第9話
文字数 5,799文字
「…なあ、バニラ…」
私は、バニラと並んで、エレベーターを待ちながら、聞いた…
「…なに、お姉さん?…」
「…やっぱり、オマエもリンダが心配か?…」
私の質問に、バニラは、
「…」
と、答えなかった…
私は、どうしたのか? と、バニラを見上げた…
なにしろ、バニラは、180㎝の長身…
対して、私は、159㎝…
バニラの表情を知るには、見上げるしかないからだ…
すると、バニラは、今にも、泣きそうだった…
すごく、哀しそうな表情をしていた…
私は、驚いた…
こんな表情をした、バニラをこれまで、見たことがなかったからだ…
だから、
「…どうした?…」
と、バニラに聞いた…
声をかけた…
すると、
バニラは、すぐには、答えなかった…
哀しみをこらえている様子だった…
「…ごめんなさい…」
しばらくして、バニラが、口を開いた…
「…なんだ? …どうした?…」
「…リンダのことを、思うと…」
「…どういうことだ?…」
「…今、リンダは、メチャクチャ悩んでいると思うの…」
「…どうしてだ?…」
「…アラブの王族…」
「…クールの接待か?…」
「…そう…どうしても、私やリンダのように、美人を売りにする仕事に、接待は、欠かせない…」
「…」
「…その結果、嫌な思いをしたり、危険な目に遭うことも、しばしばっていうか…それが、半ば、日常になっている…」
「…なかば、日常だと?…」
私は、驚いた…
開いた口が塞がらなかった…
「…そう…日常…美人を売りにして、仕事をする…それは、ある意味、危険と隣り合わせ…」
バニラが、深刻な表情で、告白した…
私は、考え込んだ…
まさか、ただだか、モデルや女優を続けることが、そんなに危険と隣り合わせだとも、思わなかったからだ…
私は、驚き、かつ、同情した…
たしかに、このバニラの言うことは、わかる…
納得できる…
が、
美人を売りにすることが、そんなに危険と隣り合わせだとは、思わなかったからだ…
私は、それがわかると、
「…美人に生まれるのも、大変だな…」
と、声をかけた…
すると、バニラが、それまでとは、一転して、
「…いいえ…」
と、短く答えた…
…いいえ? だと?…
私が、驚いて、バニラを見ると、
「…美人を売りにする以上、その覚悟はできていた…」
と、笑った…
が、
その笑いは、寂しいものだった…
「…これは、日本のAV女優も、アメリカのポルノ女優も皆、同じ…」
「…同じ? …どういう意味だ?…」
「…性を売り物にする以上、一生、それに縛られる…」
「…どういう意味だ?…」
「…リンダは、ハリウッドのセックス・シンボル…まだ、スクリーンで、脱いではいないけれども、性=セックスを売りにする以上、危険は、伴う…」
「…」
「…どうしても、はずせない接待で、無理やりお酒を飲まされて、強引に、ベッドに連れ込まれそうになったことは、一度や二度どころじゃないはずよ…」
「…」
「…これは、今も言った、日本のAV女優も、アメリカのポルノ女優も、同じ…たとえ、脱いでも、脱がなくても、美人を売りにする以上、避けては、通れない道…」
いつしか、バニラは、自分に言い聞かすように、言っていた…
「…だから、それが嫌なら、美人を売りにする職業には、就かないこと…」
と、バニラが笑った…
「…有名になって、金は稼げるかもしれないけれども、危険と隣り合わせ…まあ、私もリンダも、大金を稼げるようになったから、十分、リターンは、あるっていうか…美人を売りにした見返りは得られたけれども…」
「…」
「…でも、これは、一般のひとでも、同じね…」
「…一般のひとでも?…」
「…日本の会社でも、学校でも、同じ…美人は、目立つでしょ? …だから、さまざまな男たちに告られる…言い寄られる…」
「…」
「…だから、それが、嫌で、家に引きこもったりする女もいる…どこに行っても、口説かれていたんじゃ、気が休まらないし、そのうち、外に出ることが、嫌になっても、おかしくはない…」
「…」
「…それに、比べれば、私も、リンダも、美人を売りにして、成功して、大金を得られたのだから、文句を言う筋合いでも、ないのかもしれない…」
バニラが笑った…
「…世の中には、美人は、いっぱいいる…でも、その美人を売りにして、成功するのは、ほんの一握り…日本でいえば、東大に入って、トップクラスの成績を収めるようなもの…信じられないくらい、低い確率…」
「…」
「…でも、そんな低い確率で、成功しても、今回のリンダのような悩みは、尽きない…ホント、世の中は、不公平ね…いや、公平なのか…美人に生まれ、美人を売りにして、成功しても、依然として、悩みは尽きない…美人であるというだけで、男に狙われ続ける…」
「…」
「…でも、それが華かも…」
…どういう意味だ?…
「…さっき、お姉さんが言ったように、歳を取れば、男から、告られなくなる…女として見られなくなる…」
バニラが、笑った…
「…でも、それは、それで、それで、残念ね…これまで、星の数ほど、口説かれていたのに、それが、一切なくなるなんて…」
バニラが、告げる…
私は、バニラの話を聞きながら、美人に生まれるのも、実に、大変だと思った…
この矢田トモコも、これまで、さまざまなバイトをしていて、それなりに、美人の女を見てきた…
ただし、それは、すべて、一般人…
このバニラや、リンダのように、有名人ではない…
そんな有名人ではない、一般人でも、美人のお姉さんと接して、大変だなと、感じたことは、ある…
好きでもない男に好意を持たれて、困っている姿を、何度も見たことがあるからだ…
ただし、あくまで、一般人…
目の前のバニラや、あのリンダとは、違う…
このバニラや、あのリンダは、男に口説かれるのも、一般の美人の比ではないだろう…
それは、この矢田トモコにも、わかる…
そして、それは、今、バニラが言った、危険に遭遇することでもある…
男に変な薬でも飲まされて、意識がもうろうとして、気が付けば、ベッドに連れ込まれていたなんて、映画のような展開になったら、えらいことだ…
私は、バニラの話を聞きながら、つくづく、美人に生まれなくて、良かったと思った…
平凡なルックスに生まれて、良かったと、心の底から、思った…
この矢田トモコは、実は、気弱…
結構、気が弱かった…
だから、無理やり薬でも、飲まされて、ベッドに連れ込まれでもしたら、大変だ…
おおげさに、言えば、メンタルが崩壊するかもしれん…
私は、思った…
私が、そんなことを、考えていると、
「…どうしたの? …お姉さん…そんな難しい顔をして?…」
と、聞いた…
私は、
「…いや、私も、オマエやリンダのように、美人に生まれなくて良かったと、つくづく思って…」
「…エッ?…」
「…だって、そうだろ? 今、オマエが言ったように、美人に生まれたら、生まれたらで、大変な思いをするぐらいなら、私ぐらいがちょうどいいさ…」
私は、断言した…
「…お姉さんぐらいが、ちょうどいい?…」
「…そうさ…」
私は、半ば、冗談で言ったつもりだったが、バニラが、しばし、深刻に、考え込んだ…
だから、逆に、心配になった…
「…どうした? …冗談だ…冗談…本気にするな…」
私が、言っても、バニラは、考え続けていた…
「…いえ、確かに、お姉さんの言う通り…」
バニラが、口を開いた…
…なんだと?…
…どういうことだ?…
「…お姉さんのその愛されキャラ…それは、お姉さんの今のルックスがあってのもの…美人過ぎれば、お姉さんが、同じことをしても、周囲から、愛されないかもしれない…美人は、どうしても、敵を作りがちだから…だから、かえって、美人が邪魔になる…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
「…なんてね?…お姉さんが、美人に生まれるわけ、ないじゃない…」
「…なんだと?…」
私は、怒った…
「…そもそも、お姉さんは、このバニラ・ルインスキーに馴れ馴れしくし過ぎ…」
「…なんだと? …どういう意味だ?…」
「…このバニラ・ルインスキーは、世界に名の知れたトップモデル…もちろん、リンダも、よ…」
「…」
「…それが、葉尊と結婚したからって、まったく無名の一般人だった、お姉さんが、馴れ馴れしくし過ぎ…私とリンダと、お姉さんとは、天と地ほどの差があるの…」
「…差なんてないさ…」
「…あるの…」
バニラが、ムキになって、反論した…
「…ないさ…」
「…ある…」
「…だったら、オマエは空が飛べるか? 天使のように、オマエの背中に羽が生えているか? 生えてないだろ? それを、思えば、私も、オマエも、リンダも、皆、同じさ…ただの人間…地球人さ…」
「…お姉さん…本気で、言っているの?…」
「…本気も、本気さ…この矢田トモコは、いつも本気さ…」
私とバニラは、いつのまにか、睨み合っていた…
私の細い目と、バニラの青い目が、睨み合った…
文字通り、バチバチと、火花を散らして、睨み合った…
私は、なぜか、バニラが怖くはなかった…
なぜだかは、わからない…
が
ただ、怖くなかった…
私が、正論を言っている自信があったからだ…
正直、自分でも屁理屈を言っている自覚もあったが、まったくのウソを言っているわけではない…
ひどく大きな視点で見れば、私も、バニラもリンダも、皆、同じ…
いっしょだ…
空を飛べるわけではないし、地中に潜れるわけでもない…
同じ人間という範疇で、考えれば、同じだ…
だから、私は、自信があった…
バニラは、憎々しげに、その青い瞳で、私を睨んでいたが、臆することがなかった…
しかしながら、バニラは、強気の私の態度が、不思議だったようだ…
「…どうして、お姉さん…そんなに強気になれるの?…」
「…私が、間違ってないからさ…」
「…間違ってない?…」
「…そうさ…」
「…そんな屁理屈をこねて…間違ってないなんて…」
言いながら、
「…そうか…」
と、声を上げた…
「…約束ね?…」
「…約束だと?…」
「…さっきした約束…私が、お姉さんに逆らえば、金輪際、お姉さんが、娘と、遊んでやらないという約束…」
「…」
「…それがあるから、お姉さんは、そんなに強気なんだ…」
と、バニラは、自分自身に納得させるように、言った…
私は、驚いた…
私自身は、そんな気はまったくなかったが、なぜか、そんな展開になっていた…
いつものことだった(笑)…
だが、これで、私の有利な展開になったことは、間違いがない…
なにより、急に、バニラの敵意がなくなったのが、手に取るように、わかった…
見る見る敵意がなくなったのだ…
「…ゴメンナサイ…」
と、バニラが、いきなり、謝った…
文字通り、平身低頭だった…
「…お姉さんとの、約束を忘れていました…」
「…わかれば、いいのさ…」
私は、自慢げに言った…
またも、私の鼻の穴が少しばかり、広がった…
得意満面になった…
「…実は、葉敬にも、言われてました…」
「…なにを、だ?…」
「…お姉さんには、決して、逆らっては、ならない、と?…」
「…なんだと?…」
「…これは、リンダも同じです…なにが、あっても、お姉さんには、逆らってはならないと、葉敬は、私たち二人に厳命しています…だから、それもあって、私とリンダが、お姉さんに、逆らうことは、そもそも、ありえないです…」
…そうか?…
…そういうことか?…
だから、リンダも、このバニラも、私に逆らわないんだ…
ようやく、納得がいった(笑)…
本当は、私よりもはるかに、美人で、世界的に有名な、リンダとバニラが、なぜ私風情を相手にしていることが、よくわからなかった…
理解できなかった…
このバニラとリンダは、私から見れば、雲上人…
文字通り、雲の上のひとだ…
たとえ、知り合いになっても、相手にしてくれるわけがない…
にもかかわらず、親しくしてくれる…
まるで、昔からの友人のように、接してくれる…
それが、なぜだか、わからなかった…
なぜ、そんなにも、身近な距離感で、私に接してくるのか、わからなかった…
しかし、それが、今、このバニラの言葉で、葉敬の指示だと、わかった…
私の夫、葉尊の父、葉敬の指示だとわかった…
が、
すると、今度は、どうして、葉敬が、そんな指示を、このバニラと、あのリンダにしたのか、謎がある…
それは、やはり、私が、息子の葉尊の妻だからだろうか?
だから、だろうか?
葉尊の妻だから、そのように、接しなさいと、バニラとリンダに厳命しているのだろうか?
疑問だった…
が、
おそらく、それが、答えだろうとも思った…
世界的に有名なバニラとリンダが、私と、身近に接することで、大げさにいえば、私の株が上がる…
あのハリウッドのセックス・シンボルのリンダ・ヘイワースと、この世界的に著名なモデル、バニラ・ルインスキーが、私、矢田トモコと、親しく接していることを、周囲の人間に見せることで、私という人間の評価に下駄を履かせるというか…
実際以上に、凄い人物だと、周囲にアピールすることができる…
それが、狙いだと気付いた…
そして、それが、わかると、正直、意気消沈した…
あまりにも、自分が、たいした人間じゃないと、気付いたのだ…
元々、自分でも、自分が、たいした人間だとは、これっぽっちも思ってなかったが、この事実が、わかると、余計に、落ち込んだ…
葉敬が、私に気を使ってくれるのは、ありがたかったが、それが、かえって、嫌だった…
葉敬には悪いが、そうやって、私に気を遣うことで、余計に、自分自身が、たいした人間じゃないことを、悟らせることになったからだ…
私は、それまで、このバニラと、まるで、殴り合いのケンカをするような勢いだったのに、それが、ボクシングでいえば、グラブを交えることなく、相手にノックアウトされたようなものだった…
相手が、なにもしていないのに、自分から、リングに倒れ込んだようなものだった…
正直、惨めだった…
自分が、惨めだった…
そして、そんなことを、考えていると、目の前に、エレベーターがやって来て、扉が開いた…
私は、バニラと並んで、エレベーターを待ちながら、聞いた…
「…なに、お姉さん?…」
「…やっぱり、オマエもリンダが心配か?…」
私の質問に、バニラは、
「…」
と、答えなかった…
私は、どうしたのか? と、バニラを見上げた…
なにしろ、バニラは、180㎝の長身…
対して、私は、159㎝…
バニラの表情を知るには、見上げるしかないからだ…
すると、バニラは、今にも、泣きそうだった…
すごく、哀しそうな表情をしていた…
私は、驚いた…
こんな表情をした、バニラをこれまで、見たことがなかったからだ…
だから、
「…どうした?…」
と、バニラに聞いた…
声をかけた…
すると、
バニラは、すぐには、答えなかった…
哀しみをこらえている様子だった…
「…ごめんなさい…」
しばらくして、バニラが、口を開いた…
「…なんだ? …どうした?…」
「…リンダのことを、思うと…」
「…どういうことだ?…」
「…今、リンダは、メチャクチャ悩んでいると思うの…」
「…どうしてだ?…」
「…アラブの王族…」
「…クールの接待か?…」
「…そう…どうしても、私やリンダのように、美人を売りにする仕事に、接待は、欠かせない…」
「…」
「…その結果、嫌な思いをしたり、危険な目に遭うことも、しばしばっていうか…それが、半ば、日常になっている…」
「…なかば、日常だと?…」
私は、驚いた…
開いた口が塞がらなかった…
「…そう…日常…美人を売りにして、仕事をする…それは、ある意味、危険と隣り合わせ…」
バニラが、深刻な表情で、告白した…
私は、考え込んだ…
まさか、ただだか、モデルや女優を続けることが、そんなに危険と隣り合わせだとも、思わなかったからだ…
私は、驚き、かつ、同情した…
たしかに、このバニラの言うことは、わかる…
納得できる…
が、
美人を売りにすることが、そんなに危険と隣り合わせだとは、思わなかったからだ…
私は、それがわかると、
「…美人に生まれるのも、大変だな…」
と、声をかけた…
すると、バニラが、それまでとは、一転して、
「…いいえ…」
と、短く答えた…
…いいえ? だと?…
私が、驚いて、バニラを見ると、
「…美人を売りにする以上、その覚悟はできていた…」
と、笑った…
が、
その笑いは、寂しいものだった…
「…これは、日本のAV女優も、アメリカのポルノ女優も皆、同じ…」
「…同じ? …どういう意味だ?…」
「…性を売り物にする以上、一生、それに縛られる…」
「…どういう意味だ?…」
「…リンダは、ハリウッドのセックス・シンボル…まだ、スクリーンで、脱いではいないけれども、性=セックスを売りにする以上、危険は、伴う…」
「…」
「…どうしても、はずせない接待で、無理やりお酒を飲まされて、強引に、ベッドに連れ込まれそうになったことは、一度や二度どころじゃないはずよ…」
「…」
「…これは、今も言った、日本のAV女優も、アメリカのポルノ女優も、同じ…たとえ、脱いでも、脱がなくても、美人を売りにする以上、避けては、通れない道…」
いつしか、バニラは、自分に言い聞かすように、言っていた…
「…だから、それが嫌なら、美人を売りにする職業には、就かないこと…」
と、バニラが笑った…
「…有名になって、金は稼げるかもしれないけれども、危険と隣り合わせ…まあ、私もリンダも、大金を稼げるようになったから、十分、リターンは、あるっていうか…美人を売りにした見返りは得られたけれども…」
「…」
「…でも、これは、一般のひとでも、同じね…」
「…一般のひとでも?…」
「…日本の会社でも、学校でも、同じ…美人は、目立つでしょ? …だから、さまざまな男たちに告られる…言い寄られる…」
「…」
「…だから、それが、嫌で、家に引きこもったりする女もいる…どこに行っても、口説かれていたんじゃ、気が休まらないし、そのうち、外に出ることが、嫌になっても、おかしくはない…」
「…」
「…それに、比べれば、私も、リンダも、美人を売りにして、成功して、大金を得られたのだから、文句を言う筋合いでも、ないのかもしれない…」
バニラが笑った…
「…世の中には、美人は、いっぱいいる…でも、その美人を売りにして、成功するのは、ほんの一握り…日本でいえば、東大に入って、トップクラスの成績を収めるようなもの…信じられないくらい、低い確率…」
「…」
「…でも、そんな低い確率で、成功しても、今回のリンダのような悩みは、尽きない…ホント、世の中は、不公平ね…いや、公平なのか…美人に生まれ、美人を売りにして、成功しても、依然として、悩みは尽きない…美人であるというだけで、男に狙われ続ける…」
「…」
「…でも、それが華かも…」
…どういう意味だ?…
「…さっき、お姉さんが言ったように、歳を取れば、男から、告られなくなる…女として見られなくなる…」
バニラが、笑った…
「…でも、それは、それで、それで、残念ね…これまで、星の数ほど、口説かれていたのに、それが、一切なくなるなんて…」
バニラが、告げる…
私は、バニラの話を聞きながら、美人に生まれるのも、実に、大変だと思った…
この矢田トモコも、これまで、さまざまなバイトをしていて、それなりに、美人の女を見てきた…
ただし、それは、すべて、一般人…
このバニラや、リンダのように、有名人ではない…
そんな有名人ではない、一般人でも、美人のお姉さんと接して、大変だなと、感じたことは、ある…
好きでもない男に好意を持たれて、困っている姿を、何度も見たことがあるからだ…
ただし、あくまで、一般人…
目の前のバニラや、あのリンダとは、違う…
このバニラや、あのリンダは、男に口説かれるのも、一般の美人の比ではないだろう…
それは、この矢田トモコにも、わかる…
そして、それは、今、バニラが言った、危険に遭遇することでもある…
男に変な薬でも飲まされて、意識がもうろうとして、気が付けば、ベッドに連れ込まれていたなんて、映画のような展開になったら、えらいことだ…
私は、バニラの話を聞きながら、つくづく、美人に生まれなくて、良かったと思った…
平凡なルックスに生まれて、良かったと、心の底から、思った…
この矢田トモコは、実は、気弱…
結構、気が弱かった…
だから、無理やり薬でも、飲まされて、ベッドに連れ込まれでもしたら、大変だ…
おおげさに、言えば、メンタルが崩壊するかもしれん…
私は、思った…
私が、そんなことを、考えていると、
「…どうしたの? …お姉さん…そんな難しい顔をして?…」
と、聞いた…
私は、
「…いや、私も、オマエやリンダのように、美人に生まれなくて良かったと、つくづく思って…」
「…エッ?…」
「…だって、そうだろ? 今、オマエが言ったように、美人に生まれたら、生まれたらで、大変な思いをするぐらいなら、私ぐらいがちょうどいいさ…」
私は、断言した…
「…お姉さんぐらいが、ちょうどいい?…」
「…そうさ…」
私は、半ば、冗談で言ったつもりだったが、バニラが、しばし、深刻に、考え込んだ…
だから、逆に、心配になった…
「…どうした? …冗談だ…冗談…本気にするな…」
私が、言っても、バニラは、考え続けていた…
「…いえ、確かに、お姉さんの言う通り…」
バニラが、口を開いた…
…なんだと?…
…どういうことだ?…
「…お姉さんのその愛されキャラ…それは、お姉さんの今のルックスがあってのもの…美人過ぎれば、お姉さんが、同じことをしても、周囲から、愛されないかもしれない…美人は、どうしても、敵を作りがちだから…だから、かえって、美人が邪魔になる…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
「…なんてね?…お姉さんが、美人に生まれるわけ、ないじゃない…」
「…なんだと?…」
私は、怒った…
「…そもそも、お姉さんは、このバニラ・ルインスキーに馴れ馴れしくし過ぎ…」
「…なんだと? …どういう意味だ?…」
「…このバニラ・ルインスキーは、世界に名の知れたトップモデル…もちろん、リンダも、よ…」
「…」
「…それが、葉尊と結婚したからって、まったく無名の一般人だった、お姉さんが、馴れ馴れしくし過ぎ…私とリンダと、お姉さんとは、天と地ほどの差があるの…」
「…差なんてないさ…」
「…あるの…」
バニラが、ムキになって、反論した…
「…ないさ…」
「…ある…」
「…だったら、オマエは空が飛べるか? 天使のように、オマエの背中に羽が生えているか? 生えてないだろ? それを、思えば、私も、オマエも、リンダも、皆、同じさ…ただの人間…地球人さ…」
「…お姉さん…本気で、言っているの?…」
「…本気も、本気さ…この矢田トモコは、いつも本気さ…」
私とバニラは、いつのまにか、睨み合っていた…
私の細い目と、バニラの青い目が、睨み合った…
文字通り、バチバチと、火花を散らして、睨み合った…
私は、なぜか、バニラが怖くはなかった…
なぜだかは、わからない…
が
ただ、怖くなかった…
私が、正論を言っている自信があったからだ…
正直、自分でも屁理屈を言っている自覚もあったが、まったくのウソを言っているわけではない…
ひどく大きな視点で見れば、私も、バニラもリンダも、皆、同じ…
いっしょだ…
空を飛べるわけではないし、地中に潜れるわけでもない…
同じ人間という範疇で、考えれば、同じだ…
だから、私は、自信があった…
バニラは、憎々しげに、その青い瞳で、私を睨んでいたが、臆することがなかった…
しかしながら、バニラは、強気の私の態度が、不思議だったようだ…
「…どうして、お姉さん…そんなに強気になれるの?…」
「…私が、間違ってないからさ…」
「…間違ってない?…」
「…そうさ…」
「…そんな屁理屈をこねて…間違ってないなんて…」
言いながら、
「…そうか…」
と、声を上げた…
「…約束ね?…」
「…約束だと?…」
「…さっきした約束…私が、お姉さんに逆らえば、金輪際、お姉さんが、娘と、遊んでやらないという約束…」
「…」
「…それがあるから、お姉さんは、そんなに強気なんだ…」
と、バニラは、自分自身に納得させるように、言った…
私は、驚いた…
私自身は、そんな気はまったくなかったが、なぜか、そんな展開になっていた…
いつものことだった(笑)…
だが、これで、私の有利な展開になったことは、間違いがない…
なにより、急に、バニラの敵意がなくなったのが、手に取るように、わかった…
見る見る敵意がなくなったのだ…
「…ゴメンナサイ…」
と、バニラが、いきなり、謝った…
文字通り、平身低頭だった…
「…お姉さんとの、約束を忘れていました…」
「…わかれば、いいのさ…」
私は、自慢げに言った…
またも、私の鼻の穴が少しばかり、広がった…
得意満面になった…
「…実は、葉敬にも、言われてました…」
「…なにを、だ?…」
「…お姉さんには、決して、逆らっては、ならない、と?…」
「…なんだと?…」
「…これは、リンダも同じです…なにが、あっても、お姉さんには、逆らってはならないと、葉敬は、私たち二人に厳命しています…だから、それもあって、私とリンダが、お姉さんに、逆らうことは、そもそも、ありえないです…」
…そうか?…
…そういうことか?…
だから、リンダも、このバニラも、私に逆らわないんだ…
ようやく、納得がいった(笑)…
本当は、私よりもはるかに、美人で、世界的に有名な、リンダとバニラが、なぜ私風情を相手にしていることが、よくわからなかった…
理解できなかった…
このバニラとリンダは、私から見れば、雲上人…
文字通り、雲の上のひとだ…
たとえ、知り合いになっても、相手にしてくれるわけがない…
にもかかわらず、親しくしてくれる…
まるで、昔からの友人のように、接してくれる…
それが、なぜだか、わからなかった…
なぜ、そんなにも、身近な距離感で、私に接してくるのか、わからなかった…
しかし、それが、今、このバニラの言葉で、葉敬の指示だと、わかった…
私の夫、葉尊の父、葉敬の指示だとわかった…
が、
すると、今度は、どうして、葉敬が、そんな指示を、このバニラと、あのリンダにしたのか、謎がある…
それは、やはり、私が、息子の葉尊の妻だからだろうか?
だから、だろうか?
葉尊の妻だから、そのように、接しなさいと、バニラとリンダに厳命しているのだろうか?
疑問だった…
が、
おそらく、それが、答えだろうとも思った…
世界的に有名なバニラとリンダが、私と、身近に接することで、大げさにいえば、私の株が上がる…
あのハリウッドのセックス・シンボルのリンダ・ヘイワースと、この世界的に著名なモデル、バニラ・ルインスキーが、私、矢田トモコと、親しく接していることを、周囲の人間に見せることで、私という人間の評価に下駄を履かせるというか…
実際以上に、凄い人物だと、周囲にアピールすることができる…
それが、狙いだと気付いた…
そして、それが、わかると、正直、意気消沈した…
あまりにも、自分が、たいした人間じゃないと、気付いたのだ…
元々、自分でも、自分が、たいした人間だとは、これっぽっちも思ってなかったが、この事実が、わかると、余計に、落ち込んだ…
葉敬が、私に気を使ってくれるのは、ありがたかったが、それが、かえって、嫌だった…
葉敬には悪いが、そうやって、私に気を遣うことで、余計に、自分自身が、たいした人間じゃないことを、悟らせることになったからだ…
私は、それまで、このバニラと、まるで、殴り合いのケンカをするような勢いだったのに、それが、ボクシングでいえば、グラブを交えることなく、相手にノックアウトされたようなものだった…
相手が、なにもしていないのに、自分から、リングに倒れ込んだようなものだった…
正直、惨めだった…
自分が、惨めだった…
そして、そんなことを、考えていると、目の前に、エレベーターがやって来て、扉が開いた…