第17話

文字数 6,226文字

 …忙しくなった…

 …忙しくなった…

 家に帰った私は、落ち着かなかった…

 誰も、私に、なにも、していないが、とにかく、私の中で、忙しかった…

 焦っていたのだ…

 パーティーに出席する…

 これは、滅多にないことだからだ…

 この平凡な矢田トモコが、クールの社長、葉尊の妻として、パーティーに出席する…

 当然、パーティーに出席した人間は、皆、私をチヤホヤするだろう…

 そのとき、どうすれば、いいか…

 考えて、おかねば、ならん…

 ただ、ニコニコと、笑っているのが、一番だが、ずっと、それをしていると、ただのバカだと思われる…

 一体、どうすれば?…

 考える…

 悩む…

 それとも、私は、クールの社長夫人として、なにか、難しい、今後のクールの日本での活動について、語らねば、ならんのか?

 クールの経営方針について、語らねば、ならんのか?

 いや、

 そんなバカなことはない(笑)…

 たとえ、クールの社長夫人とはいえ、まったくの経営の素人の私が、クールの経営について、語れば、まさに、失笑ものだ…

 なにも、わからぬ人間が、少しは、わかったような口を利けば、周りは、皆、失笑する…

 たとえ、態度に出さなくても、腹の中では、文字通り、抱腹絶倒だ…

 当たり前のことだ…

 だったら、やはり、私は、ただ、ニコニコとしていれば、いいのだろうか?

 いや、

 やはり、35歳にもなって、それは、難しい(苦笑)…

 これが、十代や、二十歳ぐらいの女ならいい…

 なにも、わからないからだ…

 周囲の人間も皆、子供だと思う…

 だから、ただ、ニコニコ笑っていても、許される…

 まして、それが、バニラやリンダじゃないが、美人なら、OK…

 ただ、ニコニコ笑っているだけで、OKだ…

 しかし、私のように、35歳ともなれば、それも難しい…

 やはり、相手の会話に合わせて、適切なコメントを出さなければ、ならない…

 それを、考えると、実に厄介…

 難しい…

 私も歳を取ったものだ(笑)…

 なぜ、歳を取ったかといえば、若ければ、なにも悩まないからだ…

 せいぜいが、どんな服を着れば、いいかとか、パーティーの作法について、周囲の人間から、事前に、教えてもらえばいい…

 それが、今の私のように、歳を取ってくると、

 …もし、こんな質問をされたら、どう答えればいいか?…

 とか、

 …こう答えては、相手に失礼だろうか?…

 とか、色々、考える…

 そして、考えれば、考えるほど、悩む…

 なぜなら、適切な答えなど、ないからだ…

 数学の解ではないが、正確な答えなど、存在しない…

 だから、悩むのだ…

 私が、自宅で、悩み続けていると、

 「…ピンポン…」

 と、チャイムが鳴った…

 誰か、やって来た…

 …一体、誰だろう?…

 私は、思った…

 実は、自宅を訪れる友人・知人は、少ない…

 って、いうか、ほとんど、いない…

 夫の葉尊は、会社とプライベートは、分ける人間なので、会社関係の人間は、誰一人、この自宅を訪れた者は、いない…

 私にしても、それは、同じ…

 すでに、35歳になった今、私の学生時代の友人は、皆無…

 誰もいない…

 仲が良かったのは、皆、バイト先の仕事仲間だった…

 そして、その仕事仲間も皆、バイト先が、変われば、疎遠になった…

 あくまで、同じバイト先だから、いっしょに、飲みに行ったりして、仕事の後も、楽しんだ…

 が、

 仕事先が変われば、それもなくなる…

 付き合いがなくなる…

 残念ながら、それが、真実…

 これは、以前、書いた、学生時代の友人と同じ…

 あくまで、同じ環境=学校にいるから、仲がいい…

 だから、学校を卒業して、数年すれば、付き合いがなくなる…

 学校では、行けば、会えるが、卒業すれば、互いに、時間を作って、会わなければ、ならない…

 だから、手間がかかる…

 が、

 最初は、誰もが、その手間をかけても、会うのが、大半だが、次第に、疎遠になる…

 その手間をかけるのが、億劫になるし、なにより、会話が噛み合わなくなる…

 学校を卒業して、皆、様々な経験をする…

 皆、会社が、違うから、体験が違う…

 すると、皆、体験が、違うから、それぞれの話が、噛み合わなくなる…

 誰かが、なにか、言っても、大げさに言えば、

ホントにそんなことがあるの?

 とでも、言うような反応をされることも、しばしばだ…

 そもそも、同じ体験をしていないから、これも仕方がない…

 だから、会わなくなる…

 そもそも、なにを話しても、話が噛み合わなくなるから、共通の体験といえば、過去の思い出話…

 だから、過去の思い出話が中心になるが、いつも、会うたびに、それでは、誰もが、辟易する…

 だから、会わなくなる…

 そういうことだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…ピンポン…」

 と、もう一度、チャイムが鳴った…

 だから、私は、慌てて、インターホンに出た…

 そして、カメラ越しに映った画像で、そこに誰がいるのか、見た…

 そこには、長身の男がいた…

 いや、

 よく見ると、それは、長身の男装した女だった…

 リンダ・ヘイワースの男装した姿だった…

 「…リンダ?…」

 私は、思わず、叫んだ…

 「…お姉さん…」

 リンダは、インターホン越しに、恥ずかしそうに、照れ笑いを浮かべた…

 「…この姿のときは、ヤンと、呼んで、もらいたいな…」

 恥ずかしそうに、言う…

 実は、このリンダ…

 リンダ・ヘイワースは、普段、男装している場合が、多かった…

 それは、リンダ・ヘイワースであることが、バレると、すぐに、大騒ぎになるからだ…

 だから、普段は、男装している…

 男の格好をしている…

 そうすれば、リンダ・ヘイワースであることが、周囲にバレないからだ…

 いつも、リンダ・ヘイワースでいることは、それほど、大変なのだろう…

 リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…

 いい女の代表だ…

 だから、どこにいっても、いい女と見られる…

 おそらく、それが、リンダ本人にとっては、とてつもないプレッシャーなんだろう…

 リンダ・ヘイワースで、いるときは、パーティーでは、真っ赤なロングドレスだったり、真逆に、それ以外では、胸がこぼれそうな服を着て、パンツの見えそうな短いスカートを履いている…

 言葉は悪いが、目いっぱい女を売りにしている…

 わざと、女を売りにする格好をしている…

 それが、嫌なのだろう…

 それが、苦痛なのだろう…
 
 だから、普段は、リンダではなく、ヤンとして、過ごす…

 男の格好をして、男として、過ごす…

 女ではなく、男として、過ごす…

 そうすれば、誰も、リンダ・ヘイワースが、身近にいても、気付かないからだ…

 実にいいアイデアだ…
 
 私が、そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…開けてくれる?…」

 と、インターホン越しに、リンダ、いや、ヤンが、言ってきた…

 私が、葉尊といっしょに住む、このマンションは、来訪者が、インターホンで、訪れるときは、部屋から、ボタンで、マンションのエントランスを開けることができる…

 だから、私は、

 「…わかった…」

 と、言って、ボタンを押した…

 すると、ドアが開き、マンションの中に、ヤンが入るのが、わかった…

 それを確認すると、私は、慌てて、玄関に向かった…

 もう少しすれば、ヤンがやって来るからだ…

 事実、5分もしないで、ヤンが、私の部屋のチャイムを押した…

 だから、私は、急いで、ドアを開けた…

 そして、ヤンの姿を見ると、

 「…リンダ…オマエ、その恰好は?…」

 と、聞いた…

 が、

 返ってきた答えは、

 「…お姉さん…この格好でいるときは、ヤンと呼んでもらいたいな…」

 だった…

 思えば、このリンダと、初めて、会ったときも、ヤンとしてだった…

 葉尊の友人ということで、会ったのだ…

 それが、実は、ハリウッドのセックス・シンボル…リンダ・ヘイワースとは、思いもよらなかった…

 しかも、

 しかも、だ…

 私は、そのときに、リンダと対戦する予定だった…

 が、

 私は、そのときは、まだ、ヤンがリンダであることは、気付かず、

 …どうすれば、リンダに勝てるか?…

 と、ヤンに相談していた…

 我ながら、呆れるほどの失態だった…

 今、思い出しても、顔が、羞恥で、赤くなる…

 この矢田トモコの35年の人生を振り返っても、一番か、二番かの失敗だった…

 が、

 その勝負の後、私とリンダ=ヤンは、仲良くなった…

 無二の親友になった…

 リンダが、私を認めたのだ…

 そして、

 私も、リンダを認めた…

 あのバニラとは、大違い…

 あの糞生意気なバニラとは、大違いだった…

 「…オマエ…その恰好は?…」

 私は、これまでのリンダ・ヘイワースと、私との奇妙な縁を心に感じながら、リンダ…いや、ヤンに聞いた…

 すると、目の前のヤンが、恥ずかしそうに、

 「…この格好って…普段は、私は、この格好でいるときが、多いでしょ? …お姉さん…忘れたの?…」

 と、答えた…

 そう言われると、私は、

 「…」

 と、返答に詰まった…

 まさに、その通りだった…

 「…それとも、お姉さん…私が、どこかに、逃げ出すとでも、思った?…」

 私をからかうように、聞いた…

 が、

 一見、からかうような、言い方だったが、その表情は、真剣だった…

 明らかに、真剣だった…

 だから、私は、またも、

 「…」

 と、答えに、窮した…

 どう、答えて、いいか、わからなかった…

 すると、リンダ…いや、ヤンが、

 「…逃げ出すと、思った?…」

 と、繰り返した…

 私は、とっさに、

 「…オマエは、そんなヤツじゃないさ…」

 と、答えた…

 「…そんなヤツじゃないって?…」

 「…オマエは、葉敬に恩義がある…だから、葉敬を裏切れないさ…」

 私は、断言した…

 が、

 本当は、適当に、言っただけだった…

 このリンダ…いや、ヤンは、以前、葉敬に世話になった…

 それを、思い出したのだ…

 だから、私は、それを言っただけだったが、目の前のヤンは、明らかに、ショックを受けたようだった…

 「…そう…そうよね…」

 と、言いながら、一人納得していた…

 「…やはり、お姉さんも、そう思うんだ…」

 ヤンが、寂しそうに、呟く…

 だから、私は、ヤンを、元気づけるべく、

 「…ヤン…いや、リンダ…オマエは、他人様から、受けた恩義を忘れる人間なんかじゃないさ…」

 と、言った…

 リンダの美点を、上げたのだ…

 「…オマエは、美人で、性格もいい…いいところだらけさ…あのバニラとは、似ても似つかんさ…」

 「…バニラ?…」

 私の言葉に、ヤンが、呆気に取られた…

 「…そうさ…あのバニラも、オマエ同様美人だが、性格が、悪い…それに、比べ、オマエは、性格もいい…」

 私が、言うと、

 「…お姉さん…バニラと仲がいいものね…」

 と、今度は、私が、絶句する言葉を吐いた…

 「…仲がいい? …私が、あのバニラと?…」

 ありえん…

 ありえん、言葉だった…

 よりによって、私が、あのバニラと?

 ふざけてもらっては、困る…

 「…ふざけて、もらっては、困るさ…私は、バニラとなんか…全然仲良くなんて、ないさ…」

 私が、怒って言うと、なぜか、目の前のヤンが、笑った…

 笑ったのだ…

 「…なんだ…オマエ、その笑いは?…」

 「…ケンカするほど、仲がいいって、言葉もあるものね…」

 「…なんだと?…」

 「…お姉さんのキャラよね…」

 と、目の前のヤンが笑う…

 「…バニラも、少し前までは、あんなキャラじゃなかった…いつも、ツンとして、突っ張っている印象だった…元々、日本でいえば、ヤンキー上がり…学もなく、あるのは、あの美貌だけ…だから、顔だけの女とか、さんざ、周囲から陰口を叩かれた…だから、余計に突っ張るというか…ある種、殻に閉じこもった印象だった…」

 「…」

 「…でも、お姉さんに会って、変わった…ビックリするほど、変わった…」

 「…どう、変わったんだ?…」

 「…明るくなった…」

 「…明るくだと?…」

 「…なにか、毎日が、楽しいような…それが、バニラの日常に現れた…そして、周囲の人間は、皆、その変化に気付いた…あの葉敬も…」

 「…お父さんもだと?…」

 「…だから、葉敬も、お姉さんに、感謝している…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 なんだか、わからんが、皆、私を過大評価しているようだ…

 私は、平凡な女…

 絵に描いたような、平凡な女だ…

 にもかかわらず、まるで、私が、特別な才能があるように、持ち上げる…

 そんなことがあるはずがない…

 バカバカしい(笑)…

 そんな特別な才能があれば、今、私は、東大を出て、財務省で、キャリア官僚になり、将来の事務次官と、言われ、将来を嘱望されているだろう…

 が、

 現実は、就職氷河期に、もろにぶち当たり、
就活は、全滅…

 仕方なく、バイト生活というか、フリーター生活に突入して、今日まで、生きてきた…

 葉尊と結婚しなければ、今も、どこかで、バイトをしていたはずだ…

 そんな私に、特別な才能なんて、あるはずが、なかった…

 実に、バカバカしいことだ…

 「…でも、お姉さんの言う通りかも…」

 ヤンが、突然、言った…

 「…なにが、だ?…」

 「…私が、葉敬から、受けた恩…要するに、学生時代に金銭的に援助を受けて…」

 ヤンが、しんみりと、言う…

 それから、一転、笑って、

 「…こんなことなら、葉敬と関係を結んで、援助交際でも、すれば、よかった…」

 「…なんだと?…」

 「…だって、そうすれば、葉敬に恩を受けたとは、思えなくなる…男女の関係になれば、お金をもらう代わりに、カラダを提供したことになる…」

 「…それは、無理さ…」

 「…どうして、無理なの?…」

 「…オマエのキャラさ…オマエは、基本的に真面目だ…だから、売春も援助交際もできないさ…」

 私が断言すると、

 「…」

 と、ヤンが黙った…

 反論できなかった…

 「…オマエは根が真面目なのさ…だから、今もこうして、ここにいる…根が真面目でなければ、とっくに逃げだしているさ…」

 「…たしかに…」

 ヤンが、同意した…

 「…でもね…お姉さん…」

 「…なんだ?…」

 「…それを言えば、バニラも真面目よ…」

 「…あのバニラが、か?…」

 「…そうよ…だって、真面目でなければ、とっくにモデルの仕事から逃げ出している…


 「…逃げ出す?…」

 「…どんな仕事も最初から、華やかなスポットライトを浴びることは、不可能…できない…稀に、二世とか三世で、親や、祖父母が有名人ならば、最初から、スポットライトを浴びることもできるけれども、それも一瞬…」

 「…」

 「…あとは、努力と運…」

 「…努力と運だと?…」

 「…いくら、努力しても、運がなければ、ダメ…成功しない…そんなこと、お姉さんだって、わかっているはず…」

 たしかに、それは、わかる…

 私は、まったくもって、平凡な女だが、テレビに出る芸能人を見ても、どうして、成功したのか? と、首を傾げたくなる人間はいる…

 だから、答えは、

 …ただ、運がいい…

 だけなのだろう…

 だが、普通は、そんな運は、誰も持たない…

 それは、例えれば、一億円の宝くじに当たるようなものだからだ…

 だが、意地悪な見方をすれな、その運がどこまで、続くかだ…

 その運が一生、続けば、それに越したことはないからだ…

 それで、一生、生きて行けるからだ…

 私は、そんなことを、考えた…

                 
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