第79話
文字数 5,352文字
…アレは、一体、なんだ?…
…なぜ、カメラを回している?…
私は、思った…
すでに、ファラドは、捕まえた…
いわば、反乱の芽を摘んだのだ…
だから、カメラは、必要ない…
今さら、撮る必要は、ないからだ…
いや、
撮る必要うんぬんではなく、あのカメラは、明らかに、この矢田トモコを撮っている…
すでに、ファラドが、いなくなった今、まだ、リンダ=ヤンや、バニラを撮るのは、わかる…
だが、カメラが、撮っているのは、明らかに、この私…
この矢田トモコだ…
私は、そのカメラが、気になって仕方がなかった…
そして、それは、リンダや、バニラも、同じだったようだ…
私は、カメラが、気になって仕方がないから、どうしても、カメラの方を、見る…
すると、ヤン=リンダが、
「…お姉さんも、気付いていた?…」
と、小声で、囁いた…
「…当り前さ…」
すると、バニラが、
「…ホント、あのカメラは、謎よね…」
と、口を挟んだ…
「…謎だと? …どうして、謎なんだ?…」
「…だって、考えて見て…」
バニラが、せっかちに、言った…
「…普通なら、リンダに化けた私を撮るか、ヤンの格好をしているリンダを撮るでしょ? …ヤンの正体が、リンダだと知って…」
「…そ、そうだな…」
「…でも、あのカメラは、明らかに、お姉さんを撮っている…だから、謎なの…」
たしかに、バニラの言う通りだった…
普通なら、リンダに化けたバニラか、ヤンの姿をしている、リンダを撮る…
リンダ・ヘイワースが、実は、普段は、男の格好をして、世間の目を欺いているとでも、いえば、絶好の話題になる…
しかも、その隣には、真紅のドレスを着た、リンダに化けた、バニラが、いるのだ…
話題にならないはずは、ない…
が、
あのカメラは、明らかに、この私を撮っている…
この矢田トモコを撮っている…
だから、謎なのだ…
私が、悩んでいると、
「…まあ、気にしても、仕方がない…」
と、あっさりと、ヤン=リンダが、言った…
「…少なくとも、パパラッチじゃない…それに、こんなことを言っては、お姉さんに失礼だけれども、私やバニラを狙っているわけじゃないから、安心…」
そう言って、ヤン=リンダが、笑った…
そして、そう言われると、私も反論できんかった…
リンダの言う通りだからだ…
リンダやバニラは、世界的に有名だから、いつもパパラッチに付け狙われてる…
だから、どんな私生活でも、話題になると、判断されれば、世間に発表される…
いわば、言葉は、悪いが、有名税…
一流の芸能人や、皇室のひとたちのように、世間で、誰からも知られた人間には、ありがたくないが、逃れることのできないことだからだ…
が、
私には、それがない…
葉尊と結婚して、35歳のシンデレラと知られ、最近まで、世間で、話題を呼んでいたが、今や、すっかり、その報道は、影を潜めた…
影を潜めた原因は、一言でいえば、私の賞味期限が、切れたこと…
別段、美人でもなんでもない私が、台湾の大富豪の跡取り息子の葉尊と結婚した…
しかも、35歳と、もう若くもない…
だから、世間で、話題になった…
35歳のシンデレラと、話題になった…
が、
それも、束の間…
なにしろ、その後が、続かない…
この平凡な矢田トモコには、話題を提供し続ける中身が、なにもなかった(涙)…
だから、潮が引くように、世間から、私の話題が消えた…
これが、リンダやバニラならば、違った…
二人とも、有名人…
スターだ…
そのスターが、葉尊と結婚すれば、今でも、世間で、話題で、あり続けている…
いや、
そこまで、言わなくても、私が、リンダやバニラのような美人ならば、きっと、今も世間で、話題にしてくれるかも、と、思った…
が、
にも、かかわらず、今も、カメラは、明らかに私を撮り続けている…
これは、一体、なぜだ?
一体、どうしてだ?
叫び出したい気持ちだった…
が、
そんなことを、考えていると、
「…矢田…」
と、声がかかった…
私は、その声のする方向を見た…
矢口のお嬢様だった…
「…疲れは、取れたか?…」
「…ハイ…なんとか…」
私は、答えた…
「…では、今度は、みんなで、恋するフォーチュンクッキーを、踊ろう…せっかく、こんな大型モニターをここに運んで来たんだ…」
矢口のお嬢様が、言った…
私は、一瞬、驚いたが、考えて見れば、驚くことでもなかった…
ついさっきまでは、この大型モニターで、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊る映像を見て、園児たち、みんなで、踊ろうと、言っていたのだ…
だから、矢口のお嬢様が、休んでいる園児たちに向かって、
「…園児のみなさん…この休憩が、終わったら、この矢田のお姉さんをセンターにして、みんなで、AKBの恋するフォーチュンクッキーを、踊りましょう…踊り方は、このモニターを見て、習いましょう…」
と、園児たちに呼びかけた…
園児たちは、最初、キョトンとしていたが、すぐに、マリアが、
「…みんな…踊ろう!…」
と、声をかけた…
「…なんといっても、センターは、矢田ちゃんだから、きっと、楽しいよ…」
と、付け加えた…
…た、楽しい?…
…一体、私のどこが、楽しいんだ?…
私は、大声を出して、叫びたい気持ちだった…
が、
それに対して、マリアの母のバニラが、
「…お姉さんと、踊ると楽しいのよ…」
と、言った…
「…私と踊ると楽しい? …どうしてだ?…」
「…お姉さんは、ホント、楽しそうに踊るの…ううん…踊りだけじゃない…子供たちと、いっしょに、遊んでいるときも、心底楽しそうに、しているの…目が笑ってるの…」
「…目が笑ってるだと?…」
「…そう…子供たちもバカじゃない…大人が、嫌々、自分たちと遊んでくれているか、どうかは、見れば、わかる…お姉さんは、いつも真剣…子供たちと対等に接してくれる…」
「…」
「…だから、子供たちは、お姉さんになつく…マリアが、なつくのと、いっしょ…」
バニラが、言った…
「…さあ、みんな、どうする?…」
マリアが、園児たちに、問いかけた…
「…矢田ちゃんと、踊る?…」
「…うん…踊る…」
「…ボクも、踊る…」
「…アタシも、踊る…」
そんな声が、あちこちから、上がった…
そして、驚くべきことに、マリアが、
「…オスマン…アンタは、どうするの?…」
と、オスマン殿下に、聞いた…
「…いや、ボクは…」
当然ながら、オスマン殿下は、躊躇った…
が、
マリアは、そんなオスマン殿下に、
「…オスマン…アタシの言うことが、聞けないの?…」
と、容赦がなかった…
「…いい? …オスマンは、黙って、アタシの言う通りにしていれば、いいの…」
と、マリアが、まるで、姉さん女房のように、オスマンに、言った…
いや、
命じた…
すると、オスマンは、
「…わかった…マリアの言う通りにしよう…」
と、笑いながら、答えた…
その笑いは、心底、楽しそうだった…
オスマンの目が笑っていた…
まるで、溺愛する娘に、
「…さあ、お父さんも、踊って…」
と、言われるようなものだったのかもしれない…
溺愛する娘に言われるものだから、断れない…
本心では、嫌でも、溺愛する娘に言われるから、嫌ではない…
そんな気持ちだろうか?
「…オスマン…お酒ばかり、飲んでないで、明日からも、アタシといっしょに、踊ろう…」
マリアが、提案した…
…さすがに、毎日はないだろう?…
その言葉を聞いて、私が、内心、思っていると、
「…マリアが、いっしょに踊ってくれるなら…」
と、オスマンが、照れながら、応じた…
すると、それを見た、ヤン=リンダが、
「…プッ…」
と、吹き出した…
「…アラブの至宝も、好きな女の前では、形無しね…」
と、笑った…
が、
バニラが、その笑いに、相槌を打つことは、なかった…
苦笑いを浮かべただけだった…
さすがに、オスマン殿下の恋の相手が、自分の娘では、どう言っていいのか、わからなかったのだろう…
30歳のオスマン殿下と、3歳のマリアの恋では、どう言っていいのか、わからなかったのだろう…
私は、思った…
「…さあ…みんな、始めるよ…」
気が付くと、マリアが、みんなの前で、仕切っていた…
AKBで、言えば、高橋みなみの立ち位置だった…
高橋みなみ、こと、たかみなの立ち位置だった…
みんなの前に立ち、声をかけた…
そして、私は、センターに立った…
隣には、オスマン殿下がいた…
さらに40人の園児たちが、私たちの背後に並んだ…
「…よし、スタート…」
大型モニターが、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊る映像を流して、私やオスマン殿下を含めた全員が、その映像を参考に、踊った…
最初は、ぎこちなかったが、時間が、経つごとに、みんな、さまになってきた…
「…みんな、頑張れ!…」
マリアが、声をかける…
マリアは、まさに、園児たちのリーダーだった…
が、
それを見て、ふと、気付いた…
なぜ、私が、ここで、踊っているのだろう? と、気付いたのだ…
本当ならば、私が、マリアの立ち位置で、みんなに声をかける役割だ…
真逆に、マリアは、私の代わりに、ここで、踊るのが、正しいはずだ…
うーむ…
わからん…
正直、わからん…
なぜ、35歳の私が、3歳の園児たちに、混じって、踊り、片や、同じ3歳のマリアが、まるで、コーチかなにかのように、私を含め、園児たちを、指導している…
わからん…
実に、わからん…
よくわからん光景だった…
いくら、考えても、ありえん光景だった…
なぜ、35歳の私が踊り、3歳のマリアが、指示を出しているのか?
冷静に、考えれば、考えるほど、理解に苦しむ、光景だった…
…うーむ…
…わからん…
…さっぱり、わからん…
答えが、見つけられない私は、思わず、オスマン殿下を見た…
オスマン殿下は、見かけは、3歳だが、実際は、30歳…
しかも、アラブの至宝と呼ばれるほどの頭脳の持ち主…
この矢田トモコとは、雲泥の差…
そのオスマン殿下が、どんな表情で、恋するフォーチュンクッキーを踊っているか、気になったのだ…
ふてくされているのだろうか?
それとも、バカバカしくて、やってられないとでも、言って、踊るのを止めたか?
そのどちらか? だと、思ったのだ…
が、
違った…
そのどちらでも、なかった…
オスマン殿下は、実に、楽しそうに、恋するフォーチュンクッキーを踊っていた…
そして、オスマン殿下の視線は、あの大型モニターに向いてなかった…
前に立つ、マリアに向いていた…
マリアに、
「…よし、オスマン、偉い…」
と、褒められると、さらに、楽しそうな表情になった…
私は、唖然としたが、なんだか、楽しくなった…
30歳のオスマン殿下が、3歳のマリアに褒められて、嬉しそうな表情をする…
普通なら、ありえない…
これが、サウジアラビアで、3歳の幼児が、オスマン殿下に、こんなことを言えば、どうなるか、わからない…
少なくとも、なにも、ないことは、ないだろう…
が、
オスマン殿下は、嬉々として、マリアの指示に従っている…
おそらくは、愛の力…
オスマン殿下は、自らが、踊ることで、マリアを喜ばせることができると、思ったに違いない…
オスマン殿下が、踊ることで、他の園児の見本になることができると、思ったに違いない…
オスマン殿下は、これまで、この保育園で、周囲の子供たちと、うまくいかなかった…
それは、考えてみれば、当たり前だった…
オスマン殿下は、見かけは、3歳だが、本当は、30歳の成人男子…
3歳の子供たちと、いっしょに、いることに、我慢ができなかったに違いない…
そして、それが、態度に現れ、周囲の子供たちと、うまくいかなかった…
が、
今は、そんなオスマン殿下が、率先して、恋するフォーチュンクッキーを踊っている…
すると、どうだ?
他の子供たちも、オスマン殿下を、見て、踊ろうとするだろう…
おそらく、オスマン殿下は、それがわかっているからこそ、余計に、一生懸命に、恋するフォーチュンクッキーを踊っているのだろうと、思った…
そして、なにより、オスマン殿下が、踊ることで、マリアを、喜ばせることができるからだ…
私は、そんなことを、考えていると、いつしか、オスマン殿下に、負けては、ならんと、思って、踊りに力を入れた…
30歳のオスマン殿下が、踊っているのだ…
35歳の矢田トモコが、負けるわけには、いかない…
そう思って、踊りに力を入れた…
すると、それを見て、
「…矢田ちゃん…凄い…」
と、マリアが言った…
…当たり前さ…
私は、内心、得意だった…
この矢田トモコは、スポーツ万能…
なんでも、できる女さ…
そう言いたかった…
この矢田トモコに、できないことは、ないのさ…
そう言いたかった…
そう、思いながら、ふと、周囲を見回すと、あの矢口のお嬢様の姿が、目に飛び込んだ…
私そっくりの顔が、目に飛び込んだ…
そして、その顔は、なぜか、楽しそうに、笑っていた…
いかにも、満足げに笑っていた…
…なぜ、カメラを回している?…
私は、思った…
すでに、ファラドは、捕まえた…
いわば、反乱の芽を摘んだのだ…
だから、カメラは、必要ない…
今さら、撮る必要は、ないからだ…
いや、
撮る必要うんぬんではなく、あのカメラは、明らかに、この矢田トモコを撮っている…
すでに、ファラドが、いなくなった今、まだ、リンダ=ヤンや、バニラを撮るのは、わかる…
だが、カメラが、撮っているのは、明らかに、この私…
この矢田トモコだ…
私は、そのカメラが、気になって仕方がなかった…
そして、それは、リンダや、バニラも、同じだったようだ…
私は、カメラが、気になって仕方がないから、どうしても、カメラの方を、見る…
すると、ヤン=リンダが、
「…お姉さんも、気付いていた?…」
と、小声で、囁いた…
「…当り前さ…」
すると、バニラが、
「…ホント、あのカメラは、謎よね…」
と、口を挟んだ…
「…謎だと? …どうして、謎なんだ?…」
「…だって、考えて見て…」
バニラが、せっかちに、言った…
「…普通なら、リンダに化けた私を撮るか、ヤンの格好をしているリンダを撮るでしょ? …ヤンの正体が、リンダだと知って…」
「…そ、そうだな…」
「…でも、あのカメラは、明らかに、お姉さんを撮っている…だから、謎なの…」
たしかに、バニラの言う通りだった…
普通なら、リンダに化けたバニラか、ヤンの姿をしている、リンダを撮る…
リンダ・ヘイワースが、実は、普段は、男の格好をして、世間の目を欺いているとでも、いえば、絶好の話題になる…
しかも、その隣には、真紅のドレスを着た、リンダに化けた、バニラが、いるのだ…
話題にならないはずは、ない…
が、
あのカメラは、明らかに、この私を撮っている…
この矢田トモコを撮っている…
だから、謎なのだ…
私が、悩んでいると、
「…まあ、気にしても、仕方がない…」
と、あっさりと、ヤン=リンダが、言った…
「…少なくとも、パパラッチじゃない…それに、こんなことを言っては、お姉さんに失礼だけれども、私やバニラを狙っているわけじゃないから、安心…」
そう言って、ヤン=リンダが、笑った…
そして、そう言われると、私も反論できんかった…
リンダの言う通りだからだ…
リンダやバニラは、世界的に有名だから、いつもパパラッチに付け狙われてる…
だから、どんな私生活でも、話題になると、判断されれば、世間に発表される…
いわば、言葉は、悪いが、有名税…
一流の芸能人や、皇室のひとたちのように、世間で、誰からも知られた人間には、ありがたくないが、逃れることのできないことだからだ…
が、
私には、それがない…
葉尊と結婚して、35歳のシンデレラと知られ、最近まで、世間で、話題を呼んでいたが、今や、すっかり、その報道は、影を潜めた…
影を潜めた原因は、一言でいえば、私の賞味期限が、切れたこと…
別段、美人でもなんでもない私が、台湾の大富豪の跡取り息子の葉尊と結婚した…
しかも、35歳と、もう若くもない…
だから、世間で、話題になった…
35歳のシンデレラと、話題になった…
が、
それも、束の間…
なにしろ、その後が、続かない…
この平凡な矢田トモコには、話題を提供し続ける中身が、なにもなかった(涙)…
だから、潮が引くように、世間から、私の話題が消えた…
これが、リンダやバニラならば、違った…
二人とも、有名人…
スターだ…
そのスターが、葉尊と結婚すれば、今でも、世間で、話題で、あり続けている…
いや、
そこまで、言わなくても、私が、リンダやバニラのような美人ならば、きっと、今も世間で、話題にしてくれるかも、と、思った…
が、
にも、かかわらず、今も、カメラは、明らかに私を撮り続けている…
これは、一体、なぜだ?
一体、どうしてだ?
叫び出したい気持ちだった…
が、
そんなことを、考えていると、
「…矢田…」
と、声がかかった…
私は、その声のする方向を見た…
矢口のお嬢様だった…
「…疲れは、取れたか?…」
「…ハイ…なんとか…」
私は、答えた…
「…では、今度は、みんなで、恋するフォーチュンクッキーを、踊ろう…せっかく、こんな大型モニターをここに運んで来たんだ…」
矢口のお嬢様が、言った…
私は、一瞬、驚いたが、考えて見れば、驚くことでもなかった…
ついさっきまでは、この大型モニターで、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊る映像を見て、園児たち、みんなで、踊ろうと、言っていたのだ…
だから、矢口のお嬢様が、休んでいる園児たちに向かって、
「…園児のみなさん…この休憩が、終わったら、この矢田のお姉さんをセンターにして、みんなで、AKBの恋するフォーチュンクッキーを、踊りましょう…踊り方は、このモニターを見て、習いましょう…」
と、園児たちに呼びかけた…
園児たちは、最初、キョトンとしていたが、すぐに、マリアが、
「…みんな…踊ろう!…」
と、声をかけた…
「…なんといっても、センターは、矢田ちゃんだから、きっと、楽しいよ…」
と、付け加えた…
…た、楽しい?…
…一体、私のどこが、楽しいんだ?…
私は、大声を出して、叫びたい気持ちだった…
が、
それに対して、マリアの母のバニラが、
「…お姉さんと、踊ると楽しいのよ…」
と、言った…
「…私と踊ると楽しい? …どうしてだ?…」
「…お姉さんは、ホント、楽しそうに踊るの…ううん…踊りだけじゃない…子供たちと、いっしょに、遊んでいるときも、心底楽しそうに、しているの…目が笑ってるの…」
「…目が笑ってるだと?…」
「…そう…子供たちもバカじゃない…大人が、嫌々、自分たちと遊んでくれているか、どうかは、見れば、わかる…お姉さんは、いつも真剣…子供たちと対等に接してくれる…」
「…」
「…だから、子供たちは、お姉さんになつく…マリアが、なつくのと、いっしょ…」
バニラが、言った…
「…さあ、みんな、どうする?…」
マリアが、園児たちに、問いかけた…
「…矢田ちゃんと、踊る?…」
「…うん…踊る…」
「…ボクも、踊る…」
「…アタシも、踊る…」
そんな声が、あちこちから、上がった…
そして、驚くべきことに、マリアが、
「…オスマン…アンタは、どうするの?…」
と、オスマン殿下に、聞いた…
「…いや、ボクは…」
当然ながら、オスマン殿下は、躊躇った…
が、
マリアは、そんなオスマン殿下に、
「…オスマン…アタシの言うことが、聞けないの?…」
と、容赦がなかった…
「…いい? …オスマンは、黙って、アタシの言う通りにしていれば、いいの…」
と、マリアが、まるで、姉さん女房のように、オスマンに、言った…
いや、
命じた…
すると、オスマンは、
「…わかった…マリアの言う通りにしよう…」
と、笑いながら、答えた…
その笑いは、心底、楽しそうだった…
オスマンの目が笑っていた…
まるで、溺愛する娘に、
「…さあ、お父さんも、踊って…」
と、言われるようなものだったのかもしれない…
溺愛する娘に言われるものだから、断れない…
本心では、嫌でも、溺愛する娘に言われるから、嫌ではない…
そんな気持ちだろうか?
「…オスマン…お酒ばかり、飲んでないで、明日からも、アタシといっしょに、踊ろう…」
マリアが、提案した…
…さすがに、毎日はないだろう?…
その言葉を聞いて、私が、内心、思っていると、
「…マリアが、いっしょに踊ってくれるなら…」
と、オスマンが、照れながら、応じた…
すると、それを見た、ヤン=リンダが、
「…プッ…」
と、吹き出した…
「…アラブの至宝も、好きな女の前では、形無しね…」
と、笑った…
が、
バニラが、その笑いに、相槌を打つことは、なかった…
苦笑いを浮かべただけだった…
さすがに、オスマン殿下の恋の相手が、自分の娘では、どう言っていいのか、わからなかったのだろう…
30歳のオスマン殿下と、3歳のマリアの恋では、どう言っていいのか、わからなかったのだろう…
私は、思った…
「…さあ…みんな、始めるよ…」
気が付くと、マリアが、みんなの前で、仕切っていた…
AKBで、言えば、高橋みなみの立ち位置だった…
高橋みなみ、こと、たかみなの立ち位置だった…
みんなの前に立ち、声をかけた…
そして、私は、センターに立った…
隣には、オスマン殿下がいた…
さらに40人の園児たちが、私たちの背後に並んだ…
「…よし、スタート…」
大型モニターが、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊る映像を流して、私やオスマン殿下を含めた全員が、その映像を参考に、踊った…
最初は、ぎこちなかったが、時間が、経つごとに、みんな、さまになってきた…
「…みんな、頑張れ!…」
マリアが、声をかける…
マリアは、まさに、園児たちのリーダーだった…
が、
それを見て、ふと、気付いた…
なぜ、私が、ここで、踊っているのだろう? と、気付いたのだ…
本当ならば、私が、マリアの立ち位置で、みんなに声をかける役割だ…
真逆に、マリアは、私の代わりに、ここで、踊るのが、正しいはずだ…
うーむ…
わからん…
正直、わからん…
なぜ、35歳の私が、3歳の園児たちに、混じって、踊り、片や、同じ3歳のマリアが、まるで、コーチかなにかのように、私を含め、園児たちを、指導している…
わからん…
実に、わからん…
よくわからん光景だった…
いくら、考えても、ありえん光景だった…
なぜ、35歳の私が踊り、3歳のマリアが、指示を出しているのか?
冷静に、考えれば、考えるほど、理解に苦しむ、光景だった…
…うーむ…
…わからん…
…さっぱり、わからん…
答えが、見つけられない私は、思わず、オスマン殿下を見た…
オスマン殿下は、見かけは、3歳だが、実際は、30歳…
しかも、アラブの至宝と呼ばれるほどの頭脳の持ち主…
この矢田トモコとは、雲泥の差…
そのオスマン殿下が、どんな表情で、恋するフォーチュンクッキーを踊っているか、気になったのだ…
ふてくされているのだろうか?
それとも、バカバカしくて、やってられないとでも、言って、踊るのを止めたか?
そのどちらか? だと、思ったのだ…
が、
違った…
そのどちらでも、なかった…
オスマン殿下は、実に、楽しそうに、恋するフォーチュンクッキーを踊っていた…
そして、オスマン殿下の視線は、あの大型モニターに向いてなかった…
前に立つ、マリアに向いていた…
マリアに、
「…よし、オスマン、偉い…」
と、褒められると、さらに、楽しそうな表情になった…
私は、唖然としたが、なんだか、楽しくなった…
30歳のオスマン殿下が、3歳のマリアに褒められて、嬉しそうな表情をする…
普通なら、ありえない…
これが、サウジアラビアで、3歳の幼児が、オスマン殿下に、こんなことを言えば、どうなるか、わからない…
少なくとも、なにも、ないことは、ないだろう…
が、
オスマン殿下は、嬉々として、マリアの指示に従っている…
おそらくは、愛の力…
オスマン殿下は、自らが、踊ることで、マリアを喜ばせることができると、思ったに違いない…
オスマン殿下が、踊ることで、他の園児の見本になることができると、思ったに違いない…
オスマン殿下は、これまで、この保育園で、周囲の子供たちと、うまくいかなかった…
それは、考えてみれば、当たり前だった…
オスマン殿下は、見かけは、3歳だが、本当は、30歳の成人男子…
3歳の子供たちと、いっしょに、いることに、我慢ができなかったに違いない…
そして、それが、態度に現れ、周囲の子供たちと、うまくいかなかった…
が、
今は、そんなオスマン殿下が、率先して、恋するフォーチュンクッキーを踊っている…
すると、どうだ?
他の子供たちも、オスマン殿下を、見て、踊ろうとするだろう…
おそらく、オスマン殿下は、それがわかっているからこそ、余計に、一生懸命に、恋するフォーチュンクッキーを踊っているのだろうと、思った…
そして、なにより、オスマン殿下が、踊ることで、マリアを、喜ばせることができるからだ…
私は、そんなことを、考えていると、いつしか、オスマン殿下に、負けては、ならんと、思って、踊りに力を入れた…
30歳のオスマン殿下が、踊っているのだ…
35歳の矢田トモコが、負けるわけには、いかない…
そう思って、踊りに力を入れた…
すると、それを見て、
「…矢田ちゃん…凄い…」
と、マリアが言った…
…当たり前さ…
私は、内心、得意だった…
この矢田トモコは、スポーツ万能…
なんでも、できる女さ…
そう言いたかった…
この矢田トモコに、できないことは、ないのさ…
そう言いたかった…
そう、思いながら、ふと、周囲を見回すと、あの矢口のお嬢様の姿が、目に飛び込んだ…
私そっくりの顔が、目に飛び込んだ…
そして、その顔は、なぜか、楽しそうに、笑っていた…
いかにも、満足げに笑っていた…