第50話

文字数 6,296文字

 …この矢田が最前線…

 いわば、戦争でいえば、もっとも、敵に近い位置にいる…

 正直、これは、困った…

 なぜなら、私は、臆病者だからだ…

 気が小さい…

 もめ事が、大嫌いだった…

 近くで、誰かと誰かが、争うだけで、嫌だった…

 私は、平和主義…

 どんなときも、平和が大切だ…

 だから、ひとと争うことが、大嫌いだった…

 私は、それを性分として、35年生きてきた…

 が、

 なぜか、いつも争いに巻き込まれた(爆笑)…

 なぜか、わからんが、そうだった…

 これは、神様が、私に与えた試練だろうか?

 いや、

 そんなはずはない…

 なぜなら、私は、誰にも、なにもしていないからだ…

 だとしたら、これは、一体どういうことだ?

 しばし、考えた…

 その結果、神様が、きっと、この私にイジワルをしているに違いないと気付いた…

 この矢田にイジワルをしていることに、気付いた…

 遅まきながら、気付いた…

 …おのれ、神様!…

 私は、生まれて、初めて、神様を呪った…

 呪ったのだ…

 そう考えれば、我ながら、思いあたるフシがあった…

 この矢田の周りに、あのリンダとバニラを置いていることだ…

 すでに、何度も言うことだが、この矢田は、決して、ブスではない…

 美人ではないが、ブスではない…

 平凡…

 実に、平凡な女だ…

 ただ、身長が、159㎝と、あまり背が高くないこと…

 足のサイズが、26㎝と、少しばかり、身長に対して、足のサイズが大きいこと…

 そして、六頭身で、幼児体型にも、かかわらず、巨乳であること…

 つまり、小さな欠点を上げれば、きりがないが、私は、平凡…

 実に、平凡な女だった…

 が、

 その平凡な矢田トモコの近くに、あのリンダとバニラを置かれては、たまらん…

 正直、たまらんのだ…

 あんな美女二人を置かれては、たまらん…

 私の存在が、一気にかすむ…

 この矢田の存在が、一気にかすむのだ…

 もはや、これは、イジメだ…

 神様が、この矢田をイジメているのだ…

 私は、今さらながら、その事実に気付いた…

 気付いたのだ!…

 これは、もはや、神様が、この矢田に宣戦布告したに等しい…

 これは、もはや、イジメのレベルではない…

 世界中に知られた、美女二人を、この矢田の身近に置くとは、とんでもないことだ…

 もはや、戦争をしても、いいレベルかもしれん…

 私が、そんなことを、思っていると、

 「…お姉さん…どうしたの? …なにをブツブツ一人で、言っているの?…」

 と、傍らのヤンが言った…

 リンダ=ヤンが言ったのだ…

 そう言えば、今日は、ヤンが遊びに来ていたのだ…

 私は、ヤンを見た…

 今日は、リンダはヤン=男の格好をしている…

 私は、リンダ=ヤンを見ながら、まさか、オマエのことさ、とは、言えないので、黙っていた…

 それを見て、ヤンが、笑った…

 笑ったのだ…

 だから、私は、

 「…なんだ? …オマエ、その笑いは?…」

 と、言った…

 すると、ヤンが、

 「…だって、お姉さん…自分に都合が悪くなると、すぐに黙るんだから…」

 と、言った…

 そう言われると、私は、言葉がなかった…

 まったくもって、その通りだったからだ…

 私が、なにか、言おうと、すると、ヤンが、

 「…聞いたわよ…お姉さん…」

 と、続けた…

 「…聞いた…なにを?…」

 「…マリアのこと…さすが、お姉さんね…」

 「…どういうことだ?…」

 「…だって、お姉さん…バニラと、普段は、あんなに仲が悪いのに、その娘のマリアのために、わざわざ、出かけてゆくなんて、なかなかできることじゃないわ…」

 「…そんなことはないさ…」

 私は、言った…

 「…お姉さん…どうして、そんなことは、ないの?…」

 「…私は、マリアが好きさ…だから、バニラは、関係ないさ…」

 私が、言うと、ヤンが、黙った…

 それから、少し、考え込んでから、

 「…でも、普通は、それはない…」

 と、続けた…

 「…どうしてだ?…」

 「…親が嫌いなら、その娘が、いくらお姉さんを好きでも、その娘を助けない…」

 「…」

 「…お姉さんだから、すること…お姉さんだから、できること…」

 ヤンが、真顔で、言った…

 「…それが、わかっているから、バニラも、本音では、お姉さんに感謝している…」

 「…感謝? …あのバニラが?…」

 「…そう…だから、いつも、お姉さんと口げんかしても、決して、お姉さんに手を出さないでしょ? …バニラが本気になれば、バニラは、180㎝も身長があるから、小柄なお姉さんは、すぐに、やられちゃう…」

 ヤンが、言った…

 私は、そういうものかと、思った…

 たしかに、バニラと殴り合って、この矢田トモコが、勝てるわけがない…

 なにしろ、バニラは、身長が、180㎝…

 片や、この矢田トモコは、身長が、159㎝…

 勝てるわけがない…

 当たり前だった…

 「…そんなことより、お姉さん?…」

 「…なんだ?…」

 「…お姉さん、ファラドと会ったんだって?…」

 「…会ったさ…葉尊に聞いたのか?…」

 「…ええ…」

 「…そうか…」

 「…それで、どうだったの?…」

 「…どうだったというと?…」

 「…どんな男だったってこと?…」

 「…どんな男と言われても…一言でいえば、生意気な男さ…」

 「…生意気な男?…」

 「…そうさ…初対面の私に対して、面白いとぬかすんだ…失礼だろ?…」

 私の言葉に、ヤンは、

 「…」

 と、黙り込んだ…

 それから、

 「…もしかしたら、お姉さんを試したのかも?…」

 と、ポツリと、呟いた…

 「…試す? …私を?…」

 「…そう…わざと、お姉さんを怒らすことを言って、お姉さんが、どういう態度を見せるか、試したのかも?…そのファラドという男…噂にたがわず、やり手ね…」

 …そんな…

 …私をわざと怒らせたなんて…

 …ありえん…

 …ありえんことだ…

 「…ヤン…どうして、そう思うんだ?…」

 「…昔から、よくやるやり方だからよ…わざと、相手の気になることを言う…そして、その相手が、どういう反応をするか、確かめる…」

 「…」

 「…そのファラドは、それを実践しただけだと思う…」

 「…」

 「…そして、お姉さんは、激怒した…ファラドは、きっと、お姉さんを単純な人間だと思ったに違いない…」

 「…単純?…」

 「…そう…だって、自分の悪口を言われれば、怒るのが、自然でしょ? …」

 「…それは、そうだが…だったら、私は、どうすれば、良かったんだ?…」

 「…相手の策略に乗らないこと…ファラドの策略に乗らないこと…つまり、わざと、笑っているとか、無視すれば、良かった…」

 「…そんなことは、できんさ…」

 私は、怒鳴った…

 「…オマエの言うことは、わかるが、そんなことは、できんさ…」

 私が言うと、ヤンが、笑った…

 「…たしかに、お姉さんには、無理ね…」

 「…」

 「…でも、逆に言えば、ファラドの信頼を勝ち取ったかもしれない…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…だって、わざと相手を怒らすような真似をしたのに、相手が、怒らなければ、かえって、不気味でしょ?…」

 「…」

 「…だから、かえって、良かったのかも…」

 ヤンが、考え込みながら、言った…

 たしかに、ヤンの言うことは、わかる…

 あんなときに、なにも言わないと、かえって、不気味かもしれない…

 ファラドにしてみれば、そのときは、相手が、ヘラヘラ笑っていても、後でなにかされたら、かえって、困る…

 そういうことだ…

 が、

 私は、目の前のヤンの表情の方が気になった…

 なにしろ、難しい顔をしている…

 「…どうした、ヤン…そんな難しい顔をして…」

 が、

 ヤンは、すぐには、答えなかった…

 私の話を聞いていないようだった…

 だから、もう一度、

 「…どうした? …ヤン…リンダ…」

 と、大きな声で言った…

 「…スイマセン…考え事をしていて…」

 「…考え事だと?…」

 「…ハイ…」

 「…なにを考えていたんだ?…」

 「…ファラドのことです…」

 「…ファラドのこと?…」

 それで、気付いた…

 今日、ヤン=リンダが、この私に会いに来た理由を、だ…

 当初、リンダは、このファラドが、リンダを狙っていると、言って、怯えていた…

 ファラドは、サウジの王族…

 そして、圧倒的な権力者であり、大金持ちでもある…

 だから、リンダは、恐れた…

 ファラドの持つ、圧倒的な権力で、自分が、ファラドに、サウジに強引に連れて行かれでも、したら、困るからだ…

 が、

 その後、リンダ=ヤンは、自分のファンクラブの独自のネットワークを通じて、ファラドが、リンダ・ヘイワースのファンであるというのは、たぶん、フェイク=ウソであると突き止めた…

 なぜなら、セレブには、セレブのネットワークがある…

 ネットワーク=人脈がある…

 そのネットワークを駆使して、ファラドを探ってみても、ファラドが、リンダのファンであるという噂を掴めなかったからだ…

 が、

 やはりというか…

 この私が、ファラドと会ったと言ったから、どんな人物か、気になったに違いない…

 だから、今日、私に会いに来た…

 そういうことだ…

 それより、なにより、ファラドは、すでに来日している…

 公式上は、来日は、まだだが、実際は、来日している…

 そして、来日すれば、クールの主催する、ファラドの歓迎パーティーがある…

 その歓迎パーティーのゲストは、リンダ…リンダ・ヘイワースだ…

 ファラドが、リンダの大ファンを公言している以上、それが、ウソかホントかは、置いておいて、リンダが、接待するしかないからだ…

 そして、リンダは、それが、不安なのだろう…

 私は、思った…

 まさかとは、思うが、ファラドが、実際にリンダ・ヘイワースを目の前にして、気持ちが変わる可能性があるからだ…

 リンダは、当たり前だが、絶世の美女…

 深紅のドレスを着たリンダ・ヘイワースは、まるで、女神のように、気高く美しい…

 だから、そんなリンダを目の当たりにすれば、ファラドは、リンダをサウジに、お持ち帰りしたいと思うようになっても、おかしくはないからだ…

 それが、リンダが、不安なのだろう…

 私は、思った…

 だから、

 「…リンダ…」

 と、聞いた…

 すると、リンダが、恥ずかしそうに、

 「…やだな…お姉さん…この格好をしているときは…男の格好をしているときは、ヤンと呼んでくれって、いつも、言っているのに…」

 と、答えた…

 私は、それは、わかっているが、わざと、リンダと、呼んだのだ…

 だから、

 「…それは、わかっているさ…」

 と、言った…

 「…わかっている? …だったら、どうして?…」

 「…ヤンではなく、リンダとして、どうなのか、聞いたのさ…」

 「…なにが、どうなの?…」

 「…リンダ…オマエ、怖いのか?…」

 「…怖い?…」

 「…そうさ…ファラドと会って、強引に、サウジに連れて行かれるのが、怖いのか?…」

 私は、ストレートに言った…

 リンダ=ヤンの顔色が、変わった…

 明らかに、変わった…

 「…それは、怖い…怖くないといったら、ウソになる…」

 ポツリ、ポツリと、ゆっくりと、考えながら、言った…

 「…でも、たぶん、それはない…」

 「…なにが、ないんだ?…」

 「…私を、リンダ・ヘイワースをサウジに、強引に、連れてゆくこと…」

 「…どうして、そう言い切れる? …」

 「…ファラドは、サウジの実力者である一方、有名人でもある…そして、敵も多い…」

 「…なにが、言いたい?…」

 「…仮に、リンダ・ヘイワースを、強引に、サウジに連れて行けば、ファラドを失脚させる、格好の口実になる…私の…リンダ・ヘイワースのファンには、セレブが、多い…自分で言うのも、なんだけど、そのセレブのファンが、声を上げて、世界中で、騒ぎ出せば、それを元に、ファラドの政敵が、これ幸いと、ファラドを失脚させるでしょう…ファラドのサウジでの地位は、盤石ではない…今、お姉さんが言ったように、日本に逃げているのが、その証拠…」

 リンダ=ヤンが、一言、一言、噛み締めるように、言った…

 ゆっくりと言った…

 私は、それを見て、やはり、リンダは、怖いんだと、思った…

 リンダの言うことは、理路整然として、説得力がある…

 たしかに、ハリウッドのセックス・シンボルである、リンダ・ヘイワースを強引に、サウジに連れてゆけば、世界中から、非難されるだろう…

 しかしながら、蛙の面に小便というか…

 いくら、周囲が騒ぎ立てても、なんの効果もない場合もある…

 リンダの言うことは、正論だが、その正論が、通じないこともある…

 そして、リンダは、それが、よくわかっているのだろう…

 自分の言っていることは、正しく、間違ってないと思っても、世の中、その通りにならないことも、多い…

 だから、不安なのだ…

 世界に知られた、リンダ・ヘイワースをサウジに強引に、連れて行くとする…

 そうすれば、最初は、このリンダの言う通り、世界中で、抗議活動が、起きるかもしれない…

 が、

 いくら、そんな抗議活動を世界中で、行っても、平気の平左というか…

 まったく、気にしない人間もいる…

 だから、怖いのだ…

 普通に、考えれば、リンダの言う通り、ファラドのサウジでの地位は、盤石ではない…

 だから、ファラドのいう、

 「…オスマン殿下の庇護を得て…」

 と、いう言葉になる…

 3歳の幼児とは、いえ、自分より、地位の高い人間の近くにいることで、自分の身を守っているのだ…

 が、

 それは、今現在の話…

 極端な話、明日は、どうなるか、わからない…

 オセロゲームでは、ないが、白が、黒に…
そして、黒が、白に、一夜にして、変わっても、おかしくはない…

 一夜にして、勢力が、変わっても、おかしくは、ない…

 ファラドの地位が、盤石になっても、おかしくは、ないのだ…

 それを、このリンダは、恐れているのだろう…

 私は、思った…

 思いながら、美人に生まれるのも、大変だと、思った…

 つくづく、考えた…

 リンダほどの美人でもないが、同じように、美人の女を、この矢田も知っている…

 そして、美人の女は、当たり前だが、男に狙われやすいという事実だ…

 以前、この矢田も参加した男女の合コンがあり、その中で、一番の美人が、その合コンに参加した男から、合コン終了後、

 「…送って行きますよ…」

 と、クルマで、誘われたそうだ…

 すると、その美人は、

 「…アナタに送ってもらう必要はありません…」

 と、ピシャリとはねつけたそうだ…

 私は、それを聞いたときに、あんなに、強く言わなくてもと、思ったが、その合コンに参加した別の女の友人が、

 「…アレは、美人だから、強く言わないと、相手が変な下心を持っちゃ困るから…」

 と、言った…

 説明した…

 私は、それを聞いて、美人も大変だなと、思ったし、つくづく自分は、美人に生まれないで、よかったとも思った…

 いちいち、どこに行っても、男に口説かれていたんじゃ、たまらないからだ…

 現に、同じような悩みを持つ、目の前のリンダは、普段は、ヤンという名前の男となり、男装することで、その悩みを解決した…

 つまり、美人を隠すことにしたのだ…

 が、

 美人を隠し通すことは、できないし、なにより、リンダは、美人をウリにして、仕事をしている…

 女優という仕事をしている…

 つまり、美人というメリットとデメリットを享受しているということだ…

 だから、それがわかっていても、今回のファラドの行動は、リンダを驚愕させるものだったのだろう…

 不安にさせるものだったのだろう…

 私は、あらためて、思った…

               
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