第111話
文字数 5,350文字
「…葉問…もう、いいさ…」
「…なにが、いいんですか?…」
「…葉尊に戻れ…葉尊と、交代しろ…これ以上、オマエと言い争っても、仕方ないさ…」
「…たしかに…」
葉問は、笑った…
が、
その笑いは、実に魅力的だった…
魅力に、溢れていた…
葉尊では、絶対、できない笑いだった…
私は、つくづく、この葉問と、夫の葉尊を比べて、中身が、大切だと、思った…
なぜなら、同じカラダを使っているにも、かかわらず、全然、印象が違う…
まったくの別人…
別人だ…
写真では、同一…
同じカラダを使っているから、同一だ…
が、
動き出せば、違う…
そういうことだ…
私は、それを見て、昔の偉人を、映像で、見た、ことを、思い出した…
例えば、明治の元勲、伊藤博文…
すでに、おじいさんになった年齢の伊藤博文が、神奈川県の大磯の海岸を歩いている光景を、映像で、みたが、なんとなく、人間が、軽いのだ…
昔の映像だから、音声は、ついてないが、映像だけ、見る限りは、人間に、重みが、なかった…
ハッキリ言えば、教科書で、見た、立派な伊藤博文とは、違う、人間が、そこに、いた…
つまりは、今風な言葉で、いえば、盛っているというか(笑)…
教科書には、わざと、迫力のある、堂々とした写真が、そこにあったということだ…
私は、それを、思い出した…
すると、なんだか、楽しくなった…
だから、つい、頬が緩んだ…
そして、そんな私を見て、葉問が、
「…お姉さん…なんですか、一体? …なにが、楽しいんですか?…」
と、聞いた…
私は、一瞬、言おうかどうか、迷ったが、すぐに、
「…オマエと、葉尊さ…」
と、言った…
隠すことは、ないと、思ったのだ…
「…ボクと、葉尊…ですか?…」
「…そうさ…」
「…ボクと葉尊のなにが、面白いんですか?…」
「…外見は、同じだが、中身が、違う…」
私が、指摘した…
「…すると、どうだ? 見た目が、まったく、変わって来る…まったくの別人になる…同じカラダを使っているにも、かかわらず、だ…」
「…」
「…これが、面白くなくて、どうする?…」
私が、言うと、葉問は、黙り込んだ…
「…」
と、しばらく、口を利かなかった…
ようやく、口を開いたときは、
「…まったく、お姉さんというひとは…」
と、笑っていた…
「…わけのわからないことを、言ったと、思えば、すぐに、まともなことを、言う…どっちが、本当のお姉さんだか、わからなくなる…」
「…わけのわからないことだと? なんだ、それは?…」
「…ボクが、バニラと関係すると、いうことです…天地が、ひっくり返っても、ありえないことです…」
「…どうして、断言できる…バニラは、あれほどの美人だゾ…」
「…素(す)のバニラは、真面目で、おとなしい女です…」
「…おとなしい? …あのバニラが、か?…」
「…そうです…」
「…どうして、わかる?…」
「…バニラの人脈です…」
「…人脈だと?…」
「…葉敬は、真面目…お姉さんも、真面目…ああ、見えて、バニラは、根が真面目なんです…だから、バニラが、甘える人間は、真面目な人間ばかり…」
「…バニラが、私に甘える? なにを、バカなことを、言ってるんだ?…」
「…いえ、バニラは、間違いなく、お姉さんに、甘えてます…その証拠に、お姉さんと、いるときは、いつも、楽しそうです…」
「…楽しそう?…」
「…ひとは、ちょっとしたことで、どんな人間か、バレます…いくら、外見が、おとなしそうな人間でも、付き合う人間が、皆、極端な話、前科のあるような人間なら、その人間は、見かけとは、中身が、まったく違うことが、わかるでしょ?…」
「…」
「…バニラは、ああ見えて、純粋で、一途な女です…」
「…一途な女? …あのバニラが、か?…」
「…そうです…親子ほど、歳の離れた葉敬の子供を産んだのも、ただ、葉敬が、好きだからです…決して、葉敬の財産目当てでも、なんでも、ありません…」
「…」
「…むしろ、危険なのは、リンダです…」
「…リンダだと? …どうして、リンダなんだ?…」
「…ああ見えて、リンダは、直情型です…」
「…直情型だと?…」
「…思うと、すぐに、行動に移す…」
「…」
「…その点、バニラは、違う…」
「…どう、違うんだ?…」
「…周囲を慎重に見て、行動を決める…決して、一時の感情では、動かない…」
「…」
「…今、リンダは、オスマン殿下の懐に、入り込もうとしています…」
「…オスマン殿下の懐だと? …どういう意味だ?…」
「…オスマン殿下の人脈です…」
「…人脈?…」
「…どこの国の、誰と、繋がっているのか、リンダは、知りたいのだと、思います…」
「…どうして、そんなことを? …リンダには、セレブのネットワークがあるだろ?…」
私の問いに、葉問は、笑った…
「…なにが、おかしい?…」
「…お姉さん…」
「…なんだ?…」
「…リンダ・ヘイワースのセレブのネットワークは、ただのリンダのファンクラブでは、ありませんよ…」
「…どういう意味だ?…」
「…ファンの一方通行では、ないということです…」
「…一方通行ではない?…」
「…いわば、双方向…つまり、持ちつ持たれつという側面が、あるということです…」
「…どういう意味だ?…」
「…リンダは、世界中に、セレブのファンを持っています…これは、確かです…だから、セレブのファンから、アレコレ、情報を得る…決して、表には、出ない情報も、手に入れることが、できる…」
「…」
「…その一方、リンダのセレブのファンもまた、リンダの情報収集力に、期待する部分もある…」
「…リンダの情報収集力だと? …どういう意味だ?…」
「…ハリウッドのセックス・シンボル、リンダ・ヘイワース…抜群の知名度を、誇る…そして、その知名度を生かして、どこに、でも、行ける…」
「…葉問…オマエ、なにが、言いたい?…」
「…人間の絆のサマセット・モームと同じです…」
「…同じ?…」
「…世界中に知られた有名人…どこの国にも、行ける…誰にも、疑われることなく…」
「…」
「…スパイには、最適です…」
「…スパイだと?…」
「…つまり、情報の橋渡しです…リンダ自身は、スパイでも、なんでもないが、あるファンから、聞いた話を、別のファンに、話すことは、できる…もっとも、それは、たわいもない情報に限りますが…ですが、それを、大事に思うファンもいます…」
「…」
「…要するに、リンダは、オスマン殿下を、自分のセレブのネットワークに、組み込みたいのです…ですが、オスマン殿下は、決して、それを認めないでしょう…」
「…どうして、認めないんだ?…」
「…それは、殿下が、サウジの…いえ、アラブの至宝と呼ばれる、アラブ世界の重鎮の一人だからです…」
「…重鎮…あの殿下が?…」
「…そうです…」
「…だが、殿下は、リンダの大ファンじゃ?…」
「…それと、これとは、話が、別です…」
「…別?…」
「…そうです…だから、それを、リンダが、承知していれば、いいのですが…」
「…承知していなければ、どうなる?…」
「…殺されるでしょう…」
あっさりと、葉問が、言った…
「…殺す? …リンダを? だって、オスマン殿下は、リンダの大ファンだゾ…」
「…それと、これとは、話が別です…リンダが、もし、オスマン殿下が、踏み込んではいけないと、決めた領域に、踏み込めば、いかに、リンダとて、どうなるかは、わかりません…」
なんと?…
話が、そんな大事になるとは?
まさに、まさかだ…
「…そして、もし、そうなったら、リンダを助けられるのは、お姉さんだけです…」
「…私だけ?…」
「…いえ、もう一人、いました…」
「…もう一人だと? …誰だ、それは?…」
「…マリアです…」
「…マリアだと?…」
「…ハイ…」
「…でも、葉問、どうして、マリアなんだ? …今、オマエが、言ったように、オスマン殿下が、踏み込んでは、いけない領域に、リンダが、踏み込んだら、殿下は、容赦しないのだろ?…」
「…お姉さん…考えて、見て下さい…」
「…なにを、考えるんだ?…」
「…殿下は、リンダと、会ったことが、ありませんでした…ですが、マリアは、殿下の身近にいます…」
「…なにが、言いたい?…」
「…例え、リンダの大ファンでも、昨日、今日会ったばかりの人間よりも、普段、身近に接していて、自分を大事に思ってくれる人間の方が、誰もが、大切だということです…」
「…」
「…そして、それは、殿下も、例外ではないということです…」
「…例外では、ない?…」
「…マリアは、子供ながら、おせっかい焼きです…だから、セレブの保育園で、周囲の園児たちと、うまくいかないオスマン殿下の面倒を見ようとしています…そして、それを、殿下は、煩わしいと、思う反面、喜んでます…」
「…」
「…ちょうど、母親がいないときに、幼い娘が、母親に代わって、甲斐甲斐しく、父親の面倒を見ようとしている…そんな感覚に、近いのだと、思います…」
「…」
「…だから、そんなマリアが、オスマン殿下に、頼み込めば、仮に、リンダが、オスマン殿下の逆鱗に、触れたとしても、許すかも、しれません…」
「…」
「…まあ、あくまで、可能性ですが…」
そう、葉問は、付け加えて、笑った…
と、同時に、私は、リンダが、心配になった…
もし、今、葉問が、言ったように、リンダが、オスマン殿下の懐に、入ろうとして、殿下の逆鱗に触れでも、したら、マズいと、思ったのだ…
なにより、この葉問は、ウソは、言わない…
この葉問は、決して、心の底から、信用できる人間では、ないが、私には、ウソは、言わない…
これまで、私に、ウソを言ったことなど、一度もない…
むしろ、いつも、この葉問は、私を助けてくれた…
陰で、助けてくれた…
なぜか、助けてくれた…
どうしてだかは、わからない…
おそらく、それは、葉尊のためかも、しれない…
私の夫は、葉尊…
葉問ではない…
葉問は、葉尊の弟…
一卵性双生児の弟だ…
だからか、私が、葉尊に、不審を持ったときも、葉問は、現れて、葉尊の真意を私に説いて、私が、葉尊に感じた疑惑を取り除いてくれた…
だから、ある意味、常に、私と葉尊の間を取り持ったのは、葉問だった…
葉問が、いなければ、私は、葉尊と、夫婦を続けられなかったかもしれない…
元々、私と、葉尊は、格差があり過ぎる…
葉尊は、台湾の大金持ちの御曹司…
片や、
私は、日本の平凡な家庭の生まれ…
さらに、
葉尊は、長身のイケメン…
片や、
私は、まったくの平凡な容姿…
別段、美人でも、なんでもない…
だから、
私と葉尊を比べれば、比べるほど、おかしい…
すべてにおいて、差があり過ぎるのだ…
だから、私は、自分が、嫌になったことが、何度か、あった…
自分が、惨めになったことが、何度か、あった…
が、
そのたびに、この葉問が、突然、現れ、私と葉尊の間を修復してくれた…
厳密に言えば、私が、葉尊と、自分が、釣り合わな過ぎるので、一方的に、身を引こうと、何度か、思ったことが、あったが、そのたびに、葉問が、現れて、アレコレ、私に話しかけて、私の気持ちを、変えさせてくれたのだ…
だから、厳密に、言えば、この葉問こそ、私にとって、最大の恩人かも、しれなかった…
この葉問が、いなければ、私が、今、現在、葉尊と暮らしていたか、どうかも、怪しい…
私は、金目当てで、葉尊と結婚したわけではない…
いや、
例え、金目当てで、結婚したとしても、葉尊と自分の違いが、あまりにも、凄すぎるので、気持ちが、萎えただろう…
よく、貧乏人の男が、金持ちの娘を、ゲットする…
あるいは、
貧乏人の娘が、金持ちの男をゲットする…
ということがある…
が、
普通の感覚の持ち主ならば、すぐに、釣り合わないことに、気付く…
おおげさに、言えば、年収2百万の人間と、年収一億円の人間が、結婚して、うまくゆくわけがないからだ…
まずは、育ってきた環境が、違う…
名門の小学校、あるいは、幼稚園から、大学まで、名門の学校に通い、有名店の常連…
なにより、金の使い方が違う…
だから、育ってきた生活環境が、違うから、互いに馴染めない…
最初のうちは、相手の感覚が、あまりにも、違うから、面白がったりするかもしれないが、やがて、現実の壁に直面する…
生まれ育った生活環境の違いを超えられないことに、悩む…
それが、普通の人間だ…
だから、私も、悩んだ…
この矢田トモコも、悩んだ…
この矢田トモコは、平凡な人間だからだ…
平凡、極まりない人間だからだ…
が、
そのたびに、この葉問が、現れ、この矢田をサポートしてくれた…
元気づけて、くれた…
だから、冷静に、考えれば、恩人…
私と葉尊にとって、一番の恩人だった…
が、
どうしても、そうは、思えんかった…
背後に、なにか、あるのではと、睨んだ…
この葉尊の背後に、誰か、いるのでは? と、睨んだ…
ずばり、女の直感だった…
矢田トモコの直感だった…
「…なにが、いいんですか?…」
「…葉尊に戻れ…葉尊と、交代しろ…これ以上、オマエと言い争っても、仕方ないさ…」
「…たしかに…」
葉問は、笑った…
が、
その笑いは、実に魅力的だった…
魅力に、溢れていた…
葉尊では、絶対、できない笑いだった…
私は、つくづく、この葉問と、夫の葉尊を比べて、中身が、大切だと、思った…
なぜなら、同じカラダを使っているにも、かかわらず、全然、印象が違う…
まったくの別人…
別人だ…
写真では、同一…
同じカラダを使っているから、同一だ…
が、
動き出せば、違う…
そういうことだ…
私は、それを見て、昔の偉人を、映像で、見た、ことを、思い出した…
例えば、明治の元勲、伊藤博文…
すでに、おじいさんになった年齢の伊藤博文が、神奈川県の大磯の海岸を歩いている光景を、映像で、みたが、なんとなく、人間が、軽いのだ…
昔の映像だから、音声は、ついてないが、映像だけ、見る限りは、人間に、重みが、なかった…
ハッキリ言えば、教科書で、見た、立派な伊藤博文とは、違う、人間が、そこに、いた…
つまりは、今風な言葉で、いえば、盛っているというか(笑)…
教科書には、わざと、迫力のある、堂々とした写真が、そこにあったということだ…
私は、それを、思い出した…
すると、なんだか、楽しくなった…
だから、つい、頬が緩んだ…
そして、そんな私を見て、葉問が、
「…お姉さん…なんですか、一体? …なにが、楽しいんですか?…」
と、聞いた…
私は、一瞬、言おうかどうか、迷ったが、すぐに、
「…オマエと、葉尊さ…」
と、言った…
隠すことは、ないと、思ったのだ…
「…ボクと、葉尊…ですか?…」
「…そうさ…」
「…ボクと葉尊のなにが、面白いんですか?…」
「…外見は、同じだが、中身が、違う…」
私が、指摘した…
「…すると、どうだ? 見た目が、まったく、変わって来る…まったくの別人になる…同じカラダを使っているにも、かかわらず、だ…」
「…」
「…これが、面白くなくて、どうする?…」
私が、言うと、葉問は、黙り込んだ…
「…」
と、しばらく、口を利かなかった…
ようやく、口を開いたときは、
「…まったく、お姉さんというひとは…」
と、笑っていた…
「…わけのわからないことを、言ったと、思えば、すぐに、まともなことを、言う…どっちが、本当のお姉さんだか、わからなくなる…」
「…わけのわからないことだと? なんだ、それは?…」
「…ボクが、バニラと関係すると、いうことです…天地が、ひっくり返っても、ありえないことです…」
「…どうして、断言できる…バニラは、あれほどの美人だゾ…」
「…素(す)のバニラは、真面目で、おとなしい女です…」
「…おとなしい? …あのバニラが、か?…」
「…そうです…」
「…どうして、わかる?…」
「…バニラの人脈です…」
「…人脈だと?…」
「…葉敬は、真面目…お姉さんも、真面目…ああ、見えて、バニラは、根が真面目なんです…だから、バニラが、甘える人間は、真面目な人間ばかり…」
「…バニラが、私に甘える? なにを、バカなことを、言ってるんだ?…」
「…いえ、バニラは、間違いなく、お姉さんに、甘えてます…その証拠に、お姉さんと、いるときは、いつも、楽しそうです…」
「…楽しそう?…」
「…ひとは、ちょっとしたことで、どんな人間か、バレます…いくら、外見が、おとなしそうな人間でも、付き合う人間が、皆、極端な話、前科のあるような人間なら、その人間は、見かけとは、中身が、まったく違うことが、わかるでしょ?…」
「…」
「…バニラは、ああ見えて、純粋で、一途な女です…」
「…一途な女? …あのバニラが、か?…」
「…そうです…親子ほど、歳の離れた葉敬の子供を産んだのも、ただ、葉敬が、好きだからです…決して、葉敬の財産目当てでも、なんでも、ありません…」
「…」
「…むしろ、危険なのは、リンダです…」
「…リンダだと? …どうして、リンダなんだ?…」
「…ああ見えて、リンダは、直情型です…」
「…直情型だと?…」
「…思うと、すぐに、行動に移す…」
「…」
「…その点、バニラは、違う…」
「…どう、違うんだ?…」
「…周囲を慎重に見て、行動を決める…決して、一時の感情では、動かない…」
「…」
「…今、リンダは、オスマン殿下の懐に、入り込もうとしています…」
「…オスマン殿下の懐だと? …どういう意味だ?…」
「…オスマン殿下の人脈です…」
「…人脈?…」
「…どこの国の、誰と、繋がっているのか、リンダは、知りたいのだと、思います…」
「…どうして、そんなことを? …リンダには、セレブのネットワークがあるだろ?…」
私の問いに、葉問は、笑った…
「…なにが、おかしい?…」
「…お姉さん…」
「…なんだ?…」
「…リンダ・ヘイワースのセレブのネットワークは、ただのリンダのファンクラブでは、ありませんよ…」
「…どういう意味だ?…」
「…ファンの一方通行では、ないということです…」
「…一方通行ではない?…」
「…いわば、双方向…つまり、持ちつ持たれつという側面が、あるということです…」
「…どういう意味だ?…」
「…リンダは、世界中に、セレブのファンを持っています…これは、確かです…だから、セレブのファンから、アレコレ、情報を得る…決して、表には、出ない情報も、手に入れることが、できる…」
「…」
「…その一方、リンダのセレブのファンもまた、リンダの情報収集力に、期待する部分もある…」
「…リンダの情報収集力だと? …どういう意味だ?…」
「…ハリウッドのセックス・シンボル、リンダ・ヘイワース…抜群の知名度を、誇る…そして、その知名度を生かして、どこに、でも、行ける…」
「…葉問…オマエ、なにが、言いたい?…」
「…人間の絆のサマセット・モームと同じです…」
「…同じ?…」
「…世界中に知られた有名人…どこの国にも、行ける…誰にも、疑われることなく…」
「…」
「…スパイには、最適です…」
「…スパイだと?…」
「…つまり、情報の橋渡しです…リンダ自身は、スパイでも、なんでもないが、あるファンから、聞いた話を、別のファンに、話すことは、できる…もっとも、それは、たわいもない情報に限りますが…ですが、それを、大事に思うファンもいます…」
「…」
「…要するに、リンダは、オスマン殿下を、自分のセレブのネットワークに、組み込みたいのです…ですが、オスマン殿下は、決して、それを認めないでしょう…」
「…どうして、認めないんだ?…」
「…それは、殿下が、サウジの…いえ、アラブの至宝と呼ばれる、アラブ世界の重鎮の一人だからです…」
「…重鎮…あの殿下が?…」
「…そうです…」
「…だが、殿下は、リンダの大ファンじゃ?…」
「…それと、これとは、話が、別です…」
「…別?…」
「…そうです…だから、それを、リンダが、承知していれば、いいのですが…」
「…承知していなければ、どうなる?…」
「…殺されるでしょう…」
あっさりと、葉問が、言った…
「…殺す? …リンダを? だって、オスマン殿下は、リンダの大ファンだゾ…」
「…それと、これとは、話が別です…リンダが、もし、オスマン殿下が、踏み込んではいけないと、決めた領域に、踏み込めば、いかに、リンダとて、どうなるかは、わかりません…」
なんと?…
話が、そんな大事になるとは?
まさに、まさかだ…
「…そして、もし、そうなったら、リンダを助けられるのは、お姉さんだけです…」
「…私だけ?…」
「…いえ、もう一人、いました…」
「…もう一人だと? …誰だ、それは?…」
「…マリアです…」
「…マリアだと?…」
「…ハイ…」
「…でも、葉問、どうして、マリアなんだ? …今、オマエが、言ったように、オスマン殿下が、踏み込んでは、いけない領域に、リンダが、踏み込んだら、殿下は、容赦しないのだろ?…」
「…お姉さん…考えて、見て下さい…」
「…なにを、考えるんだ?…」
「…殿下は、リンダと、会ったことが、ありませんでした…ですが、マリアは、殿下の身近にいます…」
「…なにが、言いたい?…」
「…例え、リンダの大ファンでも、昨日、今日会ったばかりの人間よりも、普段、身近に接していて、自分を大事に思ってくれる人間の方が、誰もが、大切だということです…」
「…」
「…そして、それは、殿下も、例外ではないということです…」
「…例外では、ない?…」
「…マリアは、子供ながら、おせっかい焼きです…だから、セレブの保育園で、周囲の園児たちと、うまくいかないオスマン殿下の面倒を見ようとしています…そして、それを、殿下は、煩わしいと、思う反面、喜んでます…」
「…」
「…ちょうど、母親がいないときに、幼い娘が、母親に代わって、甲斐甲斐しく、父親の面倒を見ようとしている…そんな感覚に、近いのだと、思います…」
「…」
「…だから、そんなマリアが、オスマン殿下に、頼み込めば、仮に、リンダが、オスマン殿下の逆鱗に、触れたとしても、許すかも、しれません…」
「…」
「…まあ、あくまで、可能性ですが…」
そう、葉問は、付け加えて、笑った…
と、同時に、私は、リンダが、心配になった…
もし、今、葉問が、言ったように、リンダが、オスマン殿下の懐に、入ろうとして、殿下の逆鱗に触れでも、したら、マズいと、思ったのだ…
なにより、この葉問は、ウソは、言わない…
この葉問は、決して、心の底から、信用できる人間では、ないが、私には、ウソは、言わない…
これまで、私に、ウソを言ったことなど、一度もない…
むしろ、いつも、この葉問は、私を助けてくれた…
陰で、助けてくれた…
なぜか、助けてくれた…
どうしてだかは、わからない…
おそらく、それは、葉尊のためかも、しれない…
私の夫は、葉尊…
葉問ではない…
葉問は、葉尊の弟…
一卵性双生児の弟だ…
だからか、私が、葉尊に、不審を持ったときも、葉問は、現れて、葉尊の真意を私に説いて、私が、葉尊に感じた疑惑を取り除いてくれた…
だから、ある意味、常に、私と葉尊の間を取り持ったのは、葉問だった…
葉問が、いなければ、私は、葉尊と、夫婦を続けられなかったかもしれない…
元々、私と、葉尊は、格差があり過ぎる…
葉尊は、台湾の大金持ちの御曹司…
片や、
私は、日本の平凡な家庭の生まれ…
さらに、
葉尊は、長身のイケメン…
片や、
私は、まったくの平凡な容姿…
別段、美人でも、なんでもない…
だから、
私と葉尊を比べれば、比べるほど、おかしい…
すべてにおいて、差があり過ぎるのだ…
だから、私は、自分が、嫌になったことが、何度か、あった…
自分が、惨めになったことが、何度か、あった…
が、
そのたびに、この葉問が、突然、現れ、私と葉尊の間を修復してくれた…
厳密に言えば、私が、葉尊と、自分が、釣り合わな過ぎるので、一方的に、身を引こうと、何度か、思ったことが、あったが、そのたびに、葉問が、現れて、アレコレ、私に話しかけて、私の気持ちを、変えさせてくれたのだ…
だから、厳密に、言えば、この葉問こそ、私にとって、最大の恩人かも、しれなかった…
この葉問が、いなければ、私が、今、現在、葉尊と暮らしていたか、どうかも、怪しい…
私は、金目当てで、葉尊と結婚したわけではない…
いや、
例え、金目当てで、結婚したとしても、葉尊と自分の違いが、あまりにも、凄すぎるので、気持ちが、萎えただろう…
よく、貧乏人の男が、金持ちの娘を、ゲットする…
あるいは、
貧乏人の娘が、金持ちの男をゲットする…
ということがある…
が、
普通の感覚の持ち主ならば、すぐに、釣り合わないことに、気付く…
おおげさに、言えば、年収2百万の人間と、年収一億円の人間が、結婚して、うまくゆくわけがないからだ…
まずは、育ってきた環境が、違う…
名門の小学校、あるいは、幼稚園から、大学まで、名門の学校に通い、有名店の常連…
なにより、金の使い方が違う…
だから、育ってきた生活環境が、違うから、互いに馴染めない…
最初のうちは、相手の感覚が、あまりにも、違うから、面白がったりするかもしれないが、やがて、現実の壁に直面する…
生まれ育った生活環境の違いを超えられないことに、悩む…
それが、普通の人間だ…
だから、私も、悩んだ…
この矢田トモコも、悩んだ…
この矢田トモコは、平凡な人間だからだ…
平凡、極まりない人間だからだ…
が、
そのたびに、この葉問が、現れ、この矢田をサポートしてくれた…
元気づけて、くれた…
だから、冷静に、考えれば、恩人…
私と葉尊にとって、一番の恩人だった…
が、
どうしても、そうは、思えんかった…
背後に、なにか、あるのではと、睨んだ…
この葉尊の背後に、誰か、いるのでは? と、睨んだ…
ずばり、女の直感だった…
矢田トモコの直感だった…