第54話

文字数 6,026文字

 「…あ…矢田ちゃん…こんにちは…」

 私に会うなり、マリアが、言った…

 ニコニコと、笑った…

 隣にいる、バニラが、

 「…ホントに、マリアは、お姉さんが好きで…」

 と、目を細めた…

 「…今日も、お姉さんに会いに行くと、言ったら、すごく喜んで…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 私は、なぜか、わからんが、子供に好かれる…

 マリアも例外ではない…

 今日は、バニラが、娘のマリアを連れて、私の家に、遊びに来たのだった…

 「…矢田ちゃん…遊ぼ…」

 マリアが声をかけてきた…

 「…マリア…遊んでやるさ…」

 と、私が言うと、マリアが嬉しそうに、私に抱き着いてきた…

 私は、そんなマリアを抱き上げた…

 「…マリア…大きくなったな…この前、抱き上げたときは、もっと、軽かったゾ…」

 私が言うと、バニラが、

 「…ホント、マリアは、食べものの好き嫌いがなくて、食欲旺盛で…」

 と、目を細めた…

 そして、

 「…お姉さん…」

 と、声をかけた…

 「…今度、マリアの通う保育園に来てくれませんか?…」

 「…保育園だと?…」

 「…ハイ…」

 「…この前、オマエに頼まれて、保育園に、あのオスマンとか、いう、生意気なガキを見に行ったが…」

 「…そのオスマンです…」

 「…オスマンが、どうか、したのか?…」

 「…今度、保育園で、お遊戯大会というか…園児の両親を含めて、体育祭じゃないですが、園児と、両親が、いっしょになって、楽しむイベントがあるんです…」

 「…イベント? …それが、どうか、したのか?…」

 「…お姉さんに、ぜひ出てもらいたいんです…」

 「…私が?…」

 「…ハイ…」

 「…なぜ、マリアの母親である、オマエが出ない?…」

 言いながら、バニラが、マリアのお遊戯大会に出れるわけがないと、私も気付いた…

 まだ、23歳のバニラは、モデルの全盛期…

 しかも、バニラ…バニラ・ルインスキーは、
世界中に知られた、有名なモデルだ…

 だから、知名度は、抜群…

 それは、この日本でも、知らないひとは、知らないが、知っているものは、一目見れば、バニラ・ルインスキーだと、わかる…

 そのバニラが、実は、子持ちで、マリアの母親であることが、バレては、困る…

 バレては、マリアの仕事に差し支えるということだ…

 私は、今さらながら、その事実に気付いた…

 そして、私の腕の中にいる、マリアを見た…

 「…バニラ…だったら、マリアは、どう思うんだ?…」

 「…マリアですか?…」

 「…そうさ…私が、そのお遊戯大会に行くのは、いいさ…でも、マリアは、どうなんだ? …マリアの気持ちは、どうなんだ? …母親である、オマエの代わりに、私が、行って、構わないのか?…」

 「…それは、全然、OKだそうです…」

 「…OKだと?…」

 私は、私の腕の中にいる、マリアに、

 「…そうなのか? …私が、バニラの代わりに、マリアのお遊戯大会に、行っても、構わないのか?…」

 と、聞いた…

 すると、

 「…うん…矢田ちゃんなら、構わないよ…」

 と、あっけなく、マリアが答えた…

 「…私なら、OK? …でも、ホントは、母親のバニラに来てもらいたいんだろ?…」

 「…別に…矢田ちゃんが、来てくれるなら、構わない…」

 「構わないだと?…」

 マリアの返答に、驚いたが、それ以上に、驚いたのは、マリアの体重だ…

 159㎝の私には、重すぎて、いつまでも、持ち上げていることは、できんかった…

 だから、

 「…マリア…降ろすゾ…」

 と、言って、床に、降ろした…

 「…マリア…成長し過ぎさ…」

 私が、言うと、バニラが、嬉しそうに、

 「…ホント…お姉さんの言う通り…」

 と、頬を緩めた…

 「…で、そのお遊戯大会って、一体、具体的には、なにをするんだ?…」

 「…それは、私にも、わかりません…」

 「…わからないだと?…」

 私が、言うと、

 「…矢田ちゃん…それは、パパやママと、私たちが、いっしょになって、ダンスを踊ったりするんだよ…」

 と、マリアが口を挟んだ…

 「…ダンスだと?…」

 私は、驚いた…

 イマドキの、保育園は、3歳で、ダンスを踊るのか?

 私は、唖然とした…

 じ、時代が、違う…

 この矢田トモコが、生まれたときとは、時代が、違う…

 そう思わざるを得なかった…

 すると、

 「…お姉さん…ダンスは?…」

 と、遠慮がちに、バニラが、聞いた…

 「…できるさ…それは、オマエも知ってるだろ?…」

 以前、クールの大運動会で、私は、このバニラとリンダの前で、華麗にダンスを踊って見せた…

 華麗にステップを踏んで見せた…

 私は、それを言ったのだ…

 「…たしかに…」

 バニラが、苦笑した…

 バニラも、そのときの光景を思い出したらしい…

 「…私は、なんでも、できる女さ…」

 私は、大きく胸を張って、断言した…

 私の大きな胸をさらに、大きく、前に突き出したのだ…

 「…おまけに、スポーツ万能さ…私に任せておけ…」

 私は、自信たっぷりに、言った…

 すると、なぜか、バニラが、不安そうな表情になった…

 だから、

 「…どうした? …なにか、不安があるのか?…」

 と、聞いた…

 「…いえ…」

 バニラが小さく呟いた…

 「…おかしなヤツだ…この私が、わざわざ、オマエの代わりに、出向いて、やるんだ…なにを心配する必要がある…大船に乗った気でいれば、いいさ…」

 私は、そう言って、私の大きな胸をポンと叩いた…

 すると、私の胸が大きく揺れた…

 と、

 そのときだった…

 「…そのお遊戯大会ですが…」

 と、バニラが、続けた…

 「…なんだ?…」

 「…今回、スポンサーというか…」

 「…スポンサーだと? たかだか、保育園のお遊戯大会にスポンサーがいるのか?…」

 言いながら、それは、あり得るかも? と、思った…

 なにしろ、セレブの保育園だ…

 金持ちの子弟の集まる保育園だ…

 きっと、なにから、なにまで、やることが、派手に決まっている…

 だから、スポンサーが、必要なのかもしれない…

 私は、思った…

 が、

 違った…

 「…いえ、話によると、ホントは、保育園の側では、そこまで、しなくてもいいと、言ったらしいんですが、強引に、スポンサーというか、まあ、実質的には、お遊戯大会で、配る、お菓子の手配とかですが…」

 「…お菓子の手配?…」

 なんだか、いきなり話が、小さくなってきたというか…

 随分、庶民的になってきたような…

 私が、そう考えていると、

 「…そのスポンサーの方が、いや、ウチには、売るほど、お菓子が溢れていると、言って…」

 「…売るほど、お菓子が溢れているだと?…そのスパンサーは、店でも開いているの
か? …」

 私がバニラに聞いた、そのとき、マリアが、

 「…スーパージャパンだよ…矢田ちゃん…」

 と、いきなり、口を出した…

 「…スーパージャパンだと?…」

 「…矢田ちゃん…知らないの? テレビで、CMが、流れてる…」

 マリアが説明したが、私は、すでに、その説明を聞いてなかった…

 突然、胸の鼓動が、高まった…

 急に、ドキドキと、動悸が激しくなった…

 スーパージャパン…

 聞きたくない名前だった…

 いや、

 当然、知ってはいる…

 なにしろ、あの矢口のお嬢様の会社だ…

 この矢田トモコの天敵の、矢口トモコの会社だ…

 天敵とは、言ったが、もちろん、互角ではない…

 すでに、本当のところは、社会的地位は、この矢田が上だが、なぜか、会うと、違った…

 違ったのだ…

 つい、

「…お嬢様…」

と、ヨイショしてしまうのだ(涙)…

この矢田の弱さだった…

人間的な弱さだった…

弱さに、他ならなかった…

そんな私の様子に気付いたのだろう…

「…お姉さん…どうかしたの?…」

と、バニラが聞いた…

私には、どうかどころの話ではなかった…

すでに、頭の中が、パニック…

パニックだった…

だから、突然、

「…お嬢様は来るのか?…」

と、大声を出した…

突然の大声に、バニラもマリアも、目を丸くした…

「…どうしたの? …お姉さん…一体?…」

バニラが、聞いた…

「…矢口のお嬢様さ…」

私は、大声を出した…

「…バニラ…オマエも知っているはずさ…私そっくりの女…」

「…お姉さん…それが、どうかしたの?…」

「…どうかしたのじゃないさ…スーパージャパンは、あの矢口のお嬢様が、社長を務める会社さ…」

「…そう言われてみれば、たしかに、そうだったような…」

「…あの抜け目のない、お嬢様さ…きっと、どうやって、調べたか、わからないが、オスマンのことを知ったに違いないさ…」

「…オスマンのこと…」

「…そうさ…オスマンの近くには、あのファラドもいる…はっきり言えば、クールが仕切るファラドの歓迎パーティーよりも、マリアの通う、保育園のお遊戯大会の方が、大切なのさ…」

「…どうして、大切なの?…」

「…バカ…考えてもみろ…クールが主催するパーティーは、一流ホテルで、軽く、千人は、超える人間が、集まるだろ?…」

「…ええ…」

「…それに比べ、セレブの保育園では、園児は、50人とか、そこらだろ? …だったら、そのセレブの保育園で、開かれるお遊戯大会に参加するほうが、よっぽど、オスマンやファラドにお近づきになれるさ…」

私が、説明すると、

「…たしかに…」

と、バニラも相槌を打った…

「…抜け目のない…実に、抜け目のない女さ…」

私は、言った…

言いながら、冷や汗が出た…

この矢田の背中に、冷や汗が流れた…

まさか…

まさか、このタイミングで、あのお嬢様の名前が出るとは、思わなかった…

スーパージャパンの名前が出るとは、思わなかった…

矢口のお嬢様の名前が出るとは、思わなかったのだ…

私は、思わず、マリアの顔を見た…

「…申し訳ないが、私は、遠慮するさ…」

「…エーッ、矢田ちゃん、来ないの?…」

マリアが叫んだ…

「…行ってやりたい気持ちは、やまやまだが、あのお嬢様は、苦手さ…」

私が、言うと、そばにいる、バニラが、

「…そんな…」

と、不満を述べた…

「…バニラ…わかってくれ…私も行きたいのは、やまやまだが、あのお嬢様だけは、ダメなのさ…」

「…どうして、ダメなの?…」

「…そんなことは、わからんさ…」

「…わからんって?…」

「…とにかくダメなのさ…あのお嬢様を前にすると、私の膝がガクガク震えて、胸の動悸が激しくなるのさ…」

「…矢田ちゃんの胸が震えるの?…」

マリアが聞いた…

「…そうさ…」

私が、言うと、

「…矢田ちゃんの胸が震えるのを、見てみたい…」

と、マリアが言った…

「…なんだと?…」

「…だって、矢田ちゃん…いつも、楽しそうなのに、今は、全然楽しそうじゃない…」

「…それは、そうさ…なにしろ、あの矢口のお嬢様が、やって来るのさ…楽しいわけはないさ…」

「…矢田ちゃん、そのお嬢様が嫌いなの?…」

「…嫌いじゃないさ…」

「…だったら、どうして?…」

「…苦手なだけさ…」

「…どうして、苦手なの?…」

「…私そっくりなのさ…」

「…矢田ちゃん、そっくりって?…」

「…私と同じ顔で、同じカラダを持っているのさ…まるで、姉妹のように似ているのさ…」

「…それって、矢田ちゃんが、もう一人、いるってこと?…」

「…そうさ…」

「…見てみたい…」

突然、マリアが言った…

「…見てみたいだと?…」

「…うん…矢田ちゃん、そっくりなひと、見てみたい…」

マリアが無邪気に言った…

私は、しまった、と思った…

マリアが見てみたいと思うのは、当たり前だった…

大人でも、目の前にいる人間とそっくりな人間がいると、知れば、見てみたいと思うのが、人情だ…

血を分けた、兄弟姉妹でも、そうだが、まして、他人だ…

血の繋がりのない、赤の他人だ…

その他人にも、かかわらず、そっくりな人間がいると、知れば、誰もが、見てみたいと思うに違いない…

ただ、マリアは、まだ子供だから、無邪気に、見てみたいと、口にしただけだ…

大人だって、見てみたいと思うのが、本音だ…

要は、思ったことを、口に出すか、出さないかの違いだけ…

 それだけだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…わかりました…お姉さん…」

 と、バニラが言った…

 「…そうか…わかってくれるか?…」

 私は、答えた…

 このバニラもようやく、私の言葉が、理解できるようになったか…

 ようやく、この矢田と、まともに会話ができるようになったか…

 と、喜んだ…

 が、それも、束の間、バニラが、

 「…これから、葉敬に、電話します…」

 と、いきなり、スマホを取り出した…

 「…お義父さんに?…」

 私は、驚いた…

 まさか…

 まさか…そんな手を使うとは?…

 卑怯!

 卑怯千万!

 「…オマエ…ルール違反だゾ…」

 私は、怒った…

 怒ったのだ…

 「…なにが、ルール違反なの?…」

 バニラが、血相を変えて、私に食ってかかった…

 「…だって、そうだろ? 子供のケンカに親が出ちゃ、いかん…」

 「…お姉さん…ルールなんて、ないの…お姉さんが、ただ、黙って、マリアの保育園に、行ってくれれば、いいの…」

 「…それは、無理さ…」

 「…どうして、無理なの?…」

 「…とにかく、あのお嬢様が、いると、無理なのさ…」

 私が、怒鳴った…

 すると、バニラが、

 「…やっぱり、葉敬に電話するしか、ないみたいね…」

 と、呟いた…

 私は、焦った…

 どうして、いいか、わからなかった…

 バニラが、スマホで、電話をするのを、止めなきゃならん…

 が、

 止めることは、できん…

 できんのだ(涙)…

 私が、どうして、いいか、悩んでいると、

 「…お遊戯会…パパも来るの?…」

 と、いきなり、マリアが言った…

 私とバニラは、驚いて、思わず、互いに、顔を見合わせた…

 「…だって、そのために、ママは、パパに電話するんでしょ?…」

 マリアが屈託なく言った…

 「…それは…」

 バニラの言葉が続かなかった…

 葉敬は、忙しい…

 それに、葉敬は、今、台湾の台北にいる…

 なにより、表に出していない、愛人の子供であるマリアのために、セレブの保育園に、顔を出すわけには、いかなかった…

 そんなことをすれば、もしかしたら、マリアが、葉敬の愛人の子供であることが、世間にバレる心配があるからだ…

 「…でしょ?…」

 マリアが、屈託なく、言った…

 それを見ると、マリアが可哀そうになった…

 葉敬は、目の中に入れても、痛くないほど、マリアを可愛がっているが、公に、マリアの元に、姿を現すことは、できない…

 愛人の子供を、連れて歩くことは、できないからだ…

 それを思うと、

 「…わかった…行ってやるさ…」

 と、なぜか、私は、口にしていた…

 「…お姉さん…」

 と、バニラが、呟いた…

 「…葉敬は…お義父さんは、マリアの元へは、来れない…それを思うと、マリアが不憫さ…だから、私でよければ、行ってやるさ…」

 私は、断言した…

 「…スイマセン…」

 バニラが、涙を流して、私に感謝した…

 が、

 ちっとも、嬉しくなかった…

 あの矢口のお嬢様の顔を思い出しただけで、私は、気が重くなった…

               
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