第175話

文字数 4,803文字

 「…葉尊じゃない? …ウソを言うな!…」

 思わず、私は、怒鳴った…

 大声を出した…

 パーティーで、あちこちで、酔っ払って、楽しそうに、談笑する姿が、見られたが、その中でも、とりわけ私の声が、大きかったというか…

 一斉に、皆が、私に視線を向けた…

 何事かと、思ったのだろう…

 慌てた葉問が、

 「…スイマセン…妻が、疲れていて…」

 と、言って、皆に、頭を下げて、詫びた…

 「…妻は、まだ、こういうパーティーに慣れてないので、しばらく、退席させて、頂きます…」

 と、続けて、私のカラダを抱き締めるような形で、部屋から出た…

 私は、頭に来ていた…

 明らかに、葉問であるくせに、葉尊と言ったからだ…

 私は、それが、許せんかった…

 許せんかったのだ…

 だから、鳳凰の間から、廊下に出た、私は、

 「…葉問…ウソを言うな!…」

 と、怒鳴った…

 怒鳴らずには、いられんかった…

 怒鳴らずには、いられんかったのだ…

 自分を抑えることが、できんかった…

 まるで、これまでのうっぷんを張らずように、怒鳴った…

 そして、これは、自分でも、意外だった…

 まさか、こんな場所で、自分が、怒鳴るのが、意外だった…

 子供では、ないのだから、周囲の目もあることが、わかっている…

 だから、周囲の目も、気になる…

 まさか、今日のパーティーの主役が、廊下で、夫を怒鳴っている姿を、誰かに、見られでも、したら、どうなるか?

 子供でもないから、わかっている…

 にもかかわらず、怒鳴った…

 怒鳴ったのだ…

 が、

 そんな私を見て、葉問は、ニヤリと笑った…

 「…葉問…なんだ? …その笑いは?…」

 私は、頭に来て、聞いた…

 すると、

 「…お姉さん…気がすみましたか?…」

 と、葉問が言った…

 「…どういう意味だ?…」

 私は、聞いた…

 聞かずには、いられんかった…

 「…お姉さんは、傍から見ても、ストレスを、ため過ぎです…」

 「…ストレスだと?…」

 「…そうです…」

 …コイツ、一体、なにを言い出すんだ?…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 すると、

 「…お姉さんは、ついさっきまで、あのセレブの子弟の通う保育園で、アムンゼン相手に、大立ち回りを演じました…それで、疲れが、ピークに達しているのです…にもかかわらず、こんなパーティーまで、参加して…葉敬もズルい男です…」

 「…ズルい男? …お義父さんが?…」

 「…お姉さんが、疲れているのが、わかっているにもかかわらず、こんなパーティーに参加させるのは、ズルい男でしょ?…」

 葉問が、笑った…

 私は、その葉問の笑いを見て、ドキッとした…

 なんとも、魅力的な笑いだった…

 見ていて、思わず、引き込まれるような魅力的な笑いだった…

 夫の葉尊では、できない笑いだった…

 私は、あらためて、この眼前の男が、葉問であることを、確信した…

 「…そういうオマエも、ズルいな…」

 私は、言った…

 「…ズルい? …なにが、ズルいんですか?…」

 「…葉問…オマエのその笑いさ…」

 「…ボクの笑い?…」

 「…女を骨抜きにする笑いさ…」

 私は、断言した…

 「…女を骨抜きに?…」

 葉問が、当惑した様子で、私に聞いた…

 「…そうさ…」

 私は、断言した…

 「…でも、私には、通じないさ…」

 「…どうして、通じないんですか?…」

 「…それは、私が、葉尊の妻だからさ…オマエの義理の姉だからさ…」

 私は、強い口調で、断言した…

 この葉問を目の前にすることで、私の中で、アドレナリンが、活発に、分泌した…

 なぜだか、しれんが、活発に分泌した…

 思えば、いつも、そうだった…

 なぜだか、しれんが、この葉問を前にすると、私の中で、アドレナリンが、活発になったのだ…

 すると、

 「…ようやく、いつものお姉さんになりましたね…」

 と、葉問が、安心したように、言った…

 …なに?…

 …いつもの私?…

 …どういう意味だ?…

 当惑する私を前に、

 「…では、パーティーに、戻りましょう…」

 と、あっさりと、葉問が、言った…

 私は、目が点になった…

 なんだ?

 一体、どういうことだ?

 まさか?…

 まさか、コイツ?…

 この葉問は、私が、疲れているのを見て、息抜きに、廊下に連れ出したのか?

 ふと、気付いた…

 気付いたのだ…

 「…葉問…オマエ…私に息抜きさせるために、廊下に連れ出したのか?…」

 私は、聞いた…

 が、

 葉問には、それには、答えんかった…

 代わりに、

 「…誰もが、得手不得手があります…」

 と、言った…

 「…得手不得手だと? 葉尊のことか?…」

 「…パーティーで、初めて会った人間にも、誰彼構わず、笑顔を振りまく…それが、できる人間は、少ないです…」

 「…」

 「…でも、自分で言うのも、なんですが、たまたまボクは、それができます…だから…」

 暗に、自分が、葉尊と、代わった理由を告げた…

 が、

 さっき、私が、葉敬と会ったとき、あのとき、葉敬の隣にいたのは、夫の葉尊…

 この葉問ではない…

 だったら、どうして、あのときだけは、葉尊だったのか?

 謎だった…

 だから、

 「…葉問…一つ聞いていいか?…」

 「…なんですか?…」

 「…私が、今日、この会場で、お義父さんと、最初に、会ったときは、明らかに、お義父さんの隣にいたのは、オマエじゃない…葉尊だったさ…」

 「…」

 「…でも、さっき、会場で、スピーチをしたときは、オマエだろ? アレは、一体、どういうわけだ?…」

 「…それは…」

 「…それは?…」

 「…それは、今も言ったように、得手不得手です…」

 「…なんだと?…」

 「…こう言っては、なんですが、葉尊は、根がオタク…派手な場所は、似合いません…」

 「…」

 「…だから、代わったのです…」

 「…でも、葉敬が…お義父さんが、オマエが、スピーチをしたときに、傍にいたゾ…アレは、どうしてだ?…葉敬の前だゾ…オマエだと、気付かれたら、マズいだろ?…」

 「…葉敬は、現実主義者です…」

 「…現実主義者だと? …どういう意味だ?…」

 「…大勢の前で、スピーチをするのは、才能や、場数が、必要です…ボクは、場数こそありませんが、その才能があります…」

 葉問が、笑った…

 「…だから、おそらく…いえ、間違いなく、葉敬も、あのときは、ボクが、葉尊ではなく、葉問だと、気付いたはずです…」

 「…」

 「…でも、なにも、言わなかった…それは、パーティーのスピーチは、葉尊よりも、この葉問の方が、得意だと知っていたからです…だから、なにも、言わなかった…あれほど、この葉問を毛嫌いしているにも、かかわらず…」

 「…」

 「…だからこそ、葉敬は、現実主義者なのです…」

 葉問が、力説した…

 私は、葉問の言葉を聞きながら、たしかに、葉敬なら、その通りだろうと、思った…

 なにしろ、一代で、台湾有数の企業を興した立志伝中の人物…

 葉尊のはずがないと、わかっていても、黙って受け入れるというか…

 その方が、合っているというか、適任だと、思えば、わかっていても、なにも、言わないだろう…

 それが、葉敬の度量の広さというか…

 ハッキリ言えば、この葉問の言う通り、現実主義者なのだろう…

 私は、思った…

 「…そして、心配だったのが、お姉さんです…」

 「…わ…私?…」

 「…そうです…」

 「…私のなにが、心配なんだ?…」

 「…疲れが、堪っています…」

 「…」

 「…慣れないパーティーに、いきなり駆り出されて、当惑しています…だから、息抜きが、必要だったのです…」

 「…」

 「…誰でも、得手不得手があります…」

 「…得手不得手だと?…」

 「…この手のパーティーも、そうです…」

 「…パーティーに、得手不得手だと? …どういう意味だ?…」

 「…パーティーで、グラスを片手に、初対面の相手にも、それまで、見知った人間にも、分け隔てなく、誰にも、愛想を振りまく…一見、簡単に見えますが、誰にでも、できるものでは、ありません…」

 「…」

 「…なにより、ストレスが、溜まります…」

 「…」

 「…これも、いくら場数を踏んでも、慣れないものは、慣れない…真逆に、慣れるものは、すぐに、慣れる…要するに、パーティーに出る才能があるというか…華やかな場所が、好きなんでしょう…」

 「…」

 「…お姉さんは、一見、華やかで、誰からも、好かれますが、本質は、地味です…」

 「…地味?…」

 「…ハイ…だから、葉尊とお似合いなんです…葉尊も、お姉さんが、知るように、地味ですから…」

 「…」

 「…ボクの役目は、以前も、言いましたが、葉尊が、過去の心の傷を癒すまでの、ツナギというか…葉尊が、心の傷を癒せば、この世から、消滅します…」

 「…」

 「…あくまで、心の傷を持つ葉尊あっての、ボクです…」

 葉問が、断言した…

 が、

 私は、葉問のその言葉を信じんかった…

 信じんかったのだ…

 だから、言ってやった…

 「…それは、ウソだな…」

 と、言って、やった…

 「…ウソ? …なにが、ウソなんですか?…」

 「…全部さ…オマエが、今言った全部が、ウソさ…」

 「…どうして、ウソなんですか?…」

 「…それは、今、オマエが言った、得手不得手さ…」

 「…得手不得手?…」

 「…そうさ…」

 「…得手不得手が、どうして、ウソなんですか?…」

 「…オマエは、要するに、葉尊が、苦手な場面で、いつも、葉尊に、とって代わって、現れるのさ…」

 「…それが、なにか?…」

 「…だったら、オマエが、消えれば、どうなる? 葉尊は、どうなる? このパーティーに出席して、うまく場を仕切れるか? スピーチで、うまく気の利いたことが言えるか?…」

 「…」

 「…要するに、なんだ、かんだ、言っても、オマエは、自分が消えたくない…だから、葉尊では、できない、自分の力をアピールしているのさ…」

 「…アピール? …誰に対して、アピールしているんですか?…」

 「…葉敬さ…」

 「…葉敬? どうして、葉敬なんですか?…」

 「…オマエは、いつも、葉敬の前で、自分の力をアピールする…それは、オマエが、消えたくないからさ…葉敬の前で。自分の力をアピールすることで、葉敬に認めてもらいたいからさ…葉敬は、オマエが、言ったように、現実主義者さ…オマエが、自分の役に立つと思えば、ホントは、嫌でも、オマエの存在を認めるだろ? …オマエは、それを、狙っているのさ…」

 「…だったら、お姉さんに、一つ、聞いていいですか?…」

 「…なんだ?…」

 「…ボクが、あのセレブの保育園で、お姉さんを助けるために、オスマンと闘いました…あのときに、葉敬は、いましたか?…」

 「…いないさ…」

 「…だったら、お姉さんの今の説明と、一致しませんね…お姉さんの説明では、ボクは、葉敬の前で、自分の力をアピールして、その存在を認めて、もらうのが、目的だと、言いましたから…」

 葉問が、笑った…

 まるで、私をあざけるように、笑った…

 私は、頭にカーッと血が上った…

 私としては、珍しいことだった…

 この矢田トモコとしては、珍しいことだったのだ…

 私は、頭に来て、

 「…それは、違うさ…」

 と、怒鳴った…

 「…違う? …どう違うんですか?…」

 葉問が、薄ら笑いを浮かべながら、私に聞いた…

 「…答えは、葉敬さ…」

 私は、言った…

 「…でも、あの場に葉敬は、いませんよ…」

 葉問が、薄ら笑いを浮かべながら、言った…

 「…いなくても、同じさ…私は、なぜか、知らんが、葉敬に気に入られてる…その私を助けて、私が、葉問…オマエに助けられたことを、伝えれば、葉敬は、オマエの存在価値を認める…だから、ハッキリ言って、葉敬が、あの場にいようが、いまいが、関係ないさ…要は、葉敬にオマエの存在価値をアピールできる…同じさ…」

 私が、断言すると、葉問の薄ら笑いが、消えた…

 と、同時に、真剣な顔になった…

               
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