第106話

文字数 5,322文字

 うーむ…

 実に、意外…

 意外な展開だった…

 なぜか、ファラドとオスマンの争いから、葉尊の人間性にまで、言及することになった…

 ファラドやオスマンは、ともかく、葉尊の人間性にまで、踏み込むとは、思わんかった…

 私の夫の人間性にまで、踏み込むとは、思わんかったのだ…

 さすがの矢田トモコも、これは想定外…

 想定外の出来事だった…

 が、

 さすがに、自分の夫の人間性に、疑問を抱くことは、できんかった…

 全面的な疑問を抱くことは、できんかった…

 それでは、夫婦生活を続けることは、できんからだ…

 いっしょに、生活を続けることは、できんからだ…

 まったく、信用のできん男と、暮らすことは、できんからだ…

 信用のできん=なにをやらかすか、わからんということだ…

 葉尊が、ヤクザなら、自分の妻をソープランドに、売るかもしれん…

 とか、

 借金のかたに、どこかに、この矢田を売り飛ばすかも、しれんと、いうことだ…

 そんな男とは、一秒たりとも、いっしょに、暮らすことは、できん…

 できんのだ…

 が、

 葉尊は、そこまでは、いかない…

 ただ、女の直感というか…

 葉尊には、まだ、これまで、いっしょに、暮らしていて、私に見せたことのない素顔が、あるのだろうと、いうことまでは、わかった…

 おとなしい、葉尊…

 真面目な、葉尊…

 が、

 いつでも、どこでも、おとなしくて、真面目なだけの人間は、いない…

 存在しない…

 これは、男も女も同じ…

 老若男女問わず、同じだ…

 おとなしくて、真面目で、あっても、妙に我が強かったり、細かかったりして、周囲が、辟易することも、多い…

 つまり、真面目は、真面目だが、周囲に、うまく合わせることのできない人間も、いると、いうことだ…

 それとは、別に、おとなしくて、真面目だが、家では、アダルト動画ばかり、見ているとか、そんな例は、ありふれている…

 が、

 葉尊の場合は、それとも、違う気がする…

 おそらく、葉尊は、私が、思うに、今、現在、私といる、葉尊と、別な面を持つ、葉尊が、いるということではないか?

 私は、思った…

 クールCEОとしての、葉尊…

 経営者としての、葉尊だ…

 大企業の経営者が、ただの真面目で、おとなしい人間であるはずがない…

 なにより、上に立つ人間は、誰からも、見られている…

 どんな能力があるか、見られている…

 見られている=評価されている…

 だから、ある意味、言葉は、悪いが、抜け目のない人間で、なければ、務まらない…

 抜け目がないというのは、例えば、自分に対して、不満がありそうな人間は、いち早く、ポストから外して、左遷したり、自分の地位を、脅かすものには、容赦ない人事を断行する…

 そういうことだ…

 それが、できない人間に、他人様の上に立つことは、できんだろう…

 ずっと、以前のことだが、昔、バイトをしていた会社で、自分のことも、他人のことも、わからぬ人間たちに出会ったことがある…

 ちょうど、ITバブルの頃だ…

 要するに、末端の簡単なパソコンの入力作業でも、アイツは、入力が、早くて、ミスが少ないから、凄いと、驚嘆し、別のアイツは、学歴がなくても、リーダーシップがあって、他人をまとめられるから、凄いと、話す…

 つまりは、小学校の低学年並みの、ひとの評価しか、できない(笑)…

 そういう人間たちを、見たことがある(笑)…

 ちょうど、ITバブルの頃だから、その前後の頃に入社した人間たちと、自分たちでは、入社する人数が、多くて、学歴が、劣っていると、誰もが、一目見て、わかるのに、それが、わからんかった…

 つまり、ひとの質が、劣っていたのだ…

 だから、景気が悪くなれば、すぐに、首を切られるだろうと、私でも、早くに、わかったことだが、それが、わからんかった…

 そして、それが、わからんことが、私には、わからんかった(爆笑)…

 驚きだった…

 つまりは、目の前で、なにが、起きているか、わからんことが、驚きだった…

 普通に、バイトをしていても、誰かが、

 「…あんなヤツ、入れちゃ、ダメだろ?…」

 と、陰口を叩くことが、できんかった…

 なぜ、できんのか?

 要するに、さっき例で挙げた、パソコンの入力作業をすばやくできたり、リーダーシップがあれば、凄いと思うのだ…

 例えば、わかりやすく言えば、高校の偏差値で、いえば、偏差値65が、これまでの平均で、それが、いきなり、偏差値50に落ちても、仕事ができ、リーダーシップがあれば、凄いと思う人間たちだった(笑)…

 そして、リーダーシップがあるという人間たちは、総じて、我が強い人間が、多い…

 ありていに、言えば、子供の頃から、クラスや、学校で、ひとをまとめられる…

 それができるから、逆にいえば、他人の下につくことができない…

 例えば、大学を出ていなかったり、大学を出ていても、下位の大学を出ていて、会社に入っても、出世とか、縁がない人間であることは、一目で、誰でも、わかるが、それを認めることができない…

 そういう人間たちだった…

 そして、そういう人間をちやほやする人間が周囲にいて、余計、調子に乗る(笑)…

 いつの時代も、景気がいい時代は、そういう人間たちが、集まる…

 そして、景気が悪化すれば、すぐに、切られる…

 当たり前だが、他社に履歴書を送っても、まともな会社は、採用しない…

 景気がいい時代だから、採用されたのだ…

 当たり前のことだ…

 それが、わからない…

 理解できない…

 なぜ、オレは、リーダーシップがあるのに?

 とか、

 与えられた仕事は、正確に、ミスなくやるのに、

 とか、いうことしか、できない…

 正直、その人間たちには、それ以上のポストを与えることは、できないと、誰もが、わかるが、当の本人たちには、わからない…

 私は、これまでの人生の中で、そのときの経験が、一番、大きかった…

 ハッキリ言って、景気が良くなければ、決して、会えないひとたちだった…

 偏差値40の工業高校を出ても、オレは。一流企業で、課長になると、豪語するような態度を取る人間は、後にも、先にも、お目にかかったことがなかった(爆笑)…

 だが、それが、私の、おおげさにいえば、人間観察の始まりだった…

 だから、今も、葉尊が、これまで、私といっしょに、暮らした葉尊と、別の顔を持っていても、驚かなかった…

 むしろ、当たり前だった…

 何度も言うように、真面目で、おとなしいだけの人間に、大企業の社長はできない…

 まして、葉尊は、まだ29歳の若さ…

 日本の大企業では、ありえない若さだ…

 経営危機に陥った日本の総合電機メーカー、クールが、台湾の大企業、台北筆頭の傘下に入って、台北筆頭のCEОの葉敬が、自分の息子の葉尊を派遣したから、29歳の若さで、クールのCEОになったのだ…

 だが、いくら、葉敬の後ろ盾があっても、クールのCEОを務めることは、できない…

 実力がなければ、CEО=最高経営責任者の地位を守ることができない…

 また、逆に、言えば、葉尊の実父の葉敬は、息子の葉尊が、クールのCEОができると、考えるから、派遣したに違いなかった…

 だから、それを思えば、葉尊には、私のしらない別の顔があると、考えるのは、当たり前だった…

 何度も言うように、真面目で、おとなしいだけでは、クールのCEОは、務まらないからだ…

 と、そこまで、考えたとき、

 「…お姉さんは…」

 と、葉尊が、いきなり、切り出した…

 「…お姉さんは、誰にでも、好かれます…」

 と、言った…

 「…正直、羨ましいです…」

 「…私が、羨ましい?…」

 「…よく、芸能人で、天然とか、言われて、思わず、周囲の人間が、失笑するような行動を取る人間が、いますが、大抵は、確信犯です…」

 「…確信犯?…」

 「…つまりは、演じている…」

 「…演じている?…」

 「…よく、会社に入社したばかりの、若い女の子が、わざと、わからないフリをして、バカな女のコを演じているでしょ? アレと同じです…」

 「…」

 「…でも、お姉さんは、違う…」

 「…私は、違う? どう違うんだ?…」

 「…演じていない…素の姿で、誰からも、愛される…」

 「…」

 「…それが、端的に現れたのが、リンダと、バニラです…」

 「…どうして、リンダと、バニラなんだ?…」

 「…これは、以前に、何度も、言ったと思いますが、彼女たちは、苦労人です…二人とも、絶世の美人ですが、美人というだけで、世界的に、有名になることなど、できません…世の中、そんなに、甘くは、ありません…」

 「…」

 「…二人とも、修羅場をくぐって、きています…」

 「…修羅場?…どんな修羅場だ?…」

 「…人間関係の修羅場です…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…モデルの世界は、いわゆるショービジネス…売り物は、人間です…クールや台北筆頭のように、電気機器や、半導体では、ありません…その結果、甲乙つけがたく、なります…いわゆる、どっちが、優れているか、わかりにくい状態です…」

 「…」

 「…その結果、人間関係が、ドロドロになりがちです…プロデューサーや、力のある人間と、肉体関係を結んで、仕事を得たり、金を包んだり…そんなことを、見たり、聞いたりして、人間関係に、疲れます…」

 「…」

 「…その結果、人間不信になったりします…」

 「…」

 「…そんな彼女たちが、お姉さんの前では、まるで、借りてきた猫のように、お姉さんに、接します…」

 「…私に接する?…」

 「…お姉さんは、演じているわけでもなく、皆に、愛されます…父の葉敬は、一目で、お姉さんの本質を見抜きました…」

 「…私の本質?…」

 「…誰からも、愛される、お姉さんの本質です…だから、父は、出会ってまもない、お姉さんと、ボクの結婚を、認めてくれました…いわば、お姉さんの人柄を、認めてくれたんです…」

 「…」

 「…そして、それは、オスマン殿下も、同じです…」

 「…オスマン殿下も、同じ…」

 「…殿下は、慧眼(けいがん)の持ち主です…殿下の前で、なまじの演技は、通じません…」

 「…」

 「…それゆえ、アラブの至宝と呼ばれ、サウジの国王陛下の信任も厚いのです…」

 「…」

 「…今、サウジの国王陛下が倒れ、その隙を狙って、ファラドが、オスマン殿下に、とって、代わろうとしています…が、愚かの一言です…」

 「…どうして、愚かなんだ?…」

 「…器が、違い過ぎます…」

 「…器?…」

 「…ファラドのいけないところは、長身で、ハンサムに生まれたことです…」

 「…それが、どうして、いけないんだ?…」

 「…なまじ、ルックスが、良く、生まれると、周囲の異性が、チヤホヤします…男女問わず、子供の頃から、モテまくります…その結果、自分の力を過信する…自分の実力以上の力を持って生まれたと、過信するんです…」

 葉尊が、力を入れる…

 私は、葉尊の説明を聞きながら、なんだか、葉尊は、自分のことを、言っているみたいだと、思った…

 長身で、イケメンの葉尊…

 おまけに、家柄もいい…

 台湾の大企業の御曹司…

 そして、それは、ファラドも、同じだ…

 葉尊と、同じくルックスもよく、家柄も良く、お金持ち…

 考えて見れば、二人は、似た者同士…

 実に、似ている…

 だから、葉尊が、ファラドを語ることは、自分を語ることかも、しれないと、気付いた…

 つまり、今、葉尊は、初めて、自分を語ったのだ…

 この矢田トモコの前で、自分を語ったのだ…

 これまでの葉尊は、ただの真面目で、おとなしい存在で、決して、自分を見せなかった…

 自己を決して、主張しなかった…

 だから、本当は、葉尊が、どんな人間か、わからなかった…

 私には、いつも、優しく接して、決して、偉ぶることもない…

 長身で、イケメンで、お金持ち…

 おまけに、人柄もいい…

 完全無欠の人間…

 が、

 そんな人間が、世の中に、いるはずも、なかった…

 普通の人間は、葉尊のように、ルックスも、良く、大金持ちに生まれれば、鼻高々になり、増長する…

 一言で言えば、わがままになる…

 当たり前のことだ…

 おおげさに、言えば、葉尊は、すべてを持って生まれた…

 すべてを持って生まれた、選ばれた人間だからだ…

 だから、わがままになるのは、わかる…

 増長するのは、わかる…

 葉尊は、自分を語っている…

 ファラドになぞらえて、自分を語っている…

 あらためて、思った…

 と、同時に、脳裏に、閃くものが、あった…

 弟の事故死のことだ…

 本物の葉問の事故死のことだ…

 大昔、子供の頃、葉尊は、自分の仕掛けたいたずらで、一卵性双生児の弟の葉問が、事故で、死んだと、言っていた…

 それゆえ、自力で、葉問を再生させた…

 が、

 それが、問題なのではない…

 それが、ウソだとか、言っているわけではない…

 なぜ、そんないたずらをしたのかが、問題なのだ…

 そんな、弟が、死んでしまうようないたずらをしたのかが、問題なのだ…

 もしかしたら?

 もしかしたら、この葉尊という男は、私など、思いもしない、やんちゃな性格をしているのかもしれない…

 ふと、そんなことに、気付いた…

               
 
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