第103話

文字数 5,615文字

 矢口のお嬢様が、大きな口を開けて、笑う…

 私そっくりの顔で、大きな口を開けて、笑った…

 私は、正直、背筋が寒くなった…

 すると、

 「…矢田…そんな嬉しそうな顔をするな…」

 と、またも、皮肉を連発した…

 嫌みを連発した…

 が、

 もはや、私は、お嬢様の嫌みに、惑わされることは、なかった…

 すでに、このお嬢様の行動パターンは、読んでいる…

 6年前にも、煮え湯を飲まされた…

 そのときの、苦い思い出がある…

 だから、お嬢様の行動=嫌みに、惑わされることもなく、まずは、

 「…あったのですか?…」

 と、聞いた…

 「…なにが、あったんだ? …矢田?…」

 「…お嬢様、ごまかさないで、下さい…」

 「…ごまかす? アタシが?…」

 「…そうです…」

 私が、勢い込んで言うと、

 「…矢田…」

 と、矢口のお嬢様が、またも、ニヤリと、大きな口を開けて、笑った…

 「…あれば、アタシが、今、盗聴器を取り外して、手に持っているだろ?…」

 「…と言うことは、なかったんですね?…」

 「…そうだ…」

 お嬢様の言葉を聞いて、ホッとした…

 まさかとは、思うが、自宅に盗聴器が、仕掛けられたとあっては、堪ったものでは、ないからだ…

 が、

 私のそんな思いに、お嬢様は、冷や水を浴びせた…

 「…安心するのは、まだ早いゾ…矢田…」

 「…安心するのは、まだ早い?…」

 「…そうだ…」

 「…どうして、早いんですか?…」

 「…自宅に盗聴器を仕掛けるまでも、ないと、相手が、思ったかも、しれんからだ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…矢田…オマエに聞けば、いい…」

 「…私に?…」

 「…そうだ…」

 「…」

 どういう意味だ?…

 「…つまり、それほど、オマエの身近な人間をアタシは、疑っているということだ…」

 矢口トモコが、その大きな口を開けて、言った…

 だから、迷わず、私は、

 「…リンダですか? …バニラですか?…」

 と、聞いた…

 私の言葉に、

 「…どっちだと、思う?…」

 と、矢口のお嬢様が、からかうように、聞いた…

 「…リ、リンダだと、思います…」

 私は、すかさず、答えた…

 「…リンダさんか?…」

 矢口のお嬢様が、楽しそうに、言う…

 「…矢田…どうして、オマエは、リンダさんが、盗聴器を仕掛けたかも、しれんと、思うんだ?…」

 「…それは、リンダが、他人だからです…」

 「…他人? どうして、他人なんだ?…」

 「…バニラは、義父の…葉敬の愛人です…その子供のマリアは、夫の葉尊の血の繋がった妹です…だから、バニラは、一族です…他人じゃ、ありません…」

 「…そうか…」

 「…だから、私は、リンダが、盗聴器を仕掛けたと、思ったんです…」

 私が、言うと、矢口のお嬢様は、黙った…

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 それから、しばらくして、

 「…矢田…」

 と、私に、声をかけた…

 「…なんでしょうか?…」

 「…だが、リンダさんは、オスマン殿下のお気に入りだゾ…オスマン殿下のお気に入りのリンダさんが、どうして、オマエの家に、盗聴器を仕掛けねば、ならんのだ?…」

 「…それは…」

 そう、尋ねられると、答えに窮した…

 正直、答えが、見つからんかった…

 すると、

 「…矢田…オマエの言うことは、わかる…」

 と、矢口のお嬢様が、言った…

 「…たしかに、リンダさんと、バニラさんを比べれば、リンダさんを、疑うのは、わかる…」

 「…違うのですか?…」

 「…矢田…オマエは、バカか?…」

 「…バカ? …どうして、この矢田が、バカなのですか?…」

 「…考えてみろ! 今、ここで、盗聴器は見つかったか?…」

 「…いえ…」

 「…だったら、誰が仕掛けたも、なにも、ないだろ?…」

 矢口トモコが、笑った…

 もう何度目か、わからないが、その大きな口を開けて、笑った…

 その、大きな口を見ながら、ようやく、この矢田にも、この矢口トモコの狙いが、わかった…

 どうして、この矢口トモコが、盗聴器を仕掛けた犯人が、誰か、私に、聞いたのか、わかったのだ…

 要するに、カマをかけたのだ…

 私が、誰を疑っているのか、カマをかけたのだ…

 …食えない女だ…

 とっさに、思った…

 …煮ても焼いても食えない女だ…

 心の底から、思った…

 ひょっとすると、たった今、この盗聴器発見機を持って、わざわざ、私の住む部屋を、歩き回ったのも、演技かも、しれないと思った…

 わざと、この部屋に盗聴器が、仕掛けられていると、思わせるために、私の目の前で、そんな行動を取ったのかと、疑ったのだ…

 すると、今度は、このお嬢様の目的を考えた…

 わざわざ、この家に、突然、やって来た目的を考えた…

 当然、なにか、目的がある…

 当たり前のことだ…

 目的もなく、突然、この矢田の家に、やって来るはずが、ないからだ…

 一体、その目的は?

 考えた…

 すると、当然ながら、あのセレブの保育園での、ことを、思った…

 あのとき、この矢口のお嬢様は、セレブの保育園で、園児たちに、お菓子を配った…

 当たり前だが、事前に、あのセレブの保育園の関係者に、お菓子を配ることを、提案し、了承を得たに違いなかった…

 あのAKBの恋するフォーチュンクッキーを、踊ることも、そうだ…

 セレブの保育園の関係者に、了承を得ずして、あんな真似は、できるわけがなかった…

 ということは、だ?

 一体、誰に、このお嬢様は、セレブの保育園の関係者に、会えるように、橋渡しをして、もらったか、だ…

 セッティングをしてもらったか、だ…

 私は、それに、気付いた…

 当たり前だが、いきなり、あのセレブの保育園に電話をかけて、今度、園児たちと、お遊戯大会を開きたいなんて、普通は、言えない…

 普通は、できない…

 当然ながら、誰か、橋渡しをした人物が、いる…

 いわゆる、コネ…

 誰か、仲介した人物が、いるに、決まっている…

 となると、その人物は、誰か?

 考えた…

 すると、脳裏に、自分でも、意外な人物の名前が、浮かんだ…

 これまで、思っても、みない人物の名前が浮かんだのだ…

 それは、葉尊…

 私の夫の葉尊だった…

 どうして、葉尊なのか?

 なぜなら、私は、以前、葉尊に呼ばれ、葉尊が、勤務する、クール本社の社長室で、この矢口トモコと、会ったことがある…

 あのとき、葉尊は、

 「…お姉さん…そっくりのひとがいます…」

 と、喜んで、私を本社に、呼び寄せた…

 私と、矢口のお嬢様を会わせるためだ…

 その結果、私は、このお嬢様と、クール本社の社長室で、6年振りに、再会した…

 私としては、二度と会いたくない相手だったが、この矢口のお嬢様に、とっては、どうだったろうか?

 もちろん、夫の葉尊に、このお嬢様は、以前、妻の矢田さんと、面識があると、言いたかったのかもしれない…

 が、

 それだけでは、なかったのかもしれない…

 夫の葉尊と知り合うことで、大げさにいえば、人脈を得る…

 例えば、葉尊の母違いの妹、マリアが、あのセレブの保育園に通っていることを、事前に、調べ上げていたとしたら、どうだ?

 なにより、後で知ったことだが、お嬢様が、社長を務める激安スーパー、スーパージャパンは、私の義父の葉敬が、買収を狙っているそうだ…

 このお嬢様のことだ…

 葉敬のことを、できる限り、調べ上げたに、違いない…

 その結果、私のことが、わかった…

 この矢田トモコが、葉敬の息子、葉尊の妻であることを知った…

 だから、きっと、それを契機に、私に接近したに違いなかった…

 そのために、夫の葉尊に接近したに違いなかった…

 すべては、葉敬に対抗するためだ…

 自分のスーパー、スーパージャパンが、買収されかねないことに、対抗するためだ…

 私は、思った…

 だから、

 「…葉尊ですね?…」

 と、突然、大声で、言った…

 「…葉尊氏?…彼が、どうかしたのか?…」

 「…お嬢様…ごまかさないで、下さい…」

 「…矢田…アタシが、なにを、ごまかすというんだ?…」

 「…お嬢様を、マリアの通うセレブの保育園に、紹介した人物です…」

 「…紹介した人物?…」

 「…だって、そうでしょ? …お嬢様が、あのセレブの保育園に現れたのだって、誰かの紹介がなければ、あの場に、立てなかったはずです…しかも、あの壇上で、AKBの恋するフォーチュンクッキーを踊ろうなんて、提案をするぐらいだから、当然、お嬢様を、あのセレブの保育園の関係者に紹介した人物は、相当の大物に決まっています…そもそも、お金のある人物の紹介がなければ、お嬢様は、あの舞台にMCとして、立てなかったに相違ありません…そして、それも、夫の葉尊なら、できます…」

 私は、勢い込んで、言った…

 考えられない…

 あるいは、

 考えたくないことだったが、夫の葉尊が、この矢口のお嬢様を、あのセレブの保育園の関係者に紹介したと、考えるのが、自然…

 実に、自然だった…

 そして、そう考えれば、あのとき、葉問が、突然、現れたのも、また納得した…

 あのとき、リンダに化けたバニラと闘ったファラドの前に、突然、葉問が、現れたのも、また納得できた…

 葉尊のもう一つの人格である、葉問…

 葉尊が、知るところは、また、葉問も知るところになる…

 つまりは、あのセレブの保育園で、なにか、起こることを、事前に知っていたということだ…

 あるいは、

 なにか、起こるかもしれないと、知っていたということだ…

 私が、そこまで、考えたとき、

 「…矢田…オマエも、案外、バカじゃないな…」

 と、例によって、上から目線の、お嬢様の声が、聞こえてきた…

 「…そうだ…葉尊氏だ…オマエの夫だ…」

 矢口のお嬢様が、断言した…

 「…葉尊氏に、頼んだ…すると、快く、紹介してくれた…」

 矢口のお嬢様が、大きな口を開けて、笑った…

 たしかに、このお嬢様が、夫の葉尊に頼まれれば、葉尊は、断れなかったに違いない…

 この矢口トモコは、私の友人…

 ホントは、友人でもなんでもなく、ただの知り合いなんだが、この調子のいい、お嬢様は、そう、葉尊に、自分を紹介したに違いない…

 そして、なにより、その外見…

 この矢口トモコは、私、矢田トモコにそっくり…

 外見が、瓜二つだ…

 姉妹に見られても、おかしくはない…

 いや、

 おかしくはないのではなく、誰もが、姉妹に思う…

 血の繋がりがあると、考える…

 それほど、似ている…

 ホントは、赤の他人で、なんの血の繋がりがないにも、かかわらず、だ…

 そんな、私そっくりの外見を持つ、この矢口のお嬢様に、なにかを、頼まれれば、夫の葉尊も、断れなかったに違いない…

 この矢口のお嬢様の頼みを断ることは、私の頼みを断るのも、同然だからだ…

 だから、断れない…

 それを、この矢口のお嬢様は、狙ったに違いなかった…

 そして、なにより、その依頼が、たいしたことではないことも、大きいに違いない…

 ただ、セレブの保育園に、自分を紹介してくれと、頼まれただけだ…

 しかも、この矢口のお嬢様は、スーパージャパンの社長…

 日本中に知られた、激安スーパーの社長だ…

 社会的地位もある…

 だから、いかに、セレブの子弟の通う保育園でも、紹介するのに、躊躇う人物ではない…

 ゆえに、紹介できる…

 葉尊は、そう考えたに違いないし、また、葉尊が、そう考えると、このお嬢様は、見抜いたに違いなかった…

 だから、お嬢様は、あの場に立てた…

 あの場で、園児たちに、お菓子を配ることが、できた…

 そういうことだ…

 と、ここまで、考えて、気付いた…

 夫の葉尊のことを、だ…

 夫の葉尊が、この矢口のお嬢様を、マリアの通う、あのセレブの保育園に紹介したのが、事実だとすれば、その時点では、夫の葉尊は、まだ、実父の葉敬が、この矢口のお嬢様の会社、スーパージャパンの買収を画策していることを、知らなかったことになる…

 普通に、考えて、自分の父が、買収を考えている、会社の当事者のために、なにかをすることは、ありえない…

 考えにくい…

 いわば、敵…

 相手は、敵だからだ…

 敵のために、塩を送ることは、考えにくい…

 ずばり、ありえない…

 が、

 絶対ではない…

 なぜ、絶対ではないかと、いえば、葉尊が、スーパージャパンの買収に反対している可能性もあるからだ…

 もしも、事前に、葉尊が、実父の葉敬が、スーパージャパンの買収を計画していることを知っていて、あえて、スーパージャパンの社長である、この矢口トモコを、あのセレブの保育園に紹介したとすれば、葉尊が、スーパージャパンの買収に反対しているということではないか?

 それゆえ、スーパージャパンの社長である、矢口トモコに力を貸した…

 そう読めるのではないか?

 あるいは、

 それと、これとは、別と考えることも、できる…

 仕事と、プライベートは、別と考えるように、実父の葉敬の、スーパージャパンの買収と、矢口のお嬢様を、セレブの保育園に紹介するのは、別と、考えることも、できる…

 が、

 普通に、考えて、その可能性は、低い…

 低いと言わざるを得ない…

 それは、例えば、私が、誰か、友人と、ケンカしたとする…

 絶交したとする…

 そして、夫の葉尊も、また、その友人を知っていたとする…

 葉尊の元からの友人ではなく、あくまで、私を介して、知っていたとする…

 と、すると、どうだ?

 私が、その友人と絶交すれば、やはり、夫の葉尊も、その友人とは、微妙になる…

 微妙な関係になる…

 だから、例えば、街中で、偶然、会っても、顔を背けるとか…

 そういう行動を取りかねない…

 あくまで、妻が、その友人と絶交したに、過ぎないのだが、夫の葉尊も、その友人と、これまで通り、付き合うことは、無理…

 っていうか、できない…

 そういうことだ…

 私は、矢口のお嬢様の顔を見ながら、そんなことを、考えた…

 私そっくりの顔を見ながら、そんなことを、考え続けた…

               
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