第101話

文字数 4,290文字

 …一体、誰が、やって来たんだろ?…

 私は、思った…

 昼間、私が、家にいるのを、知っている人間は、少ない…

 少なくとも、知っているのは、私の周囲にいる人間…

 リンダやバニラ…

 その他、諸々だ…

 決して、多くの人間が、知っているわけではない…

 が、

 今、この家の呼び鈴を鳴らしたのは、きっと、私が、今、この時間に、家にいるのを、知っているからだろう…

 私は、思った…

 思いながら、インターホン越しに、

 「…誰だ?…」

 と、聞いた…

 本当は、

 「…どなたですか?…」

 と、低姿勢で、聞くのが、当たり前だが、なぜか、私は、気持ちが昂っていた…

 妙に、昂っていたのだ…

 無論、理由は、わかっている…

 オスマン殿下や、マリアのことを、考えていたからだ…

 なにしろ、今、サウジの国王が、倒れたと、先日、聞いたばかり…

 もしかしたら、サウジの権力構造に大きな変化が、訪れるかもしれん…

 そんなことを、考えていたときだ…

 ありていに、言えば、これから、どうなるか、わからん…

 さらに、言えば、あのリンダ…リンダ・ヘイワースは、こともあろうに、オスマン殿下、じきじきに、

 「…サウジに来ないか?…」

 と、口説かれたということだ…

 …もしかしたら、リンダとは、二度と会えんかも、しれん…

 リンダ・ヘイワースとは、二度と、会えんかも、しれん…

 私は、そう思った…

 私は、そう考えた…

 むろん、私は、リンダが、好きだ…

 嫌いではない…

 が、

 正直、ここだけの話、リンダが、邪魔だと、思うときも、ある…

 なにしろ、ハリウッドのセックス・シンボルだ…

 その色気は、半端じゃない…

 その色気の破壊力といったら、半端では、ないのだ…

 だから、だ…

 身近にいて、もらっては、困る…

 困るのだ…

 リンダは、葉問が、好き…

 葉問が、好きだと、言っているが、それが、葉尊に変わったら、困る…

 困るのだ…

 なにしろ、葉問と、葉尊は、同一人物…

 いつ、リンダの好きな相手が、葉問から、葉尊に、変わるかも、しれん…

 その可能性は、捨てきれん…

それでは、困るのだ…

 だから、いなくなればいい…

 そう、思う…

 心の底から、そう思う…

 別段、リンダに恨みは、ない…

 が、

 これは、仕方のないことだった…

 私の夫の身近に、絶世の美女が、いてもらっては、困る…

 それでは、いつ、私が、夫の葉尊に、捨てられるか、わかったものじゃないからだ…

 だから、リンダに恨みは、ないが、いなくなれば、いいに、限る…

 限るのだ…

 そして、もう一人…

 絶世の美女が、葉尊の近くにいる…

 他でもない、バニラ…バニラ・ルインスキーのことだ…

 が、

 バニラは、違う…

 バニラは、葉尊の実父、葉敬の愛人…

 だから、葉尊と、どうのこうのいう関係には、ならない…

 いや、

 仮にも、ならないだろう…

 なぜなら、バニラは、バカだからだ…

 バカ、バニラだからだ…

 頭の中身が、まるでないからだ…

 いかに、バニラが、リンダ同様、絶世の美人でも、これでは、興ざめする…

 だから、どんなことがあっても、夫の葉尊が、バニラになびくことなど、考えられん…

 考えられんのだ…

 だから、安心なのだ…

 私は、そんなさまざまなことを、考えながら、インターホンを、推した…

 これは、余人には、できないこと…

 この矢田トモコだから、こそ、できたことだ…

 こんな複雑な問題を、考えながら、一方で、何事もなく、インターホンを押す…

 これが、いかに、困難か…

 ソニー学園の私出身の私だから、できたことだ…

 天下のソニーの作った大学を出た私だから、できたことなのだ…

 私は、思った…

 心の底から、思った…

 そう、考えたとき、実に、気分が、良かった…

 ハッキリ言えば、有頂天だった…

 が、

 インターホン越しに、

 「…矢田か?…」

 と、いう声が、聞こえて、私のそんな思いは、見事に吹っ飛んだ…

 文字通り、木っ端微塵に、吹っ飛んだ…

 …この声は、まさか?…

 私の首筋が、寒くなった…

 まるで、厳寒の真冬の北海道どころか、南極大陸ほどの寒さを、感じた…

 私の可憐な首筋に、大きな汗が、一瞬にして、吹き出た…

 「…久しいのう…元気か?…」

 と、まるで、時代劇のような言葉が、聞こえてきた…

 私が、モニター越しに、その人物の顔を見た…

 そこには、私と瓜二つの顔があった…

 この矢田トモコそっくりの顔があった…

 細い目に、大きな口…

 おまけに、六頭身の幼児体型で、巨乳…

 どこを、どう見ても、私そっくりの姿があった…

 …来るべきものが、来た…

 …来るべきものが、やって来た…

 よく、映画やアニメで、聞くセリフだ…

 戦闘中のシーンで、聞くセリフだ…

 が、

 私には、さっぱり、予測できんかった(汗)…

 あの矢口トモコが、やって来るとは、まったく想像もつかんかった(涙)…

 …どうすれば?…

 …一体、どうすればいい?…

 私の頭の中は、一瞬にして、パニクった…

 パニクった=混乱した…

 すると、

 「…早く、ロックを解除しろ…」

 と、例によって、上から目線の声が、聞こえてきた…

 いきなり、やって来て、こうだ…

 私は、思った…

 いきなり、やって来て、

 「…早く、ロックを解除しろ…」
 
 なんて、セリフは、なかなか言えん…

 しかも、

 しかも、だ…

 一体、私が、あの矢口のお嬢様と、どれだけ親しいと言うんだ?…

 たまたま、知り会っただけ…

 共通の知人もいない…

 が、

 なぜか、上から目線で、私に接してきた…

 まあ、生粋のお嬢様だから、仕方がない…

 きっと、世間知らずだから、他人との接し方も知らんのだろう…

 私は当時、思った…

 そして、その思いは、今も変わらん…

 が、

 最近、わかったことがある…

 もしかしたら…

 もしかしたら、この傲岸不遜で、上から目線の接し方が、お嬢様なりの、私に対する親しみを込めた接し方なのでは? と、気付いた…

 元々、この矢口のお嬢様は、コミュニケーション下手…

 ひとと、うまく接することができない…

 だから、傲岸不遜な態度を取ることで、親しみを込めたつもりかもしれないと、気付いた…

 誰でも、そうだが、親しい間柄の人間に、かしこまった態度は、取らない…

 よそよそしい態度は、取らない…

 そういうことだ…

 が、

 そうは、思っても、正直、このお嬢様は、苦手…

 苦手だった…

 どうにも、対処に困る…

 同じ顔だからというのではない…

 なぜか、知らんが、苦手なのだ…

 私が、困惑していると…

 あるいは、

 戸惑っていると、

 「…さっさと、ロックを解除しろ…矢田…」

 と、いう声が、インターホン越しに、聞こえてきた…

 だから、私は、慌てて、

 「…ハイ…お嬢様…承知しました…」

 と、言って、ロックを解除した…

 すると、私の住むマンションのドアが、開いて、矢口のお嬢様が、マンションの建物に入る姿が、映った…

 その姿を、見ながら、

 …惨め…

 …我ながら、惨め…

 だった(涙)…

 なぜか、知らんが、私は、あのお嬢様に、頭が上がらんかった…

 あの矢口トモコに、頭が上がらんかった…

 すでに、私、矢田トモコの方が、お金持ちで、社会的地位が、上にも、かかわらず、頭が上がらんかった…

 これは、理屈ではない…

 断じて、理屈ではない!…

 感覚だ…

 感情だ…

 なぜか、私は、あの矢口トモコが、苦手だった…

 それは、あの矢口トモコが、東大出で、お金持ちだからと、いうわけでは、ないかも、しれん…

 なぜか、苦手なのだ…

 ハッキリ言って、一目見て、ダメだった…

 勝てんと、気付いた…

 何度も、言うように、これに、理由はない…

 あえて、言えば、直観だ…

 ただ、苦手なのだ…

 正直、他に、言葉は、なかった…

 なかったのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、今度は、

 「…ピンポン…」

 と、家のチャイムが、鳴った…

 すでに、あのお嬢様が、私の住む部屋に、やって来たのだ…

 私は、慌てて、玄関に走った…

 少しでも、ドアを開けるのが、遅れれば、あのお嬢様に、なにを言われるか、わからんからだ…

 我ながら、奴隷根性というか…

 あのお嬢様の下僕のような根性が、身についていると、思った(涙)…

 私は、慌てて、ドアを開けた…

 すると、

 「…矢田か…」

 と、私そっくりの顔の女が目の前に現れ、上から目線で、言った…

 私は、正直、頭に来たが、口から出た言葉は、

 「…お嬢様…今日は、一体? …一言、この矢田に、言って下されば、お迎えに出ましたものを…」

 だった…

 自分でも、意外だった…

 自分でも、ビックリした…

 が、

 この眼前の矢口トモコという女は、そんな私の気持ちを知ってか、知らず、か、

 「…うむ…オマエの手を煩わすことも、ないと思ってな…」

 と、まるで、江戸時代の将軍のような態度で、私に接した…

 さすがに、いかに私でも、ここで、

 「…ハハー」

 と、大げさに、矢口トモコにひれ伏すわけには、いかない…

 だから、

 「…そうでしたか…」

 と、言ったのみだった…

 が、

 私のその返答が、なぜか、お嬢様の逆鱗に触れたらしい…

 「…矢田…」

 と、いきなり、私に鋭く言った…

 「…なんでしょうか?…」

 「…旧友が、わざわざ、旧交を温めようと、やって来たんだ…その態度は、なんだ?…」

 「…きゅ…旧友?…」

 一体、いつから、私と、このお嬢様は、旧友になったんだ?

 一体、いつから?

 私が、戸惑って、唖然としていると、

 「…失礼する…」

 と、言って、私の横をすり抜けて、勝手に、家に上がって来た…

 すでに、唖然として、言葉もなかった…

 なぜか、家の主人である、この矢田トモコを差し置いて、まるで、自分の家のように、私の家に上がって来たのだ…

 しかも、

 しかも、だ…

 その動作が、自然だった…

 実に、自然だった…

 なんというか…

 強引だとか、

 厚かましいとか、

 そんな感じは、微塵もなかった…

 実に、自然なのだ…

 まるで、勝手知ったる、我が家という感じだった…

 主客転倒というか…

 私の家にやって来たお客様のはずなのに、まるで、この家の主のような態度だった…

 が、

 それが、矢口のお嬢様だった…

 矢口トモコだった…

 どこに、行っても、自分が、主役というか…

 これは、あのオスマン殿下と、共通する性質だった…

 いわゆる、俺様気質というか…

 すでに、生まれながらの将軍というか、女王様だった…

 そして、そんな、生まれながらの女王様である矢口のお嬢様が、なぜ、いきなり、私の家にやって来たのか?

 甚だ、疑問だった…

 さっぱり、わからんかった…

               

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