第94話

文字数 4,289文字

 「…お姉さん…」

 「…なんだ?…」

 私は、言った…

 「…私がサウジに行っても、いい?…」

 「…構わんさ…」

 私は、即答した…

 「…さっきも、言ったように、色々な場所に、行って、視野を広げれば、いいさ…」

 私の言葉に、

 「…」

 と、リンダは、黙った…

 私は、そんなリンダを見ながら、今さらながら、どうして、このリンダが、今日、やって来たか、考えた…

 まさか…

 まさか…

 この私に、お別れに来たのか? と、思ったのだ…

 だから、

 「…リンダ…今日は、一体、どうして、私に会いに来たんだ?…」

 と、聞いた…

 直球で、聞いたのだ…

 「…サウジに、行く前に、挨拶に来たのか?…」

 私の質問に、リンダは、戸惑っていた…

 「…いえ、まだ、サウジに行くか、どうかは、決めていない…」

 ポツリと、呟いた…

 「…そうか…」

 私は、言った…

 この女も、まだ、迷っているのか?

 とも、思った…

 なにしろ、サウジだ…

 サウジアラビアだ…

 遠い…

 実に、遠い…

 下手をすれば、もう二度と、この女と、会うこともないかもしれん…

 ふと、気付いた…

 今まで、世話になったが、もう二度と会うことは、ないかもしれん…

 いや、

 世話になったのではない…

 私が、世話をしたのだ…

 そう、思った…

 そう、考えを変えた…

 思えば、変な女だった…

 実に、変な女だった…

 今さらながら、考えた…

 そもそも、男だか、女だか、最後まで、わからんかった…

 外見は、絶世の美女だが、中身は、男だか、女だか、さっぱり、わからんかった…

 が、

 まあいい…

 私は、思った…

 この女が、サウジに、行くのならば、行けばいい…

 帰って来なければ、帰って、来なくていい…

 私は、思った…

 オスマン殿下の誘いで、サウジに行くというが、本当のところは、怪しいとまでは、いわんが、帰って来れなくても、私は、驚かん…

 オスマン殿下は、リンダ・ヘイワースの大ファン…

 もしかしたら、オスマン殿下は、母国に帰れば、リンダを幽閉して、二度とサウジから、出国させないかも、しれん…

 オスマン殿下は、小人症…

 3歳にしか、見えない…

 だから、このリンダも、オスマン殿下を見くびっている可能性が、ある…

 誰でも、外見で、その人間の評価をする…

 威厳があったり、カラダが、大きかったりすれば、その人間が、偉いと思う…

 その程度の評価しか、できない人間が、多い…

実に、多い(笑)…

 このリンダもまた、その一人かもしれん…

 私は、思った…

 「…お別れだな…リンダ…」

 私は、言った…

 「…お別れ?…」

 リンダが、目を丸くした…

 「…サウジに、行って、達者に暮らせよ…」

 私は、言ってやった…

 それから、

 「…餞別(せんべつ)だ…」

 と、言って、ポケットから、キットカットを出した…

 「…オマエにやろう…きっと、サウジでは、手に入らんかもしれんからな…」

 「…餞別(せんべつ)?…」

 リンダが、呆気に取られた表情になった…

 「…そうさ…オマエにコレをやろう…コレを食べて、サウジで、私を思い出せば、いいさ…」

 ひとの良い私は、リンダの手に、握らせてやろうとした…

 が、

 なぜか、いきなり、リンダが、

 「…まだ、サウジに行くと言ってないでしょ!…」

 と、怒り出した…

 正直、わけがわからんかった…

 たった今の今まで、しおらしく、うなだれていた女が、いきなり、激高したのだ…

 わけが、わからんかった…

 やはり、この女、おかしい…

 私は、思った…

 普通ではない…

 いや、

 そもそも、普通ではないのだ…

 男だか、女だかも、わからん女だ…

 こんな女を相手にした、私が、悪かったのかも、しれん…

 なまじ、美人で、世界的な有名人…

 その肩書に目がくらんで、この女の本質を忘れたかも、しれん…

 この女の本性を忘れたかも、しれん…

 それを、思えば、私も同じ…

 同じだった…

 威厳や、肩書で、ひとを判断する人間と、同じだと、気付いた…

 だから、

 「…すまんかった…」

 と、素直に、詫びた…

 即座に、詫びた…

 ハリウッドのセックス・シンボルだ、なんだという肩書で、この女を、私は、判断していた…

 が、

 冷静に考えれば、175㎝の大女…

 片や、

 この矢田トモコは、159㎝…

 殴り合いになって、勝てる相手ではない…

 しかも、私は、この大女と、この部屋で、二人きり…

 逃げ場は、ない…

 だから、謝るしか、なかった…

 詫びるしか、なかったのだ…

 他に、選択肢は、なかったのだ…

 本気で、殴り合いになれば、命を落とすかも、しれんのだ…

 すると、

 「…どうして、謝るの?…」

 と、リンダが、目を丸くした…

 「…どうして、お姉さん?…」

 「…それは…」

 私は、答えられんかった…

 まさか、

 「…オマエが怖い…」

 と、正直に、告げるわけには、いかんかったからだ…

 すると、リンダは、私が、リンダにあげようとした、キットカットを見た…

 私が、握りしめたままのキットカットを見た…

 そして、

 「…マリアのことね…」

 と、リンダは、言った…

 「…マリアのことだと?…」

 私は、仰天した…

 どうして、マリアの話になるんだ?

 さっぱり、わからんかった…

 すると、

 「…そのキットカット…マリアの好物でしょ?…」

 と、リンダが、続けた…

 「…優しいのね…お姉さん…」

 …優しい?…

 …どうして、私が、優しいんだ?…

 唖然としていると、

 「…オスマン殿下のことを、考えているんでしょ?…」

 と、リンダが、言った…

 「…殿下のことだと?…」

 「…オスマン殿下が、サウジに戻れば、もう二度と、マリアに会えない…それが、心に痛むんでしょ?…」

 リンダが、しみじみと、告げた…

 正直、そんなことは、考えもせんかった…

 マリアのことなど、考えもせんかった…

 それが…

 たかだか、キットカットで、そんな話題になるとは…

 うーむ…

 キットカット、恐るべし…

 恐るべしだ…

 私は、思った…

 「…たしかに、オスマン殿下は、マリアが好き…だから、それを思うと、オスマン殿下の誘いに、乗っていいものか、どうか、迷う…」

 …なんだと?…

 …どうして、迷う?…

 …別に、オマエが、いなくなっても、全然、平気さ…

 …大丈夫さ…

 私は、思った…

 だから、

 「…悩むな…」

 と、私は、リンダに言った…

 「…悩んで、チャンスを逃がして、どうする? こんなチャンスは、滅多にないゾ…」

 「…滅多にない?…」

 「…そうさ…リンダ…オマエのことだ…世界の著名人にファンが多いのは、わかる…が、
あくまで、ファンだ…その粋は、出んだろ?…が、オスマン殿下は、違うゾ…」

 「…どう、違うの?…」

 「…オマエのために、手を差し伸べてくれる…」

 「…どういう意味?…」

 「…物事は、なんでも、そうさ…アドバイスをくれる人間は、多い…会社でも、なんでも、退職の相談をすれば、親身になって、相談に乗ってくれる人間も、稀にいるが、いざ、退職しても、アイツは、どうしているか? と、真剣に、心配してくれ人間は、いない…」

 「…」

 「…それと、同じさ…」

 「…同じ…」

 「…要するに、いかに、ハリウッドのセックス・シンボルだ、なんだと、持ち上げられても、親身になって、オマエの将来を心配してくれる人間は、少ないということさ…」

 「…少ない…」

 「…そうさ…だから、真剣に自分の身を心配してくれる人間は、大切にしなきゃ、いけないのさ…」

 私は、言った…

 すると、どうだ?
 
 リンダが、考え込んだ…

 この矢田トモコが、思いつきで、口にした言葉に、考え込んだ…

 しばらく、考え込んでから、

 「…お姉さんの言うことは、わかる…」

 と、ポツリと、漏らした…

 「…誰もが、同じ…自分のことを、親身になって、心配してくれる人間は、少ない…」

 「…だろ?…」

 私は、勢い込んで、言った…

 「…でも…」

 「…でも、なんだ?…」

 「…決断できない…」

 「…決断できないだと? …どうしてだ?…」

 「…お姉さんと、離れられない…」

 「…私と離れられないだと? …どうしてだ?…」

 「…お姉さんは、精神安定剤…」

 「…私が、精神安定剤だと?…」

 「…仕事で、嫌なことがあったとき、お姉さんに会う…すると、嫌なことが、忘れられるとは、いわないけれども、なんだか、ホッとする…癒される…」

 「…癒されるだと?…」

 「…これは、たぶん、バニラも同じ…いえ、バニラだけじゃない…葉尊も、葉敬も、同じ…お姉さんと、会うと、ホッとする…癒される…」

 リンダが、激白する…

 私には、なにが、なんだか、わからなかった…

 私は、自分を知っている…

 仮に、私が、私以外の人間でも、私に会って、癒されるなど、微塵も、思わない…

 これっぽっちも、思わない…

 そもそも、私に会うのならば、その時間を、ショッピングなり、恋人と、デートするなり、別の行動を取る…

 私に会うなど、時間の無駄…

 無駄に過ぎない…

 私は、思った…

 それが…

 それが、一体、どうして、こんなことを、言うのか?

 私は、悩んだ…

 悩んだのだ…

 「…お姉さん…」

 「…なんだ?…」

 「…あの矢口さん…」

 「…お嬢様か?…」

 「…あの矢口さんが、どうして、あのとき、あのセレブの保育園に現れたか、わかる?…」

 「…それは、マリアが、あの保育園に通っていたからだろ? …だから、それを知って…」

 「…たしかに、そうかもしれないけれども、あの矢口さんは、きっと、オスマン殿下の存在は、知らなかった…」

 「…知らなかった? …殿下の存在を?…」

 「…そう…知らなかった…でも、あのとき、あの騒動が、起こって、ファラドが、反乱を起こした…そのとき、オスマン殿下が、権力者だと知り、そのオスマン殿下が、お姉さんを気に入ったのを、見た…」

 「…」

 「…それを、見て、あの矢口さんは、動いた…」

 「…お嬢様が、動いた? …どう動いたんだ?…」

 「…オスマン殿下に、近付いた…それまで、オスマン殿下のことなど、知りもしなかったくせに、動いた…オスマン殿下が、お姉さんを気に入ったのを、見て、お姉さん、そっくりの自分も、オスマン殿下に、気に入られる可能性が、高いと、思って、近付いた…なんというか、大胆というか…臨機応変というか…気を見るに敏というか…」

 リンダが、笑った…

 「…ただの頭でっかちじゃない…勉強が、できるだけじゃない…オスマン殿下の態度を見て、自分の行動を変える…そんな頭の良さが、あの矢口さんには、ある…」

 リンダが、笑った…

 笑ったのだ…

               
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