第32話
文字数 5,631文字
私は、矢口のお嬢様との電話を終えると、すぐに、リンダに電話した…
即断即決…
それが、私だ…
モタモタとしていることは、性に合わない…
だから、なにも、考えることなく、リンダに、電話した…
まあ、リンダのことだ…
私からの頼みを断ることなど、ないだろう…
私は、単純に考えた…
これで、あの矢口のお嬢様に、恩を売れる…
私は、そう考えながら、電話が、繋がるのを、待った…
まもなく、電話が繋がった…
「…リンダか? …私だ…矢田だ…矢田トモコだ…」
勢い込んで、言った…
が、
返って来たのは、
「…この電話は、ただいま、電波が届かない場所にあるか、電源を切られています…」
という、メッセージだった…
私は、呆然とした…
肩透かしを食った気分だった…
こんなにも、私が、勢い込んで、リンダに頼もうとしているのにもかかわらず、肝心のリンダが、電話に出んとは?
思わず、私は天を仰いだ…
天=天井を仰いだ…
天は我を見放したか?
昔、見た八甲田山の映画の有名なセリフを口走った…
が、
こんなことに、負ける矢田トモコではない…
こんなことで、挫ける矢田トモコではない…
リンダが、ダメなら、もう一人いる…
私は、すぐさま、そのもう一人に電話をかけた…
電話は、すぐに繋がった…
「…ハロー?…」
生意気にも、英語で、返って来た…
次に、
「…どなた?…」
と、聞いてきた…
だから、
「…私だ…矢田だ…矢田トモコだ…」
と、名乗った…
すると、なぜか、
「…なに、お姉さん…こんな時間に?…」
と、不機嫌そうな声が聞こえてきた…
「…バカ…バニラ…用事がなければ、オマエなんかに、電話をかけるか?…」
と、言った…
すると、バニラが、激怒した…
「…ちょっと、お姉さん…夜の十時に、いきなり、電話をかけてきて、その言い草はなに?…私にケンカを売っているの?…」
もっともな言い分だった…
今は、夜の十時だった…
考えてみれば、あの矢口のお嬢様は、どうして、こんな真夜中に、電話をかけてきたのだろ?
今さらながら、思った…
「…いや…」
思わず、私も、バニラの剣幕に尻込みしたというか…
ふと、気付くと、いつのまにか、
「…す、すまんかった…」
と、バニラに謝っていた…
そして、心の中で、あのお嬢様を呪った…
矢口のお嬢様を呪ったのだ…
「…一体、なんのよう?…」
バニラが聞いた…
だから、私は、ここぞとばかりに、
「…リンダのことさ…」
と、言った…
「…リンダ…ちょっと、お姉さん…どうして、リンダのことを、私に聞くの? …私は、バニラよ…」
「…そんなことは、わかっているさ…でも、今、電話したら、リンダが、電話に出んのさ…」
「…ちょっと、だから、私に電話をしたわけ?…」
「…そうさ…」
私は、答えた…
すると、なぜか、
「…」
と、沈黙があった…
全然、声が聞こえて来んかった…
だから、
「…どうした? バニラ? …聞こえてるか?…」
と、私は、聞いてやった…
すると、
「…この…バカ…おチビ! なんで、そんなことを、私に聞いてくるの? …私は、リンダのマネージャーでも、なんでもないのよ…」
と、電話の向こう側から、怒鳴ってきた…
思わず、私の耳の鼓膜が破れるかと、思うほどの大声だった…
言われてみれば、当たり前のことだった…
当たり前のバニラの怒りだった…
私は、バニラの機嫌を取るべく、
「…いや、オマエなら、リンダと仲がいいから、なにか、知ってると思ってな…」
と、下手に出た…
小声で、下手に出たのだ…
が、
バニラの怒りは収まらなかった…
「…私は、リンダのマネージャーじゃない!…」
と、激怒した…
すでに、取り付く島もなかった…
「…とにかく、こんな時間にかけて来ないで…隣で、娘のマリアも寝ているの?…」
「…マリアが?…」
私は、思わず、絶句した…
あのマリアが、バニラの横で、寝ていたとは?
す…すまんかった…
と、思った…
まだ、3歳のバニラが寝ているのに、夜中に電話をかけて、すまんかったと、思った…
私は、
「…すまんかった…」
と、言って、電話を切ろうとしたところ、
「…あ、矢田ちゃん…」
と、突如、電話の向こうから、マリアの声がした…
「…そうさ…私さ…」
と、私は、答えた…
すると、
「…あっ…矢田ちゃんだ…矢田ちゃんだ…」
と、嬉しそうなマリアの声が聞こえてきた…
「…ママ、矢田ちゃんだ…」
と、バニラに言う声が聞こえてきた…
「…そうね…」
バニラの声が、それまでとは、打って変わって、穏やかになった…
優しくなった…
これは、ラッキー…
実に、ラッキーだった…
私は、思った…
マリアは、私が好き…
これで、バニラの態度が変わるからだ…
「…矢田ちゃん…遊ぼ…遊ぼ…」
電話の向こう側から、マリアが言ってきた…
が、
いくらなんでも、電話の向こう側のマリアと遊ぶのは、無理だった…
できんかった…
…一体、どうすれば?…
悩んでいると、
「…お姉さん…」
というバニラの声が聞こえてきた…
「…なんだ?…」
「…さっきのリンダの件ですが…」
と、切り出した…
「…なにか、知っているのか?…」
「…ハイ…リンダは、ただ、スマホの電源を切っているだけだと、思います…」
「…なんだと?…一体、どうして、そんな真似を?…」
「…プロだからです…」
「…プロ?…」
「…リンダも29歳…肌の衰えを防ぐため、いつも、しっかりと、睡眠を取ります…そのために、スマホの電源を切っているのだと、思います…」
「…そうか…」
私は、言った…
そう言われれば、わからんでもない…
リンダも、29歳…
失礼ながら、もう、若くはない…
だから、プロとして、しっかりと、睡眠をとって、肌のコンディションを整えてるのだろう…
そう言われれば、わかる…
そう説明されれば、わかるのだ…
「…プロだな…」
私は、感嘆して、言った…
「…ハイ…」
バニラが、さっきまで、激怒していたときとは、一転して、殊勝に、答えた…
私は、それまでのバニラの態度と、あまりにも、違い過ぎるので、驚いた…
それもこれも、マリアがいるからだ…
マリアが、私を好きだからだ…
だから、マリアのためにも、私と、仲たがいすることは、できない…
バニラにとって、マリアは、あまりにも、大きな存在だと今さらながら、気付いた…
マリアという娘の大きさに、気付いた…
「…矢田ちゃん…遊ぼ…」
またしても、電話の向こうから、マリアの声が聞こえてきた…
私は、どうすれば、いいか、わからんかった…
すると、電話の向こう側で、
「…矢田ちゃんは、もう遅いから、今夜は寝るそうよ…マリアも寝なさい…」
と、優しく言う声が聞こえた…
「…うん…矢田ちゃんが寝るなら、マリアも寝る…矢田ちゃん…おやすみ…」
「…おやすみ…マリア…」
私は、返した…
どうしても、子供相手だと、この矢田トモコも優しくなる…
無防備になる…
愛想が良くなる…
そういうことだ(笑)…
「…お姉さん…それでは、これで失礼します…」
バニラが、礼儀正しく、言った…
だから、私も、礼儀正しく、
「…バニラ…こんな時間に、突然、電話をかけて、すまんかった…」
と、詫びた…
ホントは、こんな時間にかけて、礼儀もなにもあったもんじゃ、なかったが、それは、言わんかった…
言えば、私に不利になる…
この矢田トモコに不利になるからだ(笑)…
「…それでは、失礼します…」
バニラが丁重に言って、電話が切れた…
そして、その夜は、それで、終わった…
翌朝になって、私は、早速、リンダに電話をかけた…
実は、私は、せっかち…
せっかちな性分だった…
だから、翌朝、夫の葉尊を会社に送り出すと、すぐに、リンダに電話をかけた…
一刻も早く、リンダに連絡したかったのだ…
すぐに、リンダは、電話に出た…
「…ハイ…」
「…リンダか?…」
「…ハイ…そうです…」
「…私だ…矢田だ…矢田トモコだ…」
私は勢い込んで言った…
一刻も早く、リンダに言わないと、まるで、リンダが、どこかに逃げ出すような気がしたのだ…
「…お…お姉さん?…」
リンダが、驚いた…
「…どうしたの? こんな朝早くから…」
「…どうしたも、こうしたも、ないさ…実は、リンダ…オマエに、頼みがあってな…」
「…頼み? …どんな?…」
「…仕事の話さ…ビジネスの話さ…」
「…ビジネスの話…どうして、お姉さんとビジネスの話を?…」
リンダが、当たり前のことを、言った…
だから、
「…実は、昨夜、矢口のお嬢様から、電話があったのさ…」
「…矢口のお嬢様? …それ、誰?…」
「…誰と言われても…日本の激安スーパー、スーパージャパンの社長令嬢さ…」
「…スーパージャパン? 知らないわ…」
「…し、知らない?…」
私は、思わず、絶句した…
まさか…
まさか、このリンダが、あのスーパージャパンを知らないとは?
日本で、有名なスーパージャパンを知らないとは、思わんかった…
だから、思わず、
「…あのスーパージャパンだゾ…」
と、繰り返した…
が、
リンダは、
「…あの、も、この、もないわ…知らないものは、知らない…」
と、キッパリ、断言した…
私は、唖然とした…
そして、同時に、考えた…
自分自身の間違いに、気付いたのだ…
あの、矢口のお嬢様が、言うように、自分自身、調子に乗っていたことに、気付いたのだ…
なぜなら、当たり前だが、このリンダは、ハリウッドのセックス・シンボル…
日本の事情に疎い…
それが、たまたま、今、日本にいるだけ…
ハッキリ言えば、リンダの背後にいるというか…
リンダが、私の夫、葉尊の実父、葉敬に世話になっているから、その縁で、葉尊のいる、日本にいるだけだ…
だから、日本の事情に詳しいわけはない…
なにより、リンダは…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボルと呼ばれるほどの社会の成功者…
その成功者が、日本の激安スーパーを知らなくても、おかしくともなんともない…
当たり前のことだ…
つまりは、この矢田が悪いのだ…
夫の葉尊と知り合って以来、縁あって、このリンダやバニラと親しくなった…
が、
本当は、このリンダとバニラは、私とは、別世界の人間だった…
異世界の人間だった…
リンダとバニラは、世界中に知られた有名人…
稀に見る成功をした、お金持ちだ…
ハッキリ言えば、この矢田トモコと、リンダとバニラとでは、通う店も違うし、食べる物も違う…
おおげさに言えば、この矢田トモコと、皇族をいっしょに、論じるようなもの…
いかに、仲が良くても、生まれも育ちも違うから、話が通じない部分も、いっぱいあるのだ…
それを、これまで、すっかり忘れていた(涙)…
おそらくは、リンダもバニラも、とうに、その事実に気付いていただろうが、私に遠慮して、言わなかったに違いない…
私に気を使って、言わなかったに違いない…
私は、その事実に気付いた…
気付いたのだ…
「…どうしたの? …お姉さん?…」
私が、電話口で、黙っているのを、不審に思った、リンダが、聞いてきた…
私は、いつものように、
「…なんでもない…なんでもないさ…」
と、言おうとしたが、やはりというか…
そんな気力もなかった…
今さらながら、自分の置かれた状況に気付いた…
生まれの違いに気付いたのだ…
だから、つい、
「…すまんかった…」
と、詫びた…
気のせいか、精も根も尽き果てた気分だった…
世界が、一気に灰色になった気分だった…
まだ、朝の八時なのに、今日は、すでに、終わったような気分だった…
「…どうして、お姉さんが、詫びるの?…」
電話の向こうで、リンダが不思議そうに聞いた…
だから、私は、一瞬、ホントのことを、言おうかどうか、迷ったが、
「…リンダ…いや、リンダだけじゃない、バニラもだが、私とオマエたちとの置かれた環境の違いに気付いたのさ…」
と、力なく言った…
「…環境の違い? …なに、それ?…」
「…オマエたちは、成功者だ…私のような庶民とは、違う…それを、これまで、忘れて
いたのさ…」
「…どうして、お姉さん…いきなり、そんなことを…」
「…オマエが今、スーパージャパンを知らなかったからさ…」
「…スーパージャパンを知らなかったから?…」
「…私なんか、子供の頃から、馴染みの店さ…私は、庶民さ…オマエたちとは、違う…それを思い知ったのさ…」
私は、力なく、言った…
「…今まで、私に付き合ってくれて、礼を言うゾ…」
私が、言うと、
「…ちょっと、お姉さん…どうしたの? …どうして、そんなに落ち込むの?…」
と、私を心配した…
「…まさか…お姉さん?…」
「…まさか…なんだ?…」
「…お姉さん…死ぬつもりじゃ…」
「…な、なんだと、死ぬ? …どうして、私が、死ななきゃ、ならんのだ!…」
いきなり、私の闘志に火が点いた…
いや、
闘志というのは、正確な表現では、ないかもしれん…
ただ、
「…死ぬ…」
と、言われたのが、気に入らんかったのだ…
「…なんで、私が死ななきゃ、ならんのだ!…」
私は、怒った…
すると、電話の向こう側から、
「…良かった…安心した…」
という、リンダの声が漏れてきた…
「…安心しただと?…」
私が、怒ると、
「…それこそ、いつものお姉さん…」
と、リンダが、嬉しがった…
私が怒ると、なぜか、リンダが、喜んだ…
私は、リンダが、どうして、喜ぶのか、さっぱりわからんかったが、少なくとも、リンダが、機嫌を損ねていないことだけは、わかった…
だから、もしかしたら、あの矢口のお嬢様と約束した、CMの件も、うまくいくかもしれないと、考えた…
打算した(笑)…
即断即決…
それが、私だ…
モタモタとしていることは、性に合わない…
だから、なにも、考えることなく、リンダに、電話した…
まあ、リンダのことだ…
私からの頼みを断ることなど、ないだろう…
私は、単純に考えた…
これで、あの矢口のお嬢様に、恩を売れる…
私は、そう考えながら、電話が、繋がるのを、待った…
まもなく、電話が繋がった…
「…リンダか? …私だ…矢田だ…矢田トモコだ…」
勢い込んで、言った…
が、
返って来たのは、
「…この電話は、ただいま、電波が届かない場所にあるか、電源を切られています…」
という、メッセージだった…
私は、呆然とした…
肩透かしを食った気分だった…
こんなにも、私が、勢い込んで、リンダに頼もうとしているのにもかかわらず、肝心のリンダが、電話に出んとは?
思わず、私は天を仰いだ…
天=天井を仰いだ…
天は我を見放したか?
昔、見た八甲田山の映画の有名なセリフを口走った…
が、
こんなことに、負ける矢田トモコではない…
こんなことで、挫ける矢田トモコではない…
リンダが、ダメなら、もう一人いる…
私は、すぐさま、そのもう一人に電話をかけた…
電話は、すぐに繋がった…
「…ハロー?…」
生意気にも、英語で、返って来た…
次に、
「…どなた?…」
と、聞いてきた…
だから、
「…私だ…矢田だ…矢田トモコだ…」
と、名乗った…
すると、なぜか、
「…なに、お姉さん…こんな時間に?…」
と、不機嫌そうな声が聞こえてきた…
「…バカ…バニラ…用事がなければ、オマエなんかに、電話をかけるか?…」
と、言った…
すると、バニラが、激怒した…
「…ちょっと、お姉さん…夜の十時に、いきなり、電話をかけてきて、その言い草はなに?…私にケンカを売っているの?…」
もっともな言い分だった…
今は、夜の十時だった…
考えてみれば、あの矢口のお嬢様は、どうして、こんな真夜中に、電話をかけてきたのだろ?
今さらながら、思った…
「…いや…」
思わず、私も、バニラの剣幕に尻込みしたというか…
ふと、気付くと、いつのまにか、
「…す、すまんかった…」
と、バニラに謝っていた…
そして、心の中で、あのお嬢様を呪った…
矢口のお嬢様を呪ったのだ…
「…一体、なんのよう?…」
バニラが聞いた…
だから、私は、ここぞとばかりに、
「…リンダのことさ…」
と、言った…
「…リンダ…ちょっと、お姉さん…どうして、リンダのことを、私に聞くの? …私は、バニラよ…」
「…そんなことは、わかっているさ…でも、今、電話したら、リンダが、電話に出んのさ…」
「…ちょっと、だから、私に電話をしたわけ?…」
「…そうさ…」
私は、答えた…
すると、なぜか、
「…」
と、沈黙があった…
全然、声が聞こえて来んかった…
だから、
「…どうした? バニラ? …聞こえてるか?…」
と、私は、聞いてやった…
すると、
「…この…バカ…おチビ! なんで、そんなことを、私に聞いてくるの? …私は、リンダのマネージャーでも、なんでもないのよ…」
と、電話の向こう側から、怒鳴ってきた…
思わず、私の耳の鼓膜が破れるかと、思うほどの大声だった…
言われてみれば、当たり前のことだった…
当たり前のバニラの怒りだった…
私は、バニラの機嫌を取るべく、
「…いや、オマエなら、リンダと仲がいいから、なにか、知ってると思ってな…」
と、下手に出た…
小声で、下手に出たのだ…
が、
バニラの怒りは収まらなかった…
「…私は、リンダのマネージャーじゃない!…」
と、激怒した…
すでに、取り付く島もなかった…
「…とにかく、こんな時間にかけて来ないで…隣で、娘のマリアも寝ているの?…」
「…マリアが?…」
私は、思わず、絶句した…
あのマリアが、バニラの横で、寝ていたとは?
す…すまんかった…
と、思った…
まだ、3歳のバニラが寝ているのに、夜中に電話をかけて、すまんかったと、思った…
私は、
「…すまんかった…」
と、言って、電話を切ろうとしたところ、
「…あ、矢田ちゃん…」
と、突如、電話の向こうから、マリアの声がした…
「…そうさ…私さ…」
と、私は、答えた…
すると、
「…あっ…矢田ちゃんだ…矢田ちゃんだ…」
と、嬉しそうなマリアの声が聞こえてきた…
「…ママ、矢田ちゃんだ…」
と、バニラに言う声が聞こえてきた…
「…そうね…」
バニラの声が、それまでとは、打って変わって、穏やかになった…
優しくなった…
これは、ラッキー…
実に、ラッキーだった…
私は、思った…
マリアは、私が好き…
これで、バニラの態度が変わるからだ…
「…矢田ちゃん…遊ぼ…遊ぼ…」
電話の向こう側から、マリアが言ってきた…
が、
いくらなんでも、電話の向こう側のマリアと遊ぶのは、無理だった…
できんかった…
…一体、どうすれば?…
悩んでいると、
「…お姉さん…」
というバニラの声が聞こえてきた…
「…なんだ?…」
「…さっきのリンダの件ですが…」
と、切り出した…
「…なにか、知っているのか?…」
「…ハイ…リンダは、ただ、スマホの電源を切っているだけだと、思います…」
「…なんだと?…一体、どうして、そんな真似を?…」
「…プロだからです…」
「…プロ?…」
「…リンダも29歳…肌の衰えを防ぐため、いつも、しっかりと、睡眠を取ります…そのために、スマホの電源を切っているのだと、思います…」
「…そうか…」
私は、言った…
そう言われれば、わからんでもない…
リンダも、29歳…
失礼ながら、もう、若くはない…
だから、プロとして、しっかりと、睡眠をとって、肌のコンディションを整えてるのだろう…
そう言われれば、わかる…
そう説明されれば、わかるのだ…
「…プロだな…」
私は、感嘆して、言った…
「…ハイ…」
バニラが、さっきまで、激怒していたときとは、一転して、殊勝に、答えた…
私は、それまでのバニラの態度と、あまりにも、違い過ぎるので、驚いた…
それもこれも、マリアがいるからだ…
マリアが、私を好きだからだ…
だから、マリアのためにも、私と、仲たがいすることは、できない…
バニラにとって、マリアは、あまりにも、大きな存在だと今さらながら、気付いた…
マリアという娘の大きさに、気付いた…
「…矢田ちゃん…遊ぼ…」
またしても、電話の向こうから、マリアの声が聞こえてきた…
私は、どうすれば、いいか、わからんかった…
すると、電話の向こう側で、
「…矢田ちゃんは、もう遅いから、今夜は寝るそうよ…マリアも寝なさい…」
と、優しく言う声が聞こえた…
「…うん…矢田ちゃんが寝るなら、マリアも寝る…矢田ちゃん…おやすみ…」
「…おやすみ…マリア…」
私は、返した…
どうしても、子供相手だと、この矢田トモコも優しくなる…
無防備になる…
愛想が良くなる…
そういうことだ(笑)…
「…お姉さん…それでは、これで失礼します…」
バニラが、礼儀正しく、言った…
だから、私も、礼儀正しく、
「…バニラ…こんな時間に、突然、電話をかけて、すまんかった…」
と、詫びた…
ホントは、こんな時間にかけて、礼儀もなにもあったもんじゃ、なかったが、それは、言わんかった…
言えば、私に不利になる…
この矢田トモコに不利になるからだ(笑)…
「…それでは、失礼します…」
バニラが丁重に言って、電話が切れた…
そして、その夜は、それで、終わった…
翌朝になって、私は、早速、リンダに電話をかけた…
実は、私は、せっかち…
せっかちな性分だった…
だから、翌朝、夫の葉尊を会社に送り出すと、すぐに、リンダに電話をかけた…
一刻も早く、リンダに連絡したかったのだ…
すぐに、リンダは、電話に出た…
「…ハイ…」
「…リンダか?…」
「…ハイ…そうです…」
「…私だ…矢田だ…矢田トモコだ…」
私は勢い込んで言った…
一刻も早く、リンダに言わないと、まるで、リンダが、どこかに逃げ出すような気がしたのだ…
「…お…お姉さん?…」
リンダが、驚いた…
「…どうしたの? こんな朝早くから…」
「…どうしたも、こうしたも、ないさ…実は、リンダ…オマエに、頼みがあってな…」
「…頼み? …どんな?…」
「…仕事の話さ…ビジネスの話さ…」
「…ビジネスの話…どうして、お姉さんとビジネスの話を?…」
リンダが、当たり前のことを、言った…
だから、
「…実は、昨夜、矢口のお嬢様から、電話があったのさ…」
「…矢口のお嬢様? …それ、誰?…」
「…誰と言われても…日本の激安スーパー、スーパージャパンの社長令嬢さ…」
「…スーパージャパン? 知らないわ…」
「…し、知らない?…」
私は、思わず、絶句した…
まさか…
まさか、このリンダが、あのスーパージャパンを知らないとは?
日本で、有名なスーパージャパンを知らないとは、思わんかった…
だから、思わず、
「…あのスーパージャパンだゾ…」
と、繰り返した…
が、
リンダは、
「…あの、も、この、もないわ…知らないものは、知らない…」
と、キッパリ、断言した…
私は、唖然とした…
そして、同時に、考えた…
自分自身の間違いに、気付いたのだ…
あの、矢口のお嬢様が、言うように、自分自身、調子に乗っていたことに、気付いたのだ…
なぜなら、当たり前だが、このリンダは、ハリウッドのセックス・シンボル…
日本の事情に疎い…
それが、たまたま、今、日本にいるだけ…
ハッキリ言えば、リンダの背後にいるというか…
リンダが、私の夫、葉尊の実父、葉敬に世話になっているから、その縁で、葉尊のいる、日本にいるだけだ…
だから、日本の事情に詳しいわけはない…
なにより、リンダは…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボルと呼ばれるほどの社会の成功者…
その成功者が、日本の激安スーパーを知らなくても、おかしくともなんともない…
当たり前のことだ…
つまりは、この矢田が悪いのだ…
夫の葉尊と知り合って以来、縁あって、このリンダやバニラと親しくなった…
が、
本当は、このリンダとバニラは、私とは、別世界の人間だった…
異世界の人間だった…
リンダとバニラは、世界中に知られた有名人…
稀に見る成功をした、お金持ちだ…
ハッキリ言えば、この矢田トモコと、リンダとバニラとでは、通う店も違うし、食べる物も違う…
おおげさに言えば、この矢田トモコと、皇族をいっしょに、論じるようなもの…
いかに、仲が良くても、生まれも育ちも違うから、話が通じない部分も、いっぱいあるのだ…
それを、これまで、すっかり忘れていた(涙)…
おそらくは、リンダもバニラも、とうに、その事実に気付いていただろうが、私に遠慮して、言わなかったに違いない…
私に気を使って、言わなかったに違いない…
私は、その事実に気付いた…
気付いたのだ…
「…どうしたの? …お姉さん?…」
私が、電話口で、黙っているのを、不審に思った、リンダが、聞いてきた…
私は、いつものように、
「…なんでもない…なんでもないさ…」
と、言おうとしたが、やはりというか…
そんな気力もなかった…
今さらながら、自分の置かれた状況に気付いた…
生まれの違いに気付いたのだ…
だから、つい、
「…すまんかった…」
と、詫びた…
気のせいか、精も根も尽き果てた気分だった…
世界が、一気に灰色になった気分だった…
まだ、朝の八時なのに、今日は、すでに、終わったような気分だった…
「…どうして、お姉さんが、詫びるの?…」
電話の向こうで、リンダが不思議そうに聞いた…
だから、私は、一瞬、ホントのことを、言おうかどうか、迷ったが、
「…リンダ…いや、リンダだけじゃない、バニラもだが、私とオマエたちとの置かれた環境の違いに気付いたのさ…」
と、力なく言った…
「…環境の違い? …なに、それ?…」
「…オマエたちは、成功者だ…私のような庶民とは、違う…それを、これまで、忘れて
いたのさ…」
「…どうして、お姉さん…いきなり、そんなことを…」
「…オマエが今、スーパージャパンを知らなかったからさ…」
「…スーパージャパンを知らなかったから?…」
「…私なんか、子供の頃から、馴染みの店さ…私は、庶民さ…オマエたちとは、違う…それを思い知ったのさ…」
私は、力なく、言った…
「…今まで、私に付き合ってくれて、礼を言うゾ…」
私が、言うと、
「…ちょっと、お姉さん…どうしたの? …どうして、そんなに落ち込むの?…」
と、私を心配した…
「…まさか…お姉さん?…」
「…まさか…なんだ?…」
「…お姉さん…死ぬつもりじゃ…」
「…な、なんだと、死ぬ? …どうして、私が、死ななきゃ、ならんのだ!…」
いきなり、私の闘志に火が点いた…
いや、
闘志というのは、正確な表現では、ないかもしれん…
ただ、
「…死ぬ…」
と、言われたのが、気に入らんかったのだ…
「…なんで、私が死ななきゃ、ならんのだ!…」
私は、怒った…
すると、電話の向こう側から、
「…良かった…安心した…」
という、リンダの声が漏れてきた…
「…安心しただと?…」
私が、怒ると、
「…それこそ、いつものお姉さん…」
と、リンダが、嬉しがった…
私が怒ると、なぜか、リンダが、喜んだ…
私は、リンダが、どうして、喜ぶのか、さっぱりわからんかったが、少なくとも、リンダが、機嫌を損ねていないことだけは、わかった…
だから、もしかしたら、あの矢口のお嬢様と約束した、CMの件も、うまくいくかもしれないと、考えた…
打算した(笑)…