第71話

文字数 5,574文字

 …なんだ? …この笑いは?…

 私は、思った…

 …一体、なんだ? …このファラドの笑いは?…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 そして、それは、オスマンも同じだった…

 「…なんだ、ファラド…その笑いは?…」

 オスマンが、ファラドに聞いた…

 すると、

 「…オスマン殿下…」

 と、ファラドが、ニヤニヤと、笑いながら、答えた…

 「…なんだ?…」

 「…性的倒錯者は、アラブでは、認められません…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…アナタは、失礼ながら、外見は、子供…だから、今、保育園に通っている…そうすれば、目立たなくて済む…アナタは、陰で、アラブの至宝と呼ばれるほど、優れた頭脳の持ち主だ…だから、敵も多い…それゆえ、保育園に通った…保育園に通うことで、正真正銘の子供を演じることができる…だが、その弊害か、アナタは、子供が好きになった…」

 「…子供が好きに?…」

 「…そうです…そのマリアさんが、いい例です…」

 ファラドが、笑って言った…

 「…そして、それは、アラブ世界では、決して、認められない…30歳の立派な男が、3歳の幼児に好意を持つことは、絶対に、認められない…」

 ファラドが、ニヤニヤと、笑った…

 「…だから、このことを、ボクが、国王陛下に申し上げれば、オスマン殿下…アナタとて、どうなるか、わかりませんよ…いくら、陛下のお気に入りのアナタとて…」

 ファラドが、オスマンを脅した…

 脅したのだ…

 私は、焦った…

 焦ったのだ…

 たしかに、このファラドの言う通り…

 アラブでは、30歳の成人男子と3歳の恋愛が、認められるわけがない…

 いや、

 それは、この日本も同じだろう…

 いや、

 日本に限らず、世界中、どこも同じだろう…

 認めるわけがない…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 私は、オスマンを見た…

 オスマンは、

 「…」

 と、無言だった…

 どう答えていいか、わからなかったのかもしれない…

 どう対応していいか、わからなかったのかもしれない…

 それを見たファラドが、勝ち誇った顔になった…

 明らかに、勝ち誇った表情になった…

 形勢逆転…

 ファラドが、オスマンに形勢逆転した…

 私は、そう思った…

 そう思ったときだった…

 突然、

 「…ファラド…アンタ…バカ?…」

 という声がした…

 私は、急いで、声の主を見た…

 声の主は、他ならぬマリアだった…

 「…バカ? …ボクが?…」

 ファラドは、呆気に取られたようだ…

 まさか、3歳のマリアが、口を挟むとは、思ってなかったのだろう…

 「…どうして? ボクが、バカなんですか?…」

 ファラドが、からかうように、マリアに聞いた…

 子供のマリアに聞いた…

 マリアが、子供だから、ファラドもそういう態度を取ったのだろう…

 が、

 マリアは、

 「…オスマンが、30歳だろうと、なんだろうと、関係がないの!…」

 と、大声で言った…

 …関係がない?…

 …どういうことだ?…

 オスマンが、3歳の外見にもかかわらず、30歳の成人男子であることは、わかっている…

 …一体、それが、どうして、関係がないのか? …

 疑問だった…

 やはり、マリアは3歳の子供だから、ダメなのか?

 意味がわからないのか? 

 とも、思った…

 が、

 違った…

 違ったのだ…

 「…オスマンが、30歳なら、30歳の女のひとと、並んで歩ける? できないでしょ?…並んで歩けば、誰もが、母子と思うでしょ?…」

 「…」

 「…だから、オスマンの相手は、アタシでいいの!…このマリアでいいの!…」

 マリアが、ファラドに告げた…

 告げたのだ…

 ファラドは、唖然とした表情になった…

 まさに、マリアの言葉は、子供ながら、正論…

 正論だった…

 正鵠を射ていた…

 いかに、30歳だろうと、外見が3歳では、30歳の女と付き合っても、似合わない…

 母子にしか、見えないからだ…

 それを考えれば、まさに、マリアの指摘は、的確だった…

 まさに、正鵠を射ていたのだ…

 それを指摘されたファラドは、戸惑った…

 ぐうの音も出なかった…

 それを見た、ヤン=リンダが、

 「…マリアの勝ち…」

 と、言って、パチパチと手を叩いた…

 実に、楽しそうだった…

 「…マリア…やるじゃない!…」

 ヤン=リンダが、言うと、マリアは、恥ずかしそうだった…

 明らかに、照れていた…

 しかし、

 しかし、だ…

 そのマリアのカラダを、ファラドが、いきなり、掴んだ…

 あまりにも、とっさの出来事などで、驚いた…

 マリアのカラダをファラドが、とっさに、駆けよって、持ち上げたのだ…

 面目を失ったファラドが、どうして、いいか、わからず、マリアを人質に取ったのだ…

 正直、ファラドが、オスマン殿下に、向かっても、オスマン殿下を、人質に取ることは、できなかっただろう…

 なぜなら、この周囲にいる人間は、皆、オスマン殿下の私兵…

 ファラドが、オスマンに近付けば、慌てて、ファラドの行動を阻止するだろうが、まさか、マリアに、ファラドが、向かうとは、予想外だったのだろう…

 いわば、ファラドは、盲点を突いたのだ…

 だから、誰も、ファラドの動きを止めることは、できんかった…

 できんかったのだ…

 ファラドが、勝ち誇った顔になった…

 「…オスマン殿下…ガールフレンドを、人質に取りましたよ…」

 と、言って、ファラドが、笑った…

 笑ったのだ…

 途端に、オスマンの血相が、変わった…

 子供ながら、憤怒の表情になった…

 「…ファラド、マリアに手を出すのは、止せ…」

 血相を変えた、オスマンが、命じた…

 「…だったら、殿下…ボクの身を国王に引き渡すことを、考え直して、頂けますか?…」

 ファラドの問いかけに、オスマンは、返事をしなかった…

 「…」

 と、黙ったままだった…

 が、

 少しして、

 「…ファラド…こんなことをして、なんになる?…」

 と、冷静に、ファラドを説得した…

 「…たとえ、マリアを人質に取って、この場を去ることが、できても、後は、どうする? ボクを怒らせれば、サウジに身の置き所は、ないゾ…」

 当たり前のことだった…

 ファラドが、追い詰められて、見境なく、行動したのは、明らかだった…

 マリアが、まだ3歳の幼児だから、人質に取りやすいと、判断して、とっさに、行動したに過ぎないのは、明らかだった…

 だから、オスマンに、そう言われると、ファラドも、どうして、いいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 いや、

 言えなかったのだ…

 と、

 いきなり、ファラドが、

 「…痛い…」

 と、声を上げた…

 なんと、マリアが、ファラドの手に嚙みついたのだ…

 ファラドは、マリアに噛みつかれて、とっさに、抱き上げていたマリアを離してしまった…

 …さすが、マリア…

 私は、納得した…

 元ヤンのバニラの娘だけは、ある…

 元ヤンのバニラの血を引くだけは、ある…

 私が、そう思っていると、今度は、バニラが、ファラドの元に、近付いた…

 深紅のドレスを着て、リンダ・ヘイワースに化けた、バニラが、ファラドの元に、近付いた…

 ファラドが、当惑するのが、わかった…

 その直後、バニラは、いきなり、ファラドを殴りつけた…

 まさに、電光石火の早業だった…

 あまりの出来事に、私は、目が点になった…

 私は、元々、目が細いが、その細い目が、さらに、細くなった(笑)…

 しかも、

 しかも、だ…

 バニラのファラドに対する攻撃は、それだけでは、終わらんかった…

 左右の拳で、ファラドを数発殴りつけると、今度は、足で、ファラドを蹴りつけた…

 普通でも、大柄な美女が、そんな行動を取れば、誰もが、驚くところだ…

 しかも、

 しかも、だ…

 バニラは、深紅のドレスを身にまとっている…

 しかも、

 バニラは、身長180㎝とデカい…

 さらに、10㎝は優に高いヒールを履いている…

 だから、身長180㎝のファラドよりも、明らかに高い…

 男の履く靴が、女の履くヒールよりも、高いわけがないからだ…

 だから、傍目には、バニラとファラドは、互角どころか、体格で、バニラが勝っていた…

 それゆえだろうか?

 終始、バニラが、ファラドに圧倒していた…

 バニラが、一方的に、ファラドを殴りつけ、蹴り続けた…

 まさに、母の怒りだった…

 一刻とはいえ、娘のマリアを人質に取られた、母親の怒りだった…

 私は、それを目の当たりにして、ビビった…

 まさに、今、バニラの力を知ったのだ…

 バカ、バニラの力を思い知ったのだ…

 180㎝の身長のバニラが、怒ると、いかにすさまじいか、知ったのだ…

 バニラが本気で怒れば、この矢田トモコなど、吹き飛んで、しまうだろうと、わかったのだ…

 159㎝の矢田トモコなど、180㎝のバニラの前では、子供同然…

 まさに、娘のマリア同様、幼稚園児に過ぎない…

 その現実を目の当たりにしたのだ…

 これから、絶対、バニラを怒らせては、ならん…

 この瞬間、私は、肝に銘じた…

 しっかり、心に刻んだ…

 今日をもって、バニラに歯向かう矢田トモコは消えた(汗)…

 きれいさっぱり、いなくなった…

 なにしろ、バニラを怒らせれば、怖い…

 怖いということを、この瞬間、学んだのだ…

 一方的に殴られ続け、蹴られ続けたファラドだったが、さすがに、バニラも、疲れた様子だった…

 バニラの怒涛のパンチとキックが、止むと、ファラドは、身構えた…

 態勢を整えたのだ…

 すると、バニラの顔色が変わった…

 緊張したというか…

 それまでは、ただ怒って、その怒りに任せて、ファラドを殴りつけ、蹴り続けただけだったが、慎重になったというか…

 ボクシングのファイティングポーズをとったファラドに対して、慎重になったのだ…

 次の瞬間、ファラドは、攻撃に転じた…

 実際、ファラドは、攻撃に転じると、強かった…

 ファラドは、まずは、バニラの顔めがけて、パンチを繰り出した…

 バニラは、それを避けたが、ファラドは、すぐに、バニラの腹を蹴った…

 足で、蹴ったのだ…

 バニラは、直後に、腹を抱えて、その場にうずくまった…

 やはり、ファラドは、男…

 男だった…

 ファラドと、バニラは、体格は、互角だったが、やはり、性差がある…

 仮に、同じ体格ならば、普通に考えれば、男と女が本気で、殴り合えば、男が、勝つ…

 当たり前のことだった…

 私は、バニラが、心配になった…

 いかに、大柄でも、やはり、バニラは女…

 女だった…

 うずくまったバニラを見て、

 「…ママ…」

 と、マリアが叫んだ…

 たぶん、無意識に、叫んだに違いない…

 マリアは子供ながら、賢明…

 頭がいい…

 だから、リンダに化けたバニラを見ても、ママと呼ぶことは、できない…

 しては、ならないと、知っていた…

 それにも、かかわらず、つい、
 
 「…ママ…」

 と、呼んでしまった…

 つまりは、それほどの危機だったということだ…

 私は、どうする? と、思った…

 考えた…

 この矢田トモコが、ファラドに立ち向かっても、到底、勝てない…

 歯が立たない…

 なにしろ、180㎝のバニラですら、勝てないのだ…

 159㎝の矢田トモコが、勝てるわけがない…

 私が、そう思っていると、オスマンが、指示を下した…

 ゆっくりと、無言で、手を動かした…

 すると、会場にいる父兄に化けたオスマンの私兵が、ゆっくりと、ファラドに向かって、歩き出した…

 ジリジリと、ファラドに迫った…

 もはや、ファラドに逃げ場はなかった…

 なかったのだ…

 バニラは、まだうずくまったままだった…

 それを見て、マリアが、泣きながら、

 「…ママ…」

 と、呟いた…

 すると、

 「…大丈夫…」

 と、いう声がした…

 声の主は、他ならぬバニラだった…

 バニラ本人だった…

 すると、それに、呼応して、

 「…大丈夫…マリア…心配しないで…」

 という声がした…

 あまりにも、意外な言葉なので、その声の主が誰か、知りたくなった…

 声の主は、ヤン=リンダだった…

 本物のリンダ・ヘイワースだった…

 私は、なぜ、ヤン=リンダが、そんな発言をするのか、不思議だった…

 なぜ、そんな根拠のない発言をするのか、不思議だった…

 たしかに、ファラドは、追い詰められている…

 だが、バニラが、今、うずくまっているのは、事実だった…

 紛れもない事実だった…

 追い詰められたファラドは、バニラになにをするか、わからない…

 なにしろ、バニラは、ファラドの目の前で、うずくまっているのだ…

 私が、どうなるか、固唾を飲んで、見守っていると、まもなくバニラが立ち上がった…

 ヨロヨロと立ち上がった…

 だが、その状態では、立ち上がったところで、結果は、火を見るより明らか…

 明らかだった…

 そのバニラに、ファラドが、

 「…まだ、やるのか?…」

 と、余裕をもって、聞いた…

 薄ら笑いを浮かべながら、聞いた…

 まさに、上から目線…

 上から、目線の言葉だった…

 「…もちろん…」

 バニラは、短く答えた…

 いや、

 それ以上は、苦しくて、答えられない様子だった…

 それを見ていた、園児の父兄になりすましたオスマンの私兵たちが、距離を縮めて、ジリジリと、ファラドと、バニラに近付いた…

 が、

 ファラドは、それに構うことなく、バニラに襲いかかった…

 万事休す…

 私は、目をつぶった…

 私の細い目をつぶった…

 それから、少しして、私が、バニラを見ると、バニラは、立っていた…

 立ったままだった…

 私は、なぜ、バニラが立ったままか、不思議だった…

 バニラが、ファラドに勝てるわけが、なかったからだ…

 が、

その理由は、すぐにわかった…

ファラドの前に、人影が、立ちはだかったからだった…

 私は、それが、誰か、一目で、わかった…

 その人物は、まがうことなく、私の夫の葉尊だった…

               

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