第2話
文字数 7,476文字
…金儲けの匂いがする…
いい匂いがする…
私にとっては、うな重の匂いよりも、いい匂いだった…
シャネルの№5に匹敵する匂いだった…
私は、それを嗅ぎ付けると、ニンマリとした…
なにしろ、働かずとも、大金が手に入る機会を得たのだ…
私が、それを知ると、まるで、天国にいるような気分になった…
文字通り、夢見心地になったのだ…
それに、気付いたのだろう…
「…お姉さん…なんだか、嬉しそうね…」
と、バニラが言った…
「…そんなことは、ないさ…」
私は、慌てて、否定した…
私の心の内が、バレるのは、マズい…
まだ、バレては、ならない…
最初の内は、否定して、後で、たんまり、お礼の金をせしめてやろうと、思ったのだ…
「…まさか、お姉さん…」
と、バニラが続けた…
「…なにが、まさか、だ?…」
私は、訊いた…
「…まさか、お姉さん…また、よからぬことを、考えてるんじゃ、ないでしょうね…」
「…よからぬことって、なんだ?…」
「…例えば、リンダの苦境を救って、あげて、お礼に、お金を、もらうとか…」
「…そんなことはないさ…」
私は、慌てて、否定した…
バレてる!…
私が、なにを考えているか、バレている!…
まったく、油断も隙もない女だ!…
私は、思った…
だが、
考えてみれば、このバニラ…
バニラ・ルインスキーは、元々、油断も隙もない、したたかな女だった…
リンダ同様、世界中の男の憧れにもかかわらず、実は、しっかりと、子持ちのお母さんだった…
それを隠して、モデルを続けている…
だから、考えように、よっては、実にしたたかな女だった…
なにしろ、自分に憧れた世界中の男を騙しているわけだ…
それに比べれば、この矢田トモコの目論見など、可愛いものだった…
ただ、ちょっぴり、お礼に、金をもらうだけだ…
本当に、ちょっぴり、もらうだけだ…
大した金額ではない…
脳裏に浮かんだのは、たった百万だった…
このリンダや、バニラにとっては、百万なんて、数時間働ければ、得られる金額だ…
あるいは、一時間もかかわらないかもしれない…
だが、
この矢田トモコにとっては、違う…
一日8時間、汗水、働いても、時給が、千円ちょっと…
たかだか、千円ちょっとだ…
片や、時給、百万…
片や、時給、千円ちょっと、だ…
世の中、なにかが、間違っている…
私は、思った…
だが、
これが、現実だった…
世の中の現実だった…
これを読む、読者の中にも、世の理不尽さを、知っている者も多いだろう…
私の話が、よくわからなければ、テレビを見れば、わかる…
テレビに映った若いタレントを見れば、男女を問わず、街中で、偶然、見かけた、素人の男女と、どれほどの違いが、あるのか? と、首をひねることがある…
だが、
一方は、年収が、数千万…
素人は、年収は、若ければ、5百万にも、達しないだろう…
それが、現実だ…
要は、運勢が違うのだろう…
運命が違うのだろう…
最近は、そう思うように、なった…
金持ちに生まれるか、否か…
美人に生まれるか、否か…
背が高く、生まれるか、否か…
頭が良く、生まれるか、否か…
それは、誰にも、わからない…
それと、同じだ…
運命や運勢というものが、本当にあるのか、どうかは、わからないが、私自身に限っていえば、運命が激変した…
台湾の大企業、台北筆頭のCEО、葉敬の息子、葉尊と、結婚して、日本の大企業、クール社長夫人になった…
ありえない展開だった…
つい最近まで、フリーター生活をしていた私が、大企業の社長夫人だ…
まさに、シンデレラ…
現代のシンデレラだった…
玉の輿に乗ったのだ…
それを知った、マスコミは、私を、
…35歳のシンデレラ…
と、命名した…
私が、35歳で、玉の輿に乗ったからだ…
運命が、激変したからだ…
そして、今、この、
リンダ・ヘイワース…
バニラ・ルインスキー…
という、世界に名の知れた二人の美女といっしょにいる…
まさに、ありえないことだった…
だが、
この美女、二人を見ていて、最初は、戸惑ったが、やはり、さっきの一般の日本人と芸能人との違いと同じだと、悟った…
どういうことかと、言えば、二人とも、確かに、美しいが、ネットで、外国の美人を検索すれば、やはり、キレイだと、ため息をつく、美人も、それなりに、いるからだ…
だから、ただ美人に生まれても、ダメだと、思った…
やはり、運がある…
いくら美人に生まれても、世間に知られるような有名人になれるのは、稀だし、ほんの一握りに過ぎない…
運に恵まれた、ほんの一握りの人間に過ぎない…
私は、そう思うように、なった…
これは、おおげさに、言えば、この天下の美女二人と接して、わかった、私の結論だった…
矢田トモコ、35歳の結論だった…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…」
と、いきなり、リンダが、私の名前を呼んだ…
「…なんだ?…」
「…お姉さん…こんなところで、油を売っていて、いいの?…」
「…どういう意味だ?…」
「…さっき、言った、アラブの王族の接待、クールも絡んでいるのよ…」
「…クールが?…」
私は、驚いた…
まさか、クールの名前が、ここで、出るとは、思わなかった…
まさに、まさか、だ…
「…ほら、私、リンダ・ヘイワースの日本での活動は、葉尊の父の葉敬の影響もあって、葉尊も絡んでくるというか…」
「…」
「…とにかく、アラブの王族が、来日して、私に会いたいとなると、必ず、クールが、一枚噛むようにしているの…」
「…クールが?…」
「…そう…葉敬は、商売人でしょ? …だから、私目当てに、来日すれば、自分の会社である、クールも、なにか、商売にならないか、考えているの?…」
「…でも…そんなに、簡単に商売になるのか?…」
「…クールは、日本の大企業でしょ? …その技術力には、定評がある…アラブは、いずれ、石油が枯渇するでしょ? …だから、その前に、手を打たないとならない…」
「…手? …どんな手だ?…」
「…石油に頼らないエネルギーの確保…太陽光発電なんて、最適でしょ?…」
「…」
「…クールは、その分野の最先端の技術力も持っている…」
「…」
「…でも、それだけじゃない…」
「…どういう意味だ?…」
「…アラブで、石油が、枯渇したら、どうやって、生活をしていくの? …無くなった後の産業の育成もある…」
「…」
「…そこで、例えば、クールの最先端の技術力を結集した工場があってもいい…」
「…」
「…とにかく、アラブもまだ、石油が無くなった後、どうするか、手探りの状態みたい…だから、いろんな選択肢を用意して、さまざまなプロジェクトを提案しているの…」
…そうか…
…そうだったのか?…
私は、驚いた…
まさか、たかだか、アラブの王族の来日に、そんな深い意図があったとは?…
この矢田トモコ、35歳…
まだまだだな…
遅ればせながら、自分の未熟さを思った…
すると、リンダが、舌を出して、
「…なーんちゃって…今のは、これすべて、葉尊の受け売りだけれどもね…」
「…葉尊の?…」
「…この前、聞いたの?…」
「…そうか…」
私は、頷いた…
このリンダと、葉尊は、幼馴染(おさななじみ)…
昔から、仲がいい…
そして、このリンダは、生粋の白人ではない…
台湾人と、白人のハーフ…
両親のどっちが、白人で、どっちが、台湾人か、詳しくは、知らないが、そういうことだ…
私は、それを思い出した…
すると、隣から、
「…お姉さん…」
という声がした…
私は、声の主を振り返った…
当たり前だが、バニラだった…
この部屋には、私と、リンダ、そして、このバニラの3人しかいない…
「…なんだ?…」
「…いいの…お姉さん?…」
「…なにが、いいんだ?…」
「…このリンダと葉尊が、連絡を取って…」
「…それが、どうか、したのか?…」
「…だって、リンダよ…世界に名の知れた、ハリウッドのセックス・シンボルよ…それが、連絡を取り合って…もし、男女の関係になったら…」
「…そんなことはないさ…」
私は、即答した…
「…葉尊は、そんな男じゃないさ…」
私は、自信たっぷりに、断言した…
「…葉尊は、決して、私を裏切るような男じゃないさ…」
「…どうして、わかるの?…」
「…葉尊の人間性さ…葉尊は、決して、私を裏切らない…」
バニラは、私の言葉に、思わず、リンダを見た…
「…なんだか、凄い自信ね…」
「…そんなことは、ないさ…」
私は、私の唯一の武器である、大きな胸を揺らしながら、言った…
すると、バニラが、
「…もしかして、お姉さん…その胸に自信を持っているの?…」
「…悪いか?…」
「…悪くないけど、胸ならば、リンダの方が、よっぽど、大きいわ…お姉さんは、身長159㎝だけれども、リンダは、175㎝…勝負にならないわ…」
言われてみれば、その通り…
その通りだった…
私の完敗だった…
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…よく世間では、妻の知らない間に、妻の女ともだちと、その妻の夫が不倫していることが、あるって、いうよ…」
「…」
「…葉尊とリンダも同じかも?…」
バニラが、私をからかった…
だから、私は、
「…そんなこと、あるわけないさ…」
と、反論しようとしたが、その前に、
「…バニラもいい加減にして!…」
と、リンダが、怒った…
「…せっかく、ひとが、どうして、いいか、わからないから、相談に乗ってもらおうと、思ったのに…」
リンダが、激怒した…
「…お姉さんは、ともかく、バニラもバニラよ…私が、葉尊と、どうにかなるわけ、ないでしょ?…」
「…どうして、そう断言できるの?…」
「…幼馴染(おさななじみ)だからよ…」
「…幼馴染(おさななじみ)…どういう意味?…」
「…恋っていうのは、見知らぬ男女だから、恋に落ちるの…昔から、知っている男と女が、恋に落ちるわけ、ないじゃない…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
さすが、ハリウッドのセックス・シンボルだ…
この矢田トモコが、言うよりも、説得力のあることを、言う…
「…でも、それは、恋の話でしょ?…」
バニラが、食い下がった…
「…私は、セックスの話をしているの…」
「…セックスの話?…」
「…だって、今、不倫の話をしているのよ…肉体関係の話をしているの…」
「…どういう意味?…」
「…恋とセックスは、別…ときめかなくても、セックスはできる…」
「…なにが、言いたいの?…」
「…つまり、幼馴染(おさななじみ)でも、セックスはできるってこと…」
バニラが、言い切った…
途端に、リンダの顔色が、変わった…
まさに、怒髪天を衝いた、表情に、なった…
「…帰って!…」
大声で、言った…
「…さっさと、この部屋から、出て行って!…」
リンダが、激怒した…
さすがに、このリンダの怒りは、バニラにとっても、予想外のものだったのだろう…
「…ちょ…ちょっと、バニラ…冗談…冗談よ…」
と、リンダに、釈明した…
「…冗談? …そんなことは、わかってる…でも、冗談も、言っていいときと、言っちゃ、悪いときがある…」
バニラが、血相を変えて、怒鳴った…
「…私は、今、本当に悩んでいるの…そんなときに、こんな、ありえない冗談を言って…」
「…」
「…さっさと、出て行って!…」
「…ゴメン…リンダ…」
「…さっさと、出て行って!…」
リンダのあまりの迫力に、バニラは、仕方なく、部屋を出た…
とてもじゃないが、リンダに、これ以上、なにか、言える雰囲気ではなかった…
と、私は、冷静に、言ったが、ふと、気付くと、その怒りに、満ち満ちた、リンダの青い目が、この矢田トモコを見ていることを、知った…
文字通り、顔面蒼白になった…
私は、これまで、これほど、怒り狂った、リンダを、見たことが、なかった…
リンダ…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボルとして、世界中に知られている…
なにが、言いたいかといえば、そのカラダの大きさだ…
身長は、すでに言ったが、175㎝ある…
対する、私、矢田トモコは、159㎝…
しかも、骨格が、違う…
日本人と、白人の違いだ…
リンダの方が、ガッチリしているのだ…
とてもじゃないが、怒り狂ったリンダが、私、矢田トモコに、襲いかかれば、無事では、すまない…
私、矢田トモコは、ライオンに襲われた、可哀そうなウサギよろしく、簡単に、やられるだろう…
それどころ、本気で、怒り狂ったリンダに、殺されるかもしれないのだ…
文字通り、命の危険すら、感じた…
それを、瞬時に悟った私は、
「…わ…わ・た・し・も…か…帰ることにするさ…」
と、リンダに告げた…
「…き…きょ…う…は、ち…か…らに、なれなくて、すまんかった…」
と、詫びながら、部屋を出て行こうとした…
が、
足が、思うように、動かなかった…
あまりの、恐怖のためだ…
私、矢田トモコは、小心者…
実は、結構、気が小さかった…
いつもは、強いフリをしているだけだった…
だから、こんな場面では、生来の気の小ささが、顔を出した…
「…す…す・ま…ん…許してく・れ…」
と、言いながら、部屋を出ようとしたが、あまりの恐怖に、足が絡んで、倒れた…
自分でも、ありえない失態だった…
これが、ジャングルなら、ライオンに襲われているところだ…
リンダというライオンに襲われているところだ…
…万事休す…
私の脳裏に、そんな言葉が、浮かんだ…
私は、とっさに、目をつぶった…
ちょうど、歯医者で、歯を削るときに、目をつぶるようなものだ…
あまりの恐怖に、目を開けていられなかった…
とにかく、怖かったのだ…
が、
いつまで、待っても、ライオン=リンダは、襲って来なかった…
私は、周りの状況を探るべく、うっすらと、目を開けた…
私の細い目を開けたのだ…
が、
その前には、あろうことか、リンダの顔があった…
激怒したリンダの顔があった…
私は、慌てて、目を閉じた…
この現実から、逃れるために、目を閉じた…
それから、心の中で、神様に祈った…
…た…助けてくれ…神様…
…こ…これが、夢なら、夢から覚めさせてくれ…
心の中で、祈った…
が、
あろうことか、私は、それを、口に出して、しまったらしい…
「…夢? …一体、どこが、夢なの?…」
リンダが、漏らした…
「…自分に都合が悪いと、夢ならいいなんて…いつも、自分に都合がいいことばっかり、考えて…」
リンダが、呆れた口調で言う…
私は、恐怖に怯えながら、ゆっくりと、目を開いた…
す、すると、
目の前に、リンダの顔があった…
激怒した、リンダの顔があった…
私は、慌てて、目を閉じた…
こんな現実は、見たくなかったからだ…
そんな恐怖に怯える私の耳に、
「…プッ…」
と、吹き出す声が聞こえた…
私が、ゆっくりと、目を開くと、リンダが、笑っていた…
笑い転げていた…
「…まったく、このお姉さんには、怒ることもできない…」
リンダが、笑った…
「…怒りたくても、怒れない…ホント、得な性格ね…」
リンダが、さばさばした口調で、言った…
私は、仰天した…
つい、今の今まで、激怒していたリンダが、まるで、別人のように、怒っていない…
これは、まるで、奇跡…
奇跡だった…
「…リ、リンダ…ホントに、もう怒ってないのか?…」
確かめずには、いられなかった…
「…ホ、ホントに…」
私は、繰り返した…
「…怒ってないわ…」
リンダが、あっさりと、言った…
「…って、いうか…お姉さんは、なにをしても怒れない…ホント、得なひと…」
私は、なぜ、私が、得なひとなのか、さっぱり、わからなかったが、とりあえず、リンダの怒りが、収まったことで、よしとした…
とにかく、リンダが、怒るのは、困る…
私では、手に負えない…
リンダが、本気で、怒れば、私に勝ち目は、1%もない…
下手をすれば、命の危険すら、ある…
私は、そんなことを、考えて、ホッと胸を撫で下ろしていると、目の前に、リンダが、顔を寄せた…
じっくりと、その青い目で、私を見た…
生来、気の弱い私は、またもブルった…
もしや、リンダが、また怒り出すのかもと、考えたのだ…
だから、なにも言えなかった…
リンダのなすがままだった…
が、
リンダの口から、出たのは、
「…ホント、得な性格よね…」
と、いう、言葉だった…
…得な性格?…
…なんで、そんなこと?…
「…葉尊も、そんなお姉さんに、首ったけ…例え、バニラが言ったように、私が、葉尊を誘っても、きっと、見向きもしない…」
「…」
「…だから、誘わない…それが、わかっているから、葉尊を誘って、断れれば、このリンダ・ヘイワースのプライドが、ズタズタになる…」
リンダが、笑った…
「…ホント、得なお姉さん…」
と、言いながら、リンダが、私から、離れた…
それから、
「…葉尊も、ホントは、私をもっと、好きになってくれれば、ありがたいんだけど…」
と、ポツリと漏らした…
「…でも、ダメね…それじゃ、バニラをお母さんと、呼ばなくちゃ、ならなくなる…」
…どうして、バニラが、お母さんなんだ?…
考えた…
「…あら、お姉さん…なに、難しい顔をしているの?…」
「…」
「…ああ、そうか、どうして、バニラが、お母さんなのか、わからないのか?…」
私は、無言で、頷いた…
「…だって、バニラは、葉尊の父、葉敬の愛人…子供まで、産んでる…だから、もし、二人が、結婚したら、バニラが、義理のお母さんでしょ?…」
…そうか!…
…それは、考えもしなかった…
が、
言われてみれば、その通り…
その通りだ…
「…でも、いくらなんでも、バニラをお母さんとは、呼べないし…」
リンダが、苦笑した…
「…でも、そんなことを、平然と、口に出来るのは、お姉さんの前だから…ホント、得な性格よね…」
と、言って、リンダが、笑った…
…得な性格…
…得な性格…
と、何度も繰り返して、一体、私のなにが、得な性格なんだ?
と、言ってやりたかった…
だが、
言えんかった…
再び、リンダに激怒されては、堪ったものでは、ないからだ…
だから、私は、耐えた…
黙って、耐えた…
矢田トモコ、35歳…
辛抱のときだった(涙)…
いい匂いがする…
私にとっては、うな重の匂いよりも、いい匂いだった…
シャネルの№5に匹敵する匂いだった…
私は、それを嗅ぎ付けると、ニンマリとした…
なにしろ、働かずとも、大金が手に入る機会を得たのだ…
私が、それを知ると、まるで、天国にいるような気分になった…
文字通り、夢見心地になったのだ…
それに、気付いたのだろう…
「…お姉さん…なんだか、嬉しそうね…」
と、バニラが言った…
「…そんなことは、ないさ…」
私は、慌てて、否定した…
私の心の内が、バレるのは、マズい…
まだ、バレては、ならない…
最初の内は、否定して、後で、たんまり、お礼の金をせしめてやろうと、思ったのだ…
「…まさか、お姉さん…」
と、バニラが続けた…
「…なにが、まさか、だ?…」
私は、訊いた…
「…まさか、お姉さん…また、よからぬことを、考えてるんじゃ、ないでしょうね…」
「…よからぬことって、なんだ?…」
「…例えば、リンダの苦境を救って、あげて、お礼に、お金を、もらうとか…」
「…そんなことはないさ…」
私は、慌てて、否定した…
バレてる!…
私が、なにを考えているか、バレている!…
まったく、油断も隙もない女だ!…
私は、思った…
だが、
考えてみれば、このバニラ…
バニラ・ルインスキーは、元々、油断も隙もない、したたかな女だった…
リンダ同様、世界中の男の憧れにもかかわらず、実は、しっかりと、子持ちのお母さんだった…
それを隠して、モデルを続けている…
だから、考えように、よっては、実にしたたかな女だった…
なにしろ、自分に憧れた世界中の男を騙しているわけだ…
それに比べれば、この矢田トモコの目論見など、可愛いものだった…
ただ、ちょっぴり、お礼に、金をもらうだけだ…
本当に、ちょっぴり、もらうだけだ…
大した金額ではない…
脳裏に浮かんだのは、たった百万だった…
このリンダや、バニラにとっては、百万なんて、数時間働ければ、得られる金額だ…
あるいは、一時間もかかわらないかもしれない…
だが、
この矢田トモコにとっては、違う…
一日8時間、汗水、働いても、時給が、千円ちょっと…
たかだか、千円ちょっとだ…
片や、時給、百万…
片や、時給、千円ちょっと、だ…
世の中、なにかが、間違っている…
私は、思った…
だが、
これが、現実だった…
世の中の現実だった…
これを読む、読者の中にも、世の理不尽さを、知っている者も多いだろう…
私の話が、よくわからなければ、テレビを見れば、わかる…
テレビに映った若いタレントを見れば、男女を問わず、街中で、偶然、見かけた、素人の男女と、どれほどの違いが、あるのか? と、首をひねることがある…
だが、
一方は、年収が、数千万…
素人は、年収は、若ければ、5百万にも、達しないだろう…
それが、現実だ…
要は、運勢が違うのだろう…
運命が違うのだろう…
最近は、そう思うように、なった…
金持ちに生まれるか、否か…
美人に生まれるか、否か…
背が高く、生まれるか、否か…
頭が良く、生まれるか、否か…
それは、誰にも、わからない…
それと、同じだ…
運命や運勢というものが、本当にあるのか、どうかは、わからないが、私自身に限っていえば、運命が激変した…
台湾の大企業、台北筆頭のCEО、葉敬の息子、葉尊と、結婚して、日本の大企業、クール社長夫人になった…
ありえない展開だった…
つい最近まで、フリーター生活をしていた私が、大企業の社長夫人だ…
まさに、シンデレラ…
現代のシンデレラだった…
玉の輿に乗ったのだ…
それを知った、マスコミは、私を、
…35歳のシンデレラ…
と、命名した…
私が、35歳で、玉の輿に乗ったからだ…
運命が、激変したからだ…
そして、今、この、
リンダ・ヘイワース…
バニラ・ルインスキー…
という、世界に名の知れた二人の美女といっしょにいる…
まさに、ありえないことだった…
だが、
この美女、二人を見ていて、最初は、戸惑ったが、やはり、さっきの一般の日本人と芸能人との違いと同じだと、悟った…
どういうことかと、言えば、二人とも、確かに、美しいが、ネットで、外国の美人を検索すれば、やはり、キレイだと、ため息をつく、美人も、それなりに、いるからだ…
だから、ただ美人に生まれても、ダメだと、思った…
やはり、運がある…
いくら美人に生まれても、世間に知られるような有名人になれるのは、稀だし、ほんの一握りに過ぎない…
運に恵まれた、ほんの一握りの人間に過ぎない…
私は、そう思うように、なった…
これは、おおげさに、言えば、この天下の美女二人と接して、わかった、私の結論だった…
矢田トモコ、35歳の結論だった…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…」
と、いきなり、リンダが、私の名前を呼んだ…
「…なんだ?…」
「…お姉さん…こんなところで、油を売っていて、いいの?…」
「…どういう意味だ?…」
「…さっき、言った、アラブの王族の接待、クールも絡んでいるのよ…」
「…クールが?…」
私は、驚いた…
まさか、クールの名前が、ここで、出るとは、思わなかった…
まさに、まさか、だ…
「…ほら、私、リンダ・ヘイワースの日本での活動は、葉尊の父の葉敬の影響もあって、葉尊も絡んでくるというか…」
「…」
「…とにかく、アラブの王族が、来日して、私に会いたいとなると、必ず、クールが、一枚噛むようにしているの…」
「…クールが?…」
「…そう…葉敬は、商売人でしょ? …だから、私目当てに、来日すれば、自分の会社である、クールも、なにか、商売にならないか、考えているの?…」
「…でも…そんなに、簡単に商売になるのか?…」
「…クールは、日本の大企業でしょ? …その技術力には、定評がある…アラブは、いずれ、石油が枯渇するでしょ? …だから、その前に、手を打たないとならない…」
「…手? …どんな手だ?…」
「…石油に頼らないエネルギーの確保…太陽光発電なんて、最適でしょ?…」
「…」
「…クールは、その分野の最先端の技術力も持っている…」
「…」
「…でも、それだけじゃない…」
「…どういう意味だ?…」
「…アラブで、石油が、枯渇したら、どうやって、生活をしていくの? …無くなった後の産業の育成もある…」
「…」
「…そこで、例えば、クールの最先端の技術力を結集した工場があってもいい…」
「…」
「…とにかく、アラブもまだ、石油が無くなった後、どうするか、手探りの状態みたい…だから、いろんな選択肢を用意して、さまざまなプロジェクトを提案しているの…」
…そうか…
…そうだったのか?…
私は、驚いた…
まさか、たかだか、アラブの王族の来日に、そんな深い意図があったとは?…
この矢田トモコ、35歳…
まだまだだな…
遅ればせながら、自分の未熟さを思った…
すると、リンダが、舌を出して、
「…なーんちゃって…今のは、これすべて、葉尊の受け売りだけれどもね…」
「…葉尊の?…」
「…この前、聞いたの?…」
「…そうか…」
私は、頷いた…
このリンダと、葉尊は、幼馴染(おさななじみ)…
昔から、仲がいい…
そして、このリンダは、生粋の白人ではない…
台湾人と、白人のハーフ…
両親のどっちが、白人で、どっちが、台湾人か、詳しくは、知らないが、そういうことだ…
私は、それを思い出した…
すると、隣から、
「…お姉さん…」
という声がした…
私は、声の主を振り返った…
当たり前だが、バニラだった…
この部屋には、私と、リンダ、そして、このバニラの3人しかいない…
「…なんだ?…」
「…いいの…お姉さん?…」
「…なにが、いいんだ?…」
「…このリンダと葉尊が、連絡を取って…」
「…それが、どうか、したのか?…」
「…だって、リンダよ…世界に名の知れた、ハリウッドのセックス・シンボルよ…それが、連絡を取り合って…もし、男女の関係になったら…」
「…そんなことはないさ…」
私は、即答した…
「…葉尊は、そんな男じゃないさ…」
私は、自信たっぷりに、断言した…
「…葉尊は、決して、私を裏切るような男じゃないさ…」
「…どうして、わかるの?…」
「…葉尊の人間性さ…葉尊は、決して、私を裏切らない…」
バニラは、私の言葉に、思わず、リンダを見た…
「…なんだか、凄い自信ね…」
「…そんなことは、ないさ…」
私は、私の唯一の武器である、大きな胸を揺らしながら、言った…
すると、バニラが、
「…もしかして、お姉さん…その胸に自信を持っているの?…」
「…悪いか?…」
「…悪くないけど、胸ならば、リンダの方が、よっぽど、大きいわ…お姉さんは、身長159㎝だけれども、リンダは、175㎝…勝負にならないわ…」
言われてみれば、その通り…
その通りだった…
私の完敗だった…
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…よく世間では、妻の知らない間に、妻の女ともだちと、その妻の夫が不倫していることが、あるって、いうよ…」
「…」
「…葉尊とリンダも同じかも?…」
バニラが、私をからかった…
だから、私は、
「…そんなこと、あるわけないさ…」
と、反論しようとしたが、その前に、
「…バニラもいい加減にして!…」
と、リンダが、怒った…
「…せっかく、ひとが、どうして、いいか、わからないから、相談に乗ってもらおうと、思ったのに…」
リンダが、激怒した…
「…お姉さんは、ともかく、バニラもバニラよ…私が、葉尊と、どうにかなるわけ、ないでしょ?…」
「…どうして、そう断言できるの?…」
「…幼馴染(おさななじみ)だからよ…」
「…幼馴染(おさななじみ)…どういう意味?…」
「…恋っていうのは、見知らぬ男女だから、恋に落ちるの…昔から、知っている男と女が、恋に落ちるわけ、ないじゃない…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
さすが、ハリウッドのセックス・シンボルだ…
この矢田トモコが、言うよりも、説得力のあることを、言う…
「…でも、それは、恋の話でしょ?…」
バニラが、食い下がった…
「…私は、セックスの話をしているの…」
「…セックスの話?…」
「…だって、今、不倫の話をしているのよ…肉体関係の話をしているの…」
「…どういう意味?…」
「…恋とセックスは、別…ときめかなくても、セックスはできる…」
「…なにが、言いたいの?…」
「…つまり、幼馴染(おさななじみ)でも、セックスはできるってこと…」
バニラが、言い切った…
途端に、リンダの顔色が、変わった…
まさに、怒髪天を衝いた、表情に、なった…
「…帰って!…」
大声で、言った…
「…さっさと、この部屋から、出て行って!…」
リンダが、激怒した…
さすがに、このリンダの怒りは、バニラにとっても、予想外のものだったのだろう…
「…ちょ…ちょっと、バニラ…冗談…冗談よ…」
と、リンダに、釈明した…
「…冗談? …そんなことは、わかってる…でも、冗談も、言っていいときと、言っちゃ、悪いときがある…」
バニラが、血相を変えて、怒鳴った…
「…私は、今、本当に悩んでいるの…そんなときに、こんな、ありえない冗談を言って…」
「…」
「…さっさと、出て行って!…」
「…ゴメン…リンダ…」
「…さっさと、出て行って!…」
リンダのあまりの迫力に、バニラは、仕方なく、部屋を出た…
とてもじゃないが、リンダに、これ以上、なにか、言える雰囲気ではなかった…
と、私は、冷静に、言ったが、ふと、気付くと、その怒りに、満ち満ちた、リンダの青い目が、この矢田トモコを見ていることを、知った…
文字通り、顔面蒼白になった…
私は、これまで、これほど、怒り狂った、リンダを、見たことが、なかった…
リンダ…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボルとして、世界中に知られている…
なにが、言いたいかといえば、そのカラダの大きさだ…
身長は、すでに言ったが、175㎝ある…
対する、私、矢田トモコは、159㎝…
しかも、骨格が、違う…
日本人と、白人の違いだ…
リンダの方が、ガッチリしているのだ…
とてもじゃないが、怒り狂ったリンダが、私、矢田トモコに、襲いかかれば、無事では、すまない…
私、矢田トモコは、ライオンに襲われた、可哀そうなウサギよろしく、簡単に、やられるだろう…
それどころ、本気で、怒り狂ったリンダに、殺されるかもしれないのだ…
文字通り、命の危険すら、感じた…
それを、瞬時に悟った私は、
「…わ…わ・た・し・も…か…帰ることにするさ…」
と、リンダに告げた…
「…き…きょ…う…は、ち…か…らに、なれなくて、すまんかった…」
と、詫びながら、部屋を出て行こうとした…
が、
足が、思うように、動かなかった…
あまりの、恐怖のためだ…
私、矢田トモコは、小心者…
実は、結構、気が小さかった…
いつもは、強いフリをしているだけだった…
だから、こんな場面では、生来の気の小ささが、顔を出した…
「…す…す・ま…ん…許してく・れ…」
と、言いながら、部屋を出ようとしたが、あまりの恐怖に、足が絡んで、倒れた…
自分でも、ありえない失態だった…
これが、ジャングルなら、ライオンに襲われているところだ…
リンダというライオンに襲われているところだ…
…万事休す…
私の脳裏に、そんな言葉が、浮かんだ…
私は、とっさに、目をつぶった…
ちょうど、歯医者で、歯を削るときに、目をつぶるようなものだ…
あまりの恐怖に、目を開けていられなかった…
とにかく、怖かったのだ…
が、
いつまで、待っても、ライオン=リンダは、襲って来なかった…
私は、周りの状況を探るべく、うっすらと、目を開けた…
私の細い目を開けたのだ…
が、
その前には、あろうことか、リンダの顔があった…
激怒したリンダの顔があった…
私は、慌てて、目を閉じた…
この現実から、逃れるために、目を閉じた…
それから、心の中で、神様に祈った…
…た…助けてくれ…神様…
…こ…これが、夢なら、夢から覚めさせてくれ…
心の中で、祈った…
が、
あろうことか、私は、それを、口に出して、しまったらしい…
「…夢? …一体、どこが、夢なの?…」
リンダが、漏らした…
「…自分に都合が悪いと、夢ならいいなんて…いつも、自分に都合がいいことばっかり、考えて…」
リンダが、呆れた口調で言う…
私は、恐怖に怯えながら、ゆっくりと、目を開いた…
す、すると、
目の前に、リンダの顔があった…
激怒した、リンダの顔があった…
私は、慌てて、目を閉じた…
こんな現実は、見たくなかったからだ…
そんな恐怖に怯える私の耳に、
「…プッ…」
と、吹き出す声が聞こえた…
私が、ゆっくりと、目を開くと、リンダが、笑っていた…
笑い転げていた…
「…まったく、このお姉さんには、怒ることもできない…」
リンダが、笑った…
「…怒りたくても、怒れない…ホント、得な性格ね…」
リンダが、さばさばした口調で、言った…
私は、仰天した…
つい、今の今まで、激怒していたリンダが、まるで、別人のように、怒っていない…
これは、まるで、奇跡…
奇跡だった…
「…リ、リンダ…ホントに、もう怒ってないのか?…」
確かめずには、いられなかった…
「…ホ、ホントに…」
私は、繰り返した…
「…怒ってないわ…」
リンダが、あっさりと、言った…
「…って、いうか…お姉さんは、なにをしても怒れない…ホント、得なひと…」
私は、なぜ、私が、得なひとなのか、さっぱり、わからなかったが、とりあえず、リンダの怒りが、収まったことで、よしとした…
とにかく、リンダが、怒るのは、困る…
私では、手に負えない…
リンダが、本気で、怒れば、私に勝ち目は、1%もない…
下手をすれば、命の危険すら、ある…
私は、そんなことを、考えて、ホッと胸を撫で下ろしていると、目の前に、リンダが、顔を寄せた…
じっくりと、その青い目で、私を見た…
生来、気の弱い私は、またもブルった…
もしや、リンダが、また怒り出すのかもと、考えたのだ…
だから、なにも言えなかった…
リンダのなすがままだった…
が、
リンダの口から、出たのは、
「…ホント、得な性格よね…」
と、いう、言葉だった…
…得な性格?…
…なんで、そんなこと?…
「…葉尊も、そんなお姉さんに、首ったけ…例え、バニラが言ったように、私が、葉尊を誘っても、きっと、見向きもしない…」
「…」
「…だから、誘わない…それが、わかっているから、葉尊を誘って、断れれば、このリンダ・ヘイワースのプライドが、ズタズタになる…」
リンダが、笑った…
「…ホント、得なお姉さん…」
と、言いながら、リンダが、私から、離れた…
それから、
「…葉尊も、ホントは、私をもっと、好きになってくれれば、ありがたいんだけど…」
と、ポツリと漏らした…
「…でも、ダメね…それじゃ、バニラをお母さんと、呼ばなくちゃ、ならなくなる…」
…どうして、バニラが、お母さんなんだ?…
考えた…
「…あら、お姉さん…なに、難しい顔をしているの?…」
「…」
「…ああ、そうか、どうして、バニラが、お母さんなのか、わからないのか?…」
私は、無言で、頷いた…
「…だって、バニラは、葉尊の父、葉敬の愛人…子供まで、産んでる…だから、もし、二人が、結婚したら、バニラが、義理のお母さんでしょ?…」
…そうか!…
…それは、考えもしなかった…
が、
言われてみれば、その通り…
その通りだ…
「…でも、いくらなんでも、バニラをお母さんとは、呼べないし…」
リンダが、苦笑した…
「…でも、そんなことを、平然と、口に出来るのは、お姉さんの前だから…ホント、得な性格よね…」
と、言って、リンダが、笑った…
…得な性格…
…得な性格…
と、何度も繰り返して、一体、私のなにが、得な性格なんだ?
と、言ってやりたかった…
だが、
言えんかった…
再び、リンダに激怒されては、堪ったものでは、ないからだ…
だから、私は、耐えた…
黙って、耐えた…
矢田トモコ、35歳…
辛抱のときだった(涙)…