第58話
文字数 5,412文字
「…リ…リンダ…ゆ、許してくれ…わ、わたしを、ゆ、ゆるしてくれ…」
私は、呟いた…
心の中で、呟いた…
いや、
心の中だけで、呟いたつもりだったが、不覚にも、声に出してしまった…
すると、
「…矢田ちゃん…許すって、なにを許すの?…」
と、いうマリアの声がした…
私は、その声で、目を開けた…
私の細い目を開けた…
「…そうね…一体、なにを許すのね?…」
と、今度は、リンダの声がした…
リンダ=ヤンの声がした…
私は、恐る恐る、リンダの顔を見た…
すると、そこには、普段の穏やかなリンダ=ヤンの顔があった…
さっきまでの、陰湿な暗い目をしたリンダ=ヤンではない、普段のヤンがいた…
私は、それを見て、ホッとした…
が、
ただ、ホッとしているわけではなかった…
やはりというか…
このリンダ・ヘイワースにも、後ろ暗い過去があるに違いない…
私は、それを悟った…
誰にも、知られたくない、過去があるのかもしれない…
そして、ひょっとしたら、それに私が、言及したと思ったから、リンダの顔色が、変わったのかもしれない…
そう、気付いた…
いずれにしろ、このリンダ・ヘイワースという女にも、謎がある…
私は、思った…
きっと、この矢田トモコにも、知られたくない過去があるに違いない…
が、
安心しろ、リンダ…
私は、そのことには、触れんさ…
なにしろ、触れれば、この矢田トモコの身に危険が及ぶかもしれん…
そんなことは、ゴメンさ…
私は、思った…
と、その間にも、クルマは、疾走した…
ピンクのベンツが、街中を疾走した…
私は、ヤン=リンダとの会話を終えると、ふと、窓から、外を見た…
このピンクのベンツを見ている人間が、大勢いるのでは? と、考えたのだ…
こんなド派手なピンクのベンツが、街中を走っていれば、どんな人間が、そんなクルマに乗っているのか? 考える…
不思議に思う…
それが、普通の人間だ…
普通の人間の感覚だ…
私は、思った…
だから、ジッと、窓から、外を見た…
私の細い目をさらに、細くして、外を見た…
外にいる、他人の反応を見た…
すると、
「…矢田ちゃん…なにを見ているの?…」
と、マリアが聞いた…
「…外のひとの反応さ…」
私は、答えた…
「…反応って?…」
「…こんなピンクのベンツに乗っていれば、一体、どんな人間が、こんなクルマに乗っているのか、普通は、気になるさ…」
「…エーッ! …矢田ちゃんでも、気になるの?…」
「…当たり前さ…私は平凡…平凡な女さ…マリア…オマエの母親のバニラや、このリンダが、このピンクのベンツから、華やかなドレスを身にまとって、降りるには、ちょうど、いいさ…いわば、このクルマは、イベント用さ…」
「…イベント用って、なに?…」
「…今も言ったように、映画の宣伝や、パーティーに出席するために、乗りつけるクルマさ…このリンダや、あのバニラも、きれいなドレスを身にまとって、人前に出るには、この派手なクルマが、似合ってるさ…でも、今は、そうじゃない…」
「…そうじゃない?…」
「…そうさ…たかだか、保育園のお遊戯大会さ…だから、こんな派手なクルマは、必要ないさ…」
私が、力説すると、
「…そうかな…」
と、隣のヤンが、口を挟んだ…
「…どういう意味だ? …ヤン=リンダ…」
「…葉敬は、バカじゃないってこと?…」
「…なんだと?…」
「…意味もなく、こんなピンクのベンツを用意するわけがない…」
「…じゃ、どういう意味があると言うんだ?…」
「…それは、わからない…でも、なにか、意味があるはず…」
私は、ヤン=リンダの言葉に、
「…」
と、黙った…
たしかに、そう言われてみれば、なにか、意味があるのかもしれないと、思ったのだ…
何度も言うが、葉敬は、台湾の大富豪…
一代で、台湾の大企業、台北筆頭を、作った、台湾では、伝説的な人物だ…
なにより、この矢田トモコを、葉尊の妻に選んだ男だ…
まさに、ひとを見る目がある(笑)…
いわば、そんな慧眼(けいがん)の持ち主が、わざと、ピンクのベンツに乗れと、このクルマを差し出した…
やはり、なにか、理由があると思うのが、当然だった…
が、
その理由は、保育園に近付くに従って、呆気なくわかった…
保育園に、近付くにつれ、なにやら、高級車の大群が、嫌でも、目に入ってきたからだ…
あまり、クルマに詳しくない私でも、窓越しに、普段見慣れない、高級車の群れに気が付いたのだ…
「…な…なんだ? …このクルマたちは?…」
私は、言った…
すると、隣のヤンが、
「…やっぱりね…」
と、笑った…
笑ったのだ…
だから、私は、
「…なにが、やっぱりなんだ?…」
と、ヤンに聞いた…
「…金持ちの見栄の張り会い…」
「…見栄の張り合いだと?…」
「…今の言葉で、いえば、マウンティング…互いに相手を格付けする…」
ヤンが、笑った…
「…それが、わかっているから、葉敬は、わざと、こんなピンクのベンツを用意したに違いない…普通の…オリジナルの高級車じゃ目立たないから…」
「…そうか…」
私は、言った…
が、
言いながらも、どこか、腑に落ちなかった…
本当に、それだけが、このピンクのベンツを用意した理由だろうか?
疑問に、思ったのだ…
私が、もし、葉敬なら、なにか、別の意味があるような気がする…
もちろん、ここで、目立つ意味もある…
金持ちが、大勢集まる中で、ひと際、目立つには、このピンクのベンツのようなクルマに乗ることが、一番だからだ…
私は、そんなことを、考えながら、窓越しに、高級車の大群を見た…
見続けた…
「…到着しました…」
と、運転手が、告げた…
私は、
「…そうか…」
と、立派に腕を組んで、呟いた…
「…着いたか…」
私が、重々しく言うと、
「…矢田ちゃん…どっかの社長さんみたい…」
と、マリアが言った…
「…社長だと?…」
「…うん…でも、矢田ちゃんが、腕を組んでも、似合わない…全然、偉く見えない…」
マリアが、あっけらかんと、言った…
私は、頭に来た…
いかに、3歳の子供といえども、言っていいことと、悪いことがある…
私は、少しばかり、悩んだが、やはり、ここは、マリアを注意するところだと、思った…
思ったのだ…
「…マリア…」
「…矢田ちゃん…なに?…」
「…ひとを軽く見てはいかんゾ…私は、立派な女さ…」
「…エッ? …矢田ちゃんのどこが、立派なの?…」
「…立派さ…立派に決まってるさ…なにしろ、私は、クールの社長夫人…クールの社長の葉尊の妻さ…」
「…でも、それは、矢田ちゃんが、偉いわけでも、なんでもなくて、葉尊さんが、偉いんでしょ?…」
「…それは、そうだが…」
「…だから、矢田ちゃんは、偉くない…」
マリアが、断言した…
私は、頭に来た…
いかに、3歳の幼児とはいえ、面と向かって、偉くないと、言われれば、誰でも、頭に来る…
だから、
「…私は、偉い…偉いんだ…」
と、怒鳴った…
すると、マリアが、
「…矢田ちゃんは、偉くない…全然、偉くない…」
と、怒鳴り返した…
「…なんだと?…」
私は、怒った…
自分でも、大人げないと思うが、マリア相手に本気になった…
3歳の幼児相手に本気になったのだ…
すると、脳裏に、あのバニラの顔が浮かんだ…
あのクソ生意気なバニラの顔が浮かんだのだ…
…やはりな…
私は、急に、納得した…
…やはり、血は争えん!…
私は、思った…
母親が、あのバニラだ…
あのバカ、バニラだ…
やはり、このマリアもバカなのかもしれん…
ふと、気付いた…
これまでは、3歳の幼児だから、大目に見てきたが、これで、わかった…
わかったのだ…
今日を限りに、このマリアとも、お別れさ…
いや、
今日を限りではない…
今を限りに、お別れさ…
私は、思った…
だから、開口一番…
「…帰るさ…」
と、言った…
「…エーッ? …帰るって?…」
リンダが、声を上げた…
「…帰ると言ったら、帰るのさ…リンダ、オマエとマリアは、ここで、降りたら、私は、このまま、このクルマに乗って帰るさ…」
「…お姉さん…そんな…」
「…そんなも、こんなも、ないさ…いかに、3歳の幼児とはいえ、こんなクソ生意気なガキといっしょにいるのは、たくさんさ…」
「…クソ生意気なガキ?…」
「…そうさ…普段、私に世話になっているくせに、私をバカにするとは…とんでもない、ガキさ…」
私は、言った…
「…矢田ちゃん…ごめんなさい…」
マリアが謝った…
が、
私は、許さんかった…
許すわけには、いかんかった…
「…マリア…もう二度と、オマエの面倒は、見てやらんさ…」
私は、断言した…
「…いいな…」
私は、念を押した…
「…お姉さん…そんな…こんな子供に…」
「…リンダ…歳は関係ないさ…ひとには、言ってはいけないことがある…それを、このマリアは、言ってしまったのさ…」
すると、それを聞いた、マリアが突然、泣き出した…
「…矢田ちゃん…ごめんさない…ごめんなさい…」
と、言って、大声で、泣き出した…
が、
私は、そんなマリアに一ミリだって、同情せんかった…
同情せんかったのだ…
「…泣きたければ、いくらでも、泣くがいいさ…」
私は、言った…
「…そんな手が、通じるのは、子供のときだけさ…大人になれば、そんな手は使えんさ…」
私は、言った…
言いながら、ふと、横目で、リンダを見た…
リンダ=ヤンを見た…
ヤンが、一体、どんな反応を示すのか、興味があったからだ…
いや、
興味があっただけじゃない…
さっき、ヤンが、物凄く陰湿な目で、私、矢田トモコを見た…
それを思い出したのだ…
だから、一体、ヤンが、どんな反応を示すのか、気になったのだ…
ひょっとすると、またも、ヤンが、陰湿な目で、この矢田トモコを脅すかもしれんからだ…
だが、そうなったら、あっけなく、マリアを許してやればいい…
ふと、そう思った…
そう、思いながら、リンダ=ヤンが、一体、どういう反応をするのか、待った…
どういう態度を取るのか、待った…
すると、ヤンが、口を開いた…
「…マリア…泣くのは、止めなさい…」
優しく、マリアに語りかけた…
が、
泣きやまない…
すると、ヤンの表情が、変わった…
一気に、鬼の形相になった…
「…泣くな…マリア…泣いても、誰も、同情なんか、しない…」
ゆっくりとだが、ドスの利いた声で、ヤン=リンダが、言った…
その声に、驚いて、マリアが、泣くのを止めて、ヤン=リンダを見た…
「…涙が、女の武器だなんて、思っちゃダメ…いくら、泣いても、誰も、同情なんて、しない…だから、自分一人の力で、なんとかするしかない…」
リンダ=ヤンが、まるで、自分自身に、言い聞かせるように言った…
「…マリア…よく覚えておきなさい…」
ヤン=リンダが、別人のように、重々しく言った…
言ったのだ…
それを隣で、見ていた私は、怖かった…
実に、怖かったのだ…
もう少しで、小便をちびる寸前だった…
それほど、怖かったのだ…
元々、私は、小心者…
気が弱かった(涙)…
それを悟られるのが、怖くて、威張っているだけだった…
なにより、私は、暴力が苦手だった…
暴力の匂いのする相手が苦手だった…
だから、リンダが怖かった…
今のリンダは、暴力の匂いが、プンプンしている…
だから、怖かったのだ…
そして、それは、私だけではない…
この矢田トモコだけではない…
マリアも感じた様子だった…
「…リンダさん…いつもと、違う…」
マリアが、ポツリと漏らした…
「…いつものリンダさんじゃない…」
私は、マリアの言葉で、考えた…
なぜ、リンダ=ヤンが、いつもと、違ったか、をだ…
おそらく、それは、さっき、私が、リンダの過去に触れたから…
触れられたくない過去に触れたからだと、気付いた…
おそらく、そのせいで、リンダは、苛立っているのだろうと、気付いた…
だから、大げさに言えば、いつもは、女神のような優しいリンダが、いつもとは、違った…
リンダは、ヤンのときも、いつも、いっしょ…
基本的に優しい…
それは、あのバニラとの決定的な違い…
バニラは、日本でいえば、元ヤン…
元は、ヤンキーだ…
が、
このリンダは、違う…
にもかかわらず、今は苛立っていた…
よほど、触れられたくない過去を思い出したに違いない…
私の言ったことが、一般論にも、かかわらず、当たっていたに違いない…
だったら、もっと、的確に、リンダの過去に触れたら、一体、どうなるのだろう?
ふと、思った…
そんなことを、考えていると、いつのまにか、マリアが、泣くのを、止めていたことに、気付いた…
マリアが、いつのまにか、泣くのを、止めていた…
私は、すぐに、マリアが、リンダが怖かったからだと、気付いた…
私同様、マリアもリンダが、怖かったに違いない…
だから、リンダの言う通り、泣くのを止めたのだ…
私は、このとき、リンダの意外な一面を見た気分になった…
そして、このリンダ=ヤンを、決して、怒らせないよう、気を付けようと、心に誓った…
私では、到底、太刀打ちできない…
歯が立たないからだ…
そのことを、固く、心に誓った…
私は、呟いた…
心の中で、呟いた…
いや、
心の中だけで、呟いたつもりだったが、不覚にも、声に出してしまった…
すると、
「…矢田ちゃん…許すって、なにを許すの?…」
と、いうマリアの声がした…
私は、その声で、目を開けた…
私の細い目を開けた…
「…そうね…一体、なにを許すのね?…」
と、今度は、リンダの声がした…
リンダ=ヤンの声がした…
私は、恐る恐る、リンダの顔を見た…
すると、そこには、普段の穏やかなリンダ=ヤンの顔があった…
さっきまでの、陰湿な暗い目をしたリンダ=ヤンではない、普段のヤンがいた…
私は、それを見て、ホッとした…
が、
ただ、ホッとしているわけではなかった…
やはりというか…
このリンダ・ヘイワースにも、後ろ暗い過去があるに違いない…
私は、それを悟った…
誰にも、知られたくない、過去があるのかもしれない…
そして、ひょっとしたら、それに私が、言及したと思ったから、リンダの顔色が、変わったのかもしれない…
そう、気付いた…
いずれにしろ、このリンダ・ヘイワースという女にも、謎がある…
私は、思った…
きっと、この矢田トモコにも、知られたくない過去があるに違いない…
が、
安心しろ、リンダ…
私は、そのことには、触れんさ…
なにしろ、触れれば、この矢田トモコの身に危険が及ぶかもしれん…
そんなことは、ゴメンさ…
私は、思った…
と、その間にも、クルマは、疾走した…
ピンクのベンツが、街中を疾走した…
私は、ヤン=リンダとの会話を終えると、ふと、窓から、外を見た…
このピンクのベンツを見ている人間が、大勢いるのでは? と、考えたのだ…
こんなド派手なピンクのベンツが、街中を走っていれば、どんな人間が、そんなクルマに乗っているのか? 考える…
不思議に思う…
それが、普通の人間だ…
普通の人間の感覚だ…
私は、思った…
だから、ジッと、窓から、外を見た…
私の細い目をさらに、細くして、外を見た…
外にいる、他人の反応を見た…
すると、
「…矢田ちゃん…なにを見ているの?…」
と、マリアが聞いた…
「…外のひとの反応さ…」
私は、答えた…
「…反応って?…」
「…こんなピンクのベンツに乗っていれば、一体、どんな人間が、こんなクルマに乗っているのか、普通は、気になるさ…」
「…エーッ! …矢田ちゃんでも、気になるの?…」
「…当たり前さ…私は平凡…平凡な女さ…マリア…オマエの母親のバニラや、このリンダが、このピンクのベンツから、華やかなドレスを身にまとって、降りるには、ちょうど、いいさ…いわば、このクルマは、イベント用さ…」
「…イベント用って、なに?…」
「…今も言ったように、映画の宣伝や、パーティーに出席するために、乗りつけるクルマさ…このリンダや、あのバニラも、きれいなドレスを身にまとって、人前に出るには、この派手なクルマが、似合ってるさ…でも、今は、そうじゃない…」
「…そうじゃない?…」
「…そうさ…たかだか、保育園のお遊戯大会さ…だから、こんな派手なクルマは、必要ないさ…」
私が、力説すると、
「…そうかな…」
と、隣のヤンが、口を挟んだ…
「…どういう意味だ? …ヤン=リンダ…」
「…葉敬は、バカじゃないってこと?…」
「…なんだと?…」
「…意味もなく、こんなピンクのベンツを用意するわけがない…」
「…じゃ、どういう意味があると言うんだ?…」
「…それは、わからない…でも、なにか、意味があるはず…」
私は、ヤン=リンダの言葉に、
「…」
と、黙った…
たしかに、そう言われてみれば、なにか、意味があるのかもしれないと、思ったのだ…
何度も言うが、葉敬は、台湾の大富豪…
一代で、台湾の大企業、台北筆頭を、作った、台湾では、伝説的な人物だ…
なにより、この矢田トモコを、葉尊の妻に選んだ男だ…
まさに、ひとを見る目がある(笑)…
いわば、そんな慧眼(けいがん)の持ち主が、わざと、ピンクのベンツに乗れと、このクルマを差し出した…
やはり、なにか、理由があると思うのが、当然だった…
が、
その理由は、保育園に近付くに従って、呆気なくわかった…
保育園に、近付くにつれ、なにやら、高級車の大群が、嫌でも、目に入ってきたからだ…
あまり、クルマに詳しくない私でも、窓越しに、普段見慣れない、高級車の群れに気が付いたのだ…
「…な…なんだ? …このクルマたちは?…」
私は、言った…
すると、隣のヤンが、
「…やっぱりね…」
と、笑った…
笑ったのだ…
だから、私は、
「…なにが、やっぱりなんだ?…」
と、ヤンに聞いた…
「…金持ちの見栄の張り会い…」
「…見栄の張り合いだと?…」
「…今の言葉で、いえば、マウンティング…互いに相手を格付けする…」
ヤンが、笑った…
「…それが、わかっているから、葉敬は、わざと、こんなピンクのベンツを用意したに違いない…普通の…オリジナルの高級車じゃ目立たないから…」
「…そうか…」
私は、言った…
が、
言いながらも、どこか、腑に落ちなかった…
本当に、それだけが、このピンクのベンツを用意した理由だろうか?
疑問に、思ったのだ…
私が、もし、葉敬なら、なにか、別の意味があるような気がする…
もちろん、ここで、目立つ意味もある…
金持ちが、大勢集まる中で、ひと際、目立つには、このピンクのベンツのようなクルマに乗ることが、一番だからだ…
私は、そんなことを、考えながら、窓越しに、高級車の大群を見た…
見続けた…
「…到着しました…」
と、運転手が、告げた…
私は、
「…そうか…」
と、立派に腕を組んで、呟いた…
「…着いたか…」
私が、重々しく言うと、
「…矢田ちゃん…どっかの社長さんみたい…」
と、マリアが言った…
「…社長だと?…」
「…うん…でも、矢田ちゃんが、腕を組んでも、似合わない…全然、偉く見えない…」
マリアが、あっけらかんと、言った…
私は、頭に来た…
いかに、3歳の子供といえども、言っていいことと、悪いことがある…
私は、少しばかり、悩んだが、やはり、ここは、マリアを注意するところだと、思った…
思ったのだ…
「…マリア…」
「…矢田ちゃん…なに?…」
「…ひとを軽く見てはいかんゾ…私は、立派な女さ…」
「…エッ? …矢田ちゃんのどこが、立派なの?…」
「…立派さ…立派に決まってるさ…なにしろ、私は、クールの社長夫人…クールの社長の葉尊の妻さ…」
「…でも、それは、矢田ちゃんが、偉いわけでも、なんでもなくて、葉尊さんが、偉いんでしょ?…」
「…それは、そうだが…」
「…だから、矢田ちゃんは、偉くない…」
マリアが、断言した…
私は、頭に来た…
いかに、3歳の幼児とはいえ、面と向かって、偉くないと、言われれば、誰でも、頭に来る…
だから、
「…私は、偉い…偉いんだ…」
と、怒鳴った…
すると、マリアが、
「…矢田ちゃんは、偉くない…全然、偉くない…」
と、怒鳴り返した…
「…なんだと?…」
私は、怒った…
自分でも、大人げないと思うが、マリア相手に本気になった…
3歳の幼児相手に本気になったのだ…
すると、脳裏に、あのバニラの顔が浮かんだ…
あのクソ生意気なバニラの顔が浮かんだのだ…
…やはりな…
私は、急に、納得した…
…やはり、血は争えん!…
私は、思った…
母親が、あのバニラだ…
あのバカ、バニラだ…
やはり、このマリアもバカなのかもしれん…
ふと、気付いた…
これまでは、3歳の幼児だから、大目に見てきたが、これで、わかった…
わかったのだ…
今日を限りに、このマリアとも、お別れさ…
いや、
今日を限りではない…
今を限りに、お別れさ…
私は、思った…
だから、開口一番…
「…帰るさ…」
と、言った…
「…エーッ? …帰るって?…」
リンダが、声を上げた…
「…帰ると言ったら、帰るのさ…リンダ、オマエとマリアは、ここで、降りたら、私は、このまま、このクルマに乗って帰るさ…」
「…お姉さん…そんな…」
「…そんなも、こんなも、ないさ…いかに、3歳の幼児とはいえ、こんなクソ生意気なガキといっしょにいるのは、たくさんさ…」
「…クソ生意気なガキ?…」
「…そうさ…普段、私に世話になっているくせに、私をバカにするとは…とんでもない、ガキさ…」
私は、言った…
「…矢田ちゃん…ごめんなさい…」
マリアが謝った…
が、
私は、許さんかった…
許すわけには、いかんかった…
「…マリア…もう二度と、オマエの面倒は、見てやらんさ…」
私は、断言した…
「…いいな…」
私は、念を押した…
「…お姉さん…そんな…こんな子供に…」
「…リンダ…歳は関係ないさ…ひとには、言ってはいけないことがある…それを、このマリアは、言ってしまったのさ…」
すると、それを聞いた、マリアが突然、泣き出した…
「…矢田ちゃん…ごめんさない…ごめんなさい…」
と、言って、大声で、泣き出した…
が、
私は、そんなマリアに一ミリだって、同情せんかった…
同情せんかったのだ…
「…泣きたければ、いくらでも、泣くがいいさ…」
私は、言った…
「…そんな手が、通じるのは、子供のときだけさ…大人になれば、そんな手は使えんさ…」
私は、言った…
言いながら、ふと、横目で、リンダを見た…
リンダ=ヤンを見た…
ヤンが、一体、どんな反応を示すのか、興味があったからだ…
いや、
興味があっただけじゃない…
さっき、ヤンが、物凄く陰湿な目で、私、矢田トモコを見た…
それを思い出したのだ…
だから、一体、ヤンが、どんな反応を示すのか、気になったのだ…
ひょっとすると、またも、ヤンが、陰湿な目で、この矢田トモコを脅すかもしれんからだ…
だが、そうなったら、あっけなく、マリアを許してやればいい…
ふと、そう思った…
そう、思いながら、リンダ=ヤンが、一体、どういう反応をするのか、待った…
どういう態度を取るのか、待った…
すると、ヤンが、口を開いた…
「…マリア…泣くのは、止めなさい…」
優しく、マリアに語りかけた…
が、
泣きやまない…
すると、ヤンの表情が、変わった…
一気に、鬼の形相になった…
「…泣くな…マリア…泣いても、誰も、同情なんか、しない…」
ゆっくりとだが、ドスの利いた声で、ヤン=リンダが、言った…
その声に、驚いて、マリアが、泣くのを止めて、ヤン=リンダを見た…
「…涙が、女の武器だなんて、思っちゃダメ…いくら、泣いても、誰も、同情なんて、しない…だから、自分一人の力で、なんとかするしかない…」
リンダ=ヤンが、まるで、自分自身に、言い聞かせるように言った…
「…マリア…よく覚えておきなさい…」
ヤン=リンダが、別人のように、重々しく言った…
言ったのだ…
それを隣で、見ていた私は、怖かった…
実に、怖かったのだ…
もう少しで、小便をちびる寸前だった…
それほど、怖かったのだ…
元々、私は、小心者…
気が弱かった(涙)…
それを悟られるのが、怖くて、威張っているだけだった…
なにより、私は、暴力が苦手だった…
暴力の匂いのする相手が苦手だった…
だから、リンダが怖かった…
今のリンダは、暴力の匂いが、プンプンしている…
だから、怖かったのだ…
そして、それは、私だけではない…
この矢田トモコだけではない…
マリアも感じた様子だった…
「…リンダさん…いつもと、違う…」
マリアが、ポツリと漏らした…
「…いつものリンダさんじゃない…」
私は、マリアの言葉で、考えた…
なぜ、リンダ=ヤンが、いつもと、違ったか、をだ…
おそらく、それは、さっき、私が、リンダの過去に触れたから…
触れられたくない過去に触れたからだと、気付いた…
おそらく、そのせいで、リンダは、苛立っているのだろうと、気付いた…
だから、大げさに言えば、いつもは、女神のような優しいリンダが、いつもとは、違った…
リンダは、ヤンのときも、いつも、いっしょ…
基本的に優しい…
それは、あのバニラとの決定的な違い…
バニラは、日本でいえば、元ヤン…
元は、ヤンキーだ…
が、
このリンダは、違う…
にもかかわらず、今は苛立っていた…
よほど、触れられたくない過去を思い出したに違いない…
私の言ったことが、一般論にも、かかわらず、当たっていたに違いない…
だったら、もっと、的確に、リンダの過去に触れたら、一体、どうなるのだろう?
ふと、思った…
そんなことを、考えていると、いつのまにか、マリアが、泣くのを、止めていたことに、気付いた…
マリアが、いつのまにか、泣くのを、止めていた…
私は、すぐに、マリアが、リンダが怖かったからだと、気付いた…
私同様、マリアもリンダが、怖かったに違いない…
だから、リンダの言う通り、泣くのを止めたのだ…
私は、このとき、リンダの意外な一面を見た気分になった…
そして、このリンダ=ヤンを、決して、怒らせないよう、気を付けようと、心に誓った…
私では、到底、太刀打ちできない…
歯が立たないからだ…
そのことを、固く、心に誓った…