第79話

文字数 5,352文字

 …アレは、一体、なんだ?…

 …なぜ、カメラを回している?…

 私は、思った…

 すでに、ファラドは、捕まえた…

 いわば、反乱の芽を摘んだのだ…

 だから、カメラは、必要ない…

 今さら、撮る必要は、ないからだ…

 いや、

 撮る必要うんぬんではなく、あのカメラは、明らかに、この矢田トモコを撮っている…

 すでに、ファラドが、いなくなった今、まだ、リンダ=ヤンや、バニラを撮るのは、わかる…

 だが、カメラが、撮っているのは、明らかに、この私…

 この矢田トモコだ…

 私は、そのカメラが、気になって仕方がなかった…

 そして、それは、リンダや、バニラも、同じだったようだ…

 私は、カメラが、気になって仕方がないから、どうしても、カメラの方を、見る…

 すると、ヤン=リンダが、

 「…お姉さんも、気付いていた?…」

 と、小声で、囁いた…

 「…当り前さ…」

 すると、バニラが、

 「…ホント、あのカメラは、謎よね…」

 と、口を挟んだ…

 「…謎だと? …どうして、謎なんだ?…」

 「…だって、考えて見て…」

 バニラが、せっかちに、言った…

 「…普通なら、リンダに化けた私を撮るか、ヤンの格好をしているリンダを撮るでしょ? …ヤンの正体が、リンダだと知って…」

 「…そ、そうだな…」

 「…でも、あのカメラは、明らかに、お姉さんを撮っている…だから、謎なの…」

 たしかに、バニラの言う通りだった…

 普通なら、リンダに化けたバニラか、ヤンの姿をしている、リンダを撮る…

 リンダ・ヘイワースが、実は、普段は、男の格好をして、世間の目を欺いているとでも、いえば、絶好の話題になる…

 しかも、その隣には、真紅のドレスを着た、リンダに化けた、バニラが、いるのだ…

 話題にならないはずは、ない…

 が、

 あのカメラは、明らかに、この私を撮っている…

 この矢田トモコを撮っている…

 だから、謎なのだ…

 私が、悩んでいると、

 「…まあ、気にしても、仕方がない…」

 と、あっさりと、ヤン=リンダが、言った…

 「…少なくとも、パパラッチじゃない…それに、こんなことを言っては、お姉さんに失礼だけれども、私やバニラを狙っているわけじゃないから、安心…」

 そう言って、ヤン=リンダが、笑った…

 そして、そう言われると、私も反論できんかった…

 リンダの言う通りだからだ…

 リンダやバニラは、世界的に有名だから、いつもパパラッチに付け狙われてる…

 だから、どんな私生活でも、話題になると、判断されれば、世間に発表される…

 いわば、言葉は、悪いが、有名税…

 一流の芸能人や、皇室のひとたちのように、世間で、誰からも知られた人間には、ありがたくないが、逃れることのできないことだからだ…

 が、

 私には、それがない…

 葉尊と結婚して、35歳のシンデレラと知られ、最近まで、世間で、話題を呼んでいたが、今や、すっかり、その報道は、影を潜めた…

 影を潜めた原因は、一言でいえば、私の賞味期限が、切れたこと…

 別段、美人でもなんでもない私が、台湾の大富豪の跡取り息子の葉尊と結婚した…

 しかも、35歳と、もう若くもない…

 だから、世間で、話題になった…

 35歳のシンデレラと、話題になった…

 が、

 それも、束の間…

 なにしろ、その後が、続かない…

 この平凡な矢田トモコには、話題を提供し続ける中身が、なにもなかった(涙)…

 だから、潮が引くように、世間から、私の話題が消えた…

 これが、リンダやバニラならば、違った…

 二人とも、有名人…

 スターだ…

 そのスターが、葉尊と結婚すれば、今でも、世間で、話題で、あり続けている…

 いや、

 そこまで、言わなくても、私が、リンダやバニラのような美人ならば、きっと、今も世間で、話題にしてくれるかも、と、思った…

 が、

 にも、かかわらず、今も、カメラは、明らかに私を撮り続けている…

 これは、一体、なぜだ?

 一体、どうしてだ?

 叫び出したい気持ちだった…

 が、

 そんなことを、考えていると、

 「…矢田…」

 と、声がかかった…

 私は、その声のする方向を見た…

 矢口のお嬢様だった…

 「…疲れは、取れたか?…」

 「…ハイ…なんとか…」

 私は、答えた…

 「…では、今度は、みんなで、恋するフォーチュンクッキーを、踊ろう…せっかく、こんな大型モニターをここに運んで来たんだ…」

 矢口のお嬢様が、言った…

 私は、一瞬、驚いたが、考えて見れば、驚くことでもなかった…

 ついさっきまでは、この大型モニターで、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊る映像を見て、園児たち、みんなで、踊ろうと、言っていたのだ…

 だから、矢口のお嬢様が、休んでいる園児たちに向かって、

 「…園児のみなさん…この休憩が、終わったら、この矢田のお姉さんをセンターにして、みんなで、AKBの恋するフォーチュンクッキーを、踊りましょう…踊り方は、このモニターを見て、習いましょう…」

 と、園児たちに呼びかけた…

 園児たちは、最初、キョトンとしていたが、すぐに、マリアが、

 「…みんな…踊ろう!…」

 と、声をかけた…

 「…なんといっても、センターは、矢田ちゃんだから、きっと、楽しいよ…」

 と、付け加えた…

 …た、楽しい?…

 …一体、私のどこが、楽しいんだ?…

 私は、大声を出して、叫びたい気持ちだった…

 が、

 それに対して、マリアの母のバニラが、

 「…お姉さんと、踊ると楽しいのよ…」

 と、言った…

 「…私と踊ると楽しい? …どうしてだ?…」

 「…お姉さんは、ホント、楽しそうに踊るの…ううん…踊りだけじゃない…子供たちと、いっしょに、遊んでいるときも、心底楽しそうに、しているの…目が笑ってるの…」

 「…目が笑ってるだと?…」

 「…そう…子供たちもバカじゃない…大人が、嫌々、自分たちと遊んでくれているか、どうかは、見れば、わかる…お姉さんは、いつも真剣…子供たちと対等に接してくれる…」

 「…」

 「…だから、子供たちは、お姉さんになつく…マリアが、なつくのと、いっしょ…」

 バニラが、言った…

 「…さあ、みんな、どうする?…」

 マリアが、園児たちに、問いかけた…

 「…矢田ちゃんと、踊る?…」

 「…うん…踊る…」

 「…ボクも、踊る…」

 「…アタシも、踊る…」

 そんな声が、あちこちから、上がった…

 そして、驚くべきことに、マリアが、

 「…オスマン…アンタは、どうするの?…」

 と、オスマン殿下に、聞いた…

 「…いや、ボクは…」

 当然ながら、オスマン殿下は、躊躇った…

 が、

 マリアは、そんなオスマン殿下に、

 「…オスマン…アタシの言うことが、聞けないの?…」

 と、容赦がなかった…

 「…いい? …オスマンは、黙って、アタシの言う通りにしていれば、いいの…」

 と、マリアが、まるで、姉さん女房のように、オスマンに、言った…

 いや、

 命じた…

 すると、オスマンは、

 「…わかった…マリアの言う通りにしよう…」

 と、笑いながら、答えた…

 その笑いは、心底、楽しそうだった…

 オスマンの目が笑っていた…

 まるで、溺愛する娘に、

 「…さあ、お父さんも、踊って…」

 と、言われるようなものだったのかもしれない…

 溺愛する娘に言われるものだから、断れない…

 本心では、嫌でも、溺愛する娘に言われるから、嫌ではない…

 そんな気持ちだろうか?

 「…オスマン…お酒ばかり、飲んでないで、明日からも、アタシといっしょに、踊ろう…」

 マリアが、提案した…

 …さすがに、毎日はないだろう?…

 その言葉を聞いて、私が、内心、思っていると、

 「…マリアが、いっしょに踊ってくれるなら…」

 と、オスマンが、照れながら、応じた…

 すると、それを見た、ヤン=リンダが、

 「…プッ…」

 と、吹き出した…

 「…アラブの至宝も、好きな女の前では、形無しね…」

 と、笑った…

 が、

 バニラが、その笑いに、相槌を打つことは、なかった…

 苦笑いを浮かべただけだった…

 さすがに、オスマン殿下の恋の相手が、自分の娘では、どう言っていいのか、わからなかったのだろう…

 30歳のオスマン殿下と、3歳のマリアの恋では、どう言っていいのか、わからなかったのだろう…

 私は、思った…

 「…さあ…みんな、始めるよ…」

 気が付くと、マリアが、みんなの前で、仕切っていた…

 AKBで、言えば、高橋みなみの立ち位置だった…

 高橋みなみ、こと、たかみなの立ち位置だった…

 みんなの前に立ち、声をかけた…

 そして、私は、センターに立った…

 隣には、オスマン殿下がいた…

 さらに40人の園児たちが、私たちの背後に並んだ…

 「…よし、スタート…」

 大型モニターが、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊る映像を流して、私やオスマン殿下を含めた全員が、その映像を参考に、踊った…

 最初は、ぎこちなかったが、時間が、経つごとに、みんな、さまになってきた…

 「…みんな、頑張れ!…」

 マリアが、声をかける…

 マリアは、まさに、園児たちのリーダーだった…

 が、

 それを見て、ふと、気付いた…

 なぜ、私が、ここで、踊っているのだろう? と、気付いたのだ…

 本当ならば、私が、マリアの立ち位置で、みんなに声をかける役割だ…

 真逆に、マリアは、私の代わりに、ここで、踊るのが、正しいはずだ…

 うーむ…

 わからん…

 正直、わからん…

 なぜ、35歳の私が、3歳の園児たちに、混じって、踊り、片や、同じ3歳のマリアが、まるで、コーチかなにかのように、私を含め、園児たちを、指導している…

 わからん…

 実に、わからん…

 よくわからん光景だった…

 いくら、考えても、ありえん光景だった…

 なぜ、35歳の私が踊り、3歳のマリアが、指示を出しているのか?

 冷静に、考えれば、考えるほど、理解に苦しむ、光景だった…

 …うーむ…

 …わからん…

 …さっぱり、わからん…

 答えが、見つけられない私は、思わず、オスマン殿下を見た…

 オスマン殿下は、見かけは、3歳だが、実際は、30歳…

 しかも、アラブの至宝と呼ばれるほどの頭脳の持ち主…

 この矢田トモコとは、雲泥の差…

 そのオスマン殿下が、どんな表情で、恋するフォーチュンクッキーを踊っているか、気になったのだ…

 ふてくされているのだろうか?

 それとも、バカバカしくて、やってられないとでも、言って、踊るのを止めたか?

 そのどちらか? だと、思ったのだ…

 が、

 違った…

 そのどちらでも、なかった…

 オスマン殿下は、実に、楽しそうに、恋するフォーチュンクッキーを踊っていた…

 そして、オスマン殿下の視線は、あの大型モニターに向いてなかった…

 前に立つ、マリアに向いていた…

 マリアに、

 「…よし、オスマン、偉い…」

 と、褒められると、さらに、楽しそうな表情になった…

 私は、唖然としたが、なんだか、楽しくなった…

 30歳のオスマン殿下が、3歳のマリアに褒められて、嬉しそうな表情をする…

 普通なら、ありえない…

 これが、サウジアラビアで、3歳の幼児が、オスマン殿下に、こんなことを言えば、どうなるか、わからない…

 少なくとも、なにも、ないことは、ないだろう…

 が、

 オスマン殿下は、嬉々として、マリアの指示に従っている…

 おそらくは、愛の力…

 オスマン殿下は、自らが、踊ることで、マリアを喜ばせることができると、思ったに違いない…

 オスマン殿下が、踊ることで、他の園児の見本になることができると、思ったに違いない…

 オスマン殿下は、これまで、この保育園で、周囲の子供たちと、うまくいかなかった…

 それは、考えてみれば、当たり前だった…

 オスマン殿下は、見かけは、3歳だが、本当は、30歳の成人男子…

 3歳の子供たちと、いっしょに、いることに、我慢ができなかったに違いない…

 そして、それが、態度に現れ、周囲の子供たちと、うまくいかなかった…

 が、

 今は、そんなオスマン殿下が、率先して、恋するフォーチュンクッキーを踊っている…

 すると、どうだ?

 他の子供たちも、オスマン殿下を、見て、踊ろうとするだろう…

 おそらく、オスマン殿下は、それがわかっているからこそ、余計に、一生懸命に、恋するフォーチュンクッキーを踊っているのだろうと、思った…

 そして、なにより、オスマン殿下が、踊ることで、マリアを、喜ばせることができるからだ…

 私は、そんなことを、考えていると、いつしか、オスマン殿下に、負けては、ならんと、思って、踊りに力を入れた…

 30歳のオスマン殿下が、踊っているのだ…

 35歳の矢田トモコが、負けるわけには、いかない…

 そう思って、踊りに力を入れた…

 すると、それを見て、

 「…矢田ちゃん…凄い…」

 と、マリアが言った…

 …当たり前さ…

 私は、内心、得意だった…

 この矢田トモコは、スポーツ万能…

 なんでも、できる女さ…

 そう言いたかった…

 この矢田トモコに、できないことは、ないのさ…

 そう言いたかった…

 そう、思いながら、ふと、周囲を見回すと、あの矢口のお嬢様の姿が、目に飛び込んだ…

 私そっくりの顔が、目に飛び込んだ…

 そして、その顔は、なぜか、楽しそうに、笑っていた…

 いかにも、満足げに笑っていた…

               

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