第146話

文字数 4,401文字

 …こ、これが、アラブの至宝か?…

 …こ、これが、アラブの至宝と呼ばれた、ファラドの真の姿か?…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 子供ながら、実に、威厳がある…

 ハッキリ言って、偉そうだ…

 が、

 その偉そうな態度=オーラと言うか…

 とにかく、誰もが、逆らえない雰囲気があった…

 当然、この矢田トモコが、逆らえるわけが、なかった…

 すると、無意識に、私は、ファラドから、一歩下がった…

 一歩、退いた…

 正直、怖かったからだ…

 とてもじゃないが、この矢田トモコが、立ち向かえる相手ではないと、気付いた…

 この平凡な矢田トモコが、勝てる相手ではないと、気付いたのだ…

 そして、これは、誰もが、いっしょだった…

 「…台北筆頭の買収は…」

 と、言い出したオスマンすら、なにも、言えんかった…

 言葉を失ってしまった…

 ハッキリ言って、ファラドの威厳の前では、なにも、言えなくなってしまっていた…

 すると、だ…

 「…なにっ? オスマン、台北筆頭が、どうしたの?…」

 と、いきなり、誰かが、言った…

 言ったのは、他でもないマリアだった…

 「…台北筆頭は、パパの会社よ…オスマン、アンタ、パパの会社を知ってるの?…」

 マリアが、舌鋒鋭く、聞いた…

 途端に、ファラドの威厳が、なくなった…

 それまでのオーラ=威厳が、なくなった…

 信じられないほど、簡単に、なくなったのだ…

 ただの3歳の保育園児に、ファラドが、戻ってしまった…

 「…い、いや…」

 ファラドが、歯切れ悪く、答える…

 が、

 マリアは、追及の手を緩めることは、なかった…

 「…オスマン…アンタ、偉いからって、パパの会社をどうにか、しようとするんじゃ、ないでしょうね…」

 「…いや、そんなことは…」

 「…そんなも、こんなもない!…ハッキリしなさい!…」

 マリアが、またも、腕を組んで、言った…

 両腕を組んで、ファラドを見下すように、言ったのだ…

 「…どうなの、オスマン?…」

 が、

 ファラドは、マリアの質問に、答えんかった…

 緊張した表情で、答えんかったのだ…

 「…どうして、オスマン、アンタ、なにも、言わないの?…」

 マリアが、聞いた…

 が、

 それでも、ファラドは、答えんかった…

 すると、マリアが、

 「…これは、オスマンにお仕置きが、必要なようね…」

 と、言った…

 …お仕置き?…

 …一体、なんのことだ?…

 が、

 すぐに、わかった…

 「…さあ、オスマンに、お仕置きよ…」

 と、マリアが、命じると、それまで、無言で、マリアに従っていた、保育園の女児たちが、一斉に、ファラドを囲んだのだ…

 マリアの一声で、二十人近くいた女児たちが、ファラドを囲んだ…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 このマリアの統率力に、驚いたのだ…

 これでは、まるで、女ヤクザ…

 これでは、まるで、女暴走族の総長だ…

 まだ、わずか、3歳にも、かかわらず、二十人近くの女児たちを、束ねている…

 これは、ありえん…

 まさに、ありえん光景だった…

 私は、ブルった…

 文字通り、ブルった…

 震撼した…

 この矢田トモコ、35歳…

 実は、暴力には、滅法弱かった(涙)…

 ヤンキー系は、からきしダメだった(涙)…

 だから、たった今、このマリアに、子供ながらも、こんな統率力を、目の前で、見せられては、動揺した…

 動揺せずには、いられんかった…

 なぜなら、もし、マリアの本性が、ヤンキーならば、天敵…


 この矢田トモコの天敵だからだ…

 私は、どうしても、ヤンキーが嫌だった…

 ヤンキーを受け入れるのは、生理的に無理だったからだ…

 だから、もしかしたら、今まで、この矢田トモコは、マリアの本性が、ヤンキーであることが、わからずに、接していたのかも、しれんかった…

 だから、恐怖した…

 それが、わかったから、恐怖した…

 が、

 考えてみれば、マリアが、ヤンキーなのは、当たり前だった…

 なぜなら、母親のバニラが、ヤンキーだったからだ…

 母親のバニラが、元ヤンだったからだ…

 だから、私は、バニラが、嫌いだった…

 虫が、好かんかった…

 なぜなら、バニラは、元ヤンだからだ…

 ヤンキーが、嫌いな、この矢田だから、バニラが、嫌いだった…

 当たり前のことだった…

 が、

 それでも、この矢田は、バニラが、怖くなかった…

 身長、180㎝の大女の、バニラが、怖くなかった…

 考えて見れば、それは、不思議なことだった…

 身長、わずか、159㎝の、この矢田が、バニラが、怖くないのは、不思議なことだった…

 が、

 怖くは、なかった…

 怖くは、なかったのだ…

 これは、どうしてか、考えた…

 それは、一言でいえば、バニラが、美人だったからだ…

 金髪碧眼(へきがん)の、絶世の美女…

 それが、バニラ・ルインスキー、そのひとだったからだ…

 それになにより、その圧倒的な美貌には、ヤンキーの雰囲気が、まるでなかった…

 むしろ、清潔感すら、あった…

 清涼感すら、あった…

 だから、この矢田も、バニラが、怖くなかった…

 普段は、ヤンキーに恐怖する、この矢田も、あのバカ、バニラが、怖くなかったのだ…

 さらに、冷静に考えれば、この矢田も、バニラの美しさに圧倒されるところだが、それは、全然なかった…

 これも、どうしてか、考えたが、要するに、バニラの口が、悪いからだった…

 口を開けば、この矢田の悪口ばかりを、言っているからだった…

 それが、許せんかったからだ…

 この矢田トモコとて、聖人君子ではない…

 神様ではない…

 だから、自分の悪口を言う、あのバニラを許すことが、できんかった…

 あのバカ、バニラを許すことが、できんかったのだ…

 い、いかん…

 今は、このマリアのことを、考えていたが、いつのまにか、母親のバニラのことばかり、考えてしまった…

 いつのまにか、あのバカ、バニラのことばかり、考えてしまった…

 私は、思った…

 だから、私は、慌てて、目の前の光景に、集中した…

 目の前では、ファラドが、二十人の女児たちに、囲まれていた…

 ファラドが、一人、円の中心にいて、その周囲を、二十人の女児たちが、囲んでいた…

 が、

 ファラドは、少しも、動じなかった…

 さすがに、アラブの至宝と呼ばれる男だった…

 いかに、外見が、3歳の幼児にしか、見えなくても、たかだか、3歳の保育園の女児たち、二十人に囲まれただけでは、動揺するわけは、なかった…

 これは、当たり前だった…

 が、

 そのファラドの目の前には、マリアがいた…

 あの、バカ、バニラの娘のマリアが、いたのだ…

 「…オスマン…謝んなさい!…」

 マリアが、口を開いた…

 「…謝る? …どうして、ボクが、謝んなきゃ、いけないんだ?…」

 ファラドが、言った…

 すると、ファラドを囲んだ、女児たちが、一斉に、

 「…生意気!…」

 「…オスマン、アンタ、生意気よ!…」

 と、口を開いて、ファラドを攻撃した…

 私は、唖然とした…

 この矢田トモコも、35歳…

 これまで、35年生きてきて、さまざまな場面に出くわした…

 いろいろな光景に、遭遇した…

 正直、ここには、書けんことも、いっぱいある(笑)…

 が、

 今、この目の前のような光景を、見たことは、なかった…

 なかったのだ…

 だから、さすがに、この光景を見て、私は、動揺した…

 なにより、ファラドは、サウジアラビアの実力者…

 たった今、このファラドを囲んで、ファラドを、

 …生意気!…

 と、罵っている、女児たちの父兄も皆、世界のセレブに違いないだろうが、さすがに、誰も、ファラドの地位に肩を並べるものは、いないだろう…

 それほどの実力者だ…

 だから、そのファラドを怒らせたら、どうなるか、わからん…

 冷静に、考えれば、恐怖しかない…

 ファラドを怒らせれば、自分の身が、どうなるか、わからん…

 その恐怖だった…

 まさか、大金持ちから、ホームレスに堕ちるとは、いわんが、似たような結末になる可能性もあった…

 かなりの確率であった…

 だから、

 「…マリア…そんなこと、言っちゃ、ダメさ…」

 と、私は、大声で、マリアを注意した…

 「…そんな、みんなで、一人を、攻撃しては、いかん…それでは、いじめだ…」

 私は、言った…

 が、

 マリアは、聞かんかった…

 「…オスマンが、生意気だから、いけないの…」

 マリアが、怒鳴った…

 「…だから、懲らしめなければ、いけないの…」

 「…懲らしめる?…」

 なんてことを、言うんだ…

 いや、

 それよりなにより、どこで、そんな懲らしめるなんて、言葉を覚えたんだ?

 私は、思った…

 なにより、そんなことをして、ファラドが、怒り出したら、マズい…

 アラブの至宝を怒らせたら、マズいのだ…

 私は、慌てて、ファラドを見た…

 ファラドの態度を見た…

 ファラドは、女児たちに囲まれても、まったく、動揺していなかった…

 ファラドの顔に、変化は、なかった…

 私は、ホッとした…

 が、

 当たり前だが、愉快な表情ではなかった…

 むしろ、怒りを、ドッと、溜め込んでいるようにも、見えた…

 …こ、これは、マズい!…

 活火山でいえば、噴火する目前…

 怒りが、爆発する寸前だと、思ったのだ…

 だから、私は、恐怖した…

 マリアに、これ以上、ファラドを怒らせないように、するべく、

 「…マリア…もう止せ!…」

 と、怒鳴った…

 が、

 マリアは、聞かんかった…

 「…矢田ちゃんは、黙ってて!…」

 と、私に歯向かった…

 面と向かって、歯向かったのだ…

 …やはり、あのバカ、バニラの娘だ…

 私は、思った…

 親もバカなら、子供も、バカだった…

 バカ、マリアだった…

 …もう、マリア…オマエが、どうなっても、しらんさ…

 …マリア…オマエは、サウジアラビアに連れて行かれて、どんな目に、遭っても、しらんさ…

 私は、心に誓った…

 これまでは、散々、面倒を見て、やって来たさ…

 でも、これからは、違うさ…

 それより、なにより、これ以上、ファラドを怒らせれば、マリアの身のみならず、マリアを庇った、この矢田の身も、どうなるか、わかったものじゃないさ…

 だから、これ以上、庇うことは、できないさ…

 この矢田も、サウジに連れて行かれて、殺されでも、したら、困るさ…

 私は、思った…

 私の最大の後ろ盾は、夫の葉尊の父、台湾の大企業、台北筆頭オーナーの葉敬だが、その葉敬の力をもってしても、このファラドには、遠く及ばない…

 だから、いかに、葉敬が、尽力を尽くそうとも、この矢田トモコを救うことができない…

 そんな状況で、この矢田トモコが、これ以上、マリアを助けることは、できんかった…

 できんかったのだ…

 すると、どうだ?

 それまで、黙っていたファラドの表情に、明らかに、変化が、現れた…

 私は、ブルった…

 私は、恐怖した…

 とんでもないことが、起きる…

 そう、思った…

 そう、思ったのだ…

               
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