第190話
文字数 3,965文字
「…ボク? …一体、なにを、根拠に?…」
「…矢口さんと、お姉さんは、瓜二つ…オマエは、それを知って、彼女を利用しただろ?…」
「…矢口さんを利用? …どういうことです?…」
「…矢口さんの会社、スーパージャパンのことだ…」
「…」
「…矢口さんの背後にいたのは、葉尊、オマエだろ?…」
「…矢口さんの背後にボク?…」
「…そうだ…矢口さんの会社、スーパージャパンの危機を煽って、彼女に危機感を植え付けたのは、オマエだろ?…」
「…一体、なにを根拠に、そんなことを?…」
「…」
「…いや、バニラですか?…」
が、
葉敬は、それには、答えず、
「…オマエの狙いは、わかる…」
と、続けた…
「…ボクの狙い? なにが、狙いなんですか?…」
「…ずばり、私への復讐だろ?…」
な、なんだと?…
復讐だと?…
どういうことだ?…
「…オマエの狙いは、こうなんじゃないか?…オマエは、以前から、あの矢口さんが、お姉さんのそっくりさんだということを、知っていた…そして、今回は、それを利用して、私を困らせようとした…」
「…お父さんを、困らせようとした?…ボクが?…」
「…マリアだ…葉尊…」
「…マリアが、どうかしましたか?…」
「…マリアの通う保育園…あそこに、アラブの大物が、混じっていることを、オマエは、掴んだ…だから、それを利用した…」
「…」
「…一方で、矢口さんを巻き込んで、危機を植え付け、もう一方で、矢口さんにも、あのセレブの保育園の情報を教えた…策士のオマエらしい…」
「…」
「…ひとは、誰でも、餌をやれば、飛びつく…」
「…」
「…オマエは、うまく矢口さんを利用しようとした…」
「…」
「…だが、失敗した…」
「…失敗? …どうして、失敗したんですか?…」
「…あの矢口さんが、一枚上だったということだ…」
私は、その言葉を聞いて、思いついた…
たしか、以前、あの矢口のお嬢様は、私の家に、盗聴器が、仕掛けていないか、調べに来た…
盗聴発見機とか、いうものを、もって、いきなり、やってきた…
あのときは、ビックリしたが、葉尊が、あのお嬢様の背後にいたというなら、話は、わかる…
おそらく、あのお嬢様は、私ではなく、葉尊を調べに来たのだ…
私と、いっしょに暮らす葉尊の家を調べに来たのだ…
おそらく、あのお嬢様は、葉尊に、不信感を抱いたのかも、しれん…
あのお嬢様は、勘が鋭い…
葉尊と接して、なにか、うさん臭いものを、感じたのかも、しれん…
実は、私自身、葉尊といっしょに暮していて、感じたことだ…
葉尊は、私といっしょに、いるときに、いつも仮面を被っている…
そう、感じていた…
本音を隠している…
そう、感じていた…
そして、それは、いつのまにか、確信に近いものになった…
そして、それを後押ししたのは、他でもない、あのお嬢様…
矢口のお嬢様だった…
あのお嬢様は、名前こそ、上げないが、
「…もうひとりの男を頼れ…」
と、言った…
ずばり葉問を頼れと、言った…
そして、それは、あのお嬢様が、感じた、おおげさにいえば、葉尊のうさん臭さでは、なかったのか?
私は、今さらながら、そう見た…
そう、睨んだ…
これも何度も言うが、葉尊は、優しい…
ビックリするほど、私に優しい…
また、大声で、感情をあからさまに、することもない…
が、
私にいわせれば、それは、人間ではない…
それは、神様がすることだ…
聖人君子がすることだ…
誰でも、24時間、聖人君子では、いられないものだ…
が、
葉尊は、24時間、聖人君子…
だから、私は、葉尊を、心の底から、信用せんのだ…
それに比べ、葉問は、信用できる…
なぜなら、葉問は、本音を言う…
だから、信じられるのだ…
つまりは、矢口のお嬢様の黒幕は、葉尊だった…
私の夫、葉尊が、あのお嬢様の背後にいた…
だから、矢口のお嬢様は、葉尊に気をつけろと、言ったのだ…
葉尊に、用心しろと、私に言ったのだ…
「…バカな…」
葉尊が、言う声が聞こえた…
「…実に、バカバカしい…」
「…証拠は、あるんですか?…」
「…私は、証拠がないことは、いわないよ…」
「…」
「…オマエは、なにを、恐れている?…」
「…」
「…もしかしたら、葉問が、オマエに取って代わるとでも、思っているのか?…」
「…葉問が?…」
「…葉問は、オマエと違って、一見、荒々しい…が、器用だ…」
「…器用? …葉問が?…」
「…さっきのパーティーで、このパーティーに接待用に集めたコンパニオンのお姉さんたち…彼女たちが、リンダやバニラに、このパーティーにやって来た、お客様を取られ、ふてくされていたのを見て、葉問が、彼女たちの元に、駆け寄り、彼女たちの機嫌を直した…誰にでも、できることじゃない…」
「…」
「…葉問だから、できることだ…」
葉敬が、力を込めた…
私は、驚いた…
まさか、葉敬が、葉尊の前で、葉問を褒めるとは、思わんかった…
思わんかったのだ…
果たして、葉尊は、どう出るか?
私は、興味が、湧いた…
葉敬にとって、大切なのは、葉尊…
そして、葉敬にとって、邪魔なのが、葉問…
私は、ずっと、そう思っていた…
なにしろ、本物の葉問は、事故死した…
子供の頃、葉尊のちょっとした、いたずらで、葉問は、死んだ…
本物の葉問は、葉尊の一卵性双生児の弟…
おとなしく、真面目な葉尊と、少々やんちゃな、葉問…
だが、本物の葉問は、死んだ…
が、
その事故に心を痛めた葉尊が、無意識に、自分の中に葉問を、蘇らせた…
いわば、無意識に、二重人格になり、葉問を蘇らせたのだ…
が、
当然、本物の葉問が、蘇ったのではない…
だから、葉敬は、葉問を嫌った…
当たり前のことだ…
そもそも、二重人格で、葉問が、蘇るなど、あり得ない…
変な話、正攻法ではなく、邪道というか…
そんなことが、認められるはずもなかった…
だから、葉敬は、葉問を嫌ったのだ…
葉尊の父親として、当たり前のことだった…
当然だった…
が、
その葉敬が、今、初めて、葉尊の前で、葉問を褒めた…
だから、葉尊が、どういう態度を取るのか、知りたかった…
葉尊が、どう返答するか、知りたかった…
が、
葉尊は、なにも、言わんかった…
私は、目を閉じたまま、ずっと、待っていたが、なにも、言わんかった…
が、
しばらくして、
「…黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが、良い猫だ…」
と、葉尊が、言った…
今度は、
「…」
と、葉敬が、黙った…
「…案外、お父さんの今の心境、そのものじゃないですか?…」
「…どういう意味だ?…」
「…お父さんの後継者は、ボクでも、葉問でも、構わない…能力が、高い方が、後を継げばいい…そういうことじゃないですか?…」
「…」
「…もちろん、以前は、そうじゃなかった…」
「…」
「…でも、あのお姉さんが、現れて、アナタの意識が変わった…」
「…私の意識が、変わった?…」
「…いや、それを言えば、葉問も変わった…葉問は、以前は、ただの女好きの、遊び人だった…」
「…」
「…いや、葉問だけではない、リンダも、バニラも、変わった…あのお姉さんと出会って、変わった…」
…なんだと?…
…この矢田と出会って、変わっただと?…
…一体、どう変わったんだ?…
…もしかして、金に汚くなったとか?…
…食い意地が張ったとか、そういうことか?…
私は、思った…
「…たしかに、それはある…」
あっさりと、葉敬は、葉尊の言葉を、認めた…
「…私は、ともかく、リンダもバニラも、変わった…あのお姉さんに、会って変わった…なにより、明るくなった…」
…明るくなっただと?…
…食い意地が、張ったわけじゃなかったのか?…
私は、思った…
「…あのお姉さんと出会って、誰もが、明るくなった…それは、わかる…」
葉敬が、しみじみと言った…
「…が、オマエと葉問を比べるようなことは…まして、葉問が、私の後継者なんて…」
「…いや、元々、アナタは、ボクよりも、葉問をかっていた…気に入っていた…」
…なんだと?…
…葉敬が、葉問をかっていただと?…
…バカな?…
…そんな…
…ありえん…
…ありえんことだ!…
「…真面目で、おとなしいだけのボクより、やんちゃな葉問の方が、経営者として、向いていると、思っていた…それは、子供心にも、わかった…」
「…」
「…でも、葉問は、死んだ…だから、いくら葉問に執着しても、仕方がない…諦めるしか、なかった…」
「…」
「…でも、葉問は、ボクのもう一つの人格として、復活した…ただの女好きの遊び人として、復活した…アナタは、それを、見て、苦々しく思った…葉問は、本来存在しない…しかも、成長して、再びアナタの前に現れた葉問は、とても、アナタの後継者として、認められる人間ではなかった…だから、余計に、アナタは、葉問を嫌った…」
「…」
「…そんなときに、あのお姉さんが、現れた…あのお姉さんには、なんだか、不思議な魅力がある…最初は、ただの女好きで、遊び人に過ぎなかった葉問も、なぜか、あのお姉さんを気に入り、あのお姉さんを助けた…」
「…」
「…それを、見て、葉敬…アナタの気持ちも、変わった…ことによると、葉問を、自分の後継者にしてもいいと思うようになった…」
葉尊が、激白する…
私は、驚いた…
驚いたのだ…
が、次に、葉敬が言った言葉は、もっと、驚いた…
「…たしかに…葉尊…オマエは、昔から、葉問に、コンプレックスを感じていたな…」
葉敬が言った…
その瞬間、おおげさに言えば、世界が止まった気がした…
あり得ない葉敬の言葉だった…