第24話

文字数 6,637文字

 「…アラブの女神だと?…」

 私は、呟いた…

 …アラブの女神?…

 初めて、聞く名前だ…

 一体、なんだ? それは?

 考えた…

 なにより、この頭脳明晰で、豊富な知識を持つ、天下のソニー学園出身の矢田トモコよりも、この目の前のバカなバニラが、そのことを、知っているのが、不思議だった…

 理解に苦しんだ…

 が、

 とりあえず、聞くことにした…

 「…バニラ…そのアラブの女神というのは、なんだ?…」

 私は、言った…

 すると、バニラが、すーっと、私に、顔を近付けた…

 「…お姉さん?…」

 「…なんだ?…」

 「…今、私のことを、バカだと思ったでしょ?…」

 なんと、ずばり、バニラが、私の心の中を言い当てた!…

 私は、焦った…

 焦ったのだ…

 が、

 まさか、その通りだとは、言えんかった…

 だから、

 「…知らんな…」

 と、とぼけた…

 「…そんなことは、知らん…」

 私は、必死になって、否定した…

 すると、バニラが、ますます、私に顔を近付けてきた…

 まるで、私を脅すが如く、私に、顔を近付けてきた…

 まるで、男と女がキスをするようだ…

 そして、実に、威圧感は、あったが、その顔は、凄く美しかった…

 ビックリするほど、美しかったのだ…

 冷静に考えると、なにが、なんだか、わからなかった…

 まったくの平凡な矢田トモコに対して、大柄な絶世の美女が、顔を近付けて、私を脅しているのだ…

 普通は、話が、逆だろう…

 男と女の違いはあれども、平凡な男が、絶世の美女を、なんとかしようとして、

 「…オレのモノになれ…」

 とか、なんとか言って、迫るものだろう…

 しかし、これは、真逆…

 この平凡な矢田トモコが、絶世の美女に脅されている…

 よく、わからん…

 実に、よく、わからん展開だった(笑)…

 だから、私は、目の前にバニラの顔が、近付くと、

 「…オマエ…ホントに、美人だな…」

 と、呟いた…

 つい、呟いたのだ…

 バニラは、拍子抜けした様子だった…

 「…お姉さん…また、それ…」

 と、バニラが、文句を言った…

 そして、私から、顔を離した…

 「…まったく、ひとが、顔を近付けて、圧を加えると、すぐ、美人だ、なんだと、ひとを褒めて…調子がいい…」

 バニラがぼやく…

 だから、私は、言ってやった…

 「…オマエ…顔を近付けるのは、逆効果だゾ…」

 「…どうして?…」

 「…どうしてもなにも、そんなキレイな顔を近付けられて、圧に感じる、男も女もいないさ…惚れ惚れするだけさ…」

 私が、指摘すると、しばし、考え込んでから、

 「…そうか…」

 と、気付いた…

 「…だから、オマエはバカなんだ…」

 私は、言ってやった…

 「…バカ、バニラ!…」

 私が、調子に乗っていうと、またも、バニラが、私に顔を近付けた…

 だから、

 「…バカ…だから、オマエはバカなんだ…」

 と、繰り返した…

 私の言葉で、ハッと、バニラは我に返った…

 「…つい、昔からの癖で…」

 「…バカ、バニラ!…」

 私は、言ってやった…

 それから、

 「…そんなことより、アラブの女神について、話せ…」

 と、バニラに命じた…

 すると、バニラが、

 「…それが、他人様に、モノを聞く態度?…」

 と、激怒した…

 言われてみれば、その通り…

 その通りだった…

 だから、

 「…すまん…バニラ…」

 と、頭を下げた…

 「…許してくれ…」

 私が、頭を下げると、途端に、バニラの機嫌が、直った…

 すぐに、満足そうな表情になった…

 実に、単純な性格だ(笑)…

 「…そんなことより、アラブの女神だ…バニラ…」

 と、私は、言った…

 「…アラブの女神って、なんだ?…」

 私が聞くと、

 「…詳しくは知らないの…」

 と、バニラが答えた…

 「…知らないだと?…」

 「…そう…」

 「…でも、オマエは、今…アラブの女神と…」

 「…リンダの一件に、アラブの女神が関わっていると、葉敬が教えてくれたの…」

 「…お父さんが?…」

 「…そう…葉敬も、色々、情報を探ったらしい…葉敬にとって、リンダは、重要な手駒の一つ…台北筆頭のPRに欠かせない人物だから、今、手放すわけには、いかない…」

 「…」

 「…だから、コネクションを駆使して、リンダを狙っているのが、アラブの女神ということだけは、わかった…」

 「…アラブの女神…ということは、相手は、女なのか?…」

 「…それは、わからない…」

 「…どうしてだ? …だって、女神だから、女だろ?…」

 「…普通に考えれば、そうだけど、アラブ諸国では、女の地位が低いの…だから、普通に考えれば、女が、リーダーというのは、ありえないと思うけど…」

 「…けど、なんだ?…」

 「…それは、表面づらというか…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…どこの家庭でも、一見、旦那が、力を持っているように見えて、実際は、奥さんに尻を引かれている夫は、多いでしょ? それと、同じ…だから、本当のところは、わからない…」

 「…」

 「…ただ…」

 「…ただ、なんだ?…」

 「…アラブの女神というのが、集団というか…テロ組織ではないけれど、特定の集団の名称だということは、掴んだ…」

 「…名称?…」

 「…例えば、イギリスの諜報部…映画のОО7の所属するモデルが、MI6だというのは、広く世間に知られた事実でしょ…それと、同じ…」

 「…」

 「…リンダに近付くのが、アラブの女神と呼ばれる集団であるということだけは、わかったけれども、その集団が、どういうメンバーで、誰が、リーダーなのか、皆目見当もつかない…」

 「…」

 「…でも、もしかしたら、アラブの女神だから、リーダーは、女だとか…あるいは、メンバー全員、女の可能性もある…」

 「…」

 「…でも、それは、すべて、想像…推測しているだけ…決定的な証拠は、なに一つない…」

 私は、バニラの説明に、言葉もなかった…

 たしかに、アラブの女神という名前だけでは、相手が誰だか、わかるわけがない…

 「…でも、ヒントがないわけじゃない…」

 「…ヒント?…」

 「…そのヒントが、このファラド王子…」

 バニラが、27インチのモニターに、リンダの偽者と映ったタキシードを着た浅黒い精悍な男を指差した…

 「…どうして、ヒントなんだ?…」

 「…だって、このリンダの偽者と映った写真をネットに流して、リンダと婚約しているなんて、情報を流したわけだから、なんらかの形で、このファラド王子が、関わっていると、考えるのが、普通でしょ?…」

 「…なんらかの形って?…」

 「…例えば、この王子が、アラブの女神の所属メンバーか、あるいは、アラブの女神の標的か? …」

 「…標的?…」

 「…そうよ…標的? …その可能性もある…」

 バニラが、呟く…

 そして、たしかに、バニラの言う通りだと、私も思った…

 このファラド王子が、なにも関係がなければ、リンダとの婚約写真だと偽って、ネットに情報が流れるわけがないからだ…

 「…そして、ファラド王子…今度の日本で、開く、クールのパーティーの主役なの…」

 「…なんだと?…」

 私は、驚いた…

 このファラド王子が、主役とは?

 こんなイケメンが主役とは?

 話が違う…

 とっさに、思った…

 こんなイケメンが、パーティーに出席するならば、私も早く準備せねば、ならん…

 それは、心の準備だとか、精神的なものを、いっているのではない…

 とりあえず、着物…

 和服を発注せねば、なるまい…

 童顔で、巨乳で、六頭身の私の体型を隠すもの…

 それは、着物しかない!

 ジャパニーズ、キモノしかない!

 着物を着ることで、私の幼児体型を隠すことができる…

 そして、もしかしたら、このイケメンの王子と恋に落ちるかもしれん…

 私は、思った…

 この矢田トモコ、35歳…
 
 実は、人妻…

 葉尊の妻だった…

 が、

 同時に、恋多き乙女でもあった…

 だから、どうにも、恋する気持ちは、止めることは、できんかった…

 イケメンを見ると、心がときめくことを、止めることは、できんかった…

 我ながら、奔放…

 恋に、奔放な女だった(笑)…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…ちょっと、お姉さん…」

 と、またも、バニラが、私に、顔を近付けた…

 私は、驚いた…

 ふいに、我に返ると、バニラの顔が、間近にあったのだ…

 いくら、美人でも、目の前に他人の顔があって、驚かない人間は、いない…

 「…バカ、バニラ…そんなに顔を近付けるな…」

 と、私は、バニラに抗議した…

 「…いくら、美人でも、ひとの顔の目の前に、顔を近付けるものじゃないゾ…」

 私が、激しく抗議すると、バニラが、ニヤリと笑った…

 「…相変わらず、このオチビは、気が多いというか…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…今、このファラド王子と、なんとか、なるんじゃないかとか、妄想したでしょ?…」

 ずばり、私の内面を突いた…

 心の中を見切ったのだ…

 私は、焦ったが、当然、それを認めるわけには、いかんかった…

 だから、

 「…知らんな…」

 と、うそぶいた…

 「…それこそ、オマエの妄想だろ?…」

 私が、反論すると、バニラがニヤリとした…

 「…お姉さん?…」

 「…なんだ?…」

 「…このパーティーのときに、私は、このファラド王子と、いっときも、離れない…どんなときも、この王子といっしょにいる…」

 「…なんだと?…」

 「…それが、どういう意味か、わかる?…」

 「…わからんさ…」

 「…だったら、教えてあげる…パーティーには、私は、青いドレスを着てゆくわ…当然、ヒールも履くから、190㎝は、優に超える…」

 「…それが、どうした?…」

 「…一方、お姉さんは、当日、着物を着るつもりでしょ? …着物で、ヒールを履くことはできない…だから、身長159㎝のお姉さんは、160㎝ぐらいにしか、ならない…そのお姉さんが、ファラド王子に近付こうとしても、私は、必ず、ファラド王子と、お姉さんの間に入って、壁になってやる…どんなことがあっても、お姉さんが、ファラド王子に近付くことができないようにね…」

 バニラが、勝ち誇った顔で、私に告げた…

 私は、許せんかった…

 まさか…

 まさか、こんなバニラ風情に、私の恋路を邪魔されるとは、思わんかったからだ…

 「…バニラ…貴様!…」

 私は、怒りで、思わず、両手を握り締めた…

 「…貴様、どういうつもりだ?…」

 「…そういうお姉さんこそ、どういうつもりなの? …お姉さんは、人妻…葉尊の妻なのよ…」

 「…それと、これとは、関係ないさ…私は、ただイケメンが好きなだけさ…」

 「…お姉さん…本音が出たわね?…」

 「…本音だと?…」

 「…お姉さんは、六頭身のオチビのくせに、イケメン好き…それが、お姉さんの正体ね…」

 「…正体だと?…」

 「…そう、正体…平凡なお姉さんが、葉尊のようなイケメンの大金持ちと結婚しても、まだ、他のイケメンをどうにかしようとする…玉の輿に乗っても、まだ、まだ、他のイケメンを欲する…その欲望には、際限がない…」

 「…バニラ…貴様!…」

 私は、怒った…

 怒ったのだ…

 なにより、このバニラの言うことに、間違いはなかった…

 誤りがなかった…

 いわば、正鵠を射られたのだ…

 それが、許せんかった…

 「…バニラ、言っていいことと、悪いことがあるゾ…」

 私は、言った…

 「…言っていいことと、悪いことって? …お姉さん、私に、心の内側を読まれたことが、悔しいの?…」

 「…そんなんじゃないさ…」

 「…じゃ、なんなの?…」

 「…オマエさ…オマエの態度さ…」

 「…私の態度がなに?…」

 「…オマエの歪んだ性根が、気に入らんのさ…」

 「…それを言えば、葉尊というイケメンの夫がいるのに、他のイケメンに手を出そうとする、お姉さんは、なに? 性根が歪んでないの?…」

 「…私の性根は、歪んでないさ…イケメンだって、ただ見たいだけさ…それ以上は、ないさ…」

 「…ウソ…お姉さんは、ウソを言ってる…」

 「…ウソなんかじゃないさ…」

 私とバニラが言い合ってると、パンパンと手を叩く音がした…

 私とバニラは、その音で、思わず、その音がする方を見た…

 そこには、リンダ…

 リンダ・ヘイワースが、立っていた…

 いつものヤンの格好をして立っていた…

 男装して、立っていた…

 「…ほ…本物か…」

 思わず、口を開いた…

 「…本物のリンダか?…」

 「…本物に決まってるでしょ?…」

 リンダ=ヤンが言う…

 「…それにしても、アナタたち二人は、会うとケンカばかり…」

 ヤンが、ため息をついた…

 「…ケンカするほど、仲がいいっていうけど、ホント、アナタたちのためにある言葉ね…」

 …ケンカするほど、仲がいいだと?…

 …バカな…

 …この矢田トモコが、こんなバニラなんかと、仲がいいとは?…

 …そんなこと、あるはずない!…

 …いかに、私が落ちぶれようと、こんなバカと仲がいいはずがない…

 …たしかに、私は、ソニー学園出身だ…

 …偏差値が、決して、高くはない…

 …だが、バニラほど、バカではない!…

 …自信がある…

 完璧な自信がある!…

 だから、私は、

 「…こんなバカといっしょにして、もらっちゃ、困るさ…」

 と、言おうとしたら、先に、バニラが、

 「…リンダ…いい加減にして!…私を誰だと思ってるの? バニラ…バニラ・ルインスキーよ…世界に知られたトップモデルよ…それが、こんなオチビと、いっしょにされて…こんな屈辱、今まで一度も味わったことがないわ…」

 と、血相を変えて、怒鳴った…

 …なんだと?…

 それは、たった今、私が言おうとしたことさ…

 許せん!

 私は、頭に来た…
 
 「…バニラ…オマエ、自分の立場をわきまえろ…」

 私は、言ってやった…

 「…私は、年上…オマエより、十二歳も年上の女さ…その態度は、なんだ?…」

 「…お姉さんが、いちいち、私のやることに、絡むからよ…」

 バニラが、悪びれずに言った…

 「…ふざけるな…貴様!…」

 私が、怒りで、全身を震わせると、ヤンの背後から、小さな娘が現れた…

 「…矢田ちゃん…元気…」

 3歳ぐらいの娘が、聞く…

 「…元気さ…」

 私は、反射的に、言った…

 言いながら、この娘は? と、考え込んだ…

 たしか、この娘は?…

 私が、細い目を、さらに、細めて、考え込んでいると、

 「…マリア…」

 と、バニラが叫んだ…

 「…どうして、ここに来たの?…」

 「…リンダ…いえ、ヤンさんが連れてきて、くれたの…」

 マリアが言う…

 「…それより、矢田ちゃん…遊んで、遊んで…」

 マリアが、私の傍に寄って来た…

 すると、バニラの態度が一変した…

 「…お姉さん…申し訳ありませんでした…」

 と、まるで、土下座せんばかりに、私に頭を下げた…

 「…マリアと遊んでやって下さい…」

 平身低頭だった…

 私は、思わず、リンダ=ヤンを見た…

 リンダ=ヤンが笑っていた…

 そういうことか?と、私は、気付いた…

 ここに、バニラが、来ていて、私と争っているに違いないと、リンダは、思ったに違いない…

 だから、マリアを連れてきた…

 バニラの娘…マリアを連れてきた…

 マリアが、私を好きなことを、知っているからだ…

 「…矢田ちゃん…遊ぼ…」

 と、デスクの椅子に座ったままの私に近寄って来た…

 そして、モニターに映った、リンダの顔を眺めた…

 「…これ…リンダのお姉さん? …ううん、違う…そっくりさん…」

 マリアが呟いた…

 私とバニラは思わず、互いに顔を見合わせた…

 「…まさか、マリアが一瞬で気付くとは?…」

 バニラが苦笑する…

 「…子供は純真…それゆえ、鋭い…だから、一瞬で見破る…」

 バニラが告げる…

 「…そう…子供は、純真…純真だから、その人間の本性を容易に見抜く…邪悪な人間には、決して、近付かない…だから、お姉さんは、子供に好かれる…お姉さんは誰よりも純真で、善良だから…バニラ…それは、アナタも、わかってるはず…」

 リンダの説明に、バニラは、

 「…」

 と、無言だった…

 それから、一転、

 「…でも、やるわね…リンダ・ヘイワースの偽者を使って、婚約情報を流すなんて、想像もしていなかった…」

 と、リンダ=ヤンが、モニターに映った自分の偽者を見て、笑った…

 「…こんなこと、初めて…油断ができない…」

 リンダ=ヤンが、冗談めいて呟く…

 が、

 その言葉とは、裏腹にリンダの目が、怒っていた…

 初めて見る、リンダ・ヘイワースの青い目の怒りだった…

                

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み