第26話

文字数 5,678文字

 …ファラド王子か…

 …この矢田トモコの相手にとって、不足はないさ…

 十分に、恋の相手にふさわしい…

 私は、思った…

 長身で、精悍な顔…

 ずばり、野性的で、男らしい…

 まさに、アラブの王子だ…

 私は、モニターに映った姿を見て、思った…

 もう少しで、よだれが、落ちる寸前だった…

 …いい男だ…

 私は、思ったのだ…

 私が、そんなことを、思っていると、突然、葉尊が、現れた…

 夫の葉尊が、現れたのだ…

 「…お姉さん…どうしたんですか?…」

 「…なんでもない…なんでもないさ…」

 と、慌てて、パソコンのモニターのスイッチを切った…

 「…なんでもないって?…」

 「…私が、なんでもないといったら、なんでもないのさ…」

 私は、力強く、言った…

 「…でも…」

 葉尊が言う…

 「…葉尊…オマエは、私が、信じられないのか?…」

 「…」

 「…夫が妻を信じられなくなったら、おしまいだゾ…」

 私は、力強く言った…

 言い切った…

 「…スイマセン…」

 「…わかれば、いいのさ…」

 私は、葉尊を許した…

 そして、葉尊は、部屋から去った…

 私は、葉尊が部屋を去ったのを、見届けた後、再び、パソコンのモニターのスイッチを入れ、ファラド王子を見た…

 もはや、私の恋する心を止めることは、不可能…

 できんかった…

 私は、つい、モニターを見つめながら、私の細い目を閉じ、モニターの中のファラド王子と、キスするべく、口を突き出した…

 私の大きな口が、ファラド王子とキスをする…

 そんな気分だった…

 すると、

 「…お姉さん…」

 と、いう声がした…

 私が、驚いて見ると、葉尊が立っていた…

 部屋を出て行ったはずの葉尊が立っていたのだ…

 「…葉尊…オマエ…」

 私が、驚いて言うと、

 「…お姉さん…」

 と、葉尊が言って、今にも、涙を流しそうな、悲しい表情をしていた…

 「…まさか、お姉さんが、そんな…」

 私は、どう言っていいか、わからなかった…

 私のカラダが固まった…

 身長159センチのカラダが、固まった…

 「…葉尊…冗談だ…これは、冗談だ…」

 私は、必死になって、言い訳をした…

 「…ただ、モニターの中のファラド王子にキスをする真似をしただけだ…」

 「…」

 「…これは、現実じゃない…あくまで、モニターの中だけだ…」

 私は、なおも、必死になって、言い訳する…

 が、

 夫の悲しそうな顔は、変わらなかった…
 
 私は、どうして、いいか、わからなかった…

 絶体絶命だった…

 
 と、

 そこで、目が覚めた…

 私の、細い目が開いた…

 これは、夢だった…

 現実では、なかった…

 私は、あたりを見回して、これが、夢であったことに、気付いた…

 確信した…

 …夢で、良かった…

 つくづく、思った…

 自分で、言うのも、なんだが、葉尊を裏切ることはできない…

 その一方、恋する気持ちを止めることは、できんかった…

 あのファラド王子の精悍な顔を、一目見たときから、私は、恋に落ちた…

 恋に、落ちたのだ…

 自分でも、マズいと思うが、恋する気持ちを止めることは、できんかった…

 キスはともかく、実物のファラド王子を見てみたい…

 否が応でも、そんな気持ちが高まった…

 だから、私は、家で、夫の葉尊と食事をしながら、

 「…葉尊…」

 と、言った…

 「…なんですか、お姉さん…」

 「…今度のクールが、来日するアラブの王族を接待する件だが、私は、どうしたらいい?…」

 「…どういう意味ですか? …お姉さん?…」

 「…やはり、日本女性らしく、着物で、接待するのが、いいと思うか…」

 私の質問に、葉尊が、考え込んだ…

 深刻な表情になった…

 「…どうした? 葉尊?…」

 私は、心配になった…

 まさか、この程度の質問で、夫の葉尊が、悩むとは、思わなかったからだ…

 悩んだ表情の挙句、

 「…ボクの一存では、決められません…」

 と、葉尊が、答えた…

 「…オマエの一存では決められない…どうういうことだ? …だったら、お父さんの葉敬に聞けばいいのか?…」

 「…いえ、そういう問題では…」

 葉尊が、苦渋に満ちた表情で、答える…

 「…どういうことだ?…」

 「…スーパージャパンの矢口女史…」

 葉尊が、意外な名前を口にした…

 「…矢口のお嬢様?…」

 私は、素っ頓狂な声を上げた…

 …そうだ…

 …矢口のお嬢様だ…

 すっかり、忘れていた…

 「…あの矢口のお嬢様が、どうかしたのか?…」

 「…いらっしゃるんです…」

 「…なんだと?…」

 「…アラブの王族を接待するパーティーに、あの矢口女史も参加するんです…」

 葉尊が、言った…

 私は、思わず、

 「…」

 と、言葉を失った…

 私の記憶の中の悪夢が蘇ったのだ…

 以前、私は、あのお嬢様の身代わりで、結婚式を挙げたことがあった…

 なんと、あのお嬢様…

 自分の父親の経営する安売りスーパー、スーパージャパンの提携に際して、重役たちが、反対するのを知って、それから、逃れるべく、自分の結婚式を隠れ蓑にして、その間に、他社と契約した過去がある…

 私とお嬢様は、外観が、瓜二つ…

 一見すると、同じ人間に見える…

 よく見比べると、私の方が、若干、背が高いが、それは、二人を、ジッと見比べたから…言えること…

 誰が、見ても、双子…

 一卵性双生児に見える…

 それほど、似ている…

 経営が悪化したスーパージャパンの再建策を巡って、重役を含めて、経営陣にさまざまな意見が、出て、衝突した…

その結果、再建策が、まとまらなかった…

 あの矢口のお嬢様は、その状況を強行突破するべく、こともあろうに、自分の結婚式を舞台に、他社と契約しようとしたのだ…

 普通にすれば、重役たちが、反対する…

 契約書に署名捺印が、できない可能性が高かった…

 それゆえ、私をおとりにしようとした…

 つまりは、同じ顔を持つ、二人が、同時に結婚式を挙げる…

 だから、どちらが、本物だか、わからない…

 たとえ、重役たちが、お嬢様の狙いに気付いて、契約を阻止しようとしても、どっちの結婚式に、侵入して、やめさせるのか、判断に迷うからだ…

 正解は、二つに一つ…

 確率は、二分の一…

 ちょうど、その昔、オウム真理教の麻原彰晃こと、松本智津夫を乗せた、護送車が、二台、並走するのと、同じだった…

 仮に、オウムの信者が、教祖の麻原彰晃を奪還しようとしても、どちらの護送車に、麻原彰晃が、乗っているか、わからない…

 それと、同じだ…

 つまり、策士…

 あのお嬢様は、とんでもない策士だった…

 私は、それを、思い出した…

 私が、それを思い出していると、

 「…お姉さんが、着物を着るのは、構わないのですが、下手をすると、あの矢口女史と、かぶる可能性があります…」

 と、夫の葉尊が説明した…
 
 「…かぶるだと?」

 「…ハイ…同じパーティーに出席して、女性が、服がかぶるのは、避けたいものです…男は、スーツなり、タキシードなりが、大半ですが、女性は、違います…ピンクの服を着て、出席すれば、同じピンクの服を着て、出席する女性を見れば、嫌な気持ちになります…まして、お姉さんと、あの矢口女史は、外観が、瓜二つです…」

 葉尊の説明に、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 あの矢口のお嬢様の存在をすっかり忘れていたからだ…

 「…ですから、お姉さんが、当日、なにをお召しになるかは、事前に、あの矢口女史と話し合えば、いいと思います…そうすれば、衣装は、かぶらないです…」

 …たしかに、夫の葉尊の言う通りだが、あの矢口のお嬢様は、手ごわいというか…

 そもそも、なにを考えているか、わからない(笑)…

 今回の、クールが、主催する、アラブの王族の接待でも、ハラールというイスラム教徒の食べる食品を、自分の経営するスーパーに並べるためと、夫の葉尊の前で、公言したが、それが、本当かどうかは、眉唾物だ…

 本当か、どうか、さっぱり、わからない…

 まったくのウソとは、思えないが、口実の可能性がある…

 本当の目的は、別の可能性があるからだ…

 あのお嬢様は、食えん!…

 食えんのだ!…

 まったく、信用できんのだ!…

 私は、今にも、夫の葉尊の前で、叫び出しそうだった…

 あの女は、食えん女だ!

 信用しては、ダメだ!

 そう、叫び出したい気持ちだった…

 が、

 ふと、気付いた…

 今、葉尊が、言った、服がかぶる利点について、考えたのだ…

 何度も言うように、私と、矢口のお嬢様は、外観が瓜二つ…

 ビックリするほど、似ている…

 まして、服が、かぶれば、どっちが、どっちだか、わからない…

 どっちが、クールの社長夫人の矢田トモコで、どっちが、スーパージャパン、ご令嬢の矢口トモコだか、わからないに違いない…

 つまり、これを利用しない手はない…

 なにに利用するかと言えば、あのリンダとバニラを陥れるのに、利用するのだ…

 あのリンダと、バニラは、この矢田トモコを舐め切っている…

 今日、昼間の、あの一件で、わかった…

 確信した…

 あのバカなバニラは、ともかく、リンダもまた、私を、コケにするとは、思わんかった(激怒)…

 私は、リンダを信頼していた…

 心の底から、信頼していた…

 親友だと思っていた…

が、

 それは、一方的な私の思い込みだった…

 実際は、あのリンダは、心の中では、この矢田トモコを、見下していたのだ…

 今日の昼間の一件で、それが、わかった…

 わかったのだ(激怒)…

 私を見下していなければ、リンダ・ヘイワースのパンティーを、真っ赤なドレスの代わりに、オークションに出品すればいいなどと、言うはずがない…

 私は、リンダに裏切られたのだ(激怒)…

 おのれ、リンダ・ヘイワース!…

 おのれ!

 ただでは、すまさんゾ…

 この屈辱は、忘れん!

 忘れんゾ…

 今に見ていろ!

 クールが、アラブの王子を接待するパーティーで、赤っ恥をかかせてやる…

 私は、心に誓った…

 私は、自分が、わかっている…

 自分の能力がわかっている…

 その能力の限界もわかっている…

 なにを、言いたいかと、いえば、私の能力では、どうあがいても、あのリンダや、バカなバニラには、対抗できないと、いうことを、だ…

 対抗どころか、まるっきり、歯が立たないに決まっている…

 が、

 それは、あくまで、私一人の力…

 この矢田トモコ、一人の力の場合だ…

 つまり、なにを言いたいかといえば、この矢田トモコの復讐に、あの矢口のお嬢様を、巻き込めばいい…

 あの策士のお嬢様を、巻き込めばいい…

 何度も言うように、この矢田トモコとあの矢口のお嬢様は、瓜二つ…

 どっちが、どっちか、わからない…

 それが、同じ、パーティーに出席するのだ…

 つまりは、誰もが、間違える可能性があるということだ(笑)…

 ということは、どうだ?

 あのリンダと、バカなバニラが、私とお嬢様をパーティーで、間違える…

 二人は、恥をかくし、なにより、あのお嬢様が、激怒するに違いない…

 お嬢様は、限りなくプライドが高い…

 東大を出ている…

 あの日本で、一番、頭のいい大学を、だ…

 だから、私と、間違えることなど、許せないに違いない…

 このソニー学園卒の矢田トモコと、間違えられることなど、許せないに違いない…

 そして、リンダとバニラが、あのお嬢様と、私を間違えれば、葉尊の実父の葉敬も激怒するだろう…

 葉敬は、商売人…

 今は、クールは、スーパージャパンと取引がないかもしれないが、スーパージャパンの代表の顔に泥を塗ることは、限りない失態だ…

 同じ土俵の上に立つ、経済人の顔に泥を塗ることは、将来的に、禍根を残す可能性が高い…

 要するに、平たくいえば、矢口のお嬢様の顔に泥を塗って、悪いことは、いっぱいあるが、なに一つ、いいことはないということだ(笑)…

 その結果、あのリンダとバニラは、お父さんに叱責される…

 叱られる…

 私は、それを、笑みを抑えながら、近くで、見ることになる…

 そして、お父さんに叱られて、落ち込んだ二人に、

 「…ざまあみろ!…」

 と、罵声を浴びせるのだ…

 もちろん、それは、お父さんが、いなくなってから…

 お父さんに、この矢田トモコの裏の顔を知られたから、困るからだ…

 そして、リンダとバニラは、私の力を知ることになる…

 私が、うまく、私と、あの矢口のお嬢様を、間違いさせたことで、あの二人は、葉敬から、叱られるからだ…

 それを、考えると、むしろ、クールのパーティーでは、私と矢口のお嬢様は、同じ服を着るのが、都合が良い…

 まったく、同じ服というのは、ありえないが、周囲が間違いやすいような、似たような色の服を、あえて着るのが、ベストだ…

 その方が、都合が良い…

 とにかく、どんな手を使っても、あのリンダとバニラを陥れることができれば、ベスト…

 文句はない!

 あの二人が、クールの主催したパーティーで、恥をかき、葉敬に叱られれば、私は、満足…

 大満足だ…

 これ以上ないほど、気分が、いい…

 きっと、これまで、生きてきた35年の中で、一番気分がいいに違いない…

 私は、それを達成した日には、チューハイを浴びるほど、飲んで、祝勝するさ…

 あのリンダとバニラを陥れたことに、乾杯さ…

 あの二人に、完敗ではない…

 あの二人に、勝って、乾杯するのだ!…

 そう、私は、心に誓った…

 絶対、クールが、主催したパーティーで、リンダとバニラを陥れて見せる…

 恥をかかせて見せる…

 固く、心に、誓った…

 この矢田トモコを舐め切った真似をすると、どうなるか、思い知らせてやるさ…

 それを、考えると、この矢田の鼻息が、荒くなった…

 鼻の穴から、漏れる息が、まるで、昔の蒸気機関車が、勢いよく煙を吐くように、荒くなった…

 勢いよく、鼻息が漏れる…

 それは、まるで、私の心の叫びだった…

 雄たけびだった…

 なんとしても、あのリンダとバニラに私の力を見せつけてやる!…

 どんなことをしても、あの二人を、私の足元に、屈服させてみせるさ!

 私は、固く心に誓った…

 もう、何度目だか、わからないほど、固く、心に誓った…

                
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