第24話
文字数 6,637文字
「…アラブの女神だと?…」
私は、呟いた…
…アラブの女神?…
初めて、聞く名前だ…
一体、なんだ? それは?
考えた…
なにより、この頭脳明晰で、豊富な知識を持つ、天下のソニー学園出身の矢田トモコよりも、この目の前のバカなバニラが、そのことを、知っているのが、不思議だった…
理解に苦しんだ…
が、
とりあえず、聞くことにした…
「…バニラ…そのアラブの女神というのは、なんだ?…」
私は、言った…
すると、バニラが、すーっと、私に、顔を近付けた…
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…今、私のことを、バカだと思ったでしょ?…」
なんと、ずばり、バニラが、私の心の中を言い当てた!…
私は、焦った…
焦ったのだ…
が、
まさか、その通りだとは、言えんかった…
だから、
「…知らんな…」
と、とぼけた…
「…そんなことは、知らん…」
私は、必死になって、否定した…
すると、バニラが、ますます、私に顔を近付けてきた…
まるで、私を脅すが如く、私に、顔を近付けてきた…
まるで、男と女がキスをするようだ…
そして、実に、威圧感は、あったが、その顔は、凄く美しかった…
ビックリするほど、美しかったのだ…
冷静に考えると、なにが、なんだか、わからなかった…
まったくの平凡な矢田トモコに対して、大柄な絶世の美女が、顔を近付けて、私を脅しているのだ…
普通は、話が、逆だろう…
男と女の違いはあれども、平凡な男が、絶世の美女を、なんとかしようとして、
「…オレのモノになれ…」
とか、なんとか言って、迫るものだろう…
しかし、これは、真逆…
この平凡な矢田トモコが、絶世の美女に脅されている…
よく、わからん…
実に、よく、わからん展開だった(笑)…
だから、私は、目の前にバニラの顔が、近付くと、
「…オマエ…ホントに、美人だな…」
と、呟いた…
つい、呟いたのだ…
バニラは、拍子抜けした様子だった…
「…お姉さん…また、それ…」
と、バニラが、文句を言った…
そして、私から、顔を離した…
「…まったく、ひとが、顔を近付けて、圧を加えると、すぐ、美人だ、なんだと、ひとを褒めて…調子がいい…」
バニラがぼやく…
だから、私は、言ってやった…
「…オマエ…顔を近付けるのは、逆効果だゾ…」
「…どうして?…」
「…どうしてもなにも、そんなキレイな顔を近付けられて、圧に感じる、男も女もいないさ…惚れ惚れするだけさ…」
私が、指摘すると、しばし、考え込んでから、
「…そうか…」
と、気付いた…
「…だから、オマエはバカなんだ…」
私は、言ってやった…
「…バカ、バニラ!…」
私が、調子に乗っていうと、またも、バニラが、私に顔を近付けた…
だから、
「…バカ…だから、オマエはバカなんだ…」
と、繰り返した…
私の言葉で、ハッと、バニラは我に返った…
「…つい、昔からの癖で…」
「…バカ、バニラ!…」
私は、言ってやった…
それから、
「…そんなことより、アラブの女神について、話せ…」
と、バニラに命じた…
すると、バニラが、
「…それが、他人様に、モノを聞く態度?…」
と、激怒した…
言われてみれば、その通り…
その通りだった…
だから、
「…すまん…バニラ…」
と、頭を下げた…
「…許してくれ…」
私が、頭を下げると、途端に、バニラの機嫌が、直った…
すぐに、満足そうな表情になった…
実に、単純な性格だ(笑)…
「…そんなことより、アラブの女神だ…バニラ…」
と、私は、言った…
「…アラブの女神って、なんだ?…」
私が聞くと、
「…詳しくは知らないの…」
と、バニラが答えた…
「…知らないだと?…」
「…そう…」
「…でも、オマエは、今…アラブの女神と…」
「…リンダの一件に、アラブの女神が関わっていると、葉敬が教えてくれたの…」
「…お父さんが?…」
「…そう…葉敬も、色々、情報を探ったらしい…葉敬にとって、リンダは、重要な手駒の一つ…台北筆頭のPRに欠かせない人物だから、今、手放すわけには、いかない…」
「…」
「…だから、コネクションを駆使して、リンダを狙っているのが、アラブの女神ということだけは、わかった…」
「…アラブの女神…ということは、相手は、女なのか?…」
「…それは、わからない…」
「…どうしてだ? …だって、女神だから、女だろ?…」
「…普通に考えれば、そうだけど、アラブ諸国では、女の地位が低いの…だから、普通に考えれば、女が、リーダーというのは、ありえないと思うけど…」
「…けど、なんだ?…」
「…それは、表面づらというか…」
「…どういう意味だ?…」
「…どこの家庭でも、一見、旦那が、力を持っているように見えて、実際は、奥さんに尻を引かれている夫は、多いでしょ? それと、同じ…だから、本当のところは、わからない…」
「…」
「…ただ…」
「…ただ、なんだ?…」
「…アラブの女神というのが、集団というか…テロ組織ではないけれど、特定の集団の名称だということは、掴んだ…」
「…名称?…」
「…例えば、イギリスの諜報部…映画のОО7の所属するモデルが、MI6だというのは、広く世間に知られた事実でしょ…それと、同じ…」
「…」
「…リンダに近付くのが、アラブの女神と呼ばれる集団であるということだけは、わかったけれども、その集団が、どういうメンバーで、誰が、リーダーなのか、皆目見当もつかない…」
「…」
「…でも、もしかしたら、アラブの女神だから、リーダーは、女だとか…あるいは、メンバー全員、女の可能性もある…」
「…」
「…でも、それは、すべて、想像…推測しているだけ…決定的な証拠は、なに一つない…」
私は、バニラの説明に、言葉もなかった…
たしかに、アラブの女神という名前だけでは、相手が誰だか、わかるわけがない…
「…でも、ヒントがないわけじゃない…」
「…ヒント?…」
「…そのヒントが、このファラド王子…」
バニラが、27インチのモニターに、リンダの偽者と映ったタキシードを着た浅黒い精悍な男を指差した…
「…どうして、ヒントなんだ?…」
「…だって、このリンダの偽者と映った写真をネットに流して、リンダと婚約しているなんて、情報を流したわけだから、なんらかの形で、このファラド王子が、関わっていると、考えるのが、普通でしょ?…」
「…なんらかの形って?…」
「…例えば、この王子が、アラブの女神の所属メンバーか、あるいは、アラブの女神の標的か? …」
「…標的?…」
「…そうよ…標的? …その可能性もある…」
バニラが、呟く…
そして、たしかに、バニラの言う通りだと、私も思った…
このファラド王子が、なにも関係がなければ、リンダとの婚約写真だと偽って、ネットに情報が流れるわけがないからだ…
「…そして、ファラド王子…今度の日本で、開く、クールのパーティーの主役なの…」
「…なんだと?…」
私は、驚いた…
このファラド王子が、主役とは?
こんなイケメンが主役とは?
話が違う…
とっさに、思った…
こんなイケメンが、パーティーに出席するならば、私も早く準備せねば、ならん…
それは、心の準備だとか、精神的なものを、いっているのではない…
とりあえず、着物…
和服を発注せねば、なるまい…
童顔で、巨乳で、六頭身の私の体型を隠すもの…
それは、着物しかない!
ジャパニーズ、キモノしかない!
着物を着ることで、私の幼児体型を隠すことができる…
そして、もしかしたら、このイケメンの王子と恋に落ちるかもしれん…
私は、思った…
この矢田トモコ、35歳…
実は、人妻…
葉尊の妻だった…
が、
同時に、恋多き乙女でもあった…
だから、どうにも、恋する気持ちは、止めることは、できんかった…
イケメンを見ると、心がときめくことを、止めることは、できんかった…
我ながら、奔放…
恋に、奔放な女だった(笑)…
私が、そんなことを、考えていると、
「…ちょっと、お姉さん…」
と、またも、バニラが、私に、顔を近付けた…
私は、驚いた…
ふいに、我に返ると、バニラの顔が、間近にあったのだ…
いくら、美人でも、目の前に他人の顔があって、驚かない人間は、いない…
「…バカ、バニラ…そんなに顔を近付けるな…」
と、私は、バニラに抗議した…
「…いくら、美人でも、ひとの顔の目の前に、顔を近付けるものじゃないゾ…」
私が、激しく抗議すると、バニラが、ニヤリと笑った…
「…相変わらず、このオチビは、気が多いというか…」
「…どういう意味だ?…」
「…今、このファラド王子と、なんとか、なるんじゃないかとか、妄想したでしょ?…」
ずばり、私の内面を突いた…
心の中を見切ったのだ…
私は、焦ったが、当然、それを認めるわけには、いかんかった…
だから、
「…知らんな…」
と、うそぶいた…
「…それこそ、オマエの妄想だろ?…」
私が、反論すると、バニラがニヤリとした…
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…このパーティーのときに、私は、このファラド王子と、いっときも、離れない…どんなときも、この王子といっしょにいる…」
「…なんだと?…」
「…それが、どういう意味か、わかる?…」
「…わからんさ…」
「…だったら、教えてあげる…パーティーには、私は、青いドレスを着てゆくわ…当然、ヒールも履くから、190㎝は、優に超える…」
「…それが、どうした?…」
「…一方、お姉さんは、当日、着物を着るつもりでしょ? …着物で、ヒールを履くことはできない…だから、身長159㎝のお姉さんは、160㎝ぐらいにしか、ならない…そのお姉さんが、ファラド王子に近付こうとしても、私は、必ず、ファラド王子と、お姉さんの間に入って、壁になってやる…どんなことがあっても、お姉さんが、ファラド王子に近付くことができないようにね…」
バニラが、勝ち誇った顔で、私に告げた…
私は、許せんかった…
まさか…
まさか、こんなバニラ風情に、私の恋路を邪魔されるとは、思わんかったからだ…
「…バニラ…貴様!…」
私は、怒りで、思わず、両手を握り締めた…
「…貴様、どういうつもりだ?…」
「…そういうお姉さんこそ、どういうつもりなの? …お姉さんは、人妻…葉尊の妻なのよ…」
「…それと、これとは、関係ないさ…私は、ただイケメンが好きなだけさ…」
「…お姉さん…本音が出たわね?…」
「…本音だと?…」
「…お姉さんは、六頭身のオチビのくせに、イケメン好き…それが、お姉さんの正体ね…」
「…正体だと?…」
「…そう、正体…平凡なお姉さんが、葉尊のようなイケメンの大金持ちと結婚しても、まだ、他のイケメンをどうにかしようとする…玉の輿に乗っても、まだ、まだ、他のイケメンを欲する…その欲望には、際限がない…」
「…バニラ…貴様!…」
私は、怒った…
怒ったのだ…
なにより、このバニラの言うことに、間違いはなかった…
誤りがなかった…
いわば、正鵠を射られたのだ…
それが、許せんかった…
「…バニラ、言っていいことと、悪いことがあるゾ…」
私は、言った…
「…言っていいことと、悪いことって? …お姉さん、私に、心の内側を読まれたことが、悔しいの?…」
「…そんなんじゃないさ…」
「…じゃ、なんなの?…」
「…オマエさ…オマエの態度さ…」
「…私の態度がなに?…」
「…オマエの歪んだ性根が、気に入らんのさ…」
「…それを言えば、葉尊というイケメンの夫がいるのに、他のイケメンに手を出そうとする、お姉さんは、なに? 性根が歪んでないの?…」
「…私の性根は、歪んでないさ…イケメンだって、ただ見たいだけさ…それ以上は、ないさ…」
「…ウソ…お姉さんは、ウソを言ってる…」
「…ウソなんかじゃないさ…」
私とバニラが言い合ってると、パンパンと手を叩く音がした…
私とバニラは、その音で、思わず、その音がする方を見た…
そこには、リンダ…
リンダ・ヘイワースが、立っていた…
いつものヤンの格好をして立っていた…
男装して、立っていた…
「…ほ…本物か…」
思わず、口を開いた…
「…本物のリンダか?…」
「…本物に決まってるでしょ?…」
リンダ=ヤンが言う…
「…それにしても、アナタたち二人は、会うとケンカばかり…」
ヤンが、ため息をついた…
「…ケンカするほど、仲がいいっていうけど、ホント、アナタたちのためにある言葉ね…」
…ケンカするほど、仲がいいだと?…
…バカな…
…この矢田トモコが、こんなバニラなんかと、仲がいいとは?…
…そんなこと、あるはずない!…
…いかに、私が落ちぶれようと、こんなバカと仲がいいはずがない…
…たしかに、私は、ソニー学園出身だ…
…偏差値が、決して、高くはない…
…だが、バニラほど、バカではない!…
…自信がある…
完璧な自信がある!…
だから、私は、
「…こんなバカといっしょにして、もらっちゃ、困るさ…」
と、言おうとしたら、先に、バニラが、
「…リンダ…いい加減にして!…私を誰だと思ってるの? バニラ…バニラ・ルインスキーよ…世界に知られたトップモデルよ…それが、こんなオチビと、いっしょにされて…こんな屈辱、今まで一度も味わったことがないわ…」
と、血相を変えて、怒鳴った…
…なんだと?…
それは、たった今、私が言おうとしたことさ…
許せん!
私は、頭に来た…
「…バニラ…オマエ、自分の立場をわきまえろ…」
私は、言ってやった…
「…私は、年上…オマエより、十二歳も年上の女さ…その態度は、なんだ?…」
「…お姉さんが、いちいち、私のやることに、絡むからよ…」
バニラが、悪びれずに言った…
「…ふざけるな…貴様!…」
私が、怒りで、全身を震わせると、ヤンの背後から、小さな娘が現れた…
「…矢田ちゃん…元気…」
3歳ぐらいの娘が、聞く…
「…元気さ…」
私は、反射的に、言った…
言いながら、この娘は? と、考え込んだ…
たしか、この娘は?…
私が、細い目を、さらに、細めて、考え込んでいると、
「…マリア…」
と、バニラが叫んだ…
「…どうして、ここに来たの?…」
「…リンダ…いえ、ヤンさんが連れてきて、くれたの…」
マリアが言う…
「…それより、矢田ちゃん…遊んで、遊んで…」
マリアが、私の傍に寄って来た…
すると、バニラの態度が一変した…
「…お姉さん…申し訳ありませんでした…」
と、まるで、土下座せんばかりに、私に頭を下げた…
「…マリアと遊んでやって下さい…」
平身低頭だった…
私は、思わず、リンダ=ヤンを見た…
リンダ=ヤンが笑っていた…
そういうことか?と、私は、気付いた…
ここに、バニラが、来ていて、私と争っているに違いないと、リンダは、思ったに違いない…
だから、マリアを連れてきた…
バニラの娘…マリアを連れてきた…
マリアが、私を好きなことを、知っているからだ…
「…矢田ちゃん…遊ぼ…」
と、デスクの椅子に座ったままの私に近寄って来た…
そして、モニターに映った、リンダの顔を眺めた…
「…これ…リンダのお姉さん? …ううん、違う…そっくりさん…」
マリアが呟いた…
私とバニラは思わず、互いに顔を見合わせた…
「…まさか、マリアが一瞬で気付くとは?…」
バニラが苦笑する…
「…子供は純真…それゆえ、鋭い…だから、一瞬で見破る…」
バニラが告げる…
「…そう…子供は、純真…純真だから、その人間の本性を容易に見抜く…邪悪な人間には、決して、近付かない…だから、お姉さんは、子供に好かれる…お姉さんは誰よりも純真で、善良だから…バニラ…それは、アナタも、わかってるはず…」
リンダの説明に、バニラは、
「…」
と、無言だった…
それから、一転、
「…でも、やるわね…リンダ・ヘイワースの偽者を使って、婚約情報を流すなんて、想像もしていなかった…」
と、リンダ=ヤンが、モニターに映った自分の偽者を見て、笑った…
「…こんなこと、初めて…油断ができない…」
リンダ=ヤンが、冗談めいて呟く…
が、
その言葉とは、裏腹にリンダの目が、怒っていた…
初めて見る、リンダ・ヘイワースの青い目の怒りだった…
私は、呟いた…
…アラブの女神?…
初めて、聞く名前だ…
一体、なんだ? それは?
考えた…
なにより、この頭脳明晰で、豊富な知識を持つ、天下のソニー学園出身の矢田トモコよりも、この目の前のバカなバニラが、そのことを、知っているのが、不思議だった…
理解に苦しんだ…
が、
とりあえず、聞くことにした…
「…バニラ…そのアラブの女神というのは、なんだ?…」
私は、言った…
すると、バニラが、すーっと、私に、顔を近付けた…
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…今、私のことを、バカだと思ったでしょ?…」
なんと、ずばり、バニラが、私の心の中を言い当てた!…
私は、焦った…
焦ったのだ…
が、
まさか、その通りだとは、言えんかった…
だから、
「…知らんな…」
と、とぼけた…
「…そんなことは、知らん…」
私は、必死になって、否定した…
すると、バニラが、ますます、私に顔を近付けてきた…
まるで、私を脅すが如く、私に、顔を近付けてきた…
まるで、男と女がキスをするようだ…
そして、実に、威圧感は、あったが、その顔は、凄く美しかった…
ビックリするほど、美しかったのだ…
冷静に考えると、なにが、なんだか、わからなかった…
まったくの平凡な矢田トモコに対して、大柄な絶世の美女が、顔を近付けて、私を脅しているのだ…
普通は、話が、逆だろう…
男と女の違いはあれども、平凡な男が、絶世の美女を、なんとかしようとして、
「…オレのモノになれ…」
とか、なんとか言って、迫るものだろう…
しかし、これは、真逆…
この平凡な矢田トモコが、絶世の美女に脅されている…
よく、わからん…
実に、よく、わからん展開だった(笑)…
だから、私は、目の前にバニラの顔が、近付くと、
「…オマエ…ホントに、美人だな…」
と、呟いた…
つい、呟いたのだ…
バニラは、拍子抜けした様子だった…
「…お姉さん…また、それ…」
と、バニラが、文句を言った…
そして、私から、顔を離した…
「…まったく、ひとが、顔を近付けて、圧を加えると、すぐ、美人だ、なんだと、ひとを褒めて…調子がいい…」
バニラがぼやく…
だから、私は、言ってやった…
「…オマエ…顔を近付けるのは、逆効果だゾ…」
「…どうして?…」
「…どうしてもなにも、そんなキレイな顔を近付けられて、圧に感じる、男も女もいないさ…惚れ惚れするだけさ…」
私が、指摘すると、しばし、考え込んでから、
「…そうか…」
と、気付いた…
「…だから、オマエはバカなんだ…」
私は、言ってやった…
「…バカ、バニラ!…」
私が、調子に乗っていうと、またも、バニラが、私に顔を近付けた…
だから、
「…バカ…だから、オマエはバカなんだ…」
と、繰り返した…
私の言葉で、ハッと、バニラは我に返った…
「…つい、昔からの癖で…」
「…バカ、バニラ!…」
私は、言ってやった…
それから、
「…そんなことより、アラブの女神について、話せ…」
と、バニラに命じた…
すると、バニラが、
「…それが、他人様に、モノを聞く態度?…」
と、激怒した…
言われてみれば、その通り…
その通りだった…
だから、
「…すまん…バニラ…」
と、頭を下げた…
「…許してくれ…」
私が、頭を下げると、途端に、バニラの機嫌が、直った…
すぐに、満足そうな表情になった…
実に、単純な性格だ(笑)…
「…そんなことより、アラブの女神だ…バニラ…」
と、私は、言った…
「…アラブの女神って、なんだ?…」
私が聞くと、
「…詳しくは知らないの…」
と、バニラが答えた…
「…知らないだと?…」
「…そう…」
「…でも、オマエは、今…アラブの女神と…」
「…リンダの一件に、アラブの女神が関わっていると、葉敬が教えてくれたの…」
「…お父さんが?…」
「…そう…葉敬も、色々、情報を探ったらしい…葉敬にとって、リンダは、重要な手駒の一つ…台北筆頭のPRに欠かせない人物だから、今、手放すわけには、いかない…」
「…」
「…だから、コネクションを駆使して、リンダを狙っているのが、アラブの女神ということだけは、わかった…」
「…アラブの女神…ということは、相手は、女なのか?…」
「…それは、わからない…」
「…どうしてだ? …だって、女神だから、女だろ?…」
「…普通に考えれば、そうだけど、アラブ諸国では、女の地位が低いの…だから、普通に考えれば、女が、リーダーというのは、ありえないと思うけど…」
「…けど、なんだ?…」
「…それは、表面づらというか…」
「…どういう意味だ?…」
「…どこの家庭でも、一見、旦那が、力を持っているように見えて、実際は、奥さんに尻を引かれている夫は、多いでしょ? それと、同じ…だから、本当のところは、わからない…」
「…」
「…ただ…」
「…ただ、なんだ?…」
「…アラブの女神というのが、集団というか…テロ組織ではないけれど、特定の集団の名称だということは、掴んだ…」
「…名称?…」
「…例えば、イギリスの諜報部…映画のОО7の所属するモデルが、MI6だというのは、広く世間に知られた事実でしょ…それと、同じ…」
「…」
「…リンダに近付くのが、アラブの女神と呼ばれる集団であるということだけは、わかったけれども、その集団が、どういうメンバーで、誰が、リーダーなのか、皆目見当もつかない…」
「…」
「…でも、もしかしたら、アラブの女神だから、リーダーは、女だとか…あるいは、メンバー全員、女の可能性もある…」
「…」
「…でも、それは、すべて、想像…推測しているだけ…決定的な証拠は、なに一つない…」
私は、バニラの説明に、言葉もなかった…
たしかに、アラブの女神という名前だけでは、相手が誰だか、わかるわけがない…
「…でも、ヒントがないわけじゃない…」
「…ヒント?…」
「…そのヒントが、このファラド王子…」
バニラが、27インチのモニターに、リンダの偽者と映ったタキシードを着た浅黒い精悍な男を指差した…
「…どうして、ヒントなんだ?…」
「…だって、このリンダの偽者と映った写真をネットに流して、リンダと婚約しているなんて、情報を流したわけだから、なんらかの形で、このファラド王子が、関わっていると、考えるのが、普通でしょ?…」
「…なんらかの形って?…」
「…例えば、この王子が、アラブの女神の所属メンバーか、あるいは、アラブの女神の標的か? …」
「…標的?…」
「…そうよ…標的? …その可能性もある…」
バニラが、呟く…
そして、たしかに、バニラの言う通りだと、私も思った…
このファラド王子が、なにも関係がなければ、リンダとの婚約写真だと偽って、ネットに情報が流れるわけがないからだ…
「…そして、ファラド王子…今度の日本で、開く、クールのパーティーの主役なの…」
「…なんだと?…」
私は、驚いた…
このファラド王子が、主役とは?
こんなイケメンが主役とは?
話が違う…
とっさに、思った…
こんなイケメンが、パーティーに出席するならば、私も早く準備せねば、ならん…
それは、心の準備だとか、精神的なものを、いっているのではない…
とりあえず、着物…
和服を発注せねば、なるまい…
童顔で、巨乳で、六頭身の私の体型を隠すもの…
それは、着物しかない!
ジャパニーズ、キモノしかない!
着物を着ることで、私の幼児体型を隠すことができる…
そして、もしかしたら、このイケメンの王子と恋に落ちるかもしれん…
私は、思った…
この矢田トモコ、35歳…
実は、人妻…
葉尊の妻だった…
が、
同時に、恋多き乙女でもあった…
だから、どうにも、恋する気持ちは、止めることは、できんかった…
イケメンを見ると、心がときめくことを、止めることは、できんかった…
我ながら、奔放…
恋に、奔放な女だった(笑)…
私が、そんなことを、考えていると、
「…ちょっと、お姉さん…」
と、またも、バニラが、私に、顔を近付けた…
私は、驚いた…
ふいに、我に返ると、バニラの顔が、間近にあったのだ…
いくら、美人でも、目の前に他人の顔があって、驚かない人間は、いない…
「…バカ、バニラ…そんなに顔を近付けるな…」
と、私は、バニラに抗議した…
「…いくら、美人でも、ひとの顔の目の前に、顔を近付けるものじゃないゾ…」
私が、激しく抗議すると、バニラが、ニヤリと笑った…
「…相変わらず、このオチビは、気が多いというか…」
「…どういう意味だ?…」
「…今、このファラド王子と、なんとか、なるんじゃないかとか、妄想したでしょ?…」
ずばり、私の内面を突いた…
心の中を見切ったのだ…
私は、焦ったが、当然、それを認めるわけには、いかんかった…
だから、
「…知らんな…」
と、うそぶいた…
「…それこそ、オマエの妄想だろ?…」
私が、反論すると、バニラがニヤリとした…
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…このパーティーのときに、私は、このファラド王子と、いっときも、離れない…どんなときも、この王子といっしょにいる…」
「…なんだと?…」
「…それが、どういう意味か、わかる?…」
「…わからんさ…」
「…だったら、教えてあげる…パーティーには、私は、青いドレスを着てゆくわ…当然、ヒールも履くから、190㎝は、優に超える…」
「…それが、どうした?…」
「…一方、お姉さんは、当日、着物を着るつもりでしょ? …着物で、ヒールを履くことはできない…だから、身長159㎝のお姉さんは、160㎝ぐらいにしか、ならない…そのお姉さんが、ファラド王子に近付こうとしても、私は、必ず、ファラド王子と、お姉さんの間に入って、壁になってやる…どんなことがあっても、お姉さんが、ファラド王子に近付くことができないようにね…」
バニラが、勝ち誇った顔で、私に告げた…
私は、許せんかった…
まさか…
まさか、こんなバニラ風情に、私の恋路を邪魔されるとは、思わんかったからだ…
「…バニラ…貴様!…」
私は、怒りで、思わず、両手を握り締めた…
「…貴様、どういうつもりだ?…」
「…そういうお姉さんこそ、どういうつもりなの? …お姉さんは、人妻…葉尊の妻なのよ…」
「…それと、これとは、関係ないさ…私は、ただイケメンが好きなだけさ…」
「…お姉さん…本音が出たわね?…」
「…本音だと?…」
「…お姉さんは、六頭身のオチビのくせに、イケメン好き…それが、お姉さんの正体ね…」
「…正体だと?…」
「…そう、正体…平凡なお姉さんが、葉尊のようなイケメンの大金持ちと結婚しても、まだ、他のイケメンをどうにかしようとする…玉の輿に乗っても、まだ、まだ、他のイケメンを欲する…その欲望には、際限がない…」
「…バニラ…貴様!…」
私は、怒った…
怒ったのだ…
なにより、このバニラの言うことに、間違いはなかった…
誤りがなかった…
いわば、正鵠を射られたのだ…
それが、許せんかった…
「…バニラ、言っていいことと、悪いことがあるゾ…」
私は、言った…
「…言っていいことと、悪いことって? …お姉さん、私に、心の内側を読まれたことが、悔しいの?…」
「…そんなんじゃないさ…」
「…じゃ、なんなの?…」
「…オマエさ…オマエの態度さ…」
「…私の態度がなに?…」
「…オマエの歪んだ性根が、気に入らんのさ…」
「…それを言えば、葉尊というイケメンの夫がいるのに、他のイケメンに手を出そうとする、お姉さんは、なに? 性根が歪んでないの?…」
「…私の性根は、歪んでないさ…イケメンだって、ただ見たいだけさ…それ以上は、ないさ…」
「…ウソ…お姉さんは、ウソを言ってる…」
「…ウソなんかじゃないさ…」
私とバニラが言い合ってると、パンパンと手を叩く音がした…
私とバニラは、その音で、思わず、その音がする方を見た…
そこには、リンダ…
リンダ・ヘイワースが、立っていた…
いつものヤンの格好をして立っていた…
男装して、立っていた…
「…ほ…本物か…」
思わず、口を開いた…
「…本物のリンダか?…」
「…本物に決まってるでしょ?…」
リンダ=ヤンが言う…
「…それにしても、アナタたち二人は、会うとケンカばかり…」
ヤンが、ため息をついた…
「…ケンカするほど、仲がいいっていうけど、ホント、アナタたちのためにある言葉ね…」
…ケンカするほど、仲がいいだと?…
…バカな…
…この矢田トモコが、こんなバニラなんかと、仲がいいとは?…
…そんなこと、あるはずない!…
…いかに、私が落ちぶれようと、こんなバカと仲がいいはずがない…
…たしかに、私は、ソニー学園出身だ…
…偏差値が、決して、高くはない…
…だが、バニラほど、バカではない!…
…自信がある…
完璧な自信がある!…
だから、私は、
「…こんなバカといっしょにして、もらっちゃ、困るさ…」
と、言おうとしたら、先に、バニラが、
「…リンダ…いい加減にして!…私を誰だと思ってるの? バニラ…バニラ・ルインスキーよ…世界に知られたトップモデルよ…それが、こんなオチビと、いっしょにされて…こんな屈辱、今まで一度も味わったことがないわ…」
と、血相を変えて、怒鳴った…
…なんだと?…
それは、たった今、私が言おうとしたことさ…
許せん!
私は、頭に来た…
「…バニラ…オマエ、自分の立場をわきまえろ…」
私は、言ってやった…
「…私は、年上…オマエより、十二歳も年上の女さ…その態度は、なんだ?…」
「…お姉さんが、いちいち、私のやることに、絡むからよ…」
バニラが、悪びれずに言った…
「…ふざけるな…貴様!…」
私が、怒りで、全身を震わせると、ヤンの背後から、小さな娘が現れた…
「…矢田ちゃん…元気…」
3歳ぐらいの娘が、聞く…
「…元気さ…」
私は、反射的に、言った…
言いながら、この娘は? と、考え込んだ…
たしか、この娘は?…
私が、細い目を、さらに、細めて、考え込んでいると、
「…マリア…」
と、バニラが叫んだ…
「…どうして、ここに来たの?…」
「…リンダ…いえ、ヤンさんが連れてきて、くれたの…」
マリアが言う…
「…それより、矢田ちゃん…遊んで、遊んで…」
マリアが、私の傍に寄って来た…
すると、バニラの態度が一変した…
「…お姉さん…申し訳ありませんでした…」
と、まるで、土下座せんばかりに、私に頭を下げた…
「…マリアと遊んでやって下さい…」
平身低頭だった…
私は、思わず、リンダ=ヤンを見た…
リンダ=ヤンが笑っていた…
そういうことか?と、私は、気付いた…
ここに、バニラが、来ていて、私と争っているに違いないと、リンダは、思ったに違いない…
だから、マリアを連れてきた…
バニラの娘…マリアを連れてきた…
マリアが、私を好きなことを、知っているからだ…
「…矢田ちゃん…遊ぼ…」
と、デスクの椅子に座ったままの私に近寄って来た…
そして、モニターに映った、リンダの顔を眺めた…
「…これ…リンダのお姉さん? …ううん、違う…そっくりさん…」
マリアが呟いた…
私とバニラは思わず、互いに顔を見合わせた…
「…まさか、マリアが一瞬で気付くとは?…」
バニラが苦笑する…
「…子供は純真…それゆえ、鋭い…だから、一瞬で見破る…」
バニラが告げる…
「…そう…子供は、純真…純真だから、その人間の本性を容易に見抜く…邪悪な人間には、決して、近付かない…だから、お姉さんは、子供に好かれる…お姉さんは誰よりも純真で、善良だから…バニラ…それは、アナタも、わかってるはず…」
リンダの説明に、バニラは、
「…」
と、無言だった…
それから、一転、
「…でも、やるわね…リンダ・ヘイワースの偽者を使って、婚約情報を流すなんて、想像もしていなかった…」
と、リンダ=ヤンが、モニターに映った自分の偽者を見て、笑った…
「…こんなこと、初めて…油断ができない…」
リンダ=ヤンが、冗談めいて呟く…
が、
その言葉とは、裏腹にリンダの目が、怒っていた…
初めて見る、リンダ・ヘイワースの青い目の怒りだった…