第25話

文字数 6,094文字

 リンダ=ヤンが怒っていた…

 その青い目が、怒りに、満ちていた…

 リンダは、今、男装して、ヤンの格好をしている…

 しかしながら、美しかった…

 一瞬、見ただけでは、わざと、ぼさぼさの髪をして、ヨレヨレの服を着て、美しさとは、無縁の格好だが、本当は、絶世の美女…

 美しくないわけは、なかった…

 リンダは、普段は、ヤンの格好をしている…

 男装している…

 それは、リンダの格好をすると、世間に騒がれるから…

 リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…

 その大きな胸と、パンツの見えそうな、カラダを強調する服を着ると、女の私でも、ドキッとする…

 大げさにいえば、色気の塊…

 セックスが、歩いているようだ(笑)…

 自分でも、それが、わかっているから、普段は、いつも、男の格好をしている…

 わざと薄汚い男の格好をして、本来の自分の姿をごまかしている…

 色気を封印している…

 リンダでいることは、ストレスの塊…

 常に、ひとに見られるのは、苦痛以外の何物でもないからだ…

 そして、その隣には、バニラがいる…

 バカ、バニラがいる(笑)…

 バニラは、バカだが、やはり、美しい…

 リンダに匹敵する美人…

 そして、この矢田トモコだ…

 冷静に考えると、なぜ、この平凡な矢田トモコが、ここにいるのか、不思議だった(笑)…
 
 ここは、モデルの控室でも、女優の控室でも、なんでもない…

 にもかかわらず、私がいる(爆笑)…

 絶世の美女二人に、この矢田トモコ…

 この組み合わせは、妙だ…

 不思議だ…

 それとも?…

 それとも、神様は、もしかして、このリンダとバニラを、配下にして、私にプロダクションの運営をしろ、とでも、囁いているのかもしれん…

 ふと、気付いた…

 この二人が、所属するプロダクションの社長になる…

 すると、文字通り左うちわで、暮らせる…

 私の一生は、安心…

 文字通り、安心だ…

 その金を元手に、ホストクラブにでもいって、イケメンを物色するか?

 その程度のことをしても、ばちは当たるまい…

 私は、なぜか、そんなことを考えた…

 すると、自然に、顔がにやけてきた…

 実は、この矢田トモコは、お金好き…

 お金持ちが好きだし、ずばり、お金が好き…

 だが、これまでは、この矢田とお金は、相性が悪かった…

 なぜか、この矢田の手元から、お金が羽を生えたように、飛んでいってしまったのだ(涙)…

 この矢田の元から、逃げ出したといっていい(涙)…

 葉尊と結婚して、お金には、不自由しなくなったが、実をいうと、あまり実感がない…

 この超がつく、豪華マンションに、葉尊といっしょに住んでも、生活は、質素だったからだ…

 真面目な葉尊は、生活は、堅実だったし、それは、私も同じだった…

 贅沢には、憧れるが、それはあくまで、憧れるだけ…

 実生活は、堅実そのものだったからだ…

 だから、お金を使う生活に憧れる反面、お金を使う生活が、本来の質素を旨とする、私の心情と異なる…

 矛盾する…

 なんとも、いえん事態だった(涙)…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…なにを、ニヤニヤしているの?…」

 と、今度は、リンダ=ヤンが、顔を寄せてきた…

 私は、とっさに、

 「…なんでもない…なんでもないさ…」

 と、答えた…

 いつもの返答だった…

 すると、マリアが、

 「…矢田ちゃんって、いつも、突然、自分の世界に入っちゃうんだよね…」

 と、笑った…

 …なんだと?…

 …自分の世界だと?…

 私は、今度は、マリアを見た…

 目の前の、リンダ=ヤンではなく、小娘のマリアを見たのだ…

 すると、プッと、目の前のリンダ=ヤンが、吹き出した…

 「…本当、子供は、純真で、なんでも、見抜く…」

 ヤンが、笑った…

 「…きっと、このお姉さん、なにか、よからぬことを、考えていたのよ…」

 …なんだと?…

 私は、心の中で、思ったが、あえて、口に出さなかった…

 なぜなら、その通りだったからだ(笑)…

 「…どうせ、お金儲けか、なにかでしょ?
 このお姉さんは、できもしないくせに、お金儲けの妄想が好きだから…」

 バニラが、口を挟んだ…

 さんざんな言われようだった…

 だが、

 私は、耐えた…

 自分でも、珍しく、耐えた…

 なぜだかは、わからない…

 ただ、反論する気が失せただけだ…

 「…それとも、この写真の偽物が着た、リンダと、同じ真っ赤なドレスをオークションにでも、リンダのサイン入りで出す? きっと、物凄い高値がつくわよ…」

 バニラが提案した…

 「…なんだと?…」

 私は、つい声に出した…

 不覚にも、声に出してしまった…

 実に魅力的な提案だったからだ…

 「…どうする、お姉さん?…」

 バニラが、聞いた…

 私は、

 「…バカにするな!…」

 と、怒った…

 「…リンダは、私のかけがえのない友人さ…その友人のドレスを売って、金を得ようなんて、これっぽっちも思っちゃいないさ…」

 私は、断言した…

 心の中で、思っていることと、真逆のことを言ったのだ…

 自分でも、意外だった…

 まさに、想定外だった…

 すると、

 「…矢田ちゃんは、違うよ、ママ…」

 と、マリアが言った…

 「…矢田ちゃんは、そんなひとじゃない…」

 マリアが力を込めて言った…

 …なんだと?…

 私は、驚いた…

 このマリアが、私を信頼している?

 いかん…

 これは、いかん…

 いかに、このバニラが嫌いでも、娘のマリアを裏切ることはできん…

 チッ!

 と、私は、心の中で、舌打ちをした…

 リンダの赤いドレスをネットで、売るという、絶好のアイデアを得たのに、実現できんかった(涙)…

 だが、いつか、リンダの真っ赤なドレスを、このマリアの気付かないところで、売ってやるさ…

 私を、それを、固く心に誓った…

 誓ったのだ…

 すると、そんな私の心の中を見抜くように、

 「…お姉さんは、そんなひとじゃないわ…」

 と、当のリンダ自身が、言った…

 薄笑いを浮かべながら、言ったのだ…

 「…そうでしょ? …お姉さん?…」

 と、リンダ=ヤンが、私を脅すように、言った…

 …お姉さんの心の中なんて、簡単にわかる…

 とでも、言うようだった…

 だから、私は、

 「…当然さ…そんな親友を売るような真似は、するはずがないさ…」

 と、力を込めた…

 力を込めながら、これで、リンダの真っ赤なドレスをオークションに出して、大金を得る機会が、永久に失われたことに、ショックを受けた…

 ずばり、立ち直れなかった(涙)…

 思えば、矢田トモコ、一生の不覚…

 不覚だった(涙)…

 思わず、目から、涙がこぼれ落ちる寸前だった…

 私の細い目から、涙が、こぼれ落ちる寸前だった…

 すると、リンダ=ヤンが、私の顔に近付き、耳元で囁いた…

 「…今度、お姉さんに、私のパンティをあげるわ…そのパンティにリンダ・ヘイワースのサインをつければ、きっとドレス以上の高値がつく…」

 「…そうか…」

 私は、突然、気分が良くなった…

 天国から、まっさかさまに地獄に落ちた気分だったが、再び、天国に舞い戻った気分だった…

 が、

 少し考えて、それは、できないと思った…

 なぜなら、本物のリンダのパンティをオークションに出品して、誰が、本物と思うのだ?…

 いかに、リンダのサイン付きだとしても、だ…

 本物のリンダ・ヘイワースが、実際に、パンティを出品するにあたり、これは、私の使用した下着ですとでもいえば、本物だと、誰もが、思うが、当たり前だが、世界中に知られたハリウッドのセックス・シンボルが、そんなことをするはずがない…

 つまりは、冗談…

 この矢田トモコをからかったのだ…

 それに気付いた私は、烈火のごとく、怒った…

 態度には、出さなかったが、このリンダ・ヘイワース…

 バカ、バニラ共々、ただではおかん…

 私は、固く心に誓った…

 誓ったのだ…

 それから、ふと、私の目に、モニターに映った、偽者のリンダと映ったファラド王子が、入った…

 …アラブの女神か?…

 私は、考えた…

 ことによると、このアラブの女神と、この矢田トモコが連携してもいいかもしれん…

 ふと、気付いた…

 このリンダとバニラが、この矢田トモコを舐め切っている…

 私は、それが、許せん…

 許せんかったのだ…

 このリンダとバニラを地獄に落とすためなら、この矢田トモコも鬼となろう…

 阿修羅となろう…

 そのためには、なんでも、あり…

 アラブの女神と連携することも、ありなのだ…

 私は、固く心に誓った…

 誓ったのだ…

 「…ファラド王子か…」

 思わず、呟いた…

 たしかに、イケメンだ…

 いい男だ…

 私は、思った…

 背が高く、浅黒い肌を持つ、正統派のイケメン…

 まさに、この矢田トモコの相手にふさわしい…

 恋の相手に、ふさわしい…

 私は、思った…

 一晩だけのアバンチュールの相手にふさわしい…

 27インチのモニターに映った、その精悍な顔を見て、思った…

 その精悍な顔を見て、考えた…

 すると、リンダ=ヤンが、

 「…このファラド王子…サウジの革命児と、言われているのよ…」

 と、呟いた…

 私やバニラに言うのではなく、誰にともなく、呟いたのだ…

 「…革命児だと? どういう意味だ?…」

 私は、リンダに、聞いた…

 「…いわゆる、国の方針を変えようとしているの?…」

 「…国の方針だと?…」

 「…アラブ諸国は、いずれ、どの国も、石油が、枯渇する…なくなる…だから、その石油が枯渇する前に、新たに産業を興したりして、国を変えようとしているの…日本で、いえば、明治維新のようなものね…」

 「…」

 「…だから、当然、敵が多い…」

 「…敵?…」

 「…そう、政敵…今は、いいけど、失脚したら、間違いなく、命はないでしょう…」

 …なんと!…

 …命がないとは!…

 この矢田トモコ、35歳…

 これまで、35年生きてきて、命がないなどという物騒な言葉を現実に、聞いたことが、なかった…

 なかったのだ…

 テレビや映画では、当然ある…

 だが、それは、フィクションの世界…

 作り物の世界だ…

 現実の世界で、そんな恐ろしいセリフは、聞いたことがなかった…

 私が、驚いていると、

 「…オチビちゃん…現実は、甘くないのよ…」

 と、今度は、バニラが言った…

 バカ、バニラが言った…

 まさか、こんな、バカから、説教されるとは、思わんかった…

 「…世界中で、日本ぐらいのものよ…命を取られないのわ…」

 バニラがしたり顔で、言う…

 「…なにかをなそうとすれば、敵を作る…その敵を殺すなり、牢獄にぶち込むなりして、敵をせん滅して、おかないと、今度は、自分がやられる…」

 バニラが、言った…

 私は、驚いて、バニラを見た…

 バカ、バニラを見た…

 バニラが、まともなことを、言ったからだ…

 バニラの、その美しい顔が、かすかに、殺気だっていた…

 自分の言葉に昂っていたのだろう…

 なんしろ、このバニラは、ヤンキー出身…

 アメリカのスラム出身だ…

 とんでもない貧困の場から、世界のトップモデルにのし上がったのだ…

 その苦労たるや、想像を絶するものだろう…

 この矢田トモコが、35生きてきた苦労など、苦労でも、なんでもないに違いない…

 それを、思うと、急に、恐怖した…

 全身に、寒気が襲ってきた…

 このバニラの怖さが、わかったのだ…

 このバニラの偉大さが、わかったのだ…

 とりあえず、このバニラには、逆らわずに、いよう…

 私は、思った…

 このバニラが、本気で怒れば、この矢田トモコなど、イチコロだ…

 文字通り、瞬殺だ…

 間違いなく、殺されるだろう…

 それを考えると、どうにか、せねばならん…

 それに気付いた…

 このバカ、バニラの機嫌を取らねば、ならん…

 すると、誰かが、私の足を掴んだ…

 見ると、バニラの娘、マリアだった…

 「…矢田ちゃん…遊ぼ…遊ぼ…」

 マリアが言う…

 これは、利用するに、限る…

 とっさに、閃いた…

 マリアと遊んでやって、バニラの機嫌を取るに限ると思ったのだ…

 私は、すぐに、

 「…よし、遊んでやるさ…」

 と、言って、椅子から、降りた…

 が、

 なぜか、マリアが、嫌がった…

 「…矢田ちゃん…変!…いつもの矢田ちゃんじゃない!…」

 「…なんだと?…」

 私が、驚くと、

 「…お姉さん…また、よからぬことを、考えていたでしょ?…」

 バニラが、口を出した…

 「…子供は、純真…お姉さんの心のありようが、見えるの…」

 「…私の心のありようだと?…」

 私は、唖然とした…

 まさか、この矢田の心のありようが、3歳の幼児に見抜かれるとは?

 …油断できん!…

 …3歳の幼児とは、いえ、油断できん!…

 私は、悟った…

 悟ったのだ…

 「…でも、それが、お姉さんなのよね…」

 リンダが口を挟んだ…

 「…どこか、ズルいことをしても、心の底から、憎めない…それが、お姉さんの利点…」

 リンダが、説明する…

 そのリンダの言葉に、バニラが、さもありなんというように、頷いた…

 同意した…

 それから、リンダ=ヤンが、27インチのモニターに映った、ファラド王子と、偽者のリンダ・ヘイワースを見た…

 「…このファラド王子…リンダ・ヘイワースのファンだという噂は、聞いたことがないのよね…」

 リンダが、呟く…

 「…そのファラド王子が、リンダ・ヘイワースと、仲良く映った写真が、ネットに出回る…これが、ウソの証拠…」

 リンダが笑う…

 私は、そんなリンダの笑いを見て、不思議に思ったことがあった…

 そもそも、リンダは、このファラド王子と会ったことがあるか、どうかだ…

 ハリウッドのセックス・シンボルである、リンダ・ヘイワースの知名度は、抜群…

 世界中で、知られている…

 だから、世界中にファンがいる…

 セレブも一般の人間も含めて、ファンがいる…

 そして、なにより、リンダ・ヘイワースは、世界中を飛び回っている…

 その結果、さまざまな人物と会っている…

 だとすれば、当然、この写真に写ったファラド王子と会った可能性も高い…

 その事実に、気付いたのだ…

 「…リンダ…オマエ、このファラド王子と会ったことがあるのか?…」

 私は、聞いた…

 直球で聞いた…

 が、

 その質問に、

 「…さあ、それは、お姉さんの想像にお任せするわ…」

 と、答えた…

 けむに巻いたのだ…

 しかし、その表情は、色っぽかった…

 リンダが、ヤンの姿であるときは、決して、見せない女の顔だった…

 女=リンダ・ヘイワースの顔だった…

 男装して、ヤンの姿をしているにも、かかわらず、ビックリするほど、色っぽかった…

 急に、部屋中が、ピンク色になったようだった…

 だが、

 こんな、男だか、女だか、わからん人間に、負ける矢田トモコではない…

 遅れを取る、矢田トモコではないのだ…

 勝負は、一瞬…

 一瞬だ…

 私は、自慢ではないが、本番に強い女だった…

 練習では、結果を出せんが、本番は、一発勝負…

 結果を出した…

 負けん!

 どんなことが、あっても、こんなヤツには、負けん!

 ファラド王子をゲットしてやるさ…

 私は、固く心に誓った…

 誓ったのだ…

                 
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