第134話

文字数 4,234文字

 「…矢田ちゃん…こんなところで、なにをしているの?…」

 マリアが、繰り返した…

 「…なにを、していると、言われても…」

 私は、言い淀んだ…

 すぐには、答えられんかった…

 「…ママに頼まれたの?…」

 「…バニラに? …どうして、そう思うんだ?…」

 「…だって、矢田ちゃんと、ママは仲良しだから…」

 「…なんだと?…」

 思わず、口走って、しまった…

 つい、マリアの前で、口走って、しまった…

 さすがに、マリアの前で、母親のバニラの悪口を言うのは、マズいと、思ったが、つい、口走って、しまったのだ…

 「…だって、ママは、いつも、言っているよ…私も、矢田ちゃんのように、生きたいって…」

 「…私のように、生きたいだと?…」

 「…うん…誰にも、気兼ねせず、自分の思うままに、生きたいって…」

 マリアが言う…

 なんだと?

 あのバニラが、そんなことを?

 あのバカ、バニラが、そんなことを?

 私が、考えていると、

 「…誰もが、思うことは、同じね…」

 と、リンダが、言った…

 「…みんな、同じ…」

 「…たしかに…」

 と、ファラドが、同調した…

 「…誰もが、このお姉さんに、憧れる…このお姉さんの生き方に、憧れる…」

 リンダが、言う…

 「…ママは、矢田ちゃんが、好き…だから、お願いだから、矢田ちゃんも、ママを好きになって…」

 マリアが、私に、頼み込んだ…

 私は、どうして、いいか、わからんかった…

 私は、バニラが、嫌いだ…

 なぜなら、あのバニラは、バカだからだ…

 バカ、バニラだからだ…

 しかも、

 しかも、だ…

 バカなくせに、この矢田トモコを、バカにする…

 私は、それが、許せんかった…

 ハッキリ、言って、バニラの取り柄といえば、そのルックスと、知名度だけだ…

 180㎝の長身と、彫りの深い顔…

 まるで、大げさに言えば、ギリシャ彫刻の美女のようだ…

 が、

 ただ、それだけだ…

 ただ、それだけの女だ…

 要するに、取り柄は、顔だけ…

 顔だけの女だ…

 それが、この矢田トモコ様を、バカにするとは…

 私は、それが、許せんかったのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…お姉さんは、どうして、バニラが、嫌いなの?…」

 と、あろうことか、リンダが、直球で、聞いた…

 マリアの前で、聞いたのだ…

 だから、さすがに、私も、答えられんかった…

 さすがに、娘のマリアの前で、母親のバニラの悪口を言えんと、思ったのだ…

 だから、

 「…」

 と、答えられんかった…

 だから、

 「…」

 と、なにも、言えんかった…

 すると、リンダが、

 「…きっと、お姉さんは、バニラが、男なら、夢中になるに、決まっている…」

 と、言い出した…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 なぜ、驚いたかと、いえば、そんなことは、考えたことも、ないことだったからだ…

 「…どうしてだ?…」

 私は、聞いた…

 「…どうして、そんなことを、言うんだ?…」

 私は、聞いた…

 聞かずには、いられんかった…

 「…だって、お姉さん…イケメン好きでしょ?…」

 リンダが、笑いながら、答える…

 「…きっと、バニラが、男なら、物凄いイケメンよ…」

 「…なんだと?…」

 思わず、口走った…

 たしかに、バニラが、男なら、物凄いイケメンかも、しれん…

 だが、

 だが、だ…

 それでも、バニラは、気に入らん…

 気に入らんのだ…

 だから、

 「…そんなことは、ないさ…」

 と、答えた…

 「…バニラが、男に、生まれて、イケメンでも、私は、好きには、ならんさ…」

 と、言った…

 強く、言った…

 「…とにかく、美人だろうが、イケメンだろうが、バニラは、嫌いさ…嫌いなのさ…」

 私は、強く、断言した…

 強く、断言したのだ…

 誤解があっては、困ると、思った…

 たとえ、少しでも、私が、あのバニラを好いていると、誤解されては、困ると、思ったのだ…

 すると、

 「…矢田ちゃん…お願いだから、ママと仲良くして…」

 と、マリアが、私に懇願した…

 私は、

 「…ダメさ…」

 と、言いたかったが、言えんかった…

 さすがに、言えんかった…

 だが、マリアの頼みを、断ることも、できん…

 だから、

 「…バニラ次第さ…」

 と、私は、言ってやった…

 「…ママ次第?…」

 「…そうさ…あのバニラが、これまでの私に対する行いを、悔い改めて、接すれば、考えて、やっても、いいさ…」

 私は、提案した…

 「…が、今のままでは、ダメさ…百万年経っても、ダメさ…」

 私は、いつしか、マリアの前で、威厳を保つため、腕を組んで、言った…

 「…まあ、すべては、バニラ次第さ…バニラのこれからの態度次第さ…」

 と、私は、いわば、あのバニラにボールを投げた…

 決めるのは、バニラ…

 バニラ次第と、言ってやったのさ…

 が、

 マリアは、なぜか、

 「…矢田ちゃんは、それで、いいの?…」

 と、聞いた…

 「…なんだと? …どうしてだ?…」

 「…だって、ママ…この前、お仕事の関係者から、ジャニーズや、エグザイルのコンサートのチケットを、もらって、私は、行けないから、今度、お姉さんに、あげると、言ってたよ…」

 「…なんだと?…」

 私は、驚いた…

 私は、ジャニーズも、エグザイルも、嫌いではない…

 いや、

 イケメンは、嫌いではないのだ…

 だが、

 果たして、それが、本当か、どうかは、わからん…

 マリアの話を疑うわけではないが、それが、本当か、どうかは、わからん…

 すべては、チケットを手にしてから…

 イケメンのコンサートのチケットを、手に入れてからだ…

 だから、

 「…マリア…それは、バニラが、コンサートのチケットを、私に、くれてからだ…」

 「…矢田ちゃんに、上げてから…」

 「…そうさ…別に、マリアの話を疑ってるわけじゃないさ…でも、現物を見ないとな…話だけでは、ダメさ…」

 私は、言った…

 言ったのだ…

 すると、隣で、

 「…まったく、このお姉さんは…」

 と、リンダが、苦笑した…

 「…ずる賢いと、いうか…調子が、いいと、いうか…」

 「…それでいて、憎めない…」

 ファラドが、後を継いだ…

 「…誰もが、アンタを好きになる…ホント、得な性格だよ…」

 と、ファラドが、笑った…

 笑ったのだ…

 私は、頭に来たが、態度には、出さんかった…

 損して、得取れという言葉ではないが、花より団子…

 実物をもらって、ナンボだからだ…

 言葉よりも、行動…

 どんなに、褒められることよりも、なにか、もらった方が、得だ…

 誠意は、金で、示せ…

 それが、私の行動基準だ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…そんなことより…」

 と、いきなり、ファラドが、言い出した…

 「…そんなことより、兄貴が、どう出るかだ?…」

 「…いきなり、この保育園に、突入してくるということは、あり得るの?…」

 「…それはない…この保育園には、世界中のセレブの子弟が、集まっている…いかに、兄貴と、いえども、このセレブの保育園の子弟に、キズをつけたり、ケガをさせたりすれば、どれほど、厄介か、わかっている…」

 「…だったら、どうするつもり…」

 「…兄貴を、説得できるのは、さっきも、言ったように、このマリアだけだ…そして、このマリアを説得できるのは、このお姉さんだけだ…」

 ファラドが、言った…

 「…たしかに…」

 リンダも、相槌を打った…

 そして、リンダと、ファラドは、同時に、私とマリアを見た…

 見たのだ…

 すると、

 「…私が、どうしたの?…」

 と、マリアが、不思議そうに、言った…

 私は、

 「…オスマンさ…」

 と、言ってやった…

 「…オスマンが、どうかしたの?…」

 「…オスマンは、悪いヤツだったのさ…」

 「…悪いヤツ? …どうして、悪いヤツなの?…」

 「…どうしてって、言われても…」

 私は、言い淀んだ…

 すると、リンダが、

 「…オスマンは、偉くなりたがってるの?…」

 と、告げた…

 「…偉く?…」

 「…そう…」

 「…でも、オスマンって、ホントは、偉いんでしょ?…」

 マリアが、意外なことを、言った…

 だから、私と、リンダと、ファラドが、驚いて、互いの顔を見合わせた…

 そして、

 「…どうして、そんなことが、わかるんだ? マリア?…」

 と、私は、真っ先に、聞いた…

 「…だって、オスマンは、迎えのクルマが、やって来て、それに、乗り込むときも、なんだが、偉そうだったもの?…」

 「…偉そう?…」

 今度は、リンダが、言った…

 「…でも、それを、言えば、この保育園は、セレブの子供たちが、通う保育園だから、皆、迎えのクルマが、来ても、偉そうじゃないの?…」

 「…違う!…」

 マリアが、すぐさま反論した…

 「…迎えのクルマは、皆、大抵が、ママたちが、やって来るけれども、オスマンは、いつも、大人の男のひとたちが大勢やって来て、それに、偉そうに振る舞うの…」

 「…偉そうに?…」

 と、リンダ…

 「…そうよ…」

 マリアが、したり顔で、言う…

 それから、ファラドの顔を、ジッと見て、

 「…このオジサンも、よく、オスマンを迎えに来ていた…」

 と、言った…

 その言葉に、ファラドは、

 「…オジサン…」

 と、苦笑した…

 「…たまんねえな…オレは、まだ二十代だよ…」

 と、ファラドは、ぼやく。

 「…オレが、オジサンで、このお姉さんが、矢田ちゃんなんて…」

 と、続ける…

 「…オレは、このお姉さんのはるか年下なのに…」

 「…矢田ちゃんは、いいの…」

 マリアが、怒鳴った…

 「…矢田ちゃんは、矢田ちゃん…矢田ちゃんで、いいの…」

 マリアが主張する…

 「…どうして、矢田ちゃんで、いいの?…」

 リンダが、不思議そうに、聞いた…

 その答えは、

 「…矢田ちゃんは、仲間だから…」

 と、マリアが、言った…

 「…仲間?…」

 と、リンダ…

 「…ウン…アタシたちと、いっしょに、なって、楽しそうに、遊ぶ大人は、矢田ちゃんだけだから…」

 そのマリアの回答に、リンダと、ファラドが、顔を見合わせた…

 「…たしかに…」

 リンダが、同意する…

 「…子供は、よく見ている…」

 ファラドが、感心したように、言う…

 「…誰が、自分の味方だか、よく、わかっている…」

 すると、マリアが、

 「…オスマンが、どうかしたの?…」

 と、心配そうに、聞いた…

 私は、そんなマリアの顔が、不思議だった…

 これは、もしや、マリアは、なにか、知っているのでは?

 ふと、気付いた…

 女の直感だった…

 矢田トモコの直感だった…

               

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