しさに、だ…」
「…」
「…テレビや映画で、リンダに憧れた人間が、生身のリンダ・ヘイワースを見れば、やはり、同じだろう…それは、普段、見慣れた私よりも、もっと、衝撃が大きいだろう…」
「…」
「…そして、そんな衝撃を受けた人間が、どうするかは、誰にもわからないさ…リンダと、一晩共にしたいとか、言い出すぐらいなら、可愛いものだが、さっきも言ったように、アラブに強引に連れて行かれて、愛人にでも、されたら、堪らないさ…」
「…お姉さん…いくら、なんでも、考え過ぎじゃ…」
「…いや、考え過ぎじゃないさ…」
「…」
「…私は、リンダやバニラのように、有名人でもないし、美人でもないさ…でも、一般の美人でも、似たような例を見たことがあるさ…」
「…それは、どんな…」
「…小さなことさ…昔、バイト先で、知り会った美人のお姉さんさ…ちょうど、関連会社の男たちと、飲み会をして、別れたときに、その関連会社のうちのひとりの男が、送っていきますよと、声をかけたそうだ…」
「…」
「…でも、そのお姉さんは、アナタに送ってもらうつもりは、ありませんと、キツイ口調で、断ったそうだ…相手も、あんまりキツイ口調だから、ビックリして、職場で、話題になって、その話が、周りに回って、私の元にも、届いたのさ…」
「…」
「…私は、その美人のお姉さんとも、結構、仲が、良かったから、どうして、そんなキツイ口調で、言ったんだ? と、そのとき、聞いたのさ…」
「…どうして、だったんですか?…」
「…理由は、単純さ…男に変な下心を抱かれると、困るからと言ってたさ…」
「…」
「…美人は、生まれたときから、美人さ…だから、それこそ、小学生のときから、同級生の男の子にモテる…それだから、免疫ができるというか…どうすれば、いいか、考えるようになる…」
「…どういうことですか?…」
「…好きでもない男に言い寄られでも、したら、困るだろ? …だから、相手が、自分に近寄って来ないように、好きでもない男なら、早めに、対策を取っておくというか…言っておくに、限るそうだ…」
「…」
「…私も女だ…正直、美人は羨ましいが、美人に生まれれば、美人に生まれるで、実に、大変だと思ったものさ…」
「…」
「…まあ…私の場合は、そんな苦労はなかったから、それはそれで、残念だったが…」
私は言った…
葉尊は、私の言葉に、考え込んだ…
しばらく、黙り込んだ…
それから、
「…そんなふうに、言われると、たしかに、リンダの悩みもわかります…」
と、葉尊が、呟いた…
「…だろ?…」
「…ハイ…でも…」
「…でも、なんだ?…」
「…悩んでも、仕方がないんじゃないでしょうか?…」
「…どういう意味だ?…」
「…言葉は悪いですが、いくら悩んでも、どうにか、なるものじゃないということです…」
「…」
「…今回、アラブの王族が、来日するに、あたり、リンダ・ヘイワースの接待は、外せないものです…だから、リンダも、それは、すでに承知してます…」
「…」
「…だから、リンダが、悩むのは、わかりますが、悩んだところで、どうにか、なるものじゃない…リンダには、すまないですが…」
「…そうか…」
「…ただ、リンダが恐れる事態にならないように、考慮するつもりです…」
「…そうか…」
私は、言った…
たしかに、これまでの話を聞く限り、今さら、どうにか、なる話ではないかもしれない…
なにより、それは、リンダ自身、良く分かっていることだろう…
ここは、私ごときが、これ以上、口を挟むことではないかもしれん…
私は、思った…
結局、葉尊と、リンダの話は、それで、終わりだった…
ただ、私としては、葉尊に、リンダの件は、念を押すと言うか…
考慮してもらいたかった…
なんといっても、リンダは、私の親しい友人だった…
性格もいい…
おまけに、美人だった…
だから、そんなリンダが、どうにかなったら、大変だと思ったのだ…
そんなことを、考えていると、
「…お姉さんは、リンダが好きなんですね…」
と、葉尊が言った…
私は、
「…好きさ…」
と、答えた…
「…美人だし、有名人だし、性格もいいし、おまけに、私を好きだ…嫌いになんて、なれないさ…」
「…」
「…私もリンダの力になってやりたいが、私では、リンダの力になれないさ…だから、葉尊、オマエに頼むんだ…」
「…お姉さん…」
「…とにかく、リンダのことを、頼むゾ…」
私は、言った…
「…リンダは、なにしろ、オマエの幼馴染(おさななじみ)でも、あるんだ…」
「…ハイ…」
葉尊が、答えた…
私は、それを聞くと、安心した…
なにしろ、私の夫だ…
信頼できるからだ…
私は、それを最後に、食事をやめて、自分の部屋に戻ろうとした…
その私の背中に、
「…お姉さん…」
と、葉尊が、声をかけた…
「…なんだ?…」
私は、葉尊を振り返った…
「…もし、リンダになにか、あったら、どうしますか?…」
「…助けるさ…」
私は、断言した…
「…助ける?…」
「…当たり前さ…私の大切な友人だ…葉尊…オマエに、とっても、そうだろ?…」
「…ハイ…」
「…自分の大切な友人が、苦境にあえば、自分のできることは、やる…それが、友人のすることじゃないのか?…」
「…ハイ…」
「…商売は、大事だが、友人も大事だ…」
「…」
「…オマエや父親の葉敬が、リンダに接待させて、商売を有利にしようとすることは、理解できる…だが、その陰で、誰かが、涙を流すようなことが、あっては、ならん…」
私は、断言した…
「…私は、難しいことは、わからんが、誰かが、涙を流すような事態が、密かに起きて、それで、結果的に、商売が、うまくいっても、それは、成功なんかじゃないさ…失敗さ…」
「…」
「…成功というのは、みんなが、喜ぶものさ…誰かが、犠牲になって、する成功なんて、なんの意味もないさ…」
「…」
「…だから、もし、リンダが、泣くようなことがあれば、それは、失敗さ…」
「…」
「…葉尊…だから、そんなことが起きないように、オマエは、配慮しなければ、ダメだゾ…」
「…ハイ…」
「…わかれば、いいのさ…」
私は、葉尊の言葉を聞いて、その場から離れた…
そして、私は、部屋から、出る際に、チラリと、葉尊を見た…
なにやら、難しい顔をして、考え込んでいた…
私は、葉尊の立場を思いやった…
葉尊もまた、大変なのだろう…
クールの社長として、アラブの王族との接待を成功させなければ、ならない…
だが、今、私が言ったように、そのために、リンダが、泣くようなことが、あってはならない…
誰かの犠牲の上にある成功など、とんでもないことだからだ…
私は、思った…
私は、そう思いながらも、ちょっぴり心が痛んだ…
この世の中、キレイごとだけでは、渡っていけないからだ…
しかしながら、リンダが、泣くのは、嫌だった…
涙を流すのを見るのは、嫌だった…
物事には、何事も限度がある…
リンダが、涙を流すことなく、ちょっぴり、不快な気分で、接待をする程度で、終われば、いいのだが、と、考えた…
甘い考えだが、それが、私の希望だった…
矢田トモコ、35歳の希望だった…