第55話
文字数 6,293文字
…大変なことになった…
それが、偽らざる気持ちだった…
マリアが、可哀そうになり、つい、
「…行ってやるさ…」
と、口に出してしまった…
約束してしまった…
我ながら、軽率というか…
考えが、足りなかった…
「…でも、それが、お姉さんのいいところね…」
と、バニラが帰った後に、入れ替わりに、私の家に、やって来たリンダが、言った…
リンダ=ヤンが、言った…
「…なにが、いいところだ?…」
私は、不機嫌に言った…
「…お姉さんの優しさ…非情になれない…」
「…非情だと?…」
「…そう…冷たくなれない…お姉さんが、あの矢口のお嬢様を苦手なのは、わかる…でも、それがわかっていても、マリアが、可哀そうだと思って、つい、保育園のお遊戯大会に、参加してやるって、言ったんでしょ?…」
「…そうさ…」
「…それが、お姉さんのひとの良さ…だから、お姉さんは、誰からも好かれる…」
ヤン=リンダが、言った…
が、
私は、そんなことを言われても、全然、嬉しくなかった…
なかったのだ…
とにかく、あの矢口のお嬢様とは、会いたくなかった…
あのお嬢様の顔を見たくなかった…
が、
見ざるを得なかった…
「…正直、気が重いさ…」
私が、愚痴ると、
「…どうして、そんなに、あのお嬢様が、嫌なの?…」
と、ヤンが、直球で、聞いた…
「…あのお嬢様は、決して、悪い人間じゃないさ…ただ…」
「…ただ、なに?…」
「…利にさといというか…私を利用しようとするのさ…」
「…お姉さんを利用?…」
「…そうさ…私とお嬢様は、外見が瓜二つ…二人並べば、どっちが、矢田トモコで、どっちが、矢口トモコか、わからんさ…もちろん、オマエやバニラは、身近に、私を見ているから、違いはわかるさ…でも、お嬢様や、私と、普段、あまり接していない人間は、わからんさ…」
私の言葉に、リンダ=ヤンは、考え込んだ…
だから、
「…どうした? …ヤン?…リンダ?…」
と、聞いた…
「…それって、なりすましができるってこと?…」
「…なりすましだと? …どういう意味だ?…」
「…つまり、あのお嬢様が、お姉さんのフリをする…クールの社長夫人になりすます…」
「…」
「…あるいは、真逆に、お姉さんが、スーパージャパンの社長になりすます…」
ヤンが、言った…
私は、驚いた…
驚いたのだ…
その発想はなかった…
いや、
以前、あのお嬢様は、私を替え玉にした…
影武者にした…
だとしたら、今度の保育園のお遊戯大会でも、あのお嬢様は、私になりすます可能性があるということだ…
仮に、私に、なにか、用事を命じて、その間に、私になりすまして、なにかをすることが、できるわけだ…
私は、思った…
思いながら、それが、実は、今度のお嬢様の狙いではないかと、思った…
目的ではないかと、思った…
が、
それは、難しい…
できないかもしれない…
なぜなら、マリアがいる…
マリアが、近くにいる限り、あのお嬢様が、私になりすますことはできない…
なにしろ、マリアは、私を知っている…
矢田トモコを知っている…
だから、いかに、外見がそっくりでも、私のフリをすることは、できない…
マリアが、すぐに、気付くからだ…
いや、
そうではない…
ここで、肝心なのは、マリアではない…
矢口トモコが、矢田トモコになりすますことだ…
それが、バレなければ、いい…
つまりは、マリアの目の届かないところで、私になりすませばいい…
私は、思った…
そんなことを、考えていると、
「…なにを、考えているの?…」
と、ヤンが聞いた…
「…お嬢様の目的さ…」
と、答えた…
「…目的?…」
「…そうさ…最初は、あのお嬢様は、どこからか、ファラドや、オスマンのことを、聞いたと、思ったのさ…それで、クールが、開く、大規模なパーティーよりも、こじんまりとした、保育園のお遊戯大会に参加したほうが、ファラドや、オスマンと親密になれると、判断したと思ったのさ…」
「…」
「…でも、もしかしたら、それだけじゃないかもしれん…」
「…どういうこと?…」
「…私になりすまして、なにかをしたいのかもしれん…」
「…まさか?…」
「…その、まさかさ…」
「…たとえば、クールさ…」
「…クールが、どうかしたの?…」
「…私になりすませば、クールの社長室だって、ノーパスで、入ってゆける…夫の葉尊に会いに来たとでも、言えばいい…普通のサラリーマンなら、そんなことは、できないが、葉尊は、クールのオーナー経営者…だから、顔パスで、社長室だって、入ってゆける…」
「…」
「…とにかく、あのお嬢様には、気をつけねば、ならん…油断できん…」
「…そういえば…」
「…そういえば、なんだ?…」
「…私のCM…」
「…CMが、どうかしたのか?…」
「…お姉さんも知っている、スーパージャパンで、販売を予定している、化粧品のCM…動き出したわ…」
「…動き出した? どういうことだ?…」
「…最近になって、撮影が、始まることになったの…」
「…なんだと?…」
「…しかも、撮影場所は、この日本…」
「…日本だと?…」
「…たしかに、化粧品のCMだから、スタジオで、撮影できる…それでも、このリンダ・ヘイワースが…ハリウッドのセックス・シンボルのCMの撮影が、日本で、行われるなんて、異例中の異例…そんな話、これまで、聞いたこともない…」
「…」
「…きっと、誰かの力が、動いている…」
「…誰かの力? …お嬢様の力か…」
「…それはない…」
ヤン=リンダが、ゆっくりと、首を横に振った…
「…たかだか、日本の激安スーパーのオーナー程度で、リンダ・ヘイワースのCMの撮影場所を指定することはできない…」
「…だったら、誰だ?…」
「…わからない…」
ヤン=リンダは、またも、首を横に振った…
「…でも、考えられることは、ある…」
「…なんだ?…」
「…あのお嬢様が、いくら金を積もうと、リンダ・ヘイワースを動かすことはできない…」
「…」
「…でも…」
「…でも、なんだ?…」
「…人を介して…ある人物を間に入れてなら、できる…」
「…どういうことだ?…」
「…たとえば、ファラド…」
「…ファラドだと?…」
「…そう…ファラド王子を間に入れれば、リンダ・ヘイワースのCMの撮影を日本で、やらせることができる…」
「…」
「…しかも、今、ファラドは、日本にいる…同じく、今、日本にいるリンダ・ヘイワースのCMの撮影を見学したいと言わせれば、いい…」
「…」
「…そう考えれば、辻褄が合うというか…考えられないことではない…」
「…」
「…人生は、いつも、偶然が、左右するもと、思いがちだけど、必然もある…」
「…必然だと? …どういう意味だ?…」
「…あらかじめ、誰かが、仕組んでいる…シナリオを書いている…ただ、演じている人間たちが、そのシナリオを知らないだけ…」
「…」
「…って、もしかしたら考え過ぎだけれども、思った…」
リンダ=ヤンが、笑った…
「…まあ、あくまで、私の想像でしかないから、お姉さんも、深刻に受け取らないで…」
リンダが、続けた…
が、
私は、リンダの言葉を軽く受け流すことは、できんかった…
リンダの言うことは、イチイチもっとも…
理にかなっているからだ…
たしかに、なにか、大きな力が動かなければ、リンダのCMの撮影が、日本で行われることは、ありえない…
ハリウッドのセックス・シンボルが、日本で、CMの撮影をすることは、ありえない…
リンダ・ヘイワースのハリウッドのセックス・シンボルという肩書は、伊達ではない…
おおげさに言えば、日本の天皇陛下や、イギリスのエリザベス女王と同じ…
立派な肩書を持つ人間には、それ相応の対応が必要となる…
そうでなければ、格が保てないからだ…
たとえば、天皇陛下が、いつも、宮内庁の食堂で、気さくに、宮内庁の職員と食事を取っていては、格は保てない…
そういうことだ…
ハリウッドのセックス・シンボルである、リンダ・ヘイワースが、CMの撮影をすると、すれば、豪華な撮影所で、それこそ、目の玉が飛び出るほどのギャラをもらわなければ、ならない…
そうでなければ、ハリウッドのセックス・シンボルという格=威厳が保てないからだ…
わかりやすい例えでいえば、レディーガガが、コンサートをするようなものだ…
バックにゴージャスなバンドを従える…
それゆえ、レディーガガになれるのだ…
ソロで、たったひとりで、アカペラで、唄っても、それは、レディーガガではない…
つまり、そういうことだ…
その前例を覆して、CMの撮影を日本でするということは、相当な金が、水面下で、動いているということだ…
そして、それは、必ずしも、リンダの意思ではない…
莫大な金額が、手に入るかもしれないが、その金額も、リンダに還元されるか、どうかは、わからない…
世の中、残念ながら、そういうものだ…
肝心の当事者である本人の意思とは、まったく関係のないところで、すべて、決められている可能性が高い…
残念ながら、それが、真実だ…
ある意味、操り人形…
自分のことなのに、自分で、決められない(涙)…
自分の意思が、通らない…
昨今、日本の芸能界でも、独立が、頻繁に起こるのは、そういう事情と、無関係では、あるまい…
ふと、思った…
誰でも、十代や二十代前半で、デビューして、当初は、事務所の用意した仕事をがむしゃらに、こなしてゆく…
が、
ある程度、経験を積み、歳を取れば、自分の意見を言いたくなる…
自分の主張を通したくなる…
これは、誰もが、同じ…
どんな人間も同じだ…
そして、今は、ネットがあるから、芸能活動もテレビが主流ではなくなったから、独立も、以前に比べ、容易になった…
そういうことだろう…
ふと、思った…
が、
リンダにそれは、当てはまらない…
バニラにも、だ…
リンダも、バニラも、活躍する舞台は、ネットではないからだ…
私は、思った…
だから、二人とも、独立ができない…
二人は、現役を引退したら、どうするのだろう?
とも、思った…
やはり、現役時代に築いた名声を武器に、会社を興したりするのだろうか?
化粧品の会社とか、芸能プロダクションとか、そういうものだろうか?
いや、ハリウッドに芸能プロダクションは、ないか?
日本とは、芸能界の仕組みが違うと聞いたことがある…
あちらは、エージェント制…
エージェント=代理人が、仕事をとってくると、聞いたことがある…
だったら、リンダは、将来、エージェントになるのだろうか?
わからない…
なにしろ、異国だ…
ハリウッドの芸能システムが、わからないからだ…
私が、そんなことを、悩んでいると、リンダもまた、なにやら、考え込んでいるようだった…
だから、
「…どうした? …リンダ?…」
と、聞いた…
すると、
「…お姉さん…」
と、考え込みながら、リンダが、言った…
リンダ=ヤンが言った…
「…なんだ?…」
「…そのお遊戯大会…私も行っちゃ、ダメかな?…」
「…なんだと?…」
私は、驚いた…
「…どうして、オマエが?…」
「…ファラドに会ってみたい…」
「…ファラドに?…」
「…リンダ・ヘイワースの大ファンを公言するファラドが、どんな男か、見てみたい…」
ヤン=リンダが、言った…
「…ダメかな?…」
「…ダメもなにも、決めるのは、私じゃないさ…」
「…だったら、誰なの?…」
「…バニラに決まってるだろ? …バニラの娘のマリアの通う保育園のお遊戯大会だ…」
「…そうか? …そうだった…」
ヤンが、照れ笑いを浮かべた…
しかしながら、ヤン=リンダの気持ちは、わかる…
そもそも、ファラドが、リンダを狙っているという話だった…
それが、当初の話だった…
今となっては、それが、本当か、どうかは、わからない…
が、
やはりというか…
リンダとしては、一度は、ファラドに会ってみたいと、思うのが、人情だった…
自分を手に入れたいと公言するファラドに会ってみたいと、思うのが、普通だった…
しかも、リンダは、普段は、ヤンの格好をしている…
ヤンという男の格好をしている…
男装をしている…
だから、ファラドと直接会っても、すぐに、リンダ・ヘイワースと、気付かれる心配はない…
だとすれば、冷静に、ファラドを見ることができる…
冷静にファラドを観察することができる…
クールが主催する形式ばったパーティーで、タキシードを着たファラドと、深紅のドレスをまとったリンダ・ヘイワースとして、出会うよりも、冷静に相手を観察できる…
そういうことだろう…
「…たしかに、オマエの気持ちはわかる…」
と、私は、重々しく言った…
「…でしょ?…」
と、ヤンが、我が意を得たりとばかりに、言った…
「…だが、これは、マリアの通う保育園さ…マリアは、当然のことながら、母親のバニラの許可も得なければ、ならんゾ…」
「…それは、わかってます…」
リンダが、笑った…
私は、そのリンダ=ヤンの顔を間近に見ながら、考えた…
大胆なことをすると、思ったのだ…
なにしろ、会うのが、ファラドだ…
サウジの王族だ…
その王族が、リンダ・ヘイワースを手に入れたいと、公言しているのだ…
それが、ウソかホントかは、わからない…
別になにか、目的があるのかもしれない…
が、
いくらなんでも、自分を手に入れたいと、公言する人間に、直接会うのは、リスクがあり過ぎる…
危険過ぎる…
いかに、ヤンという姿で、男装をしていても、気付かれる危険もあるに違いない…
このリンダという女…
一見すると、おとなしめに見えるが、その素顔は、あのバニラよりも、勇敢というか、気が強い…
あのヤンキー上がりのバニラよりも、気が強い…
あのバニラでも、おそらく、そんなことはしないだろう…
もし、ファラドと会って、自分が、本物のリンダ・ヘイワースとバレれば、いきなり、リンダは、サウジに連れて行かれる危険があるからだ…
普通、誰もが、そんな危険を冒すことはできない…
サウジに連れて行かれるということは、すなわち性奴隷とまでは、言わないが、もはや、二度と、アメリカや、この日本に戻ってこられないかもしれないからだ…
それが、十分わかっているにも、かかわらず、ファラドに会いたいというとは…
無謀過ぎる…
いくら、なんでも、無謀過ぎる…
だから、
「…リンダ…オマエ…ファラドと会って、リンダとバレたら、どうするんだ?…」
と、思わず、私は、怒鳴った…
「…オマエ…もしかしたら、サウジに連れて行かれて、サウジから一生出れないかもしれないゾ…」
私が、続けると、
「…そのときは、そのとき…」
と、リンダ=ヤンが、即答して、笑った…
「…オマエ…気は確かか? …正気か?…」
「…虎穴に入らずんば虎子を得ず…日本のことわざね…」
「…」
「…それぐらいの覚悟は、ないと、なにもできない…」
リンダが、笑った…
「…心配しないで…手は打ってある…」
「…手? …どんな手だ?…」
「…それは、秘密? …いくら、お姉さんでも、それは、教えられない…」
そう言って、目の前のリンダ=ヤンは、不敵に笑った…
笑ったのだ…
それを見て、私は、今さらながら、このリンダ・ヘイワースという女は、火のような女だと思った…
勇猛果敢な兵士のような女だと、思った…
それが、偽らざる気持ちだった…
マリアが、可哀そうになり、つい、
「…行ってやるさ…」
と、口に出してしまった…
約束してしまった…
我ながら、軽率というか…
考えが、足りなかった…
「…でも、それが、お姉さんのいいところね…」
と、バニラが帰った後に、入れ替わりに、私の家に、やって来たリンダが、言った…
リンダ=ヤンが、言った…
「…なにが、いいところだ?…」
私は、不機嫌に言った…
「…お姉さんの優しさ…非情になれない…」
「…非情だと?…」
「…そう…冷たくなれない…お姉さんが、あの矢口のお嬢様を苦手なのは、わかる…でも、それがわかっていても、マリアが、可哀そうだと思って、つい、保育園のお遊戯大会に、参加してやるって、言ったんでしょ?…」
「…そうさ…」
「…それが、お姉さんのひとの良さ…だから、お姉さんは、誰からも好かれる…」
ヤン=リンダが、言った…
が、
私は、そんなことを言われても、全然、嬉しくなかった…
なかったのだ…
とにかく、あの矢口のお嬢様とは、会いたくなかった…
あのお嬢様の顔を見たくなかった…
が、
見ざるを得なかった…
「…正直、気が重いさ…」
私が、愚痴ると、
「…どうして、そんなに、あのお嬢様が、嫌なの?…」
と、ヤンが、直球で、聞いた…
「…あのお嬢様は、決して、悪い人間じゃないさ…ただ…」
「…ただ、なに?…」
「…利にさといというか…私を利用しようとするのさ…」
「…お姉さんを利用?…」
「…そうさ…私とお嬢様は、外見が瓜二つ…二人並べば、どっちが、矢田トモコで、どっちが、矢口トモコか、わからんさ…もちろん、オマエやバニラは、身近に、私を見ているから、違いはわかるさ…でも、お嬢様や、私と、普段、あまり接していない人間は、わからんさ…」
私の言葉に、リンダ=ヤンは、考え込んだ…
だから、
「…どうした? …ヤン?…リンダ?…」
と、聞いた…
「…それって、なりすましができるってこと?…」
「…なりすましだと? …どういう意味だ?…」
「…つまり、あのお嬢様が、お姉さんのフリをする…クールの社長夫人になりすます…」
「…」
「…あるいは、真逆に、お姉さんが、スーパージャパンの社長になりすます…」
ヤンが、言った…
私は、驚いた…
驚いたのだ…
その発想はなかった…
いや、
以前、あのお嬢様は、私を替え玉にした…
影武者にした…
だとしたら、今度の保育園のお遊戯大会でも、あのお嬢様は、私になりすます可能性があるということだ…
仮に、私に、なにか、用事を命じて、その間に、私になりすまして、なにかをすることが、できるわけだ…
私は、思った…
思いながら、それが、実は、今度のお嬢様の狙いではないかと、思った…
目的ではないかと、思った…
が、
それは、難しい…
できないかもしれない…
なぜなら、マリアがいる…
マリアが、近くにいる限り、あのお嬢様が、私になりすますことはできない…
なにしろ、マリアは、私を知っている…
矢田トモコを知っている…
だから、いかに、外見がそっくりでも、私のフリをすることは、できない…
マリアが、すぐに、気付くからだ…
いや、
そうではない…
ここで、肝心なのは、マリアではない…
矢口トモコが、矢田トモコになりすますことだ…
それが、バレなければ、いい…
つまりは、マリアの目の届かないところで、私になりすませばいい…
私は、思った…
そんなことを、考えていると、
「…なにを、考えているの?…」
と、ヤンが聞いた…
「…お嬢様の目的さ…」
と、答えた…
「…目的?…」
「…そうさ…最初は、あのお嬢様は、どこからか、ファラドや、オスマンのことを、聞いたと、思ったのさ…それで、クールが、開く、大規模なパーティーよりも、こじんまりとした、保育園のお遊戯大会に参加したほうが、ファラドや、オスマンと親密になれると、判断したと思ったのさ…」
「…」
「…でも、もしかしたら、それだけじゃないかもしれん…」
「…どういうこと?…」
「…私になりすまして、なにかをしたいのかもしれん…」
「…まさか?…」
「…その、まさかさ…」
「…たとえば、クールさ…」
「…クールが、どうかしたの?…」
「…私になりすませば、クールの社長室だって、ノーパスで、入ってゆける…夫の葉尊に会いに来たとでも、言えばいい…普通のサラリーマンなら、そんなことは、できないが、葉尊は、クールのオーナー経営者…だから、顔パスで、社長室だって、入ってゆける…」
「…」
「…とにかく、あのお嬢様には、気をつけねば、ならん…油断できん…」
「…そういえば…」
「…そういえば、なんだ?…」
「…私のCM…」
「…CMが、どうかしたのか?…」
「…お姉さんも知っている、スーパージャパンで、販売を予定している、化粧品のCM…動き出したわ…」
「…動き出した? どういうことだ?…」
「…最近になって、撮影が、始まることになったの…」
「…なんだと?…」
「…しかも、撮影場所は、この日本…」
「…日本だと?…」
「…たしかに、化粧品のCMだから、スタジオで、撮影できる…それでも、このリンダ・ヘイワースが…ハリウッドのセックス・シンボルのCMの撮影が、日本で、行われるなんて、異例中の異例…そんな話、これまで、聞いたこともない…」
「…」
「…きっと、誰かの力が、動いている…」
「…誰かの力? …お嬢様の力か…」
「…それはない…」
ヤン=リンダが、ゆっくりと、首を横に振った…
「…たかだか、日本の激安スーパーのオーナー程度で、リンダ・ヘイワースのCMの撮影場所を指定することはできない…」
「…だったら、誰だ?…」
「…わからない…」
ヤン=リンダは、またも、首を横に振った…
「…でも、考えられることは、ある…」
「…なんだ?…」
「…あのお嬢様が、いくら金を積もうと、リンダ・ヘイワースを動かすことはできない…」
「…」
「…でも…」
「…でも、なんだ?…」
「…人を介して…ある人物を間に入れてなら、できる…」
「…どういうことだ?…」
「…たとえば、ファラド…」
「…ファラドだと?…」
「…そう…ファラド王子を間に入れれば、リンダ・ヘイワースのCMの撮影を日本で、やらせることができる…」
「…」
「…しかも、今、ファラドは、日本にいる…同じく、今、日本にいるリンダ・ヘイワースのCMの撮影を見学したいと言わせれば、いい…」
「…」
「…そう考えれば、辻褄が合うというか…考えられないことではない…」
「…」
「…人生は、いつも、偶然が、左右するもと、思いがちだけど、必然もある…」
「…必然だと? …どういう意味だ?…」
「…あらかじめ、誰かが、仕組んでいる…シナリオを書いている…ただ、演じている人間たちが、そのシナリオを知らないだけ…」
「…」
「…って、もしかしたら考え過ぎだけれども、思った…」
リンダ=ヤンが、笑った…
「…まあ、あくまで、私の想像でしかないから、お姉さんも、深刻に受け取らないで…」
リンダが、続けた…
が、
私は、リンダの言葉を軽く受け流すことは、できんかった…
リンダの言うことは、イチイチもっとも…
理にかなっているからだ…
たしかに、なにか、大きな力が動かなければ、リンダのCMの撮影が、日本で行われることは、ありえない…
ハリウッドのセックス・シンボルが、日本で、CMの撮影をすることは、ありえない…
リンダ・ヘイワースのハリウッドのセックス・シンボルという肩書は、伊達ではない…
おおげさに言えば、日本の天皇陛下や、イギリスのエリザベス女王と同じ…
立派な肩書を持つ人間には、それ相応の対応が必要となる…
そうでなければ、格が保てないからだ…
たとえば、天皇陛下が、いつも、宮内庁の食堂で、気さくに、宮内庁の職員と食事を取っていては、格は保てない…
そういうことだ…
ハリウッドのセックス・シンボルである、リンダ・ヘイワースが、CMの撮影をすると、すれば、豪華な撮影所で、それこそ、目の玉が飛び出るほどのギャラをもらわなければ、ならない…
そうでなければ、ハリウッドのセックス・シンボルという格=威厳が保てないからだ…
わかりやすい例えでいえば、レディーガガが、コンサートをするようなものだ…
バックにゴージャスなバンドを従える…
それゆえ、レディーガガになれるのだ…
ソロで、たったひとりで、アカペラで、唄っても、それは、レディーガガではない…
つまり、そういうことだ…
その前例を覆して、CMの撮影を日本でするということは、相当な金が、水面下で、動いているということだ…
そして、それは、必ずしも、リンダの意思ではない…
莫大な金額が、手に入るかもしれないが、その金額も、リンダに還元されるか、どうかは、わからない…
世の中、残念ながら、そういうものだ…
肝心の当事者である本人の意思とは、まったく関係のないところで、すべて、決められている可能性が高い…
残念ながら、それが、真実だ…
ある意味、操り人形…
自分のことなのに、自分で、決められない(涙)…
自分の意思が、通らない…
昨今、日本の芸能界でも、独立が、頻繁に起こるのは、そういう事情と、無関係では、あるまい…
ふと、思った…
誰でも、十代や二十代前半で、デビューして、当初は、事務所の用意した仕事をがむしゃらに、こなしてゆく…
が、
ある程度、経験を積み、歳を取れば、自分の意見を言いたくなる…
自分の主張を通したくなる…
これは、誰もが、同じ…
どんな人間も同じだ…
そして、今は、ネットがあるから、芸能活動もテレビが主流ではなくなったから、独立も、以前に比べ、容易になった…
そういうことだろう…
ふと、思った…
が、
リンダにそれは、当てはまらない…
バニラにも、だ…
リンダも、バニラも、活躍する舞台は、ネットではないからだ…
私は、思った…
だから、二人とも、独立ができない…
二人は、現役を引退したら、どうするのだろう?
とも、思った…
やはり、現役時代に築いた名声を武器に、会社を興したりするのだろうか?
化粧品の会社とか、芸能プロダクションとか、そういうものだろうか?
いや、ハリウッドに芸能プロダクションは、ないか?
日本とは、芸能界の仕組みが違うと聞いたことがある…
あちらは、エージェント制…
エージェント=代理人が、仕事をとってくると、聞いたことがある…
だったら、リンダは、将来、エージェントになるのだろうか?
わからない…
なにしろ、異国だ…
ハリウッドの芸能システムが、わからないからだ…
私が、そんなことを、悩んでいると、リンダもまた、なにやら、考え込んでいるようだった…
だから、
「…どうした? …リンダ?…」
と、聞いた…
すると、
「…お姉さん…」
と、考え込みながら、リンダが、言った…
リンダ=ヤンが言った…
「…なんだ?…」
「…そのお遊戯大会…私も行っちゃ、ダメかな?…」
「…なんだと?…」
私は、驚いた…
「…どうして、オマエが?…」
「…ファラドに会ってみたい…」
「…ファラドに?…」
「…リンダ・ヘイワースの大ファンを公言するファラドが、どんな男か、見てみたい…」
ヤン=リンダが、言った…
「…ダメかな?…」
「…ダメもなにも、決めるのは、私じゃないさ…」
「…だったら、誰なの?…」
「…バニラに決まってるだろ? …バニラの娘のマリアの通う保育園のお遊戯大会だ…」
「…そうか? …そうだった…」
ヤンが、照れ笑いを浮かべた…
しかしながら、ヤン=リンダの気持ちは、わかる…
そもそも、ファラドが、リンダを狙っているという話だった…
それが、当初の話だった…
今となっては、それが、本当か、どうかは、わからない…
が、
やはりというか…
リンダとしては、一度は、ファラドに会ってみたいと、思うのが、人情だった…
自分を手に入れたいと公言するファラドに会ってみたいと、思うのが、普通だった…
しかも、リンダは、普段は、ヤンの格好をしている…
ヤンという男の格好をしている…
男装をしている…
だから、ファラドと直接会っても、すぐに、リンダ・ヘイワースと、気付かれる心配はない…
だとすれば、冷静に、ファラドを見ることができる…
冷静にファラドを観察することができる…
クールが主催する形式ばったパーティーで、タキシードを着たファラドと、深紅のドレスをまとったリンダ・ヘイワースとして、出会うよりも、冷静に相手を観察できる…
そういうことだろう…
「…たしかに、オマエの気持ちはわかる…」
と、私は、重々しく言った…
「…でしょ?…」
と、ヤンが、我が意を得たりとばかりに、言った…
「…だが、これは、マリアの通う保育園さ…マリアは、当然のことながら、母親のバニラの許可も得なければ、ならんゾ…」
「…それは、わかってます…」
リンダが、笑った…
私は、そのリンダ=ヤンの顔を間近に見ながら、考えた…
大胆なことをすると、思ったのだ…
なにしろ、会うのが、ファラドだ…
サウジの王族だ…
その王族が、リンダ・ヘイワースを手に入れたいと、公言しているのだ…
それが、ウソかホントかは、わからない…
別になにか、目的があるのかもしれない…
が、
いくらなんでも、自分を手に入れたいと、公言する人間に、直接会うのは、リスクがあり過ぎる…
危険過ぎる…
いかに、ヤンという姿で、男装をしていても、気付かれる危険もあるに違いない…
このリンダという女…
一見すると、おとなしめに見えるが、その素顔は、あのバニラよりも、勇敢というか、気が強い…
あのヤンキー上がりのバニラよりも、気が強い…
あのバニラでも、おそらく、そんなことはしないだろう…
もし、ファラドと会って、自分が、本物のリンダ・ヘイワースとバレれば、いきなり、リンダは、サウジに連れて行かれる危険があるからだ…
普通、誰もが、そんな危険を冒すことはできない…
サウジに連れて行かれるということは、すなわち性奴隷とまでは、言わないが、もはや、二度と、アメリカや、この日本に戻ってこられないかもしれないからだ…
それが、十分わかっているにも、かかわらず、ファラドに会いたいというとは…
無謀過ぎる…
いくら、なんでも、無謀過ぎる…
だから、
「…リンダ…オマエ…ファラドと会って、リンダとバレたら、どうするんだ?…」
と、思わず、私は、怒鳴った…
「…オマエ…もしかしたら、サウジに連れて行かれて、サウジから一生出れないかもしれないゾ…」
私が、続けると、
「…そのときは、そのとき…」
と、リンダ=ヤンが、即答して、笑った…
「…オマエ…気は確かか? …正気か?…」
「…虎穴に入らずんば虎子を得ず…日本のことわざね…」
「…」
「…それぐらいの覚悟は、ないと、なにもできない…」
リンダが、笑った…
「…心配しないで…手は打ってある…」
「…手? …どんな手だ?…」
「…それは、秘密? …いくら、お姉さんでも、それは、教えられない…」
そう言って、目の前のリンダ=ヤンは、不敵に笑った…
笑ったのだ…
それを見て、私は、今さらながら、このリンダ・ヘイワースという女は、火のような女だと思った…
勇猛果敢な兵士のような女だと、思った…