第71話
文字数 5,574文字
…なんだ? …この笑いは?…
私は、思った…
…一体、なんだ? …このファラドの笑いは?…
私は、思った…
思ったのだ…
そして、それは、オスマンも同じだった…
「…なんだ、ファラド…その笑いは?…」
オスマンが、ファラドに聞いた…
すると、
「…オスマン殿下…」
と、ファラドが、ニヤニヤと、笑いながら、答えた…
「…なんだ?…」
「…性的倒錯者は、アラブでは、認められません…」
「…どういう意味だ?…」
「…アナタは、失礼ながら、外見は、子供…だから、今、保育園に通っている…そうすれば、目立たなくて済む…アナタは、陰で、アラブの至宝と呼ばれるほど、優れた頭脳の持ち主だ…だから、敵も多い…それゆえ、保育園に通った…保育園に通うことで、正真正銘の子供を演じることができる…だが、その弊害か、アナタは、子供が好きになった…」
「…子供が好きに?…」
「…そうです…そのマリアさんが、いい例です…」
ファラドが、笑って言った…
「…そして、それは、アラブ世界では、決して、認められない…30歳の立派な男が、3歳の幼児に好意を持つことは、絶対に、認められない…」
ファラドが、ニヤニヤと、笑った…
「…だから、このことを、ボクが、国王陛下に申し上げれば、オスマン殿下…アナタとて、どうなるか、わかりませんよ…いくら、陛下のお気に入りのアナタとて…」
ファラドが、オスマンを脅した…
脅したのだ…
私は、焦った…
焦ったのだ…
たしかに、このファラドの言う通り…
アラブでは、30歳の成人男子と3歳の恋愛が、認められるわけがない…
いや、
それは、この日本も同じだろう…
いや、
日本に限らず、世界中、どこも同じだろう…
認めるわけがない…
私は、思った…
私は、考えた…
私は、オスマンを見た…
オスマンは、
「…」
と、無言だった…
どう答えていいか、わからなかったのかもしれない…
どう対応していいか、わからなかったのかもしれない…
それを見たファラドが、勝ち誇った顔になった…
明らかに、勝ち誇った表情になった…
形勢逆転…
ファラドが、オスマンに形勢逆転した…
私は、そう思った…
そう思ったときだった…
突然、
「…ファラド…アンタ…バカ?…」
という声がした…
私は、急いで、声の主を見た…
声の主は、他ならぬマリアだった…
「…バカ? …ボクが?…」
ファラドは、呆気に取られたようだ…
まさか、3歳のマリアが、口を挟むとは、思ってなかったのだろう…
「…どうして? ボクが、バカなんですか?…」
ファラドが、からかうように、マリアに聞いた…
子供のマリアに聞いた…
マリアが、子供だから、ファラドもそういう態度を取ったのだろう…
が、
マリアは、
「…オスマンが、30歳だろうと、なんだろうと、関係がないの!…」
と、大声で言った…
…関係がない?…
…どういうことだ?…
オスマンが、3歳の外見にもかかわらず、30歳の成人男子であることは、わかっている…
…一体、それが、どうして、関係がないのか? …
疑問だった…
やはり、マリアは3歳の子供だから、ダメなのか?
意味がわからないのか?
とも、思った…
が、
違った…
違ったのだ…
「…オスマンが、30歳なら、30歳の女のひとと、並んで歩ける? できないでしょ?…並んで歩けば、誰もが、母子と思うでしょ?…」
「…」
「…だから、オスマンの相手は、アタシでいいの!…このマリアでいいの!…」
マリアが、ファラドに告げた…
告げたのだ…
ファラドは、唖然とした表情になった…
まさに、マリアの言葉は、子供ながら、正論…
正論だった…
正鵠を射ていた…
いかに、30歳だろうと、外見が3歳では、30歳の女と付き合っても、似合わない…
母子にしか、見えないからだ…
それを考えれば、まさに、マリアの指摘は、的確だった…
まさに、正鵠を射ていたのだ…
それを指摘されたファラドは、戸惑った…
ぐうの音も出なかった…
それを見た、ヤン=リンダが、
「…マリアの勝ち…」
と、言って、パチパチと手を叩いた…
実に、楽しそうだった…
「…マリア…やるじゃない!…」
ヤン=リンダが、言うと、マリアは、恥ずかしそうだった…
明らかに、照れていた…
しかし、
しかし、だ…
そのマリアのカラダを、ファラドが、いきなり、掴んだ…
あまりにも、とっさの出来事などで、驚いた…
マリアのカラダをファラドが、とっさに、駆けよって、持ち上げたのだ…
面目を失ったファラドが、どうして、いいか、わからず、マリアを人質に取ったのだ…
正直、ファラドが、オスマン殿下に、向かっても、オスマン殿下を、人質に取ることは、できなかっただろう…
なぜなら、この周囲にいる人間は、皆、オスマン殿下の私兵…
ファラドが、オスマンに近付けば、慌てて、ファラドの行動を阻止するだろうが、まさか、マリアに、ファラドが、向かうとは、予想外だったのだろう…
いわば、ファラドは、盲点を突いたのだ…
だから、誰も、ファラドの動きを止めることは、できんかった…
できんかったのだ…
ファラドが、勝ち誇った顔になった…
「…オスマン殿下…ガールフレンドを、人質に取りましたよ…」
と、言って、ファラドが、笑った…
笑ったのだ…
途端に、オスマンの血相が、変わった…
子供ながら、憤怒の表情になった…
「…ファラド、マリアに手を出すのは、止せ…」
血相を変えた、オスマンが、命じた…
「…だったら、殿下…ボクの身を国王に引き渡すことを、考え直して、頂けますか?…」
ファラドの問いかけに、オスマンは、返事をしなかった…
「…」
と、黙ったままだった…
が、
少しして、
「…ファラド…こんなことをして、なんになる?…」
と、冷静に、ファラドを説得した…
「…たとえ、マリアを人質に取って、この場を去ることが、できても、後は、どうする? ボクを怒らせれば、サウジに身の置き所は、ないゾ…」
当たり前のことだった…
ファラドが、追い詰められて、見境なく、行動したのは、明らかだった…
マリアが、まだ3歳の幼児だから、人質に取りやすいと、判断して、とっさに、行動したに過ぎないのは、明らかだった…
だから、オスマンに、そう言われると、ファラドも、どうして、いいか、わからなかった…
だから、
「…」
と、なにも、言わなかった…
いや、
言えなかったのだ…
と、
いきなり、ファラドが、
「…痛い…」
と、声を上げた…
なんと、マリアが、ファラドの手に嚙みついたのだ…
ファラドは、マリアに噛みつかれて、とっさに、抱き上げていたマリアを離してしまった…
…さすが、マリア…
私は、納得した…
元ヤンのバニラの娘だけは、ある…
元ヤンのバニラの血を引くだけは、ある…
私が、そう思っていると、今度は、バニラが、ファラドの元に、近付いた…
深紅のドレスを着て、リンダ・ヘイワースに化けた、バニラが、ファラドの元に、近付いた…
ファラドが、当惑するのが、わかった…
その直後、バニラは、いきなり、ファラドを殴りつけた…
まさに、電光石火の早業だった…
あまりの出来事に、私は、目が点になった…
私は、元々、目が細いが、その細い目が、さらに、細くなった(笑)…
しかも、
しかも、だ…
バニラのファラドに対する攻撃は、それだけでは、終わらんかった…
左右の拳で、ファラドを数発殴りつけると、今度は、足で、ファラドを蹴りつけた…
普通でも、大柄な美女が、そんな行動を取れば、誰もが、驚くところだ…
しかも、
しかも、だ…
バニラは、深紅のドレスを身にまとっている…
しかも、
バニラは、身長180㎝とデカい…
さらに、10㎝は優に高いヒールを履いている…
だから、身長180㎝のファラドよりも、明らかに高い…
男の履く靴が、女の履くヒールよりも、高いわけがないからだ…
だから、傍目には、バニラとファラドは、互角どころか、体格で、バニラが勝っていた…
それゆえだろうか?
終始、バニラが、ファラドに圧倒していた…
バニラが、一方的に、ファラドを殴りつけ、蹴り続けた…
まさに、母の怒りだった…
一刻とはいえ、娘のマリアを人質に取られた、母親の怒りだった…
私は、それを目の当たりにして、ビビった…
まさに、今、バニラの力を知ったのだ…
バカ、バニラの力を思い知ったのだ…
180㎝の身長のバニラが、怒ると、いかにすさまじいか、知ったのだ…
バニラが本気で怒れば、この矢田トモコなど、吹き飛んで、しまうだろうと、わかったのだ…
159㎝の矢田トモコなど、180㎝のバニラの前では、子供同然…
まさに、娘のマリア同様、幼稚園児に過ぎない…
その現実を目の当たりにしたのだ…
これから、絶対、バニラを怒らせては、ならん…
この瞬間、私は、肝に銘じた…
しっかり、心に刻んだ…
今日をもって、バニラに歯向かう矢田トモコは消えた(汗)…
きれいさっぱり、いなくなった…
なにしろ、バニラを怒らせれば、怖い…
怖いということを、この瞬間、学んだのだ…
一方的に殴られ続け、蹴られ続けたファラドだったが、さすがに、バニラも、疲れた様子だった…
バニラの怒涛のパンチとキックが、止むと、ファラドは、身構えた…
態勢を整えたのだ…
すると、バニラの顔色が変わった…
緊張したというか…
それまでは、ただ怒って、その怒りに任せて、ファラドを殴りつけ、蹴り続けただけだったが、慎重になったというか…
ボクシングのファイティングポーズをとったファラドに対して、慎重になったのだ…
次の瞬間、ファラドは、攻撃に転じた…
実際、ファラドは、攻撃に転じると、強かった…
ファラドは、まずは、バニラの顔めがけて、パンチを繰り出した…
バニラは、それを避けたが、ファラドは、すぐに、バニラの腹を蹴った…
足で、蹴ったのだ…
バニラは、直後に、腹を抱えて、その場にうずくまった…
やはり、ファラドは、男…
男だった…
ファラドと、バニラは、体格は、互角だったが、やはり、性差がある…
仮に、同じ体格ならば、普通に考えれば、男と女が本気で、殴り合えば、男が、勝つ…
当たり前のことだった…
私は、バニラが、心配になった…
いかに、大柄でも、やはり、バニラは女…
女だった…
うずくまったバニラを見て、
「…ママ…」
と、マリアが叫んだ…
たぶん、無意識に、叫んだに違いない…
マリアは子供ながら、賢明…
頭がいい…
だから、リンダに化けたバニラを見ても、ママと呼ぶことは、できない…
しては、ならないと、知っていた…
それにも、かかわらず、つい、
「…ママ…」
と、呼んでしまった…
つまりは、それほどの危機だったということだ…
私は、どうする? と、思った…
考えた…
この矢田トモコが、ファラドに立ち向かっても、到底、勝てない…
歯が立たない…
なにしろ、180㎝のバニラですら、勝てないのだ…
159㎝の矢田トモコが、勝てるわけがない…
私が、そう思っていると、オスマンが、指示を下した…
ゆっくりと、無言で、手を動かした…
すると、会場にいる父兄に化けたオスマンの私兵が、ゆっくりと、ファラドに向かって、歩き出した…
ジリジリと、ファラドに迫った…
もはや、ファラドに逃げ場はなかった…
なかったのだ…
バニラは、まだうずくまったままだった…
それを見て、マリアが、泣きながら、
「…ママ…」
と、呟いた…
すると、
「…大丈夫…」
と、いう声がした…
声の主は、他ならぬバニラだった…
バニラ本人だった…
すると、それに、呼応して、
「…大丈夫…マリア…心配しないで…」
という声がした…
あまりにも、意外な言葉なので、その声の主が誰か、知りたくなった…
声の主は、ヤン=リンダだった…
本物のリンダ・ヘイワースだった…
私は、なぜ、ヤン=リンダが、そんな発言をするのか、不思議だった…
なぜ、そんな根拠のない発言をするのか、不思議だった…
たしかに、ファラドは、追い詰められている…
だが、バニラが、今、うずくまっているのは、事実だった…
紛れもない事実だった…
追い詰められたファラドは、バニラになにをするか、わからない…
なにしろ、バニラは、ファラドの目の前で、うずくまっているのだ…
私が、どうなるか、固唾を飲んで、見守っていると、まもなくバニラが立ち上がった…
ヨロヨロと立ち上がった…
だが、その状態では、立ち上がったところで、結果は、火を見るより明らか…
明らかだった…
そのバニラに、ファラドが、
「…まだ、やるのか?…」
と、余裕をもって、聞いた…
薄ら笑いを浮かべながら、聞いた…
まさに、上から目線…
上から、目線の言葉だった…
「…もちろん…」
バニラは、短く答えた…
いや、
それ以上は、苦しくて、答えられない様子だった…
それを見ていた、園児の父兄になりすましたオスマンの私兵たちが、距離を縮めて、ジリジリと、ファラドと、バニラに近付いた…
が、
ファラドは、それに構うことなく、バニラに襲いかかった…
万事休す…
私は、目をつぶった…
私の細い目をつぶった…
それから、少しして、私が、バニラを見ると、バニラは、立っていた…
立ったままだった…
私は、なぜ、バニラが立ったままか、不思議だった…
バニラが、ファラドに勝てるわけが、なかったからだ…
が、
その理由は、すぐにわかった…
ファラドの前に、人影が、立ちはだかったからだった…
私は、それが、誰か、一目で、わかった…
その人物は、まがうことなく、私の夫の葉尊だった…
私は、思った…
…一体、なんだ? …このファラドの笑いは?…
私は、思った…
思ったのだ…
そして、それは、オスマンも同じだった…
「…なんだ、ファラド…その笑いは?…」
オスマンが、ファラドに聞いた…
すると、
「…オスマン殿下…」
と、ファラドが、ニヤニヤと、笑いながら、答えた…
「…なんだ?…」
「…性的倒錯者は、アラブでは、認められません…」
「…どういう意味だ?…」
「…アナタは、失礼ながら、外見は、子供…だから、今、保育園に通っている…そうすれば、目立たなくて済む…アナタは、陰で、アラブの至宝と呼ばれるほど、優れた頭脳の持ち主だ…だから、敵も多い…それゆえ、保育園に通った…保育園に通うことで、正真正銘の子供を演じることができる…だが、その弊害か、アナタは、子供が好きになった…」
「…子供が好きに?…」
「…そうです…そのマリアさんが、いい例です…」
ファラドが、笑って言った…
「…そして、それは、アラブ世界では、決して、認められない…30歳の立派な男が、3歳の幼児に好意を持つことは、絶対に、認められない…」
ファラドが、ニヤニヤと、笑った…
「…だから、このことを、ボクが、国王陛下に申し上げれば、オスマン殿下…アナタとて、どうなるか、わかりませんよ…いくら、陛下のお気に入りのアナタとて…」
ファラドが、オスマンを脅した…
脅したのだ…
私は、焦った…
焦ったのだ…
たしかに、このファラドの言う通り…
アラブでは、30歳の成人男子と3歳の恋愛が、認められるわけがない…
いや、
それは、この日本も同じだろう…
いや、
日本に限らず、世界中、どこも同じだろう…
認めるわけがない…
私は、思った…
私は、考えた…
私は、オスマンを見た…
オスマンは、
「…」
と、無言だった…
どう答えていいか、わからなかったのかもしれない…
どう対応していいか、わからなかったのかもしれない…
それを見たファラドが、勝ち誇った顔になった…
明らかに、勝ち誇った表情になった…
形勢逆転…
ファラドが、オスマンに形勢逆転した…
私は、そう思った…
そう思ったときだった…
突然、
「…ファラド…アンタ…バカ?…」
という声がした…
私は、急いで、声の主を見た…
声の主は、他ならぬマリアだった…
「…バカ? …ボクが?…」
ファラドは、呆気に取られたようだ…
まさか、3歳のマリアが、口を挟むとは、思ってなかったのだろう…
「…どうして? ボクが、バカなんですか?…」
ファラドが、からかうように、マリアに聞いた…
子供のマリアに聞いた…
マリアが、子供だから、ファラドもそういう態度を取ったのだろう…
が、
マリアは、
「…オスマンが、30歳だろうと、なんだろうと、関係がないの!…」
と、大声で言った…
…関係がない?…
…どういうことだ?…
オスマンが、3歳の外見にもかかわらず、30歳の成人男子であることは、わかっている…
…一体、それが、どうして、関係がないのか? …
疑問だった…
やはり、マリアは3歳の子供だから、ダメなのか?
意味がわからないのか?
とも、思った…
が、
違った…
違ったのだ…
「…オスマンが、30歳なら、30歳の女のひとと、並んで歩ける? できないでしょ?…並んで歩けば、誰もが、母子と思うでしょ?…」
「…」
「…だから、オスマンの相手は、アタシでいいの!…このマリアでいいの!…」
マリアが、ファラドに告げた…
告げたのだ…
ファラドは、唖然とした表情になった…
まさに、マリアの言葉は、子供ながら、正論…
正論だった…
正鵠を射ていた…
いかに、30歳だろうと、外見が3歳では、30歳の女と付き合っても、似合わない…
母子にしか、見えないからだ…
それを考えれば、まさに、マリアの指摘は、的確だった…
まさに、正鵠を射ていたのだ…
それを指摘されたファラドは、戸惑った…
ぐうの音も出なかった…
それを見た、ヤン=リンダが、
「…マリアの勝ち…」
と、言って、パチパチと手を叩いた…
実に、楽しそうだった…
「…マリア…やるじゃない!…」
ヤン=リンダが、言うと、マリアは、恥ずかしそうだった…
明らかに、照れていた…
しかし、
しかし、だ…
そのマリアのカラダを、ファラドが、いきなり、掴んだ…
あまりにも、とっさの出来事などで、驚いた…
マリアのカラダをファラドが、とっさに、駆けよって、持ち上げたのだ…
面目を失ったファラドが、どうして、いいか、わからず、マリアを人質に取ったのだ…
正直、ファラドが、オスマン殿下に、向かっても、オスマン殿下を、人質に取ることは、できなかっただろう…
なぜなら、この周囲にいる人間は、皆、オスマン殿下の私兵…
ファラドが、オスマンに近付けば、慌てて、ファラドの行動を阻止するだろうが、まさか、マリアに、ファラドが、向かうとは、予想外だったのだろう…
いわば、ファラドは、盲点を突いたのだ…
だから、誰も、ファラドの動きを止めることは、できんかった…
できんかったのだ…
ファラドが、勝ち誇った顔になった…
「…オスマン殿下…ガールフレンドを、人質に取りましたよ…」
と、言って、ファラドが、笑った…
笑ったのだ…
途端に、オスマンの血相が、変わった…
子供ながら、憤怒の表情になった…
「…ファラド、マリアに手を出すのは、止せ…」
血相を変えた、オスマンが、命じた…
「…だったら、殿下…ボクの身を国王に引き渡すことを、考え直して、頂けますか?…」
ファラドの問いかけに、オスマンは、返事をしなかった…
「…」
と、黙ったままだった…
が、
少しして、
「…ファラド…こんなことをして、なんになる?…」
と、冷静に、ファラドを説得した…
「…たとえ、マリアを人質に取って、この場を去ることが、できても、後は、どうする? ボクを怒らせれば、サウジに身の置き所は、ないゾ…」
当たり前のことだった…
ファラドが、追い詰められて、見境なく、行動したのは、明らかだった…
マリアが、まだ3歳の幼児だから、人質に取りやすいと、判断して、とっさに、行動したに過ぎないのは、明らかだった…
だから、オスマンに、そう言われると、ファラドも、どうして、いいか、わからなかった…
だから、
「…」
と、なにも、言わなかった…
いや、
言えなかったのだ…
と、
いきなり、ファラドが、
「…痛い…」
と、声を上げた…
なんと、マリアが、ファラドの手に嚙みついたのだ…
ファラドは、マリアに噛みつかれて、とっさに、抱き上げていたマリアを離してしまった…
…さすが、マリア…
私は、納得した…
元ヤンのバニラの娘だけは、ある…
元ヤンのバニラの血を引くだけは、ある…
私が、そう思っていると、今度は、バニラが、ファラドの元に、近付いた…
深紅のドレスを着て、リンダ・ヘイワースに化けた、バニラが、ファラドの元に、近付いた…
ファラドが、当惑するのが、わかった…
その直後、バニラは、いきなり、ファラドを殴りつけた…
まさに、電光石火の早業だった…
あまりの出来事に、私は、目が点になった…
私は、元々、目が細いが、その細い目が、さらに、細くなった(笑)…
しかも、
しかも、だ…
バニラのファラドに対する攻撃は、それだけでは、終わらんかった…
左右の拳で、ファラドを数発殴りつけると、今度は、足で、ファラドを蹴りつけた…
普通でも、大柄な美女が、そんな行動を取れば、誰もが、驚くところだ…
しかも、
しかも、だ…
バニラは、深紅のドレスを身にまとっている…
しかも、
バニラは、身長180㎝とデカい…
さらに、10㎝は優に高いヒールを履いている…
だから、身長180㎝のファラドよりも、明らかに高い…
男の履く靴が、女の履くヒールよりも、高いわけがないからだ…
だから、傍目には、バニラとファラドは、互角どころか、体格で、バニラが勝っていた…
それゆえだろうか?
終始、バニラが、ファラドに圧倒していた…
バニラが、一方的に、ファラドを殴りつけ、蹴り続けた…
まさに、母の怒りだった…
一刻とはいえ、娘のマリアを人質に取られた、母親の怒りだった…
私は、それを目の当たりにして、ビビった…
まさに、今、バニラの力を知ったのだ…
バカ、バニラの力を思い知ったのだ…
180㎝の身長のバニラが、怒ると、いかにすさまじいか、知ったのだ…
バニラが本気で怒れば、この矢田トモコなど、吹き飛んで、しまうだろうと、わかったのだ…
159㎝の矢田トモコなど、180㎝のバニラの前では、子供同然…
まさに、娘のマリア同様、幼稚園児に過ぎない…
その現実を目の当たりにしたのだ…
これから、絶対、バニラを怒らせては、ならん…
この瞬間、私は、肝に銘じた…
しっかり、心に刻んだ…
今日をもって、バニラに歯向かう矢田トモコは消えた(汗)…
きれいさっぱり、いなくなった…
なにしろ、バニラを怒らせれば、怖い…
怖いということを、この瞬間、学んだのだ…
一方的に殴られ続け、蹴られ続けたファラドだったが、さすがに、バニラも、疲れた様子だった…
バニラの怒涛のパンチとキックが、止むと、ファラドは、身構えた…
態勢を整えたのだ…
すると、バニラの顔色が変わった…
緊張したというか…
それまでは、ただ怒って、その怒りに任せて、ファラドを殴りつけ、蹴り続けただけだったが、慎重になったというか…
ボクシングのファイティングポーズをとったファラドに対して、慎重になったのだ…
次の瞬間、ファラドは、攻撃に転じた…
実際、ファラドは、攻撃に転じると、強かった…
ファラドは、まずは、バニラの顔めがけて、パンチを繰り出した…
バニラは、それを避けたが、ファラドは、すぐに、バニラの腹を蹴った…
足で、蹴ったのだ…
バニラは、直後に、腹を抱えて、その場にうずくまった…
やはり、ファラドは、男…
男だった…
ファラドと、バニラは、体格は、互角だったが、やはり、性差がある…
仮に、同じ体格ならば、普通に考えれば、男と女が本気で、殴り合えば、男が、勝つ…
当たり前のことだった…
私は、バニラが、心配になった…
いかに、大柄でも、やはり、バニラは女…
女だった…
うずくまったバニラを見て、
「…ママ…」
と、マリアが叫んだ…
たぶん、無意識に、叫んだに違いない…
マリアは子供ながら、賢明…
頭がいい…
だから、リンダに化けたバニラを見ても、ママと呼ぶことは、できない…
しては、ならないと、知っていた…
それにも、かかわらず、つい、
「…ママ…」
と、呼んでしまった…
つまりは、それほどの危機だったということだ…
私は、どうする? と、思った…
考えた…
この矢田トモコが、ファラドに立ち向かっても、到底、勝てない…
歯が立たない…
なにしろ、180㎝のバニラですら、勝てないのだ…
159㎝の矢田トモコが、勝てるわけがない…
私が、そう思っていると、オスマンが、指示を下した…
ゆっくりと、無言で、手を動かした…
すると、会場にいる父兄に化けたオスマンの私兵が、ゆっくりと、ファラドに向かって、歩き出した…
ジリジリと、ファラドに迫った…
もはや、ファラドに逃げ場はなかった…
なかったのだ…
バニラは、まだうずくまったままだった…
それを見て、マリアが、泣きながら、
「…ママ…」
と、呟いた…
すると、
「…大丈夫…」
と、いう声がした…
声の主は、他ならぬバニラだった…
バニラ本人だった…
すると、それに、呼応して、
「…大丈夫…マリア…心配しないで…」
という声がした…
あまりにも、意外な言葉なので、その声の主が誰か、知りたくなった…
声の主は、ヤン=リンダだった…
本物のリンダ・ヘイワースだった…
私は、なぜ、ヤン=リンダが、そんな発言をするのか、不思議だった…
なぜ、そんな根拠のない発言をするのか、不思議だった…
たしかに、ファラドは、追い詰められている…
だが、バニラが、今、うずくまっているのは、事実だった…
紛れもない事実だった…
追い詰められたファラドは、バニラになにをするか、わからない…
なにしろ、バニラは、ファラドの目の前で、うずくまっているのだ…
私が、どうなるか、固唾を飲んで、見守っていると、まもなくバニラが立ち上がった…
ヨロヨロと立ち上がった…
だが、その状態では、立ち上がったところで、結果は、火を見るより明らか…
明らかだった…
そのバニラに、ファラドが、
「…まだ、やるのか?…」
と、余裕をもって、聞いた…
薄ら笑いを浮かべながら、聞いた…
まさに、上から目線…
上から、目線の言葉だった…
「…もちろん…」
バニラは、短く答えた…
いや、
それ以上は、苦しくて、答えられない様子だった…
それを見ていた、園児の父兄になりすましたオスマンの私兵たちが、距離を縮めて、ジリジリと、ファラドと、バニラに近付いた…
が、
ファラドは、それに構うことなく、バニラに襲いかかった…
万事休す…
私は、目をつぶった…
私の細い目をつぶった…
それから、少しして、私が、バニラを見ると、バニラは、立っていた…
立ったままだった…
私は、なぜ、バニラが立ったままか、不思議だった…
バニラが、ファラドに勝てるわけが、なかったからだ…
が、
その理由は、すぐにわかった…
ファラドの前に、人影が、立ちはだかったからだった…
私は、それが、誰か、一目で、わかった…
その人物は、まがうことなく、私の夫の葉尊だった…