第36話
文字数 6,424文字
「…リンダ…離せ…」
私は、怒鳴った…
「…さっさと、私を離せ…」
大声を出した…
だから、一体、何事かと、周囲の人間が、私たちを見ていた…
それに、気付いたリンダは、すぐに、私を離した…
「…スイマセン…」
と、私に詫びた…
私は、それよりも、リンダが、そんな恰好で、私を抱き締めたことで、パンツが見えないか、どうか、不安だった…
ハリウッドのセックス・シンボル…
世界中に知られた、リンダ・ヘイワースが、私を抱き締めたことで、私が、リンダの腕の中で、ジタバタした…
そのせいで、リンダのワンピースが揺れて、パンツが、見えれば、それは、やはり、リンダ・ヘイワースのイメージを損なうものだからだ…
「…オマエ…二度とするなよ…」
私は、リンダに言った…
リンダは、
「…ハイ…」
と、頷いた…
「…いいか、これは、私のためじゃない…オマエのためだ…」
「…私のため?…」
「…そうだ…こんな衆人環視の場で、オマエが私を羽交い絞めにすれば、ひとが見る…
私は、当然、もがくし、そうなれば、オマエのその短いワンピースが乱れて、パンツも見える…つまり、リンダ・ヘイワースのイメージが、台無しだ…」
私は、言った…
私の言葉に、リンダは、
「…」
と、考え込んだ…
「…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…たとえ、パンツが見えても、それは、映画の中だけ…金を払った者だけが、見ることができるんだ…それを肝に銘じておけ…」
私は、言った…
力強く、言った…
実は、この言葉は、受け売りだった…
昔、見た芸能プロダクションの社長が、言った言葉の受け売りだった…
その芸能プロダクションに所属する人間は、当時、皆、若い女の子で、水着の姿で、大きな胸を売りにしていた…
が、
テレビでは、一切、水着は見せない…
普通に服を着ていた…
しかし、雑誌や写真集では見せる…
つまり、彼女たちの水着姿を見るには、雑誌や写真集を買わなければ、ならない…
そういうことだ…
それが、その芸能プロダクションの社長の戦略だった…
それと、同じことを言ったのだ…
事実、リンダもまた、それを実践している…
リンダは、普段は、ヤンという名前で、男装している…
男の格好をしている…
リンダの姿をするのは、仕事のときだけ…
今回もまた、リンダ・ヘイワースとして、日本で、CMの仕事を受けるかもしれないから、リンダの格好をして、このクールの本社にやって来たのだ…
私は、それを思った…
そして、なにより、リンダ・ヘイワースの格好をすれば、当然、派手になる…
だから、否が応でも、周囲の注目を浴びる…
ゆえに、常に言動に気をつけなければ、ならなくなる…
一挙手一投足が、周囲の注目を浴びるからだ…
それが、誰よりも、わかっているから、リンダは、普段は、ヤンという男の格好をしているのではないか?
私は、今さらながら、それを思った…
考えた…
私の言葉に、リンダもまた考え込んでいた…
「…スイマセン…お姉さん…」
と、しおらしく、私に謝った…
だから、私は、ここぞとばかりに、
「…リンダ…オマエはダメな女だ…」
と、重々しく告げた…
「…ハイ…」
「…オマエはダメな女だが、今は、私が付いている…オマエの面倒を見てやろう…」
私は、言った…
重厚に言ったのだ…
自分でも、名言だと思った…
これ以上ないタイミングで、言ったのだ…
が、
その反応は、なかった…
なにも、なかったのだ(怒)…
代わりに、
「…お姉さん…行きましょう…」
と、リンダは、冷たく言って、目の前に、到着したエレベータの扉が、開いたので、さっさと、歩き出した…
私は、実に、不満…
不満だった…
が、
なにも、言わなかった…
文句をたれなかった…
それは、私が大人だからだ…
35歳の立派な大人だからだ!…
所詮は、リンダは、浮世離れした、有名人…
この矢田トモコのような平凡人の感覚とは、違うのだろう…
普通なら、
「…お姉さん…ありがとうございます…どうか、これからも、私の面倒を見てください…」
と、頭を下げて、私に教えを乞うところだ…
が、
それが、なかった…
なかったのだ(怒)…
やはり、元は、一般人だが、今は、成功した有名人…
調子に乗っているのだろう…
私は、思った…
そう、思って、無理やり、自分を納得させた…
私とリンダは、二人きりで、エレベータに乗った…
誰も、いっしょに乗り合わせなかった…
理由は、単純で、社長室は、最上階にある…
このエレベータは、社長室専用ではないが、高層階用だ…
つまりは、1階から、20階までは、あのエレベータ…
21階から、40階までは、そのエレベータと決まっていて、それ以上が、このエレベータなのだ…
そして、多くの会社が、そうだが、高層階ほど、常務など、お偉いさんが、いる…
だから、そこへ行くエレベータは、あまり、利用する人間が少ないわけだ…
それと、リンダ…
リンダ・ヘイワース…
リンダが、短いワンピースで、色気を全開にして、立っている…
すると、大抵の人間が、男女を問わず、同じエレベータに乗り合わすことを、躊躇った…
つまり、誰もが、自分とは、違うオーラを全開にして立っていれば、気後れする…
そういうことだ(笑)…
だから、このエレベータの中は、私とリンダだけだった…
私とリンダは、二人だけで、エレベータに乗っていた…
互いに無言だった…
目も合わせなかった…
私は、正直、リンダの態度が不満だったから、自分から、リンダに話しかけるのは、嫌だった…
が、
リンダが、なぜ、私に話しかけないのか、わからんかった…
また、そんなことは、どうでもよかった…
私は、これから、あの矢口のお嬢様と、再会することで、頭の中が、一杯だった…
あのお嬢様は、曲者(くせもの)…
油断ができん…
なにを考えているか、さっぱりわからんかった…
この世の中で、なにが、怖いかといえば、なにを考えているか、わからない人間ほど、怖いものは、ない…
そういうことだ…
相手が、なにを考えているか、読めれば、簡単に対策を立てることができる…
だが、なにを考えているか、わからなければ、対策を立てようが、ない…
そういうことだ…
あのお嬢様は、変幻自在というか、正直、わけがわからん(笑)…
わけのわからん女だった…
だから、困るのだ…
エレベータのドアが開いて、目的の社長室に着いた…
この社長室を訪れるのは、前回、あのお嬢様と、6年振りに再会して、以来だ…
6年…
言葉にすれば、一言だが、実際に、振り返ってみれば、あっという間だった…
誰もが、そうだろう…
中学を卒業して、すでに、二十年経つが、たまに、当時の同級生を目にすると、
…ああ、あれから、二十年経ったんだ…
と、感慨深くなる…
それと、同じだ…
まして、29歳から、今の35歳の6年は、近い…
短い…
小学校の入学から卒業の6年とは、雲泥の差だ…
子供の頃の6年は、めまいがするほど、長いが、29歳からの6年間は、一瞬だ(笑)…
私は、思った…
考えた…
私とリンダが、エレベータから降りて、社長室のある最上階に立った…
そして、社長室に向かった…
入り口には、社長秘書がいた…
私とリンダの姿を見ると、
「…奥様…リンダ様…お待ちしておりました…」
と、恭しく、頭を下げた…
私は、
「…ご苦労…」
と、言って、会釈した…
我ながら、実に、いい気分だった…
まさか、こんな日が来るとは、思わんかった…
夢にも、思わんかった(爆笑)…
あの、派遣社員だった、矢田が、なぜか、日本を代表する総合電機メーカー、クールの社長夫人として、ここにいるのだ…
正直、これは、夢…
夢だと、思った…
が、
同時に、これは、夢ではないとも、思った…
なぜなら、私は、いつものスタイルだからだ…
いつものというのは、着古した白いTシャツに、履きなれたジーンズと、スニーカーだからだ…
だから、夢ではないと思った…
これが、夢ならば、私も、もっと、きらびやかな格好をしているに違いないからだ…
きらびやかな格好?
自分でも、その言葉に、疑問を持った…
きらびやかな格好って、一体、なんだ?…
私は、六頭身の幼児体型…
どんな格好をしても、その体型は、隠せん…
隠せんのだ!
だから、公の場では、着物を着る…
それが、一番、私の体型をごまかすことができるからだ…
きらびやかな格好などというものは、このリンダや、あのバニラに合っている…
あのバカな、根性曲がりのバニラに合っている…
私は、思った…
美人で、長身…圧倒的な美の持ち主…
私が、いくら着飾ろうと、所詮は、六頭身の幼児体型…
どうあがいても、リンダやバニラに勝てるはずがない…
私は、今さらながら、それを思った…
そんなことを、考えながら、ふと隣のリンダを見た…
リンダ・ヘイワースを見た…
相変わらず、美しい…
美しいの一言だ…
圧倒的な美の持ち主…
それが、この矢田トモコと、二人で、並んで、社長室の廊下を歩く…
実に、不思議な気分だった…
実に、似合わない(苦笑)…
完全な凸凹コンビだった…
やはり、このリンダと、合うのは、女なら、あのバニラ…
バニラ・ルインスキー…
そして、男なら、葉尊…
私の夫の葉尊だ…
葉尊は、長身のイケメン…
実に、合っている…
このリンダと似合っている…
私は、今さらながら、思った…
リンダと葉尊は、幼馴染(おさななじみ)…
学校で、出会って、すぐに、肝胆相照らす仲になったと言っていた…
要するに、気が合ったのだ…
葉尊は、幼いときに、自分の不注意で、双子の弟の葉問を、事故で、亡くした…
そのトラウマで、自分の中で、無意識に葉問を作り出した…
言うなれば、蘇らせたのだ…
事故で、無くした、弟の葉問を、再生したのだ…
生き返らせたのだ…
一方、このリンダといえば、実は、性同一障害…
つまり、カラダは女だが、心は、男というやつだ…
だから、学生時代もヤンという名前で、男の姿をしていた…
が、
それを、葉尊は、すぐに見抜き、お互いが、好きになった…
つまり、互いに、相手の持つ悩みを共有できたということだ…
私は、それは、わかったが、本当に、そうか?
とも、思った…
リンダと葉尊の関係は、話ではわかる…
理解できる…
が、
そこに、男女の愛情はあるか否かというと、怪しい…
実に、怪しい…
極論すれば、男女の間に友情は、成立するかという話になる…
これは、難しい…
実に、難しい(笑)…
私のような平凡な女ならいい…
私にも、男の友人は、いるし、その男たちとは、別段、男女の関係でも、なんでもない…
しかし、リンダのような美人なら、話は別だ…
葉尊のようなイケメンなら、話は、別だ…
しかも、二人とも、世界的な有名人と、台湾の大金持ちの御曹司…
ただの美男美女の関係ではない…
そんな美男美女が、本当に、二人の関係は、友情だけで、愛情は、ないと言っても、信じていいのか、わからない…
葉尊とリンダの間に男女の関係が、あっても、おかしくはない…
いや、
ないほうが、おかしい!
ないほうが、おかしいのだ!
私は、思った…
もしかしたら、
ふと、思った…
葉尊は、私を妻にしたまま、リンダを愛人にして、手元に置きたいのかもしれない…
そう気付いた…
葉尊が、なんで、私を選んだのか、今もって、不思議だが、とりあえずリンダのような美女を手に入れているから、はっきり言って、妻が、どんな女でも、構わないのかもしれない…
リンダ・ヘイワースよりも、美しい女は、世界中探しても、滅多にいない…
皆無というわけではないが、滅多にお目にかかれるものではないからだ…
だから、とりあえず、美人は手に入れたから、それ以外の女を選んだのかもしれない…
誰でも、そうだが、フェラーリを手に入れたから、もう一台、フェラーリを手に入れるよりも、日常に使う足として、使う、別のタイプのクルマを手に入れたい…
たとえば、軽自動車など、最適だ…
小さいから、小回りは、利くし、なにより、日本の道路事情に合っている…
だから、それと同じで、すでに、リンダ・ヘイワースという絶世の美女を手に入れたから、普段の女は、私でいいと思ったのかもしれん…
平凡な矢田トモコで、いいと、思ったのかもしれん…
それに、台湾の大富豪の御曹司が、私のような平凡な女と結婚することで、庶民をアピールできる…
あんな、もの凄いお金持ちなのに、あんな、どこにでもいる平凡な奥さんをもらってという話だ…
所詮は、自己アピール…
私と結婚したことは、単なる宣伝に過ぎないのかもしれん…
私は、思った…
今さらながら、考えた…
私が、そんなことを、考えていると、
「…なにを、考えているの?…」
と、リンダが聞いた…
まさか、
「…リンダ…オマエと葉尊のことさ…」
とは、言えんから、
「…」
と、黙った…
とっさに、なんと答えていいのか、わからなかったからだ…
そんな私の返答にリンダが笑った…
だから、
「…なにが、おかしい?…」
と、尋ねた…
「…だって、お姉さん…いつもなら、知らんさ…私はなにも知らんのさ…とでも、言って、ごまかすのに…」
たしかに、言われてみれば、その通りだが、今回は、そんな気力はなかった…
悩みが、深すぎた…
ヘビー過ぎたのだ…
「…お姉さん…」
「…なんだ?…」
「…どんな悩みも、生きていれば、消えるものよ…」
「…なんだと?…」
「…いえ、生きていれば、悩みは尽きない…今のお姉さんの悩みは、なくなっても、すぐに、次の悩みがやって来る…だから、今のお姉さんの悩みは、じきに消えるということ…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
たしかに、リンダの言う通りだ…
どんな人間も悩みはあるし、その悩みは尽きない…
そして、今、悩んでいる悩みは、解決しても、しなくても、じきに消える…
そして、あらたに別の悩みが、生じるものだ…
私は、思った…
「…だから、そんなことで、ウジウジ悩んでも仕方がない…時間の無駄…悩むなら、これから、会う矢口のお嬢様のことを、考えて…」
リンダが言った…
私は、驚いた…
まるで、私が、リンダのことを考えていることを、見抜いたようだったからだ…
「…リンダ…オマエ、私がなにを考えているか、わかるのか?…」
「…お姉さんが今、考えているのは、私のことでしょ?…」
「…どうして、わかる?…」
「…さっきまで、私を見ていたのに、今は、むっつりと、黙り込んで、私を見もしない…だから、わかったの?…」
「…」
「…どうせ、お姉さんのことだから、この格好を目にして、私と葉尊の仲でも、疑ってたんじゃないの?…」
…まさに、その通り…
…その通りだった…
「…どんなことでも、疑えば、きりがない…」
リンダが、笑った…
そして、
「…だから、この格好は嫌なの…リンダ・ヘイワースは、嫌なの?…」
と、笑った…
「…どういう意味だ?…」
「…だって、この格好で、男の傍に寄れば、その男の妻や恋人は、私に、夫や恋人が取られるかもと、いつも不安になる…そして、私を敵視する…それが、困るの…」
私は、リンダの言葉に、唖然とした…
たしかに、リンダの言葉は、わかる…
わかるのだ…
私でさえ、リンダと葉尊の仲を疑った…
普段、リンダと仲がいい、私ですら、葉尊がリンダに取られるのでは? と、疑った…
ならば、他人なら、もっと、疑るだろう…
なぜなら、このリンダに匹敵する美人は、滅多にお目にかかれないからだ…
「…だから、リンダ・ヘイワースになるのは、嫌なの…」
リンダが言った…
至極、当たり前のことだった…
私は、怒鳴った…
「…さっさと、私を離せ…」
大声を出した…
だから、一体、何事かと、周囲の人間が、私たちを見ていた…
それに、気付いたリンダは、すぐに、私を離した…
「…スイマセン…」
と、私に詫びた…
私は、それよりも、リンダが、そんな恰好で、私を抱き締めたことで、パンツが見えないか、どうか、不安だった…
ハリウッドのセックス・シンボル…
世界中に知られた、リンダ・ヘイワースが、私を抱き締めたことで、私が、リンダの腕の中で、ジタバタした…
そのせいで、リンダのワンピースが揺れて、パンツが、見えれば、それは、やはり、リンダ・ヘイワースのイメージを損なうものだからだ…
「…オマエ…二度とするなよ…」
私は、リンダに言った…
リンダは、
「…ハイ…」
と、頷いた…
「…いいか、これは、私のためじゃない…オマエのためだ…」
「…私のため?…」
「…そうだ…こんな衆人環視の場で、オマエが私を羽交い絞めにすれば、ひとが見る…
私は、当然、もがくし、そうなれば、オマエのその短いワンピースが乱れて、パンツも見える…つまり、リンダ・ヘイワースのイメージが、台無しだ…」
私は、言った…
私の言葉に、リンダは、
「…」
と、考え込んだ…
「…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…たとえ、パンツが見えても、それは、映画の中だけ…金を払った者だけが、見ることができるんだ…それを肝に銘じておけ…」
私は、言った…
力強く、言った…
実は、この言葉は、受け売りだった…
昔、見た芸能プロダクションの社長が、言った言葉の受け売りだった…
その芸能プロダクションに所属する人間は、当時、皆、若い女の子で、水着の姿で、大きな胸を売りにしていた…
が、
テレビでは、一切、水着は見せない…
普通に服を着ていた…
しかし、雑誌や写真集では見せる…
つまり、彼女たちの水着姿を見るには、雑誌や写真集を買わなければ、ならない…
そういうことだ…
それが、その芸能プロダクションの社長の戦略だった…
それと、同じことを言ったのだ…
事実、リンダもまた、それを実践している…
リンダは、普段は、ヤンという名前で、男装している…
男の格好をしている…
リンダの姿をするのは、仕事のときだけ…
今回もまた、リンダ・ヘイワースとして、日本で、CMの仕事を受けるかもしれないから、リンダの格好をして、このクールの本社にやって来たのだ…
私は、それを思った…
そして、なにより、リンダ・ヘイワースの格好をすれば、当然、派手になる…
だから、否が応でも、周囲の注目を浴びる…
ゆえに、常に言動に気をつけなければ、ならなくなる…
一挙手一投足が、周囲の注目を浴びるからだ…
それが、誰よりも、わかっているから、リンダは、普段は、ヤンという男の格好をしているのではないか?
私は、今さらながら、それを思った…
考えた…
私の言葉に、リンダもまた考え込んでいた…
「…スイマセン…お姉さん…」
と、しおらしく、私に謝った…
だから、私は、ここぞとばかりに、
「…リンダ…オマエはダメな女だ…」
と、重々しく告げた…
「…ハイ…」
「…オマエはダメな女だが、今は、私が付いている…オマエの面倒を見てやろう…」
私は、言った…
重厚に言ったのだ…
自分でも、名言だと思った…
これ以上ないタイミングで、言ったのだ…
が、
その反応は、なかった…
なにも、なかったのだ(怒)…
代わりに、
「…お姉さん…行きましょう…」
と、リンダは、冷たく言って、目の前に、到着したエレベータの扉が、開いたので、さっさと、歩き出した…
私は、実に、不満…
不満だった…
が、
なにも、言わなかった…
文句をたれなかった…
それは、私が大人だからだ…
35歳の立派な大人だからだ!…
所詮は、リンダは、浮世離れした、有名人…
この矢田トモコのような平凡人の感覚とは、違うのだろう…
普通なら、
「…お姉さん…ありがとうございます…どうか、これからも、私の面倒を見てください…」
と、頭を下げて、私に教えを乞うところだ…
が、
それが、なかった…
なかったのだ(怒)…
やはり、元は、一般人だが、今は、成功した有名人…
調子に乗っているのだろう…
私は、思った…
そう、思って、無理やり、自分を納得させた…
私とリンダは、二人きりで、エレベータに乗った…
誰も、いっしょに乗り合わせなかった…
理由は、単純で、社長室は、最上階にある…
このエレベータは、社長室専用ではないが、高層階用だ…
つまりは、1階から、20階までは、あのエレベータ…
21階から、40階までは、そのエレベータと決まっていて、それ以上が、このエレベータなのだ…
そして、多くの会社が、そうだが、高層階ほど、常務など、お偉いさんが、いる…
だから、そこへ行くエレベータは、あまり、利用する人間が少ないわけだ…
それと、リンダ…
リンダ・ヘイワース…
リンダが、短いワンピースで、色気を全開にして、立っている…
すると、大抵の人間が、男女を問わず、同じエレベータに乗り合わすことを、躊躇った…
つまり、誰もが、自分とは、違うオーラを全開にして立っていれば、気後れする…
そういうことだ(笑)…
だから、このエレベータの中は、私とリンダだけだった…
私とリンダは、二人だけで、エレベータに乗っていた…
互いに無言だった…
目も合わせなかった…
私は、正直、リンダの態度が不満だったから、自分から、リンダに話しかけるのは、嫌だった…
が、
リンダが、なぜ、私に話しかけないのか、わからんかった…
また、そんなことは、どうでもよかった…
私は、これから、あの矢口のお嬢様と、再会することで、頭の中が、一杯だった…
あのお嬢様は、曲者(くせもの)…
油断ができん…
なにを考えているか、さっぱりわからんかった…
この世の中で、なにが、怖いかといえば、なにを考えているか、わからない人間ほど、怖いものは、ない…
そういうことだ…
相手が、なにを考えているか、読めれば、簡単に対策を立てることができる…
だが、なにを考えているか、わからなければ、対策を立てようが、ない…
そういうことだ…
あのお嬢様は、変幻自在というか、正直、わけがわからん(笑)…
わけのわからん女だった…
だから、困るのだ…
エレベータのドアが開いて、目的の社長室に着いた…
この社長室を訪れるのは、前回、あのお嬢様と、6年振りに再会して、以来だ…
6年…
言葉にすれば、一言だが、実際に、振り返ってみれば、あっという間だった…
誰もが、そうだろう…
中学を卒業して、すでに、二十年経つが、たまに、当時の同級生を目にすると、
…ああ、あれから、二十年経ったんだ…
と、感慨深くなる…
それと、同じだ…
まして、29歳から、今の35歳の6年は、近い…
短い…
小学校の入学から卒業の6年とは、雲泥の差だ…
子供の頃の6年は、めまいがするほど、長いが、29歳からの6年間は、一瞬だ(笑)…
私は、思った…
考えた…
私とリンダが、エレベータから降りて、社長室のある最上階に立った…
そして、社長室に向かった…
入り口には、社長秘書がいた…
私とリンダの姿を見ると、
「…奥様…リンダ様…お待ちしておりました…」
と、恭しく、頭を下げた…
私は、
「…ご苦労…」
と、言って、会釈した…
我ながら、実に、いい気分だった…
まさか、こんな日が来るとは、思わんかった…
夢にも、思わんかった(爆笑)…
あの、派遣社員だった、矢田が、なぜか、日本を代表する総合電機メーカー、クールの社長夫人として、ここにいるのだ…
正直、これは、夢…
夢だと、思った…
が、
同時に、これは、夢ではないとも、思った…
なぜなら、私は、いつものスタイルだからだ…
いつものというのは、着古した白いTシャツに、履きなれたジーンズと、スニーカーだからだ…
だから、夢ではないと思った…
これが、夢ならば、私も、もっと、きらびやかな格好をしているに違いないからだ…
きらびやかな格好?
自分でも、その言葉に、疑問を持った…
きらびやかな格好って、一体、なんだ?…
私は、六頭身の幼児体型…
どんな格好をしても、その体型は、隠せん…
隠せんのだ!
だから、公の場では、着物を着る…
それが、一番、私の体型をごまかすことができるからだ…
きらびやかな格好などというものは、このリンダや、あのバニラに合っている…
あのバカな、根性曲がりのバニラに合っている…
私は、思った…
美人で、長身…圧倒的な美の持ち主…
私が、いくら着飾ろうと、所詮は、六頭身の幼児体型…
どうあがいても、リンダやバニラに勝てるはずがない…
私は、今さらながら、それを思った…
そんなことを、考えながら、ふと隣のリンダを見た…
リンダ・ヘイワースを見た…
相変わらず、美しい…
美しいの一言だ…
圧倒的な美の持ち主…
それが、この矢田トモコと、二人で、並んで、社長室の廊下を歩く…
実に、不思議な気分だった…
実に、似合わない(苦笑)…
完全な凸凹コンビだった…
やはり、このリンダと、合うのは、女なら、あのバニラ…
バニラ・ルインスキー…
そして、男なら、葉尊…
私の夫の葉尊だ…
葉尊は、長身のイケメン…
実に、合っている…
このリンダと似合っている…
私は、今さらながら、思った…
リンダと葉尊は、幼馴染(おさななじみ)…
学校で、出会って、すぐに、肝胆相照らす仲になったと言っていた…
要するに、気が合ったのだ…
葉尊は、幼いときに、自分の不注意で、双子の弟の葉問を、事故で、亡くした…
そのトラウマで、自分の中で、無意識に葉問を作り出した…
言うなれば、蘇らせたのだ…
事故で、無くした、弟の葉問を、再生したのだ…
生き返らせたのだ…
一方、このリンダといえば、実は、性同一障害…
つまり、カラダは女だが、心は、男というやつだ…
だから、学生時代もヤンという名前で、男の姿をしていた…
が、
それを、葉尊は、すぐに見抜き、お互いが、好きになった…
つまり、互いに、相手の持つ悩みを共有できたということだ…
私は、それは、わかったが、本当に、そうか?
とも、思った…
リンダと葉尊の関係は、話ではわかる…
理解できる…
が、
そこに、男女の愛情はあるか否かというと、怪しい…
実に、怪しい…
極論すれば、男女の間に友情は、成立するかという話になる…
これは、難しい…
実に、難しい(笑)…
私のような平凡な女ならいい…
私にも、男の友人は、いるし、その男たちとは、別段、男女の関係でも、なんでもない…
しかし、リンダのような美人なら、話は別だ…
葉尊のようなイケメンなら、話は、別だ…
しかも、二人とも、世界的な有名人と、台湾の大金持ちの御曹司…
ただの美男美女の関係ではない…
そんな美男美女が、本当に、二人の関係は、友情だけで、愛情は、ないと言っても、信じていいのか、わからない…
葉尊とリンダの間に男女の関係が、あっても、おかしくはない…
いや、
ないほうが、おかしい!
ないほうが、おかしいのだ!
私は、思った…
もしかしたら、
ふと、思った…
葉尊は、私を妻にしたまま、リンダを愛人にして、手元に置きたいのかもしれない…
そう気付いた…
葉尊が、なんで、私を選んだのか、今もって、不思議だが、とりあえずリンダのような美女を手に入れているから、はっきり言って、妻が、どんな女でも、構わないのかもしれない…
リンダ・ヘイワースよりも、美しい女は、世界中探しても、滅多にいない…
皆無というわけではないが、滅多にお目にかかれるものではないからだ…
だから、とりあえず、美人は手に入れたから、それ以外の女を選んだのかもしれない…
誰でも、そうだが、フェラーリを手に入れたから、もう一台、フェラーリを手に入れるよりも、日常に使う足として、使う、別のタイプのクルマを手に入れたい…
たとえば、軽自動車など、最適だ…
小さいから、小回りは、利くし、なにより、日本の道路事情に合っている…
だから、それと同じで、すでに、リンダ・ヘイワースという絶世の美女を手に入れたから、普段の女は、私でいいと思ったのかもしれん…
平凡な矢田トモコで、いいと、思ったのかもしれん…
それに、台湾の大富豪の御曹司が、私のような平凡な女と結婚することで、庶民をアピールできる…
あんな、もの凄いお金持ちなのに、あんな、どこにでもいる平凡な奥さんをもらってという話だ…
所詮は、自己アピール…
私と結婚したことは、単なる宣伝に過ぎないのかもしれん…
私は、思った…
今さらながら、考えた…
私が、そんなことを、考えていると、
「…なにを、考えているの?…」
と、リンダが聞いた…
まさか、
「…リンダ…オマエと葉尊のことさ…」
とは、言えんから、
「…」
と、黙った…
とっさに、なんと答えていいのか、わからなかったからだ…
そんな私の返答にリンダが笑った…
だから、
「…なにが、おかしい?…」
と、尋ねた…
「…だって、お姉さん…いつもなら、知らんさ…私はなにも知らんのさ…とでも、言って、ごまかすのに…」
たしかに、言われてみれば、その通りだが、今回は、そんな気力はなかった…
悩みが、深すぎた…
ヘビー過ぎたのだ…
「…お姉さん…」
「…なんだ?…」
「…どんな悩みも、生きていれば、消えるものよ…」
「…なんだと?…」
「…いえ、生きていれば、悩みは尽きない…今のお姉さんの悩みは、なくなっても、すぐに、次の悩みがやって来る…だから、今のお姉さんの悩みは、じきに消えるということ…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
たしかに、リンダの言う通りだ…
どんな人間も悩みはあるし、その悩みは尽きない…
そして、今、悩んでいる悩みは、解決しても、しなくても、じきに消える…
そして、あらたに別の悩みが、生じるものだ…
私は、思った…
「…だから、そんなことで、ウジウジ悩んでも仕方がない…時間の無駄…悩むなら、これから、会う矢口のお嬢様のことを、考えて…」
リンダが言った…
私は、驚いた…
まるで、私が、リンダのことを考えていることを、見抜いたようだったからだ…
「…リンダ…オマエ、私がなにを考えているか、わかるのか?…」
「…お姉さんが今、考えているのは、私のことでしょ?…」
「…どうして、わかる?…」
「…さっきまで、私を見ていたのに、今は、むっつりと、黙り込んで、私を見もしない…だから、わかったの?…」
「…」
「…どうせ、お姉さんのことだから、この格好を目にして、私と葉尊の仲でも、疑ってたんじゃないの?…」
…まさに、その通り…
…その通りだった…
「…どんなことでも、疑えば、きりがない…」
リンダが、笑った…
そして、
「…だから、この格好は嫌なの…リンダ・ヘイワースは、嫌なの?…」
と、笑った…
「…どういう意味だ?…」
「…だって、この格好で、男の傍に寄れば、その男の妻や恋人は、私に、夫や恋人が取られるかもと、いつも不安になる…そして、私を敵視する…それが、困るの…」
私は、リンダの言葉に、唖然とした…
たしかに、リンダの言葉は、わかる…
わかるのだ…
私でさえ、リンダと葉尊の仲を疑った…
普段、リンダと仲がいい、私ですら、葉尊がリンダに取られるのでは? と、疑った…
ならば、他人なら、もっと、疑るだろう…
なぜなら、このリンダに匹敵する美人は、滅多にお目にかかれないからだ…
「…だから、リンダ・ヘイワースになるのは、嫌なの…」
リンダが言った…
至極、当たり前のことだった…