第119話

文字数 4,959文字

 私が、そう思っていると、

 「…ですが、バニラの心配も、わからないわけじゃ、ないです…」

 と、葉敬が、続けた…

 「…現に、私も、少しばかり、心配です…」

 葉敬が、告白した…

 私は、驚いた…

 驚いて、葉敬を、見た…

 すると、

 「…そんな顔をしないで、下さい…お姉さん…」

 と、言って、葉敬が、笑った…

 「…私も、マリアの父親です…そんなことは、あり得ないと、思いながら、一方で、もしやと、考える…どこにでもいる、普通の父親です…」

 葉敬が、言う…

 「…オスマン殿下は、信頼できる人物です…それゆえ、アラブの至宝と、言われ、決して、表立って、アラブ世界で、知られているわけではないが、陰で、絶大の信頼を、得て、権力を有している…だから、幼いマリアに手を出すことは、あり得ないし、この先、マリアが、大きくなっても、妻に娶(めと)ることはない…そう、信じています…」

 「…信じている…」

 「…ハイ…ですが、一方で、それを、信じきれない自分が、いる…これも、また、事実です…」

 葉敬が、言った…

 包み隠さず、自分の本心を語った…

 私は、この葉敬を、信用できると、思った…

 信頼できると、思った…

 誰もが、同じ…

 葉敬と、立場が、同じならば、同じことを、言うに違いないからだ…

 …殿下は、信頼できる…

 …だから、そんなことを、するはずがない…

 そう、思いながらも、一方で、そう思い込めない自分が、いる…

 誰もが、同じだろう…

 これが、他人ならば、もっと、冷静に、見るから、

 「…あの殿下が、そんなことを、するわけがない…」

 と、一笑に付すかもしれない…

 なぜなら、それは、他人だからだ…

 ハッキリ、言えば、自分とは、関係がない…

 だから、冷静になれるし、そこまで、考えない…

 夢中になれない…

 だが、それだから、正しい答えを導き出すことが、できる…

 真逆に自分のことは、利害関係が、あるから、冷静になれない…

 正しい答えを、導き出すことが、できない…

 そういうことだろう…

 しかし、

 しかし、だ…

 それは、それとして、今さらながら、この葉敬という男が、この矢田トモコを、どうして、ここまで、持ち上げるか、不思議だった…

 この矢田トモコと、どうして、対等に接するのか、謎だった…

 なにしろ、葉敬は、成功者だ…

 台湾の大企業、台北筆頭を一代で、築き上げた、立志伝中の人物…

 台湾では、知らない者は、いない、お金持ちだ…

 成功者だ…

 それが、この矢田トモコに対しては、異常なまでに、腰が低いというか…

 バカみたいに丁重な態度を取る…

 まるで、私が、葉敬の主人か、なにかのようだ…

 この葉敬は、私を、いつも、

 「…お姉さん…」

 と、呼ぶが、本当は、それを、

 「…お嬢様…」

 と、置き換えても、いい…

 それほど、丁重に扱っていると、いうことだ…

 一体、なぜ、これほど、私を大事に扱うのか?

 解けぬ謎だった…

 が、

 それを、思ったとき、とっさに、浮かんだのは、葉問だった…

 葉問の言葉だった…

 葉問が、以前、言った言葉だった…

 …なぜ、葉敬が、お姉さんを、大事にするか?…

 それは、

「…自分を消滅させるためだ…」

と、葉問は、言った…

葉問は、本来、存在しない…

葉問は、葉尊が、無意識に作り出した、もう一人の人格…

本物の葉問は、幼い時に、葉尊のいたずらが、きっかけで、事故で死んだ…

幼い葉尊は、そのいたずらを、悔いた…

 なにしろ、自分のした、いたずらがきっかけで、弟の葉問が、死んだのだ…

 自分を責めないわけが、なかった…

 葉問は、葉尊の一卵性双生児の弟…

 だから、外見は、瓜二つ…

 そっくりだ…

 だから、だろう…

 葉尊は、無意識のうちに、葉問を、自分の中に、作り出した…

 いわば、葉尊の罪の意識が、無意識に葉問を作り出したのだ…

 葉尊の傷付いた、心の傷が、葉問を作り出したのだ…

 そして、その心の傷を、葉敬は、逆手に取った…

 つまり、葉尊の心の傷を、癒すことが、できれば、葉問を消滅させることが、できると、考えたのだ…

 葉問は、言葉は悪いが、葉尊に寄生した人格…

 葉尊あっての葉問だ…

 その逆はない…

 だから、葉問を消滅させるのが、筋だ…

 なにより、葉敬は、葉尊の父親…

 そして、葉尊は、葉敬の後継者…

 台湾の大企業、台北筆頭の後継者だ…

 そんな大企業の後継者が、心の傷を負った、二重人格の人物では、将来が、困る…

 将来が、不安だ…

 そういうことだろう…

 それゆえ、私を葉尊の妻にした…

 私は、自分でいうのも、おかしいが、明るく、誰からも好かれる…

 そんな私といっしょにいれば、葉尊の心の傷が、癒えると思ったのだ…

 そして、葉尊の心の傷が、癒えれば、葉問は、自然に消滅する…

 それが、葉敬の狙いだと、葉問は、私に言った…

 つまり、葉問は、葉敬の狙いを、自分を、この世から、消滅させることだと、思ったのだ…

 それゆえ、葉敬は、私を大事にしている…

 一刻も早く、葉問を、葉尊から、取り除くべく、尽力しているといったところか…

 が、

 私は、それを信じんかった…

 いや、

 頭から、それを否定しているわけではない…

 おそらく、葉敬の狙いは、葉問の言う通りだろう…

 葉尊の心の傷を癒して、葉尊を消滅させる…

 その葉敬の狙いが、間違っているとは、思わない…

 ただ、私は、別の理由もあると、考えている…

 いや、

 睨んでいる…

 なぜなら、そんな利害関係だけで、これほど、私を大事には、できんからだ…

 例えば、男でも、女でも、好きな異性が、いたとする…

 すると、どうだ?

 最初は、男女とも、なんとか、相手に気に入られようとする…

 だが、

 なにをしても、相手が自分を気に入ってくれない…

 自分を、相手にしてくれない…

 すると、どうだ?

 大抵は、男女とも、その異性を諦めるだろう…

 ハッキリ言えば、なにをしても、自分になびかない…

 そんな異性を相手にしても、時間と金の無駄だと、悟るからだ(爆笑)…

 が、

 稀に、それでも、相手に尽くすものが、いる…

 いわば、無私の愛…

 見返りを求めない愛だ…

 それと、葉敬が、似ている…

 私に対する態度と似ている…

 なぜなら、葉敬の私に対する態度に、下心を感じないからだ…

 下心=Hなことではない(笑)…

 下心=打算だ(笑)…

 そして、打算があれば、それは、態度に現れる…

 打算=利益の取得だ…

 だから、態度に現れやすい…

 男も女も、Hが目的の場合は、それが、態度に出やすい…

 それと、同じだ…

 が、

 葉敬の場合は、それが、一切ない…

 だから、私は、悩むのだ…

 葉問の言っていることが、間違っているとは、思わない…

 が、

 それだけではない…

 これは、この矢田トモコ自身が、言っているのだから、間違いではない…

 当事者が、言っているのだから、間違いではない…

 なにしろ、当事者だ…

 傍から見ているわけではない…

 いわば、葉敬の優しさを感じるのだ…

 おおげさに言えば、無償の愛を感じるのだ…
 
 そういうことだ…

 私は、そんなことを、考えていると、

 「…到着しました…」

 と、運転手が、告げた…

 …到着?…

 …どこに、到着したんだ?…

 とっさに思った…

 「…さあ、お姉さん…降りましょう…」

 と、葉尊が、にこやかに、言った…

 私は、葉敬に、促され、クルマから、降りようとした…

 すると、それより先に、運転手のひとが、クルマから降りて、私の側のドアを開けた…

 私は、そんなことをされた、経験が、ないので、戸惑った…

 おまけに、運転手のひとは、

 「…若奥様…お降りください…」

 と、言った…

 「…わ…若奥様?…」

 初めて、言われた言葉だった…

 私は、とっさに、顔が赤らむのが、わかった…

 鏡も見ないのに、自分の顔が、赤らむのが、わかった…

 そして、どうして、いいか、わからず、つい葉敬の顔を見た…

 葉敬が、ニコニコと、笑っていた…

 そして、葉敬も、また、

 「…若奥様…さあ、お降りください…」

 と、私が、クルマから、降りるのを、促した…

 私は、もう、どうして、いいか、わからず、まるで、逃げ出すように、クルマから、降りた…

 そして、どこで、降りたか、周囲を見た…

 ファミレスだった…

 ありきたりの店だった…

 そして、これもまた、私にとって、驚きだった…

 なにしろ、葉敬だ…

 台湾の大財閥の総帥だ…

 きっと、葉敬のことだ…

 私が、まだ、見たこともない…

 私が、まだ、行ったことのない、店にでも、連れて行くと、思ったのだ…

 それが…

 それが、こんな店とは…

 いや、

 店に罪はない…

 ファミレスに罪はないのだ…

 が、

 やはりと、いうか…

 ガッカリ感は、あった(笑)…

 だから、思わず、葉敬を見た…

 私同様、クルマから、降りた、葉敬を見た…

 すると、葉敬は、

 「…どうしました? …お姉さん?…」

 と、まるで、私の反応を、面白がるように、言った…

 私は、どう言おうか、迷った…

 すぐに、言葉が、出てこんかった…

 すると、葉敬が、さらに、

 「…お姉さんは、私が、日本の懐石料理でも出す、高級料亭にでも、連れて行くと、思ってましたか?…」

 と、これも、面白そうに、付け加えた…

 私は、

 「…」

 と、黙った…

 まさか、

 「…ハイ…そう思ってました…」

 とは、言えんからだ…

 そんな私の反応を見て、葉敬は、種明かしをするように、

 「…私は、庶民…庶民です…お姉さん…」

 と、言った…

 「…さっきも、クルマの中で、言ったでしょ? …私の両親も、庶民だったと…」

 たしかに、その通りだった…

 さっき、この葉敬は、たしかに、そう言った…

 自分の両親は、庶民だったと…

 だから、だろう…

 この矢田を、葉尊の妻として、受け入れてくれたのかも、しれない…

 台湾で、大成功したが、元は、庶民…

 だから、同じ庶民出身の私を受け入れてくれたのかも、しれない…

 が、

 真逆の場合もある…

 成功したから、庶民は、嫌なのだ…

 成功したから、庶民は、嫌いなのだ…

 どうして、庶民は、嫌いなのか?

 それでは、成功した意味が、ないからだ…

 例えば、庶民から、上級国民に成り上がる…

 いわば、階級が、上がったのだ…

 だから、それ以前の庶民は、嫌なのだ…

 庶民は、嫌いなのだ…

 もっと、ハッキリ言えば、それでは、成功した意味が、ないからだ…

 上級国民になったから、自分の息子は、女給国民の娘と結婚させる…

 そう思うのだ…

 他のわかりやすい例で言えば、お金持ちになったから、良いクルマに乗ったり、男であれば、誰もが、ビックリするような若い美女と、付き合うのと、同じ…

 同じだ…

 ハッキリ言えば、それが、成功者の証(あかし)と、信じている…

 そういうことだろう…

 真逆に、言えば、それをせずして、どうして、成功したいと、願ったのか? 

 と、考える…

 むしろ、そういう発想の方が、健全というか、ありがちだ…

 つまりは、そういうことを、夢見て、日夜、努力するからだ…

 が、

 この葉敬には、それがなかった…

 だから、そう意味では、異質だった…

 異質の存在だった…

 いや、

 異質ではない…

 それを、言えば、葉尊も同じ…

 いや、

 葉尊だけでなく、葉問も、同じだった…

 共に、変に上を目指さない人間だった…

 変に、変に上昇志向のない人間だった…

 やはり、血…

 これは、血なのだろうか?

 葉敬の息子だからだろうか?

 いや、

 それを言えば、成功した、リンダやバニラもまた、変な上昇志向は、なかった…

 あれば、すぐに、この矢田も、わかる…

 いや、

 それ以前に、この矢田と、付き合うこともないに違いない…

 なにしろ、この矢田だ…

 矢田トモコだ…

 成功とは、無縁の存在…

 だから、この矢田といっしょにいても、成功した意味は、なにもない…

 なにもないのだ…

 これも、やはり、血なのだろうか?

 成功者にも、かかわらず、この矢田と付き合う…

 これも、血のなせるわざなのだろうか?

 と、ここまで、考えて、一つ、気付いたことがある…

 この葉敬、葉尊、リンダ、バニラ、共に、似たような人物ということだ…

 成功者にも、かかわらず、変に上を目指さない…

 まさに、類は友を呼ぶ…

 同じタイプの人間たちだった…

               
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