第113話
文字数 5,270文字
私は、その夜、ベッドに、横になって、考えた…
さっきの葉尊の話を、だ…
リンダ…
リンダ・ヘイワース…
ハリウッドのセックス・シンボル…
リンダのことを、考え続けたのだ…
考えてみれば、リンダとは、不思議な因縁だった…
当初、私と葉尊の結婚を知った、リンダは、激怒して、私に勝負を挑んだ…
つまりは、勝負をして、リンダが、勝てば、葉尊から、身を引けと、私に迫ったのだ…
勝負といっても、ボクシングでも、剣道でも、なんでもない…
勝負は、書道だった…
事前に、リンダが、自信満々な態度で、どんな勝負でも、受けると、言ったのだ…
私は、悩んだ…
すでに、何度も言ったが、私は、平凡な女…
誰かと、勝負して、勝つ見込みなど、なにも、なかった…
だから、悩んだ…
が、
これも、偶然、ヤンのアドバイスで、書道に決めた…
が、
それを、アドバイスしたのが、ヤン=リンダ当人だと、知って、後に仰天したものだ…
が、
結局、勝った…
いや、
引き分けた…
そして、それを、機会に、ヤン=リンダと、仲良くなった…
いわば、肝胆相照らす仲になったのだ…
元々、ヤン=リンダは、夫の葉尊の親友…
だから、夫の葉尊も、私が、リンダと仲良くなることに、賛成だった…
そして、バニラ…
あのバカ、バニラだ…
バニラは、生意気だった…
初めて会ったときから、気に入らんかった…
いつも、私に歯向かった…
立ち向かってきた…
だから、普段、温厚な私も、許せんかった…
あのバカ、バニラを、許せんかったのだ…
が、
今は、あのバニラの力が、必要かも、しれんかった…
ハッキリ言えば、バニラの力は、どうでもいいが、バニラの娘のマリアの力が、必要だった…
リンダを助けるために、必要だったのだ…
私は、思った…
思いながら、一方で、なぜ、私が、リンダを助けねば、ならんのだ? とも、思った…
実は、私にとって、リンダは、邪魔な存在だった…
私とリンダは、仲がいい…
だが、
邪魔な存在だった…
なぜなら、リンダは、美人だからだ…
ハリウッドのセックス・シンボルだからだ…
心は、男だ、なんだ、と言っているが、絶世の美女であることは、変わらん…
いかに、夫の葉尊の親友とはいえ、近くに、いてもらっては、困る…
葉尊も男…
近くに、あんな美人がいては、いつ、リンダと、男女の関係になるか、心配で、堪らん…
男女の関係になった結果、この矢田トモコが、葉尊の妻の座から転げ落ち、追放されては、困るからだ…
実は、この矢田は、密かに、それを、恐れていた…
誰にも、バレることは、なかったが、密かに、それを、恐れていたのだ…
だから、今、リンダが、もしかしたら、オスマン殿下の逆鱗に触れて、殺されでも、したら、可哀そうだと、思いながら、一方で、それを、喜ぶ私が、いた…
もちろん、リンダが、死んでは、困る…
だから、本当は、いなくなれば、いい…
葉尊の近くから、いなくなればいい…
それが、偽りのない本音だった…
所詮は、女同士の友情は、儚い…
脆い…
友情よりも、金…
金だ(笑)…
そうは、言いながら、一方で、リンダの身を案じる私が、いた…
一方で、リンダが、いなくなれば、いいと、思いながら、一方で、リンダの身を案じる…
我ながら、バカバカしい…
矛盾するにも、ほどがあると、思いながらも、それが、真実だった…
この矢田トモコの心の真実だったのだ…
だから、悩んだ…
悩んだのだ…
すると、隣のベッドに寝ている葉尊が、
「…お姉さん…リンダのことを、頼みます…」
と、言った…
私は、驚いた…
まさか、葉尊が、まだ起きているとは、思わなかったのだ…
だから、
「…葉尊…オマエ…」
と、声をかけた…
が、
反応は、なかった…
だから、私は、ベッドから降りて、葉尊の近くに、いった…
そして、葉尊を見た…
葉尊は、眠っていた…
それゆえ、今のは、葉尊の寝言で、あることが、わかった…
と、同時に、思った…
葉尊が、そんな寝言を言うほど、リンダを思っている事実を、だ…
…これは、なんとかせねば、なるまいな…
私は、そう、心に決めた…
私は、そう、固く、心に誓った…
そして、その翌日、バニラに、電話した…
バカ、バニラに、電話を、してやったのだ…
私は、夫の葉尊が、会社に出勤して、すぐに、あのバカ、バニラに、電話を、かけた…
本当は、かけたくないのに、電話を、かけたのだ…
なにしろ、その前に、会社に、出勤する葉尊に、
「…葉尊…心配するな…リンダのことは、私に任せておけ!…」
と、自分の大きな胸をポンと叩いて、大見えを切ったのだ…
それを、見て、
「…お姉さん…」
と、葉尊は、絶句した…
葉尊は、すでに、泣きそうだった…
涙が、流れる寸前だったのだ…
「…そんな目で、私を見るな…」
私は、葉尊に言った…
「…葉尊…オマエの気持ちはわかる…」
私は、元気いっぱいに、朝食を取りながら、言った…
ごはんの箸を止めずに、言った…
「…リンダは、オマエの親友さ…そして、私にとっても、かけがえのない友人さ…」
「…お姉さん…」
「…そんな目で、私を見るな…オマエの気持ちは、わかる…私に任せておけ…」
私は、同じ言葉を繰り返した…
「…でも、お姉さん…一体、どうするつもりですか?…」
「…あの、バカ、バニラに、頼んでみるさ…」
「…バニラに?…」
「…バニラは、バカだが、娘のマリアは、オスマン殿下のお気に入りだ…マリアを使えば、なんとか、なるかも、しれん…」
「…マリアが、オスマン殿下のお気に入り?…」
葉尊が、驚いた…
「…そうさ…だから、マリアを通じて、オスマン殿下に、頼むに、限る…」
私が、相変わらず、箸を止めずに、言うと、葉尊は、なにかを、考えているようだった…
「…どうした? …葉尊?…」
「…い…いえ?…」
なんとも、歯切れの悪い口調だった…
「…なんだ、葉尊…その言い方は?…」
私は、怒った…
「…言いたいことが、あれば、ハッキリ、言え…」
私が、言うと、葉尊は、ちょっと考えてから、
「…オスマン殿下に、関する噂ですが…」
と、前置きして、言った…
「…殿下が、リンダ・ヘイワースの大ファンであるという噂は、掴みました…ただ…」
「…ただ、なんだ?…」
「…それが、真実か、どうか? までは、わかりません…」
「…なんだと? …どういう意味だ?…」
「…殿下は、アラブの至宝と呼ばれるほどの人物です…」
「…それは、知っている…」
「…そして、そんな人物は、決して、素顔を見せないことが、多いです…」
「…素顔を見せない? …どういう意味だ?…」
「…例えば、自分の好きな食べ物…好きな女性のタイプなど、他愛もない、ことも、一切、話さない…」
「…どうして、話さないんだ?…」
「…素(す)の自分を知られるのが、怖いからです…」
「…怖いからだと? …どうして、怖いんだ?…」
「…素(す)の自分を知られることで、自分の行動が、読まれる危険が、あるからです…」
「…行動が、読まれる?…」
「…昔、聞いた話ですが、日本では、豊臣秀吉が、よく、配下の大名に、すごろくのようなゲームをさせていたと、あります…自分は、参加せずに、です…」
「…ゲーム?…」
あまりにも、意外な話だった…
秀吉が、ゲームとは?
「…要するに、すごろくをさせることによって、配下の大名の性格を見ていたんです…」
「…性格だと?…」
「…ほら、当時は、戦国…戦(いくさ)が、ありふれてました…だから、すごろくのようなゲームをさせて、その大名が、どんな、戦い方をするのか、見るのです…」
「…戦い方だと?…」
「…ある大名は、キチンと、基本通りに、進めたとします…すると、その大名が、秀吉に逆らって、戦(いくさ)を仕掛けてきても、キチンと、基本通りに、兵を動かすだろうと、考えます…真逆に、博打というか、常に、一か八かで、ゲームをするものは、兵を動かすときも、いわば、基本ではなく、奇策を持ちうると、判断します…」
そんなことが…
たかだか、すごろくで、わかるとは?
考えもせんかった…
私は、驚いた…
「…ですが、秀吉が、いくら、勧めても、決して、そのゲームに参加しない大名が、一人だけ、いたそうです…」
「…誰だ? …それは?…」
「…徳川家康です…」
「…家康?…」
「…要するに、秀吉の意図を見抜いていたんでしょ? …これだけで、家康のしたたかさというか、慎重さが、見て取れます…」
「…」
「…もちろん、これが、本当か、どうかは、わかりません…後世の作り話かも、しれません…ですが、それで、性格を見抜くことが、できます…だから、その性格を見抜かれることを、恐れて、家康は、決して、ゲームをしなかった…」
「…」
「…これを、オスマン殿下に当てはめたとします…すると、どうですか?…」
「…なにが、言いたい?…」
「…殿下は、小人症と聞きました…すると、リンダのような、大柄な美人に憧れるというのは、至極、真っ当な判断です…」
「…至極、真っ当な判断だと?…」
「…外見が、子供に見える人間が、成熟した大人の女に憧れる…つまりは、自分にないものを、相手に求める…至極、真っ当な判断です…」
「…」
「…だから、それを聞いた者も、皆、納得します…」
「…」
「…ですが、ボクは、それを信用していません…」
「…どうして、信用していないんだ?…」
「…殿下が、アラブの至宝だからです…だから、そんな、女性の好みのように、些細なことでも、表に出すか、どうかは、わからない…」
「…」
「…むしろ、殿下は、家康に近いのでは、ないかと、思います…」
「…どういう意味だ?…」
「…決して、自分の素顔は、明かさない…素(す)の姿は、見せない…」
「…」
「…そう、考えるのが、むしろ、自然です…」
「…だったら、リンダは? …リンダが、好きだと言うのは?…」
「…単なるパフォーマンス…当て馬の可能性も、あります…」
「…当て馬だと?…」
「…本命は、別にいて、それを、カムフラージュするのに、リンダは好都合です…なにしろ、リンダは、ハリウッドのセックス・シンボルです…リンダに憧れていると、言えば、誰もが、納得する…」
「…」
「…本命を…本心を隠すには、好都合です…」
葉尊が、言った…
私は、そんな葉尊の言葉を胸に秘め、バニラに、電話をかけた…
バカ、バニラに、電話をかけたのだ…
が、
ちっとも、出んかった…
あのバカ、バニラ…
どうして、電話に出ん!
私は、電話に向かって、一人、悪態をついた…
「…だから、アイツは、ダメなんだ…」
私が、思わず、愚痴ると、
「…なにが、ダメなんだって…」
と、いう声が、聞こえてきた…
だから、つい、
「…あの、バカ、バニラさ…」
と、言ってしまった…
「…バカ、バニラ?…」
「…そうさ…所詮は、顔だけが、取り柄の女さ…ダメな女さ…」
と、付け加えた…
すると、
「…」
と、沈黙があった…
間があった…
それから、
「…朝っぱら、ひとんとこに電話をかけてきて、いきなり、ひとをバカ呼ばわりするとは、どういう了見だ!…」
と、電話の向こう側から、大声で、激怒する声が聞こえてきた…
私は、さすがに、マズいと、思った…
だから、とっさに、
「…オマエも歳だな…なにか、聞こえたのか? …幻聴だろ?…」
と、言ってやった…
とっさに、ごまかすことにしたのだ…
が、
それが、火に油を注いだ…
「…このクソチビが! わかるウソを!…」
と、電話の向こう側で、私を罵った…
だから、私は、このバニラに電話をするのは、嫌だった…
ろくなことが、起こらん…
そう思った…
これまで、このバカ、バニラと、関わって、なにか、一つでも、良かったことがなかった…
考えてみれば、なに一つなかったのだ…
が、
電話を切るわけには、いかんかった…
なにしろ、リンダの身が、心配だ…
正直、リンダの身よりも、夫の葉尊との約束の方が、大切だった…
なにしろ、
「…リンダのことは、心配するな…私に任せておけ…」
と、大見えを切ったのだ…
だから、夫の葉尊との約束を破るわけには、いかんかった…
私が、そんなことを考えていると、
「…このクソチビが…ホント、朝っぱらから、胸糞悪い…」
と、散々、私の悪口を言っていた…
私は、頭に来たが、耐えた…
臥薪嘗胆…
今に見ていろ! と、いう気持ちだった…
そして、とっさに、
「…オスマン殿下が…」
と、つい、口にした…
すると、私を罵る声が、止んだ…
急に、止まった…
私は、なにが、あったか、わからんかった…
もしや、電話が切れたのでは、ないか? と、思って、
「…バニラ…聞こえるか?…」
と、聞いた…
すると、
「…聞こえます…お姉さん…」
と、一転して、塩らしい声が、聞こえてきた…
さっきの葉尊の話を、だ…
リンダ…
リンダ・ヘイワース…
ハリウッドのセックス・シンボル…
リンダのことを、考え続けたのだ…
考えてみれば、リンダとは、不思議な因縁だった…
当初、私と葉尊の結婚を知った、リンダは、激怒して、私に勝負を挑んだ…
つまりは、勝負をして、リンダが、勝てば、葉尊から、身を引けと、私に迫ったのだ…
勝負といっても、ボクシングでも、剣道でも、なんでもない…
勝負は、書道だった…
事前に、リンダが、自信満々な態度で、どんな勝負でも、受けると、言ったのだ…
私は、悩んだ…
すでに、何度も言ったが、私は、平凡な女…
誰かと、勝負して、勝つ見込みなど、なにも、なかった…
だから、悩んだ…
が、
これも、偶然、ヤンのアドバイスで、書道に決めた…
が、
それを、アドバイスしたのが、ヤン=リンダ当人だと、知って、後に仰天したものだ…
が、
結局、勝った…
いや、
引き分けた…
そして、それを、機会に、ヤン=リンダと、仲良くなった…
いわば、肝胆相照らす仲になったのだ…
元々、ヤン=リンダは、夫の葉尊の親友…
だから、夫の葉尊も、私が、リンダと仲良くなることに、賛成だった…
そして、バニラ…
あのバカ、バニラだ…
バニラは、生意気だった…
初めて会ったときから、気に入らんかった…
いつも、私に歯向かった…
立ち向かってきた…
だから、普段、温厚な私も、許せんかった…
あのバカ、バニラを、許せんかったのだ…
が、
今は、あのバニラの力が、必要かも、しれんかった…
ハッキリ言えば、バニラの力は、どうでもいいが、バニラの娘のマリアの力が、必要だった…
リンダを助けるために、必要だったのだ…
私は、思った…
思いながら、一方で、なぜ、私が、リンダを助けねば、ならんのだ? とも、思った…
実は、私にとって、リンダは、邪魔な存在だった…
私とリンダは、仲がいい…
だが、
邪魔な存在だった…
なぜなら、リンダは、美人だからだ…
ハリウッドのセックス・シンボルだからだ…
心は、男だ、なんだ、と言っているが、絶世の美女であることは、変わらん…
いかに、夫の葉尊の親友とはいえ、近くに、いてもらっては、困る…
葉尊も男…
近くに、あんな美人がいては、いつ、リンダと、男女の関係になるか、心配で、堪らん…
男女の関係になった結果、この矢田トモコが、葉尊の妻の座から転げ落ち、追放されては、困るからだ…
実は、この矢田は、密かに、それを、恐れていた…
誰にも、バレることは、なかったが、密かに、それを、恐れていたのだ…
だから、今、リンダが、もしかしたら、オスマン殿下の逆鱗に触れて、殺されでも、したら、可哀そうだと、思いながら、一方で、それを、喜ぶ私が、いた…
もちろん、リンダが、死んでは、困る…
だから、本当は、いなくなれば、いい…
葉尊の近くから、いなくなればいい…
それが、偽りのない本音だった…
所詮は、女同士の友情は、儚い…
脆い…
友情よりも、金…
金だ(笑)…
そうは、言いながら、一方で、リンダの身を案じる私が、いた…
一方で、リンダが、いなくなれば、いいと、思いながら、一方で、リンダの身を案じる…
我ながら、バカバカしい…
矛盾するにも、ほどがあると、思いながらも、それが、真実だった…
この矢田トモコの心の真実だったのだ…
だから、悩んだ…
悩んだのだ…
すると、隣のベッドに寝ている葉尊が、
「…お姉さん…リンダのことを、頼みます…」
と、言った…
私は、驚いた…
まさか、葉尊が、まだ起きているとは、思わなかったのだ…
だから、
「…葉尊…オマエ…」
と、声をかけた…
が、
反応は、なかった…
だから、私は、ベッドから降りて、葉尊の近くに、いった…
そして、葉尊を見た…
葉尊は、眠っていた…
それゆえ、今のは、葉尊の寝言で、あることが、わかった…
と、同時に、思った…
葉尊が、そんな寝言を言うほど、リンダを思っている事実を、だ…
…これは、なんとかせねば、なるまいな…
私は、そう、心に決めた…
私は、そう、固く、心に誓った…
そして、その翌日、バニラに、電話した…
バカ、バニラに、電話を、してやったのだ…
私は、夫の葉尊が、会社に出勤して、すぐに、あのバカ、バニラに、電話を、かけた…
本当は、かけたくないのに、電話を、かけたのだ…
なにしろ、その前に、会社に、出勤する葉尊に、
「…葉尊…心配するな…リンダのことは、私に任せておけ!…」
と、自分の大きな胸をポンと叩いて、大見えを切ったのだ…
それを、見て、
「…お姉さん…」
と、葉尊は、絶句した…
葉尊は、すでに、泣きそうだった…
涙が、流れる寸前だったのだ…
「…そんな目で、私を見るな…」
私は、葉尊に言った…
「…葉尊…オマエの気持ちはわかる…」
私は、元気いっぱいに、朝食を取りながら、言った…
ごはんの箸を止めずに、言った…
「…リンダは、オマエの親友さ…そして、私にとっても、かけがえのない友人さ…」
「…お姉さん…」
「…そんな目で、私を見るな…オマエの気持ちは、わかる…私に任せておけ…」
私は、同じ言葉を繰り返した…
「…でも、お姉さん…一体、どうするつもりですか?…」
「…あの、バカ、バニラに、頼んでみるさ…」
「…バニラに?…」
「…バニラは、バカだが、娘のマリアは、オスマン殿下のお気に入りだ…マリアを使えば、なんとか、なるかも、しれん…」
「…マリアが、オスマン殿下のお気に入り?…」
葉尊が、驚いた…
「…そうさ…だから、マリアを通じて、オスマン殿下に、頼むに、限る…」
私が、相変わらず、箸を止めずに、言うと、葉尊は、なにかを、考えているようだった…
「…どうした? …葉尊?…」
「…い…いえ?…」
なんとも、歯切れの悪い口調だった…
「…なんだ、葉尊…その言い方は?…」
私は、怒った…
「…言いたいことが、あれば、ハッキリ、言え…」
私が、言うと、葉尊は、ちょっと考えてから、
「…オスマン殿下に、関する噂ですが…」
と、前置きして、言った…
「…殿下が、リンダ・ヘイワースの大ファンであるという噂は、掴みました…ただ…」
「…ただ、なんだ?…」
「…それが、真実か、どうか? までは、わかりません…」
「…なんだと? …どういう意味だ?…」
「…殿下は、アラブの至宝と呼ばれるほどの人物です…」
「…それは、知っている…」
「…そして、そんな人物は、決して、素顔を見せないことが、多いです…」
「…素顔を見せない? …どういう意味だ?…」
「…例えば、自分の好きな食べ物…好きな女性のタイプなど、他愛もない、ことも、一切、話さない…」
「…どうして、話さないんだ?…」
「…素(す)の自分を知られるのが、怖いからです…」
「…怖いからだと? …どうして、怖いんだ?…」
「…素(す)の自分を知られることで、自分の行動が、読まれる危険が、あるからです…」
「…行動が、読まれる?…」
「…昔、聞いた話ですが、日本では、豊臣秀吉が、よく、配下の大名に、すごろくのようなゲームをさせていたと、あります…自分は、参加せずに、です…」
「…ゲーム?…」
あまりにも、意外な話だった…
秀吉が、ゲームとは?
「…要するに、すごろくをさせることによって、配下の大名の性格を見ていたんです…」
「…性格だと?…」
「…ほら、当時は、戦国…戦(いくさ)が、ありふれてました…だから、すごろくのようなゲームをさせて、その大名が、どんな、戦い方をするのか、見るのです…」
「…戦い方だと?…」
「…ある大名は、キチンと、基本通りに、進めたとします…すると、その大名が、秀吉に逆らって、戦(いくさ)を仕掛けてきても、キチンと、基本通りに、兵を動かすだろうと、考えます…真逆に、博打というか、常に、一か八かで、ゲームをするものは、兵を動かすときも、いわば、基本ではなく、奇策を持ちうると、判断します…」
そんなことが…
たかだか、すごろくで、わかるとは?
考えもせんかった…
私は、驚いた…
「…ですが、秀吉が、いくら、勧めても、決して、そのゲームに参加しない大名が、一人だけ、いたそうです…」
「…誰だ? …それは?…」
「…徳川家康です…」
「…家康?…」
「…要するに、秀吉の意図を見抜いていたんでしょ? …これだけで、家康のしたたかさというか、慎重さが、見て取れます…」
「…」
「…もちろん、これが、本当か、どうかは、わかりません…後世の作り話かも、しれません…ですが、それで、性格を見抜くことが、できます…だから、その性格を見抜かれることを、恐れて、家康は、決して、ゲームをしなかった…」
「…」
「…これを、オスマン殿下に当てはめたとします…すると、どうですか?…」
「…なにが、言いたい?…」
「…殿下は、小人症と聞きました…すると、リンダのような、大柄な美人に憧れるというのは、至極、真っ当な判断です…」
「…至極、真っ当な判断だと?…」
「…外見が、子供に見える人間が、成熟した大人の女に憧れる…つまりは、自分にないものを、相手に求める…至極、真っ当な判断です…」
「…」
「…だから、それを聞いた者も、皆、納得します…」
「…」
「…ですが、ボクは、それを信用していません…」
「…どうして、信用していないんだ?…」
「…殿下が、アラブの至宝だからです…だから、そんな、女性の好みのように、些細なことでも、表に出すか、どうかは、わからない…」
「…」
「…むしろ、殿下は、家康に近いのでは、ないかと、思います…」
「…どういう意味だ?…」
「…決して、自分の素顔は、明かさない…素(す)の姿は、見せない…」
「…」
「…そう、考えるのが、むしろ、自然です…」
「…だったら、リンダは? …リンダが、好きだと言うのは?…」
「…単なるパフォーマンス…当て馬の可能性も、あります…」
「…当て馬だと?…」
「…本命は、別にいて、それを、カムフラージュするのに、リンダは好都合です…なにしろ、リンダは、ハリウッドのセックス・シンボルです…リンダに憧れていると、言えば、誰もが、納得する…」
「…」
「…本命を…本心を隠すには、好都合です…」
葉尊が、言った…
私は、そんな葉尊の言葉を胸に秘め、バニラに、電話をかけた…
バカ、バニラに、電話をかけたのだ…
が、
ちっとも、出んかった…
あのバカ、バニラ…
どうして、電話に出ん!
私は、電話に向かって、一人、悪態をついた…
「…だから、アイツは、ダメなんだ…」
私が、思わず、愚痴ると、
「…なにが、ダメなんだって…」
と、いう声が、聞こえてきた…
だから、つい、
「…あの、バカ、バニラさ…」
と、言ってしまった…
「…バカ、バニラ?…」
「…そうさ…所詮は、顔だけが、取り柄の女さ…ダメな女さ…」
と、付け加えた…
すると、
「…」
と、沈黙があった…
間があった…
それから、
「…朝っぱら、ひとんとこに電話をかけてきて、いきなり、ひとをバカ呼ばわりするとは、どういう了見だ!…」
と、電話の向こう側から、大声で、激怒する声が聞こえてきた…
私は、さすがに、マズいと、思った…
だから、とっさに、
「…オマエも歳だな…なにか、聞こえたのか? …幻聴だろ?…」
と、言ってやった…
とっさに、ごまかすことにしたのだ…
が、
それが、火に油を注いだ…
「…このクソチビが! わかるウソを!…」
と、電話の向こう側で、私を罵った…
だから、私は、このバニラに電話をするのは、嫌だった…
ろくなことが、起こらん…
そう思った…
これまで、このバカ、バニラと、関わって、なにか、一つでも、良かったことがなかった…
考えてみれば、なに一つなかったのだ…
が、
電話を切るわけには、いかんかった…
なにしろ、リンダの身が、心配だ…
正直、リンダの身よりも、夫の葉尊との約束の方が、大切だった…
なにしろ、
「…リンダのことは、心配するな…私に任せておけ…」
と、大見えを切ったのだ…
だから、夫の葉尊との約束を破るわけには、いかんかった…
私が、そんなことを考えていると、
「…このクソチビが…ホント、朝っぱらから、胸糞悪い…」
と、散々、私の悪口を言っていた…
私は、頭に来たが、耐えた…
臥薪嘗胆…
今に見ていろ! と、いう気持ちだった…
そして、とっさに、
「…オスマン殿下が…」
と、つい、口にした…
すると、私を罵る声が、止んだ…
急に、止まった…
私は、なにが、あったか、わからんかった…
もしや、電話が切れたのでは、ないか? と、思って、
「…バニラ…聞こえるか?…」
と、聞いた…
すると、
「…聞こえます…お姉さん…」
と、一転して、塩らしい声が、聞こえてきた…