第113話

文字数 5,270文字

 私は、その夜、ベッドに、横になって、考えた…

 さっきの葉尊の話を、だ…

 リンダ…

 リンダ・ヘイワース…

 ハリウッドのセックス・シンボル…

 リンダのことを、考え続けたのだ…

 考えてみれば、リンダとは、不思議な因縁だった…

 当初、私と葉尊の結婚を知った、リンダは、激怒して、私に勝負を挑んだ…

 つまりは、勝負をして、リンダが、勝てば、葉尊から、身を引けと、私に迫ったのだ…

 勝負といっても、ボクシングでも、剣道でも、なんでもない…

 勝負は、書道だった…

 事前に、リンダが、自信満々な態度で、どんな勝負でも、受けると、言ったのだ…

 私は、悩んだ…

 すでに、何度も言ったが、私は、平凡な女…

 誰かと、勝負して、勝つ見込みなど、なにも、なかった…

 だから、悩んだ…

 が、

 これも、偶然、ヤンのアドバイスで、書道に決めた…

 が、

 それを、アドバイスしたのが、ヤン=リンダ当人だと、知って、後に仰天したものだ…

 が、

 結局、勝った…

 いや、

 引き分けた…

 そして、それを、機会に、ヤン=リンダと、仲良くなった…

 いわば、肝胆相照らす仲になったのだ…

 元々、ヤン=リンダは、夫の葉尊の親友…

 だから、夫の葉尊も、私が、リンダと仲良くなることに、賛成だった…

 そして、バニラ…

 あのバカ、バニラだ…

 バニラは、生意気だった…

 初めて会ったときから、気に入らんかった…

 いつも、私に歯向かった…

 立ち向かってきた…

 だから、普段、温厚な私も、許せんかった…

 あのバカ、バニラを、許せんかったのだ…

 が、

 今は、あのバニラの力が、必要かも、しれんかった…

 ハッキリ言えば、バニラの力は、どうでもいいが、バニラの娘のマリアの力が、必要だった…

 リンダを助けるために、必要だったのだ…

 私は、思った…

 思いながら、一方で、なぜ、私が、リンダを助けねば、ならんのだ? とも、思った…

 実は、私にとって、リンダは、邪魔な存在だった…

 私とリンダは、仲がいい…

 だが、

 邪魔な存在だった…

 なぜなら、リンダは、美人だからだ…

 ハリウッドのセックス・シンボルだからだ…

 心は、男だ、なんだ、と言っているが、絶世の美女であることは、変わらん…

 いかに、夫の葉尊の親友とはいえ、近くに、いてもらっては、困る…

 葉尊も男…

 近くに、あんな美人がいては、いつ、リンダと、男女の関係になるか、心配で、堪らん…

 男女の関係になった結果、この矢田トモコが、葉尊の妻の座から転げ落ち、追放されては、困るからだ…

 実は、この矢田は、密かに、それを、恐れていた…

 誰にも、バレることは、なかったが、密かに、それを、恐れていたのだ…

 だから、今、リンダが、もしかしたら、オスマン殿下の逆鱗に触れて、殺されでも、したら、可哀そうだと、思いながら、一方で、それを、喜ぶ私が、いた…

 もちろん、リンダが、死んでは、困る…

 だから、本当は、いなくなれば、いい…

 葉尊の近くから、いなくなればいい…

 それが、偽りのない本音だった…

 所詮は、女同士の友情は、儚い…

 脆い…

 友情よりも、金…

 金だ(笑)…

 そうは、言いながら、一方で、リンダの身を案じる私が、いた…

 一方で、リンダが、いなくなれば、いいと、思いながら、一方で、リンダの身を案じる…

 我ながら、バカバカしい…

 矛盾するにも、ほどがあると、思いながらも、それが、真実だった…

 この矢田トモコの心の真実だったのだ…

 だから、悩んだ…

 悩んだのだ…

 すると、隣のベッドに寝ている葉尊が、

 「…お姉さん…リンダのことを、頼みます…」

 と、言った…

 私は、驚いた…

 まさか、葉尊が、まだ起きているとは、思わなかったのだ…

 だから、

 「…葉尊…オマエ…」

 と、声をかけた…

 が、

 反応は、なかった…

 だから、私は、ベッドから降りて、葉尊の近くに、いった…

 そして、葉尊を見た…

 葉尊は、眠っていた…

 それゆえ、今のは、葉尊の寝言で、あることが、わかった…

 と、同時に、思った…

 葉尊が、そんな寝言を言うほど、リンダを思っている事実を、だ…

 …これは、なんとかせねば、なるまいな…

 私は、そう、心に決めた…

 私は、そう、固く、心に誓った…

 
 そして、その翌日、バニラに、電話した…

 バカ、バニラに、電話を、してやったのだ…

 私は、夫の葉尊が、会社に出勤して、すぐに、あのバカ、バニラに、電話を、かけた…

 本当は、かけたくないのに、電話を、かけたのだ…

 なにしろ、その前に、会社に、出勤する葉尊に、

 「…葉尊…心配するな…リンダのことは、私に任せておけ!…」

 と、自分の大きな胸をポンと叩いて、大見えを切ったのだ…

 それを、見て、

 「…お姉さん…」

 と、葉尊は、絶句した…

 葉尊は、すでに、泣きそうだった…

 涙が、流れる寸前だったのだ…

 「…そんな目で、私を見るな…」

 私は、葉尊に言った…

 「…葉尊…オマエの気持ちはわかる…」

 私は、元気いっぱいに、朝食を取りながら、言った…

 ごはんの箸を止めずに、言った…

 「…リンダは、オマエの親友さ…そして、私にとっても、かけがえのない友人さ…」

 「…お姉さん…」

 「…そんな目で、私を見るな…オマエの気持ちは、わかる…私に任せておけ…」

 私は、同じ言葉を繰り返した…

 「…でも、お姉さん…一体、どうするつもりですか?…」

 「…あの、バカ、バニラに、頼んでみるさ…」

 「…バニラに?…」

 「…バニラは、バカだが、娘のマリアは、オスマン殿下のお気に入りだ…マリアを使えば、なんとか、なるかも、しれん…」

 「…マリアが、オスマン殿下のお気に入り?…」

 葉尊が、驚いた…

 「…そうさ…だから、マリアを通じて、オスマン殿下に、頼むに、限る…」

 私が、相変わらず、箸を止めずに、言うと、葉尊は、なにかを、考えているようだった…

 「…どうした? …葉尊?…」

 「…い…いえ?…」

 なんとも、歯切れの悪い口調だった…

 「…なんだ、葉尊…その言い方は?…」

 私は、怒った…

 「…言いたいことが、あれば、ハッキリ、言え…」

 私が、言うと、葉尊は、ちょっと考えてから、

 「…オスマン殿下に、関する噂ですが…」

 と、前置きして、言った…

 「…殿下が、リンダ・ヘイワースの大ファンであるという噂は、掴みました…ただ…」

 「…ただ、なんだ?…」

 「…それが、真実か、どうか? までは、わかりません…」

 「…なんだと? …どういう意味だ?…」

 「…殿下は、アラブの至宝と呼ばれるほどの人物です…」

 「…それは、知っている…」

 「…そして、そんな人物は、決して、素顔を見せないことが、多いです…」

 「…素顔を見せない? …どういう意味だ?…」

 「…例えば、自分の好きな食べ物…好きな女性のタイプなど、他愛もない、ことも、一切、話さない…」

 「…どうして、話さないんだ?…」

 「…素(す)の自分を知られるのが、怖いからです…」

 「…怖いからだと? …どうして、怖いんだ?…」

 「…素(す)の自分を知られることで、自分の行動が、読まれる危険が、あるからです…」

 「…行動が、読まれる?…」

 「…昔、聞いた話ですが、日本では、豊臣秀吉が、よく、配下の大名に、すごろくのようなゲームをさせていたと、あります…自分は、参加せずに、です…」

 「…ゲーム?…」

 あまりにも、意外な話だった…

 秀吉が、ゲームとは?

 「…要するに、すごろくをさせることによって、配下の大名の性格を見ていたんです…」

 「…性格だと?…」

 「…ほら、当時は、戦国…戦(いくさ)が、ありふれてました…だから、すごろくのようなゲームをさせて、その大名が、どんな、戦い方をするのか、見るのです…」

 「…戦い方だと?…」

 「…ある大名は、キチンと、基本通りに、進めたとします…すると、その大名が、秀吉に逆らって、戦(いくさ)を仕掛けてきても、キチンと、基本通りに、兵を動かすだろうと、考えます…真逆に、博打というか、常に、一か八かで、ゲームをするものは、兵を動かすときも、いわば、基本ではなく、奇策を持ちうると、判断します…」

 そんなことが…

 たかだか、すごろくで、わかるとは?

 考えもせんかった…

 私は、驚いた…

 「…ですが、秀吉が、いくら、勧めても、決して、そのゲームに参加しない大名が、一人だけ、いたそうです…」

 「…誰だ? …それは?…」

 「…徳川家康です…」

 「…家康?…」

 「…要するに、秀吉の意図を見抜いていたんでしょ? …これだけで、家康のしたたかさというか、慎重さが、見て取れます…」

 「…」

 「…もちろん、これが、本当か、どうかは、わかりません…後世の作り話かも、しれません…ですが、それで、性格を見抜くことが、できます…だから、その性格を見抜かれることを、恐れて、家康は、決して、ゲームをしなかった…」

 「…」

 「…これを、オスマン殿下に当てはめたとします…すると、どうですか?…」

 「…なにが、言いたい?…」

 「…殿下は、小人症と聞きました…すると、リンダのような、大柄な美人に憧れるというのは、至極、真っ当な判断です…」

 「…至極、真っ当な判断だと?…」

 「…外見が、子供に見える人間が、成熟した大人の女に憧れる…つまりは、自分にないものを、相手に求める…至極、真っ当な判断です…」

 「…」

 「…だから、それを聞いた者も、皆、納得します…」

 「…」

 「…ですが、ボクは、それを信用していません…」

 「…どうして、信用していないんだ?…」

 「…殿下が、アラブの至宝だからです…だから、そんな、女性の好みのように、些細なことでも、表に出すか、どうかは、わからない…」

 「…」

 「…むしろ、殿下は、家康に近いのでは、ないかと、思います…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…決して、自分の素顔は、明かさない…素(す)の姿は、見せない…」

 「…」

 「…そう、考えるのが、むしろ、自然です…」

 「…だったら、リンダは? …リンダが、好きだと言うのは?…」

 「…単なるパフォーマンス…当て馬の可能性も、あります…」

 「…当て馬だと?…」

 「…本命は、別にいて、それを、カムフラージュするのに、リンダは好都合です…なにしろ、リンダは、ハリウッドのセックス・シンボルです…リンダに憧れていると、言えば、誰もが、納得する…」

 「…」

 「…本命を…本心を隠すには、好都合です…」

 葉尊が、言った…


 私は、そんな葉尊の言葉を胸に秘め、バニラに、電話をかけた…

 バカ、バニラに、電話をかけたのだ…

 が、

 ちっとも、出んかった…

 あのバカ、バニラ…

 どうして、電話に出ん!

 私は、電話に向かって、一人、悪態をついた…

 「…だから、アイツは、ダメなんだ…」

 私が、思わず、愚痴ると、

 「…なにが、ダメなんだって…」

 と、いう声が、聞こえてきた…

 だから、つい、

 「…あの、バカ、バニラさ…」

 と、言ってしまった…

 「…バカ、バニラ?…」

 「…そうさ…所詮は、顔だけが、取り柄の女さ…ダメな女さ…」

 と、付け加えた…

 すると、

 「…」

 と、沈黙があった…

 間があった…

 それから、

 「…朝っぱら、ひとんとこに電話をかけてきて、いきなり、ひとをバカ呼ばわりするとは、どういう了見だ!…」

 と、電話の向こう側から、大声で、激怒する声が聞こえてきた…

 私は、さすがに、マズいと、思った…

 だから、とっさに、

 「…オマエも歳だな…なにか、聞こえたのか? …幻聴だろ?…」

 と、言ってやった…

 とっさに、ごまかすことにしたのだ…

 が、

 それが、火に油を注いだ…

 「…このクソチビが! わかるウソを!…」

 と、電話の向こう側で、私を罵った…

 だから、私は、このバニラに電話をするのは、嫌だった…

 ろくなことが、起こらん…

 そう思った…

 これまで、このバカ、バニラと、関わって、なにか、一つでも、良かったことがなかった…

 考えてみれば、なに一つなかったのだ…

 が、

 電話を切るわけには、いかんかった…

 なにしろ、リンダの身が、心配だ…

 正直、リンダの身よりも、夫の葉尊との約束の方が、大切だった…

 なにしろ、

 「…リンダのことは、心配するな…私に任せておけ…」

 と、大見えを切ったのだ…

 だから、夫の葉尊との約束を破るわけには、いかんかった…

 私が、そんなことを考えていると、

 「…このクソチビが…ホント、朝っぱらから、胸糞悪い…」

 と、散々、私の悪口を言っていた…

 私は、頭に来たが、耐えた…

 臥薪嘗胆…

 今に見ていろ! と、いう気持ちだった…

 そして、とっさに、

 「…オスマン殿下が…」

 と、つい、口にした…

 すると、私を罵る声が、止んだ…

 急に、止まった…

 私は、なにが、あったか、わからんかった…

 もしや、電話が切れたのでは、ないか? と、思って、

 「…バニラ…聞こえるか?…」

 と、聞いた…

 すると、

 「…聞こえます…お姉さん…」

 と、一転して、塩らしい声が、聞こえてきた…

               
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