第82話

文字数 5,708文字

 …お義父さんが、スーパージャパンを買収?…

 …矢口のお嬢様の会社を買収?…

 考えもせんかった…

 予想もせんかった…

 まさに、想定外…

 想定外の事態だった…

 だから、どう言っていいか、わからんかった…

 あまりにも、想定外の出来事に、どう返答していいか、わからんかった…

 私は、ただ、

 「…」

 と、黙ったままだった…

 すると、葉尊が、言いづらそうに、

 「…実は、これは、ボクも最近知ったばかりです…」

 と、言い訳した…

 「…最近知ったばかりだと?…」

 「…ハイ…」

 「…」

 「…当たり前ですが、ボクと父は、いっしょに同居もしていなければ、職場も別です…だから、基本、交流はありません…」

 葉尊の言う通りだ…

 葉尊の父、葉敬は、台湾の大企業、台北筆頭のオーナー経営者…

 基本、台湾にいる…

 片や、息子の葉尊は、私と、この日本で、同居している…

 だから、基本、交流はない…

 だから、今、葉尊が言ったように、父の葉敬が、あの矢口のお嬢様の会社を買収しようとしても、知らなかったと、しても、おかしくはない…

 だが、だ…

 どうして、スーパーなんだ?

 それが、謎だった…

 葉尊の父の葉敬は、台湾の台北筆頭のオーナー経営者…

 経営するのは、メーカーだ…

 だから、経営危機に陥った、日本の総合電機メーカー、クールを買収して、その社長に、息子の葉尊を送り込んだ…

 そして、私は、その葉尊の妻だ…

 だから、

 「…どうして、スーパーなんだ?…」

 私は、直球に、葉尊に聞いた…

 「…お義父さんが、経営する、台北筆頭は、オマエが、社長を務めるクールと同じで、メーカーだろう? …それが、どうして、スーパーを買収しようとするんだ?…」

 文字通り、謎だった…

 畑違い過ぎる…

 私は、経営者でも、なんでもない…

 素人だ…

 が、

 そんな素人の私にすら、そんなことが、できるのか、謎だった…

 これは、例えば、トヨタが、イトーヨーカドーを、買収すると、言っているようなものだ…

 誰もが、初めて、聞けば、目が点になる…

 「…エッ?…」

 と、絶句する…

 それから、そんなことができるのか、心配になる…

 自動車を作る会社が、スーパーを買収して、経営できるのか、心配になる…

 「…それは、ボクに聞いても…」

 葉尊が、言い淀んだ…

 その姿を見て、

 「…そうだな…」

 と、相槌を打つしか、なかった…

 いかに、父子といえども、父が、なにを考えているか? 息子でも、わかるはずがないからだ…

 だから、

 「…すまんかった…」

 と、葉尊に、詫びた…

 すると、

 「…でも、父が…葉敬が、スーパーを買収すると、聞いたときに、最初は、驚きましたが、わからないわけじゃないと、思い直しました…」

 と、付け足した…

 「…どういうことだ?…」

 「…父は、スーパーが、好きなんです…」

 「…スーパーが好き?…」

 「…ハイ…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…単純に、買い物が好きなんです…主婦じゃ、ありませんが、どこの店に、どんな商品が、置いてあるかとか…Aという店よりも、Bという店の方が安いとか…それが、父の趣味というか…」

 「…お義父さんの趣味?…」

 「…ハイ…父は、ゴルフはしませんし、経済人にありがちな、会社の経営が、趣味といえる男です…ですが、そんな中でも、スーパー巡りというと、聞こえは悪いですが…とにかく、好きなんです…色んなスーパーを、見て回るのが、好きなんです…」

 なんと?

 台湾の大企業の社長の趣味が、スーパー巡りとは?

 思いもせんかった…

 まさに、想定外…

 考えもつかんかった…

 「…だから…」

 と、葉尊は、続けた…

 「…ボクも最初に聞いたときは、腰を抜かさんばかりに驚きましたが、よく考えると、納得できる部分はありました…ただ…」

 「…ただ…なんだ?…」

 「…この話…本当か、どうかは、眉唾物です…」

 「…なんだと?…」

 これには、驚いた…

 最初から、自分の父親の葉敬が、あのお嬢様の会社である、スーパージャパンを買収するのでは? と言っていて、実は、この話、眉唾物とは?

 一体どういうことだ?

 さっぱり、話がわからん…

 さっぱり、話が見えん…

 「…どうして、眉唾物なんだ?…」

 「…考えて見て下さい…」

 「…なにを、考えるんだ?…」

 「…台北筆頭のオーナー社長が、日本のスーパーを買収する…畑違い過ぎます…」

 「…それは、そうだが…だが、葉尊…オマエは、お義父さんの趣味が、スーパー巡りだと、今、言ったばかりじゃないか?…」

 「…そこです…お姉さん?…」

 「…なにが、そこなんだ?…」

 「…父の趣味が、スーパー巡りだと知った人間が、わざと、この噂を流したか? あるいは…」

 「…あるいは、なんだ?…」

 「…父に、わざとスーパーの買収を持ちかけて、その気にさせようとしたか?…」

 「…なんだと?…」

 「…ボクも、この話を最初に聞いたときは、一笑に付したんですが、今、お姉さんに話を聞いて、そうでないことを、知りました…」

 「…」

 「…なにより、買収されると、知った矢口さんが、焦っていると、聞いて、驚愕しました…」

 「…」

 「…それで、これは、もしかしたら、本当かもしれないと、思い直しました…」

 葉尊が、真剣な表情で、語る…

 私は、それを見て、当たり前だが、葉尊の言葉を信じた…

 夫の言葉を信じた…

 「…で、どうする?…」

 私は、聞いた…

 「…どうするって、どういう意味ですか?…」

 「…お義父さんが、矢口のお嬢様の会社を買収する話さ…オマエは、どう対応するんだ?…」

 「…別に、なにも…」

 「…なんだと?…」

 「…考えて見て下さい…お姉さん…」

 「…なにを、考えるんだ?…」

 「…父が、矢口さんの会社を、買収するとしても、それは、ビジネスです…そして、父のビジネスに、ボクは、口を挟めません…」

 「…」

 「…ボクが、この若さで、クールの社長をしているのも、父のおかげです…29歳で、日本の大企業の社長に、普通は、できるはずがありません…なれるはずが、ありません…」

 「…」

 「…だから、ボクが、父になにか、意見を言うことはできません…」

 言われてみれば、その通り…

 まさに、その通りだった…

 「…お姉さんの気持ちはわかります…」

 「…私の気持ち?…」

 「…友人の矢口さんが、困ると、思っているんでしょ?…」

 「…別に、あのお嬢様は、私の友人では…」

 と、言いかけて、止めた…

 あのお嬢様は、友人というほど、親しくはない…

 しいて言えば、顔見知りというか…

 ただ、昔、知り会って、利用されただけだ(苦笑)…

 そして、それは、今回も同じ…

 同じだ…

 またも、利用された…

 が、

 別に、命を取られたわけでも、お金を取られたわけでも、なんでもない…

 ただ、利用されただけ…

 お嬢様と、私が、見た目が、そっくりだから、利用されただけだ…

 それと、利用されたにも、かかわらず、不思議と、私は、あのお嬢様に、恨みは、なかった…

 それは、なぜかと、言えば、あのお嬢様に、性格の悪さを感じないからだろうと、思った…

 誰もが、そうだが、性格の悪い人間は、嫌いだ…

 性格の悪い人間を好きなのは、同じように、性格の悪い連中ばかり…

 これは、学校や会社に限らず、集団を見れば、わかる…

 人が集まれば、わかる…

 同じような性格の人間が、固まるものだ…

 見るからに真面目な人間は、同じように、真面目な連中といっしょにいる…

 真逆に、ヤンキーは、ヤンキーとつるむ…

 その方が、楽しいからだ…

 気が合うからだ…

 だから、ある人間が、どういう人間か、知りたければ、その人間が、誰と仲がいいかを、見れば、簡単にわかる…

 そういうことだ…

 そんなことを、考えていると、

 「…お姉さんは、優しいんですね…」

 と、葉尊が、言った…

 「…優しい? …私が?…」

 「…そうです…矢口さんが、心配で、堪らないのでしょ?…」

 「…いや…そこまでは…」

 「…そこまではないと、お姉さんは、言いたいのでしょうが、ボクは、そうは、思いません…」

 「…どうして、そう思わないんだ?…」

 「…だって、考えて見てください…なにも、思わなければ、そもそも、矢口さんのことを、ボクに聞きませんよ…」

 「…」

 「…お姉さんは、根が善人なんです…」

 「…根が善人? …私が?…」

 「…そうです…だから、父も…葉敬も、ボクとお姉さんが、結婚することに、反対しなかった…」

 「…」

 「…父は、当然ながら、ひとを見る目があります…お姉さんが、善人でないならば、父は、お姉さんとの結婚を認めなかったと、思います…」

 私は、唖然とした…

 正直、どう答えていいか、わからなかった…

 私が、善人か、どうかは、わからない…

 少なくとも、自分では、性格が悪くは、ないと、思う…

 が、

 それを言えば、極端な話、死刑囚といえども、自分は、性格が悪くないと、言い張るんじゃないかと、思う…

 いや、

 言い張るのではなく、本気で、自分が、性格が、悪くないと、信じている可能性が、高い(爆笑)…

 そもそも、死刑囚は、おおげさ過ぎるが、身近な自分の周りの人間で、誰が、見ても、性格が悪い人間が、いたとする…

 その人間に、

 「…アンタ…性格が、悪いね…」

 とでも、言えば、大抵は、ムキになって、否定するだろう…

 稀に、

 「…そうさ…自分は、性格が、良くないから…」

 と、言っても、ふざけているか、冗談で、言っているかの、どっちかで、本当に、心の底から、自分が、性格が、悪いと、思っている人間は、まずはいないものだ…

 そんなことを、考えながら、

 「…たしかに、私は、性格が、悪いとは、思わんが、善人とまでは…」

 と、言った…

 つい、口にした…

 誰もが、そうだろう…

 誰もが、同じ、ことを、口にするだろう…

 この世に、聖人君子は、存在しない…

 善人かと、聞かれて、善人だと、心の底から、言える人間は、存在しない…

 大抵は、真っ白では、なく、多少は、汚れている(笑)…

 普通に、陰で、ひとの悪口を言い、ちょっとばかり、ウソをつく…

 誰もが、そういうものだ(笑)…

 誰もが、多少は、それがある…

 ハッキリ言えば、程度の問題だ…

 それが、ひどければ、

 「…アイツは、性格が悪い…」

 と、陰口を叩かれる…

 そういうことだ(笑)…

 「…お姉さんは、自分の良さが、わからないんです…」

 葉尊が、続けた…

 「…私の良さ?…」

 「…そうです…おそらく、父も、ボクとお姉さんが、結婚したときは、内心、不安だったと思います…」

 「…不安だった?…」

 「…ハイ…ボクとお姉さんが、うまくいくか、どうか、不安だったと、思います…」

 「…うまくいくか、どうかだと?…」

 「…ボクとお姉さんの結婚は、まさに、偶然…偶然の出会いからです…だから、いっしょにいる時間が、少なかった…その二人が、いっしょに暮して、うまくいくか、どうか、不安だったはずです…」

 「…」

 「…でも、それは、杞憂(きゆう)でした…」

 「…杞憂(きゆう)だと?…」

 「…実は、今だから告白しますが、お姉さんと、いっしょに暮したのは、父のゴーサインが、出たからです…」

 「…お義父さんのゴーサイン?…」

 「…ハイ…お姉さんと結婚は、したものの、最初は、別居婚…いっしょに、住みませんでした…ですが、お姉さんが、リンダやバニラと仲良くすることで、父は、お姉さんを、受け入れたんです…」

 「…私が、リンダやバニラと仲良くすることで、私を受け入れただと?…」

 「…リンダもバニラも、超一流の芸能人…当然、プライドも高い…だから、周囲は、彼女たちの扱いに、困るときもあります…」

 「…プライドが、高い? たしかに、そうかもしれんが、私には、普通だったゾ…」

 「…それは、お姉さんだからです…」

 「…私だから?…」

 「…そうです…もちろん、父やボクは、今のように有名になる前のリンダやバニラを知ってますから、二人とも、父やボクの前では、威張ることはありません…横柄な態度も、取りません…ですが、それ以外の人間には、違います…」

 「…どう違うんだ?…」

 「…やはり、ついわがままになってしまうんです…例えば、なにか、飲み物を飲みたいとします…すると、自分のいる場所から、歩いて、十メートルでも、二十メートルでも、近くに、自動販売機があって、そこに、自分が、歩いて、行って、買えば、いいだけなのに、周囲の人間に頼む…まるで、自分が、行けば、スターでないような気分になってしまうんでしょ?…」

 …そんな!…

 …そんなバカな!…

 私は、驚いた…

 まさか…

 まさか、リンダやバニラがそんなわがままとは…

 全然、知らんかった…

 が、

 そう言われれば、私にも、わかる…

 夫の葉尊の言うことが、わかる…

 リンダも、バニラも有名人…

 当たり前だが、プライドが高い…

 だから、扱いに困るのは、わかる…

 態度が、横柄になってしまうから、扱いに困るのは、わかるのだ…

 「…ですが、そんな二人も、お姉さんの前では、違います…まるで、昔からの知り合いのように接します…それも、短期間で…そんなことのできる人間は、滅多にいません…だから、それを見て、父は、ボクが、お姉さんと住むことを、許可したんです…」

 「…な、なんだと?…」

 唖然として、言葉が続かんかった…

 まさか、私が、夫の葉尊と住むことも、お義父さんの許可を得ていたとは…

 いや、

 お義父さんの許可が、必要なのは、わかる…

 考えてみれば、当たり前のことだ…

 が、

 それより、なにより、お義父さんが、私とリンダやバニラの関係を見て、同居をOKしたことが、驚いたのだ…

 私は、ただリンダやバニラと接しただけ…

 だが、その対応を見て、お義父さんが、私を認めたのが、驚いたのだ…

 「…お姉さんの才能です…誰にもできることじゃありません…」

 葉尊が、言った…

 「…そして、もしかしたら…その才能を生かすことが、できるならば、矢口さんを救うことができるかも…」

 葉尊が、仰天する言葉を、続けた…

               
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