第76話

文字数 5,209文字

 いや、バニラだけではない…

 それを、いえば、ヤンも、だ…

 ヤン=リンダも、だ…

 なぜなら、バニラは、リンダに化けて、この場に現れた…

 それは、事前に、リンダ本人の了承が、なければ、やらないはずだ…

 リンダとバニラは、仲がいい…

 が、

 親しき仲にも、礼儀あり…

 いくら、仲が良くても、やっていいことと、悪いことがある…

 いくら、仲が良くても、許せることと、許せないことがある…

 まして、リンダとバニラは、共に、一流…

 一流の女優であり、一流のモデルだ…

 当然、互いに、相手を認めている…

 同時に、互いに、少なからぬライバル心が、あるはずだ…

 だから、自分に了承なく、バニラが、リンダに化けて、この場に現れれば、リンダが、激怒するに違いない…

 なにしろ、リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…

 そのプライドの高さといったら、バニラの比では、ないからだ…

 バニラも、有名だが、リンダには、到底、及ばない…

 っていうか、ハッキリいえば、バニラは、リンダのひと昔前の姿だ…

 リンダも、元は、モデル…

 モデルを経て、ハリウッドに進んだ…

 だから、バニラは、リンダを尊敬している…

 自分も、数年後は、同じ道を歩みたいと、思っているに、違いない…

 だから、そんなバニラとリンダの関係を考えれば、今日、この場に、バニラが、リンダに化けて、現れることは、あらかじめ、リンダの了承を得たと、思っていい…

 そして、それは、あのオスマンも同じ…

 同じだ…

 なぜなら、あのオスマンは、ヤンをリンダだと、喝破した…

 ずばり、見破った…

 もし、仮に、オスマンが、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンだと仮定しても、この場にリンダが、男装して、やって来ることを、見破ることは、不可能…

 できないに、決まっている…

 それを、見破ったのは、やはり、事前に、ヤンが、リンダだと、知っていたから…

 そう、考えるのが、自然だし、そう、考えれば、納得する…

 すると、どうだ?

 こう考えてみると、要するに、この騒動が、起きることを知らなかったのは、この矢田トモコだけになる…

 いや、

 知らなかったのは、この矢田トモコだけではない…

 おそらく、園児たちも、なにも、知らなかったに違いない…

 と、すると、どうだ?

 つまりは、なにも、知らないのは、この矢田トモコと、保育園児だけ?…

 つまりは、同列…

 この35歳の矢田トモコと、3歳の園児が、同列…

 同じ扱いと、いうことになる…

 どこの世界に、35歳の女と、3歳の保育園児の扱いが、同じことがある?

 それに、気付いた私は、唖然とすると、同時に、激怒した…
 
 むかっ腹が、立った…

 …おのれ!…

 …許さんゾ!…

 文字通り、怒髪天を衝く、怒りが湧いた…

 まさか?…

 この矢田トモコと、保育園児が同列とは?

 あまりの怒りで、言葉を失った…

 と、

 同時に、気付いた…

 あの列車ごっこだ…

 あのムカデごっこだ…

 この矢田トモコが、仕方なく、3歳の園児たちと、同じレベルで、遊んでやっているにも、かかわらず、それに、気付かないとは?

 まさか、この矢田トモコの中身が、3歳の保育園児たちと、同じと、思うとは?

 つくづく、ひとを見る目がない…

 私は、思った…

 私は、ただ、3歳の保育園児たちと、遊んでやっただけ…

 それだけだ…

 だが、周囲の人間は、そう見なかったのだろう…

 この矢田トモコの頭の中身も、3歳の保育園児たちと、同じと、思ったのだろう…

 はああああ…

 ため息が出た…

 同時に、情けなくなった…

 そんなことも、わからぬとは?

 つくづく、ダメな連中だ…

 あの矢口のお嬢様も所詮、ただの金持ちの娘に過ぎん…

 ただ、東大を出て、頭が、いいに、過ぎん…

 この矢田トモコのように、十も、二十も、さまざまな職場を転々とした経験など、あるまい…

 まあ、その中には、自分から、辞めたものも、あったし、クビになったものも、あった(涙)…

 正直、千差万別…

 いろいろあった(笑)…

 が、

 それをここでは、語るまい…

 それは、いずれ、別の機会で、語ろう…

 ふっふっふっ…

 楽しみにしていろ!…

 まあ、話は、少し外れたが、つまりは、東大を出た、金持ちのお嬢様には、所詮、この矢田トモコの偉大さが、わからないと言いたいのだ…

 そして、それは、リンダとバニラも、同じ…

 同じだ…

 二人とも、苦労はしてきたと言った…

 その言葉に、ウソは、ないだろう…

 が、

 それは、モデルや女優としての苦労…

 芸能人としての苦労だ…

 この矢田トモコのように、一般人としての苦労ではない…

 つまり、苦労は、苦労でも、苦労の質が、違うのだ…

 そして、それは、例えば、一般人と、皇族の苦労の違いと考えれば、わかりやすい…

 皇族に生まれれば、生活の苦労は、ないだろう…

 会社で、リストラはされることは、ないし、受験で、苦労することはない…

 が、

 違う苦労は、するだろう…

 例えば、頭が悪くては、困るから、英語は、必須…

 しゃべれなければ、ならないし、その他、諸々のことを知っていなければ、ならない…

 つまりは、常に、勉強をしなければ、ならないということだ…

 それがたまらなく嫌という皇族もいるだろう…

 一般人に生まれれば、しなくてもいい苦労をすることになる…

 が、

 真逆に生活は、一生、保障される…

 しかし、いかに、生活が、保障されようと、そんな生活は、絶対嫌だという皇族は、いるに違いない…

 ただ、いかに嫌でも、選べない…

 選択の自由は、ないからだ…

 ハッキリ言えば、皇族として、生まれれば、仕方がない…

 それが、答えだ…

 若干、話は、それたが、いつものことだ(笑)…

 つまり、苦労は、しても、苦労には、さまざまな苦労があるということだ…

 リンダや、バニラのした苦労は、この矢田トモコがした苦労とは、違うということだ…

 だから、この矢田トモコのように、世間を見ることができない…

 ひとを見ることができないと言いたいのだ…

 まあ、仕方がない…

 この矢田トモコとは、器が違う…

 もって、生まれた能力が違う…

 リンダもバニラも絶世の美女…

 その美貌を生かして、成功した…

 そして、今、世間から、チヤホヤされている…

 だから、きっと、苦労をしたことを、忘れたのだろう…

 片や、この矢田トモコ…

 クールの社長夫人に、のし上がったが、正直、チヤホヤされたことなど、滅多にない…

 だから、自分でも、全然偉くなったとは、思えない…

 おまけに、平凡なルックス…

 この六頭身で、幼児体型の平凡極まりないルックスのおかげで、これまで、平凡極まりない人生を送って来た…

 だから、世間を見ている…

 世間を知っているといいたいのだ…

 が、

 それを、あの矢口のお嬢様も、リンダもバニラも知らない…

 だから、私だけ、ハブられた…

 私だけ、除け者にされた…

 あのオスマンのガキも、私には、教えんかった…

 今回の企みを、私だけには、教えんかった…

 許せん!

 許せんのだ…

 みんな敵だ…

 この矢田トモコの敵だ…

 そんなことを、思っていると、

 「…矢田…オマエは、幸せだな…」

 と、矢口のお嬢様が、言った…

 そうだ…

 すっかり、目の前に、矢口のお嬢様が、いることを忘れていた…

 「…幸せ? …私が?…」

 「…そうだ…オマエは、愛されてる…みんなに?…」

 …私が、愛されている?…

 …一体、どういう意味だ?…

 「…オマエは、今度の一件で、自分が、ハブられていると思ったかもしれんが、オマエを安全圏に置くためだ…許せ…」

 「…」

 「…オマエが羨ましい…」

 「…私が、羨ましい?…」

 「…愛される人間は、どこでも、誰にでも、愛される…真逆に、嫌われる人間は、どこでも、誰からも、嫌われる…」

 「…」

 「…あのオスマン殿下は、傑物だ…すべてを見切っている…」

 矢口のお嬢様が言った…

 「…傑物?…」

 「…そうだ…殿下は、言いたくは、ないが、あのカラダだ…肉体的には、恵まれてない…ただ、頭脳は、一流…本物の一流だ…」

 「…本物の一流?…」

 「…そうだ…本物の一流というと、じゃ、偽物の一流があるかと、問われるが、大抵は、一流といっても、まがいものだ…たいしたことはない…」

 「…たいしたことはない?…」

 「…そうだ…本物というのは、歴史に残るものだ…例えば、文学だ…大抵は、その時代では、凄いと、絶賛されても、作者が、死んで、50年、100年経てば、忘れ去られる…だが、本物は、いつまでも、残る…時代が、変わっても、忘れ去られない…」

 「…」

 「…殿下も、同じだ…」

 「…同じ…」

 「…そうだ…それほど優れているということだ…ただ、残念ながら、あのカラダゆえ、表に出ることは、できない…」

 「…」

 「…すべからく、神様は、平等だ…肉体が、劣れば、頭脳は、優秀に生まれさせる…それで、バランスをとっている…」

 「…」

 「…矢田…そして、それは、オマエも同じだ…」

 「…私も同じ?…」

 「…そうだ…オマエと、アタシは、見た目は、そっくりだが、アタシは、オマエのように、誰からも、愛されはしない…その代わりに、金持ちの家に、生まれた…」

 「…」

 「…神様は、すべからく、平等だ…」

 矢口のお嬢様が、真顔で、私に言った…

 私は、その言葉を聞きながら、

 …この女…よくも、こんな大嘘を!…

 と、思った…

 …なにが、平等だ!…

 同じカラダを持って、生まれるならば、誰かに愛されるよりも、金持ちの家に生まれたほうが、いいに決まっている…

 金持ちの家に生まれるか?

愛されキャラで生まれるか?

どっちがいいと、問われれば、誰もが、金持ちの家に生まれたいと、答えるだろう…

 が、

 にもかかわらず、それを、東大出のスーパージャパンのご令嬢が、言うと、もっとも、らしく聞こえる…

 そういうことだ…

なにより、この矢口のお嬢様が、一般人の苦労を知るはずがない…
 
 所詮は、金持ちのお嬢様だ…

 お金の面で、苦労した経験など、一度もないだろう…

 ひとは、生きてゆくうえで、さまざまな苦労をするが、それも、大半は、お金の苦労が多い…

 だから、おおげさに、いえば、お金の苦労を一度もしたことが、ない人間を、私は、信用しない…

 誰もが、多かれ少なかれする、お金の苦労をしたことがない人間の言葉は、どこか薄っぺらなものに、聞こえるのだ…

 差別かもしれないが、はっきり言って、私の心に、響かない…

 イギリスのエリザベス女王が、いかに、生活の苦労を言葉にしても、響かないのと、同じだ…

 苦労は、苦労でも、生活の苦労はない…

 お金の苦労はない…

 すると、そういう人間の言葉は、どうしても、薄っぺらく、聞こえる…

 誰もが、するお金の苦労をしたことない人間の苦労話は、眉唾物に聞こえるのだ…

 そして、そんなことを、考えていると、

 「…矢田…オマエにも、いつか、わかる…」

 と、矢口のお嬢様が、言った…

 「…今は、わからんかもしれんが、オマエも、今は、クールの社長夫人だ…つまり、アタシと同じ立場だ…」

 「…同じ立場?…」

 「…そうだ…だから、同じ環境に身を置くことになる…すると、世界が、変わる…」

 「…世界が、変わる?…」

 「…そうだ…いや、オマエから見て、世界が変わるのではなく、周囲の人間が、オマエに対して、これまで、接してきた態度と、違う態度で、接してくる…要するに、オマエは、なにも、変わらないが、周囲の人間の態度が、変わる…」

 「…」

 「…だが、アタシは、オマエには、今まで、通りのオマエで、いて、もらいたい…」

 「…今まで通りの私…」

 「…そうだ…」

 それを言うと、矢口のお嬢様は、私から離れた…

 私は、その私同様の六頭身の幼児体型の背中を見て、実に、不思議な女だと、思った…

 わけのわからない女だと、思った…

なにより、子供ではないのだから、そんなウソを真に受けるバカはいない…

そう思った…

その六頭身の幼児体型の背中を見て、そう思ったのだ…

そして、私は、たった今、矢口のお嬢様が、私にくれたキットカットを食べた…

…うまい…

…実に、うまかった…

やはり、私の好物…

マリアの好物でも、ある…

それを、考えると、すぐにマリアを見た…

マリアが、気になったのだ…

マリアは、今、オスマンと、並んで、立っている…

 そして、マリアを見ると、今日、この場にやって来たときに、乗ったピンクのベンツ…

 それを、思い出した…

 すると、突然、

 アレは、もしかしたら、メッセージ…

 この場にいる誰かに、伝えるメッセージではないかと、気付いた…

 誰もが、注目する、ピンクのベンツ…

 それに、乗ることで、なにかのメッセージを伝える役割かもしれんと、気付いたのだ…

 そして、そのメッセージを伝える相手は、誰か?

 当然ながら、オスマン殿下に、違いなかった…

                 

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