第80話

文字数 6,337文字

 …なんだ?…

 …あのお嬢様の目は?…

 私は、思った…

 実に、楽しそうに、私を見ている…

 この矢田トモコを見ている…

 一体、私を見て、なにが、楽しいんだ?

 自分と、同じ顔やカラダを持った女が、踊っているのを見て、なにが、楽しいんだ?

 謎だった…

 いくら、考えても、わからなかった…

 当たり前だ…

 他人が、考えていることが、わかる人間は、いない…

 親子や兄弟ですら、なにを考えているか、わからないときが、ある…

 ましてや、他人…
 
 あのお嬢様は、他人だ…

 しかも、あのお嬢様と私は、たいした知り合いではなかった…

 だから、余計に、わからなかった…

 が、

 なにか、あると、思った…

 あの矢口のお嬢様の大きな口が、いかにも、楽しそうに、笑っていた…

 その笑いは、不気味の一言!…

 この矢田トモコに、とっては、不気味の一言だった!…

 別に、私そっくりな女が、笑っているから、不気味だと言ったのではない…

 あの六頭身で、幼児体型のお嬢様が、笑っているから、不気味なのではない…

 断じてない!…

 なぜなら、それを言えば、この矢田トモコが、笑っていることが、不気味だと、言っているようなものだからだ…

 だから、私そっくりの女が、笑っているから、不気味だとは、断じて、言っていない…

 問題なのは、笑っているのが、矢口のお嬢様だからだ…

 矢口トモコだからだ…

 あのお嬢様には、さんざ、煮え湯を飲まされた…

 ハッキリ言えば、利用された…

 あの矢口のお嬢様は、狸(たぬき)…

 文字通り、煮ても焼いても食えぬ女だ…

 なにを考えているか、わからん…

 ただ、わかることは、ただ一つ…

 この矢田トモコを利用しようとしていることだけだ…

 自分そっくりの人間と、出会うことは、滅多にない…

 これは、誰もが、同じ…

 そして、これが、例えば、独裁者なら、自分の身代わりとするだろう…

 例えば、歴史上の独裁者…

 スターリンや、ヒトラーなら、そうするだろう…

 なぜ、そうするかと、問われれば、一番は、暗殺の危険から、逃れられる確率が、高くなるからだ…

 危険な場所には、自分が、行かず、自分そっくりの他人を、派遣すればいい…

 そうすることで、自分が、暗殺される危険が、低くなる…

 そして、もう一つは、疲労の軽減…

 誰もが、二十四時間、三百六十五日、働くことは、できない…

 誰もが、休憩や休息が、必要だからだ…

 だから、自分が、出席しなくても、構わない場所には、自分のそっくりさんを、派遣すればいい…

 例えば、式典で、なにか、祝辞を述べるような仕事は、自分そっくりの人間に任せればいい…

 そうすれば、自分は、その時間に、極秘裏に、他の仕事をしてもいいし、真逆に、休んでもいい…

 そういうことだ…

 が、

 今、言ったのは、あくまで、独裁者=権力者の場合だ…

 いかに、矢口のお嬢様が、スーパージャパンの社長でも、ヒトラーや、スターリンのような権力者ではない…

 だから、彼らのように、私を身代わりにすることはない…

 なにより、私は、ここで、矢口のお嬢様から、なにも、言われていない…

 なにも、命じられていない…

 いや、

 一つだけ、言われた…

 それは、ここで、子供たちといっしょに、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊ることだ…

 が、

 私が、子供たちとAKBの恋するフォーチュンクッキーを踊ることで、なにかを得られるのか?

 この矢田トモコが、子供たちと、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊ることで、あの矢口のお嬢様は、なにかを得られるのか?

 否、

 得られるはずがない…

 たかだか、自分と同じ顔やカラダを持つ、女が、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊ることで、得られることなど、あるはずが、なかった…

 当たり前のことだ…

 ということは、どうだ?

 当然、なにか、別の目的があるはずだ?

 それは、一体、なんだ?

 私に、どうせよと、命じるつもりだ?…

 私に、なにをさせたい?…

 と、考えた…

 AKBの恋するフォーチュンクッキーを必死になって、踊りながら、考えたのだ…

 が、

 それが、いけなかった…

 「…矢田ちゃん…もっと、必死になって…」

 と、いう声がした…

 マリアの声だった…

 見ると、マリアが鬼のような形相で、私を睨んでいた…

 「…矢田ちゃん…考え事をしてたでしょ?…」

 鬼のような形相で、言った…

 「…し、してないさ…」

 とっさに、答えた…

 「…ウソ!…」

 マリアが、言った…

 「…矢田ちゃんのウソつき!…」

 マリアが、喝破した…

 すると、いつのまにか、踊りを止めた、隣のオスマン殿下が、

 「…矢田さん…マリアを怒らせちゃ、いけません…矢田さんも、大人なんだから、3歳の幼児に目くじらを立てて、どうするんですか? 反論して、どうするんですか?…」

 と、穏やかに、私を諭した…

 そう言われると、私はなにも言えんかった…

 なにしろ、アラブの至宝といわれる、オスマン殿下すら、マリアに従っているのだ…

 オスマン殿下は、マリアを好きだから、従うのかもしれんが、オスマン殿下ほどの立場の人間が、3歳のマリアに従うことは、普通は、あり得ない…

 そのオスマン殿下が、マリアに従っているのだ…

 この矢田トモコも従うしか、なかった…

 「…マリア…すまんかった…」

 と、私は、マリアに、詫びた…

 「…つい、考えことをしていて…」

 「…わかれば、いいの…しっかり、やって…矢田ちゃん…」

 「…わかったさ…」

 私は、力なく答えた…

 力なく答える一方で、これでは、真逆…

 私とマリアの立場が、真逆だと気付いた…

 なぜ、35歳の私が、3歳の幼児に叱られなきゃ、ならんのか?

 正直、わけがわからんかった…

 冷静に考えると、むかっ腹が、立った…

 が、

 そんな私の心中を察するように、

 「…矢田さんは、偉い…」

 と、隣のオスマン殿下が、私を褒めた…

 「…偉い? …この私が?…」

 一体、私のどこが偉いんだ?

 さっぱり、謎だった…

 「…3歳の幼児に従うなんて、大人なら、なかなかできないことです…」

 オスマン殿下が、告げた…

 「…ボクは、矢田さんを尊敬します…」

 「…私を尊敬?…」

 「…ハイ…」

 オスマン殿下が、真顔で言った…

 そして、そんなことを言われると、たった今、マリアに叱られたことなど、どうでも、よくなった…

 なにしろ、オスマン殿下に褒められたのだ…

 アラブの至宝に、褒められたのだ…

 この矢田トモコが、褒められたのだ…

 こんなことは、空前絶後…

 もはや、一生ないかもしれない、出来事だった…

 オスマン殿下は、見かけは、3歳の幼児に過ぎないかもしれないが、実際は、違う…

 権力者だ…

 そして、こんな権力者に、褒められることなど、生涯ないだろう…

 それを、思うと、自然と顔がニヤニヤした…

 表情が、崩れた…

 そして、それを、見て、あの矢口のお嬢様の顔もまた嬉しそうになった…

 ついさっきよりも、もっと、楽しそうな表情になった…

 私は、どうして、あのお嬢様が、そんな嬉しそうな顔をするのか、わからなかった…

 文字通り、謎だった…

 だから、考えるのは、止めた…

 これ以上、考えても、わかるはずは、ないからだ…

 答えが出るはずが、ないからだ…

 だから、ただ無心で、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊っていた…

 すると、久々の爽快感だった…

 カラダを動かすのが、こんなに、楽しいとは、思わなかった…

 元々、私は、スポーツ万能…

 なんでもできる女だ…

 それが、歳を取って、さっぱりカラダを動かさなくなった…

 だからこそ、楽しいのだ…

 ハッキリ言って、無性に疲れるが、楽しいのだ…

 だから、自然と顔が、ニヤついた…

 ニヤついたのだ…

 が、

 お嬢様の顔は、違った…

 笑いながらも、どこか、真剣だった…

 目が、笑ってなかった…

 だから、不気味だった…

 だからこそ、不気味だった…

 人間、なにが、怖いと言っても、目が笑わない人間ほど、怖いものは、ない…

 これは、私が、子供の頃から、思っていることの一つ…

 誰もが、楽しければ、笑い…哀しければ、泣く…

 それは、当たり前だ…

 ごく自然の感情だからだ…

 が、

 稀に、顔は笑ってはいるが、決して、目が笑わない人間が、いる…

 子供の頃、見た、昔の大相撲で、いえば、元大関の小錦…

 笑ってはいるが、目が笑ってない…

 真逆に、元横綱の曙は、楽しそうに、目が笑っていた…

 そして、私は、どうして、目が笑ってないのか? 考えた…

 一番は、心の底から、楽しんでいないからだろうと、思う…

 誰もが、楽しければ、目が笑うものだ…

 が、

 それがない…

 つまり、楽しくないのだ…

 ある場面で、目が笑わないのは、わかる…

 が、

 どんな場面でも、顔や口だけ、笑って、目が笑ってないとすれば、それは、一体、どういう人間か、考えてしまう…

 性格に二面性があるとか…

 もっと、言えば、簡単に笑うことが、できないほど、困難な人生を歩んできたのかと、思ってしまう…

 生まれつきの性格なのか?

 はたまた、

 人並み以上の困難な人生を歩んで来た結果なのか?

 わからない…

 答えは出ない…

 が、

 ただ、そういう人間を、間近に見て、困惑するのは、確かだ…

 私は、今、矢口のお嬢様の目を見て、そんなことを、考えた…

 もしかすると、このお嬢様…

 この矢口トモコ…

 案外、苦労しているのかもしれない…

 そう、気付いた…

 金持ちのお嬢様に、生まれ、なに不自由のない暮らしをしてきたのかと、思っていたが、案外、違うのかもしれない…

 そう、思った…

 いわば、考え直したのだ…

 そして、そこまで、考えると、この矢口のお嬢様と、私、矢田トモコとの違いに、気付いた…

 私は、よく目が笑っていると、ひとに、言われる…

 が、

 真逆に、この矢口のお嬢様は、目が笑わない…

 それが、このお嬢様と、私との差だと、気付いたのだ…

 矢口トモコと、矢田トモコの決定的な外見の差だと、気付いたのだ…

 が、

 そんな差に、気付いていて、どうする? とも、思った…

 目が笑おうが、笑うまいが、それが、どうした? と、思ったのだ…

 例えば、それが、わかれば、私や矢口トモコと、偶然、街で会っても、それが、矢口トモコなのか、私、矢田トモコなのか、わかるに過ぎない…

 見分けることが、できるに、過ぎないのだ…

 私は、あらためて、気付いた…

 そして、これ以上は、考えるのは、止めた…

 いくら、考えても、答えが出ないからだ…

 ふと、周囲を見ると、ヤン=リンダと、リンダに化けたバニラは、踊ってなかった…

 踊りに、参加しなかった…

 これも、また、当たり前だった…

 大人で、この踊りに参加したのは、この矢田トモコだけ…

 後は、全員、子供…

 オスマン殿下は、本当は、30歳の大人だが、外見は、3歳の子供…

 だから、この矢田トモコを除いては、全員が、子供だった…

 保育園児だった…

 が、

 それが、一体、なんだと言うんだ?

 現に、カートに、お菓子を載せて、この部屋にやって来た屈強な男たち…

 オスマンの配下の男たちも、当然ながら、踊りに参加していない…

 園児たちの父兄に化けた、他のオスマンの配下たちも同じ…

 当然ながら、私を筆頭に、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊っている園児たちを見守っている…

 だとすれば、一体、このお嬢様の狙いは、一体?

 考えるなと、思っても、つい、考えてしまう…

 つい、考えてしまうのだ…

 
 結局、その日は、園児たちと、みんなで、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊って、後は、みんなで、お菓子を食べて、終わった…

 矢口トモコの実家である、スーパージャパンが、提供したお菓子を、園児たちと、みんなで、食べて、終わった…

 園児たちは、皆、楽しそうだった…

 誰もが、皆、お菓子を食べる時間は、楽しいものだ…

 これは、大人も子供も関係ない…

 誰もが、おいしいものを、食べるときは、嬉しいものだ…

 お菓子は、山ほど、あるので、私や、園児たちだけでなく、ヤン=リンダや、バニラ、そして、他のオスマンの配下の人間たちも食べた…

 それを見て、矢口のお嬢様が、

 「…どうです? …スーパージャパンで、扱う、お菓子は、おいしいでしょ?…」

 と、みんなに、声をかけた…

 すると、

 「…うん…」

 と、園児たちが、口々に、言った…

 「…だったら、今度は、パパやママに頼んで、スーパージャパンで、お菓子を買ってね…」

 と、矢口のお嬢様が、優しく、園児たちに、呼びかける…

 「…うん…わかった…」

 「…そうする…」

 と、いう声が、あちこちから、上がった…

 私は、その光景を見ながら、これは、まるで、CMにでも、使えば、いいような場面だな? と、思った…

 スーパージャパンの社長自ら、園児たちに、自分の店で、売っている商品をPRする…

 これ以上の宣伝は、ないからだ…

 そう思っていると、この光景をカメラに映している人間が、いることに、気付いた…

 さっき、私を映していた人間たちだった…

 これは、一体、どうして?

 これは、一体、なぜ?

 謎が、深まった…

 が、

 そのときは、その謎が、解けなかった…

 後日、その謎が、解けた…

 呆気なく、解けた…

 ヤン=リンダから、電話があり、

「…今日の徹子の部屋を、見て…」

と、言われたのだ…

「…徹子の部屋を見ろ、だと? …どうして?…」

私が、聞くと、

「…とにかく、見て!…」

と、だけ、言って、リンダが電話を切った…

なにやら、忙しそうだった…

私は、リンダに言われるままに、徹子の部屋を見た…
 
すると、なんと、あの矢口のお嬢様が、登場したのだ…

 私は、仰天した…
 
 あの黒柳徹子が、例のトレードマークの玉ねぎ頭で、

 「…今日のお客様は、スーパージャパンの矢口トモコさんです…」

 と、紹介したのだ…

 「…テレビの前の皆さんもよく行くスーパージャパンの社長が、こんなに若くて、かわいらしいお嬢さんだとは、思いませんでした…」

 と、黒柳徹子が、お世辞を言った…

 「…いえ…とんでも、ありません…」

 矢口のお嬢様が、謙遜する…

 「…おまけに、東大を出ていらっしゃるんですって…完璧ですね…」

 「…とんでも、ありません…」

 お嬢様が、遠慮がちに答えた…

 すると、今度は、

 「…たしかに…」

 と、徹子が、意味深に、言った…

 「…実は、このお嬢様、意外な一面をお持ちなんですよ…テレビの前の皆さん…」

 「…意外な一面?…」

 お嬢様が、当惑したようだ…

 「…では、時間がないので、早速、この番組のスタッフが、入手した、お嬢様の意外な一面を、テレビの前の皆さんにも、知ってもらいましょう…」

 徹子が宣言した…

 「…VTR、スタート…」

 徹子の掛け声と共に、場面が、変わった…

 場所は、見覚えがあった…

 すぐに、わかった…

 つい先日、あのお嬢様と、会った、セレブの保育園だった…

 園児たちが、集まっていた…

 そして、すぐに、VTRが、次の場面に、変わった…

 私が、センターに立ち、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊っている姿に、変わった…

 すると、その場面を見て、

 「…このお嬢様、東大を出て、この若さで、大きなスーパーの社長さんをなさっているのに、こんな子供たちと、踊って…ホント、意外な一面をお持ちなのね…」

 と、言った…

 すると、それを受けて、

 「…この歳で、まだ、童心が抜けなくて、ホント、お恥ずかしい…」

 と、矢口のお嬢様が、照れ笑いを見せた…

 それを、見て、悟った…

 またも、私が、あのお嬢様に、身代わりにされたことを、悟ったのだ…

 利用されたことを、悟ったのだ…

                
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