第125話

文字数 4,455文字

 …ファラド?…

 …あの長身のイケメン…

 …あの長身で、浅黒い肌を持つ、イケメン…

 あのオスマン殿下の血の繋がった弟…

 あのオスマン殿下と、母親違いだが、血の繋がった、実の弟だった…

 それが、今、この保育園に、幼児を盾に立てこもっているとは?

 …うーむ…

 …まさに、まさか?…

 …まさに、まさかだ!…

 あのファラドは、イケメンだったが、極悪非道のイケメンだった…

 極悪非道のイケメンだったのだ…

 私は、それに、今さらながら、気付いた…

 同時に、

 …よかった!…

 と、ホッと、胸を撫で下ろした…

 私の大きな胸を、撫で下ろしたのだ…

 実を言うと、この矢田トモコは、密かに、あのファラドに恋していた…

 密かに、あのファラドに、憧れていたのだ…

 この矢田トモコ、35歳…

 実は、恋多き女だった(笑)…

 なんというか、惚れっぽい女だったのだ…

 あのファラドを見たとき、一目で、私は、好きになった…

 あの、アラブ人特有の浅黒い褐色の肌に憧れたのだ…

 それが、実は、犯罪者…

 このセレブの保育園に通う、園児を盾に立てこもる犯罪者とは?

 うーむ…

 手を出さんで、よかった…

 しみじみと、思った…

 まさか、犯罪者と、親しい関係になることは、できん…

 犯罪者と、不倫を、することは、できんのだ…

 当たり前だ…

 私の脳内では、不倫をする、数歩前だったが、実は、現実では、なにも、なかった…

 なかったのだ!

 それを、考えると、

 …良かった…

 しみじみと、思った…

 もう、何度目か、わからないほど、しみじみと、思ったのだ…

 が、

 当然ながら、隣の葉敬は、動揺していた…

 当たり前だが、ファラドが、このセレブの保育園の園児たちを人質に、取って、立てこもっているのだ…

 その人質に取られた園児たちの中には、マリアもいるのだ…

 葉敬の一人娘のマリアもいるのだ…

 動揺しないわけが、なかった…

 「…それで、犯人の要求は?…」

 葉敬が、血相を変えて、警察官に、詰め寄った…

 「…一体、犯人は、なにを、要求しているんですか?…」

 「…それが…」

 「…それが?…」

 「…よく、わからんのです…」

 「…よく、わからない?…」

 「…ハイ…」

 「…どういうことですか?…」

 「…犯人は、具体的な要求は、なに一つしてこないのです…」

 「…」

 「…もっと、ハッキリ言えば、愉快犯というか…もしかしたら、このセレブの保育園で、園児を人質に取っているのを、楽しんでいるのかも、しれない…」

 「…楽しむ? …それは、一体?…」

 「…このセレブの保育園に通う園児たちは、皆、親が、お金持ちです…しかも、そんじょそこらのお金持ちとは、わけが、違う…世界のお金持ちで、今、偶然、日本に滞在するひとたちが、この保育園に、子供を預けている…そんなお金持ちの子弟が、多く通っています…」

 「…」

 「…だから、ワールドワイドというか…失礼ですが、アナタも、どこか、大きな会社のお偉いさんか、なにかですか?…」

 「…台湾で、会社を経営しています…」

 「…台湾で…失礼ですが、なんという会社ですか?…」

 「…台北筆頭という会社です…」

 「…台北筆頭? たしか…どこかで、聞いたことのある名前ですが…」

 「…日本のクールの親会社です…」

 私は、すかさず、言った…

 「…日本のクール? …あの大企業の? …そう言えば、数年前に経営危機に陥って、台湾の会社に買収されたんだっけ…」

 警察官が、思い出したように、呟く…

 「…それで、アナタは?…」

 と、私に向かって聞いた…

 だから、私は、私の大きな胸を、張り上げ、

 「…クールの社長夫人です…」

 と、言った…

 すると、なぜだか、その警察官が、

 「…ウソッ!…」

 と、言わんばかりの怪訝な視線を、私に向けた…

 が、

 さすがに、

 「…ウソッ!…」

 とは、言わんかった…

 ただ、怪訝な表情で、

 「…アナタが?…」

 と、だけ、言った…

 すると、葉敬が、

 「…間違いありません…私の息子の妻です…」

 と、私の身分を説明した…

 すると、その警察官が、私と葉敬の二人を、交互に、ジロジロと見た…

 イマイチ、納得できん、表情だった…

 だから、頭に来た、私は、

 「…私たちの身分に、疑問が、あるなら、今すぐ、警察の本部に、問い合わせて、みれば、いいでしょ?…」

 と、怒った…

 それから、

 「…いえ、スマホで、検索すればいい…台北筆頭と、検索すれば、お義父さんの顔写真があるはずだから…」

 と、付け足した…

 が、

 さすがに、私のいう通りには、せんかった…

 できんかったのだろう…

 難しい顔をして、考え込んでいた…

 すると、別の若いスーツを着た、私と同世代の女が、

 「…大滝さん…」

 と、言って、駆け寄って来た…

 それから、いきなり、私を見て、

 「…35歳のシンデレラ?…」

 と、声を上げた…

 唖然とした表情だった…

 それを見た葉敬が、

 「…お姉さんを知っているんですか?…」

 と、聞いた…

 「…いえ…以前、テレビで、見たので…」

 と、その女が、答えた…

 「…テレビで?…」

 と、葉敬…

 「…だって、こう言っては、失礼ですが、35歳で、台湾の大企業の御曹司と、結婚するなんて、女の夢ですよ…しかも、胸が大きいだけで、何の取り柄もない、平凡な女が、ですよ…」

 …胸が、大きいだけで、なんの取り柄もない、平凡な女?…

 なんて、言い草だ…

 なんだ?

 この女!

 私にケンカを売っているのか?

 私は、思った…

 ケンカなら、買ってやるさ!…

 私は、思った…

 私は、怒った…

 激怒した…

 そして、激怒した理由は、悪口を言われたからではない…

 本当のことを、言われたからだ(涙)…

 いわば、痛いところを、突かれたのだ…

 本当のことを、言われたから、頭に来た…

 だから、なにか、一言、この女に、言ってやらんと、私の腹の虫が、治まらんかった…

 だから、なにか、言おうとすると、

 「…そうか、思い出した…」

 と、その警察官も、声を出した…

 「…実は、オレも、どこかで、見た顔だと思ったんだ…」

 と、言い出した…

 「…木原…オマエが、今、胸が大きいと、言って、思い出したよ…」

 と、スーツを着た警察官が、言う…

 「…でも、オレは、オマエと違って、男だから、胸を見ることが、できないから、わざと、見ないようにしていたんだ…だから、思い出せなかった…」

 と、大滝と言われた警察官が、言った…

 私は、頭に来たが、なにも、言わなかった…

 隣に葉敬がいることも、あるが、それよりも、マリアだ…

 マリアが人質になっているのだ…

 ここは、私が怒るところでは、なかったということだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…で、どうする、おつもりですか?…」

 と、葉敬が、二人に、聞いた…

 「…どうするおつもりかと、言うと?…」

 大滝と言われたスーツを着た警察官が、葉敬に、問い返した…

 「…子供たちのことです…その…ファラドは、子供たちを人質に取って、この保育園に、立てこもっているんでしょ?…」

 「…その通りです…」

 「…だったら、犯人の要求を聞いて、一刻も早く、子供たちを、解放させて下さい…」

 葉敬が、イライラした調子で、言った…

 無理もない…

 自分の娘が、人質に、取られているのだ…

 娘のマリアが、人質に、取られているのだ…

 イライラするのは、当たり前だった…

 それでなくても、この葉敬は、せっかち…

 せっかちだった…

 それは、さっき、この矢田と、いっしょに、あのファミレスで、食事したときに、わかった…

 この葉敬は、メニューを決めるのも、食べるのも、速かった…

 速かったのだ…

 そして、それは、この矢田トモコと、同じ…

 同じだった…

 この矢田も、同じ…

 何事も、即断即決…

 おまけに、食事も速かった…

 食べるのも、速かった…

 まさに、二人は、似た者同士…

 似た者同士の親子だった…

 血は、繋がってないが、似た者同士の親子だった(笑)…

 そんなことを、思っていると、

 「…ですから、犯人の要求が、わからないんです…」

 と、木原と呼ばれた、私と同世代の女の警察官が、口を挟んだ…

 「…要求が、わからない?…」

 と、葉敬が、繰り返す…

 「…そうです…だから、愉快犯かも、しれないと、我々は、考えているんです…」

 と、木原と言われた、女警察官が、さっき、この大滝が、言った、同じセリフを、言った…

 「…愉快犯?…」

 「…そうです…だから、犯人は、確固たる目的もなく、ただ、子供たちを、人質に取ることを、目的として、周囲の人間たちが、騒ぐのを、楽しんで、見ているのかなと…」

 「…」

 「…そして、それが、目的なら、こちらも、どうして、いいか、わからない…」

 「…どうして、わからないんですか?…」

 「…だって、もしも、この状況を楽しんでいるならば、こちらも、手の打ちようが、ないでしょ?…」

 至極、当たり前の話だった…

 要するに、ファラドが、このセレブの保育園に、立てこもっている…

 その狙いは、間違いなく、殿下…

 あのオスマン殿下にある…

 それを、この警察は、まだ掴んでないのだろう…

 私は、思った…

 が、

 それを、私の口から、言うことは、できん…

 オスマン殿下の存在は、トップ・シークレット…

 サウジのトップ・シークレットに、他ならないからだ…

 それを、この矢田が、口に出すことなど、できるはずもなかった…

 なかったのだ…

 そして、そんなことを、考えながら、ふと、周囲を見た…

 このセレブの保育園の周囲を見た…

 すると、屈強な体格を持った男たちが、多数いて、このセレブの保育園を、囲んでいることが、わかった…

 普通ならば、機動隊を動員して、このセレブの保育園を囲みたいところだが、それが、できないのだろう…

 なにしろ、ファラドは、アラブの王族だ…

 サウジの王族だ…

 それが、犯人だから、下手に、機動隊で、このセレブの保育園を囲んで、大捕り物にでも、なれば、大変…

 外交問題になりかねない…

 下手をすれば、日本に石油が入って来なくなるかも、しれん…

 ガソリンが、入って来なくなるかも、しれん…

 この日本は、石油やガソリンを、サウジアラビアだけに、頼っているわけではないだろうが、かなりの部分を依存しているのは、間違いはない…

 だから、困るのだ…

 サウジの機嫌を損ねては、困るのだ…

 だから、ファラドに、遠慮しなければ、ならんのだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 そして、私が、そんなことを、考えていると、

 「…なんですか、この騒ぎは?…」

 と、いう声が、近くでした…

 「…なにか、あったのですか?…」

 言葉は、丁寧だが、声は、若い…

 いや、幼い…

 甲高い…

 子供の声だった…

 私は、その声に、聞き覚えがあった…

 …まさか?…

 と、思いながら、その声のする方向を見た…

 と、

 そこには、やはりというか…

オスマン殿下の姿があった…

 浅黒い肌をした、3歳の幼児の姿があった…

               
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