第118話
文字数 5,731文字
と、そんな心のありようが、私の表情に、出たのだろう…
「…お姉さん…私の言うことを、信じていないようですね…」
葉敬が、言った…
私は、まさか、信じていないとは、言うことは、できんかったので、
「…」
と、黙っていた…
答えられんかったと、言っていい…
が、
そんな態度の私を見ても、なぜか、葉敬は、私を責めることは、まったくなかった…
むしろ、
「…お姉さんの気持ちは、わかります…」
と、葉敬は、私に寄り添った発言をした…
「…私の気持ちが、わかる?…」
「…そうです…私が、お姉さんなら、私が、皮肉を言っていると、思うでしょう…」
「…」
「…ですが、皮肉でも、なんでも、ありません…」
「…どうして、そう、断言できるんですか?…」
ホントは、義父の葉敬に、盾突くようだから、こんなことを、言っては、マズいのだが、つい、聞いてしまった…
「…それは、お姉さんが、誰からも、好かれるからですよ…」
「…私が、誰からも、好かれる?…」
「…ハイ…リンダも、バニラも、お姉さんと、知り合って、まもなく、お姉さんと、仲良くなりました…これは、誰にも、できることでは、ありません…お姉さんだから、できることです…」
「…私だから、できること?…」
「…その通りです…」
「…どうして、私だから、できることなんですか?…」
と、これも、つい、お義父さんに、突っかかるような口調で、聞いてしまった…
が、
葉敬は、気分を害するどころか、ニコニコと、楽しそうに、
「…リンダもバニラも、プライドが、高い…」
と、言った…
「…プライドが高い?…」
「…ハイ…二人とも、当たり前ですが、成功者です…だから、どうしても、プライドが、高くなる…すると、どうですか? …ときには、扱いに、困ることも、出てきます…」
「…扱いに、困ることって?…」
「…変な話…他人と、同じでは、嫌だということです…自分は、有名人だから、他人と、同じ扱いでは、プライドが、傷付けられたと、考える…」
「…」
「…あるいは、真逆に、変に、優遇すれば、私は有名人だから、優遇するんですか? と、食ってかかるかもしれない…」
「…食ってかかる?…」
「…ハイ…」
「…」
「…そして、もし、そうなったら、相手は、どうして、いいか、わからなくなる…下手をすれば、なにをしても、相手が、怒り出すかも、しれないからです…」
「…」
「…これは、別に、二人が、性格が、悪いと言っているわけでは、ありません…ただ、誰もが、そうですが、成功している人間は、知らず知らずの間に、プライドが、高くなりがちです…どうしても、自我が、肥大してしまう…だから、態度も、尊大になる…」
「…」
「…だから、皆、扱いに、困るのです…」
たしかに、葉敬の言うことは、わかる…
どんな人間も、自分が、成功すれば、それ以前とは、同じというわけには、いかない…
収入が、増える…
会社での地位が上がる…
大抵の人間が、そうなれば、自然と、態度が、大きくなる…
当たり前のことだ…
いわば、成功したことで、自分に自信を持つことが、できたわけだ…
が、
その結果、葉敬が、言うように、周囲が、扱いに、困ることも、起きるに違いない…
もちろん、誰もが、成功すれば、態度が、大きくなるわけではない…
が、
大抵は、大きくなるだろう…
だから、わかりやすい例えで、言えば、無名時代に知り合った友人が、訪ねてきたと、する…
そして、自分と、対等に、話し出せば、激怒する人間も、いるに違いない…
ありていに言えば、
「…あの頃のオレ(アタシ)と、今のオレ(アタシ)は、違うんだよ!…」
と、言いたいわけだ…
まあ、あくまで、無名時代に偶然知り合った人間だから、そういう態度を取るので、あって、中学や、高校時代の友人には、そういう態度を取らない可能性も、高い…
あくまで、ちょっと、知り合った程度の友人に過ぎないから、そういう態度を取るのかもしれない(笑)…
私は、考えた…
そして、そんなことを、考えていると、
「…でも、お姉さんは、違う…」
と、葉敬が、続けた…
「…私は、違う?…」
「…ハイ…」
葉敬が、嬉しそうに、頷いた…
「…お姉さんは、誰とでも、仲良くなれる…決して、敵を作らない…私が、これまで、生きてきた中で、お姉さんほど、ひとに、好かれた人間は、見たことが、ありません…」
「…ウソッ!…」
つい、叫んでしまった…
私は、しまったと、思った…
いくらなんでも、葉敬に失礼だと、思ったのだ…
が、
葉敬は、まったく気にした様子は、なかった…
むしろ、
「…大げさすぎましたか?…」
と、言って、楽しそうに、笑った…
それから、一転して、真面目な表情に、なった…
「…でも、事実です…いや、ほとんで、事実です…」
「…ほとんど事実?…」
なんとも、微妙な物言いだった…
ほとんど、事実とは?
一体、どういう意味だろう?
だから、
「…ほとんど、事実って?…」
と、つい、聞いてしまった…
すると、
「…あまり、お目にかかったことがない…ですが、まったく、見たことがないわけでも、ない…」
ゆっくりと、考え、ながら、一言一言、噛み締めるように、呟く…
「…私に、言わせれば、スーパーマン…あるいは、スーパーウーマンです…」
「…どうして、ですか?…」
「…ひとに、嫌われないことは、難しいです…」
葉敬は、シミジミとした口調で、言う…
「…別に、なにかをするわけではない…ただ、会社でも、学校でも、自然に振る舞っている…ですが、大抵の人間は、一人や二人の敵が、できるものです…」
「…」
「…そして、それが、人間です…日本のことわざにも、あるでしょ? …男は、敷居を跨(また)げば、七人の敵ありという言葉が…」
言われてみれば、そんな言葉を聞いたことが、あるような…
あるいは、ないような(苦笑)…
私が、そんな戸惑った表情を浮かべているのを、見て、
「…要するに、男が、一歩家を出て、社会に出れば、多くの敵やライバルがいて、苦労するという例えです…ですが、当然、女のひとも、同じです…」
「…同じ…」
「…そうです…誰もが、一歩家から外に出れば、敵がいて、当たり前です…」
葉敬が、力を込める…
「…とりわけ、私のような商売をしていれば、当然ですが、そうでなくても、学校のような場所でも、当然、敵やライバルが、存在します…ハッキリ言えば、ひとが、集まれば、争いは、生じるものです…」
「…争いが、生じるもの…」
「…ですが、稀に、どんな場所でも、誰を相手にしても、まったく、敵を作らない人間が、いる…いや、それどころか、簡単に、自分の味方に引き入れることすら、できる…私に言わせれば、驚きの一言です…」
「…それが、私と言うんですか?…」
「…そうです…」
葉敬が、我が意を得たりとばかりに、嬉しそうに、頷いた…
「…それが、お姉さんです…」
葉敬が、続けた…
実に、嬉しそうな表情、続けた…
私は、驚いた…
もう何度目か、わからないが、驚いた…
なぜなら、同じ言葉は、葉尊から、何度も、聞かされている…
ただ、この葉敬は、葉尊よりも、詳しく説明しただけ…
言っている意味は、同じだ…
そして、それを、言えば、あのオスマン殿下も同じ…
同じだ…
皆、一様に、この私は、誰からも、好かれる人間だと、告げる…
が、
そんなことは、ありえない…
なにしろ、私だって、普通に、嫌いな人間は、たくさんいる…
だから、その人間たちは、皆、私を嫌っているだろう…
なにしろ、私が、嫌いなのだ…
相手も、私が、嫌いなはずだ…
いや、
嫌いに、決まっている…
それなのに、なぜ、こうも皆が、私を持ち上げるのだろう…
私は、不思議だった…
不思議で、仕方が、なかった…
ハッキリ言えば、持ち上げすぎ…
評価し過ぎだった(笑)…
だから、私は、次の話題に、困った…
なにを、話して、いいか、困った…
これ以上、私の話を続けることは、できない…
だから、なにか、別の話題を探すしかない…
別の話題?
そして、それは、私と、葉敬が、知っている共通の知人の話題…
ハッキリ言えば、葉尊か、リンダか、バニラか、の三人の話題だ…
いや、
その中には、マリアもいる…
いや、
もしかしたら、マリアの話題こそ、持ってこいかも、しれない…
なにしろ、マリアは、オスマン殿下のお気に入り…
それを、マリアの母親のバニラは、恐れている…
もしかしたら、将来、オスマン殿下が、マリアをサウジアラビアに連れて行くと、言いかねないと、内心、恐れているのだ…
まさかとは、思うが、恐れている…
可能性は、限りなく、ゼロに近いが、もしやと、考える…
母親の立場なら、当たり前だ…
だが、果たして、マリアの話題をして、いいか、どうか?
なにしろ、葉敬は、マリアの父親だ…
だから、バニラ、同様、この件で、頭を悩ませている可能性も高い…
すると、どうだ?
やはり、私が、その話題に触れることは、できない…
なぜなら、あまりにも、デリケートな話題だからだ…
下手をすれば、マリアの将来についての、ことだからだ…
と、
そこまで、考えると、この話題に触れるわけには、いかんかった…
さすがに、この話題に触れることは、できんかったのだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…一体、なにを、考えているんですか?…」
と、葉敬が、聞いてきた…
私は、とっさに、答えることは、できんかった…
まさか、ここで、マリアの話題を出すことは、できんかったからだ…
が、
やはりと、いうか…
「…オスマン殿下のことですか?…」
と、葉敬が、聞いた…
それから、
「…それとも、マリアのことですか?…」
と、葉敬が、聞いてきた…
私は、驚いた…
どうして、私の考えていることが、わかったんだろうか?
だから、とっさに、
「…どうして、そう思うんですか?…」
と、聞いてしまった…
しかも、強い口調で、だ…
だから、葉敬が、
「…その口調では、思った通りですね…」
と、答え、あっけなく、私の心の内側を、見抜かれてしまった…
「…お姉さん、簡単ですよ…」
「…簡単?…」
「…私もお姉さんも、オスマン殿下に、会いに、やって来たわけじゃ、ないですか?…」
言われて、見れば、その通りだった…
真逆に、ここで、なにか、別のことを、考えることの方が、おかしい…
当たり前のことだった…
だから、今度は、遠慮なく、
「…お義父さんは、マリアのことが、心配じゃ、ないんですか?…」
と、聞いた…
「…心配? …なにが、心配なんですか?…」
「…オスマン殿下が、マリアをサウジアラビアに連れて行くかもしれないと、思わないんですか?…」
「…思いません…」
あっさりと、言った…
「…思わない?…どうして、思わないんですか?…」
「…殿下が、アラブの至宝だからです…」
…殿下が、アラブの至宝だから?…
とは、意味が、わからんかった…
…どうして、アラブの至宝だったら、マリアが、サウジに連れて行かれることはないと、思うのだろう…
謎だった…
すると、まるで、その謎を解くように、
「…お姉さん…オスマン殿下が、アラブの至宝と、呼ばれるのは、その頭脳のせいだけでは、ありません…」
と、葉敬が、言った…
「…頭脳のせいだけじゃない? …じゃ、他に、なにか、あるんですか?…」
「…人格…人柄です…」
「…人柄?…」
「…オスマン殿下の周辺から、悪い噂を聞いたことは、一度もありません…そして、それは、日本の天皇陛下も同じ…だから、周囲から、信頼されるんです…」
「…信頼される…」
「…そうです…そして、信頼される人間に、共通することが、一つあります…なんだか、わかりますか?…」
私は、そう言われて、少しばかり、考えた…
が、
思い浮かばんかった…
だから、
「…なんですか? …それは?…」
と、聞いてしまった…
「…自分の欲望を抑えることです…」
葉敬が、あっさりと、言った…
「…欲望を抑える? …ですか?…」
「…そうです…」
一体、どういう意味だろう?
私は、思った…
いや、
意味は、わかる…
だが、一体、どんな欲望を抑えるというのだろうか?
そんな私の表情に、葉敬は、気付いたんだろう…
「…これは、少し、抽象的、過ぎましたね…」
と、葉敬は、恥ずかしそうに、笑った…
「…要するに、自分の思い通りにしないということです…」
「…思い通りにしない?…」
「…当たり前ですが、殿下は、権力者です…その気になれば、どんな美女でも、呼ぶことが、できるでしょう…でも、それは、しない…」
「…どうして、しないんですか?…」
「…それでは、信用が得られないからです…いや、信頼かな…」
「…信頼?…」
「…地位や権力に、ものを、言わせて、女のひとを、自分の思い通りにする…そんな人間を、間近に、見て、お姉さんは、その人間を信頼できますか?…」
「…いえ…」
「…つまり、そういうことです…殿下も人間です…そういう感情が、まったくないわけでは、ないでしょう…でも、それは、しない…だから、信頼できるんです…」
言われてみれば、当たり前だった…
殿下のような権力者は、他人ができないことが、できる…
地位もあり、金も、あるからだ…
だが、逆に、いえば、だからこそ、できない…
そんなことを、すれば、自分が、どんな人間か、周囲が、悟るからだ…
変な話、いつも、周囲の人間の悪口を言っている人間が、いるとする…
そんな人間を見て、
「…アイツを好きか?…」
とか、
「…アイツを信頼できるか?…」
と、聞かれて、
「…ハイ…」
と、答える人間は、いない…
当たり前のことだ…
なんでも、できるから、なんでも、できない…
それが、殿下の立場では、ないか?
いわば、欲望にストッパーが、かかっている…
だが、だから、この葉敬は、バニラと違って、安心しているのでは、ないか?
私は、そう思った…
「…お姉さん…私の言うことを、信じていないようですね…」
葉敬が、言った…
私は、まさか、信じていないとは、言うことは、できんかったので、
「…」
と、黙っていた…
答えられんかったと、言っていい…
が、
そんな態度の私を見ても、なぜか、葉敬は、私を責めることは、まったくなかった…
むしろ、
「…お姉さんの気持ちは、わかります…」
と、葉敬は、私に寄り添った発言をした…
「…私の気持ちが、わかる?…」
「…そうです…私が、お姉さんなら、私が、皮肉を言っていると、思うでしょう…」
「…」
「…ですが、皮肉でも、なんでも、ありません…」
「…どうして、そう、断言できるんですか?…」
ホントは、義父の葉敬に、盾突くようだから、こんなことを、言っては、マズいのだが、つい、聞いてしまった…
「…それは、お姉さんが、誰からも、好かれるからですよ…」
「…私が、誰からも、好かれる?…」
「…ハイ…リンダも、バニラも、お姉さんと、知り合って、まもなく、お姉さんと、仲良くなりました…これは、誰にも、できることでは、ありません…お姉さんだから、できることです…」
「…私だから、できること?…」
「…その通りです…」
「…どうして、私だから、できることなんですか?…」
と、これも、つい、お義父さんに、突っかかるような口調で、聞いてしまった…
が、
葉敬は、気分を害するどころか、ニコニコと、楽しそうに、
「…リンダもバニラも、プライドが、高い…」
と、言った…
「…プライドが高い?…」
「…ハイ…二人とも、当たり前ですが、成功者です…だから、どうしても、プライドが、高くなる…すると、どうですか? …ときには、扱いに、困ることも、出てきます…」
「…扱いに、困ることって?…」
「…変な話…他人と、同じでは、嫌だということです…自分は、有名人だから、他人と、同じ扱いでは、プライドが、傷付けられたと、考える…」
「…」
「…あるいは、真逆に、変に、優遇すれば、私は有名人だから、優遇するんですか? と、食ってかかるかもしれない…」
「…食ってかかる?…」
「…ハイ…」
「…」
「…そして、もし、そうなったら、相手は、どうして、いいか、わからなくなる…下手をすれば、なにをしても、相手が、怒り出すかも、しれないからです…」
「…」
「…これは、別に、二人が、性格が、悪いと言っているわけでは、ありません…ただ、誰もが、そうですが、成功している人間は、知らず知らずの間に、プライドが、高くなりがちです…どうしても、自我が、肥大してしまう…だから、態度も、尊大になる…」
「…」
「…だから、皆、扱いに、困るのです…」
たしかに、葉敬の言うことは、わかる…
どんな人間も、自分が、成功すれば、それ以前とは、同じというわけには、いかない…
収入が、増える…
会社での地位が上がる…
大抵の人間が、そうなれば、自然と、態度が、大きくなる…
当たり前のことだ…
いわば、成功したことで、自分に自信を持つことが、できたわけだ…
が、
その結果、葉敬が、言うように、周囲が、扱いに、困ることも、起きるに違いない…
もちろん、誰もが、成功すれば、態度が、大きくなるわけではない…
が、
大抵は、大きくなるだろう…
だから、わかりやすい例えで、言えば、無名時代に知り合った友人が、訪ねてきたと、する…
そして、自分と、対等に、話し出せば、激怒する人間も、いるに違いない…
ありていに言えば、
「…あの頃のオレ(アタシ)と、今のオレ(アタシ)は、違うんだよ!…」
と、言いたいわけだ…
まあ、あくまで、無名時代に偶然知り合った人間だから、そういう態度を取るので、あって、中学や、高校時代の友人には、そういう態度を取らない可能性も、高い…
あくまで、ちょっと、知り合った程度の友人に過ぎないから、そういう態度を取るのかもしれない(笑)…
私は、考えた…
そして、そんなことを、考えていると、
「…でも、お姉さんは、違う…」
と、葉敬が、続けた…
「…私は、違う?…」
「…ハイ…」
葉敬が、嬉しそうに、頷いた…
「…お姉さんは、誰とでも、仲良くなれる…決して、敵を作らない…私が、これまで、生きてきた中で、お姉さんほど、ひとに、好かれた人間は、見たことが、ありません…」
「…ウソッ!…」
つい、叫んでしまった…
私は、しまったと、思った…
いくらなんでも、葉敬に失礼だと、思ったのだ…
が、
葉敬は、まったく気にした様子は、なかった…
むしろ、
「…大げさすぎましたか?…」
と、言って、楽しそうに、笑った…
それから、一転して、真面目な表情に、なった…
「…でも、事実です…いや、ほとんで、事実です…」
「…ほとんど事実?…」
なんとも、微妙な物言いだった…
ほとんど、事実とは?
一体、どういう意味だろう?
だから、
「…ほとんど、事実って?…」
と、つい、聞いてしまった…
すると、
「…あまり、お目にかかったことがない…ですが、まったく、見たことがないわけでも、ない…」
ゆっくりと、考え、ながら、一言一言、噛み締めるように、呟く…
「…私に、言わせれば、スーパーマン…あるいは、スーパーウーマンです…」
「…どうして、ですか?…」
「…ひとに、嫌われないことは、難しいです…」
葉敬は、シミジミとした口調で、言う…
「…別に、なにかをするわけではない…ただ、会社でも、学校でも、自然に振る舞っている…ですが、大抵の人間は、一人や二人の敵が、できるものです…」
「…」
「…そして、それが、人間です…日本のことわざにも、あるでしょ? …男は、敷居を跨(また)げば、七人の敵ありという言葉が…」
言われてみれば、そんな言葉を聞いたことが、あるような…
あるいは、ないような(苦笑)…
私が、そんな戸惑った表情を浮かべているのを、見て、
「…要するに、男が、一歩家を出て、社会に出れば、多くの敵やライバルがいて、苦労するという例えです…ですが、当然、女のひとも、同じです…」
「…同じ…」
「…そうです…誰もが、一歩家から外に出れば、敵がいて、当たり前です…」
葉敬が、力を込める…
「…とりわけ、私のような商売をしていれば、当然ですが、そうでなくても、学校のような場所でも、当然、敵やライバルが、存在します…ハッキリ言えば、ひとが、集まれば、争いは、生じるものです…」
「…争いが、生じるもの…」
「…ですが、稀に、どんな場所でも、誰を相手にしても、まったく、敵を作らない人間が、いる…いや、それどころか、簡単に、自分の味方に引き入れることすら、できる…私に言わせれば、驚きの一言です…」
「…それが、私と言うんですか?…」
「…そうです…」
葉敬が、我が意を得たりとばかりに、嬉しそうに、頷いた…
「…それが、お姉さんです…」
葉敬が、続けた…
実に、嬉しそうな表情、続けた…
私は、驚いた…
もう何度目か、わからないが、驚いた…
なぜなら、同じ言葉は、葉尊から、何度も、聞かされている…
ただ、この葉敬は、葉尊よりも、詳しく説明しただけ…
言っている意味は、同じだ…
そして、それを、言えば、あのオスマン殿下も同じ…
同じだ…
皆、一様に、この私は、誰からも、好かれる人間だと、告げる…
が、
そんなことは、ありえない…
なにしろ、私だって、普通に、嫌いな人間は、たくさんいる…
だから、その人間たちは、皆、私を嫌っているだろう…
なにしろ、私が、嫌いなのだ…
相手も、私が、嫌いなはずだ…
いや、
嫌いに、決まっている…
それなのに、なぜ、こうも皆が、私を持ち上げるのだろう…
私は、不思議だった…
不思議で、仕方が、なかった…
ハッキリ言えば、持ち上げすぎ…
評価し過ぎだった(笑)…
だから、私は、次の話題に、困った…
なにを、話して、いいか、困った…
これ以上、私の話を続けることは、できない…
だから、なにか、別の話題を探すしかない…
別の話題?
そして、それは、私と、葉敬が、知っている共通の知人の話題…
ハッキリ言えば、葉尊か、リンダか、バニラか、の三人の話題だ…
いや、
その中には、マリアもいる…
いや、
もしかしたら、マリアの話題こそ、持ってこいかも、しれない…
なにしろ、マリアは、オスマン殿下のお気に入り…
それを、マリアの母親のバニラは、恐れている…
もしかしたら、将来、オスマン殿下が、マリアをサウジアラビアに連れて行くと、言いかねないと、内心、恐れているのだ…
まさかとは、思うが、恐れている…
可能性は、限りなく、ゼロに近いが、もしやと、考える…
母親の立場なら、当たり前だ…
だが、果たして、マリアの話題をして、いいか、どうか?
なにしろ、葉敬は、マリアの父親だ…
だから、バニラ、同様、この件で、頭を悩ませている可能性も高い…
すると、どうだ?
やはり、私が、その話題に触れることは、できない…
なぜなら、あまりにも、デリケートな話題だからだ…
下手をすれば、マリアの将来についての、ことだからだ…
と、
そこまで、考えると、この話題に触れるわけには、いかんかった…
さすがに、この話題に触れることは、できんかったのだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…一体、なにを、考えているんですか?…」
と、葉敬が、聞いてきた…
私は、とっさに、答えることは、できんかった…
まさか、ここで、マリアの話題を出すことは、できんかったからだ…
が、
やはりと、いうか…
「…オスマン殿下のことですか?…」
と、葉敬が、聞いた…
それから、
「…それとも、マリアのことですか?…」
と、葉敬が、聞いてきた…
私は、驚いた…
どうして、私の考えていることが、わかったんだろうか?
だから、とっさに、
「…どうして、そう思うんですか?…」
と、聞いてしまった…
しかも、強い口調で、だ…
だから、葉敬が、
「…その口調では、思った通りですね…」
と、答え、あっけなく、私の心の内側を、見抜かれてしまった…
「…お姉さん、簡単ですよ…」
「…簡単?…」
「…私もお姉さんも、オスマン殿下に、会いに、やって来たわけじゃ、ないですか?…」
言われて、見れば、その通りだった…
真逆に、ここで、なにか、別のことを、考えることの方が、おかしい…
当たり前のことだった…
だから、今度は、遠慮なく、
「…お義父さんは、マリアのことが、心配じゃ、ないんですか?…」
と、聞いた…
「…心配? …なにが、心配なんですか?…」
「…オスマン殿下が、マリアをサウジアラビアに連れて行くかもしれないと、思わないんですか?…」
「…思いません…」
あっさりと、言った…
「…思わない?…どうして、思わないんですか?…」
「…殿下が、アラブの至宝だからです…」
…殿下が、アラブの至宝だから?…
とは、意味が、わからんかった…
…どうして、アラブの至宝だったら、マリアが、サウジに連れて行かれることはないと、思うのだろう…
謎だった…
すると、まるで、その謎を解くように、
「…お姉さん…オスマン殿下が、アラブの至宝と、呼ばれるのは、その頭脳のせいだけでは、ありません…」
と、葉敬が、言った…
「…頭脳のせいだけじゃない? …じゃ、他に、なにか、あるんですか?…」
「…人格…人柄です…」
「…人柄?…」
「…オスマン殿下の周辺から、悪い噂を聞いたことは、一度もありません…そして、それは、日本の天皇陛下も同じ…だから、周囲から、信頼されるんです…」
「…信頼される…」
「…そうです…そして、信頼される人間に、共通することが、一つあります…なんだか、わかりますか?…」
私は、そう言われて、少しばかり、考えた…
が、
思い浮かばんかった…
だから、
「…なんですか? …それは?…」
と、聞いてしまった…
「…自分の欲望を抑えることです…」
葉敬が、あっさりと、言った…
「…欲望を抑える? …ですか?…」
「…そうです…」
一体、どういう意味だろう?
私は、思った…
いや、
意味は、わかる…
だが、一体、どんな欲望を抑えるというのだろうか?
そんな私の表情に、葉敬は、気付いたんだろう…
「…これは、少し、抽象的、過ぎましたね…」
と、葉敬は、恥ずかしそうに、笑った…
「…要するに、自分の思い通りにしないということです…」
「…思い通りにしない?…」
「…当たり前ですが、殿下は、権力者です…その気になれば、どんな美女でも、呼ぶことが、できるでしょう…でも、それは、しない…」
「…どうして、しないんですか?…」
「…それでは、信用が得られないからです…いや、信頼かな…」
「…信頼?…」
「…地位や権力に、ものを、言わせて、女のひとを、自分の思い通りにする…そんな人間を、間近に、見て、お姉さんは、その人間を信頼できますか?…」
「…いえ…」
「…つまり、そういうことです…殿下も人間です…そういう感情が、まったくないわけでは、ないでしょう…でも、それは、しない…だから、信頼できるんです…」
言われてみれば、当たり前だった…
殿下のような権力者は、他人ができないことが、できる…
地位もあり、金も、あるからだ…
だが、逆に、いえば、だからこそ、できない…
そんなことを、すれば、自分が、どんな人間か、周囲が、悟るからだ…
変な話、いつも、周囲の人間の悪口を言っている人間が、いるとする…
そんな人間を見て、
「…アイツを好きか?…」
とか、
「…アイツを信頼できるか?…」
と、聞かれて、
「…ハイ…」
と、答える人間は、いない…
当たり前のことだ…
なんでも、できるから、なんでも、できない…
それが、殿下の立場では、ないか?
いわば、欲望にストッパーが、かかっている…
だが、だから、この葉敬は、バニラと違って、安心しているのでは、ないか?
私は、そう思った…