第59話

文字数 4,634文字

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…どうするの?…」

 と、ヤン=リンダが聞いた…

 「…どうするって、なにをだ?…」

 「…このまま、私とマリアが、このクルマを降りたら、お姉さんは、このクルマに乗って帰るの? …さっき、マリアを怒って、そう言ったでしょ?…」

 「…たしかに、さっきは、そう言ったが…」

 私は、言い淀んだ…

 このまま、帰っていいか、悩んだ…

 なにしろ、バニラとの約束もある…

 また、バニラを怒らせるのも、怖い…

 さらに言えば、このマリアとケンカしたことを、知られるのも、怖かった…

 バニラが、私のコントロールの下にいるのは、なんといっても、このマリアが、私になついているからに、他ならない…

 私が、このマリアと決別したとしたら、当然、私に対する態度は、変わるだろう…

 そうなれば、おおげさにいえば、血を見ることになるかもしれん…

 この矢田トモコと、バニラが、殴り合いのケンカをするかもしれんからだ…

 そして、殴り合いのケンカをすれば、当然、この矢田トモコに勝ち目はない…

 なにしろ、バニラは、デカい…

 身長、180㎝もある…

 片や、私、矢田トモコは、身長159㎝…

 闘う前から、勝負は、見えてる…

 かといって、一度、帰ると、断言したにも、かかわらず、掌を返すのも、かっこ悪い…

 綸言(りんげん)汗のごとし…

 偉い立場の人間が、言ったことは、容易に取り消すことはできない…

 なぜならば、簡単に取り消せば、その発言の重みがなくなるからだ…

 例えば、天皇陛下は、公の席で、くだらない冗談を言うことができない…

 それと同じだ…

 一体、どうするべきか?

 私が、悩んでいると、

 「…矢田ちゃん、ごめんなさい…マリアのお遊戯大会に出て…」

 と、マリアが、懇願した…

 「…お願い…」

 マリアが、私に頼み込んだ…

 私は、思わず、リンダを見た…

 リンダ=ヤンを見た…

 リンダ=ヤンは、楽しそうに、

 「…お姉さん…どうするの?…」

 と、聞いた…

 私は、それを見て、考えた…

 その結果、

 「…一度きりさ…」

 と、答えた…

 「…今回だけさ…」

 と、言った…

 「…二度目はないさ…」

 私の言葉に、

 「…ありがとう…矢田ちゃん…」

 と、マリアが喜んだ…

 が、

 それよりも、リンダの反応が気になった…

 リンダ=ヤンの反応が、気になった…

 すると、

 「…さすが、お姉さんね…」

 と、ヤンが、言った…

 「…なにが、さすがなんだ?…」

 「…困っている人間を見捨てることが、できない…」

 「…」

 「…根は善人…それが、お姉さんよ…」

 リンダ=ヤンが、言った…

 私は、それを聞きながら、

 …だったら、リンダ、オマエの本性は、どうなんだ?…

 と、思った…

 女神なのか、悪魔なのか、考えたのだ…

 悪魔ではないが、汚れた女神かもしれん…

 ふと、私の脳裏に、そんな言葉が浮かんだ…

 浮かんだのだ…

 …汚れた女神か?…

 私は、内心、自分でも、うまいことを、言ったと思った…

 誰もが、そうだが、聖人君子は、いない…

 誰もが、性格が、悪いわけではないが、普通に、愚痴をこぼし、陰で、ひとの悪口を言う(笑)…

 それが、普通の人間だ…

 が、

 何事にも、限度がある…

 年がら年中、ひとの悪口を言っていれば、他人は、呆れるし、なんて、性格の悪いヤツだと、思って、距離を置く…

 要するに、程度の問題だ…

 今の子供のケンカで、いえば、いじるか、イジメかの違いだ…

 誰が、見ても、いじっているのか、イジメているのか、簡単にわかる…

 それと、同じだ…

 軽くいじるのは、問題は、ないが、イジメは、困る…

 それと、同じだ…

 リンダもまた、ハリウッドのセックス・シンボルとまでに、呼ばれるように、なったが、そう呼ばれる今の地位に辿り着くまで、苦労したに違いない…

 スポットライトを浴びている今の姿からは、想像もつかない苦労をしたに違いない…

 だから、汚れた女神なのだ…

 きれいだが、よく見ると、泥で、汚れた部分がある…

 そして、その泥の部分が、過去なのだ…

 リンダ・ヘイワースの、他人に知られたくない、汚れた過去なのだ…

 私は、そう思った…

 思ったのだ…
 
 私が、そんなことを、考えていると、すでに、リンダ=ヤンと、マリアが、ピンクのベンツから、降りていた…

 「…さあ、矢田ちゃんも早く…」

 と、マリアが呼んだ…

 私は、その声に応えるべく、

 「…わかったさ…」

 と、言って、華麗に、ベンツから、降りた…

 が、

 勢いをつけ過ぎた…

 カッコをつけ過ぎたのだ…

 勢いよく、飛び出したまでは、いいが、勢いが良すぎて、止まらんかった…

 そして、つい近くにいるひとに、ぶち当たってしまった…

 私の顔が、相手の背中にぶち当たってしまったのだ…

 相手が、大柄だったのだ…

 私は、顔が、痛かったが、

 「…スイマセン…」

 と、すぐに謝った…

 本当は、顔が痛くて、たまらんかったが、それよりも、まず、ぶつかった相手に、謝るのが、先と思ったのだ…

 が、

 ぶつかった相手は、私を振り向くと、いかにも、面倒くさそうに、

 「…なんだ…35歳のシンデレラか…」

 と、呟いた…

 私は、頭に来た…

 「…なんだと、その言い方は…オマエは誰だ?…」

 と、言おうとしたが、言えんかった…

 その顔は、ファラドだったからだ…

 浅黒い精悍な顔をした男だったからだ…

 それより、なにより、ここにファラドが、いるということは、近くに、あのオスマンが、いるということではないか?

 私は、気付いた…

 すると、思った通りだった…

すぐに、ファラドの背後から、

 「…どうした? …ファラド?…」

 と、クソ生意気なガキの声が聞こえた…

 「…殿下、なんでもありません…」

 ファラドが、答えた…

 が、

 すぐに、オスマンが、顔を出した…

 そして、

 「…なんだ? …マリアか?…」

 と、言った…

 私ではなく、私の近くにいるマリアに言及したのだ…

 が、

 マリアも負けてなかった…

 「…オスマン…相変わらずの上から目線…そんなんじゃ、ダメって、いつも、言ってるでしょ?…」

 「…うるさいゾ…これが、ボクの言い方さ…」

 「…だから、それが、ダメって、いつも言ってるでしょ?…」

 「…マリア…いちいち、うるさいゾ…」

 「…私が、心配して、言ってあげるのに、なに、その言い方…」

 気が付くと、マリアとオスマンが、やり合っていた…

 言葉のジャブを放っていた…

 が、

 変な感じではない…

 嫌な感じではない…

 むしろ、この感じは…

 私が、考えていると、

 「…恋人か、夫婦って感じ…」

 と、近くのヤンが、言った…

 まさに、私が、思っていた通りのことを、言ったのだ…

 「…まるで、子供の夫婦みたい…」

 ヤンが、呆気に取られて言った…

 その通りだった…

 まさに、その通りだった…

 私もそう思った…

 すると、

 「…これは、毎朝の恒例行事なんですよ…」

 という声がした…

 振り向いて、その声の主を見た…

 ファラドだった…

 「…オスマン殿下は、毎朝、マリアさんが、やって来るまで、クルマから、降りません…いつも、マリアさんを、待ってるんです…」

 「…ホントですか?…」

 ヤンが、驚いた…

 「…ホントです…大人なら、ストーカー呼ばわりされそうですが…子供だから、大目に見ましょう…」

 と、ファラドが、茶目っ気たっぷりに、言って、リンダ=ヤンに片目をつぶって見せた…

 ヤン=リンダにウィンクをしたのだ…

 私は、それを見て、気付いた…

 対応が、違う…

 そのことに、気付いたのだ…

 この矢田トモコに対する態度と、違う…

 そのことに、気付いたのだ…

 今、リンダは、ヤンの格好をしている…

 男装をしている…

 にも、かかわらず、このファラドは、ヤンといい感じだ…

 ヤン=リンダといい感じだ…

 これは、一体、どういうことだ?

 なぜ、このファラドは、この矢田トモコに、そんな態度は、取らん…

 おかしい…

 実に、おかしい…

 はっきり言って、不思議だ…

 不思議なのだ…

 男なら、人種は、ともかく、女に目がゆくはずだ…

 にもかかわらず、このファラドは、リンダ=ヤンに目がいった…

 まさかとは、思うが、このファラドが、ヤンの正体が、リンダであることに、気付いたわけでは、あるまい…

 ということは、考えられる答えは、ただ一つ…

 このファラドは、ゲイに違いない…

 私は、その事実を悟った…

 悟ったのだ…

 いかに、この矢田トモコが、身長159㎝で、六頭身の幼児体型とはいえ、巨乳であることは、間違いない…

 誰の目にも、わかる…

 ということは、このファラドの目にも、わかるということだ…

 にもかかわらず、このファラドは、この矢田トモコではなく、ヤンを選んだ…

 ヤン=男を選んだ…

 ということは、どうだ?

 やはり、このファラドは、ゲイに違いない…

 結局は、この答えに行き着いた…

 行き着いたのだ…

 男たるもの、巨乳が好き…

 おっぱいが、好き…

 これは、決まったことだ…

 神様が決めたことだ…

 だから、男は皆、DNAに、おっぱいが、好きと、焼き付いている…

 にも、かかわらず、別の行動を取るとすれば、それは、ゲイ…

 ゲイに他ならない…

 そして、いかに、巨乳が売りの矢田トモコでも、ゲイには、勝てない…

 そういうことだ…

 ゲイ=男が好きなら、仕方がない…

 私は、思った…

 そして、落ち込んだ…

 落ち込んだのだ…

 私は、葉尊というイケメンの夫がいるのに、実は、イケメン好きだった…

 イケメン=顔が命の女だった…

 だから、ついファラドとも、親しくなりたかった…

 葉尊という夫がいる以上、不倫はできんが、親しくなることはできる…

 仲良くなることはできる…

 私は、それを狙った…

 狙ったのだ…

 が、

 何度も言うように、ファラドはゲイだった…

 だったら、仕方がない…

 諦めよう…

 立ち直りの早いのも、この矢田トモコの美点の一つだった…

 いつまでも、ゲイにこだわっても、仕方がない…

 そのことを悟った私は、

 「…ヤン…行くゾ…」

 と、言った…

 が、

 ヤンは、楽しそうに、ファラドと話していて、私の話を聞いていなかった…

 私は、頭に来た…

 「…ヤン…なにをしている…さっさと行くゾ…行かないと、置いてゆくゾ…」

 私が、怒ると、ようやく、ヤンはファラドとのおしゃべりを止めた…

 「…スイマセン…お姉さん…」

 「…いつまでも、べちゃべちゃと、女のように、おしゃべりをしているんじゃないゾ!…」

 「…ハイ…」

 私は、ヤンに命じると、堂々と歩き出した…

 159㎝の小柄なカラダで、しっかりと、大地を踏みしめた…

 26㎝の足で、大地を踏みしめたのだ…

 どんなときも、堂々と、道の真ん中を歩く…

 それが、私だ…

 私には、後ろ暗い過去はない…

 あるのは、燦然と輝く未来のみ…

 クールの社長夫人としての栄光の未来だけだ…

 それを思った私は、堂々と、歩いた…

 歩いたのだ…

 が、

 少しばかり、太陽が、まぶしかった…

 朝陽が、まぶしかった…

 だから、思わず、目をつぶった…

 「…朝陽が、まぶしすぎるさ…」

 と、言って、目をつぶった…

 それが、いけなかった…

 目の前に、小石があったのに、気付かず、思わず、それにぶつかって、あっけなく、転んでしまった…

 いつものことだった(涙)…

 なんとなく、これから始まる、今日一日の出来事を象徴するような、出来事だった(笑)…

                
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み